高層マンションの窓からは、東京の夜景が一望出来る。
冬の澄んだ空気も加味すれば、或いはこの部屋から見れる景色としては年間でも屈指のものかもしれない。
「いよいよ来週だね、アイち。」
ボールアイスの入ったグラスを片手に、窓際に立つ女性_アイにそう声を掛けたのは、彼女にとって公私共に支えとなってくれた盟友と言える女性_ポコミである。
「そうだね。
何だか、初めての全国ツアーの話した時の事思い出すなぁ...。」
「そういえば、あれって今くらいの時期だったっけか。
懐かしいなー...。」
思い出されるのは、星が輝く夜空に今は亡き友人への願いを捧げた夜。
あの頃とは、お互いも周囲の人々も、彼女達を取り巻く状況もガラリと変わってしまった。
B小町もアイ自身もあの頃とは比べ物にならない程有名になり、現在彼女達がいる部屋は彼女が施設にいた頃を考えれば想像も付かぬ様な豪華な一室となっている。
あの日の自分に今の状況を伝えたらどんな反応をするのだろうか。
いくら図太い『星野アイ』であっても、流石に『キミ今から四年後に子供産むよ』と伝えれば、いくらかは面白い表情を見せてくれるだろう。
「そういえば、ポコっちに言ってなかったね。
へっさんとお姉ちゃん、おめでとう。」
彼女がその言葉と共に視線を向けた先には、ソファに寛ぎつつ壱護やボーボボ達に絡まれ酒盛りを始めているヘッポコ丸と、その横でミヤコと共に酒を酌み交わすビュティの姿。
彼女の言う通り二人は結婚を控えており、今回の集まりはアイ達の新居祝いと二人への祝福を兼ねたものだった。
二人の顔が朱に染まっているのは、決してアルコールのせいだけではないだろう。
「ホント、どんだけ待たせんのって感じ...。」
「ハハハ、私も『まだしてなかったんだっけ?』って思った。」
兄が漸く重い腰を上げた事に呆れた様子で肩をすくめるポコミだが、アイとしても正直彼女に同意せざるを得ない。
初対面からかれこれ十年近い付き合いになる為、結婚の報告にも今更感が拭えないのが実情だ。
平時の業務に加え、我が子の世話についても厄介になってしまい、或いはそれらが二人の結婚が遅れた要因かと申し訳なさを感じてしまう。
「皆ホントに変わっ...、いやおじさん達はそうでもないか。
まあでも、ポコっちもお酒飲む様になってるしねー。」
「注がれたから仕方なくだよ。
それにアイちだって来週からは飲んでも大丈夫じゃん。
丁度、ドーム公演の日でしょ?」
先程からポコミが少しずつ口にしているグラスの中身は、現在彼女達の背後で盛り上がっている人々が飲んでいるものと同じ『いい値段がする焼酎』である。
水で割っている事に加え流石に値段相応に飲み心地は良い様で、普段余り強い酒を飲まない彼女もそこまで苦にはしていない様だ。
彼女の言う通り、来週に控えたB小町初の東京ドーム公演と同時にアイは成人する。
とはいえ、いざ直前迄迫ったその瞬間を迎えたとして自身の内面に何かしらの変化が訪れるのかと聞かれると首を傾げてしまうのが正直な所ではあるが。
「お酒ねー...。
そんなに美味しいものなの?
それくらい強いのじゃなくても、ちょくちょく飲んでるんでしょ?」
「まあ、耐性は別にしてこういう良いやつは美味しいんじゃない?
後はまあ、たまに酔っ払いたい時も有るのよ。
匂い嗅いでみる?」
彼女の言葉に従い試しにグラスに鼻を近づけると、中々に強い香りが鼻を通り抜けていくが、これで薄めてあると言うのだから恐れ入る。
背後で盛り上がる者達の姿や彼女の言葉からして、アルコールに身を任せるというのも悪い事ばかりでは無いのだろうが、来週の自分はこの鼻に残る香りを美味しそうだと思えるのだろうか。
「お待たせしました。
いただいたおつまみセットです。
こっちにお菓子も空けちゃいますね。」
「おう、ありがとうな!
