星よ、高らかに笑え!   作:にられば

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雲の切れ間で明日を見るまで
飽くる日は 夜 夜 夜 夜
裏で泣く表 誰しもが順番でうまくいくなんてない
再起 再起 再起したい

Stream (feat. hirihiri) / somunia




暗闇に何が見える

 

 

「スノウは真面目だねぇ」

 

 そう言って、前のウマ娘はつまらなさそうに机の上でペンを弄んでいた。つまらなさそうに問題集を広げる彼女のノートは、数十分前から何も変わっていなかった。

 

「今までの分を取り返さないと、後々困るでしょ」

「ま、そうだけどさ」

「中間テストだってあるし、模試もあるんだから」

 

 そう言っているのを聞いていないかのように、目の前のウマ娘は手つかずの問題集を放っておいて気だるそうに外を見る。

 蒸し暑い教室に残っているのは、私と、前に座る同期のフレイシュタットの二人だけだった。風が入る窓の外には、厳しい残暑と、まだ夏の気配が色濃く残る景色があった。

 中央トレセンには部活というものがない。トゥインクルシリーズ自体が部活のようなものであるし、単純に走ること以外を掛け持ちできるほど、甘い世界ではない。

 現役を引退してしまえば、放課後はすべて空き時間になる。補習を受けるも、帰宅するも遊びに行くも、何をするにも自由だ。何をしてもいいし、何もしなくてもいい。

 

「今更頑張っても、どうしようもないでしょ」

 

 何かを言うと思えば、フレイの口から出たのは諦めたような、疲れ切った声だった。そしてさも当然の事実を述べるように平坦だった。

 

「こんな時間も、もう意味ないし、別に何かしたいわけでもないし」

 

 ぼんやり外を見る彼女に釣られて外を見る。

 そこには、ターフの上に立つあいつの姿があった。かつての隣、そして今はもう届かない背中。ずきりと、心が痛みを訴えた。

 

「報われないんだ。どんだけ努力しても、どんだけすりつぶしても、あれには勝てない。私はあれにはなれない」

 

 フレイが何事もないかのように呟いた。

 その言葉はシンプルに、的確に私たちのことを示していた。それはもはや語るに値しないありふれた事実だ。

 私はその現実から逃げるようにして目の前の課題に向き合う。それが現実逃避に過ぎないとしても。私は、いまだ残る感情に蓋をして、見ないふりをする。

 

 未勝利は終わり、いつの間にか時間は過ぎ去っていく。ここにいる誰もが普通の青春や、放課後の友達との語らいも全部切り捨ててトゥインクルシリーズに挑んでいた。全てを削って、捨てて、ターフに立ってきた。

 

「ここに来たのも、トゥインクルシリーズで輝いてやりたかったんだけど……ああも天才の差を見せつけられるとね」

 

 そう言って彼女はまた、ペンを弄ぶ。

 地元では天才と呼ばれたウマ娘が、ここにきてもモブにすらなれない。よくある光景だ。いくらでもいるモブウマ娘の話はここでは日常だ。

 

「勉強しないといけないのはわかってんだけどさ。テストや模試を受けるのも。でもな、もう何の意味もない。負けちまったら終わりなんだから」

「……それでも。やらないといけないんだから」

「それも、どうせ()()()()()()()()()()()()

 

 どこか冷めた目で私を見る。そこには持っていた熱も既にない。諦めてしまった者の目、昏く淀んだ目をしていた。

 多くの新星(ニュービー)はいずれ地に堕ちる。それでも残った何割かだけが、かろうじて光り輝くことが出来る。そういう世界だ。堕ちてしまったものは再び空に舞い上がることはできない。

 

「みんな辞めるよ。誰も残んない」

 

 天才が集まり、その中でさらに一握りの天才しか輝けない世界。この場所に踏み入れたが故に己を磨り潰し、その強大な輝きに吸い込まれ、星はいつしか冷めきって輝きを失う。

 だけど、まだ。私たちには残されている。競技者としてではない、地球の行為者としての。

 

