自身の横を歩く男性の目的地に、少年_星野アクアは皆目見当がつかないでいた。
今回、彼を含めた四人の子役達がサイバー都市を訪れた目的が『特訓』であると判明した後、この頭部が非常に特徴的な男性_ソフトンと共に行動する事になったのだが、その行き先はイベント会場からどんどんと離れていき、一般人が侵入していいものなのか怪しい場所へと入ってきているのだ。
一応、サイバー都市側も既に周知が行き届いていたのか、偶に警備員_と言うには物騒な装備を携帯している者達とすれ違いはしたものの、ソフトンが少しばかり言葉を交わすと特に進行を妨げられる事も無く歩みを進めている。
そんな彼が足を止めたのは、エレベーターの扉の前であった。
ここまでくると流石にソフトンの目的を少しでも探りたくなったのか、エレベーターが目的の階へと向かい始めたタイミングでアクアが問い掛ける。
「あの...、ソフトンさん...。
今向かっている場所って、ボーボボさんの言ってた『特訓』と関係の有る場所なんですよね...?」
「あぁ、その通りだ。
詳しい説明は着いてからにするが、君の場合、普通とは違うアプローチが必要だという話になったようでな。
そしてこの特訓に関しては、最終的に実行するかどうかについての判断を君自身に委ねる事になっている。」
ソフトンの言う『普通とは違う』というのがどういった内容なのかについては考えが及ばないものの、少なくとも人気のない場所を選ぶ必要が有るのだろう。
気になるのは、現時点で実行する事が決定事項ではないという点だ。
これだけの時間と労力を掛けて尚、最終的な判断は本人次第というのは流石にリスクが大き過ぎる様に思えるが。
(或いは、内容を聞けば尻込みしても仕方がないと思える程の厳しさって事か...。)
逆説的に内容の厳しさを表していると考えたアクアの表情に、今度はソフトンの方から声が掛かる。
これから行う事は、アクア自身の秘密が要因なのだ_と。
「ヒカルやボーボボから話は聞いている。
恐らく、君の前世の記憶の存在が君の強みであり、同時に枷になっているのだろうな。
...着いたようだ、さぁ行こう。」
ソフトンの言葉を反芻しつつ、扉の向こうへと歩みを進める。
『雨宮吾郎』の記憶が、強みであると同時に枷となっている_成程、面白い着眼点だと思える。
『星野アクア』を有能な子役たらしめたその超常の現象にアプローチを掛けようと言うのだから、確かに『普通とは違う』方法が必要なのだろう。
ソフトンが立ち止まった事でアクアも足を止めると、彼らの前に謎の黒い炎が現れ、次いでその炎の中からとある人物が姿を現した。
「お久しぶりです。
その拳にて愛を語りし友よ、そしてその体に大海の如き神秘を秘めし少年よ。」
「フッ、その太陽の輝き...。
更に黒く熱く、そして強さを増している様だな。」
その男はアクアにとっても見覚えの有る人物であった。
彼があかねと初めて会ったあの日、漆黒の炎によって6を打ち倒したソフトンに負けず劣らずの頭部を持つ紳士的な男性_黒太陽真拳の使い手にして電脳6闘騎士の一人であるJである。
彼の相変わらずの迂遠な物言いとそれに同調してしまうソフトンの姿に、アクアは心の中で叫ばざるを得ない。
(俺の師匠、ウンコと玉葱だー‼︎)
しかしアクアもすぐさま己の思考を恥じる。
自分の為に時間を割いてくれている相手というだけでなく、あのボーボボがこの二人を選んだ事を考えれば、彼にすら出来ない芸当を期待してのものだと言えるだろう。
少なくともソフトンに関しては、『自分達の命を救われる』という形でその強大な力の一端を垣間見た筈である。
彼らの見た目でその能力を侮ってはいけない存在である事を忘れてはなるまい。
「...む? それは何を噛んでいるのですか?」
「口臭ケア用品だ。