カミキ君は来年成人だっけか。
今やララライの看板役者だろ、大したもんだ!」
事前に渡されていたつまみを広げたヒカルに、壱護が賞賛を送る。
酒が入っている事もあるだろうが、事実として彼が高校を卒業してからのここ二年間の活躍は目を見張るものがあり、今や様々な演劇に引っ張りだこの人気俳優となっていた。
「僕なんてまだまだですよ。
業界内の勢いで言ったら、B小町の皆さんの方が余程凄いじゃないですか。」
「確かにな!
B小町全体の仕事も埋まってるし、『鼻毛ちゃん』の売上も絶好調だ!
そして何と言っても、来週は念願のドームだからな!」
「ハハハ、社長ってば随分上機嫌ですね。」
「そうね。
自分達が育てたアイドルをドームに連れていく。
社長の、私達皆の夢が実現しようとしてるから。
今はちょっとだけ浮かれさせてやってちょうだい。」
ヒカルの謙遜に対する壱護の様子にビュティが苦笑いを浮かべる。
彼女の言葉通り、今の彼は絵に描いた様な上機嫌振りで酒の飲めないヒカルや子供のアクアに絡んでおり、フォローを入れたミヤコの言葉通り相当浮かれているのだろう。
「つってもよー、東京ドームってそんなに凄えのかよ?
雰囲気とかだったら、他の会場も良いもんになるだろ。」
「あー、確かにそれ分かるなー。
ハレルヤランドとか武道館だってやってる側からしたら凄い景色だったし。」
「やっぱ大きさなんじゃねぇか?
五万人以上入るってのは、流石にものが違うだろ。」
とはいえ、首領パッチの言う通り東京ドームでの公演は、門外漢からすると何がどう特別なのか判然としない部分だ。
舟盛り状態でテーブル上に居座る天の助が言う様に、単純なキャパシティという要素は絡むのだろうが、それは『満員になれば』という前提ありきでもある。
首領パッチの意見に同意したアイも、実際にパフォーマンスを行った側として、例え収容人数が約四分の一である日本武道館のライブであってもとてつもない雰囲気との感想を語った。
「逆に言えば、それだけの箱を埋められると判断されないと使えない場所な訳ですよ。
アーティスト自身の人気は勿論ですけど、五万人にも及ぶ観客に対応出来るのか、スタッフの練度や実績も見られるんです。
正に事務所総出の総力戦で相応しいと認められた、一握りのアーティストだけが上れる舞台なんですよ。」
彼らの言葉に応えたミヤコに、三人も圧倒されてしまう。
正味どれだけ凄い事なのかが理解出来ているかと問われると怪しい所だが、少なくとも『社員全員の夢』と語るだけの魅力が有る場所なのだろう。
彼女の言葉に同意する様に、壱護もこれまでの苦労の記憶が蘇ったのか目頭を抑えている。
すると、困った様子の彼ら_特に実際にパフォーマンスを行う予定のアイにより分かりやすい例えを用意したのか、ボーボボが口を開いた。
「そう難しく考える事はねぇさ。
今迄の会場が『ポテチのうす塩味』なら、東京ドームは『堅あげポテト』って事だ。」
「あー、成程ね。
うん、社長達が言いたい事分かったよ。」
「今ので⁉︎
絶対違うでしょ、その例え‼︎」
「さてと、片付けも終わったし僕も帰るね。」
「えっ、パパ今日も帰っちゃうの?」
母と共に宴会の片付けを終えた父の言葉に驚くルビー。
壱護達が帰宅しても尚、彼は家に残っていただけに、時間が遅い事も相まって今日は泊まっていくものだと思っていたのだが。
「ごめんね、ルビー。
引越しが終わったら僕も一緒に暮らせる様になるから。」
寂しそうな表情を見せる娘の顔に、未だにヒカルは慣れる事が出来ていない。
まだ自分達の関係を公表出来るタイミングではない以上仕方がないのだが、そんな大人の事情を小さい子供に理解しろというのも酷な話である。
アイもまた、彼らの様子を見つつ何か言いたげではあるのだが、普段一緒にいられる時間が少ないだけに邪魔をしたくないのだろう。
「...ルビー、俺達でパチさんと天さん運んじゃおう。
俺が天さん運ぶから。」
「...気を付けてね。
天さんは物干し竿に引っ掛けといて、パチさんは足を紐で結んでぶら下げておけば大丈夫だから。」
「ハーイ。」
子供達がベランダに向かう姿を見送り、二人は顔を合わせると思わず苦笑してしまう。
