星よ、高らかに笑え!   作:にられば

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星の声は闇夜に消える

 

 

 私は私であるために走ってきた。何度も、何度でも立ち上がってきた。

 

 

 それはレースに勝つことで私たちは生を証明する。この世界は強いものが正義だ。誰に言われるまでもなく、議論の余地もない力による優劣、それだけが正しさだった。

 超実力主義の世界はその厳しさと儚さの狭間に、一瞬の煌めきをその場に灯すのだ。

 

 じゃあ、勝てなかったら?

 負けて、そのチャレンジさえも無駄であったのなら?

 簡単な話だ。()()()()()()()()()()()()()

 

 ああ、なんでだろうな。なんで走ってたんだっけ。もうその理由もわからないほど、魂はぼろぼろに削れていく。

 擦り切れた心は考えることを拒む。まぁ、いまさら考えたところでもう遅いか。

 

 なら、私はどうすればいいんだろうな?

 今まで感じたことのない焦り。感情がかみ合わず、空回りしているような感覚。

 

 気づけば周囲は見覚えのない景色に変わっていた。何かから逃げるように、ひたすら走ってきていた。汗ばんだ制服が体に張り付いて気落ちが悪い。

 怖くて、不安で。やっぱりどうしても、その先の未来なんて考えられなかった。

 

「どうすればよかったんだよ」

 

 呟いた言葉は、届くことはなく空気に消えた。

 誰にも届かず、そして答えが返ってくることもなく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 背中をバンとたたかれる。

 

「やぁ、スノウ」

「……あぁ、デイズ」

 

 聞き覚えのある声が私の名前を呼んだ。明るい赤褐色の鹿毛でセミロングのウマ娘。ドリーミネスデイズ。同じ時期にデビューしたが、諸事情により先に引退した同期だった。

 引退してからは進学クラスに移ったため、すっかり会うこともなくなってしまった。だが、同じクラスで共にターフを駆け抜けたその記憶は鮮明に残っている。

 

「辛気臭い顔してんねぇ」

「ああ、ほっといてくれよ。今の私は傷心なんだ」

「そうかぁ、なら」

 

 そう言って手元のビニール袋から差し出されたのは小さな紙袋だった。受け取れば熱く柔らかい物が入っている。袋の隙間から、揚げたての良い匂いがした。

 

「うん? 何これ」

「コロッケ。二つあるから一個やるよ」

「別にいいよ、そこまで」

「いいからいいから」

 

 そういって押し付けられて、何度も断るのも悪いと受け取ると、ほんのりとしたぬくもりを感じた。

 そのまま近くの公園のベンチに腰掛ける。薄暗い空と帰宅する人々の喧騒を眺め、紙袋から出したコロッケを頬張った。

 とても、暖かい味がした。

 

「未勝利お疲れさん」

「ありがとう。結果は、ダメだったけど」

「ううん、いい走りだったよ」

 

 お互いにライバルのようであったが、同時に友人でもあった。先に引退しようとも、共にターフを走った絆は変わらない。同期とはライバルでもあるが、同時に互いの目標でもあり、そして仲間でもある。あの狭きトレセン学園の門を潜り抜けた同志。そこにはライバルという敵意だけでなく、敬意や憧れも存在する。

 ずきりと、痛みとともに幼馴染のことを思い出す。それを私はまた知らないふりをする。

 もう戻らない現実。そして言葉。もしかしたら、こうして語り合った未来もあったのかもしれない。だが、それももう遅い。

 それもコロッケと一緒に飲み込んだ。今となっては何もできない。

 

「終わったよ。これまでの全てが」

「そう。なら、これからは引退して大学進学だねー」

「……うん」

「大変だよー、普通科のクラスに移ったら課題の量めっちゃふえるからさ」

 

 当然ながら、トレセン学園も学校であり、当然の如く授業や試験が存在する。だがトゥインクルシリーズという特殊性故に、トゥインクルシリーズに挑む競技ウマ娘と、現役引退したウマ娘は教育のカリキュラムが異なるのだ。