「……まだ、終わってないよ」

「はぁ? 何が終わってないんだ」

 

 走りに打ち込んで、そしてそれ以外の道を歩もうとする。私の意思で選んだ道じゃないとしても、それを拒否してしまえるほど愚かではない。力のないものが居座れるほどここは甘い世界じゃない。

 だけど、まだこの先に進むことが出来るはずなんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「きっと、それ以外の道があるよ。レース場とかさ、スポーツ関係の大学の推薦枠だってあるし……選べるよ、まだ道はたくさんある」

 

 サポート科や専門学校、大学への推薦枠など、意外にも充実した支援体制がここにはそろっている。

 

「ふーん。そっか。()()()()()()()()()?」

「……それは」

 

 だからといって、夢を諦める理由になるわけじゃない。

 

 必死で目をそらして、そして頑張って諦めて普通に生きていくのは悪いことだろうか。それは間違いだろうか。いいや、きっと正しい。その道は間違いなんかじゃない。

 

 そんな思いを簡単に諦められるのだろうか。納得して、受け入れられるだろうか。

 

「まだ終わってないなら、この先に何があるの?」

「この先には、きっと……」

「どうせ、まだ諦めきれてないんだろ。まだターフに立ちたいって思ってるんだろ」

 

 咄嗟に言葉が出ない。上辺だけ納得したふりして覆い隠しても、本質は変わらない。

 

「だけど、何もないんだよ。私たちは輝けないんだよ。どうせこの教室もなくなる。今までと同じだ」

 

 その声は教室に響いて消えていく。

 教室の中は伽藍としていた。私たち二人以外にはいない。すでに下校時間を過ぎているのもあるが、これが日中でも教室一杯に人数が入ることはもうない。

 心が折れて、そしてそのまま戻らなくなった。怪我で退学、ローカルシリーズに移籍。理由は様々だが、誰もが一度はここで夢をかなえようと来たものばかりだ。それが結果として実を結ばない。そしてその多くが学園を去る。教室が一つなくなるほどに。

 居座り続けるという愚かな選択の先にある末路は悲惨だ。過去に学ばない、そして自分の狭い視野と思考に偏った判断に、どんな正当性がある?

 

「諦めれない、その気持ちもわかるけど。スノウも割り切ったほうがいい。無駄な努力をするよりもっと有意義なことした方が絶対にお得だって。いつまでも夢見れるほど、私たちは強くもないんだから」

「無駄だなんて、そんなの」

「いつまで子供みたいなこと言ってんだよ」

 

 その言葉はあまりにも鋭かった。そして間違いのない事実だった。いらだっているのか、彼女の耳は後ろに絞られていた。

 ああ、その通り、知っている。そこから逃げても、目を背けても。目の前にあるものから逃れられない。 

 

「終わったんだよ。さっさと目を覚ませよスノウ。希望や未来なんてのはあそこにいる限られた奴らが掴めるもんなんだよ。……あたしたちは負けたんだよ」

 

 ああ、そうだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だけど、それで諦められるほど大人じゃない。私も、フレイも。

 

「まだ、終わらない。終われないんだ……私も、あんたもそうだろ」

「だとしてもだ。もう未勝利はないんだよ、いつまでもしがみ付けないんだ」

 

 もう走れる場所もない。走るための理由も、ちっぽけな約束ともいえない何かだけ。

 大層な理由も、正当化するだけの力だって。何も持っちゃいない。

 フレイは大きなため息をついて、あきれたように首を振る。

 

「あんたみたいな大バ鹿を見てると、イライラしてくるんだよ。現実を受け入れられない餓鬼が」

「それでも、約束のため、小さいときのちっぽけな想いのためだけに走る大バ鹿がいるんだ」

 

 きっと、彼女にも走る理由があったはずだ。譲れない、諦められない何かがあったはずだ。でもその熱も、思いも彼女の中には既にない。

 

「この場所にいる意味、走る理由。誇り。みんな背負って、そして抱えたまま消えていくかもしれない、でもそれは無駄じゃないんだ」

「そうやって自分をだまして、何もこの手に残んなかった。それでも意味があるのか?