説明が長くなるだろうから、念の為な。」
「成程、私も見習った方がいいかもしれませんね...。
失礼ですが、お一ついただいても?」
(このウンコさんと玉葱さん、口臭気にしていらっしゃるーー‼︎‼︎)
「さて、内容の説明に入る前にまずはヒカルからの話を含めた経緯を話そうか。
アクア、君は制作側の意図を汲む技量とそのキャリアの長さに反し、自身の感情を表に出す演技を苦手としている_この認識で間違いは無いか?」
恐らくは父や上原から聞いたのだろう自身の評価を語るソフトンに、アクアも首肯を返す。
彼を知る業界人の多くが、その振る舞いに驚嘆するのと同時に不思議に思う部分でもあった。
尤も、これ自体は彼自身も重々承知の問題である。
「実際、君の父_ヒカルも不思議だったそうだ。
君程ではないにせよ、幼い頃より察しの良い子役というのは存在するようでな。
ところが、そういった子供達と比較しても君の演技は『まるで事前に準備してきたものだけ』の様に見えたらしい。
...流石に俺達では専門的な言葉を噛み砕くのは難しいから、ヒカルの言葉をそのまま借りるが。
『他の誰かがアクアの体を操り人形の様に扱っている様だ』、との事だ。
彼は君の前世の存在が発覚した後に納得がいったそうだが、これについて心当たりは有るか?」
我が父ながら、中々上手い言い回しをするものだと思わされる。
操り人形_成程、他の人間の意志に沿ってのみ動く存在だからこそ、星野アクア自身の感情が表出してこないという事か。
「心当たり、と言うより答えの様なものだと思います...。
俺の中の『雨宮吾郎』の記憶は、間違いなく30手前迄生きていた人間の人生経験を齎し、結果他の子役と比べても抜きん出た評価に繋がったんでしょう...。
ですが、それは同時に『星野アクア』としての自主性や子供らしい感性を疎外してしまっているんでしょうね...。」
「...ですが、聞いた話によればその雨宮氏と君のこれ迄の人生経験はかなり異なった道を歩んでいるのでしょう?
確かに、実際に転生という現象に陥らなければ分からない感覚は有るのでしょうが、俗な言い方をすれば『第二の人生を謳歌する』という考え方も有るのでは?」
アクアの仮説に対するJの反応に、ソフトンも同意した様子を見せる。
彼の言う通り、確かに吾郎としての人生と比較すれば、仲の良い家族に恵まれ、想像の域を出なかった芸能界という特殊な世界に足を踏み入れている。
ボーボボ達との関係性の変化も含めれば、役30年分の経験を踏まえても尚、刺激的な日々を送れているとも言えるだろう。
事実、同じ転生者であるルビーは正に『第二の人生を謳歌する』と言える程に毎日を楽しんでいる様に見える。
「...勿論、他に転生した人間がいるとして、全員が俺と同じ様な感覚ではないと思います。
この辺りは、前世との向き合い方によるのかもしれませんが...。
俺の場合、『アクアとして行動しようとする度に、吾郎の人格がこうした方がいいって助言してくる』様な感じと言うんでしょうか...。」
アクアの言葉に、今度はソフトン達が考え込む様子を見せる。
成程、何でもかんでも指示をされては、逆にモチベーションが下がってしまうのも頷ける。
子供の体に大人の精神性が無理矢理詰め込まれた結果、感情の発露や年齢相応の振る舞いに対して、その精神と知識が障壁となってしまうのだろう。
「精神と肉体の歪みが螺旋を巻き起こし、彼の情動を飲み込む渦潮となっているのですね...。」
「新たなる命が浴びる筈の太陽の光を妨げているのは、皮肉にもその光を浴びて育った別の命という事か...。」
(何言ってんだ、この人達...。)
アクアの現状に対する二人の独特の表現は兎も角、取り敢えず問題点の把握迄至ったとなれば、次の論点はその問題をどう解決するかとなる。