 端的に言えば、競技ウマ娘の時は走ることに集中できるように最低限のカリキュラムを進め、引退した後などで取らなかった分を巻き返すという方式が主になる。単位制で学位を認定する大学と同じ方式を採用するトレセン学園ならではの方式だ。

 だが、その問題は努力でいくらでもなんとかなる。問題はそこより根本的なところに存在する。

 

「私はまだいたいとは思うけど。このまま在籍するか、地元に戻るかはまだわからない」

「……あー、そっか。ごめんね。なんか悪いこと聞いちゃったね」

 

 トレセン学園は金がかかる。

 全寮制、衣食住すべてを完結させる規模の学園。いくらURAや国の支援があったって無料ではない。奨学金を借りる生徒が大半ではあるが、その背中には期待だけでなく、将来の負債をも背負わされる。

 引退してしまえば、この学園に在籍する意味はない。だから、この場所で夢破れて、泣きながら学園を立ち去るウマ娘だって普通の学校よりずっと多い。

 

「せめて、未勝利を勝ちさえすればよかったんだけど……」

「……」

「あ、うん、ごめん、独り言だから」

 

 ごめんね。そういって気まずくなった空気をごまかすように曖昧に笑う。賞金が手に入れば幾分かマシな問題になったのだろうけれども。

 この場所ではよくある話でもある。負けることも、その舞台から降りることも。

 私たちに選択は委ねられている。逃げ出すことも、挑んであがくことも。そのすべてが。

 

「デイズは、どうしたの?」

「私?」

「うん。引退して、そのあとどうやって進路を決めたのかなって」

 

 気まずくなった空気を誤魔化すように問いを投げかける。

 明日のこと、一年後のこと、将来のこと。これからどう生きていくかということ。誰もが何度も考える問題ではあるが、それを何時かは決めて進みださなければならない。停滞する猶予はあまり残されていない。

 

「私は何にも決まってないんだ。これからどうしようとか、考えたこともなくて」

 

 走ることに精一杯だった。目の前のレースに一生懸命になっていた。周りをいる余裕なんてなかった。いまさら不確定な未来の為に頑張るということに、私は今一歩踏み出せなかった。

 

「そうだよね。私も結構戸惑ったし。みんな毎年悩んでる」

「うん、だから、っていうのも変だけど、何をしたいか聞いてみたくて」

 

 問題を先送りにして、そして決断を背けるために問いかけた言葉。誰かの言葉を聞いて何かが変わるとは思わなかった。

 だけど、何をしたかったのか、何が私を突き動かしていたのか。それさえも今となってはわからない。

 だから、なぜ未来に向かっていきたいのか。なぜ彼女は進むのか。聞けば何かが変わるかもしれない。そういうきっかけを求めていた。私の姿と彼女を重ねていた。

 

「私はね、お医者さんになりたいんだ」

 

 その口から語たられたのは、とても壮大な夢だった。

 

「私の引退した理由なんだけどさ。もともと体が強くなくて、デビューできたのも奇跡じゃないかってくらい弱かったんだ」

 

 怪我に悩まされ、ようやくデビューし、未勝利を勝利。いざこれからという時のオープン戦で脚に異常を感じ競走中止、検査の結果骨に罅が入っていることが判明しそのまま引退。聞けば聞くほど、どうしようもない不運の連続。

 ガラスの脚、ふとそんな言葉が脳裏をよぎった。そうだ。確かに私たちウマ娘の脚は、()()。その脆さ故に、時に命でさえも脅かす。

 

 未勝利どころかオープン競走まで出れるウマ娘は中央でも相当な上澄みだ。話を聞いていてもわかる。ドリーミネスデイズは間違いなく、上位の、輝ける側のウマ娘だ。

 

「ずっとずっと、骨が弱くて全力を出せない。成長してやっと走れると思ったら次は別の場所にひびが入って、このまま走り続ければ最悪、死ぬかもしれないって言われて、それで引退」

 

 無事之名馬という言葉がある。無事に走り抜ければ、それだけで名馬なのだというこの言葉。その言葉が指し示す通り、ウマ娘は競走する中で怪我なく走り切ることは難しい。自分でこう言うのもさ、と彼女は言葉を続ける。