その自己満足に、なんの価値があるんだよ」

 

 そう呟くフレイに、私は何も言えなかった。

 私と同じ、未勝利にすら勝てなかったウマ娘には、大体が学費ローンとぼろぼろの体だけが残る。

 そして、掴めなかった夢、目標。想い。それを抱え、燃え残ってぼろぼろになった心だけが残る。それをもって彼女らはこの場を去っていく。涙と共に、あるいは絶望を抱いて。

 

「残ったのは、馬鹿みたいに走っただけの自分。他は何にもなかった。落として、つかみ損ねただけだ」

 

 この場所は、志が折れた者には地獄となり果てる。夢とその煌めきに魅入られ、だがそれを掴むことが出来ないと知ったとき、彼女たちは死んでいく。だが、それでも生きねばならない。道を歩まなければならない。

 そこには、希望なんてないのだ。

 

「私だって。勝てなくて、ずっと負けてばかりだけど、だけど私が私でありたいから。走るのを辞めたら、私じゃなくなるから」

 

 私はそれでも走りたいと願うのだ。それは私にとって大切なことだった。

 

「約束したんだ、いつかターフで走ろうって。勝負しようって」

 

 ターフを走る姿が、きっと届かぬものだとしても。それを置いていくなんてできはしない。そうしてグラウンドに目線を向ける。

 

「そんなの、スノウの詭弁じゃないのか」

 

 静まり返る空気。まるで急に凍ってしまったかのように、揺れた瞳は今はもう動くことはなく、揺れる心は動くことなくただそこにあった。

 無駄だよ。と、誰かのいった言葉が思い出される。ああ、そうだな。もう、今更何が出来るんだよ。だって、()()()()()()()()

 

 でも何かを言おうとして、私は言葉が出なかった。フレイは興味を亡くしたかのように片づけ始める。

 

「どうせ相手もそんな約束覚えちゃいないよ、私たちなんてだれも見向きもしない」

 

 そういって、カバンを担いだフレイは開け放たれたドアの先に消えていった。

 風が入り込んでくる。風に乗って喧騒が聞こえる。

 

「あぁ、知ってるよ」

 

 そこに、誰にも聞かれない独り言が混ざっていく。

 

「知ってるさ、そんなこと」

 

 いつか終わるものだとしても。それはきっと今じゃない。そういって私はずっと走ってきた。

 

 

 無駄だったのだろうか。間違いだったのだろうか。

 だとすれば、どうすればよかったのだろうか。

 

 

 ***

 

 

 夏はあんなに明るかった夕方も、段々と日は落ちてきて、そして気づけば空は暗くなっていく。

 今年も秋はなく、すぐに寒くなっていくのだろう。そう思えるほどにはこの街の気候にも慣れてきた。

 

 未勝利の後、私たちの多くはこの場所に残らず皆辞めていく。失意と共に涙を流す者。あっさりと何食わぬ顔で出ていく者。何も思わず、それを見送るもの。他人のことに気を駆ける余裕なんてない。私たちにとってどうしようもないほどの事実の中、選択をしたものからこの場を離れていく。

 

 だから、私も決断するべきなんだ。

 

 夜になるころ、私はトレーナーと過ごしたチームの個室の前にいた。

 引退するために。そのことを伝えに。時間はもうないのだから。

 

 窓から見える暗い部屋は、人の気配が全くしなかった。ドアノブを握って、その時私はどうしてもノブを回すことが出来なかった。

 たぶん、この場所には誰もいない。その間はいいだろう。でも誰かが入ってきた瞬間に私は終わってしまう。だってそういうことだから。

 

「また、逃げるの?」

 

 逃げて、先送りにしても何も変わらない。そう思って私は少し間をおいて、扉を開けた。

 

 空調の聞いた部屋の中は無人だった。机の上にはいくつものファイルと書類が散乱していた。ノートPCとモニターと、数々の書類にファイル。ここには比喩抜きに、私たちのすべてが詰まっている。

 そのすべてが私を勝たせるため、勝ち取るために。そのための努力の跡だった。そしてその結果はいったいどんなものだったか?

