仮想の鬼神、幻想の都に墜つ 作:じゅじゅじゅ
唇が乾燥します。唇が乾燥します。
――――裏梅の受肉まで あと6日
「あやや……さて、準備はよろしいですか?」
「はい……!覚悟は出来てます」
霧に包まれた湖のほとりに、まるで血で染められたような――おどろおどろしい屋敷が聳え立っている。
ヴラド・ツェペシュ卿に始まり、時折その主を変えながら何世紀もの月日を越えて幻想郷へと飛ばされた
だが、今回ここへ訪れた2人の妖怪少女――――射命丸文と犬走椛の目的は、『彼女』ではない。
レミリア・スカーレットの友人であり、唯一の同盟相手。
つい先日、妖怪の山にて“大騒動“を引き起こした『史上最強の人間』『現代に甦った厄災』とも呼ばれる男に会いに来ていた。
「門番は…………相変わらず寝てますね。仕方ないので素通りしていきましょう」
濃い緑色の中華服を着た少女が、鼻提灯を浮かべながら昼寝に勤しむ姿を横目に――――文と椛は外壁に備え付けられた金属製の門扉を開き、屋敷の中庭へと一歩足を踏み入れる。
「いかがされましたか?」
紅魔館内部に侵入して――わずか数秒。
音も気配もなく2人の背後を取った
「あやや!咲夜さんでしたか!驚かさないでくださいよ……」
「申し訳ありません。お掃除の途中、美鈴がサボっていないか窓から見下ろしたところ…………偶然、お二人の姿が見えましたので。美鈴を滅☆殺♡した後でよろしければ……屋敷をご案内しますよ?」
「おぉ!それは助かりますねぇ!……でしたら、是非、私たち2人を案内してもらえないでしょうか?…………宿儺様の元まで」
咲夜によって美鈴が
高級感あふれる真紅のカーペットと、17世紀ごろに作られたであろう見事な調度品の数々を横目にして――――直属の上司である
椛と咲夜が他愛もない雑談に興じているのを小耳に挟みつつ、紅魔館に張り巡らされた異様に長い廊下を歩いていく。
空間拡張術を用いることで、外観から見ただけでは想像がつかないほどに広く・複雑な内部の構造と、足音が吸い込まれていく不思議な絨毯により、文の感覚が麻痺しそうになる。
そうして幾つかの曲がり角を曲がり、屋敷の突き当たり――――とても立派な造りの、一室の角部屋の前まで案内される。
「ご足労をお掛けしました。こちらが宿儺様の私室になります…………では早速ですが、私が先に入って取り次ぎをして参りますね」
そう言うや否や、咲夜の姿が一瞬で掻き消える。
やがて宿儺の部屋の中から――男性の怒号や何かを切断するような音、淡々とした女性の話し声や家具か何かが崩れるような音が聞こえ始める。
「あのメイド…………中で何やってるんですか。まさかとは思いますが……中で寝起きドッキリとかそんなふざけた真似してないですよね?機嫌の悪い宿儺相手に会話させられるとか……本気で呪いますよ?」
「文さん……いくら咲夜さんの頭が
「まぁ……いざとなったら椛を囮にして退散しますよ、私は。幸いにも今の宿儺は殺生を避けているらしいので……“死なない程度に私の役に立って”くださいね、椛」
「あの宿儺相手に立ち向かったと聞いて、ほんの少しだけ見直してたんですけど…………相変わらず腐った性根をしてますね」
椛から失意の籠った視線で睨まれる。
とはいえ、自分の発言を撤回する気もなく――確かに椛は可愛い後輩だが、我が身以上に可愛い物は無い――殺される可能性も皆無である以上、ただのとばっちり程度で椛を盾にすることに何の抵抗もない。
しばらくして、宿儺の私室がゆっくりと開き――――額から血を流した咲夜が、ドアの隙間からひょっこりと顔を出す。
「お二人とも……宿儺様から入室許可がおりました」
紅魔館のとある一室。やろうと思えば舞踏会の1つや2つ開けるのでは?と思うほどに広い部屋の中央、途方もなく大きな黒檀のベッドがどっしりと構えている。
