待て、それ以上近付くな! 俺の性癖が歪む! 作:POTROT
「……げ」
執務室の扉を開けると、奥の窓からザーザーと雨が降っているのが見えた。
起きた時には降っていなかったはずだが、どうやら俺が朝の支度をしているうちに降り始めていたようだ。
窓辺に寄って外の様子を見てみれば、やはり大雨。
この様子では20ミリ……いや、15ミリと言ったところか。
何にせよ、大雨だ。
「……アロナ。今日は誰だったか?」
『当番さんの話ですか!? でしたら今日はホシノさんですね!』
「OK。ありがとう」
タブレットの中の頼れる秘書に感謝を一つ述べ、再び視線を窓の外へ。
「…………さて、ホシノか」
眼下に広がる往来を車と人が行き来するのを眺めながら、アロナの言葉を反芻する。
小鳥遊ホシノ。
アビドス高校対策委員会の委員長にして、アビドス唯一の三年生。
キヴォトス最高の神秘を持つ、ブルアカ最強格の一人。
そんな彼女が、今日の当番のようだ。
「……ふぅむ……しかし、ホシノか……」
ふと、一つの不安要素が頭をよぎる。
ホシノが傘を持ってきているか否か、と言うものだ。
正直、アイツ持たなそうなんだよなぁ……傘……
いやまぁアビドスの事だから、アヤネかセリカあたりが持たせてそうだが……
「一応、聞いてみるかぁ」
スマホを取り出し、モモトークを起動。
ホシノのアイコンをタップして通話画面を開き、『傘持ってるか?』とメッセージを送信する。
「ふぅ」
机に座り、軽く仕事を片付けながら返信を待つ。
だが、一枚一枚を片付けるごとに逐一画面を検めるが、30分経っても既読すら付かない。
「……」
目を細め、画面を睨む。
これは、どう捉えるべきなのだろうか。
電車で寝ているのか、単純に確認するのが面倒臭いのか、それとも通知画面のところで内容を見て、問題なしという意味で無言を貫いているのか……或いは、ただならぬ事態に巻き込まれたか。
さて、どう捉えていいものかわからん。
電話してもいいが……今は多分電車の中だからなぁ……
「……アロナ。ホシノって今どの辺に居るよ」
『あ、はい! ええと……あ、もうシャーレに着いてますね!』
「え? マジ?」
いや早くね? と思い、俺はスマホの画面をスワイプし、スタート画面を呼び出す。
すると、画面に大きく表示されるのは『6:38』。やはり、明らかに早い。
一体何があったんだ? と俺が訝しんでいると、丁度そのタイミングでガチャリと音を立てて背後の扉が開いた。
「……」
開いたドアから姿を現すのは、アロナの言う通り、既に到着していたらしい小鳥遊ホシノ。
「うへ〜……おはよう、先生〜」
「ああ、おはよう……」
ホシノはいつものように軽く手を上げて、いつものように気怠げに挨拶する。
俺もつい癖で挨拶を返してしまうが、しかし今のホシノの姿は、明らかに異常であった。
全身がびっしゃりと濡れ、水を滴らせている様を見るに、どうやら雨に降られたようだが、その手にはしっかりと傘が握られている。となると、この雨の中、持っている傘をわざわざ差さずに歩いて来た、と言うことになるわけだ。
それに、シャーレのエントランスにはしっかりと鍵付きの傘立ても備えてある。
ここまで傘を持って登ってくることなど、余程のうっかり屋でもなければ、まず無い。
「…………一応聞いておくが、ツッコミ待ちなのか?」
……まぁ、だが、ホシノの事だ。
もしかしたら、何かしらの意図を持っての事かも知れん。
そう思ってホシノに問いかけてみれば……
「へ? ……あ、あれ? ……あ、あはは、雨、降ってたんだね。おじさん、考え事してたもんだから、全然気付かなかったよ〜」
「……」
……成程、どうにも只事では無さそうだ。
これほどの雨に濡れ、その状態でここまで昇って来て、雨が降っている事は愚か、自分がずぶ濡れであることにすら気づいていないと言うのは、明らかにおかしい。
「……はぁ。とっととシャワー浴びて来い。着替えはシャワー室にあるのを好きに使え」
出来る事なら今すぐにでも事情聴取と洒落込みたいところだが、流石に生徒をずぶ濡れのまま放置しておくというのはいただけない。
見るからに寒々しそうな上、色々透けているのでかなり目のやり場に困る。
「うん……」
重い足取りで部屋を出て、後ろ手でパタンと扉を閉めるホシノ。
最後に見えたその後ろ姿はひどく寂しげで、今にもどこかへ消えてしまいそうですらあった。
……どうなってる? 一体、アイツに何があったってんだ?