懸念となるのは、父達がその方法に少なからずリスクを感じている事であるが。
「さて、訓練の内容の説明に移ろうか。
まず、俺達の力を使っても君の問題を根本的に解決する方法は無い。
そもそも俺達自身、『前世の記憶』というものと関わった経験が無い上に、無理に君と雨宮氏の記憶を引き離そうとすれば、今の君の記憶や人格に影響が出かねないだろうな...。」
ソフトンが語った懸念については、アクアも同意する所だ。
この前世の記憶による影響を、ある意味での解離性同一症、所謂多重人格であるとした場合、それらの症状の一般的な治療目標は『複数の人格の統合』ないし『人格同士に協調性を持たせる事』となる。
事実、アクア自身もかつては、肉体的な成長に伴って二つの人格が統合されていくだろうと予想していたが、よもや前世の存在が今世の仕事にここまで影響するとは及びもつかなかったのだ。
「そこで俺達が提案したのは、君の感情を動かす訓練をするのではなく、雨宮氏の感情を揺さぶる事だ。」
ソフトンの提案には、アクアも膝を打つ思いであった。
成程、アクアとしての感情の動きを吾郎の記憶が阻害している現状を覆すのは難しい。
かと言って、役者としての道を歩み続けるのなら、感情演技が難しいままではどうしても壁に突き当たる事になる。
ならば、現在のアクアとしての芝居の根幹を担う吾郎側の感情に訴えかければいい。
その内容次第では、吾郎とアクアの人生の差を『アクアとしての感情』として出力する事も出来るだろうか。
思い返せば、体の自由がきかない『さりな』としての記憶を持つルビーは、当初こそ運動自体に苦手意識が有った様だが、それを乗り越えてしまうと途端にダンスの才能を発揮し始めていた。
これは肉体の素質だけでなく、前世においてB小町の曲を聴き込み振付を暗記する程の『予習』が出来ていた_正に今世の意識を前世からの延長と考えていた彼女ならではの現象であり、なまじ今世と前世の意識を区別して考えていたアクアにとっては盲点と言える手法であったのだ。
「仰る事は分かりますが...、前世の意識に訴えかけるというのはどの様に行うんでしょう?」
「うむ、俺達の力を使い、『君達』の記憶を媒介としたビジョンを君に観せる。」
「『喜怒哀楽』_四つの基本的な感情を二つに分け、ポジティブな感情とネガティブな感情を引き出すのです。
ただ...、一つ問題が有りまして...。」
恐らくこのJの言う『問題』というのが、父達にとっての懸念点なのだろうと予想したアクアに先を促され、彼らが語った問題は確かに如何ともし難い部分であった。
曰く、そのビジョンがアクアと吾郎の記憶を媒介とする都合上、実際にどの様な光景が映し出されるのかは彼らにも分からないらしいのだ。
感情を引き出すに際し、実際に起きた事をそのまま観るだけでは効果が薄く、『実際に起きて欲しい事・欲しくない事』がベースとなる。
こうなってしまうと、その映像の信憑性も『何かが違えば有り得た可能性』から『非現実的な夢物語』迄と、余りにも幅広くなってしまう。
「その内容、特に『怒と哀』を基にしたものは、君の精神的な負荷が大きくなり過ぎる可能性が有る...。
故にヒカルは、そこまでするかどうかの判断を君に委ねたのだろうな...。」
彼らが語った内容に、アクアも父の悩みの種を理解する。
何だかんだと続けている芸能活動ではあるが、そもそもの発端は五反田が両親を起用する交換条件として彼を見出したのであり、正直な所そこに彼の意思が介入する余地は無かったと言っていい。
事実、この辺りは五反田の方も負い目を感じている様で、彼が映像編集作業について教えを請うた際にも邪険にする様子は無かった。
そこで彼は目を閉じ、自身との_『吾郎』との対話を試みる。
これは本当に自分がやりたい事なのか_と。
『産医になるのね!
