星よ、高らかに笑え!   作:にられば

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きっとその手紙は届く

 

『お母さん! 私いちばんになったよ!』

『まぁ! すごいわスノウ!』

 

 確かな温もりが私を包む。勝ったという喜び、そして高揚感。全能感。

 

『おめでとう、スノウ』

 

 そう言って頭をなでてくれる、大きな手が好きだった。勝てば、私は私でいられた気がした。

 

『ポニーカップ始まって以来のレコードだ! もはや彼女に追いつくウマ娘はいないのか!』

 

 強さというのは、私にとって唯一無二の喜びでもあった。強くあれば満たされる。快楽原則に沿った行動だ。私たちはその魂の一片に至るまで、走ることが刻まれている。だから、私は走った。そして私はその満たされる何かを常に求めていた。

 

『一着はスノウグローブ! 二着に2バ身差をつけてのゴールだ!』

 

 私は()()()()()だった。地元では常に上位だった。レースに熱心な家庭じゃなかったけど、私は走った。何度でも走った。その根底にあったのは、勝ちたいという思いだった。

 

 その思いだけはとても強かったと思う。だって、()()()()から。

 弱いウマ娘であることと、強くあることは矛盾しない。その二つは重なり合っても同じ次元で存在しない。強くあることは努力で補える。弱さは隠すことが出来る。

 

 私は努力で強いウマ娘になった。私は勝利を常に目指すようになった。弱い私を私はあの時に殺した。

 小さいとき、あの瞬間、私が私でいられた時から。強くあれば、私は私を好きになれる。その私が好きだから。そうじゃない私なんか嫌いだから。

 

 己を律し、勝つ。そうであれとその時決めたんだ。

 

 だが、ある時負けなしの私がレースで負けた。その相手が、スターリースカイだった。

 彼女は、スターリースカイは私のライバルだった。だが、私にとってのそれは、好敵手というより、敵だった。私の勝利を邪魔する相手。

 私が強くなってから現れた彼女は、強いわけじゃなかった。彼女は()()だった。

 何度も彼女と戦った。レースだけじゃない。私が走っていれば彼女もいつのまにか走っている。狭い地元で顔を合わせる機会はごまんとあった。私の出るレースに彼女は必ず出走してきた。

 

 天才に、私はレースで負けた。何度も末脚で負け、そのたびに何度も差し返して、そうして私たちは何度も戦った。

 彼女は才能のある、努力するタイプの強いウマ娘だった。

 

『はぁ、はぁ、はぁ、やったー! スノウに勝った!』

『……速い、はぁ、げほッ』

 

 現実は残酷だった。才能のない者が努力で登れる場所というのは、天才の努力の足元にようやく届くかどうかというレベルだということに。天才の一回を、私は十回しないと出来ないのだ。それほどまでに隔絶した差だった。それを私は思い知った。

 

(また、負けた)

 

 子供はよく見ている。大人の一挙手一投足、大人の思っている以上に知っているし、聞いている。感覚の鋭いウマ娘ならなおさら。

 周囲を見れば、誰かのため息、失望、こんなものかという、勝手な期待を裏切られたという落胆。負けたとき。あの冷たい風が体の熱を奪っていく感覚。彼女がいなければ、知ることのなかった感覚。

 

(私が、私は勝たないといけないのに!)

 

 

 負けたときの空気が嫌だった。誰かが勝手に期待して、背負わせて、負ければため息と失望。それがとても嫌だった。だから。

 己に課した勝つ決意が跳ね返って重くのしかかってきた。それは重圧だった。

 勝たなければいけない。そう思うほど、周りの視線と空気が耐えられなかった。

 

 だから、私は誰かの屍を踏み越えて、勝利を目指した。そうするだけの力はあったし、そうすることしか知らなかった。そうして生きていくほかに私はどうすればよかったのだろうか。

 

 私たちは何度も挑んだ。何度もレースを走った。

 強いといわれた。二人なら中央でも通用すると誰かに言われた。もうそんなことはどうでもよかった。

 

 

 私は、私のエゴのために走っている。崇高な使命も、誰かに託した思いもない。

 それは間違いだったのだろうか。自分自身のため、私のエゴで貫き通したこれは、間違ってたのだろうか。

 

 