 

「才能や能力も、運もあったと思う。じゃなきゃトゥインクルシリーズに挑むなんてできなかった」

「……そうだったんだ」

「うん。結局デビューして、次に挑戦したOP競走で競走中止で、そこで終わり」

 

 気まずい、というより、彼女のデリケートな問題に踏み込んでしまったという後悔が生まれ出てくる。

 ウマ娘という、走ることと生きることが限りなく結びついた存在。骨折や屈腱炎、そしてソエや喘鳴症。そういった致命的な疾患により競技人生を終わらせざるをえない、あるいはその大半を失われたウマ娘の絶望と、やり場のない憎しみや悲しみの感情は想像もできないほどに深い。

 簡単には解決もできない、肩代わりもできない感情。それを語らせることがどれほどの苦痛か察して有り余る。

 

「あ、ご、ごめん——――」

「でもね、私にとってはとってトゥインクルシリーズに挑むこと自体が奇跡みたいなものなんだ」

「え?」

 

 咄嗟に謝罪の言葉を口にしようとした。だが、彼女の続く言葉が私が想像もつかない言葉だったことで、言葉は完全に霧散した。

 恨みなどなく、そこにあったのは、おおよそ憎しみや絶望とはかけ離れた言葉だった。

 

「走れない私を応援してくれた友達に、家族に、そして絶対に走れるって信じて治療してくれた先生がいたの」

「先生?」

「うん。病院の先生なんだけど、ずっと私のことを担当していて、何度も助けてくれたの」

 

 きっとその先生は、彼女にとって本当に大切な人なのだろう。言葉の節々から親愛やそれを超えた何かを感じた。

 

「走りで示す。それが私のできる唯一の恩返しだと思っていた。そうすることが私の走る理由だった。だけど走ることは出来なくなった」

 

 その覚悟は、きっと彼女が受け取った感情や想いがそうさせたのだろう。きっと誰もが善意で彼女のことを助けた。ガラスの脚を走れるように、それは例えるなら薄氷の上を走らせるかのようなぎりぎりで、命を懸けた戦いだろう。

 

「だから受け取ったその分、走りたいのに走れないウマ娘を助けたいんだ。沢山の想いを、善意を受け取った。だから、その分をたくさんのウマ娘のために使いたいんだ」

「———そうなんだ」

 

 走りたい、でも走れない。体がそれを許してはくれない。負けて、勝てない上に、脚の不安から引退をせざるを得ない。なんという悲劇だろうか。

 だけど彼女はそんな想いを、熱い思いを。彼女は彼女なりに昇華することを選んだ。

 立ち止まらざるを得ない。だけどそれでも進んだ。考えて、何度も決意をして。

 

「すごいな、そんな思い抱えて、ターフに立ちたいなんて思って。でも次に繋げて進んでいけるなんて」

 

 ふと、そんな言葉が口から出ていた。

 

「なんにもないな、私。今だって、最後の最後ああしてたら、とか。ずっと後悔ばかりしてるんだ」

 

 私の中にある小さな夢。ちっぽけな思い。それらがすべて、陳腐で些細なものに思えて仕方がなかった。今までの私は、彼女のような、誰かのためにという思いなど持っていただろうか。

 そこに示された自分の小ささと幼さに、嫌悪の感情が湧いてくる。

 立ち止まっているのは私のエゴでしかなく、負けたあの瞬間から結局何も変わらないままずっとこうやって()()()()()()()()()なのだから。

 

「恨んでばっかり、愚痴ばっかり。変だよね、ずっと頑張ってきて、それでも届かなかったんだ。ここはそういう場所で、私はそれを納得して受け入れてここにいたはずなのに。普通なら納得してしまえることなのに」

「そんなことないよ」

「あるんだよ」

 

 しまった、と思ったときにはすでに遅かった。棘のついた言葉がまた突き刺さる。

 

「ごめん、その」

「いいよ。その気持ちは、よくわかっているつもり」

 

