クレしん外伝 BURI×BURI 狩人物語! 作:K・B大好き人間
今話はちょっと震えながらの投稿です。
児童に下ネタ関係の描写させるの怖すぎて。
ハーメルン的にこういうの大丈夫でしょうか……?
もし何か問題があれば、書き直します。
九月も中旬を迎えると、朝晩は涼しくなってくる。とはいえ、昼はまだまだ暑いから幼稚園の制服も半袖のままだけど。
部屋で制服に着替える間、素肌に触れる朝の空気は若干肌寒く感じられた。
今日は遠足の日だ。それも、行き先はヘンダーランド。
園内のアトラクションや内装は一新されて前回より一層、完成度が高いらしい。
当然、世間からの期待も高く、開園したばかりということもあって当日券を買おうにも数時間待ち、予約を取るにも満杯で事前にチケットを取るのが難しいのだとか。
よくもまあ園児全員分のチケットを確保できたものだなあと、行き先を聞いたときには思わず驚いた。きっと園長先生が頑張ってくれたんだろうな。
そんな場所に行けるんだ。自然と力も入るってもんで。
「制服よし、寝癖なし、オッケーかな」
鏡に映った全身をポーズを変えながら入念にチェックした後、ボクは忘れないうちに荷物の最終チェックを始めた。
ハンカチ、ティッシュ、ビニール袋、旅のしおりに載っているもののほか、今回、奮発して買ってしまったヘンダーランドのガイドブック、これは絶対に外せない。
「あとは……」
スマホは、どうしようか。持っているのが先生に見つかったら怒られるかもしれないけど……。
でも、何かあった時のために持った方がいいかもしれない。バッグの底にいれれば、そうそうバレることもないだろうし。
「よし」
準備万端だ。チャックを閉めて軽く叩く。
最後に忘れ物がないか隅々を見まわしてから、ボクは部屋を出た。
もうすぐバスの迎えがくる。その前に、何かお腹に入れられたらいいんだけど。
食パンか何かあればそれだけでもいいな、などと思いながらリビングへ向かった。
「……ん?」
歩いていると、なんだか美味しそうな匂いがすることに気がついた。
なんだろう?
香ばしく、バターが溶ける甘い匂いも混ざってる。どうやら、リビングの方から漂ってきているようだ。
──グゥウウゥ〜…
「うっ」
思わずお腹が鳴ってしまって、ボクはお腹を抑えた。誰かに聞かれる心配なんかないのに、なんだか恥ずかしいんだよな……。
《お腹すいたなあ)
そういえば、今朝起きたのは5時少し過ぎだ。そして、今は大体6時半。考えてみれば、もうかれこれ一時間半弱は起きてるわけだから、お腹だって減るはずだよ。
匂いのもと──パンか何かかな──はボクが用意したものでは当然ないから、きっとママが何か作ってくれているんだろう。
トーストは多分あるとして、ベーコンエッグとかあったら嬉しいな。
なんて、なんとなく嬉しく感じながら、ボクはリビングへ向かい、扉に手をかけた。
(いい匂い)
扉を開けるにつれ、匂いも強くなっていく。
「ママ〜? おはよう」
ご飯、ありがとね──言いながら、リビングの扉を押し開けた。
「……あれ?」
カーテン越しの白い光の中で、細かな埃だけがキラキラと輝いている。
部屋の中は静かで、誰もいない。けれど誰かいたような温みは感じる。
もしかして……ボクはリビングを一通り見まてから、キッチンへ向かった。もしかしているかもしれない、なんて思ったんだけど、やっぱりママはいないようだ。
でも、そのかわり、キッチンのテーブルの上にはトーストとベーコンエッグがのった皿が置いてあった。
見た目からして美味しそうだ。
卵は半熟でボクの好みに合わせてあるし、ベーコンはカリカリ。まだ湯気も出ている。
作ってからそんなに時間も経っていないはずだけど、
「あれ、これなんだろう?」
ふと、皿の下に何かが敷かれてあることに気がついた。
紙みたいだ。何か書いてある。
「ええと──」
『トオルちゃんへ。
朝ごはん作っておきました。
ヘンダーランドへ行く途中でお腹がすいたらいけないから、きちんと食べるのよ?
