But I'm near the end and I just ain't got the time
And I'm wasted and I can't find my way home
But I can't find my way home
Can't Find My Way Home / Steve Winwood
かつて、スノウグローブは強いウマ娘だった。
頑丈な脚、そして中距離の芝の適性を持つ。クラシックの王道距離への適性を持っていた。
トゥインクルシリーズ。ウマ娘なら誰もが憧れ、その場所を目指す夢の場所。だがその場所に立つどころか、そこに挑むことさえ叶わぬウマ娘の亡骸が幾重にも積み重なる場所でもある。
だが、幸運にも、スノウグローブはその場所へたどり着き、また扉の前に立つことが許されたウマ娘だった。
しかし、それだけだった。
今思えば、天狗になっていたのだろう。このまま栄光まで走り抜けれると思っていた。
純粋な力は周囲をねじ伏せるだけの力があった。私は特別な何かになれる。そう思っていた。
少し大きくなって来た時、私の横にはずっと幼馴染がいた。私より小さくて、弱かった癖に、私に追いつかんばかりの勢いで能力を伸ばしていったウマ娘。彼女は年を重ねるごとに本物になっていった。
私は焦った。その場所を取られることに。
私は努力した。己の力を証明するために。
走れば走るだけ、私は私になっていくような気がした。それは証明でもあった。ウマ娘にとって走ることは私であることと表裏一体だ。
走っているとき、言いようのない幸福感と、何かが満たされるのを感じた。心地よく動く心臓と、内から湧き上がる感情。それは極上の美味だといってもいい。
走る苦しさも、息が上がって足が動かなくなりそうでも、その多幸感と、満たされる感情を求めて走り続けた。だからもっと広い世界を。もっと高みへ。走ることが幸せや自己実現というものに本能的に結びついたウマ娘ならだれでも持つ感情だ。それは余りにも当たり前の感情だ。
だから。それをねじ伏せて勝ち上がるのが、ウマ娘だ。そういう生き方しか知らないし、それ以外を受け入れる気もない。これが私たちの姿で、求めるものだから。
先頭。その場所は私だけのもの、私以外に譲りたくない。
何度だって走った。何度だって奪って、そして奪われた。
そこでは、私とあいつ、スターリースカイは互いにライバルだった。
何度も、何度でも。私たちは挑んできた。そうしていれば強くなれる。来るべき煌めきの中でも、私は輝けると無邪気に信じていた。
でも、勝利の女神様は私には微笑んでくれなかった。
ターフにちらつく背中。そして追いつけない影。中央で見たのは、本物の天才と、本物が本物を喰らい潰し潰される、一瞬の煌めきの為に命を削る優駿たち。
そこで私は、弱者だった。
私は強い。そんな想いを煮詰め、そうしているうちに焦げ付いた鍋の底みたいになって、それでも私はひたすら勝利を目指した。
ここは天才が天才でなくなる場所。トウィンクルシリーズ。
そこには私なんてゴロゴロいて、私の数年間なんて一瞬で飛び越してしまうような本物が多くいて。
何度泣いて、何度吐いて、どれほど倒れ、傷を作ったかわからない。だけどその先にあったのはきりがないほどの高い、高い頂。果てはなく、ただひたすら上に続く道が伸びていた。
天才は、視界にすら入らなくなっていく。どんどん先へ、とにかく先へ。私は全力で走っていたはずなのに追いつけない。
