「どうなんでしょう?
もの凄い便秘という可能性は...。」
そんな言葉を発した者がいるのは、とある病院の診察室。
産婦人科にあるその診察室を訪れた患者の女性の、膨らみの有る腹部を見遣って発せられたその言葉は、自身の目に映る光景を受け入れたくないという感情が見て取れる。
その言葉を発した男性_吾郎の姿に、患者の女性の付き添いとして同席している二人の男性_壱護とヒカルは何とも言えない表情だ。
何しろ、二人に挟まれて座る患者_アイは、現役のアイドルとして活躍している身であり、そして吾郎は彼女のファンなのだ。
他ならぬアイからの情報により、彼がB小町のライブに駆け付ける程のファンである事を認知している壱護達から見れば、産婦人科医らしからぬ先の吾郎の言動にも理解が及ぶ。
自分が好きなアイドルが、妊婦として職場を訪れる等、そう簡単に仕事と割り切れる事態ではあるまい。
「そっちは順調! 今日も問題無かったよ。
せんせに言われた通りに、水分も沢山摂ってたから!」
サムズアップと共に語った言葉によって、吾郎の抱く淡い幻想を木っ端微塵にしたアイが、先の電話上での彼の適切な助言に感謝を述べる。
「その...、先生、お気持ちは重々お察ししておりますが...。」
「あぁ、はい...、そうですね。
取り乱してしまい、申し訳ございません。
それで、そちらの方が父親になる方でよろしいでしょうか?」
心配する壱護に先の醜態を謝罪しつつ、彼とは逆側に座る少年_ヒカルに視線を向けつつ、プロの医師として事実確認を進めていく吾郎。
水を向けられたヒカルもまた、彼の問いに首肯を返しつつ、アイと彼女に宿った小さい命について質問を飛ばす。
「先生...、彼女とお腹の子はどうなんでしょうか?
無事産まれてくる事が出来るんでしょうか?」
彼の外見年齢からは想像も付かぬ程の丁寧な口調と、アイと自分達の子を心配する様子に、吾郎は内心安堵する。
その表情と、こうして検診に同席している事実を鑑みて、彼なりに責任感を持って向き合おうとしている事、アイとヒカルが互いに納得してこの場に臨んでいる事を察せた故に。
「まずは、お腹の状態を見てみましょうか。
準備が有りますので、お待ち下さい。」
エコー検査の結果を表示しつつ、吾郎が三人が待ち望んでいる情報を開示した。
「9週目、双子のお子さんですね。」
「双子...。」
吾郎から渡された情報に、三人が奇しくも全く同じ反応を返す。
アイとヒカルが見せる表情は、吾郎が産婦人科医となって以降、数多く見てきたものであった。
自分達の間に産まれてくるであろう新たな命を、実際に目にした瞬間の何とも表現出来ぬ感動に包まれた表情。
「それで、先生...。
実際問題、アイの歳での出産というのは、どうなんでしょうか?」
そんな二人の横から、壱護が懸念事項について問い掛ける。
一般的な風潮として、10代での出産には大きなリスクが有るという事は承知しているものの、具体的にどの様な問題を孕んでいるのかについては把握していないのが実情。
最終的な決定権は二人に有るものの、正式に出産の準備を始める前に専門家の意見を聞いた上で決断して欲しいのだ。
二人もまた壱護の意思を汲み取り、吾郎の言葉を待つ。
親になる者としての責任は既に発生している故に。
「まず、10代の方ですと、子宮や骨盤が成長しきれていない事から、結果的に難産になる可能性が高いです。
特に星野さんの体型の場合、お子さんの頭蓋骨の大きさによっては骨盤の開きが足りない事が多いですので...、その場合は帝王切開という形になります。」
その言葉に特に壱護が難色を示す。
難産になる可能性が高いという事は、必然母体であるアイにも相応の負担が掛かる事に繋がる。
いざとなれば、吾郎の言う帝王切開もやむなしとなるのだろうが、当然腹部への傷が残れば、彼女の復帰後の仕事に影響を及ぼすだろう。
ヒカルもまた、今回の出産という決断が非常に厳しいものとなる現実を思い知り、その表情を険しくする。
ネックとなるのがアイの肉体の状況とあっては、対策のしようが無い。
ましてや彼女の仕事に支障が出るとなれば、今回の決断に疑念が生じてしまうが。
「大丈夫、自然分娩で行けるよ。
だって私の子だよ?