お母さんの事があったから...、やっぱり貴方は優しい子ね...!』
吾郎にとっての祖母の言葉を思い出す。
進路を医科大学にすると報告した時の彼女は、目に涙を浮かべ喜んでいた。
吾郎の母が、出産時の出血多量によって亡くなっていた事もあり、そう判断したのだろう。
事実として吾郎は確かに産婦人科医となるのだが。
(違う...、本当は外科医になりたかったんだ...。)
きっかけは好きな小説に登場する医者への憧れからだった。
母の死が全く影響しなかったとは思わないが、結局は自分の夢よりも他人の気持ちに合わせたのだ。
『せんせは...、私にとってのアイちゃんと並んで最推しの人。』
さりなとの最期のやり取りは、肉体が変わっても尚、この脳に焼き付いている。
成程、友人という関係とも少し違う、憧れと生きる希望になる存在と言った所か。
家族が碌に見舞いに来ない彼女にとっては、毎日を生きる活力は常人の何倍も必要だったのだろう。
(違う...、元気を貰っていたのは、寧ろ俺の方なんだ...。)
明日は何を話そう、何処そこに行ってみたい、ライブの感想はどうだったか_側から見れば他愛もない事を日々の活力に出来る様になったのは、きっと彼女に影響されたのだ。
『本当に凄いよ!
アクアならきっと、誰よりも凄い役者になれる!』
『いつか、君と同じ舞台に立てたら_なんて言うのは親のエゴかな...。
でも、君の将来に期待を膨らませる事くらいは許してくれよ。』
両親からの期待の言葉を思い返していると、瞼の裏に薄らと人らしき影が現れる。
こうして『彼』と相対するのは初めてだが、どうやら応えてくれたらしい。
『両親から期待されるってのは、いいもんだな...。
お前の周りには、俺が望んでも手に入らなかったものが沢山有る...。
家族がいて、友達がいて、『推し』が笑ってて、さりなちゃんがいる。』
『あぁ、本当にそう思う...。
この人達に、ずっと笑っていて欲しいって思うんだ。
その為なら、何だってやれるって...。
きっと俺達はどこまでいっても、人に合わせる生き方しか出来ないのかもな...。』
『...なら、お前が俺に合わせるのはもう終わりだな。
俺の記憶でも感情でも...、使いたきゃ好きに使え。
...ただし、俺の目が黒い内はさりなちゃんに手ぇ出させねぇからな!』
『アンタは俺を何だと思ってるんだ...。
相手は血の繋がった妹だぞ...。』
『黙れ、この変態め‼︎
お前がアイから授乳されたり、裸を見た事は知ってんだからな‼︎』
『不可抗力に嫉妬すんなキモオタ。
...ソフトンさん達も待ってるし、そろそろいくぞ。』
二人が手を合わせると、徐々に吾郎の体が粒子の様に崩れ、アクアへと吸い込まれていく。
ルビーとさりなにも起きていた統合が始まっているのだろう。
『最後に何か言いたい事は有るか?
さりなちゃんに伝えたい事とか...。』
『...生まれ変わったあの日、もう一度君に会えて良かった_そう伝えてくれ...。
...ああ後、お前の事心配してあのウンコ頭のお兄さんが顔近付けてきてるぞ。』
『何でそれを早く言わねぇんだよ‼︎』
アクアが目を開くと、吾郎の言う通りソフトンの顔面が目の前に有るという中々にインパクトの有る光景に彼の心臓が跳ねる。
反応の原因が些か失礼なものである事がバレていないのは、不幸中の幸いか。
「ご心配をおかけしました。
お二人共、よろしくお願いします。」
「フッ、その目...。
覚悟は決まった様だな。」
「ではまず、『怒』と『哀』の感情から始めましょう。
念の為こちらを渡しておきますので、ご無理はなさらずに。」
自身の変化に余計な詮索をせずに、準備を進める二人に内心で礼を述べるアクア。
Jが用意したエチケット袋の存在からしても負担の大きさは察せられる故に、集中が出来ている内に始めてしまいたい。
二人の力を受け、アクアの中に受け入れ難い光景が広がっていく。
『ごめんね...、多分これ...、無理だぁ...。』
今よりも幼い自分を抱き締める母の声は何とも弱々しい。
彼女の口元、そして腹部を染める色にアクアは事態を察する。
(これは...、ソフトンさんが間に合わなかったとしたらって事か...。)
母が寄り掛かる扉の向こう側からは、妹の叫び声が聞こえてくる。
徐々に光を失っていく母の瞳に、この先起きる事を予感したのだろう幼い自分。
母を_前世からの『推し』を失う哀しみと、黒幕への復讐にかられる心を映し出しているのだろう。
(何だ...? ここで終わりじゃない...?)