そして最後に私が見ることのできたのは、栄光の舞台でも、身体を震わす歓声でも、紙吹雪でもなくて。
ただ、とても青い、青い澄んだ空だった。
私は、強くなかったんだ。
***
空はどこまでも青くて高かった。
息が出来なくて、空気を求めて思わず顔を上げていた。
視線を下げてしまえば、どうやっても届かなかった背中がその先にいる。
『今確定しました、勝ったのは11番ブリッジコンプ! 二着は3番ワルツステップ! ……!』
私の名前は読み上げられない。
終わったんだ。そう思った瞬間力が抜ける。
視界は現実なのに、まるでゲームの画面を見ているかのように現実味がなかった。
あぁ、そうか。負けたのか。
レースが終わった。
徐々に視界と感覚が戻っていく。息を大きく吸って吐くと、身体の力が急に抜けていくようだった。誰かのための歓声が聞こえる。空気を求め鈍く痛む肺と、からからに乾いた喉。身体と対照的に冷めていく思考。熱気を放つ体が風で徐々に冷えていく。ターフの上にいる感覚も徐々に戻っていく。
そうして現実と、痛みも納得をまぜこぜにして飲み込んだのに、不思議なことに涙は一滴も出なかった。
汗だって、吐きたいくらい気持ちの悪い胃の中だって。ぐちゃぐちゃな感情は、どうしてそれを受け入れることが出来ようか。
その後どう戻ったのかよく覚えてない。ただ、嫌な汗が止まらなくて、心臓は落ち着くことはなく鼓動を刻んでいたことは覚えている。
汗は急激に私の体温を奪っていく。体は熱を放つように、私の心の奥底は冷えていく。
気づけば火照った体に、タオルがかぶせられる。
「お疲れ、スノウ」
「……はい、ありがとうございます」
そこは地下通路だった。救急セットを肩にかけたトレーナーに、何とか返事を返す。自分の手が、体が震えていることに気づいた。それは、緊張から解放されたからか、それとももっと別の何かだろうか。
どこからかすすり泣く声と、今から最後の競走になるかもしれないウマ娘の悲壮に満ちた表情が嫌でも目に入る。
もともと薄暗いのに、更に畳みかけるように暗い雰囲気が漂う。
足早に通路を通り抜けて控室に戻ると、倒れこむように椅子に座る。震えは落ち着いたが、うまく力が入らない。トレーナーはすこし触るねと断りを入れてから、脚を触診する。
「熱は、少しあるね。アイシングするよ」
「はい」
手慣れた手つきで瞬間冷却材をたたいた後、タオルに包んで私の脚に当てる。じんわりと冷たさが染みる。
「脚が痛いとか、違和感はない?」
「今のところは大丈夫」
「そうか、よかった」
息が落ち着いていく。段々と、心が凪いでいく。
体がと、その次に思考が無意味に回転する。あと一歩、前に出てさえいれば。あと1m、距離が長ければ。最後の瞬間を何度もリフレインする。
今更そんなことを考えたところで、意味なんてないのに。
「ごめん」
てきぱきと、処置と触診を行うトレーナーに、ふとそんな言葉が出てきた。トレーナーに言うべき言葉としては間違っているだろう。夢をかなえられなかったこと。思いを背負いながらも果たせなかったこと。いろんな感情がごちゃ混ぜになっていた。
「……そんな、謝らなくてもいいのに」
「でも、勝てなかった」
「……そう」
「もし」
あの時の一歩、仕掛け時を少し早めれば。
意味のない後悔と思考がぐるぐると回る。
意味なんてない。わかっているが、でもどうしてもそのもしに私は強く惹かれる。だって!