きっと小顔で美人に決まってる!」
「また適当な事を...。」
「アイ...、結局負担が掛かるのは君の体なんだよ?
...先生としては、やっぱり反対ですか?」
アイの根拠の無い言い分に顔を顰めた壱護に続いて、ヒカルが現実的な問題を語りつつ、再度吾郎に意見を求める。
「当院としても、出産に際して最大限のサポートをお約束します。
ですが、先に申し上げた通り、通常の出産適齢期の方と比べてリスクが高いのは否定出来ません。
最終的な決定権はお二人にありますが、よく考えて決めて下さい。
医者としては、そうとしか申し上げられません。」
(医者としては...、ね。)
そう語った吾郎の内心の言葉は、誰に知られる事も無く、彼の心中へと溶けていった。
病院の屋上のベンチに腰掛け項垂れる吾郎を、心配そうに見つめるポコミ。
ベンチの反対側には、アイとヒカルが気まずそうに腰掛けている。
診察が終了した旨の連絡をアイから受け取り、急いで病院へとやって来たのだが、案の定と言うべきか三人の間の空気はなんとも重苦しいものだ。
「その、せんせ? アイちの事診たんだよね...?
実際の所どうなの?」
それは、彼女とその子供の診察結果を問うものであったのだが。
「それはもう...、前にポコミちゃんと一緒に行ったライブの時よりも大人っぽくなってて...、滅茶苦茶可愛いなって...。」
「あっ、やっぱりせんせにも分かっちゃう?
いやー、隠そうとしても隠せないんだよねー。」
「そうじゃないよ!
この調子こいてる奴のお腹の子の事!
診察終わったんでしょ⁉︎」
ずれた受け取り方をしたのか、はたまた現実逃避なのか、自身の求める回答ではなく見た目に対して感想を語った吾郎をどうにか正常な状態に戻そうと躍起になるポコミ。
その横で得意げな表情を見せる友人に問い詰めたい事は沢山有るのだが、やはり彼女としても専門家の意見を聞き情報を整理したいのだろう。
「えっと、双子で9週目だそうです。
ただ、やっぱり難産になる可能性が高いとの事で...。」
「双子...、そう双子だよ...。
推しのアイドルが妊娠してるんだ...。」
亡霊の様に呟く吾郎の代わりに、彼に聞いた情報を掻い摘んで説明するヒカル。
彼の説明に現状を把握したポコミも、吾郎に対しての同情の視線を強くする。
「あー、せんせ?