 しかし、彼女は怒らなかった。否定もせずに受け入れてくれた。

 そしてまた語りだした。今度は静かに、だが裏打ちされた熱量があるのを感じられる言葉だった。

 

「私にとって私自身と未来を信じることは、とても大切なことなんだ」

「自分自身と、未来?」

「そう。もう二度と全力で走れないことが分かったとき、私も何度も泣いたし、何度も先生やいろんな人にひどい言葉をぶつけたりもした。……今でも後悔してる。でもあの時はそうするしかわからなかったんだ。どうすればいいのかも、何もわからなかった」

 

 彼女の感情を推し量ることはできても、結局は想像でしかわからない。言葉は万能だが、その痛みを真に私は理解はできない。その振る舞いと言葉を前にして想像するしかない。

 その痛みの程度や苦しみは、体験した本人にしかわからない。その人の今までの生、今までの感情や生き方。そのすべてがその瞬間の感情を形作るから。

 それでも胸を締め付けるような感覚だった。彼女にとっては想像よりももっと苦しく、辛い経験だったのだ。それでも、彼女は()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だけど、そんなことばかりしても未来は良くならない。何度でも転んでもいい。だけど歩みだけは止めないでって、そう言われたんだ」

 

 絶望を知り、生きる意味やなぜこの場所にいるのかさえもわからないほどの出来事。その中で彼女は進むという選択が出来た。

 折れてもなお、進もうとする。絶望に立たされながらも、己の進む道を切り開こうとしている。

 

「後悔したときにはもう遅い。思考を巡らす暇でさえ惜しい。なら、失う前に取りこぼさないように進むしかない。そうすることしかできないんだから」

「……強いね、本当に」

 

 私は何度も潜り抜け、走り抜け、でもその先に、光の中にたどり着くことはできなかった。

 いまさらどこに行こうというのだ。走ることしかなかった。走ってきて、青春なんてものも全部捨てて。

 進んだ先が何にもないかもしれない。今まで来た道がすべて無駄かもしれない。走るのを辞めるということは、自らの覚悟でそう決めることは、とても勇気がいるのに。

 彼女のいうことは正しい。きっと前に進むべきなんだ。そうしないことには何も終わらないし、始まらない。

 でも。それでも。

 こうして躓いて、後悔してぼろぼろになったのに、私はまた進まないといけないのか。新たな道が正しいのかもわからないのに。何が正しいのかもわからないのに!

 そうして私はまた立ち止まってしまう。貴方はこうして進めたのに、私はこうしてうじうじするしかできないんだ。

 

「わからないんだ。この先が正しいのか。怖いんだ。また間違うのが」

 

 脳裏に浮かんだのは、幼馴染で、輝くウマ娘のあいつの背中。最後まで追いつけなかった背中。

 結局は、どうしてもその一歩を踏みだせない。貴方みたいに強くなれない。私は弱いから。

 

『いつか、ターフで語り合うんだ』

 

 ふと思い出すのは、かつての約束。それは間違いの証だ。果たすことを前提にし、結果、私はそれを達成できなかった。間違えたばかりにその言葉は偽りと間違えた私の象徴として、心の奥底に刻まれている。

 

「やっぱり、私には無理だよ。間違いだったのに、それを受け入れて新しく進むなんて、できないよ」

 

 進むこと、それが今はたまらなく怖い。

 だけど、前の友はそんなことも見透かしたかのように微笑む。それは、記憶にある共に走った日々よりも、ずっと大人びていた。

 

「間違ってたなんて思わないし、誰もそんなこと言う資格なんてないんだよ。だってスノウは頑張ってきたんじゃないか。それだけは確かに間違ってなどいなかっただろ」

「そんなの……結果を残せなかったのなら意味がないよ。そうして正しいのかわからない道を歩いていくなんて……ごめん、今のは、良くなかった」

 

 言って、それが私だけじゃなく、目の前の彼女やほかのウマ娘を侮辱する発言だと気づいた。

 だが、それは偽りのない本音だった。私はずっと苦しかった。無駄で、それが切り捨てられることが。間違ったまま、声すら届かず、消えてしまうのが。

 