「もし、なんて、意味がない。もうそんなこと言ってもどうしようもない、のに」
「やっぱり、ライブは出演を控えておく? 脚だって熱を持ってるし、検査を受けたほうがいいかもしれない」
首を振って考えを無理やり頭から追い出す。
「いえ、大丈夫、です」
どうしても、最後の場面が離れない。どうしても、その瞬間が何度でもカムバックする。
でも、やらなければならないことがある。
ウィニングライブ。それは応援してくれた私のファンへの恩返し。そして、最後のお別れ。
今回のライブはとても特別だ。それはここに集う誰もにとっても大きな意味をもっている。クラシック最後の未勝利戦。これ以降はクラシックウマ娘の未勝利戦は開催されず、ここまで勝てなかったウマ娘は事実上引退するしか選択肢が残されていない。
こんな形でも。こんな終わりでも。納得は、まだできなくとも。
「なんでも、ないんです」
「……そう、わかった」
結果は覆らない。事実は変えられない。それを捻じ曲げようとするほどバ鹿ではない。
処置が終わって軽く打ち合わせをした後、トレーナーは部屋から出て行った。アイシングされた脚は熱もだいぶ引いて何とかなりそうだ。
自然に下がった視線。その先にはぼろぼろの、泥と芝の欠片にまみれた靴が目に入る。
最後まで、誰かが踏みぬいた道を走ることしかできなかった。
荒れてぼろぼろの道を走ってきた。
その道が行きついた先は、なんともあっけない終わりだった。
ふと。
いつの日か、誰かに誓った言葉を思い出す。G1ウマ娘になるとか、ダービーをとると語ったあの時の私。
その約束とも言えない言葉が、今になって私の心を突き刺す。
かつて私は強かった。それはここにいる誰もがそうだった。
中央という魔境で何度も戦い、ぶつかり、そして己の道を突き進んでいった。
だが、原石は磨かないと光らないように。私たちは磨こうとも輝けなかった。
何度もぶつかり、削れて割れて、そのうち粉々になって、小さな塵となり川底に沈んでしまう砂利のように。
「ごめん」
誰に向けた謝罪だっただろうか。それはいったい何に対しての言葉だっただろうか。
遠い記憶、何かがあった。でもそれも思い出せないほどには、私の魂は摩耗していた。
****
クラシック級の9月までに勝てなかった未勝利ウマ娘が進む道は限られている。
そのまま引退か、格上挑戦でチャンスを狙うか、ローカルシリーズに移籍して走り続けるか。
トゥインクルシリーズはその華やかさの裏に、その何倍にも及ぶ夢の残骸が転がっている。
中央に入学して、そこで最低限のスタートラインで前提条件。結果を出せないのなら挑むチャンスすら与えられない。誰一人、負ける気などない。全てのウマ娘が己のすべてを賭けて挑む場所。ここはそういう場所だ。
だが、どうしても足りぬのなら、持ちえぬのなら。
失意と涙の内にこの場を立ち去るしかないのである。
一歩先もわからない目の前のことに必死だった。それだけで精一杯だった。それが急に解放されて、次は何年も先について考えろという。無茶苦茶な話だと言ってやりたい。
でも最初から、そういう約束だ。
クラシック級での未勝利が終わった後、私と同じ境遇のウマ娘が集められた。いくつかの事務連絡と、簡単な説明がされる。概ね、引退に関する内容だった。質の悪い紙が何枚か配られる。
「進路相談は来月末までに学校に出すこと。皆さんのトレーナーとも、保護者ともよく相談して、よく考えて決めてください」
頭ではわかっていた。わかっているつもりだった。
「今後の進路、あるいは転入学や進学、就職その他は今後順番に面談を実施していきます。それ以外にも随時相談を受け付けます……」
進路希望調査票と書かれたそれは、ひどく重い現実を突きつけてきた。
自ら夢を終わらせるのか、それともあがき続けるか。
だが、多くのウマ娘が選択したように、未勝利を勝ち抜けないということは、私たちにとってトウィンクルシリーズは終わってしまったのと同義だ。能力のない者に与えられる場所はない。一度きりの機会はもう既に終わっている。
教壇に立つURAの担当者を名乗った人物は、私たちに言い聞かせるかのように語る。
「皆さんは、トゥインクルシリーズに挑む競走ウマですが、同時に学生でもあります。トゥインクルシリーズの後には、走った時間の十倍以上の時間を生きることになります」
ですから、皆さん、後悔のない選択を。
いきなり漠然とした未来の、考えもしなかった未来のために。そう言われても、何をすればいい?
