一週間が経った夜、傲来市の裏路地に血の匂いが染みついた。
ルシアの姿が消えたのは、牛魔王一派の下っ端どもがたむろする廃倉庫街だった。
監視カメラの死角を突かれ、催涙スプレーとスタンガンで瞬時に制圧。
目撃者曰く「赤い角のマガリが三人、黒いバンに放り込んで消えた」らしい。
翌朝、サザンクロスの溜まり場である旧工場跡に、昇龍會からの挑戦状が突き刺さっていた。
「ルシアを返せ。さもなくば全面戦争だ」
サザンクロスのリーダー格、来理人は拳を握り潰しそうになりながら吐き捨てた。
「牛魔王の奴ら、とうとう手ぇ出してきたか……。ルシア、俺らの縄張りで何やってたんだよ」
一方、昇龍會の面々は逆の憤りを燃やしていた。
「サザンクロスが先に手ぇ出したんだろ? ルシアちゃんが傷ついたって聞いたぞ。許せねぇ……!」
どちらの陣営も、相手が先に仕掛けたと思い込んでいる。
そして、両陣営の視線が一人の少年に向けられた。
花果悟空。
昇龍會のマガリたちとも、サザンクロスの人間組とも顔が利く、唯一の「中立者」。
八百年前の斉天大征の名を背負いながら、今はただの不良高校生を装っている存在。
「悟空、お前ならどっちにつく?」
昇龍會の幹部が酒臭い息で迫る。
「どっちもついてねぇよ」
悟空は缶コーヒーを一気に飲み干し、空き缶を軽く握り潰した。
「俺は、ただルシアを無事に取り戻したいだけだ。どっちが悪いかなんて、どうでもいい」
その言葉に、両陣営から罵声と嘲笑が上がった。
「中立ぶってんじゃねぇよ!」
「だったら黙って見てろよ、英雄様」
悟空は肩を竦めて立ち去った。
――そしてその夜。
廃ビルの屋上。
かつてカラバが「保護者」としてルシアの傍にいた頃、よく二人で夜景を見下ろしていた場所。
そこに、長いコートを翻した影が立っていた。
「よぉ、カラバ」
悟空は気配だけで分かっていた。
カラバはゆっくり振り返る。
その瞳は、もう人間のものではなかった。
赤黒く濁った、牛魔王一派のマガリ特有の色。
「……悟空か。早いな」
「ルシアを攫わせたの、お前だろ」
カラバは小さく笑った。
自嘲とも、狂気ともつかない笑い方。
「そうだよ。俺が牛魔王の下っ端に耳打ちした。『サザンクロスのヘッドの妹を攫え』ってね」
「理由は?」
「簡単だよ。抗争が起これば、両陣営は疲弊する。
そこに牛魔王が割って入れば、傲来市は一夜で牛魔王の縄張りになる。
……そして私は、その功労者として、牛魔王の右腕になれる。
隙をついて牛魔王をヤるのサ!」
悟空は静かに目を細めた。
「ルシアは? 生きてるのか?」
「生きてるさ。今は牛魔王の隠れ家で、大事に『保護』されてる。
……まあ、俺の指示で少し痛めつけてはあるけどね。サザンクロスがキレるように」
悟空の拳が、初めて音を立てて握られた。
「てめぇ……」
「怒るなよ、悟空。お前はどっちにもつかないんだろ?
だったら、このまま見ててくれ。
俺が新しい東源郷の頂点に立つところをさ」
カラバが一歩踏み出すと、背後に複数の影が現れた。
牛魔王一派の精鋭マガリたち。
角、鱗、牙――それぞれが異形の力を解放し始めていた。
悟空はゆっくり立ち上がる。
「悪いな、カラバ」
金色の光が、悟空の瞳に灯った。
「俺は確かに、どっちの陣営にもつかねぇ。
でもな……ルシアを傷つけた奴は、俺の敵だ」
その瞬間、屋上のコンクリートに亀裂が走った。
八百年前、斉天大征と呼ばれた少年が、そこにいた。
「――俺は、てめぇら全員まとめて、ぶっ飛ばす」
カラバの顔から笑みが消えた。
「……本気かよ」
「本気も何も、最初からそのつもりだった」
悟空の周囲に、金色の闘気が渦を巻き始めた。
抗争は、もう始まっていた。
ただし、それは昇龍會とサザンクロスの戦争ではなく――
牛魔王の野望を、根こそぎ叩き潰すための、斉天大征の戦いだった。