 バラバラの心がもう戻れないほどに崩れる前に。間違いだったと、私はそれを認めることが出来るのだろうか。

 

 

 

 ***

 

 いつも通りの部屋。アラームを消し止めて体を起こす。

 最悪の目覚めだった。

 昔の夢を見た。とても古い、古い記憶だった。感傷も哀愁もそこにはなく、唯鈍い痛みだけが残っていた。

 

 今となっては意味もない、その感情も、その思いも。勝てなければ私は弱い私になってしまうから。

 いつしか日常に溶け込んで、忘れてしまった思い。そして熱と鼓動。忘れてはならなかった、思い出せと心が叫んでいた。それは殺したはずの私の声だった。

 

 「なに、してんだよ」

 

 何度も繰り返した日々、何度も走ったその道に戻ってきてしまうのも。縋り付くように何度もリフレインする過去の記憶。

 進みたいのに、進めないもどかしさに。あと一歩、前に突き落としてくれる何かがあれば。それでも変われないとしてもそのきっかけを欲していた。

 そうしてまた同じような朝を繰り返していく。同じような物語を歩んでいく。

 

 既に、同室のウマ娘はいない。何か月も前に退学し、それ以来ずっと一人だ。もうその子の顔も名前も記憶の中から薄くなっている。

 そうして、私たちは忘れられ、消えていく。

 

 寮から出て、教室に向かうその足取りは重かった。

 日に日に減っていくウマ娘。私たちの中で残るのはほんのわずか。それ以外は皆辞めていく。ホームルームになっても教室の半分は埋まらない。

 

 欠席、病欠、そして名前すら呼ばれない者。既にこの場所を去ってしまったウマ娘。

 いつもの日常なのに、それが静かに、どんどん崩れていく。

 そんなことを思っていると、担任の先生に呼び止められる。

 

「スノウグローブ。少しいいかしら?」

「……はい」

「進路希望調査、提出日は今週中なのだけれども、出してないのはあなただけなの。ちゃんと相談して、進路を決めてる?」

「私、は……」

 

 漠然とした未来、そして無意味に思える未来。曖昧とした未来に向けて足を踏み出せるほど、私は強くなかった。

 

「貴方、引退のこともまだでしょ? 早めに手続きしないとサポートも何もできないの。決まっているのなら早めにお願いね」

「はい」

「親御さんには相談したのかしら?」

「……はい」

「そう、なら早めに提出して頂戴。せめて進学するのか、このまま在学するのかだけでも早めに知りたいから」

 

 お願いね、といって担任は去っていく。

 タイムリミットはもうすぐそこにある。

 

 

 ***

 

 

 残照の中を歩いていく。

 あの時、渡しそびれた書類を届けるために、私は再び部室の並ぶ建屋に足を踏み入れた。

 殺してくれ、と。無様に叫んで、逃げるように立ち去ったその後に何を言って会えばいいのだろう。その答えはおそらく誰も持ち合わせちゃいない。重い足取りを部室に向けてく。

 そんなことを朧げに思いながら歩いていると、扉があいた。誰かの気配を感じて少しだけ視線を上げる。

 

「……スノウ?」

「……スカイ」

 

 スターリースカイ。もう会うこともないと思っていた、幼馴染で、ライバルだった彼女の姿があった。もう二度と会わないだろうなと思っていたのに。裏切って、罵って、その現実から目を背け続けていた。私にとってもう折り返すことのできない記憶、取り戻すことが出来ない言葉に、ずきりと胸が痛む。

 私は久しぶりだね、と声をかけることもできなかった。

 

「ようやく会えたね」

 

 何を言おうかとたじろぐ私に、彼女はそう言って微笑んだ。

 

「うん」

 

 全くこの口は仕事をしない。恐ろしく口下手で、愚かなほどに何もしゃべることをしない。

 何かを言いたそうなスカイに、私の沈黙と気まずさがアンバランスに組み合わさり、場の空気は最悪だった。離れられるのであれば離れたい。心底そう思っていた。

 

「トゥインクルシリーズ、引退するんだね」

「……そうだよ。だから何?」

「あの時の約束、覚えてる?」

「……当たり前でしょ」

 

『次に会うのはターフの上で、だ』と。そう語ったあの日。私たちは決定的に道を違えた。あの時以来。もう何年も時間は経っている。その数年は私たちにとっては人生の大きな部分を占める。その数年で私たちは大きく変わってしまう。