普段は使用していないのか、やけに綺麗に貼られたそんなシーツの上に――――呪いの王、両面宿儺が鎮座していた。
片方の腕を頭の後ろに回し、もう片方の腕はだらしなくベッドの外に投げ出し――不機嫌そうに歪んだ四つの瞳をこちらに向けている。
部屋の隅に転がった、かつて家具だったモノたちの残骸たちを努めて視線に入れないよう意識しながら――射命丸文はいつもの調子で営業スマイルを浮かべた。
「本日はお忙しいところ、誠に申し訳ございません!今日は宿儺様に対して『ご報告』と『ご提案』があり、こちらから出向いて参りました」
「チッ…………貴様の所為では無いが……俺はこの女に
「今日の宿儺様。お腹の口からヨダレを垂らしていて、とってもチャーミングでしたよ」
心の中で「ホントに寝起きドッキリやってたんですか!?」とボヤきながらも、文は作り笑顔を崩さない。
いつも通りの口八丁で(宿儺の機嫌を損ねないように)捲し立てながら――――今日、こうして紅魔館に来る羽目になった、飯綱丸とのやり取りについて回想する。
◇◇◇◇◇◇◇
「あや!?わ、私が宿儺に会いに行くんですかぁ?!!!」
普段は立ち入ることのない天魔の居城。
その一角に位置する、大天狗たちの執務室に射命丸文は呼び出され――――
「ええ、そうですよ。あなた以上の適任はいません…………これまで宿儺と対峙してきた者たちの情報から『宿儺は強者に一定の敬意を払う』ことが確認されています。あなたは“たった1人で彼に立ち向かい、散っていった300人の中で唯一ダメージを与えることが出来た”存在なのですから」
口調自体は丁寧だが、一切の有無を言わせぬ上位者としての風格を漂わせた
文としても、飯綱丸の主張や上層部の方針に(悔しいが)納得出来る部分があり――――ぐぬぬと呻き声を漏らすも、明確な反論が出来ずにいた。
「……ですが、飯綱丸様。天狗衆には大天狗様や天魔様をはじめ、私より強い者も居りますゆえ…………そちらの方が先方の覚えも良いのでは?」
何としてでも
しかし……その程度の
「文、冷静に考えなさい。まず初めに……大天狗だからといって、あなたより強いとは限りません。技術や知力に特化した者も多いですし、私だってあなたに勝てるかどうかは“状況次第”といったレベルです」
「ぐぬぬ……」
「それにもし万が一、大天狗クラスの重鎮や天魔様が宿儺との間に軋轢を産めば…………それこそ本当に“戦争”の引き金になりますよ」
「ぐぬぬぬぬ…………」
まごうことなき、完璧過ぎる飯綱丸の言い分。
それを受け、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた文は――尚も諦めきれずに呻き声を上げるが――華麗な反論が思い浮かぶ筈もなく、非常な現実を受け入れる他なかった。
そのあんまりな文の様子に、流石に居た堪れなさを感じたのか、愛想笑いを浮かべた飯綱丸がフォローを入れる。
「まぁまぁ……何もあなた1人に全てを押し付ける訳じゃないですよ。補佐官として白狼天狗の犬走椛を付けます……彼女も宿儺との戦闘で勇敢に戦い抜いた者の1人ですから」
「……本当に命の危険は無いんですよね?」
「少なくとも
はぁ、と大きなため息を吐いた文は自らの運命を悟る。
これ以上ゴネても上層部から譲歩が得られるどころか、こちらの損にしかならないと分かったのだ。であれば、
「分かりました……引き受けます。それで、具体的には何をすればよろしいんでしょうか?」
「射命丸文、あなたの献身と忠義に大天狗を代表して感謝を送ります。さて…………まず最初にやって貰いたいことは『両面宿儺の専属記者になり、定期的に取材を行って欲しい』のです」