まだ少し時間もあるし寝てます。行く時間になったら声かけてね。
ママより』
「──ママより、か」
手紙を読み終え、テーブルに置く。
こんなものになんて書かず、起きてるのはきっと気づいてたんだろうから声をかけてくれればいいのに。
そう思うのは、ボクの勝手なんだろうか?
「どうなんだろう」
思えば、最近はずっとこうだ。
テストの前日のあの出来事が、ずっと、ここ数週間、尾を引いている。
なんとなく互いに触れがたく、腫れ物のようにイヤなものが、ママとボクとの間に横たわっているような気がする。
実を言うと、テストの結果はかなり良かったんだ。勉強をきちんとしていたことの証にもなったし、そういう意味でも良かった。
でも皮肉なことに、それがむしろ余計にややこしくしてしまったのかもなと思うんだ……。
ママは結局、ボクに謝ってない。それはボクも同じだ。
ママに言い分があるように、ボクにだって言い分はあるんだから。
黙ってフィギュアを買ったのはそりゃあ悪かったさ。でも、勉強への態度とか他のことまで頭ごなしに否定されるなんてあんまりだ。
努力したのは絶対で、結果に出たことは事実で、それは褒められたっていいことじゃないか。
なのに、何も言われない。
テストの用紙を見せたときなんか、いっそ〇〇のような顔さえしてた。
そんなんだもん、自分から謝ろうなんて気になれるもんか。
「なんか……なんなんだろうなあ」
モヤモヤする。嫌な感じだ。
今日みたいな日にこんなこと考えちゃ、せっかくの遠足が台無しなのに。
「もうやめよ、食べよ食べよ」
気を取り直して、食事を始める。
けれど、なんとなく気持ちは下向きになって
しまうんだ。
(『おとぎの国』か。そんなところの住人になれたら毎日楽しいのかな)
全部忘れて、ただ純粋に楽しめるようになれたら楽なのにな。ボクは朝食を食べながら、そんな取り止めもないことをぼーっと考える。
そうしているうちにどれだけの時間が経ったのだろう。
気づけば、時計の針は幼稚園バスが迎えにくる時間を指していた。
「ま、まずい!」
食べかけのトーストと玉子を口に含み、急いで飲み込む。
い、痛い……! 喉が引き延ばされるような痛みを感じる。
でも、今はそんなことに構ってられない。
こんなにも早起きしたってのに、遅刻なんて最低だ。だいいち、そんなのボクのキャラじゃない。
汚れた食器をシンクに置き、リュックを掴んで玄関へ向かう。
靴を履き、ドアノブを掴んで開けようとしたところで──ママからの手紙を思い出した。
「──あ」
そうだ、起こさなきゃだったんだ。
でもな….。
踵を返しかけて、けれど、体の動きが止まってしまう。
「……時間ないし」
遅れちゃ迷惑をかけることになる。だから、仕方ないさ。
少し残念がらせちゃうかもしれないけど、帰ってから謝ればいいだけだ。そう思うことにして、ボクはドアをそっと開けた。
「行こ」
後ろ髪を引かれるような、どこかモヤモヤした気分のまま、ボクはひとり家を出た。
────────
幼稚園バスは、その後、いくつかの家を回った。
その“いくつか”の中には、しんのすけの家も含まれていたわけだけど……こういう時ばっかり寝坊しないんだよなあ、アイツ。
現金というか何というか。
いつもなんか乗れたって寝ぼけ眼なくせして、今日は何というかもう爛々としてた。
「よっぽど、楽しみなのね」
なんて、ネネちゃんが笑いながら言ってたっけ。
その後も数件を回って幼稚園へ向かい、そこから大きなバスへと乗り換えて、そうしてボクらは、一路、群馬へ向かった。
高速を利用しても2時間はかかる長い道のりだ。
インターチェンジを通ってから少しの間は、園児も先生も非日常の空気にあてられて皆一様に高揚の色を見せていた。
それから、一時間半が経つ。
いつしか、窓の外の景色には田畑の色が混じり始め、田舎だなあと思っているうちには森や木々の緑ばかりが見えるようになった。
群馬か……思ったほどは遠くなくても、楽しみな気持ちは時間を長く感じさせるものだ。
目的地に近づきつつあることは分かっていても──いや、だからこそなのかな。
バスの中には穏やかながらも、どこか浮かれたような不思議な空気が満ちている。
どうしても抑えきれないワクワクが空気に溶けこんでいるような、そんな感じ。
みんな、ヘンダーランドが楽しみなんだ。
「──ねえ、風間くんは?」
「……え?」
他の子達の様子をぼんやりと眺めていると、ネネちゃんが突然話しかけてきた。な、何の話してたんだったっけ?