走る以外切り捨てて、それ以外を知らない。普通の青春や、普通の学校なんて切り捨てて、走ることしか私には残ってないのに。
「……そんな、決めるって、まだ未勝利から一週間も経ってないのに、あまりにも早くないですか」
誰かの悲鳴のような質問が飛んでくる。それはきっとここにいる誰もが思っていた言葉だろう。
一瞬の判断が要求される世界から、何年も後の未来について熟慮し決断することを求められるのだ。いきなりそんなことできない、と誰もが思う。
「そんなことはありませんよ。むしろ遅いくらいです。はっきり言ってしまえば、貴方たちはトゥインクルシリーズの特例としてこうしたことは後回しにされていたに過ぎません」
走ること、言葉にするとただそれだけのために、競技ウマ娘は普通の生活の時間を、時に必要なものでさえ削りながらトゥインクルシリーズを駆け抜ける。
だから特別なのではない。どんなものにでも平等に選択肢を提示され、その中で出来る限り最良の選択を求められる。
そう頭では理解はしていても、受け入れられるのかはまた別の話だ。
「いつかは考えていかなければならない問題です。何にせよよく話し合って決めてください。配布した資料の……」
そうわかっていても言葉が上滑りするかのように集中できない。耳に入ってはいても、それを理解して受け入れているわけではなかった。
気づけば話は終わり、そのまま流れで解散となっていた。プリントを雑にカバンに放り込んで、私は喧騒の残る教室を足早に出ていった。
湧き上がってくるのは、怒りだった。
「なんで……」
それは誰にも聞かれることのない呟きだった。そしてあまりにも我儘な怒りだとわかっていた。
確かに納得はしていない。でも、納得しないといけない。
結局子供のころの私と今の私は地続きで、たいして何も変わらない。
それを受け入れられるほど大人でもなかっただけだった。
***
トレセン学園には、各チームに与えられる個室やトレーニングのための部室棟が設けられている。
幾つもある部屋の中、その一室。小さな部屋が私とトレーナーの部屋だった。
ノックをして、こんにちは、と言って入れば、書類の山に埋もれたトレーナーの姿があった。
「やぁ、スノウ。今日はトレーニングの予定はなかったと思うけど」
「いえ……少し、相談したいことがあってきたんです」
部屋にはミーティングが出来るように小さな机と椅子が置かれていた。
トレーナーはデスクから移動して、向き合うようにそこに座る。
引退と、それに伴う進路相談の書類を何枚か出すと、少しだけ雰囲気が硬くなったような気がした。
「引退、か。そうだね、確かにその選択をしないといけない時期だ」
でも、たぶん、トレーナーは私の気持ちも、葛藤も全部わかっていたのだろう。未勝利ウマ娘の辿る道は限られる。そもそも勝てないから未勝利クラスにとどまり続けている。勝てなければ、この世界に居場所はない。
「まだそんなことも考えられるほど、時間は経ってない。それにスノウも、納得しきれてない」
お互いに明言をしない。私はそれを口にするのに抵抗がある。トレーナーはそれを強要したくないから口にしない。
話の着地点は明確に示されている。ただ、それを選ぶのは私だ。だが、私は選択をしなかった。平行線のまま、ただ無意味に時間が過ぎていく。
そのうえで、トレーナーは一つ、別の選択肢を提示した。
「このまま、走り続けることもできる。ありえない選択肢ではないし、実績や先行例がないわけじゃない」
「走り続ける、ですか」
未勝利でも、格上挑戦ということでトゥインクルシリーズに残ることはできたし、それで勝てば晴れてオープンウマ娘だ。
他にも地方に移籍するという選択もあった。中央未勝利が地方で無双するという話はよく聞く話だ。それほどまでに格が違うし、ローカルシリーズで成果を上げ、そのうえで中央に戻るというルートも存在する。