 きっと私も、貴方も。もはやあの時のようには戻れない。

 

「愚かだよね。こうして私は未勝利すら勝てず、これからどう生きるかもわからず、みじめに私はここに居るんだ」

 

 長くなった髪、そして少し大人びた風貌。ぼろぼろでつぎはぎだらけの私とは大違いだ。子供の数年は大きな変化を伴っていく。

 言い出しっぺのくせに。その約束をなかったことにしてしまえと口を開く。

 出てくる言葉はあの時と変わらない、私の中の黒い感情だった。

 

「勝ちあがれなかった愚かなウマ娘の事。もうわかってるだろ。もうこの先はないんだよ。君とターフに立つことは永遠にないんだ」

 

 感情の赴くままに私は言葉を吐く。

 

「バカだよな。あれだけでかい口叩いて、結局何もできやしない。恥だけ晒して結局何もできなかった」

 

 強いものが正義だ。この世界はそうやって出来てきた。力のあるものが生き残り、弱きものに与えられる席はない。そういう約束、そういう契約でこの場にいることが許されていた。

 

「もう終わりなんだよ。罵りたければ、いくらでもいえばいい。私を許さないのなら、それでもいい」

「待ってるから」

 

 一瞬、思考が止まる。彼女は微笑みながら立っていた。その表情はどこまでも凪いでいた。予想していなかった言葉だった。

 何を言っている? 彼女は、何を聞いていた?

 

「……は? 何を待つんだよ、聞いてなかったの」

 

 なぜ、という疑問が真っ先に思い浮かぶ。あれだけ拒絶して、あれだけ傷つける言葉を吐いたというのに。

 どうしてそこまで私を待っているといえる?

 なにもないのに。何も持ってはいないのに。

 

「……いつまで待っても来てはくれないわ」

「それでも、来るよ」

 

 その確信に満ちた言葉は、いったい何を見て出てきたんだ?

 目に映る姿は、その期待を背負わせるほどのウマ娘だっただろうか。

 否、そんな器なんて、なかっただろう。

 

「何言ってんのよ。そんな期待を背負わせても、それを背負えるほどのウマ娘じゃなかったんだよ」

「いいや。君は諦めてない。()()()()()()()()()()

「……」

「君の眼は諦めてない。まだこんなはずじゃなかったって、まだやれるって燃えている。諦めている振りをして、まだ納得なんてしていない」

「だから何だよ。そんな私を完膚なきまでに叩き潰してくれんのかよ」

 

 その言葉はきっと私に向けて放たれた言葉であるはずなのに、それは私を見ていないかのようだった。

 何も言わずに踵を返す。

 

 ただ私は孤独だった。走るときはいつでも私は孤独で独りぼっち。だけどそれが私の選んだ道だ。

 近くに来てほしくない。だって本当は私は弱いから。そんな私がばれてしまうのが怖かった。

 

「だってスノウはまだ納得も、受け入れもしていない。まだ勝っても負けてないんだから。だから、ターフで果てなきゃいけない」

「……!」

「勝てないから、みじめだから。そんなくだらない理由で逃げる? 君はターフ以外に、生きることが出来る?」

「好き勝手に言わないでよ!」

 

 怒り、沸騰する感情。

 耳は後ろに絞られ、足はイラつくように地面を掻く。敵意と不機嫌の象徴であるその行動は、相変わらず誰にも構わずに怒りをぶつけてしまうこの衝動は怒りとは違う感情だった。

 恐怖だった。私自身を否定される恐怖、私の根底から間違っていたといわれる恐怖。

 

「負けず嫌いな君は、きっと走ることを辞めない。だってそれは君にとって()()()()()だから。そうであれと君は自分自身を律した」

 

 ずかずかと私の心に土足で入り込む。固く閉ざしていた、殺したはずの私が引きずり出されていく。私が必死に隠していたものが、いとも簡単に白日の下に晒される。

 それが怖かった。誰かに評価され否定され、それが無駄だといわれてしまうのが。そうすれば私はいったい何を信じて生きていけばいい?