「えぇっと……」
「あー、聞いてなかったんだあ!」
いい淀むボクに察して、ネネちゃんがむくれ顔をする。
「もうっ、だからね? ヘンダーランドのなにが一番楽しみかって話」
「あ、ああそっか」
「ちなみにね? ネネは、だんぜんお人形さんたちの街並みが楽しみ!」
「お人形さんの街って言うと、ヘンダータウンのことか」
「そう、ヘンダータウン! ほら、前にも遠足で来たことあったでしょ? そのときすっごく可愛かったから」
へえ、かわいい物好きのネネちゃんらしいや。確かに、ヘンダー鉄道面白かったもんなあ。
「他のみんなは? もう話した?」
「ううん、ネネの後に風間くんに聞いたんだ。だからまだ」
言って、ボクとネネちゃんの視線が他へ向く。中でも、もじもじと何やら話したそうにしているのは──。
「マサオくん?」
「う、うぇっ!? ボ、ボク!?」
「そんなに緊張しなくても……」
「というより、自慢したくて力んでるだけよ。きっと」
それを言ってやるなよ……。
ネネちゃんがヒソヒソと耳打ちしてきたことに、ボクは苦笑を返すしかない。
マサオくんは幸いにも気付かなかったらしく、リュックをゴソゴソと探っている。
「ボクはね、ええっと、どこに行きたいってのは特に決まってないんだけど」
「うんうん」
「でも、とっておきがあるんだ」
やがて、探し物を見つけ出したのだろう、マサオくんはにんまりと笑うと、リュックから何かを取り出した。
「ほら、これ」
握っているものを自慢げに見せてくる。これって、
「──カメラ?」
しかもこれ、凄くいいやつだ……見ただけで高そうだなとわかるゴツさ。
「高そう……」
ネネちゃんも、呆気に取られたように呟いた。
「こんな凄いの、どうしたの?」
「えへへ。これ、パパから借りてきたんだ。いっぱい綺麗な写真が撮れたら嬉しいなって」
「へえ〜……」
五歳児が、こんなもの持たされていいものだろうか?
盗まれやしないかな。いや、それよりも、思いがけず落としたりとかして壊れでもしたら大目玉だろうなあ。
とは思えど、マサオくんの得意げな顔を見ては、水を差すようで言えず。
「あー……無くさないようにしないとだね」
「うん!」
無難にこれで終わりにした。
さて、次は──。
「じゃあ、今度はボク」
次はボーちゃんだ。
リュックからヘンダーランドのパンフレットを取り出すと、あるページを開いて指さした。
「ボク、これ」
これ──と指さしたところには、『ヘンダーシップ』と書かれてあって、丁寧にマーカーも引かれている。
これは、よっぽど楽しみにしているに違いないな。
ええと、続きは……なになに?