 いつだってリフレインする。あの瞬間、あの時のこと。

 

 

 結果が全てだし、どれだけ望んでも戻れない。だとしても。もう一度、やり直せるのなら。

 

 

 誰もいない部屋の、小さな机と椅子。そこに腰掛けてカバンから一枚の書類を出す。空欄は一つだけ。自分の名前の書かれた契約解除の同意書。

 これに担当トレーナーのサインがあれば、書類は受理される。

 

 そして、私のトウィンクルシリーズが終わる。

 

 少し寒くて、椅子の上で膝を抱えるようにして体を丸め込む。

 その寒さは、自分自身の羞恥であった。思い出すのはあの時の言葉。結局あいつを同じ舞台に立つことはできなかった。

 

(また、逃げるの?)

 

 そしてそれは裏切りでもあった。彼女と同じ舞台に立つという自信と力があったはずなんだ。しかし、それを私は果たせなかった。ただそれだけだった。

 

 そして、それを言い訳にして無様にこの場所に居続けているだけ。そんなフレイの言葉が突き刺さって抜けない。

 

(そうやってまた目を逸らすの?)

 

 全部わかっている。約束も、そしてこの場所にいることも。

 

「わかってるよ、全部わがままで、意味なんてない……」

 

 言葉は誰にも届かない。電気もつけない部屋は暗く、そしてその言葉を吐く私の行動も、意味なんてない。未来に繋がらず、時間をただ浪費するだけ。

 膝にうずめた顔から何かが溢れ出てくる。

 

 後悔だろうか、それとも別の何かだろうか。長々と考える言葉に、果たして誰が価値をつけるのだろうか。

 

 

 ***

 

 

 どれほどの時間が経ったのだろう。誰かの気配で意識が覚醒する。

 部屋についた明かりに照らされる。

 

「……スノウ、どうしたの?」

 

 驚いた顔のトレーナー。時間はそれほど経過してなかったようだが、たぶん少しだけ、意識が飛んでいたのだろう。

 きっと今はひどい顔をしている。目を向けないで、私は俯くだけだった。

 

 終わりだ。ついにその時が来たんだ。でも、せめて終わる前に答え合わせをしたかった。

 

「トレーナー」

「うん?」

「私は、正しかった?」

 

 質問にしては言葉足らずで、問いかけにしてはあまりにも抽象的。

 言葉は断片的につらつらと零れ落ちる。整理もなにもされていない、バラバラな言葉が口から垂れ流される。醜い言葉の羅列はとても聞き取りずらい。それでも吐き出したかった。何かを聞きたかった。

 

「……私は何かになりたかった。でもみんな、天才だった。私はこの場所では凡人だった」

 

 そうしないと、壊れてしまいそうだから。

 

 この道は間違っていないのか、と。私は正しい道を歩めているのか、と。

 その疑問は、きっと己の脚で解決するべきなのだろうということもわかっていた。だが、結果として証明できなかった。私は結果を残せずに、この場を去る。

 だって、そういう決まりだから。そういうルールだった。

 

「私の代わりなんて、誰かがきっとやってくれる。なら私はどうすればいいの」

 

 かつて私は強かった。だけど、この場ではそうじゃなかった。努力の違い、才能の違い。血統の違い。言い訳なんていくらでも思いつく。

 

「一瞬でもいい。私はわたしであること、その全能感。私はその時が好きだった。走っていればそれを感じることが出来た。走ることは私のすべてだった」

 

 ウマ娘という神秘、その魂、ウマソウルといわれる、私たちの名前と共に授けられるそれは私の原点であり、そしてすべてなのだ。

 それが燃え尽きるとき、そして残り滓となった灰でさえ消えてしまえば、その大部分を占めていた場所に残るのは虚空。何をもって私はそれを埋めればいい? 何を信じてそれを埋めればいいのだ?