ところが、意外な事にその光景は場面転換を迎えるらしい。
或いは、ここからずっと先の未来にて自分達の前に姿を現す姫川愛梨への復讐を遂げる所迄が含まれているのかと考えるが。
(あれは大分成長している様だが、俺と...上原君か?)
体格的には少なくともお互いに高校生以上になっているだろう自分と大輝が何やら話し込む光景。
現実には無かった死者が存在している事から、自分達や姫川の行動にも変化が有るのだろうか。
『姫川愛梨って女優知ってる? 俺の母親...。』
(これは...、どこからかは分からないが、大分歴史が変わっているみたいだな...。)
大輝の台詞に未来の自分が特に引っ掛かりを覚えていない辺り、恐らく黒幕が彼女なのだと当たりを付けて接触しているのだろうと考えたアクアだが、その直後に信じ難い情報が耳に入る。
『夫婦共々心中してんのよ...。
俺が5歳とかの時だったかな。』
(上原さんが、心中...? いやそもそも5歳の時って...。)
歴史の異なる世界で、『上原夫妻が心中する』という衝撃の事実が発覚するが、ここはまだ理解出来る。
犯人を突き止める為ではなく、事態が収束した後に自身が大輝に接触したと考えれば、妻の凶行を知った上原がこれ以上の犠牲者を出すまいと事に及んだという線も有り得なくはないだろう。
しかし、それが『大輝が5歳頃の時に発生した』となると時系列が合わないのだ。
自分達と大輝の年齢差は四つであった筈だから、彼が5歳の時に二人が心中しているとなると、必然母が殺される段階で既に姫川愛梨はこの世にいない事になる。
アクアの胸の奥に言い様のない違和感と嫌悪感が満ちていく。
これ以上この映像を見るべきではないと、本能が警告しているのだろうか。
再び場面が転換する。
今度は、自身が何かしらのインタビューを受けている場面なのだろう。
椅子に座り、質問に答える自身にカメラを向けるインタビュアーは、それはそれはよく知っている相手だ。
自身の横に『15年の嘘』と題された映画と思われる作品の看板が立てられているが、その看板に映る女性の後ろ姿は母によく似ている。
(...そうか、この歴史では二人が結婚する前に...。
母さんを演じたのが成長したルビーだとすれば、俺達で母さんの物語を作り上げたんだな...。)
一見すれば、確かに遺された家族三人が力を合わせ、亡き母を題材にしたのだろう作品を完成した様に映る。
いや、正確には『そうであって欲しい』というアクアの願望か。
そんな考えを嘲笑う様に、目の前にいる二人は先の大輝以上に受け入れ難い台詞を口にした。
『どうしてそこまで、自分を押し殺すんだい?』
『演じる事は、僕にとっての復讐だから...。
カミキ ヒカル、僕達から母親を奪ったアンタへの...。
それを果たさなければ、僕等は前に進めないから。』
食道を何かが逆流してくる不快感に我に帰る。
しかしながら、気付いた所でその勢いを止める事は叶わない様で、エチケット袋に向かって口を開けると。
「...ゔ、ゔぅぇぇ...、うぐっ、ぐへっ...えへっ。
っはぁ...はぁっ、はぁ...。」
「だっ、大丈夫か⁉︎
落ち着いて息を吸え、そうだゆっくりと...。」
「一度休憩しましょう...。
すぐにハーブティーを準備しますので...。」
アクアの余りの様子に、Jが一度休憩の準備をしようとするも、それを制したのは他ならぬアクア自身であった。
これには流石に二人も驚きと共に心配した様子を見せるが。
「大丈夫...です。
もう片方の感情も始めて下さい。
こんな未来は有り得ない...。
けど確かに、哀しくて辛過ぎる...。」
彼の言葉に二人は一瞬逡巡した様子だったが、恐らくその覚悟を汲み取ったのだろうか、再びその力を彼へと向けていく。
先程とは真逆の感情_自身が嬉しさを爆発させる等、一体どういった光景なのだろうか。
一瞬の間の後に彼の目に映ったのは、吾郎からすれば忘れたくても出来ないだろう光景であった。
ベッドに横たわる少女の顔からは生気が感じられず、彼女と同年代の少女と生前の吾郎が、彼女に対して悲痛な表情を向けている。
間違いなく、吾郎に多大な影響を与えた少女_天童寺さりながその短い生を終えた日だ。
(全く...、我ながら本当に未練がましい男だよ...。)
その光景と『吾郎にとっての起きて欲しい現象』が何かを考え、アクアはこの映像の先に大凡の当たりを付ける。
『せんせの想いも貸して!