「 『中への立ち入りも可能です。個室ごとの作り込みが細かくされているため見るだけでも楽しめますが……なんといってもこの船、実際に航海可能な設計がされているため、運が良ければ湖の上のクルーズを楽しむことができるかもしれません』かあ」
「それがホントなら、船の上からの景色なんてすっごく綺麗だろうねえ」
「そうねえ、街も一望できそうだし」
「うんうん」
湖面に浮かぶ街並みか、確かに綺麗だろうな。写真に撮れたらいいな、と言うマサオくんにネネちゃんもボクも頷いた。
「なにより、海はおとこのロマン、だから」
「ロマン! ボーちゃん、かっこいい!」
「ホントホント!」
「へへへ」
照れくさそうに笑うボーちゃんを、みんなで囃し立てる。
ロマンかあ、いいね。海じゃなくて湖だけど。
「そっかあ。みんな、これってのがあるんだね」
「風間くんは? 決まった?」
一番楽しみなものかあ。迷うな、実際、みんなと行けるってだけで十分なくらいだし。
でも、そんなこと正直に言っちゃ照れ臭くて敵わない。特にないかな、なんてのも味気ないし。
何か、あったっけ──。
ヘンダーランドにあるアトラクションやイベントを一つ一つ頭の中で挙げながら、ボクがあれこれ考えていると、マサオくんが思い出したように言った。
「そういえば、しんちゃんは? 何か気になるところある?」
そういえば、確かにまだ聞いてなかったっけ。全員の視線が、しんのすけに向かう。
「オラ?」
「だって、すっごく楽しみにしてたみたいだからさ」
「そうね、いつもと違って寝坊も遅刻もしなかったもの」
いつもなら聞いてもいないのにベラベラ話すくせに、何故か今日に限って静かなんだよな。」不思議で仕方ない。
「それにお前、やけに真剣な顔してるじゃないか」
「あ、それ、ネネも気になってた」
「ボクもボクも」
みんなも不思議に思っていたようだ。周りがそれぞれ言うのに合わせて、ボーちゃんもしきりに頷いている。
「んー、秘密」
「別に隠すようなもんじゃないだろ? 減るもんじゃなし」
「しんちゃんのケチ」
ここまで言われて、けれど、しんのすけは本当に教える気がないようだ。
「女は秘密を飾って美しくなるって、誰か言ってたもーん」
“女”て…。
「お前いつから性別変わったんだよ!」
「今から」
と言うと、しんのすけはおもむろにズボンに手をかけた。
コ、コイツまさか……ッ!
嫌な予感、というより、もはや確信があって、ボクはすんでのところでその手を掴んだ。
「や、やめろよな、こんなところで!」
コイツのやりそうなことなんて想像がつく。
どうせ股の間にアレを挟んで、『女よ』なんて、そんなこと言うに決まってるんだ。
「しんちゃん、やだあ!」
ネネちゃんなんか、顔を赤ながら目を手で覆って──いや、あれ……? 指の間開いてるな。
「ネネちゃん……やってることチグハグだよ」
そんなネネちゃんに横並びになるようにしてもう一人。
周りがびっくりしている中で、一人だけじっくりと此方を、というより、しんのすけを……というより、しんのすけのズボンを注視している。
「あ、あいちゃん?」
困って声をかけるも、あいちゃんは意外なように小首を傾げてパチパチ瞬きをするだけだ。
「あら、どうしたの? 続けて?」
「つ、続けてじゃなくて……」
そんな一幕もありながら、ボクらはバスに揺られていった。
ヘンダーランドに着いたのは、それから三十分もたたないうちのことだ。
ヘンダーランドは以前と同じように、いや、以前よりも更に大勢のスタッフと、非現実味の増した様相とでボクらを出迎えてくれた。
そうして入場してみれば、園内は、凄い、の一言に尽きる。
遊園地だとかのこういう場所は、アニメや物語の世界を現実に持ってくるようなもので。
どうしたって違和感は感じさせるものなのに、ここはそれがなかった。
まるで物語の世界に本当に入り込んだような……。
もしかしたら、いつのまにか魔法でもかけられてしまっているのかな?
迷い込んだヒトを白昼夢の世界にひきこむ、そんな魔法──なんてね。
「それじゃあ、そろそろお昼の時間ですし。みなさーん、城の方に移動しますよー!」
園長先生の呼びかけに、園児がワラワラと集まる。
正午を過ぎ、太陽はすでに中天にある。時間が過ぎるのが早い、もうお昼なんて。
そう思いながら、先導する園長先生にくっくようにしてボクらは移動を始めた。
後ろは、よしなが先生とまつざか先生が挟んでいる。迷子を出さないようにだろう。
「お城ってアレだよね?」
ヘンダー城を指さしてマサオくんが言った。
「ああ、そうだよ? あそこの中で、お昼ご飯食べるんじゃないかなあ」
「へえ! あそこの中って入れるんだ、すごーい!」
そうなんだ。前来た時は工事中だったヘンダー城も、今回は開園に合わせてしっかりと工事は終わっている。
来園者が自由に入れるよう開放されているのはやっぱり嬉しい。
流石に、城の上の方までは立ち入りできないけどね。
さっき先生たちが話してたことだけど、その中にある大広間で、ボクらは昼食を取ることになるらしい。
これも事前予約が必要なようで、団体が優先して入れる枠が設けられているらしいけど、それにしたって競争は激しいだろう。
園長先生がんばってくれたんだな……。
そんな風に思っていたときだ。
「──あった」
横を歩くしんのすけがつぶやく声が聞こえた。
何が、と尋ねる暇もない。
しんのすけは唐突に列を抜け、脇道に逸れて走り出した。
「え、おい!? ちょっと待てよ、しんのすけ!」
一体何が……そう迷っているうちに、
「しんさまぁー!」
さらに、あいちゃんまでもが、しんのすけの後を追って列を抜けてしまった。
ど、どうしよう……!