 

「証明したかった。私の存在を世界に刻みたかった。ここに私がいた証を遺してやりたかった」

 

 私は、ここにいた。この場所で私は私でありたかった。

 そう思えば思うほど、孤独だった。

 

「でも、もうわかんないんだ。何をしたかったのか、これから何をしたらいいのか……わからないんだ」

 

 何も掴めなかった。そして、そうであることを諦めることが出来るほど、私は器用でもなかった。

 そうでなければ、とっくに決断していただろう。きっと割り切って前に進んでいただろう。

 でもそうじゃなかった。

 

「そっか……ありがとう。話してくれて」

 

 そう言って、トレーナーは私の肩にジャージを掛けてくれた。その時、私は震えていたことに気づいた。

 寒さだけじゃない震えだった。それは恐怖だった。私の言葉にどんな答えを返してくれるのか、それが怖かった。

 

「きっと、正しさは一つじゃない。意味や価値は絶対ではない、と思う。それは時代や時の流れで容易に変わりうる。だから、何かになろうとしなくてもいい。誰かの決めた正解に自分自身をはめることはしなくてもいい。君自身がその生き方を肯定してしまえばいい」

 

 向かいの机に座ったトレーナーは私と向き合う形になる。そうして私に語り掛けた。

 私と共に駆け抜けた一年半。トゥインクルシリーズを駆けようといってくれたトレーナーは、私の言葉に真剣に答えようとしていた。

 その言葉はきっとトレーナーなりに向き合って出た言葉だ。そして私のために紡いだ言葉だってことも感じた。きっと、誰もがそうやって受け入れて生きているってこと。

 

 だけど、その答えは私の輪郭を浮き上がらせるだけで、私自身の心の中を照らしはしなかった。そうだ。望んでいた答えは人からは与えられない。

 同じ問いかけをすれば、きっといろんな人が同じようなベクトルの言葉を私に投げかけるだろう。

 

「きっとこれからの長い人生で、君はきっとその納得できる正解を見つける。今はまだ納得できなくても。ゆっくり、探してみればいい。それが許されるのはきっと今だけだから」

「……そんなこと」

 

 あぁ、知っている。誰よりも私自身が。何度だって聞いてきた、何度だって信じてきた。

 

「私は私であればいい。自分を信じろ。本当に、何度も聞いたよその言葉」

 

 輝くために、地面を蹴って、前に進んで。その先には、何が見えた?

 

「私はすべてをここに捧げたんだ。何度だって吐いて、眠れない夜も涙も声も、全部、全部走ることに使ってきた! なのに……なんにもなかった」

 

 それでも席は限られる。結果は過程を肯定する。だが、その過程が結果を保証するとは限らない。むしろ望んだ結果を得られないことの方がずっと多い。嫌というほど見てきたし、それを私は知っている。

 だが、そのために費やした時間、そのために走って、犠牲にした数々。それは紛れもない今の私のすべてだった。いつか、その日々は日常に逆転され、数ある過去の一部に消えていく。構成された世界の一粒になっていく。

 だがそれは今じゃない。なら今の私は、いったいどうすればいい? 今、この瞬間を、私はどう生きればいいのだ?

 理解していただろう、納得していただろう。知っていたはずだぞ、こうなること。

 だけど。

 

「信じて、突き進んで、その先に何もない! 煌めきに目がくらんで、そうして斃れて、じゃあどうすればいい?」

「スノウ」

 

 耐えきれずに叫んだ。小さな部屋に声が響き渡る。ああ、醜いな。でももう戻れない。その言葉の裏、心の奥底にあるのは、本当に泥のような、汚い黒い感情だ。

 聞いておいて、そして答えてもらって、それなのになぜこんなにも悲しいの?

