世間一般の学生が、夏休みの後半を満喫している八月のある日。
星野アイは、自身の身近にいるとある人物について思案していた。
その人物との関係は、彼女が施設にいた頃から続いており、これ迄の人生を振り返っても、非常に大きな影響を受けた人物の一人だと言える。
アイが考えていた事とは、その人物と自身との関係についてであった。
彼女がこの様な悩みを抱えるに至った要因として、彼女自身や周囲の人物に起きた出来事から、『他人との関係』や『家族』というものについて考える機会が増えた事が大きかった。
自身が人間関係に関して独特な感性を持っている事は、過去の経験から百も承知であるし、『友人』等の定義が曖昧な関係の構築には難儀してしまう。
加えて、自身も含めた周囲の人間に、『血』という絶対的な繋がりとなる筈の要素がまともに機能していない事例が多数存在していた事が、件の人物との関係についての彼女の複雑な思考を助長させてしまっていた。
かの有名な『考える人』像の様な格好でソファへ腰掛けつつ、アイは思考を加速させる。
まずは客観的な事実から確認していく。
ここで大体の人間との関係は定義付け出来るのだ。
仕事関係なのか、プライベートの付き合いなのか、年上か年下か、大雑把なカテゴライズでも相手に対しての接し方の指標となり得る。
では、その人物はどうであろう。
自分よりも年上、性別は同じ、自身が施設にいた頃からの付き合いであり、現在は同じ事務所で働いていて、社内での立場は部署が違う事も有るが年齢以外での上下関係は存在しない筈だ。
「成程、仕事とプライベートの垣根を超えちゃってるから難しくなってる訳か...。
こうやって考えてみれば簡単じゃん、流石私だね。」
「ねえ、お兄ちゃん。
アイちが変な事言ってるけど、どうしよう...。
一回引っ叩いた方がいいかな?」
「そっとしとけ。
飯の準備が出来たら、声掛ければいいだろ。」
他人の住居で、勝手に悩んで勝手に納得し自画自賛する彼女の姿に、この部屋の主とその妹が呆れた様子だが、そんな声は聞こえぬとばかりに思考を続けていく。
さて、自身の中のカテゴライズが終了した所で、今度はより細かくその人物との関係性を考えていこう。
とはいえ、向こうから見た自分への印象は考えてもキリが無いので、自分から見た人物像や過去の経験を基に考察していく。
まずは容姿だが、美人と言って差し支えないだろう。
性格も基本的には朗らかで優しく、常に笑顔を絶やさないイメージだ。
彼女の仕事内容に関しては、理解しきれない部分が多いが、少なくとも事務所内からの評判は良い様に思える。
ただ、怒った時は非常に怖い印象が有る。
幸い、自身が彼女の怒りを直接買った経験は無いが、その様はとても同一人物とは思えないものと記憶している。
とはいえ、総合的には自分もその人物の存在によって救われ、その優しさを享受してきた人間だ。
感謝してもしきれない相手であろう。
「アイちゃん、カレーちょっと辛口なんだけど大丈夫?」
「あっ、はい。
全然大丈夫です! ありがとうございます。」
件の人物から声を掛けられ、慌てて返答しつつ考察のヒントを得るアイ。
名前の呼び方というのも、関係性を示す要因の一つではないか_と。
その人物が使う自身への呼び方を考えるに、親しみを込めたものであると言っていいだろう。
事実、自身が同じ呼び方をしていた相手は、人生において数少ない今は亡き友人だ。
対する自身の呼び方は『名前+さん』であり、親しい間柄の目上の相手に対するものとしては非常にオーソドックスだと言える。
出会った頃からの習慣で続けている呼び方であるが、同年代のB小町のメンバーも同じ呼び方をしている事から、客観的にも違和感は無いだろう。
「お兄ちゃん、ジャガイモ大きく切り過ぎじゃない?」
「いやいや、この位ゴロゴロしてる方が食べ応え有って美味いんだって。」
そんな言葉を交わすこの部屋の主は、自他共に認める件の人物のパートナーである。
自身が懇意にしている人物と仲が良いというのは、それぞれの関係性にもよるが、余程度が過ぎたものでなければ好意的に受け止められるであろう。
アイとしても、二人を慕いつつも過度に邪魔はしない様弁えてきたつもりだ。
精神的に厳しい時期は、どちらかの時間を奪ってしまった自覚は有るが、こればかりは今思い返しても他に解決方法が無かった為、いつか別の形で返礼するしかあるまい。
(つまり、ビュティさんにとっての私は『妹分』。うん、良い響きだね。)
件の人物_ビュティと自分との関係性についての長々とした考察に終止符を打ち、自身を納得させたアイが視線を前へと向ければ、そこにはこの部屋の主_ヘッポコ丸の妹であり、自身の友人でもあるポコミの姿が有った。
「ちょっと、アイち!