後ろを振り返るが、折悪く、先生たちは転んで怪我をした子に気を取られていて気がついていない。
園児が多いため、その二人とも距離があり、事情を説明できたとしても、その間にしんのすけは遠くへ行ってしまうだろうし……。
(どうしよう……どうすればいい?)
決めきれないボクの手を、ネネちゃんが掴んで言った。
「行きましょう!」
覇気のある言葉に、不思議と気持ちが定まった。
あの二人だけ孤立させちゃまずい。集団で動けば、それだけ人の目にも触れやすいし、合流も早くなるはずだ。
ネネちゃんに頷きかけると、ボクはマサオくんとボーちゃんに目を向けた。
二人ともボクの視線の意味を悟ってくれたらしい。しかし、二人の反応は全く真逆のものだった。
「うん、行こう!」
力強く頷くボーちゃんに対して、マサオくんは……。
「そ、それよりまず先生に伝えたほうが──」
及び腰なマサオくんにネネちゃんが発破をかける。
「でも、そんなことしてる間に二人を見失っちゃうかもしれないでしょ!」
「で、でもお」
「あいちゃんと離れちゃうのよ!」
「だ、大丈夫だよ、たとえばその……放送とか? お城に来るよう伝えれば──」
「でも、あの二人よ!? フラフラ変なところに迷い込みでもしたら!」
「そんなこともないんじゃないかなあ……二人とも意外にしっかりしてるし──」
──ブチッ!
「……?」
何かが切れた音がした。ネネちゃんの方からだ。
「ネネちゃん?」
「……チッ」
呼びかけへの返答は……微かに舌打ちが聞こえた気が……?
「あの、ネネちゃ──」
「……ピーピーピーピーやかましいんだよ、オニギリが」
ボソッとそんな言葉が聞こえた。聞き間違いじゃないんだろうなあ….。
マサオくんなんか顔が真っ青だ。
ヘビに睨まれたカエルみたいに、もはや青を通り越して白に近い。
「ネ、ネネちゃ──」
「……マサオくん。ネネのこと怒らせたい?」
「ひ、ひいぃぃい!?」
い、いつものネネちゃんじゃない……!!
「ボ、ボクそんなつもりじゃあ!? ご、ごごご、ごめ──」
「あーもうッ! つべこべうるさいッ! いいから、さっさと行きゃいいのッ!!」
「は、はひッ!」
返事をするやいなや、弾かれたようにマサオくんは駆け出した。
さっきまで怖気づいてたのが嘘のようだ。見る間に遠く離れていく。
「さ、行きましょう!」
「う、うん」
何事もなかったかのように言うネネちゃんに、ボクは首を上下に振って返す。
そしてそのまま、ボクたちは、遠くにあるしんのすけの背中を目印にひたすら走った。
しんのすけを見失わなかったのは奇跡に近い。
他のお客さんもいっぱいいて、アイツ、その間をすり抜けていくように走っていくものだから、距離を離さずついていくだけでも一苦労だったんだ。
で、少しの間走り続けて、やっと追いついたわけだけど。
「ヘンダー……サーカス?」
テントのようだ。
上の横断幕には確かに『Hender サーカス』と書かれてあるものの、こんなアトラクションはガイドブックにも、それからパンフレットにも載っていない。
それもそのはずだ。見ればわかる。
『準備中』と書かれた紙がテント横の柱に貼り付けられているし、テントの入り口にはロープが張られて『侵入禁止』の札が吊るされている。
なるほどね、完成したら此処でなにかしらのサーカスが開かれるようになるんだろうな。けど、今はただの背景的な建物に過ぎないと。
でも、だとすると──。
「なあ、しんのすけ? 何でわざわざ、こんなとこ来たんだよ」
しんのすけが何故ここに来たのかがわからない。
わからないけど、どうしてか確信はある。ヘンダーランドでのコイツの目的そのものが、この場所なんじゃないかって。
「ねえ、しんちゃん。入れないみたいだしさ、もう戻ろうよ」
「そうね、残念だけど……きっとみんな心配してるだろうし」
マサオくんとネネちゃんが言った。理屈で考えればその通りだ。ボクも早く戻ったほうがいいと思う。
けれど、しんのすけの顔に浮かぶ表情は変わらない。何かを決意したような、言っても聞かなそうな頑固な表情だ。
意外に感じていた。
何がコイツにここまでの顔をさせるんだろう? 何か、ボクの知らないことがあるのだろうか?