今、率直に言ってどんな気持ち...?」
「ショック過ぎてゲボ吐きそう...。」
「...うん、今はそっとしといた方が良さそうだね。
んで、二人にも聞かないとなんだけど、一体全体何がどうしてこんな事になってるわけ⁉︎」
吾郎の状態を鑑みて、別の問題から先に手を付けようと、アイ達へと水を向ける。
何しろ彼女から見れば、二人の関係を応援したい気持ちが有り、夏休み後も彼女達の進展が気になっていた所に、二ヶ月程の間で妊娠した等と言われたのだ。
以前二人に会った時には、何らかの事情により自身の想いを素直に伝えて良いものかとヒカルが迷っていたというのに、そこからこれ程の短期間で何が有ったのか、彼女でなくても問いただしたくなるであろう。
「あー、それねー...。
いやまぁ、私達も正直な話、今でも納得出来てる訳じゃないんだけどさ...、まぁ現実問題、ちゃんとお腹の中で子供も成長してるみたいだし。
ポコっちとヒカルが初めて会った日にさ、パチさんがステッキで何かしてたじゃん?」
何とも歯切れの悪い言葉と共にアイが語った出来事は、ポコミも良く覚えている。
丁度ヒカルが何かしらの事情を抱えている事を察した時であり、首領パッチが自身の持っていたステッキをひったくり、ヒカルとアイに向かって謎の光を当てていた場面だ。
「多分だけど、あれで出来ちゃったっぽいよ。
9週目だから、大体時期も合ってるし。」
「...嘘でしょ?」
余りにも軽く語られた衝撃の真相を素直に受け入れる事が出来ず、事実確認の為にポコミがヒカルの方へと視線を向けるが。
「...その、本当なんだと思います。
一応、僕らもボーボボさんと天さんに手伝って貰って確認したので。」
ボーボボと天の助の名前を出されてしまうと、ポコミも反論がし難い。
常識では考えられない現象も、同じく常識はずれの二人の力を借りた上で確認したとなると、冗談で片付けてしまうわけにもいかず、二人の言い分よりも信憑性の高い説等持ち合わせていない事も併せて、その言葉を受け入れる他無かった。
とはいえ、そのあんまりな情報も加わった事でポコミの脳はパンク寸前であり、三人の座るベンチから離れたフェンス際に移動すると徐に空を見上げる。
そこには雲一つ無い青空が広がっており、高千穂の豊かな自然に包まれた光景と併せて、どこまでも飛んでいけるのではとさえ思える程だ。
そんな己を遮る物等無いかの様な空を見つつ、ポコミが一度大きく息を吸い込むと。
「アアアァァァァァァァァ‼︎」
彼女の様々な感情が乗せられた叫びに、ヒカルと共にそれまで沈んでいた吾郎も慌てて彼女を止めに入る。
いくら屋上にいるとはいえ、病院で大声を出されては問題だ。
「ちょっ、ポコミさん落ち着いて!
気持ちはもの凄く分かるけども!」
「ポコミちゃん、そんな大声出したらマズいって!
す、すいません、何でもないですよー!」
ベンチに項垂れ、ひとまずの落ち着きを見せたポコミの様子に、小さく息を吐く吾郎。
先程迄と立場が逆になってしまったが、先程の彼女達の会話の内容からして、自分には窺い知れぬ事情が有る事を察し、別の話題を振る事にした。
奇しくも自身の職業故に、アイの秘密を共有する事になってしまったが、やはり一ファンとしてはどうしても気になる事が有る故に。
「星野さん、その...、答え辛かったら言わなくてもいいんだが、B小町はどうするんだい?」
その吾郎の質問に、ポコミも頭を上げる。
妊娠したという情報のインパクトの大きさ故に失念していたが、出産後どうするのかについては、彼女も気になるのだろう。
「勿論辞めないよ。
全員じゃないけど、メンバーにもこの事は伝えてあるし、色々言われたけど最後は納得して送り出してくれたからね。」
彼女の回答に吾郎は一つの答えを導き出す。
アイドルである事を差し引いても、彼女の年齢での出産となれば、リスクは勿論だが世間的にも好意的に受け止められるとは言い難い。
その上で出産を選ぶという事は、芸能界の第一線からは退くのだろうと吾郎は考えていた。
将来的に復帰するとしても、ほとぼりが冷めてから_それこそ同じく親となるヒカルと結婚してからとなるだろう_と。
しかし、彼女の語った内容は、出産もアイドルもどちらも諦めないという選択だ。
それはつまり。
「子供の事を、公表しないって事かい?」
「そ、なんてったって私はアイドル。
観客の前では、嘘の魔法でキラキラ輝いて幸せそうに歌う、正に『最強で無敵』の存在なんだから!
ここにいる皆や子供の前でする顔と、ファンの前でする顔、全然違うものでどっちかから見たらそれは嘘って事になるけど...、それだって自分の綺麗な部分を見せたいっていう私なりの愛だと思うから。
子供の事、ヒカルとの事、ポコっちやおじさん達との事、アイドルの事、普通はちょっとずつ我慢して妥協するものなんだろうけど...。
私は全部諦めない!