 

「走ること、私たちにとってはそれが唯一の証明。だから私は勝ってそこに示す。君の言った通りだ。私たちには言葉は不要だよ」

 

 誰かに勝つことは、誰かの夢を踏み潰し折ることだ。そうしてまで、私は私でありたいと思っていた。自分自身のために周りを振り回して、否定されたくないからそれが出来ないくらい強くなろうとした。

 それが私の頼れる唯一の方法だった。勝ち負けはわかりやすく、同時にとても残酷だから。

 

「何がわかるんだよッ!」

 

 私はスカイの胸倉をつかんでいた。投げ飛ばして、細い体躯を壁に叩きつけることは容易だった。ウマ娘の力なら余裕で出来よう。だが私の残った理性がそれを押しとどめた。それはいつも私が私であるように律したものだった。

 だって、醜い私は必要ないのだから。踏みつぶされて、何度も何度も割れてそのたびに継ぎ接ぎだらけになりながらつけなおした仮面の下の素顔。情けないそれは誰にも見せたくないから。

 

「あなたと違う! 結果したって私は未勝利、あんたは重賞ウマ娘。何処が一緒だよ。強くありたいから努力したのに! 血筋も名誉も何もかもひっくり返してしまえればいいって思ってたのに!」

 

 本当の自分はもっとズタボロで、継ぎ接ぎだらけの醜いウマ娘だった。

 だから、何度も努力した。ズタボロであることをばれないように仮面をかぶって、外側だけでも取り繕っていた。だから泣き虫は辞めたんだ。そう言い聞かせていた。強ければ、私はここにいていいんだから。強い私が求められた姿なのだから。

 

 こんなにも弱い私なんて、この世界にいることが出来ない。ずっとそう思っていた。

 

「手を抜いてたわけじゃない。全力だった。でも届かなかった」

 

 何度、胃の中身を戻したかわからない。何度眠れない夜があったか覚えていないくらいに追い詰められていた。ストレスを受け流すこともできないほどに疲れ果て、涙を流しながら最低限寝ては走っていた。

 食べなければ栄養失調、食べても気持ち悪さで眠れず、それでも走って、必死で戦術とフォームを確認して。それでも勝てないのがこの世界だ。

 

「どんだけ努力してもお前にはなれないんだよ! 知ってたさ! 才能なんてないこと、弱いこと!」

 

 ざわりと、身の毛がよだつ感覚。押し込められた何かが暴れだすかのような衝動。

 その刃は私の身を切り刻む。相手を鏡にして、私に跳ね返ってくる。

 

「ここにいる時間、走っていること。そのすべてが私のすべて。他の誰が何と言っても私が私であることのすべてなんだよ。だからもう何もない。私の信じて歩いた道でさえ何もないんだよ」

 

 痛い、痛いんだ。その手もぼろぼろで、もう私は私ではいられない。プライドも、少しだけ残っていたかもしれない自信も既にない。

 

「私の代わりになれる奴なんていくらでもいるんだ。なら何を信じて生きていけばいいんだよ。この思いはどうしてしまえばいいんだよ」

 

 相槌も、共感も誰もしないだろう。渇望した未来も、あれほど努力して積み上げた時間もすべてが無駄だと知った絶望も、きっと誰もわかりはしない。

 

「なにも自信をもって決めたなんて言えない、私にはそんな思いも決意も、責任も覚悟も何にもなかった。それに気づいたときにはもう遅かった。もう戻る場所も、どこかにいくこともできないんだよ」

 

 もうやめようと、私はつぶやいた。後悔して、前に進むことを拒否しても同じなんだ。

 

「そうだね。きっと君がそう思うのなら、そうなのかもしれない」

 

 そう言って、私の手を静かに包み込む。その暖かさを、久しぶりに感じた気がした。

 

「言葉は万能で不完全だ。きっと全てを語り、その胸の内を明かすことはできやしない。だからターフで語ろう、その足で魅せよう。きっと言葉で語るよりそうする方がいい。私たちはウマ娘だから」

 

 どこまでも優しかった。暖かく、気遣うような繊細さがあった。

 

「君の想いは無駄じゃなかった。だからその闇の中に溶かさないで。私たちはここにいるんだから。君の想いを消してしまわないで」

 

 優しい言葉だった。私が今一番に欲しかった言葉かもしれない。

 そうだ。消えたくないのだ。私の想いが、間違いだったとしてもその思いと私という存在をこの世に体現すること。走ることと結びついた私という存在が、消えてしまうこと。それが、とても怖かった。