そんなことを思ううち、このまま戻らなかったら先生たちを心配させるなとか、怒らせちゃうかもな、とか、そんなことはだんだんと気にならなくなっていた。
だから、しんのすけがロープに手をかけたときも、それを乗り越えてテントの向こうに入ったときも、ボクは止めようとはしなかった。
「来る?」
しんのすけがテントの入り口に立ち、振り返ってボクらに問う。
迷わず行ったのは、あいちゃんだ。その次にボーちゃんと、迷いながらネネちゃんもロープを乗り越えた。
そして、ボクは、ロープを掴みながら少しだけ考えた。
浮かぶのはママの顔だった。
期待を裏切ることにならないだろうか。状況に流されてるだけなんじゃないのか?
こんなのいつものボクじゃない。ボクは優等生だぞ。
理知的で良い子で、決まり事だってしっかり守る。決して、こんなことする性格じゃないはずだ。
でも、どうしたって気になるんだ。
なんとなく予感がする。この先に行ったら、それこそ夢みたいな出来事がありそうな、そんな予感が。
大袈裟かもしれない、だけど──。
「風間くん?」
しんのすけの声が耳朶を打った。それが決め手だった。
「よし!」
ロープにかけた手に力を込め、そのままパッと乗り越える。なんだか、あっけないなと、それだけ感じた。
そして、最後がマサオくんだ。
一人向こう側に残されてしまって、結局は、泣きながらこっちに来た。
泣くくらいなら最初から来ちゃえば良かったのに……とは思わなくもないけど、そういうものでもないのだろう。
「じゃ、行きますか」
しんのすけの合図に従って、ボクらはテントの中へ足を踏み入れた。
テントの中には、あれこれ機材が置かれている。
何に使うのかわからない歯車式の何かや、何かはわからないけど動物を模した奇妙なマネキン、あるいは、もしかして剥製?
「なにこれ、やだぁ」
ネネちゃんが何かを見て声をあげた。
「どうしたの?」
「ほら、これ」
指さしたところには何体か人形が置かれている。
二足歩行のオオカミに、ヘンな顔をした女性、雪だるまに、絡み合った……男女? いや、両方とも男の人かな?
「これが?」
「なんか、不気味なんだもん。さっき目が動いてたような気がして……」
「えー? やだなぁ。そんなわけが」
あるはずないよと言おうとして、人形の方を再び見たときだ。ギロリ──女性の人形のプラスチックの目がこちらを睨んだ気がした。
「ぬえっ!?」
ビ、ビックリしたあ!
急に叫んだボクの周りに他のみんなも集まってきて、ことの次第を伝えたら、一緒に人形を確認することになった。
すると、何のことはない。
女性の人形の目を見るとオイルキーホルダーのようになっていたのだ。元から、向きや振動で瞳が動く仕掛けになっていたってだけ。
はあ、ビックリして損した。
また、それぞれに分かれてテントの中を探索する。
置かれているものも多いし、そもそも、しんのすけが何を探しているのかすら見当もついていないんだ。
こうしていること自体、何の意味があるんだろう。
そう思い始めた矢先のことだった。
「みんな、きて。これ、なんかヘン」
ボーちゃんが声をあげた。なんだか焦ったような声だ。
珍しいこともあるものだなと思った。ボーちゃんが取り乱すだなんて。
何だろう……?