「でも茨の道だよ。未勝利ウマ娘は抽選除外を真っ先に喰らうし、地方に移ってもそこで走り続ける意欲が続くかは本人次第だ」
ただ、それは制度としてあるという話で、実際に選択する生徒がいるかといわれるとまた別の話になる。
「残酷な話だけど、やっぱり決断はしないといけないよ。どの道トゥインクルシリーズから身を引くときが来るんだから」
「……はい、わかってます。いつかは選ばないといけないことも」
わかってはいる。考えるまでもなく、引退するしか現実出来な道はない。でもそこからどうしても、その選択はできない。
相談じゃない、本来なら報告と、挨拶になるべきだった。そしてそうすることが正しい。私はそうすることが正しいと知っている。
「決して手を抜いたわけでも、手を尽くさなかったわけじゃない。トレーナーさんとずっと、勝つために、この場で成果を残そうってやってきてた」
「あぁ、そうだね。君はずっと努力していた。そのうえで……届かなかった」
だがわいてきた感情は、後悔というより、怒りだった。理不尽な怒り。勝てなくて、それでもう出れるレースも何もないと知ったうえで、無駄に足掻いてるだけ。
「でも、決められない、決断できない」
誰も悪いわけじゃない。そういう世界だとわかっていた。だってそうだろ。それを織り込み済みできたんだろ。それを承知で走ってきたんだ。
わがままで、こどもっぽいなと我ながら思う。
「私にあった猶予も、これから先の道も、全部ない。でも、それを……」
もう既に終わってしまった物語だ。思い描いていたものとは違うが、それでも終わった。でも、そのバッドエンドの先に何があるというの?
エンドロールが流れて芝居の幕は下がってしまった。もう私の出番はそこにはないのだ。
「まだ時間はあるから、ゆっくりと悩めばいいと思う。重大な決断だし、急いで決めることでもない。……ごめんね、あんまり力には成れそうにないけど」
「いいえ、すみません、こんな話を、聞いてもらって」
相談というより、問題を先送りにしただけ。私はそれを認められず、トレーナーはそれを察しておいてあえて言わない。
その気遣いでさえ、今は痛い。
「いつか、いつかは、決めないといけないことですから」
そのいつかはどんどん近づいて、目の前に迫ってくる。もう逃げられない。だけど私は逃げようとしていた。
自分で始めた物語の後始末をつける時が来たのだ。現実に目醒めるときが来たんだ。
ただ、それだけ。
***
「トレセーン、ファイ! 『オー!』ファイ! 『オー!』ファイ! 『オー!』」
校舎を出て校門へ歩いていく。トレーニングに励むウマ娘がいる中で、制服姿のウマ娘の姿は少し浮いているように見える。だが誰も気に留めていないのだろう。いつもなら、私もその中にいるはずなのに。集団と切り離された感覚がすこし心地悪い。
賑やかな喧騒と、ターフを駆けるウマ娘の姿。この場所が、私の青春のすべてだった。
やらないといけないことは山積みで、考えないといけないことはたくさんある。ここで時間をつぶす場合じゃないことはわかっている。
視線が一人のウマ娘の姿をとらえる。すぐに逸らそうとして、しかし釘付けになる。一目でわかる、高度に洗練された美しい走り。
私の方が背が高かったのに、今では背も同じくらい、そして流れるような美しい栗毛をたなびかせるウマ娘。
同級生で、ライバルで、幼馴染だったウマ娘の姿があった。もう何年も会ってないが、噂によれば重賞も順調に勝ち抜いて、クラシック最後の菊花賞にも挑戦するらしい。
かつて私たちはライバルで、唯一無二の幼馴染だった。あの時、あの瞬間まで。
思い起こされる記憶。そして投げつけた汚泥のような言葉。
『ねぇ、スノウ』
そう言って何度も俺の手をつかもうとする。何度もそれを振りほどいた。
『なんで!?』
それを何度か繰り返して。ようやく諦めたと思ったら次は涙目で言葉をぶつけてくる。
