「おっ、お腹空いた? おっぱい飲む?」
泣き声と共に空腹を訴える自身の幼い娘への反応としては、その女性が発した言葉は極めて自然なものであろう。
彼女には双子の赤ん坊がおり、兄の方は哺乳瓶を好む一方、妹の方は母乳を好んでおり、それまでの傾向から発せられた言葉であった。
事実、抵抗する事なく抱き抱えられた娘は、空腹を満たす為に熱心に彼女の胸へと吸い付いている。
その内心に、猛烈な羞恥心を隠しながら。
「よしよーし、ルビーはおっぱい好きだねー。」
母からそんな言葉を掛けられる自身の姿を、哺乳瓶を使いつつ目を細めて見つめる今世の兄に内心で反論する少女_星野瑠美衣ことルビー。
(そんな目で見ないでよ! 私だって哺乳瓶使いたいよ!)
彼女が生後二、三ヶ月という年齢にそぐわぬしっかりとした思考を行なっている事、そして彼女の兄が鋭い視線を送るのには理由が有る。
ルビー、そしてアクアとして生きたものとは別の記憶_所謂前世の記憶と人格が彼女達の中に存在している故に。
天童寺さりな_それが、現在星野ルビーとして生きている者がかつての生で持っていた名である。
弱冠12歳という若さでこの世を去ったさりなの意識は、何の因果か彼女が亡くなったのと同じ病院で再度覚醒する事となった。
尤も、死んだ筈の自分が病室の床に足を着いて立つ感覚、その時に自分が見た光景を考えれば、それが現実の物だったのかは非常に疑わしいというのが、現在の彼女の考えではあるのだが。
病室にて突如として覚醒した自身の目の前に広がっていたのは、何故か病室のベッドで疲れ切った表情の最推しのアイドル、恐らく彼女達B小町の所属事務所の社長であろう人物と、彼女と同年代に見える見知らぬ少年が驚いた様子でこちらを見つめる光景。
そして何より、ベッドの反対側に自身が信頼し想いを寄せていた『あの人』がいる光景。
状況の把握すらままならない中、反射的に『あの人』の存在を確かめる様に手を伸ばした所で、その記憶は途絶えてしまっていた。
その後、再び意識が覚醒したのは、丁度今と同じ_ルビーとしての母であるアイからの授乳を終え、彼女と目が合った時であったと記憶している。
覚醒した瞬間、自身に微笑み掛ける彼女の顔、そんな彼女に自身が抱き抱えられる感覚に包まれ、遂に自分はこんな妄想をする所迄極まったかと自分自身に呆れたのも束の間、自身を軽々と持ち上げベビーベッドへと寝かせつつ『ルビー』と呼び掛ける彼女に違和感を感じた。
自身の名は『さりな』であり、渾名であっても『ルビー』という呼ばれ方に覚えは無く、また自身と同い年である筈の彼女に、幾ら病院生活が長く周囲の子供よりは痩せている方であるとは言え軽々と持ち上げられ運ばれてしまった事実。
そして何より、自身の感覚が間違っていなければ、年を越して間も無い頃の『あの日』に、自分は大切な人達に囲まれつつ死を迎えた事。
違和感の正体を探る為に体を動かせば、明らかに自身の記憶よりも手足が短く、病弱であった頃と比較しても尚、非力さを感じるのだ。
(...えっ、待ってこれ子供...、というか、赤ちゃん...?)
無論、彼女とて赤ん坊であった頃の感覚等覚えてはいないが、自身が横になるベッドの周囲に有るベビー用品や自身の体の感覚を客観視すると、この結論に至らざるを得ない。
これは現実のものなのか、何故こんな現象が起きているのか、何故自身の推しのアイドルに子供が出来ているのか_様々な疑問が浮かぶが、現状彼女に解決の術は無い為に、大人しく現実を受け入れる他無い。
渋々ながらも彼女が現実を受け入れ、一先ず意識が覚醒してからの出来事を振り返っていくが、そこで彼女は猛烈な羞恥心に襲われる事となる。
(色々疑問は有るけど、取り敢えず今の私はアイちゃんの子供で、産まれたばっかりの赤ちゃんなんだよね...、さっきの...感じ...だと...。)
先程自分の体が取っていた姿勢と口内に残る余韻、そしてこの体の母であるアイが服を直す仕草からして、自分は直前迄授乳されていたと見て間違いないだろう。
(...私、アイちゃんの...、友達のおっぱい飲んじゃったんだ...。)
字面だけなら相当変態的と言える事実に、急激に顔面の温度が上がるのを感じるさりなことルビー。
現実問題、この体に必要な行為である事は彼女も理解しているし、極論この前世の意識が目覚めるのがもっと遅い段階、それこそ授乳期が過ぎてからであれば気にも留めなかったであろう。
だが、事実として自分にはこの年齢にはそぐわぬ意識が有り、生理現象以外なら自分の意思で行動する事になる訳だ。
それはつまり、前世での友人の母乳を自分の意思で飲まなければならないという事である。