 

 なぜこんなにも、怒りが抑えきれないんだろう。

 

「自分自身を信じればいいなんて、そんなの勝ち残った側のエゴじゃないか……! ガラクタみたいな生き様晒してなにが!」

「スノウ!」

 

 何度も繰り返し問うてきた。間違いじゃない。間違ってなんかない。だからその証明するんだ、と。でもあと一歩、その一歩が果てしなく遠い。

 

「だめ、それ以上はいけない。どうか自分を責めないで、貴方自身を責めないで!」

 

 強く、強く抱きしめられる。その抱擁でさえ、ぬくもりでさえ、唯今は空虚に感じる。

 

「私が悪かったんだ、貴方を勝たせてあげられなかった。貴方をもっと高みに連れていけなかった私が」

「やめてよ」

 

 驚くほど、冷たさと敵意に満ちた言葉が出た。出てしまった。

 既に涙と怒りと、ほかのいろいろな感情がごちゃ混ぜになってしまって、それでもなぜかそれだけは許せなかった。

 今までの信頼、それを一気に崩してしまうほど、その言葉は、今の私にとって一番不快な言葉だ。

 

「何もない、何も残ってないのに、その負けた痛みまで、奪ってしまうの?」

「いや、ちが——」

「今が私のすべてなんだよ。未来のことなんて聞いてない、今この瞬間をどう生きればいいのかわからないんだよ」

 

 私が私でありたいという願い。走ることと強烈に結びついたそれは私のすべてといってもいい。だから、それが()()()()ことは、私が私であることの否定なんだ。

 いろんな感情が煮えくり返りそうだ。私が私であること。それを証明しないで、どうすればいい?

 

「わかんないんだよ、正しかったのか、間違っていたのか。私の中の、何がおかしかったの? 何がダメだったの?」

 

 トレーナーは黙って私の言葉を受け止めていた。

 

「スノウ、貴方は、いったい何を求めてるの?」

 

 静かに問いかけられる。そうだろうな。きっと意味が分からないと思う。いきなりきて、支離滅裂にしゃべって、結局泣き出して。われながら最低だ。

 でも、私が私でありたいという、その衝動だけが私のすべてだった。

 それだけしか、もう残ってない。

 

「これから、どうしたいの?」

 

 そんなの、もう決まってる。そうであれと己を律して、それすらもできないのなら。

 

「何にもしたくない。何もできない、私は()()()()()()()()()()()()()

 

 言葉を吐き出すごとに、胸焼けするような不快感がこみ上げてくる。意気地なし、そしてその勇気もないから他人に押し付けて。

 でも私は()()()()()()()()()()()()()

 

「だから()()()()()。もうお前は終わりなんだって。もうこの先もないと、私に示して」

 

 私のすべてを知るトレーナーの言葉で、その言葉のすべてで私を壊して欲しい。

 

「理想などないと、愚か者だといって断罪して。もう負けたんだ、負け犬の私は嫌なんだ。だけど、このままじゃ進めないんだ。そんな勇気も覚悟もないんだ。だから」

「そんな……何を言ってるのよ」

「こんな中途半端な思いを抱えて生きるくらいなら、ウマ娘としての私を殺してよ。私を普通の、ただの呼吸するだけの物にして」

 

 私はトレーナーの手を静かに私の首にもっていく。ひんやりとした手が首に触れた。トレーナーは驚いたように目を見開く。

 すぐにひっこめようとする手を、私は掴んで離さない。人間がウマ娘に勝てるわけがない。その手を私は喉に食い込ませる。

 

「前に進めないんだよ。どうしても。私は決断できないんだ。もう何もわからないんだ」

「なぜ、そんなに責めるの……まだまだこれからなの、未勝利は勝てなかった、でもその先にまだ道は続いているのに!」

 

 どうして、なぜ。そんな真っ当な理由や言葉が出てくるほどにはこの人は善人なんだろう。

 きっとこの人も、報われて、努力が裏切らない人生を生きてきた人なんだろうと思う。中央のトレーナーライセンスの難易度の高さを知らない人はいない。その狭き門を潜り抜けた人達は例外なく優秀で、素質があった人ばかりだ。そしてウマ娘のことを考えられる善人だ。であるから、たぶん私たちのような堕ちてしまった者のことは、真の意味で理解できない。