「子供に気を遣わせちゃうなんてね。
情け無い父親だなぁ...。」
「そんな事無いって。
二人は凄く賢いから上手に隠そうとしてるけど、ヒカルといる時嬉しそうにしてるよ。」
血は争えないのか、若干四歳にして早くも『嘘吐きの才』の片鱗を見せる我が子の姿は親としては複雑なものだが、折角彼らが時間を作ってくれたのだから有効活用せねばなるまい。
「それで、お互い親との連絡が付かないのは相変わらずかな?」
「うん、まあ私の方は今に始まった事じゃないからいいんだけどさ。
そっちも相変わらずなんだ?」
二人が話しているのは、結婚する前に互いの親に挨拶だけでも出来ないかとの内容なのだが、アイの方は言わずもがな、ヒカルの両親も彼が義務教育を終えたタイミングから音信不通となっている。
以前は、時折夜間に置かれていた金銭が、自身の親の存在を確かめるものになっていたのだが、今ではそれすら無くなってしまった。
金田一と上原からの援助も有って高校に入学する事が出来たが、恐らくそれすらも両親は知らないだろう。
「まあ、それじゃあ仕方ないでしょ。
自分にどうにも出来ない事で悩んでてもしょうがないし、ヒカルが二十歳になったらこっちはこっちで好きにやればいいじゃん。」
「君のそういうさっぱりした所、見習った方が良いのかもね...。
さて、そろそろ行こうかな。」
アイからの言葉に、ヒカルは彼女の美点を再認識する。
良くも悪くも深く考える事が多い彼に対し、彼女の行動基準は多分に感覚的であり物事に対しての拘りも同じ人間とは思えない程の差が有るのだ。
その自分の感覚に素直な点は、決して良い受け取られ方ばかりではないだろうが、一度性質を理解出来れば非常に付き合い易い人物だとヒカルは考えていた。
少なくとも、生まれ持った外見のみに存在価値を見出され、『他人に求められる姿』でいる事が当たり前になってしまった自分と比べたら、その感覚的な魅力を存分に発揮する彼女が多くの人に好かれるのは自然な事だろう。
子供達へ向ける笑顔等、正に純粋な愛情が溢れている。
『嘘吐きの天才』である彼女に『君は裏表が無い人だ』と言ったら、果たしてどんな反応をするのだろうか。
(僕はまだ、君達に『愛してる』って言えないでいる。)
玄関で靴を履いているヒカルに何やらルビーが耳打ちしている。
娘の言葉に戸惑った表情を見せるが、一体何を言われたのだろうか。
「ルビーが、『偶には僕の家で二人で過ごせば』だって。
どこで覚えてくるのかな、こういうの。」
「だってパパってばいつも周りに気を遣ってるじゃん!
お兄ちゃんからも何か言ってやってよ!」
「...まあ、大人の人達相手は兎も角、俺達にはもう少し言ってきてもいいんじゃないかなとは思うよ。
父さんが母さんに我儘言ってるの見た事ないし。」
我が子の台詞に困った様に笑いつつ、二人へと視線を合わせるヒカル。
その表情は、アイが今迄幾度となく見てきたものであった。
「二人共ありがとう。
もう少し大きくなったら二人にも説明するけど、今はこうやって会いに来るだけでも沢山我儘を言わせて貰ってるんだ。
二人に僕から我儘を言うとしたら、早く四人で暮らせる様に僕も頑張るから、それまで二人がママの事を助けてあげて欲しいな。」
嘘だ_アイは彼の嘘を見破りつつもそれを指摘する事は無い。
それをした所で、自分では彼の様に上手く立ち回る自信が無いからだ。
彼はいつも、自分の周囲が円滑に回る様に自分の心に嘘を吐く。
きっとそれは、彼の辛い過去とも関係しているのだろう。
歪んだ形で求められ、それが正しい事だと刷り込まれてしまった時に、自分の心を守る防御反応として覚えてしまったのかもしれない。
本当はもっと子供達を抱きしめたいだろう、自分の家に連れて帰りたいだろう、隣り合って眠りに付きたいだろう。
そうやって彼が自分を押し殺す事で、自分の周囲を笑顔にしているのだとアイは感じていた。
周囲を尊重し自分に出来る精一杯の努力をする彼の魅力に気付いた時、きっとその人物は彼を好かずにはいられなくなるのだろう。
事実として、彼の子供達はどうにかその足を引き留めようとしている。
『嘘吐きの天才』である彼に『君の嘘は分かりやすい』と言ったら、果たしてどんな反応をするのだろう。