ポコっちも知ってるでしょ、『星野アイ』は図々しくて欲張りなんだよ!」
そんな彼女の決意表明に、思わずと言った様子でポコミが吹き出してしまう。
当然の様に他人を振り回し、自身の望みに対して驚く程の執着を見せる。
だと言うのに、何故か気になってしまい放っておけない、人を惹きつける達の悪い魅力まで兼ね備えているときた。
「アハッ...、『嘘が愛』とか、アイちはホントに骨の髄までアイドルなんだね。
嘘吐きすぎて、その内刺されるんじゃないの?」
「アハハ、そんなドラマみたいな事ホントに有んのかな?
まあ、いざって時はポコっちが何とかしてくれるでしょ。」
「アイちの付き人なんてゴメンだよーだ!」
先程迄の重い空気はどこへやら、ケラケラと笑う二人の姿は、かつての宮崎でのライブの際に吾郎が見た時と全く変わっていない。
観客の前で見せる姿と、こうして親しい人間に対して見せる姿、きっと両方が合わさって彼女は『最強で無敵』たり得るのだろう。
そこで吾郎は、その称号をアイへと送った『彼女』が天へと昇った日に、捧げた言葉を思い出す。
『さりなちゃん、俺頑張るよ。
医者としても、B小町のファンとしても、君の分も沢山頑張るから...。』
(ああ、そうか...。 俺が医者になったのは、この時の為だったのかな、さりなちゃん。)
それは吾郎の中で、歯車が噛み合った瞬間であった。
医師としても、ファンとしても、雨宮吾郎という人物の心は一つの方向へと矢印を固定させる。
「星野さん、カミキさん、それにポコミちゃんも聞いてほしい。
宣言するよ、僕が産ませる。
安全に、元気な子供を!」
「うん!
よろしくね、せんせ!」
アイ達が屋上にて決意を固めている頃、壱護はエントランスにて漸く順番が来た診察の清算を行っていた。
予想以上の混雑具合に加えポコミが来訪した事もあり、気心の知れた者同士で話させた方が気分転換にもなるだろうと、一人席を外していたのだ。
この後、一度ホテルへと戻り、アイ達に最終確認を行った上で、明日改めて入院の手続き等を行う予定である。
尤も、吾郎の話を聞いて尚、少なくともアイの方は意思が固まっていた様であり、ほぼ方針に変更は無いのであろう。
(荷物持って来たり、様子見に来たり...、東京と宮崎何往復もするとか、とんでもねぇ出費だな...。)
これから待つであろう経済的打撃に頭が痛くなるが、それでも壱護の表情は晴れやかなものだ。
実子ではなくとも、やはり赤ん坊の存在は人の心を躍らせるらしい。
そんな彼の後方で、順番待ちをしている男性の二人組が、SNSによって知り得た情報について話している。
「えっ、B小町のアイが体調不良で活動休止だってよ。」
「何か、最近そういう話よく聞くよなー。
何つったっけ、あの朝ドラに出てた女優。
あの人も通院するって話出てから、全然話聞かないもんな。」
「ああ、その人旦那と子供残して失踪したとかって噂出てたぜ。
不倫がバレて夜逃げしたーとか。」
「どんな情報だよそれ...。
通院してんだったら、普通に身分隠してるだけだろ。」
不特定多数の人間が、匿名で好き勝手に情報を書き込む世界。
彼らの会話の内、真実はどの程度のものなのであろうか。
拙作中におきましては、前話と前々話にて原作よりも大幅に前倒しでアイが周囲に相談した事で、吾郎の診察を受けるタイミングも大幅に前倒しさせていただいております。
アイの年齢による出産のリスクに関しては、原作で言及されている点について触れましたが、筆者が調べました所他に
・ホルモンバランスが安定せず、つわりが重くなりやすい
・早産、低出生体重児の割合が他の世代と比べ高い
・周産期死亡率(妊娠22週目〜出生後7日間での死亡率)が他の世代と比べ高い
といった事が有るそうです。
原作のツクヨミがアクアに言った不穏な台詞からしても、やはり相当なリスクが有ると言えます。