 名門で、恵まれた環境の中で生きてきた人に、何もかも足りない苦しみも、もどかしさもわからない。

 

「どうしてそんなに自分を否定してしまうの?」

 

 その瞳は揺れていた。動揺して、混乱している。きっと教え子にそんな風にされてしまうことが理解できないのだろう。

 

「まだ、終われないんだ。またいけるんじゃないかっていう物語ばかり見てるんだ」

 

 再びチャンスが降ってくる。そんな都合のいい話なんてない。わかっていても、それを求めてしまう。

 否応なく来る明日を見つめることもできない弱い自分。それがたまらなく嫌いで、どうしようもないほど私自身だった。

 

「私は私の手で道を選び取る、そんな勇気も何もなかったんだ。弱くて、みじめでそれでも私は強くありたかった。だからずっと戦ってきた」

 

 首にかけた手が緩む。トレーナーの手が離れていく。

 後に残ったのは、後悔と羞恥だった。言っていることは最低だ。私の代わりにあなたが決めて、と。私にはその勇気もないから、貴方に殺してほしいと。

 誰かのせいにしてしまいたい。結局その一言に尽きるのだ。いつしか現実を直視することも辞めてしまって、それでもどうにか足掻いている。

 

「つらい、苦しい。終わったのに、まだ私の中に続いてるんだよ。()()()()()()()()()()()!」

 

 ずっと私、私のことしか考えてないじゃないか。呆れるほどに気持ちの悪い自分語りだ。

 それでも私はまだ私でありたいと、走りたいと願っているんだ。

 

「前を向け、進め、いつかきっと糧になる。言葉は違えど語ることはみんな同じだ。その痛みも、苦しみも、誰も私のことを知らないで!」

 

 でも、それに蓋を被せて誤魔化していけるほど、強くなかった。割り切って考えられるほど要領よく生きていけなかった。何もかもが足りなくて、何もかもがもう手遅れだった。

 

「誰かのせいにして、私は弱いからって言い訳して。本当に、言い訳ばかりだよ」

 

 そう言って、私は床にへたり込んでいた。視界はぼやけて、惨めな思いが決壊していく。一度崩れてしまえば止まるところを知らないかのように感情は溢れていく。

 自問自答を繰り返して、何度も何度も考えた言葉も出してしまえば陳腐で、気持ち悪いほどエゴの塊だった。誰にも伝わらない。わかってくれないかもしれない。

 何にも変わっちゃいない。そこにはただ吐き出したエゴの塊のような言葉があり、無理やり叩きつけた暴力に似た言葉があった。

 ふんわりと、優しい香りがした。

 

「貴方のために、私は何が出来たのかしら。貴方のその孤独は、私では埋めることはできなかったのかしら」

 

 とても優しい抱擁だった。壊れるものを扱うかのように、恐る恐る、でも確かにつかみ取るように。

 私の中に、どうすればわからない焦りと、それにミックスされる悲しみと諦めが渦巻いている。

 誰かにとってはどうでもいい、取るに足らない何かでも。

 

「全てを信じろ、なんてこと、簡単には言えない。信じるのも、進んでいくのも、とても勇気のいることだから」

 

 だから、泣かないで。そう言われて抱きしめられた。

 

「私はあなたのトレーナーなんだから」

 

 ああ、そうだ。この人は私のトレーナーだ。

 私にとっては大切な何かが、もう届かないと知った。絶望だった。私の生きてきた時間のすべてが無駄だったのに、これからまた一歩づつ歩いていくことがとても寂しくて、辛かった。

 

「強くなりたかった」

 

 この場所は暗くて、さみしい。あまりにも冷たい。だから強くなりたかった。強ければ報われる。強い私。それはみんなが私を見るときに語った言葉だ。そうでなければならないのだ。

 そうだ。私は強くなければいけない。

 

「強くなれば、私を見てくれる。私は強いウマ娘なんだ。でも私は弱かった。そして弱い私なんて()()()()()()。だけど消えたくない。私はここにいたんだ」

 