何を見つけたのだろうか、疑問に思いながらも声の方向へ走った。
テントの奥の方、少し暗がりになったあたりにボーちゃんはいた。
その目前にあるのは、
「これ、鏡……? なのかな」
「うん、たぶん」
ボーちゃんの眼前に置かれたソレは、豪華な装飾の施された鏡に見える。英国かどこかの城にでもかけられていそうな、そんな見た目だ。
でも、ひとつだけ、ボクらの知る『鏡』とは違う点がある。
鏡面が
それも黒いペンキを塗りたくったのとはわけが違って、光の反射が一切ない。
でも、これだけなら、ただヘンなだけの鏡だ。他のものと大差はないように思う。
ボーちゃんは何に対して、あそこまで驚いたというのだろうか?
理由はすぐにわかった。
「これ、見てて」
そう言って、ボーちゃんが取り出したのは、石ころだった。何の変哲もないそれを鏡に向けて──投げた。
「え、ちょっと!」
何で石を、理解が追いつかない中で咄嗟に手を伸ばす。
けれど、放り投げた石に追いつくなんて絶対無理だ。
割れちゃう──!
その瞬間を見るのが嫌で、ボクはギュッと目を瞑った。
………。
……………。
…………………。
「……?」
けれど、一向に鏡が割れる音は聞こえない。それどころか、鏡と石がぶつかった音すら……?
「あれ?」
恐る恐る目を開くと、ヒビひとつ入っていない鏡が目の前にあった。
「なんで、え?」
わからない。何が起きた? 理屈がまったくわからない。
ボーちゃんが石に糸を巻いてたとか?
投げたふりをして当たる寸前で手元に戻るよう糸を引く、それなら可能かもしれない。
でも、そんなことをする理由がないじゃないか。
ふざけてそんなことをする? あの、ボーちゃんが?
違う、これはそんなチャチなものじゃないんだろう。
「ボーちゃん、これどういう」
「……わからない、でも」
「でも?」
これ以上ないくらい真剣な顔をして、
「すり抜ける、この鏡。当たったものがどっか行っちゃう。ボクの石もそう」
これ以上ないくらいありえないことを、ボーちゃんが言った。
「まさか……そんな」
「嘘じゃない。もう一回、見て」
ボーちゃんがもう一つ石を取り出して鏡に投げた。
今度は目を瞑らず、瞬きもしないように気をつけて石の行方を追う。
ものが消える?
そんな、ありえない。たとえ、ボーちゃんが何もしてなかったとしても、どこかにトリックがあるはずだ。
ボクはそれを見抜くために本当に注意深く見ていた。
石は放物線を描いて鏡に向かっていく。あと少しで触れる。あと少し……!
そして、今──。
「──え」
消え、た……?
確かに触れたように見えた。そうだ、そう見えた。
でも、当たった音はしなかった。弾かれた石がどこかに転がることもなかった。
鏡はやっぱり無傷なまま、何事もなかったかのように佇んでいる。
いや、“何事もなかったかのように”では少し語弊がある。
波紋だ。
鏡面がある一点を中心に、四方へと波打つように揺れ動いている。
「そんな、嘘だ……いや、でも」
胸の中に何かが湧き上がってくる。なにかはわからない。でも、身がすくむような、そんな。
「鏡の裏はみたけど、何もなかった」
「じゃあ、どうして!」
「それは……多分」
「──魔法」
言い淀むボーちゃんの言葉を、どこか確信めいた声が引き継ぐように言った。
「しんのすけ……?」
「しんちゃん?」
魔法……? これが魔法だって?