行くよ! ラブリーマジカル真拳‼︎』
吾郎の手を握りつつ、特徴的なステッキによってさりなへと力を向ける少女_ポコミ。
『ハァ、ハァ...。
せんせ...! さりなちゃんの顔色‼︎』
『あぁ! 俺は藤堂先生を呼んでくる!
ポコミちゃんはさりなちゃんに呼びかけ続けてくれ!』
先程とは打って変わって、生気を取り戻していくさりなと彼女の主治医を呼ぶ為に駆け出すかつての自分。
全く関係の無い人間の考えだったなら、同情こそするものの内心では失笑を禁じ得ない内容だ。
これが小説や映画であったなら、ご都合主義が過ぎると低評価の嵐に晒されても文句は言えまい。
『信じられない事だが、転移していた筈の腫瘍が見当たらないんだ...。
奇跡としか言いようがない...。』
『先生! それじゃあさりなちゃんは...!』
『流石にまだ楽観視は出来んよ...。
だがまぁ、あの子のご家族にも少しは良い報告が出来るかもな...。』
記憶の中ではいつも難しい顔ばかりしていた印象の藤堂医師にも、あんなにも柔らかい表情が出来るのかと場違いな感想を抱いてしまう。
どれだけ陳腐と言われようと、悲劇ではなく奇跡が望まれるのは当たり前の事だろう。
『せんせ...、今迄本当にありがとう。
せんせがいたから、今日迄頑張ってこれたよ...。』
『俺は何もしてないよ...。
確かにポコミちゃんの力や、藤堂先生の助けは必要だっただろうけど、君自身が頑張ったからだ。』
病院の玄関前に家族と共に立つさりなと、それを見送っているのだろう吾郎。
彼女の頭部には綺麗な髪が靡いており、誰に支えられる事もなく自らの足のみで地面を踏み締めている。
医師冥利に尽きる瞬間と言った所か。
『せんせ!
今度、私とアイちゃんとポコミちゃんとで、アイドルユニットを組む事になったの!
絶対応援してよね!』
『勿論だ。
因みにユニット名は...えっ、『沈没ガールズ』...?
大丈夫なのかい、それは...?』
こんな所で母達が語っていた謎のユニットの名を聞くとは思わなかった。
まさか自分の知らない所でさりなが関わっていたのだろうか。
目に映る景色がサイバー都市のものへと戻った事で、アクアは漸く意識を切り替える。
そうでなければ、吾郎から受け取った感情と共に目から溢れてくるものを止められそうもないのだ。
「全く...、あれから何年経ってると思ってるんだよ...。
こんなものをずっと抱え込んで...。」
肩を震わせる自身の背中を、ソフトンがそっと摩ってくれる。
何も聞かずにいてくれるその配慮が、今はとてもありがたかった。
『星野アクアは、雨宮吾郎から喜怒哀楽の感情を受け取った』
星野家の長男が、感情をジェットコースターの如く乱高下させている頃、彼の母と妹は友人の女性と共にカフェでの休息を満喫していた。
アクアの妹_ルビーの前世であるさりなが命を落とした事で、本来なら未来永劫叶う筈のなかった光景が今広がっている。
アクアの母_アイとその友人_ポコミがかつて星空に捧げた願い_『三人で遊びに行く』というささやかな願いが。
「にしてもさぁ、よかったのアイち...。
私が買った分のお土産まで払って貰っちゃって...。」
「いいのいいの。
全部ヒカルの小遣いから出してんだから気にしないで。」
自身の疑問に対するアイの返答に、寧ろポコミとしてはその資金の出所が心配の種なのだと思わずにはいられない。
何を隠そう、彼女達のサイバー都市への旅費は全てヒカルのポケットマネーから捻出されているのだ。
何でも、ヒカルがアイの水着を無断で着用していたのが発覚したのが発端らしく、その制裁として今回の措置となったらしい。
最初に話を聞いた時には、アイ達の家に頻繁に出入りしている変人達に洗脳でもされたのではないかと思ったものだが、現在に至っても何故そうなったのかは未だに闇の中との事だ。
「パパがあんなヘンタイさんだったなんて、正直ショックだったな...。」
「ホントだよ全くもう!