飯綱丸から話を持ちかけられた段階で、頭の片隅で文が予想していた通りの展開に――ちょっとだけ胸を撫で下ろすと同時に、自らの将来を幻視して暗澹たる気持ちになる。
しかしながら、1000年前に自分が抱いた
「……定期的に情報を引き出すことで相手の出方を把握しつつ、いざという時にはこちらから情報戦を仕掛けられる……という事ですか」
「えぇ、その通りです。さすが文は理解が早いですね」
「ふふふ、ありがとうございます」
見え透いた飯綱丸からのお世辞に、文もすかさず愛想笑いを返す。
天狗社会における日常風景とはいえ(文の性根には合っているが、八雲紫や鬼連中が見れば凄い勢いで眉を顰めるだろう)話題が話題であるため、飯綱丸がすぐに軌道修正を行う。
「他の狙いとして、宿儺との強いパイプをアピールする事で“他勢力を牽制する”意図もあります。ですので、取材した内容は検閲の後、本当に新聞として発行して構わないですよ……工作を疑われた際の良いアリバイにもなりますし」
「なるほど……それは個人的にもありがたい話ですね。折角の超大物の取材、記事に出来ないのは勿体ないですからね」
「ええ。これに関しては、私もそう言って貰えると信じてました…………さて、もう1つのやって欲しいことは『姫海棠はたての処遇に関する連絡』です」
記者という身分を使った、密偵もどきのなんちゃって任務ならまだしも――――意外な方向から来た飯綱丸の命令に、文は少しばかり驚愕する。
妖怪の山事変の終結後、“はたてが何処かで何らかの罰を受けている”ことは一部で噂になっていたが――その内容について、比較的親しかった文でさえ何も知らされていない。
「はたてに関する処遇は、彼の言質を取った上で我々に一任されたので……一度、報告に上がるのが筋でしょう。それで肝心の彼女ですが……現在は『旧地獄で鬼に300回喧嘩を売るまで、帰れません!!』を行っています」
「……は?」
「『旧地獄で鬼に300回喧嘩を売るまで、帰れません!!』です」
「いや、聞こえなかった訳じゃないです」
(やらかした事の大きさを考えれば、罰が重いのは納得出来る……だからといって『原則不干渉』の旧地獄にはたてを送る?大衆感情を慮ったにしては低俗だし、
基本的に、妖怪の山で罪を犯した者は奉仕活動など、妖怪の山にとって利益になる事を行って“罪”を精算する。
もたらした利益と不利益の釣り合いを以って、周囲からの理解と赦しを得るのだ。
それが長年続いてきた、この山における「しきたり」であり――――例外はただの一度もない。
――――というより、300人に迷惑をかけたからといって『300回辛い思いをすれば全部チャラだよ!』などと抜かす人間は、もはや狂人の類だ。とてもではないが、他人の量刑を決めて良い立場に居てはならない。
「ふふふ……どうやら違和感を感じてくれたみたいですね?」
「え、えぇ……それはまぁ……」
「安心してください。今回のはたての処遇は、
「……飯綱丸様。おっしゃる意味がよく……」
「混乱しているようですね?良いでしょう…………結論から言います。
『我々、妖怪の山・上層部は――変動する地上のパワーバランス及び両面宿儺への対抗手段として、旧地獄の鬼を間接的に介入させる方針を決定しました』」
◇◇◇◇◇◇◇
―――― 一方その頃 紅魔館の外壁付近では
惜しげもなく降り注ぐ陽光を全身で浴び、緑のざわめきに耳を澄ませる。野に咲く白い小さなマーガレットが風に揺られて鼻歌を歌い、黄色いタンポポは陽気には振る舞い――――紫のスズランは可憐に微笑んでいる。
つい先ほどまで咲夜による
「イテテ……咲夜さんったら、いくら私が昼寝してたからってここまでしなくていいじゃないですか……こんなにいい天気なら、お昼寝しない方がお天道様に失礼ってもんですよ」
ブツブツとボヤきながらも、後で綺麗に出来るよう血の付いたナイフを一本一本丁寧に草原に並べていく。
