「それで、稽古中は何話してた訳?」
沈んでいく夕日に向かって歩く二人の少年。
要領を得ない内容に思えるその質問だが、それを問われた側に戸惑う様子は見られない。
質問者側が「どのタイミングで誰と話していた時」の事を聞いているのかを理解している故だった。
「アクアの演技を見ながら、『見せ場』の考え方を教えて貰ったんだ。
全部を原作通りに演じるだけじゃ、舞台では通用しないって...。」
「成程...。
まぁ、目をつけるとしたら確かにそこだろうからな。」
質問をしてきた少年_星野アクアの反応に、質問を受けた側_鳴嶋メルトはそれが当然の帰結なのだろうと感じる。
彼らが出演予定の舞台『東京ブレイド』の本番迄に残された時間は半月程。
ただでさえ時間に余裕が無い上に、脚本の都合上、役者側に対して高い演技力を要求する構成となっている。
この条件下で役者として駆け出しのメルトの出番全てを高水準に仕上げるのは非現実的であると言わざるを得ない。
ならば彼が演じる『キザミ』の見せ場_『匁』との対決シーンに注力すべきだと考えるのだろう。
「それで、改めて原作のそのシーンを確認したんだけどさ...。
『キザミ』って凄え自信家で、『誰にも負けねえ』って感じ出してるじゃん...?
実際、『匁』と戦ってる時もどっちかって言うとこっちが強い感じだったし...。」
「けど、『自分じゃ鴨志田さんに対して強者感を出せない』って事か?」
「ああ...。
かと言って、俺は黒川みたいに考察する程頭良くないし...、『キャラの心情を理解して感情を乗せる』ってのをどうやればいいのか...。」
メルトが溢した弱音を聞きながらも、アクアは自身の中の彼への評価を上方修正していった。
父_ヒカルによる指導の影響は無視出来ないにせよ、現時点で原作におけるキャラクターの力関係の描写と己の演技力のギャップを理解する事が出来ている。
朧げながらも役に対する分析と理解が進んでいる証左だ。
そして彼の中で『現状、どう足掻いても超えられない壁』として立ち塞がったのが、己の実力ではどう見ても『鴨志田より上にいる様に見せる』事が出来ない問題なのだろう。
現実として二人の差は如何ともし難く、無理矢理彼の演技に『強者感』を出そうと思えば、鴨志田が彼のレベルに合わせて演技を下方修正するしかない。
役者が敢えて演技を下方修正する意味は、『今日あま』で共演した有馬かなの、『東京ブレイド』での演技を見せられた事で強く実感した筈だ。
勿論、鴨志田にそんな事を頼む訳にもいかず、かと言ってあかねの様に役の分析を上手く言語化出来ない故に、藁をもすがる思いで自身を頼ったと言った所か。
「その位理解出来てるなら、存外話は早いと思うけどな...。
一気に全部を理解しようとせずに、自分に出来る事と出来ない事を落ち着いて判別していけばいい。」
「『落ち着いて』って...。
そのやり方が分からないからこうやって...。」
「まぁ、そう答えを急ぐなって。
着いたぞ。」
「...普通のマンションじゃん。
えっ、アクアって一人暮らしだっけ...?」
「違えよ。
ただ、同じ事でもタメに言われるより大人に言われた方が納得しやすいと思っただけ。」
先程の問いとは違い、メルトには彼の言葉、自身を目の前に聳え立つ高層マンションへと連れてきた意図を察する事が出来ない。
彼の心情は、すっかり夕日が沈みきった空の様であった。
「俺はお前の親でもねぇし、ここを溜まり場にした記憶も無いんだがな...。」
自分達、より正確に言えば自身の隣で勝手知ったる様子のアクアに対して気怠げに声を掛ける男性の雰囲気に緊張しきりなメルト。
後ろで結んで尚長い髪はお洒落と言うより伸ばしっぱなしという印象を受け、無精髭や口調も相まってだらしなさを感じてしまう。
その一方、部屋の至る所に置かれた何らかの資料や膨大な数の映像作品のDVDの存在から、単純に生活能力が低い人間とも言い難い。