 

「私は強いから。君の言う通りさ。だからどこまでも連れて行ってあげる。どこまでも君のことを刻んであげる。……5日後、夜の8時にゴールポスト前で待っているから」

 

 そう言って、彼女は歩いて去っていった。リノリウム張りの床に上履きのこすれる音が響いていた。私は暗い廊下に一人残されていた。もう既に日は沈み、空から闇が降りてくる。

 

 もう帰り道もわからない。そして進めるほどの強さもない。ただ一人。私はこの場に立った一人で立っているだけだった。

 

 

 

 ***

 

 

 ただ一つ、正しい道を探していた。

 たった一つの正しさを求めていた。

 

 それは正しい行いだと思っていた。

 

 それが間違いだといわれてしまうのが怖かった。結局は恐ろしいから逃げていた。

 最後まで不器用なウマ娘だった。

 

 なぜ、そんな臆病なウマ娘はトゥインクルシリーズに挑んだのか。

 それは己が強いと、弱くないんだってことを証明するため。とても消極的な理由だった。それもそうか、と思う。

 挑んだ先に見たのは広い世界と、己の小ささ。

 

 でも逃げても変わらない。逃げてばかりいていいわけがない。

 立ち向かえ! そう奮起した。震える膝を何度もたたいた。失敗してしまえばみじめだと笑われる。負ければ私の意味も過程も否定される。そんなありもしない恐怖と幻想に怯えていた。

 

 だから、私は私であるためにターフに立った。虚勢を張って、自分の感情に蓋をして私は立ったのだ。でも押し殺していた感情はどれほど目を背けたところで漏れ出てしまう。

 私であるため、生きるためにその声が私の中で響くのだ。

 だから、()()()()()()()()()()

 

 

 

 久しぶりに袖を通す体操着はやはりいつも通りの感覚で、どうしても、これからレースだという感覚にならなかった。

 トレーナーは最近は何かが忙しそうで部屋にはいない。それをいいことに、私はロッカーで着替えて部室を出た。

 

 適度な緊張はパフォーマンスを上げるが、その緊張すらなかった。それでも満たされる感覚があった。それは闘志と、冷静になった理性。

 ただ、どこまでもフラットで、静かだった。

 

 しかし、わずかに心の奥底にあったのは、恐怖とそれを裏返しにした怒りがあった。そしてそれを自覚できる程度には私は冷静だったし、この場に赴く意味も分かっていた。

 

 スカイが何を思ってこのレースをしようといったのかはわからない。約束のためだったのなら、それでもいい。

 並走トレーニングのつもりならそれもかまわない。恨みの意趣返し、というのも一応筋は通っているが、可能性は低いだろう。

 まぁ、そんなことどうでもいいか。

 

 

 このレースを受けたのは、結局はまた私のエゴなのだから。

 正しいか間違っているのか。それを見に行くのだ。せめて終わるのであれば、最後くらいカンニングするのは間違ってないだろう。

 

 『私は強いから』

 

 そう言ったスカイは確かに強い。私はその強さを知っている。天才の、本物の走りを知っている。だからこそ私は彼女の見る景色を見たいと思った。

 たとえ紛い物でも、嘘だとしても。私の目指した道の先、その答えを知りたいと思った。だから私はターフに挑む。

 

 そして終わるのだろう。このレースの終わりが、私のウマ娘としての終焉を意味するのだ。きっと今夜、私は終わるという予感があった。

 

 その先に何があるかは知らないけど。ただ、そのことに恐怖を感じていなかったし、後悔もなかった。どの道こうする以外に何もできないのであれば。

 

 最後ぐらい、華やかに。

 私は歩き出した。

 

 

 ***

 

 

 夜のコースには煌々と明かりがともっているのは、電源を入れ、なおかつ時間を過ぎてまで使用することを知って了承した人間がいるということだ。

 それが、誰なのかは気にならないといえばウソになるが、私には関係のないことだ。

 久方ぶりのコースに入る。

 

「あれが、スノウグローブ先輩」

「なんだあの覇気、本当に未勝利かよ」

 

 ギャラリーが幾重にも私たちのことを見つめていた。

 

「決闘だって」

「マジ? やば、今どきあるんだそういうの」

「え、コースから出ろってそういうこと?」

 