(こんなのがバレたら、お嫁に行けない...、アイちゃんにもポコミちゃんにもドン引きされる...とは思いたくないけど、どんな顔していいのか分かんない...。)
そもそも前世の存在が受け入れられるかも不明ではあるが、今自分が置かれた状況に関しては不可抗力である故に、友人達も理解を示してくれると信じたい。
生後数ヶ月にして、彼女が人生の先行きに不安を感じた時であった。
「はいはーい、アクアもお腹空いたんだねー。」
アイが自分とは別の泣き声に応える様子に、もう一人家族がいる事を察する。
特殊な状況に置かれた場合に、自分と同様の存在を探そうとするのは自然な事であろう。
少ない情報の中で問題解決の糸口を探すだけでなく、単純に自分と同じ状況にいる者がいるというだけでも幾分安心出来るというものだ。
ましてや自身の身近に、その可能性が有る者がいるのなら尚更である。
その赤ん坊『星野アクア』は、アイの言葉からすると『ルビー』にとっての兄になる様だ。
双子であるらしい自分達の片割れとして、自分という特殊な存在が有る以上、もう片方も或いは_と考えたルビーであったが、その考えはそう間を置く事なく確信に至る事となる。
それは、アイがアクアに対していつも通りに授乳の為に声を掛けた時であった。
そこまでするかと言う程、彼が首を振って哺乳瓶を要求したのである。
(...あれはあっちにも誰かが入ってるっぽいね...。)
彼の必死さにはアイも驚いた様だが、ルビーとしても彼の反応に同情する気持ちは有った。
その反応を見るに、中にいる何某は良識的な人物なのだろう。
性別が仮にアクアと同じ男性であったとして、元の年齢によっては相当恥ずかしい行為であろうと考えられる。
仮にアイの事を知らない人物であったとしても、精神的にある程度自立した人間が、いきなり見知らぬ人間に授乳させるというのは中々にキツイものが有るだろう。
実際、ルビーとしても彼の哺乳瓶という手段には膝を打つ思いであった。
これまでの事は不可抗力と割り切るしかないが、流石に元同い年の友人を相手にして、平気で母乳を飲める程図太くはない。
アイが、兄にしたのと同じ様に自身へと声を掛けてきた為、兄と同様に哺乳瓶を要求しようとしたのだが。
「...そっかー...。
二人共、私のじゃ嫌なのかなぁ...。」
「...。」
(これは赤ちゃんとしての当然の権利! だからしょうがない事!)
かくして、母が見せた寂しげな表情にものの見事に陥落した彼女は、多大な羞恥と兄の鋭い視線に耐えつつ、今日も授乳されているのだ。
そんな兄の中身に関しては、現状全く手掛かりが無い為考えないようにしていた。
何しろ、日付を見る限り自分の死から四年もの月日が流れている為、死亡直後の人間が偶々同じ日に産まれた子供に生まれ変わったとも言えないのだ。
仮に候補を男性に絞ったとして、古今東西一体どれだけの男性が亡くなったのかを考えれば、彼女でなくても匙を投げるだろう。
彼の方も、『星野ルビー』の中に誰かがいるのを分かっていると見て間違いないが、如何せん未だコミュニケーションを取る事は叶っていない。
また、仮に互いに言葉を話せたとしても、自分達の外見年齢を鑑みれば、他の人間の目が無い所で話をしなければならないのが実情である。
赤ん坊という肉体の限界も有るのだろうが、現状アクアの中の人物からは悪意を感じられない故に、後回しでも問題ないであろうとの判断であった。
そんな事よりももっと気になる事が彼女には有る故に。
(日付で考えたら、アイちゃん16で子供産んだって事だよね...、あの人との間に...。)
自分がこんな状態になっている理由の一つ、そもそも何故アイが若くして母親になっているのかについてである。
父親は先日もこの家に来ていた、あの金髪の美形と見ていいだろう。
実際の所、アイはかつての自身を友人と言ってくれてはいたものの、お互いのプライベートについて話した事は殆ど無かった。
そもそも自分に頻繁に彼女と連絡を取る手段が無かったのも有るが、態々病院生活について話そうと思わなかった事が大きい。
客観的に見て、ポジティブな気持ちになれるとは思えない内容である以上、自分の情報を相手に伝える気にはならなかった。
その状態で相手の事ばかり根掘り葉掘り聞くというのは、気が引けてしまう行為なのだ。
そんな状態であった為、基本的に彼女のプライベートの情報は共通の友人であるポコミを通して得ていた事も有り、芸能界における付き合いについては一ファンの域を出ない身分であったのだが。
(アイちゃんの歳からして訳ありっぽいし...、B小町の方は大丈夫なのかな...。)
やはり、そのファンとして最も気になるのが、彼女の芸能活動がどうなったのかについてである。