まるで『自分の好きなもの』以外を徹底的に削ぎ落とした、何処か狂気じみた強い意思を部屋全体から感じるのだ。
そんなある種の職人気質を強く感じさせる男性と自分を引き合わせたアクアの意図が分からず、借りてきた猫の様になってしまっている。
男性の雰囲気からして、アクアが予めアポイントを取っていたとは思えない事もそれを助長させた。
「今度やる舞台の事で、メルトの相談に乗ってやって欲しい。
対価は舞台終わったら一週間バイトでどう?」
「あ、あの、俺も何か出来る事有れば...!」
「...そっちの奴は兎も角、早熟のバイト期間は話聞いてからだ。
仕事の内容も分からず報酬を決められるのはフェアじゃねぇよなぁ。」
アクアからの提案に対して、何とも意地の悪さを感じさせる笑みと共に返された男性の言葉に不安を感じ共演者の様子を窺うメルトだが、彼から帰ってきたのは肩をすくめるジェスチャーのみだ。
自身の悩みが解決されるかどうかも、彼が男性にこき使われてしまうかどうかも、始まってみなければ分からないという事だろう。
心臓の音が一段と早くなったと感じるのは気のせいではない筈だ。
「...それで、相手役の人がよりにもよって2.5の経験豊富な人でして...。
監督だったら、俺にどういう演技を求めるのかなって...。」
「...んー、台本読んだが規模の割に尖ってるっつうか、結構チャレンジングな構成ではある。
確かに、素人に毛が生えただけの奴には中々厳しいって感じるだろうな...。」
自己紹介の後、メルトは男性_五反田泰志に自身の悩みについて助言を請うものの、彼の歯に衣着せぬ評価に分不相応と理解していても尚、悔しさを感じてしまう。
映画監督として現場で様々な役者を見てきただろう彼からすれば、成程自分は正しく『素人に毛が生えただけ』と評する他ないだろう。
そもそも自分は『どの様な演技プランを求めるか』という土台にすら立てていない事を、こうして舞台と関係無い人物の評価を聞く事でまざまざと感じさせられる。
「だがまぁ、脚本家の意図は明確だ。
さて鳴嶋、俺が早熟と昔からの付き合いだって話はしたが、俺はそいつに『どんな役者になれ』って言ったと思う?」
「...そうっすね。
『色んな役を演れる役者』...。
いや、『滅茶苦茶頭良い役者』とかですか...?」
自身の問いに対し、『星野アクア』という役者に対するイメージを基にしたのだろう表現を語っていくメルトの言葉に、彼自身が意図して目指したものかは兎も角、かつて自身が要求した姿勢を続けているだろう事を五反田は喜ぶ。
「『頭の良い役者』ってのは近い考えだな。
俺は早熟に、『凄い演技じゃなく、ぴったりの演技が出来る役者』になれって言ったんだ。」
「ぴったりの演技...。」
「そうだ。
演出家には誰しも理想とする『画』ってのが有るのを覚えとけ。
んで、その『画』だが、実際にそれを表現するのが中々どうして大変なんだ。
何故だと思う?」
「えっと、監督だったり演出家の人だったり...。
そういう人達の頭の中...、というかそのイメージを実際に見れないから...ですか?」
「その通りだ。
俺達人間が一人一人違う考えを持ってて好みも違う以上、俺の『理想』を鳴嶋が常に把握するのは難しいよな。」
「...つまり、アクアはそれが出来てるって事なんすね...。」
つい先程自分で『素人に毛が生えただけ』と下した評価を、早速修正する必要があると感じる五反田。
アクア曰く、自己評価では考えるのが苦手でキャラクターの考察に苦労していると語っていたそうだが、恐らくそれは自分で考え判断するだけの知識と経験が圧倒的に不足している事が理由だろう。
事実、思考の導線さえ引いてやれば、『ぴったりの演技』という一見すると抽象的な表現から連想して考える事が出来ており、自分の能力の低さを棚に上げて思考を放棄しているのではない事が分かる。
「じゃあ、今度はこうなるよな。
鳴嶋、舞台演出家の要望、脚本意図を『鳴嶋メルト』はどう読み取る?