幼馴染の彼女と、ここに来るまでに、数えきれないほど走って、けんかして、そしてここにきた。
『どうして私のことを避けるの? 私、何か悪いことした?』
『ちがう』
『え?』
『私たちは、ライバルなんだ。友達、そんなんじゃない』
そう言って、睨みつけると彼女はびくりと体を震わせた。実際あの時は私の方が体格がよかったから、やっぱり怖かったんだろうな。
『馴れ合うためにここに来たわけじゃない。勝ちに来たんだ』
トゥインクルシリーズは天才というだけでは勝ち抜けない場所だ。
天才が、さらに血の滲む努力を重ねてようやくたどり着ける魔境。己以外、全員がライバル。全員が敵。
馴れ合いは不要、むしろ、どこまでも勝利を求めなければ、その隙に喰われる。
『だから、もう関わらないでくれ』
『そんな、スウちゃん』
『その名前で二度と呼ぶな!』
あの時の、とても歪んだ口元と、あいつの悲しい目を。私は受け取り損ねた。
『次に会うのはターフの上で、だ。ウマ娘なら、走りで語り合うもんだろ』
そう言って背を向けた。お互いに、必ず勝ちあがって、そしてターフで語り合えるという前提の言葉。自惚れていただけだったのかもしれない。カッコつけていただけだったかもしれない。
『……わかった。そうだよね。私たちは勝ちに来たんだ。私たちは、ここに輝きに来た』
そう言って、伸ばした手を引っ込める。
『絶対、絶対だよ。必ず、また走ろう』
そうしてあの子を置き去りにして。
約束、といってもいいかわからない。ただ投げつけた言葉を受け止めてくれたのだけは事実だった。
そうして私はまた目を背ける。置き去りにされたのは私の方で。
ターフを駆けるその姿は知らぬ間に洗練された動きになっていた。
ウマ娘は理屈こそトレーナーには及ばないが、勘だけは人間はおろか、下手な動物よりも優れていたりする。フォーム、リズム、コース取りやコーナリングの技術。それを理論立てて語ることは出来ない。だが彼女が強いというのはわかる。
(……あぁ、本当に)
才能を磨き、それが開花している重賞ウマ娘。方や未勝利も突破できない未勝利ウマ娘。その間には大きな大きな溝が開いている。
その距離はどこまでも遠く感じる。
周りには多くのウマ娘と、そしてチームを纏めるトレーナーの姿。笑顔と、その中に感じる燃え盛る闘志。私はその輪に入ることはもうできない。私にはついぞそれが出来なかったのだから。
「……くそっ!」
そっと目を伏せる。騒がしさから逃げるように、いつしか走りながら校門から外に出る。
口を噛みしめて、握りこぶしは爪が食い込んでいるほどに。
校門を出ても、なんとなく寮には帰りたくなくて。そのままの勢いで街の方へ走り出す。
また、逃げるの?
そんな声が聞こえた気がした。
でもそんな声も聞こえないふりをして、私はただ走った。
失った物ばかり見ていた。そこには何も持っていない手と、ぼろぼろの靴だけがあった。私はそれを見て、投げ捨ててしまおうと思った。
でもそうするほどまだ弱くなくて、それを間違いだといえるほど、成功してきたわけでもない。
ただ、中途半端な覚悟と想いだけが残っていた。捨てるには余りにも費用をかけすぎた。だけど持ち続けるには邪魔なガラクタだった。
失った物をみて、その手に何もないことを知った。上にあった綺麗な何かを掴むことは出来なかった。でも私はたった一つでも、その手で何かを掴めただろうか。胸を張ってそういえる何かを得たことが出来ただろうか。
答えはいまだ見つからず。時はただ一定に進むだけだった。
あまりないテーマでの小説ですけど、少々お付き合いいただければと思います。
次回。闇の中に沈んだその先に見えたもの。そこにあったもの。
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よろしくお願いします!