……まぁいい。直接話を聞いてみないことには始まらん。
取り敢えず、待ってる間、仕事進めておくか……
「────────お待たせ」
「んお、来たか」
数十分ほど経ち、書類を十数枚ほど片付け終わった辺りで、シャワーを浴びてほかほかとしたホシノが扉から入って来た。
しっかりと着替えも出来たようで、普段のアビドスの制服とは違った装いが何だか目新しい。
「いやぁ、ごめんね、先生。来て早々迷惑かけちゃって」
「気にすんな。まだ始業時間前だからな。むしろ早すぎるくらいだ」
「え? ……あ、ホントだ。まだ七時半だったんだ……」
シャーレの壁にかけられた時計を見上げて、ホシノが驚きに声を漏らす。
演技では、無い。本気で驚いているのがわかる。
……これはいよいよ重症だな。
「……なぁ、ホシノぉ」
俺は椅子に座ったホシノを正面から見据える。
「どうしたの、先生?」
「いや、どうしたもこうしたも……今日どうしたよお前。おかしいぞ。何があった」
「……うへ、嫌だなぁ、先生。おじさんは今日もおじさんだよ?」
ホシノは俺の問いに、いつも通りのにへらとした笑顔で答える。
だが、答える寸前、ホシノの表情が強張ったのは、確かに見えた。
「いやまぁ、確かにさっきは変なとこ見せちゃったけどさ? それは単に考え事してたってだけで────」
「そうかも知れんがな。少なくとも普通の考え事じゃねえだろ」
いくら何でもあからさますぎる。
流石にこれだけの証拠が揃っておいて普段通りです、何て話は通らないし通らせない。
「だから、そんな事はないって。おじさんはただ……」
「……………………」
「本当に、ただ考え事をしてただけで……」
机の上で指を組み、じ、とひたすらにホシノの目を見つめる。
すると、ホシノの目が面白いほどに右へ左へと泳ぎ始めた。
「………………」
「……もう、やだなぁ先生。そんなに熱い視線で見られても、おじさん何も出来ないよ〜?」
ホシノが腕で身体を覆い、俺から体を隠すように体を捻る。
が、当然ホシノから視線は外さない。
話を逸らそうと言う魂胆は、それはもうしっかりと透けて見えているのだ。
「………………」
「………………」
それからもホシノのささやかな抵抗は続いたが、遂には俺から目を伏せて黙りこくってしまう。
しかし、それでも俺はひたすらにホシノを見つめ続ける。
こう言うのは根気が一番大事なのだ。
「………………」
「………………」
一分、二分、三分と、お互いに何も言わず、ただ時計の針の音が部屋に響く。
果たして、先に根負けしたのはホシノの方であった。
「……あのさ、先生」
ホシノが顔を俯かせながら、蚊の鳴くような声で話し出す。
「何だ」
「先生はさ……もし好きな人がいたとしてさ……」
「唐突だな……」
いやまぁ、話してくれるなら構わないが。
しかし、好きな人……好きな人ねぇ……今はいないなぁ……
まぁ、取り敢えず初恋の子の事でも思い浮かべとくか。
「でもその好きな人が好きなのは自分じゃなくて、自分のとっても身近な人で……」
「お、おぅ……」
ええとつまり、俺にしてみれば、あの子が
……いや、どんな地獄だ?
そんな状況になったなら俺は速攻で引っ越してやるが。
「その身近な人が、今度その人とホテルに行って来るって言った時、先生は……どうする?」
「えぇ……?」
アイツと? あの子が? ホテルぅ……?
えぇ……? 今の俺なら普通に『死んどけ』って言って送り出すが……
だが多分、ホシノが求めてるのはそう言う事じゃねぇよな。
しかしホテル……ホテルかぁ……ん? ホテル?
「……それもしかして、俺とシロコの話してる?」
「ッ!!」
俺がそう言うと、俯いたホシノの肩がビクリと大きく跳ねる。
……ああ、成程。納得がいった。
ホシノはとても後輩思いな生徒だ。
それこそ、後輩を思いすぎるがあまり、暴走を起こしてしまう程には。
恐らく、ホシノはシロコのことが心配で心配でたまらなかったのだろう。
何かの拍子でシロコが俺とホテルに泊まりに行く事を知ってしまい、色々な可能性に思い至ってしまった結果、答え合わせをしようにもシロコ本人に聞く事は憚られる。
なので当番の時に俺に聞こうとしたが、あまりに気がはやり過ぎてしまった結果、早すぎる時間にアビドスを出てしまったし、本当に考え事をしまくっていた結果、降り頻る雨にも全く気付かなかった、と。
「はぁ……成程なぁ……そう言う事かぁ……そうだよな。うん。心配だよなぁ……」
息をつき、天井を仰ぐ。
「だがまぁ……大丈夫だと思うぜ? アイツも休暇だって言ってたし、俺だってそう言う事が絶対に起こらないように強い意志を持って────」
「そうじゃない!!」
「ッ!」
ドン、と鈍い音が執務室に響く。
びっくりして目線を戻せば、ホシノが机に拳を振り下ろした状態で荒い息をついていた。
「……あっ……ごっ、ごめんね? 急にこんな、こんなことしちゃって……わ、私はただ、その……そんなつもりじゃなくて……シロコちゃんが、先生がそれで良いならそれで良くて……」