この舞台においてのぴったりとは何だ?」
鳴嶋メルト_素人に毛が生えただけの存在に求められるものは何か。
上手い演技_それに越したことはないだろうが、そんなものは求められない事は金田一やGOAも理解している筈だ。
強者としての振る舞い_台詞をそれっぽく読む事しか出来ない現時点での自分では、当然の様にボロが出るだろう。
「...俺と『キザミ』の共通点を見つける事...。
そこに一番の感情を乗っける事...。」
「じゃあやるしかねぇな? 感情演技。
今、お前が抱えてる一番デカい感情は何だ?
その感情を乗せる場所は何処に有る?」
「今、一番デカい感情...、それは...。」
目を瞑れば、自然と『それ』は湧き上がってきた。
『それ』の影響か、握る拳に一段と力が籠る。
こんな状況に陥ってしまっている事、それに共演者はおろか無関係な者すら巻き込んでしまっている事、そしてそれらの助けが無ければ状況を打開する糸口すら掴めなかったであろう事。
『キザミ』が『匁』に対して抱いたであろう感情。
(ああ、そうか...、『それ』ならすげーよく分かるよ...。)
五反田宅から少しばかり離れた場所に有る公園。
奇しくもそこは、かつてアクアが五反田から特訓を受けた場所であった。
あの時五反田が発動した『レーズン曼荼羅』とやらの原理、何故あの場に居合わせていた父が母の水着を着用していたのか、その後に放たれた『ピヨコ饅頭』という単語の意味は未だに解明出来ていない。
(メルトも何かを掴んだ様な感じではあったが...、今度は何を始めるつもりだ...?)
五反田の部屋にて行われていた彼とメルトとの問答。
最初に相談を受けた手前、メルトが解決の糸口を掴む事はアクアとしても喜ばしいが、すぐさま実践に移るというのが荒療治となりかねない事が懸念される。
確かに時間の猶予が無いのは事実であるが、メルトが本番において最も強く打ち出す予定の感情の成否の確認、それが正しかったとしてメルトがそれをどれだけ引き出せるのか。
稽古から続けて五反田の下を訪れた事から、少なからず疲労も溜まっているだろう。
その状態で尚、この場でアクアとメルトが相対しているという事は、余程メルト自身が自信を持っているのだろうか。
公園に来てからこっち、何やらメルトと打ち合わせをしていた五反田が彼から離れ、アクアと彼との中間に立つ。
「さて鳴嶋、お前がさっき言った感情を引き出すとしたら、やはり感情の鮮度が良い方がいいだろう。
ついでだ、先輩の『アドリブへの合わせ方』も見せて貰え。」
そんな五反田の言葉とニヤケ顔にため息を吐くアクアだが、対面のメルトの表情に気持ちを切り替える。
これによってメルトが見出したらしい感情を再現し強調する事が出来れば、『東京ブレイド』での演技は勿論の事、今後の彼の役者人生における大きな助けとなる筈だ。
時には後進の手を引いてやるのも先立の務めとばかりに、彼の一挙手一投足を注視するが。
「聴いて下さい...。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン『交響曲第9番』。」
「⁉︎」
「ウェーンヘン♪
ヒョーンフェン♪
ヒョンロンペンチョン♪
フェンチョンペンチャン、ピョーロフ♪」
「...。」
「ウェーディンロンフォン♪
パンチョンペンチャン♪
ポイノイロンロン、ピーペプ♪」
「...おい。」
「ビーディルボーディル♪
ヘェンイデデデデデ‼︎
ちょっ、何すんだよ‼︎」
「そりゃこっちの台詞だ。
ベートーヴェンを馬鹿にしてんのか?」
歴史に残る名曲を騙った騒音は、音の出所がアクアによって所謂アイアンクローをされた事で解除された。
何を思って彼が『第9』を持ち出し、それを非常に独創的な表現で歌い出したのかは定かではないが、流石に意味もなく名曲を貶める様な真似は看過出来ない。
「馬鹿にしてる訳ねーだろ‼︎
こっちは学芸会で歌ったんだぜ‼︎
ウェーンヘン♪
ヒョーンフェン♪
ヒョンロンペンチョン♪
フェンチョンペンチャン、ピョーロフ♪」
「...ハァ。
Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium!♪」