(私はまだ、あなた達に『愛してる』って言った事が無い。)
ドーム公演当日。
アイ達が住むマンションの前に車を停めたポコミが、助手席に座るヒカルへと声を掛ける。
「よし、とうちゃーく。
カミキ君、アイちに連絡しちゃって。」
「はい、ありがとうございます。」
ポコミの言葉に従い、ヒカルがアイへと連絡を取る。
この後、子供達の準備が完了次第ヒカルが部屋へと二人を迎えに行き、駐車場にて三人が乗車後、再びマンション前に移動しそこでアイが乗車する予定となっていた。
ヒカルが通話を終えると、どうやらもう少し時間を要するらしい。
するとヒカルがサイドミラーに映る特徴的な人物を認める。
「凄い花束ですね。
黒い薔薇と...、あの白い花は何でしょうか?」
「多分、クリスマスローズじゃないかな。
贈り物だとしてもあのコントラストは中々派手だけど。」
彼女が贈り物と想像した理由を問えば、花言葉等でメッセージが込められているのではとの答えが返ってくる。
確かに薔薇の花言葉が『愛』である事は有名である為、その意見を参考にヒカルがクリスマスローズについて調べるが。
「『追憶』や『私を忘れないで』ですか...。
花言葉ってポジティブなものばかりじゃないんですね。」
「もしかしたら、あの人の大事な人に不幸が有ったとかかな...。
黒い薔薇も喪服っぽいし。」
『愛』や『高貴』等と比べると若干ネガティブな印象を受けるクリスマスローズの花言葉に対し、それを選んだ理由としてポコミが想像した内容に納得するヒカル。
黒と白のコントラストを神父の服に見立てれば、彼女の考えとも合致する。
「因みに黒い薔薇はっと...。
あっ、やっぱり『永遠の愛』って意味が...。」
黒い薔薇について調べた彼が何ともピュアな感情の花言葉を語るも、半端な所で言葉が途切れた事を訝しく思うポコミ。
「どうしたの、何か気になる所が有った?」
「...その、他に『憎悪』とかも有るみたいでして...。」
「...。」
何とも物騒な内容に顔を見合わせた二人は、どうにも嫌な予感を覚える。
根拠等何も無いというのに、何故こんなにも胸が騒ぐのだろうか。
「...カミキ君、悪いけど私が迎えに行ってくるから駐車場に移動しておいてくれる?
後、アイちに私が行く迄ドアを開けないでって伝えて...。」
「は、はい!
三人の事、よろしくお願いします!」
「よし、二人共準備オッケーだね。
私も出る前にトイレ行っとこうっと。」
我が子が準備を終えた事を確認したアイがトイレのドアノブへ手を掛けようとした時であった。
呼び鈴が鳴り響くのと同時に、ルビーが自身の携帯にヒカルからの着信が有る事を伝えるが。
「うわ、もうタイミング悪いなー...。
こっち無視する訳にもいかないし、ルビーそっちに出てくれる?」
母からの指示に致し方無しと通話ボタンを押すルビー。
彼女にも呼び鈴の音が聞こえていた事に加え、相手が父であった事もあり自身が対応した方がスムーズだろうとの判断であったが。
「もしもーし、どうしたのパパ?
こっちは準備終わった所なんだけどお客さんが来ちゃったみたいで...。」
「ルビー!
ママに出ちゃダメって伝えて! 早く‼︎」
「えっ、出ちゃダメってどういう事...?」
妹が持つ電話先の父の剣呑な雰囲気を訝しんだアクアがインターホンを確認し、血相を変えて母へと声を掛ける。
「開けちゃダメだ‼︎」
「え?」
アクアの叫びも虚しく、玄関のドアは丁度アイによって開かれドアの向こう側に立っていた者の姿を見せ始めていた。
アクアがそこに立つ者を見間違える筈がない。
前世において自身を殺害した張本人_貝原亮介が花束を手にゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「アイ...、ドーム公演おめでとう...。
双子の子供は元気?」
花束に込められたメッセージと共に、凶刃が彼女へ迫ろうとしていた。
本話を書くにあたり、他にも色々な花言葉を調べたんですが、結構意外な花にマイナスイメージの花言葉が付いてたりして勉強になりました。
例として、四つ葉のクローバーに『復讐』だったり椿に『罪を犯す女性』等。