そして俺と目が合うと、それで冷静になったのか、サッと顔を青くして狼狽え始める。
その目はひどく潤んでおり、今にも溢れてしまいそうだ。
「…………」
「私は……私は……ただ……」
しまったな。これは想定外だ。
まさか俺のミスが、ここまでホシノを傷つけてしまう事になるとは。
この件は猛省しなければならんな。
しかしまぁ、そんなものは後でいい。今大事なのは目の前のホシノだ。
だがどうしたものか。俺は俺として、16年と言う月日を過ごしてきたわけだが、未だに乙女心というものがわからん。
傷心中の年上との接し方など、それこそ全くと言って良いほど分からない。
さて、どうしたものか…………
「…………あ」
ううむ、ううむと頭を悩ませていると、突如俺の頭の中に天啓が舞い降りた。
────そうだ、ユメ先輩を降そう。
ユメ先輩と言うのは、まぁ簡単に言えばホシノの一個上の先輩で、アビドス最後の生徒会長にして、今のホシノに多大なる影響を与えた人物。
そんなユメ先輩を俺の意識に降ろせば、きっとホシノの慰め方もわかるはず。
作中でのユメ先輩の出番は、物語の始まる前に死亡していたと言うこともあり本当に少ないが、断片的な回想シーンから推測できるこう言う時のユメ先輩の行動は……
「すまんなぁ、ホシノぉ……そうだよなぁ、一番不安なのはお前だよなぁ、うん」
「え……せ、先生……?」
「嫌だったらすぐに引き剥がせよ」
徐に椅子を引いて立ち上がり、ホシノの方へ。
そしてそのまま正面に立つと、ホシノは潤んだ目で何事かとこちらを見上げる。
そんなホシノを、俺は正面から抱き締めた。
「…………ぇ?」
俺の腕の中で、ホシノの身体がビクリと跳ねる。
「せんせ……なにが……ぁ……ぇ……?」
ビクビクと震えるホシノの背中を、子供をあやすようにぽんぽんと叩いてやる。
すると、次第にホシノの体から力が抜けていくのがわかった。
「ぁ……」
ホシノの腕が俺の腰に回され、弱々しく抱き返される。
ホシノの体温が、心臓の鼓動が、体の柔らかさが、はっきりと伝わってくる。
そのまましばらくして、ホシノが完全に脱力したところで俺はホシノから離れた。
ホシノの腕が、だらんと力無く垂れ下がる。
「……どうだ? 落ち着いたか……?」
「……ああ、うん……………」
俺が確認すると、ホシノが曖昧に頷く。
……しかし、どうにも様子が変だ。
いや、先程までも十分に変であったのだが、何だか変のベクトルがだいぶ違う。
目のハイライトが消えていると言うか、茫然自失というか……
「……おい、大丈夫か……?」
「……うあ……」
「おい、どうし……うおっ!?」
どうしたものかと俺が心配していると、ホシノが突然俺に抱きついて来た。
あまりにも急だったので俺は勢いに耐えきれず、その場に尻もちをついてしまう。
「っ
「……もう、わかんないよ……」
「ホシノ……?」
「もう、わかんないよぉ……っ!」
俺の胸に顔を埋め、ホシノは血を吐くように言葉を紡ぐ。
「私は、私はどうすればいいの……!? シロコちゃんは先生が好きで、ノノミちゃんも先生が好きで、セリカちゃんも、アヤネちゃんも先生が好きで! 私だって先生が大好きで!」
ホシノは堰を切ったように捲し立てる。
俺はただ、黙ってその悲痛な慟哭を聞くことしかできない。
「でも後輩達には幸せになって欲しくて……先生にも幸せになって欲しくて……だけど後輩達は四人もいて……先生は一人しかいなくて……」
ホシノの声が震える。
「私はどうすればいいの……? どうすれば皆が幸せになれるの……? どうすれば、先生は幸せになれるの……?」
幸せ……か。難しい話だ。
皆の幸せ、そして個人の幸せ。
その二つは似通っているようで、どうしようもなく矛盾を孕んでいるものだ。
残念ながら、俺はその二つを両立させられる答えを持ち合わせていない。
だからこそ。
「一緒に、考えてこうぜ」
「ンなこと、俺には分からんし、誰にだって分からん。だから皆で一緒に考える。そう言うモンだ。一人で抱え込んで落ち込んでるんじゃねぇ。そら、立て。いつまでもウジウジしてるな。お前俺より歳上だろうが」
ぽんぽんと、ホシノの背中をタップする。
しかし、ホシノは俺の体を離すどころか、ますます強くしがみついて来た。
「おいおい」
「ごめんね……ごめんね……情けないよね……でも、もう少しこのままでいさせて欲しいな……」
「……好きにしろ」
「うん……」
結局、ホシノが離れたのはそれから十分ほど経ってのことだった。
その後は少し微妙な空気ではあったものの、いつも通りに仕事をして、一緒に飯を食ったりして、つつがなく業務は終わった。
……去り際に聞こえた『責任、取ってよね』という台詞は、俺の幻聴であると信じたい。
あ、あれ、おかしいな……最初はホシおじとはほのぼのまったりと仕事をやって終わるハズだったのに、いつの間にかこんな…………
…………わ、儂は悪くない! この手が! この手が勝手に!!