「‼︎⁉︎
ウェーディンロンフォン♪
パンチョンペンチャン♪
ポイノイロンロン、ピーペプ♪」
「Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum!♪」
「ビーディルボーディル♪
ヘェンディンフォンデン♪
フォーデルマイデン、ロンベルデン!♪
ハーマイロンガン♪
ビャービューローホー♪
マーデルフォンデン、ウィーベロー‼︎♪」
「Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt,♪
alle Menshen werden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt.♪」
「ぬわーーはっはぁぁぁぁん‼︎‼︎
こんなの勝てる訳ねーよ‼︎‼︎
大体これ『ボーボボ』じゃなくて『ガッシュ』のネタじゃん‼︎‼︎」
独特の慟哭と共にメルトが両手で地面を叩く。
その所作や表情からは大きな悔しさが見て取れるが、アクアのドイツ語での歌唱は想定外であったとしても、何故あの出鱈目さで自信を持って臨んでいたのだろうか。
「うぅ...。
でも、ありがとなアクア。
俺、この感じた『悔しさ』を本番で乗っけられる様にやってみるよ!」
「そう...。
うん、まぁ頑張れ...。」
「いよいよ明日...か。」
そんな言葉と共に手に持つグラスを煽った父_上原清十郎の姿を珍しく感じる上原大輝。
父の言葉通り、約一ヶ月間の稽古を終え、彼が主演として出演する舞台『東京ブレイド』はいよいよ開演を迎えるのだ。
とは言え、役者として数々の賞を彼が受賞する様になった昨今、主演や主要人物役として出演するケースは決して珍しいものではなくなっており、幾ら父親と言えど過度な緊張を抱いている事をその飲酒の早さから感じてしまう。
「...ペース早くない?
別段緊張する様な事でも...。」
「...ああ、すまん...。
俺はどう足掻いても外野でしかないからな...。
やっぱり、どうしても『あの親子』の事は意識しちまうみたいだ,..。」
『外野』という寂しくも否定のしようがない父の立場と、自分達と『あの親子』ことヒカル・アクア親子との関係から、彼らへの対抗を息子一人に背負わせてしまう事を父が気に病んだと解釈した大輝が、その懸念は無用であると返答する。
そもそも、その対立構造は『東京ブレイド』においては成立しないだろう_と。
「カミキさんが俺をどう思うかは兎も角、あの人の役は今回そういう役じゃない...。
アクアの方にしても...、仮に俺が誘ったとしても勝負には乗ってこないよ...。」
「...まぁ、カミキの方はそう思うのが自然だろうが、アクア君の方は何か理由が?」
「...稽古初日の前日、アクアに会ってきたんだよ。
共演するのは久し振りだし、軽くお互いの腕試しが出来ればって思ってさ...。」
大輝が語った通り、ヒカルの役所『鍔鬼』は物語の黒幕として暗躍する存在であり、『ブレイド』達にしろ『刀鬼』達にしろ今回の舞台で描かれる範囲では然程目立った敵対行為は行わない。
原作の続きを知っているだろう多くのファン達ならば伏線として気付く行動を残していく所謂ファンサービス的な立ち位置なのだ。
勿論、父親としての立場と『カミキ ヒカルを長年支えてきた』立場がぶつかる故の感情は有るのだろうが、少なくとも大輝側から見れば自分と比べる事など烏滸がましいと感じる大先輩なのである。
父の『そう思うのが自然』との言い方に多少の引っ掛かりは憶えるものの、やはり対立構造として意識すべきはアクアの方だろう。
しかし大輝からすれば、彼がその様な安易な誘いには乗ってこないだろうと感じられていたのだ。
一見すれば、彼ら二人の以前からの関係を知らずとも、人気キャラクター同士としてのぶつかり合いも重なって、アクア側が多少意識してきたとしても違和感は無い様に感じる。
そう感じる様になった要因の説明を求める父に対し、大輝は静かにその要因が発生した決定的瞬間について語り始めた。
『疲れたからネカフェ行かね?