 ざわざわと、喧騒の中を私は静かに歩く。

 ターフに行けば、唯一人、スカイが私のことを待っていた。実際にレース前にここまで近づくのは久しぶりだ。

 お互いに無言。だが、その肌に感じる闘志はレースにも負けず劣らない。

 小学生の頃と同じ感覚。そして小学生のころから大きく変わってしまった私たち。

 

 出走者二名。ただ、お互いのためだけのレースだ。実際にはレースとも何とも言いようのない野良レースのようなもの。

 私たち以外には無意味で、私たち以外には理解不能。そこにはレースという概念の成立する以前の、最も古い形でのウマ娘の在り方があった。

 故に、語ることが出来る。お互いの深いところまで。何千年も前から祖先が受け継いだ遺伝子が呼応する、魂の震える感覚があった。

 

 不思議な感覚だ。だが同時に感じたのは恐怖だった。肌を突き刺す感覚が、空気が変わるのを感じた。

 

 逃げる場所はない。もう戻ることもできない。

 

 闘志。その燃料は自身の憎悪と敵意。久しく忘れていた鼓動。長らく共にあったそれは周りのウマ娘たちよりドロドロと醜いものだ。

 

「やぁ、来たね」

「待たせたかな」

「ううん、そうでもないよ」

 

 長い時間がかかった。とても長い月日が私たちの間に流れた。ただ、私にとってはそれは意味ある時間だった。

 静かに燃え上がる闘志。最後にすべてを焼き尽くすかのように燃え上がる。数年分の想いはきっとこの瞬間に燃え尽きるだろう。そんな予感がした。

 

「そろったな」

 

 そういうと、私たちを見ていたギャラリーから一人のウマ娘が表れる。ある意味予想していなかったウマ娘だった。

 

「よう、スノウ」

「フレイ、なんでここに?」

「レースの立ち合い人さ、スカイに頼まれてね」

 

 そう言って出走の際に使う大きな旗をもって現れる。

 

「第三者よりは、お互いに知ってるウマ娘に立ち会ってもらった方がいいでしょう?」

「あぁ、そうだね。その方がいい」

「特に問題ないなら、このまま立会人でいいかな」

 

 私たちは頷く。それを見たフレイシュタットは、コースに響きわたる声で高らかに宣言する。

 

「両者合意が得られた、よってこの決闘レース、立会人はフレイシュタットが務めよう!」

 

 空気が変わった。放課後、帰り際の弛緩した空気が重賞レースにも負けず劣らないほどの緊張感に切り替わる。

 随分と昔に廃れたはずの決闘という言葉に、空気がどよめく。野良レースは行われることは多いが、それでも決闘をしたという話は聞いたことがない。

 言い出したのはきっと横のスターリースカイだろう。わざわざこんな古い形を持ち出してまで、何をしようというのだろうか。

 だが、そんな疑問はすぐに霧散する。理由なんて、どうでもいいのだ。私はただ走って示すだけなのだから。

 

(いにしえ)のウマ娘決闘ルールに従い、私が旗を振り下ろす。その瞬間にスタートだ」

 

 ウマ娘は古来から争いは走りで決めてきた。私たちにとっては走ること、そして走りで示すことは何よりも重要で、そして正しいことなのだ。

 単純な力。目に見える力は私たちにとってすべてだった。それは現代でも変わらないルールだ。いくら囲われ、整備されたターフの上だろうと、その根本は変わらない。

 

「距離は二千m、この場所から発走して一周。この直線の0番ハロン棒まで。出走者はスターリースカイ、スノウグローブの二名」

 

 私たちと立会人のフレイ、そして多くのウマ娘が遠くから私たちのことを眺めている。

 

「本来なら、ここで己の賭けるもの、争いを解決するために行われるが、君たちにはそういったものはないと聞く。故に、この戦いは名誉のための競走だ」

 

 古くはレースで裁判の判決を言い渡していた。その昔、今よりずっと神や運命というものが身近だった時代。貴族の諍いや裁判になったとき、己の力で、その足で証明し己の脚で真実を語れという法があった。

 己の名誉のため、誇りのために。文明や社会の礎が築かれるずっと前から、戦いの絶えなかった時代から。ウマ娘はずっと己の本能に従い、その足で証明してきた。

 いくら社会は発達し世界が変わろうと、根底の魂の在り方や形は変えられない。

 