「何か知ってるのか? どういうことなんだよ?」
答える代わりに、しんのすけは鏡へ向けて歩き始めた。
呆然としているような。まるで、見つかるはずのなかったものを、見つけてしまったかのような。
「もしかして」
コイツが探していたものって……もしかして。
しんのすけが手を伸ばす。
その横顔に一瞬、怯えるような表情が浮かんだのをボクは見逃さなかった。
「お、おい待てよ! しんのすけ──!」
けれど、遅かった。
しんのすけの手が鏡面に触れた、その瞬間──鏡の“黒”が、一瞬のうちに僕らを呑みこんだ。
────────
切り替わる。すべてが一瞬のうちに切り替わる。
世界というフィルムの上からボクらだけが切り取られ、まったく別のフィルムに貼りつけられた、そんな唐突な切り替わり。
「うっ!」
テントの中の薄暗がりに慣れた目を、眩しい光が照らした。
痛い……滲んでくる涙を拭って、ボクは目を開いた。
ここは……。
「森……?」
いや、森というには周りの樹木があまりにも大きすぎる。樹海という言葉でもまだ足りないほどに。
「い、一体」
胸の中で不安が首をもたげた。
心臓の拍動がやけにはっきりと聞こえる気がして、ボクは浅くなった息を整えるために深く呼吸をする。
落ち着かなきゃダメだ。まずは、落ち着いて。焦っててもどうにもならない。
みんなは……良かった、全員いる。はぐれた人はいないようだ。
他の五人もボクと同じように、不安を感じている様子で周りを確認している。
「ここ、どこかしら……」
「そんなのわかんない……ボクたち、どうやってこんなとこに来たの? おかしいよ、絶対おかしい」
言われるまでもない。
気がついたらこんな場所にいるだなんてありえない。
けど、どうしたってこれは現実だ。
土の感触も樹々の香りも、ここにある非現実的なもの全部、現実にそこにあるんだってことを否が応でも実感させる。
むしろ、これが夢や幻なんて言われた方がよっぽどありえない。
ボクらは今、何かとんでもない出来事の最中にいる。
逆らおうと思ってもどうにもならない。
大河に浮かんだ数枚の葉のように望む望まざるとに関わらず、流されていくしかないような、そういう類の流れの中に。
でも、もしもそこに一石を投じることができるとしたら?
生じた波紋がわずかに葉の進路を変えたなら、川の岸辺に行き着くことだってできるかもしれない。
そのだには、川の全容を知るしかない。知って初めて、そこから抜け出す機会を得るんだ。
だから、
「しんのすけ、『魔法』って何なんだよ」
しんのすけが言っていた『魔法』、あれは何だったのか?
「なにか知ってるんじゃないのか? ボクらに何が起きたのか」
「オ、オラ」
「だって、そうだろ? お前が触ったとたんにこんな事になったんだ。それさえなきゃ、ボクらがこんな状況に置かれることなかったかもしれない!」
「ちょっと、あんまり、しん様を責めないでください!」
あいちゃんが、庇うようにしんのすけの前に立った。
最低だ、わかってる。
もしも、しんのすけが何も知らなかったとしたら、こんな風に責め立てるように言うボクは友達失格だ。
わかってる、わかってるさ……それでも。
この状況を少しでも好転させることができるなら──。
「しんのすけ、なにか知ってることがあるなら──」
「あなた、いい加減に──!」
「そこまでだ」
──低く、響くような声がボクらの言葉を遮った。
「ッ!?」
いつのまにかはわからない。
ボクらから少し離れた木の根の上に、一人のおじいさんが立っていた。
白髪に白い髭を生やした大柄な人だ。おじいさんと呼んだら、むしろ失礼に当たるんじゃないかと思うくらいに覇気に満ちている。
「こんなところで喧嘩なんぞ、バカのやることだ」
太い眉の下、細められた目はボクの瞳を射抜くように厳しく向けられている。
怖い……。
「こ、ここがどこか知ってるんですか?」
どうしても声が震えてしまう。
「わ、わからないんです! だって、ボクたち、急にこんなところに放り出されて……」
ボクの言葉のどこが意外だったのか、おじいさんは眉根を寄せて思案するように髭をなでた。
「……此処がどこかもわからず、か」
そんなことが、あり得るのか? 呟きが聞こえる。
怪しまれてる……? でも、嘘じゃない。全部本当のことだ。
どうしたら信用してもらえるだろう。どうしたら……。
「新大陸……これでわかるかね?」
おじいさんが確かめるような口調で言った。
わからない……けど、わからないと言ったら落胆させてしまうだろうか?
あるいは、さらに怪しませてしまったら?
迷いながらも、かぶりを振って答えると、おじいさんは長く息を吐いて言った。
──なら、覚えておくことだ。
「ここは新大陸、あるいは──」
──
「世界の外、メビウス湖を囲む未知なる場所。つまりはだ、お前さんたちの今いる場所の名だよ」