話すにしても、一回座りたい...。』
『確かに...。
最寄りだと隣の駅か...、ってもうすぐ出るぞ⁉︎』
何とか時間を見つけ、双方の家の中間地点の駅に集合した大輝とアクア。
互いの芸能活動や学業の影響も重なり、中々休みらしい休みを見つけられない事もあってか、稽古開始を翌日に控えた舞台やこれまでの事について話すにしても腰を落ち着けたい気持ちが見て取れる。
計画性の無さが拭えないものの、逆説的にそれだけ『会って話したい』という気持ちを優先出来るだけの互いへの気安さが窺えよう。
そんな二人が目的地へと向かうべく急いで電車へと乗り込むが。
『ハァ、ハァ...。
ヤベェ、久し振りに全力ダッシュした...。
って何降りてんの⁉︎』
全力で走った後の急停止には、流石に日常的なトレーニングを欠かしていない大輝であっても堪えるものであった様だ。
平時より何倍も速く聞こえる鼓動の音や急激に上昇した体温に、彼がどうにか慣れを感じ隣にいる筈のアクアへと視線を送る。
しかし、あろうことか彼の姿は閉じられた扉の向こう側に在ったのだ。
『ケンイチさんごめんなさい...。
俺、やっぱり行けないよ...。
両親を残して行くなんて出来ないんだ...。』
『ケンイチって誰⁉︎
えっ、これどうすんの‼︎⁉︎』
ホームにて別れの涙を流すアクアが何処から取り出したのか謎の銃を構えたのと同時、真っ黒なスーツに身を包んだ二人組が現れる。
よく見れば彼らの手にも拳銃が握られており、アクアを探していた様子だ。
『ごめんなさい、ケンイチさん...。
アナタはアナタの夢を叶えて下さい。
俺は、俺の夢を叶えます。』
『見つけたぞ‼︎ ガルシアだ‼︎』
『ガルシア‼︎⁉︎
ちょっ、何この展開‼︎⁉︎
聞いてないんだけど‼︎‼︎』
『さよなら、エルシオン。』
『エルシオンって何⁉︎
ケンイチじゃないのかよ‼︎⁉︎
くっそー、何だよこれ‼︎
分かんねーよチキショー‼︎‼︎』
「混乱に包まれながら席に着いたら、鞄の中が光り始めてさ...。
そこで『エナジーバスター』の台本を手に入れたんだ。」
「...なぁ、疲れてるなら早めに休めよ...。」
「えっ、そう...?