いつまでも変な格好してないで、アイちもご飯作るの手伝ってよね!」
ご立腹な様子のその言葉に、アイは小さく笑みを浮かべる。
食事の準備_成程、三大欲求の一つを満たす生物としての根源的な行為だ。
そんなものにご執心とあっては、今の自身が考えていた高尚な悩みについて理解は及ぶまい。
それでも、彼女にもいつか分かる時が来るだろう_フッ、とニヒルな笑みを向け、台所へと移動していく。
「...何か拗らせてるなー。
まあいいや、ビュティお姉ちゃん、次は何する?」
「⁉︎」
目の前にいる人物が発した単語を脳内で再生する。
『お姉ちゃん』という言葉が、ポコミからビュティに対して発せられたのだ。
自身の常識の外に有るその呼び方について考察する為、彼女の自称天才的な頭脳が再び回転を始めた。
自身の頭脳を、彼女は人工知能を捩って『スーパーAI』と呼んでおり、この思考能力を持ってすれば、大凡の問題は解決出来ると自負している。
この能力の前には、野菜を切りながら思考を行う等朝飯前なのだ。
「ア、アイ⁉︎ もう人参の皮、全部剥けてるぞ⁉︎」
『お姉ちゃん』という呼び方は、通常は自身の姉に対して用いられるが、当然今回は状況が異なる。
より広い意味で、年上の女性に対して親しみを込めた呼び方として使っているのだろう。
問題は、彼女がどのタイミングからこの呼び方をし始めたのか。
自身と彼女の年齢差を考えると、そこまで大きな交流期間の差は無い筈だ。
そうなると、彼女に有って自身に無いものが要因となっている可能性もあり得る。
社交性_知り合い以上の関係になる事を考えると、自身の惨敗だ。
一般常識_家庭環境の差を考えると、これも彼女に軍配が上がる。
彼女の兄_身も蓋も無い項目だが、二人の関係を考慮すると無視は出来ない要素であろう。
こうして考えてみると、自分は本当に様々なものが欠落した人間なのだと思い知らされ、どうしようもなく涙が出て来てしまう。
「あはは、アイちゃん、玉ねぎのせいで涙出ちゃったね。
今拭いてあげるからちょっと待ってて。」
「これ本当に辛いよなー。
前にゴーグル着けたら大丈夫みたいな話聞いたけど、試しにグラサンでも着けてみるか?」
何とか感情を抑え、涙を止める事が出来た。
サングラスを借りてしまったが、目元を隠せるというのは思いの外感情を隠すのに役立つ様だ。
日差しから目を守る意味でも、折を見て購入してみてもいいかもしれない。
「ねえ、ポコっち。
さっきのビュティさんの呼び方だけどさ、いつからあの呼び方なの?」
サングラスの奥から目を光らせつつ、ポコミへ問い掛けるアイ。
そのタイミング如何によっては、今後の自身とビュティとの関係性について参考になるやもしれない。
「えっ、何急に?
いつからって、最初からだから、私が10歳の時からだね。」
その言葉を聞いた瞬間、脳が揺さぶられる様な感覚に襲われる。
さながら、渾身のストレートパンチをもろに受けたかの様な衝撃に、立っている事もままならず、ソファへと崩れ落ちる様に腰掛ける。
(これが若さか...。)
中学生の小娘が何を言っているのか、という話であるが、そうは言っても彼女からすればそのタイミングの差は致命的だ。
仮に年齢は関係無かったとしても、初対面からその様な気安い呼び方をする自信は到底無いのだ。
「うわ、何今度は⁉︎
そんなに呼びたいんだったら、アイちもそう呼べば良いじゃん。」
そんな事を宣う彼女に、冷たい視線を送ってやる。
随分と気軽に言ってくれるが、誰もが自分と同じ様に他人と接する事が出来る等と思わないでいただきたい。
初対面からこっち、ずっとさん付けで呼んできていた人間が急に馴れ馴れしく呼び方を変えてきたらどう思うか等、いくらポジティブ思考の彼女でも流石に分かる筈だ。
まず間違いなく不思議がられるだろうし、相手からの自身に対する印象如何によっては、最悪気味悪がられる可能性も有る。
公私共に付き合いの有る自分の立場が、どれだけ複雑なものなのかを、理解させてやらねばなるまい_とアイが反論の為に立ち上がった時であった。
「ビュティお姉ちゃん!
なんかアイちもそう呼びたいんだって!」
「⁉︎」
「えー、急にどうしたの?
なんか照れちゃうなー、あはは。」
何て事をしでかしたのだろう。
こんな事をされては引くに引けないではないか。
幸い、ビュティにその呼び方を敬遠する様な雰囲気は認められないが、やはり最初の言い方は大切だろう。
気恥ずかしさから、顔が熱くなってきているが、こうなれば腹を括るしかあるまい。
「お、お姉ちゃんって、呼んでいい?」
「ねえ、アイち...。
いくら何でもくっ付き過ぎでしょ...。
暑いんだし、ちょっとは遠慮しなって...。」
「何で?
妹分の私が、お姉ちゃんに甘えるのは自然の摂理なんですけど。
与えられた当然の権利なんですけど。」
あれから、隙を見てはビュティにすり寄るアイにポコミが苦言を呈するものの、どこ吹く風だ。
流石のビュティも苦笑いを浮かべつつ対応しているが、一方で彼女にしろヘッポコ丸にしろ、彼女がこういった態度を見せてくれた事を嬉しく思っているのも事実であった。
彼女の過去を考えれば致し方無いが、対人能力、それも自分から相手に好意的な感情や言動を見せるという事に関しては、大分拗らせてしまっていると言える。
先の宮崎でのライブにて、初めてB小町のメンバーに弱音を吐いたとの話を聞いた時は、安堵と同時に若干の寂しさを感じてしまったものだ。
年長者として、素直に弱音を吐ける相手としては役不足だったのか_と。
こうして、彼女からまた一歩歩み寄ってくれたのだから、暫くは正面から受け止めてやらねばなるまい。
「はぁ、そんな格好見たら、さりなちゃんも幻滅しちゃうよー。」
「いやいや、この魔力には逆らえないから。
寧ろ、さりなちゃんも同じ事するから。」
ダメだこりゃ_亡き友人の名前を出して尚、根拠の無い発言を続けるアイにポコミは呆れる他無かった。
20話以上も使って、全然ビュティとの関係性が書けてないなと思い、書かせていただいた次第です。
正直、ヘッポコ丸とポコミが動かし易過ぎて、完全に忘れてました...。