「いいんだよ。大丈夫」

 

 だけどそれも、また彼女は受け入れた。とても仄暗い感情だったけど。彼女は受け入れた。受け入れてくれた。

 

「いいんだよ、間違えても、また進みなおせばいい。引き返せばいい。何度だってやり直せばいい。私たちにはそれが許されているんだから」

 

 その言葉の裏に、どれほどの苦悩があったのだろう。想像もつかないほどの苦しみ、そして涙を流し続けたのだろう。わかっている。その優しさも、そして気遣いやぬくもりも。

 だけど、私はやっぱり———決められない。

 その気持ちを受け取れず、そして結局間違えたままの現状を維持することしかできない。

 

「ありがとう、いろいろ聞いて」

「いいよ。このくらいお安い御用さ」

「……でも、ごめん。やっぱりまだ決めれないや」

 

 誰でもターフに立てば独りなんだ。たった一人で戦わなければならない。

 どれほどトレーニングを積み、戦術を練り、いくら準備をしようとも。その瞬間は本当に一瞬で、そしてもう戻ることもない。

 決めること、選択すること。そうすることで、何かが変わる。そして何かを切り捨ててしまう。

 

「怖いんだ。このまま何もできないままなのが。決めてしまえば、もう戻れない。帰ることも叶わない」

 

 ぞわりと、前進に鳥肌が立つ感覚があった。身体を包み込むように腕をとる。まだ季節は夏のはずなのに。どうしてかとても寒い。

 

「取りこぼしたんだ。何かを置き忘れて、忘れて、そのまま進んでしまえばきっと私は、私じゃなくなる」

 

 強いものが正しいと、正義だというのなら、きっと私は間違ったのだろう。力なき正義は無力だ。だったら正義でさえも持ちえない私は、むしろ何が間違いじゃなかったのだろう。何か一つでも正しいものなど、持っていただろうか。

 この感情も、想いも。誰もそれを救えはしない。そして肩代わりもできない。

 

「みんな怖いさ。見えない未来を行くことは恐ろしい。一人で歩む道は孤独でとてもつらい。だけど周りには助けてくれる人が必ずいる。だから、恐れないで」

 

 その声が聞こえて、私は包み込まれる。私以外の体温を感じる。抱きしめられていることに気づいた。

 私はそれに戸惑いと、少しだけの恥ずかしさを感じていた。なぜと声を出すより前に、その答えが静かに囁かれた。彼女なりの気遣い、そして私の呟いた言葉に、彼女なりに答えてくれた。

 のぬくもりは確かに暖かい。最後まで彼女は優しく私の話を聞いてくれた。その優しさが、いまは少しだけ、ありがたかった。

 

「ごめん、ありがとう」

 

 時間はあっという間に過ぎていく。いつの間にか日は沈み、街灯がなければ顔さえ見えないほどの暗さになっていた。

 するりと手が離れ、彼女は立ち上がる。

 

「じゃあ、そろそろ帰らなきゃ」

「うん、じゃあ、また」

 

 ベンチから立ち上がり、人の中を私たちはすり抜けるように歩いていく。お互い無言だった。

 彼女は立ち止まって、振り返る。帰り道はこっちだからと、彼女は駅の方へと行く。

 私は声をかける。ほんの少しの勇気を込めて。

 

「私も!」

「ん、どうした?」

「私も、怖いけど。だけど、進めるように、頑張ってみる」

 

 そういうと、彼女は少し笑って「頑張って」と言った。

 

 彼女が踏切を渡った少し後に遮断機が下がって、電鈴が鳴り始める。手を振る姿に、私は手を振り返した。少しの間があって列車が高速で走り抜ける。長い編成の車両が視界を奪っていく。

 

 列車が去った後、彼女の姿は既になかった。

 私はそれに背を向けて歩く。力は抜かないように。決して忘れぬように。

 

 弱い私が、それでも少しずつ、進んでいけるように。

 

 

 




いつもの帰り道。辿り着いていく先にあるもの。


4話くらいで終わる予定が文字が増えまくってます。
少々長くなりそうですが、お付き合いくださればと思います。
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