まぁ、確かに明日何かあったらまずいし、先に寝るわ...。」
自室へと向かった息子の姿が見えなくなるのを確認すると、清十郎は徐に自身の頬を抓る。
当然の様にやってくる痛みに、これが夢でもなければ自分が酔い潰れてしまった訳でもない事実を突き付けられ、盛大に溜息を吐いた。
話している最中の息子の淡々とした様子からして、自分を揶揄おうとしていた訳ではないのだろうが、そうなると先の話が実際に起きた出来事という事になってしまう。
「...少なくとも、さっきの話で大輝は終始アクア君に振り回されたって事になる...。
いや、あんな話にまともに対応出来るやつがいるのかって話ではあるんだが...。」
アルコールが回りきらない内に整理しておきたい内容についての思考を開始する。
息子は先程、『アクアは自分が誘っても乗ってこない』と語っていたが、それに対する認識のズレを修正する為だ。
清十郎としても、『誘いに乗らない』というアクアへの評価の理由を聞きはしたものの、その評価を下す事自体は内心で納得出来ていた。
初めて彼と会話を交わした時から、ともすれば父であるヒカル以上に大人びた雰囲気だと感じていた故に、その印象に則れば、彼が個人的な勝ち負けではなく舞台装置としての役割を優先させたとしても何ら違和感は無い。
息子への問いも、互いに年齢とキャリアを重ねても尚、彼から受ける印象に変化が無いかを確かめる意味合いだったのだ。
息子と彼が初めて対峙したあの日の『シミルシミナイ対決』は記憶に新しいが、元々圧倒的に『受け』が上手い彼を息子が必要以上に意識していたなら、寧ろそれを諌めるつもりでいた。
しかし、先の息子の話を鑑みるに、最早彼はただ『受けが上手い』だけではなくなっていると言わざるを得ない。
意味不明な一連の出来事の全てが、彼ら二人が駅に集合した時点から彼の掌の上だったのか、はたまた突如現れたという謎の黒服達にすら『合わせて』みせたのか。
「何れにせよ、余りにも視野が広過ぎる...。
ミクロ的な芝居で言えば、或いは大輝に分が有るかもしれんが、それすらも『全体の一部』として利用するだけの才能を見せているのだとしたら...。」
そこで清十郎は頭を振り、思考を中断させた。
既に役者ですらない今の自分がどれだけ考えようと、彼らの才能がぶつかり合った時どうなるかが分かる筈もない。
ならば、一人の父として、そして演劇のファンとして彼らの才能を純粋に楽しもうとする方が建設的だ。
ただ、もしかの『シンデレラ』の如く、一時でも自分に魔法を掛けて貰えるなら。
「俺も...、同じ場所に立ててたらなぁ...。
...我ながら、なんて女々しさだ...。」
身の程知らずな妄想を吐く自分に嫌気が差し、それを紛らわせる様にグラスの中身を飲み干した。
彼らと自分とでは、才能の有無以上に役者としての姿勢が違い過ぎる事を改めて戒めの如く胸に刻む。
彼らが懸命に努力していた下積み時代、自分がしていた事と言えば自分の非才を棚に上げて女遊びにうつつを抜かす事だったのだ。
そんな愚か者が、『もし同じ場所に立てたら』と考える等、彼らのこれまでを冒涜するに等しい。
アクアも、そして大輝も、その真面目でストイックな姿勢は紛れもなく『父親』譲りなのだろう。
そう言った意味では、息子に自分の愚かさが遺伝していない事を喜ぶべきなのかもしれない。
「遺伝子ってのは、恐ろしいもんだな...。
なぁ、カミキよ...。」
窓の外に広がる夜空に向かって放たれた呟きは、誰に聞かれる事もなく溶けて無くなっていく。
実は筆者は小学生の時に、『第九』をドイツ語で歌わされた事が有ります。
全校生徒だったのか、同学年の全員でだったのかは覚えてないですが、今にして思えば凄い経験だったなと思います。
『第九』の歌詞利用に関して
本来、楽曲の歌詞を作中で引用する場合、楽曲情報を入力するのですが、筆者が調べました所、『第九』の楽曲や歌詞の著作権に関してはパブリックドメインになっているとの事です。
また、一口に『交響曲第九番』と検索しても、膨大な種類の『第九』が存在し(様々なアーティストの方が演奏していらっしゃるからかと)、拙作中では便宜的に下記の楽曲コードを入力させていただきました。
こういったクラシック音楽の歌詞の扱いについて詳しい方がいらっしゃいましたら、遠慮なくご指摘いただけますと幸いです。