 それは星に願うにはあまりに小さく、自分勝手な願い。

 

「忘れないでよ。置いてかないでよ。私もそこに連れて行ってよ……」

 

 私のエゴ。それを煮詰めた願い。それでも確かに私の願いなんだ。

 深い後悔も、戻らぬ過去も、私以外に背負えないし、それは私にしかどうにかできない。誰かに背負わせて、共感されるようなものでもない。ただあるのは、この両手でチャンスを取りこぼして、掴めなかったっていう後悔だけ。あの時ああしていれば、あの瞬間を幾つも積み重ねて、後悔して。

 

「置き忘れた夢、届き損ねた言葉を見て見ぬふりをしながら歩けるほど私たちは強くない。妥協して、道を選んでいく」

 

 トレーナーはそっと、優しく言葉を紡ぎだす。

 

「夢も、なりたかったことも何もかもを妥協して、いつしかそれが日常になっていくんだ。でもそれが急にできるわけじゃない。悩んで、何度も苦しみながら受け入れてくんだろうね」

 

 包み込むように、紡ぐ言葉が私に届いていく。

 

「そうだね、ごめんなさい。私は貴方から見れば、やっぱり選ばれた側だから。君の気持ちをわかってあげれない。想像するしかできないんだ」

 

 明確な差。大人と子供のそれは多分、不器用な優しさでもある。理解できないことに対するトレーナーなりに立ち入らないという優しさ。

 私もトレーナーの気持ちが理解できない。その苦悩や負担も。高みに上ったその景色も。

 

「貴方の言葉を聞けて良かった。貴方の話も、その苦悩も。私はキミの痛みを癒せないけど、折れてしまったその気持ちに寄り添うことはできる」

 

 ただ、それでも。

 結局は私は私を否定できるほど、弱くもなくて。強くもなれなかった。

 継ぎ接ぎだらけの心は簡単に壊れて、結局私は何かになることもできなかった。私は私で、それ以外の何者でもなかった。

 

「ズタボロでも、継ぎ接ぎだらけでもいい。いまはそれでもいいんだ。それから始まるんだ」

 

 ずっと、ぼろぼろの心に嘘ばかりついて、仮面をかぶって走ってきていた。そんな私を、誰かが好きって言ってくれたかもしれない。でもそれに納得できなかった。

 

「また、私は」

 

 間違えたのか。

 ありえたかもしれない未来、掴めなかった道の先。地続きのこの先に。

 きっとトレーナーともっと深く分かり合えた未来もあったのかもしれない。もっと二人でよい未来を築けたのかもしれない。だが、もう遅い。

 

「ううん、なんでも、ない」

 

 ぼろぼろの心を何とか積み上げて、そんな物も意味ないとすれば、本当に何を信じればいいのかもわからない。

 だけど、明日も、その先も続く日々をどう生きようか。正解を知らないが、するべきことは知っている。目の前にあるものを、また再び取りこぼさぬよう。

 もう、振り向かない。涙は流さない。

 

 ただ、それだけが、今の私にできる精一杯だ。

 

 トレーナーから離れる。そしてゆっくりと立ち合がり、荷物をまとめていく。涙で見えない視界を何度もこすって歩き出す。

 

 たった一度でも、咲き誇れる小さな花になれたのなら。

 

「ごめんなさい」

「……いいのよ。またいらっしゃい。いつでも鍵はあいてるから」

 

 いろんな好意も心配も。何もかも受け取り損ねて、取りこぼしてきた。考えることを辞めて、直視することも辞めて、そうやってまた逃げるのだけはもう嫌だから。

 扉に手をかけて、私は振り返っていう。

 

 

「ありがとう、トレーナー」

 

 

 そう言って私はドアを開け、私は暗闇の中に溶けていった。

 




楽曲リンク Stream / somunia (feat:hirihi)


届かなかった言葉は常に宛先に届く。離れてもなお、姿を変えながら。
届いた言葉は、何を語るだろうか。
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