アイドルファンとしては複雑になる所であろうが、彼女の美貌を鑑みれば恋人の一人くらいはいてもおかしくない事は認めざるを得ないだろう。
事実として、自分達の父親という相手がおり、彼女達の外見年齢に対して子供がいるというスキャンダラスな問題は有るにせよ、二人の仲はルビーから見ても良好である様に思えた。
自分達が母方の性である事を考えると未婚、ともすれば父親側はまだ結婚出来る年齢ですらない可能性が高いが、当人達の様子を見るに互いに現状に納得し将来について約束していると考えられる。
ただ、あくまでそれは『星野アイ』個人としての幸福であり、アイドル『アイ』としてははっきり言って首を傾げる決断だと思える。
夢を売る仕事なのだからと言ってしまえばそれまでだが、アイドル活動中のタレントが恋愛や結婚等個人の幸福を優先するのはタブー視される傾向にある。
それこそ、事務所によっては恋愛禁止を言い渡しているし、公言せずとも暗黙の了解となっている場合が殆どであろう。
そのタブーを犯した者は、大抵グループ追放等の罰を受けたり、最悪芸能活動引退にまで追い込まれる_改めて考えると異常な文化だが、それがまかり通っている世界であり、多くの『アイドルファン』と呼ばれる人々もその姿勢を支持している以上、事務所側からすればそのやり方を態々変える事はすまい。
この慣例とアイの現状を照らし合わせると、自ずとある可能性が浮かび上がる。
B小町からの脱退、若しくは芸能活動引退。
時折、彼女が『社長』と呼ぶ男性や、恐らくはマネージャーであろうと思われる女性が会いに来ている事から、事務所との繋がりが切れている訳ではないのだろうが、客観的に見てこんな特大の爆弾を抱えたタレントを使うというのはリスクが大き過ぎる。
それは当然アイ自身も理解出来るであろうし、今後の仕事と天秤に掛けて尚、自分達双子を産む決断をした訳だ。
(アイちゃんにとっては、『あの人』と家族になる事がB小町よりも大事な事だった...。 それくらい好きな人なんだね...。)
アイドル『アイ』の一番のファンを自負するルビーとしては複雑ではあるが、彼女が友達だと言ってくれた自分としては、彼女の幸せを全力で後押ししてやりたい。
何の因果か、彼女の娘となってしまった以上、彼女が幸せな家庭を築くに当たって、自分もその一端を担う訳だ。
或いは、互いに年齢を重ね、ポコミも交えて彼女のアイドル時代の話に花を咲かせるのもいいかもしれない。
ルビーがファンとして、アイの友人としての双方の感情に折り合いを付けようとした時であった。
部屋のインターホンが鳴り、来客を報せる。
応対する彼女の様子を見るに、どうやら事務所の社長達の様だ。
「おじさんも来てくれたんだねー。
飲み物出すから、ちょっと待ってて。」
アイの言葉に応える様にテーブルの席に着いたのは三人。
例の社長とマネージャーであろう女性、そしてルビーにも前世で見覚えのある特徴的なアフロの男性であった。
顔触れを見るに、恐らくはアイの今後について話をしに来たのだろう。
アフロの男性は、彼女と旧知の仲であるとの話であった事から、或いは引退後の話をするのかもしれない。
「よし、それじゃあこれからアイの今後の方針について話をするぞ。
手始めにボーボボさん、お願いします。」
事務所社長_壱護の言葉にアフロの男性_ボーボボが頷くと、彼のアフロがゆっくりと開き、中から扇子が現れ、そこには。
『BOBOBO WARS_アイの逆襲』の文字。
「祝‼︎ アイドル復帰決定だオラァ‼︎」
(⁉︎)
「フッ、遂にこの時が来たんだね...。」
「おいおい、二人共話はこれからだぞ。
テンション上げるのは良いが、守って貰う事は沢山有るんだからな。」
驚くルビーを他所に、盛り上がる二人の気を引き締めようと壱護が声を掛けるも、彼もまた興奮を隠せないのかその顔に笑みを浮かべていた。
(えっ、待って、復帰⁉︎ 私達の事はどうするの⁉︎)
ルビーの当然とも言える疑問を感じ取ったのか、アイが彼女の視線に気付くと、ベビーベッドから彼女を抱き上げ、何とも魅力的かつ根拠の無い自信に満ちた笑顔と共に言い放った。
「I am your mother!」
何一つ疑問が解決しない台詞に、ルビーは遠い地にいる筈の二人を思い浮かべ現実から目を逸らす。
(ポコミちゃん、せんせ、私が知らない間にアイちゃんはとても遠い存在になってたんだね...。)
『最強で無敵』の母を自分如きが支えよう等、烏滸がましい考えだったのかもしれない。
ルビーって、キャラとしてとても面白くて好きです。
拙作では、多分彼女も毒されてしまうんでしょうけど。