ナイフから滴り落ちた一粒の血液が、芝生に触れた瞬間――溶け合うようにゆっくりと葉の先端を紅く染める。やがて、その紅い涙が短い茎を伝って下へと降りて、土の表面にまで到達した。乾いた大地に美鈴の血液がじんわりと広がり、そばかすの様な斑点模様が出来上がる。
「それにしても……文さんが来たという事は、宿儺様もついに新聞デビューですかね?定期購読のお誘いか、はたまた一面を大きく飾ることになったりして……!」
紅魔館にとっては珍しい来客の存在に思いを馳せながら――美鈴は妖力を一気に捻出し、身体中の怪我を治癒していく。
まるで時間を逆戻りさせたかのようにナイフによる切り傷が一瞬で回復し、10秒も経たずに美鈴は元の健康優良・快活美少女として復活を果たす。
「さーて!この調子で午後のお仕事も頑張りますか!!」
瞬間、ぞわりとした怖気が全身を駆け巡る。
朗らかな陽気は嘘のように消え失せ――まるでこの世界が一瞬にして夜になったかのような錯覚に陥る。この場を捻じ曲げるような圧倒的“闘気”が空間に満ち、自らの一挙手一投足が鉛をつけられたように重く感じた。
だが、この状況下でも美鈴を最も驚かせたのは
(こ、この私が……これほどの気配の持ち主の接近に、全く気付けなかった……!!恐らく今は私のすぐ真後ろ、数m以内まで近付かれている……!!)
向こうに美鈴を殺そうとする意志が少しでもあれば、今頃はきっと天国に登っている最中だろう。現状、何もされていない事から“敵対されない”ことに賭けた美鈴は――――ゆっくりと後ろを振り返る。
淡いパラソルを肩に担いだ、1人の少女が立っている。
先ほどと変わらず、それなりの風が芝の上を撫でているのに――――彼女の癖の強い緑髪は、不自然なほど微動だにしない。
まるで彼女の周辺の空間だけ世界から切り取られているような――――そんな異様な雰囲気を身に纏っていた。
紅美鈴は
『幻想郷縁起』において、危険度『極高』に指定されている――――幻想郷きっての
「風見……幽香……」
「アラ?あらあらあらあらあらあら?……アナタが起きて門番をしているなんて、珍しい事もあるものね」
ぐりんと気味の悪い動きで首を曲げた幽香が、こちらを覗き込むようにして顔を近づけて来る。
身長にして190cmを軽く越えるだろう長身の背丈に、瞳孔の開いた真っ赤な眼球が彼女の異様さをより際立たせる。
一見して華奢にも見える彼女の体躯は、間近で見ると――――白のカッターシャツとチェックの入った赤いロングスカートの下に――――獣の筋肉を鋼鉄の檻にギチギチと押し込めたかのように膨張していた。
厚い布地の上からでも六つに割れた腹筋の存在が感じられ、上腕二頭筋に至っては鋼が練り込まれたような鋭さを放っている。
「ねぇ聞いて?最近、面白い噂を耳にしたのよ……1000年前に封印されたハズの
ゆっくりと歩を進める幽香が、数mしかない美鈴との距離を少しずつ詰めて来る。
「正直かなり眉唾物なんだけど…………どうやら本当に見たっていう人も結構居てね?その人たちと
遂にお互いの距離が消滅し、顔と顔が触れ合うまでに近付いた幽香は――――開き切った瞳孔のまま、美鈴の耳元で小さく囁く。
「ダカラネ…………
身長169cmと女性の中では高身で、鍛え上げられた肉体を持つ美鈴がまるで赤子のように――――風見幽香の放つ見えない圧によって、さらに小さく抑え込まれる。
顔中から冷や汗を噴き出して縮こまる彼女に、もはや抗うだけの気力はない。
美鈴は、幽香の問いかけに力なく頷いた。
「あぁ、それと…………血液には害虫や細菌を誘発して、植物の生育を阻害する恐れがあるわ。彼の元には、そこの血を拭き取ってから行くとしましょう。イイワネ?」
ぎるてぃ!ですぺな!はたてちゃん!