しかも中途半端に水着なのが、『僕は常識人ですけど』感を漂わせてて余計に腹立つんだよね!」
「...そうかな...、そうかも...。」
「ルビーちゃん...、あなたまでそっちに行かないで...。
この人も大概ズレてるから...。
...そういえば、頼んだ料理中々来ないね。」
母の発言に混乱した様子のルビーを必死に現実へと繋ぎ止めようとするポコミ。
既に日常的に首領パッチに毒されている傾向が強い彼女までが『あちら側』に染まってしまったら、いよいよ自分一人で対処出来る自身が無くなってくる。
今はまだ旅先である為静かなものだが、確かに長年に渡ってあの3バカと日常的に接していれば、アイやヒカルがこうなってしまうのも仕方ないのだろうか。
しかし彼女達は失念していたのだ。
あのバカには物理的な距離等、何の問題にもならないという事を。
「ところてんお待ちィ‼︎」
「キャアアァァァ⁉︎」
「うわぁぁぁぁ⁉︎ プルルン大丈夫⁉︎」
彼女達の座るテーブルに突如としてところ天の助を叩き付けた者こそ、アイ達の感覚をおかしくしている者達の一人_首領パッチであった。
少なくとも彼女達が知る限り、サイバー都市に来る為の飛行機にはいなかった筈だが、何故彼らがこんな所にいるのだろうか。
「ちょっとルビーさん‼︎
アナタ、皆が練習してる中、呑気に食事とはいいご身分ね‼︎」
「えっ、あの...、えっ...?」
「他の子達が特訓してるって言うのに、アナタはこんな事してていいのかしら⁉︎
寧ろ出遅れてる分、余計に頑張らなきゃいけないんじゃなくて⁉︎」
「...あの、私別にお兄ちゃん達と違って役者さんになりたい訳じゃないですし...。」
「黙らっしゃい‼︎
アナタがアイドルになりたいって言うから先生だってこうやって口酸っぱく言ってるの‼︎
口答えせずに、さっさと修行よ‼︎」
額に『教育ママ』の文字を刻んだ首領パッチの勢いに圧倒されたアイとポコミが反応する間も無く、彼はルビーを連れ去ってしまった。
「あぁ⁉︎ ルビーがバカに連れてかれた⁉︎
ポコっち、追いかけないと!」
「うん!
店員さんすいません!
請求はこのプルプルの人にお願いします!」
「ハイ、これもいつものパターンです。」
自身の体を軽々と担ぎ、猛烈な速度で突き進んでいく首領パッチに対し、ルビーはその速度を緩める事とせめて謎の行動の目的を明かす事を求める。
「ねぇー、ちょっとパチさん!
危ないからスピード落としてよー!
大体今どこに向かってるの⁉︎」
「かしこまりました。」
「キャアアァァァ! グヘッ⁉︎」
ルビーの願いが行き届いたのか、本当にその場で急停止する首領パッチ。
余りの速度差故に、抱えられていた彼女の体は前半へと投げ出され、体を打ち付けた故の呻き声が口から溢れる。
「もう! 急に止まんないでよ!