「この場に言葉は無粋だ。ただ示すのみというのは我々の常識だ。だが、それでも一つ聞きたい。君らはなぜ走る。何を誇りとして走る?」

 

 フレイは静かに訪ねる。決闘という古い伝統を持ち出してまで戦う理由を。

 フレイとは、あの時教室で言い争いをして以来だ。愚かだといった彼女と目線が交差する。

 愚かだ、といえばそうだ。私たちにとっては意味ある戦いでも、私たち以外にその意義は見出しにくいし、推測しようがない。

 だからといって決闘を辞める理由にはならない。止めることもできない。レースを邪魔することは誰にも許されないのだ。

 だから、私は皆を含めて宣言する。この戦いは私とスカイのものだが、同時に見るものも飲み込む。ウマ娘の魂は、ウマソウルと呼ばれるそれは共感し、共鳴する。

 きっとフレイにも伝わるはず。これはけじめだ。もう戻れぬと、命を懸けた戦いだと自覚させるための儀式。言葉は不完全ではあるが、その言葉がふるまいを規定するのだから。

 

 覚悟を決めているか。これは言外にそう問われているのだ。

 

「私は、証明するため。私が私であること。強い私がこの場所にいたこと、そして」

 

 答えは決まっている。ずっと昔から決まっていた。()()()()()()()()()、ただそれだけだ。

 静かに目をとじる。集中力が高まっていく。段々と自分以外の感覚がそぎ落とされていく。

 

「誰かのためじゃない。ただひたすら自分自身のエゴで走る醜い愚かなウマ娘だけど。私にとっては誰の願いも関係ない。ただ私だけの勝ちを取りに来た」

 

 誰かのために走ってきたことは、思えばほとんどなかった。誰かのため、家のため。走る理由として語られるそれは、正直私には理解できない感情だ。

 だが、それでもいい。倫理や道徳はこの場では不要。ただそれが正しいと走って証明すればいい。ここではそれが真実だから。

 

「答え合わせをしよう。誰が正しかったか。この道が間違っていなかったということを」

 

 そう言って、世界は完全に沈黙した。

 私の主観だが、そう感じられるほどには、集中が高まっていた。

 そうか、とつぶやくフレイは、そのままスカイに視線を移す。

 

「スカイはどうなんだ?」

「私は、ただ示すだけ」

 

 静かに語る。誰かに言い聞かせるように。しっかりと聞こえるように。

 

「自分の走りは、私は強かったと。そして蹄跡が誰かの道しるべになるということ。それをもって肯定すること」

 

 そう言って、彼女は語り終えたとばかりに目を閉じた。

 端的、そして抽象的で聞いただけではわからない一文だった。だがそこには、それ以上の言葉は不要、ただそこに示しターフで語ればよいことだ、という思いが示されている。

 お互いに、覚悟の上にここに立っている。

 

「そうか、二人の覚悟、確かに感じた。ならばこのレースで存分に語り合うといい」

 

 そう語ったのち、フレイは少し寂しそうに私たちを見て、前に進み始める。

 フレイは数十メートル先に立って、旗を上に掲げる。旗が風にふわりと揺らめいた。

 そうして数舜したのち、コースの真ん中、その場所で再び高らかに宣言する。

 

「両者、位置について!」

 

 軽く脚を動かす。動きは快調。

 熱い思いと、滾っている想いも。全てを自覚したうえで私は今ここに立っている。

 

 集中。自分が大きくなって、そして縮小する感覚。

 感覚が研ぎ澄まされる。空間までバラバラに展開される。

 静止するとともにコースの聴衆も静かに、息を飲み込んで見守るその動きも今ならわかる。

 

 

 大きく旗が振り上げられて。

 

 

「スタート!」

 

 

 旗は下げられた。瞬間、私たちは飛び出した。

 




レース描写何にもわかりません、ですが長くなったのでここで分割して投稿です。

次回。きっとその先に“答え”があるかもしれない。しかし、ないかもしれない。
ですが、進まねばならないものですから。時は、待ってくれないですから。


この回ともう二話程度でもうすぐエンドロールです。拙い文章ですが、作品のテーマにお気づきの方もいらっしゃるかなと思います。もう少しだけお付き合いいただければと思います。ではまた。
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