ママ譲りの綺麗な顔に傷が付いたらどうすんの!」
「そんな事よりルビー...。
あれをご覧なさい。」
彼の奇行に思わず抗議の声を上げるルビー。
いきなり旅行を邪魔され拉致された挙句、この仕打ちでは彼女でなくともこういった態度になるだろう。
未だぼんやりとした夢ではあるものの、母と同じアイドルになる事を夢見る彼女としては顔に傷が付く可能性を『そんな事』呼ばわりされては堪らない。
彼の指さす先に何が有るのかは定かではないが、その内容如何によってはボーボボや魚雷ガールに言いつける事も視野に入れねばなるまい。
「あれって...、宝石店がどうかしたの...?」
果たして二人の視線の先、サイバー都市内のショッピングモールなのだろうエリアの突き当たりには、ルビーの言う通り宝石店が佇んでいた。
先程彼は修行がどうのと宣っていたが、それと何の関係が有るのだろうか。
「アイドルとはステージの上で輝く存在‼︎
その中で一際目立つ為には、アナタ自身の魅力だけでなく、衣装やアクセサリーの力を利用する必要があるのよ‼︎」
「な、成程...。」
首領パッチの語る説をルビーも完全に否定は出来ない。
アイドルに限らず、芸能界という場所は総じて人の容姿の平均値が非常に高い。
容姿以外にも、演技力や歌唱力、或いは毎年様々な分野で表彰がなされている『何かを着用するのが非常に似合う』と言った事も立派な強みだろう。
往々にしてああいった店舗にも、商品を着用したタレントがモデルとして起用されているが、それらのチャンスを得られるかどうかによって芸能界では天と地程の差が生まれてしまうのだ。
流石に小学生のルビーが宝石を身に付けても似合うとは思えないが、それらの知識を入手しておいたり、店の雰囲気を経験しておくだけでも違いは有るだろう。
「そうと分かれば、行くわよ!」
「ハイ、先生!」
そんな宝石店へと直進していく二人の姿を漸く捉えたアイとポコミ。
流石に店の中で暴れられては堪らないと、せめてルビーだけでも連れ戻すべく二人の後を必死に追いかけるが。
「ハイ! フェイント‼︎」
「服屋にいったー‼︎」
宝石店を目前にして突如として進路を変えた二人は、そのまま服屋へと突入してしまう。
店員も謎の来訪者に困惑した様子だ。
「魚‼︎ 魚‼︎ 私は魚ー‼︎」
「気分は出世魚‼︎」
「何だこの人達‼︎⁉︎」
「さーてルビー‼︎
今日の晩餐会に向けてとびっきりのおめかしするわよ‼︎」
「ハイ! 先生‼︎」
陸に上がった魚の如くのたうち回ったかと思えば、何着かの服を抱え試着室へと潜ってしまう二人。
丁度アイ達も追いついたタイミングで、試着室の中からは二人が服の感想を語り合う声が聞こえてくるが。
「あ、このスカート可愛い‼︎
先生、そっちはどう?」
「ヤダ! このブラもステキよ‼︎」
「全部貰おうか。」
かくして、試着室から現れた二人は抱えていた服に加え、何故か動物の頭蓋骨を頭に乗せ、その手には槍を構えていた。
何故急に原住民族の様な雰囲気なのかに店員やアイ達が困惑していると。
「さぁ、いくらなの?
いくらなのよーー‼︎」
原住民達はその手の槍で店員に攻撃を始めてしまう。
これでは収拾をつけるのも一苦労だろう。
「ぎゃあぁぁぁ‼︎
何なのこの人達‼︎⁉︎」
「ちょっとヤバいってポコっち‼︎
こんなの私達だけじゃツッコみ切れないよ‼︎
今からでもお姉ちゃんかへっさんのどっちかでも呼び出せないの⁉︎」
「無茶言わないでよ⁉︎
大体、あの二人が最後に登場したの何話前だと思ってんのさ⁉︎」
『星野ルビーは60マッジモ上がった』
アクアだけで9000文字近くいくとは思いませんでした。
流石はシリアス担当。
一応、彼が見たそれぞれのビジョンの設定ですが、
最初が『吾郎の推しが幸せになれない世界』であり、アイに最も大きな影響を与えた者達=ボーボボ達と知り合わない原作のルートになります。
次が逆に『他人から鼻で笑われようと、吾郎が望む世界』で、さりなの病状が快復し退院迄を見届ける、という内容です。