Wem der große Wurf gelungen, Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen, Mische seinen Jubel ein!
An die Freude / L. van Beethoven
想いを背負って走る。ウマ娘はそうして高みに登っていく。
その想いは様々だ。ウマ娘ごとにそれは違ってくるだろう。それは走る理由の一つでしかないけど、確かに存在したのだ。そうした思いがぶつかり合って、残った小さな想いが輝いていく世界だ。
走ることで、どんな結果と蹄跡を刻むかが全て。私たちにとって想いも、使命も、そこにあると示さなければ存在しないのと同じ。
だから叫ぶのだ、魂の火が続く限り走るのだ。
ウマ娘は魂を受け継ぐ。この場所とは違う場所。あるいは別世界と呼ばれる何か。正体はよくわかってはいないけど、ウマ娘は確かに何かをもってこの世界に生まれる。
言葉の不完全性の前に私たちは走ることで示す。徒花だったとしても、それは誰かにとってはとても大切な思いであったはずだ。
託した思い、受け継いだ意思。そのすべてを背負ってウマ娘は走る。
あの時、わたしは想いを託した。
その背負った想いも、記憶も、すべてがそこに集まっていく。
菊の舞台が始まる。
***
「本当に良かったの?」
新幹線で移動しながら、私はそのチケットを眺めているとトレーナーが問いかけてくる。
手元にあるのは、京都レース場の招待チケットだ。
「大丈夫、だと思う」
「そうかー。うん、あんまり考えないでおこう」
なんだか納得のいかない表情のトレーナーと、同様にどう受け止めればいいのかわからない私。その原因は渡されたチケットにあった。スカイから渡されたこのチケットはただの招待チケットじゃない。
特別席。指定席よりもはるかに上の、文字通り特別な人しか入れない空間。その招待チケットだ。いくらURAのトレーナーと生徒とはいえ、むやみやたらと特別席には入れない。そのレースに出走するウマ娘とトレーナーでさえ入れないのだ。
クラシック三冠に挑むウマ娘一人につき二枚だけ渡されるこのチケット。本来であれば家族や世話になった人に渡すべきであろうそれを、スカイは私の為に渡してきた。
『見てて』
突然渡されて唖然とする私に一言、それだけを言って、彼女は再び去っていった。
また、私の先に行ってしまった。どこまでも先に行ってしまう。手も届かぬほどの先へ。
一度目は、決別だった。二度目は、絶望と希望だった。
今回のそれは、果たしてどんな感情なんだろうか。
窓の外を眺めながら、私は不思議と落ち着いた感情のまま。手元の本に視線を戻し、私は揺られていく。
「なんだか、不思議だね。スノウがそんなに熱心に参考書読んでるのを見ると」
「……バカにしてます?」
「まさか。走る以外に興味がなかった担当がようやく勉強に本腰を入れたから安心してるなんて思ってませんよ」
「いや思ってますよねそれ」
そういって私たちは笑い、揺られながら京都へと行く。
あの日の決闘のあと、私たちは仲直りして再びあの頃のように、というわけでもなく。
私は今までの勉学の遅れを取り戻すため、そしてスカイは菊花賞の準備のためにお互いに会うこともなく、結局のところあの戦いの前と後で関係はほとんど変わらなかったといってもいい。
あの後の騒動は語るまでもない。決闘を含め、野良レースは本来は禁止されている。これに関しては私とスカイ、そして立会人のフレイも含めこってり怒られた。
それもそうだ。あの時一時的とはいえ私の脚は消耗しきって立てなかった。目撃者も多数いたのだからばれるのは当然だろう。トレーナーも、その場にいながら止めなかったのとでかなり怒られたという。詳細は聞いてないが結構問題になったらしい。ただ、スカイのトレーナーや生徒会も介入して穏便に済ませてくれたと聞く。本当かどうかは知らないが。
だが、あの後、明確に変わったことはある。
私は正式に引退した。戦いを終えて、わだかまりも何もかもが解けた以上、ターフに残る理由がない。
ただ、トレーナーとの契約解除はしていない。競技ウマ娘としては登録抹消しているが、トレーナーの契約はまた別の話なので、こうして引退後も契約し続けることは可能だ。トレーナーには私以外に担当は居ないので、主に勉強相手として活用させてもらっているが。
ついでにクラスも進学クラスに移った。新たな環境に馴染めるか不安だったが、ドリーミネスデイズと同じクラスになってそこは一安心だ。
一安心だと思ったのだけどなぁ。
『スノウ、進学するんだね』
『あぁ、そうだよ。これからよろしくって、な、何これ?』
『これ、あげるよ』
『……えっと、すごく重いんだけど、本かこれ』
『参考書だよぉ。物理と数学は基礎レベルから揃えてるから』
トレセン学園はもともと単位制の学校だから、クラスごとに受ける授業は選択式。
ただ、私はこれを機に進学重視に変更した。したのだが。
『多くない?』
『いやぁ、そうでもないと思うけど』
パラパラとめくって、その分量にすでに心が折れそうだった。それに走ることにかまけすぎて、基礎の部分から結構躓いていたのも幸いして結構つらい部分がある。
『とりあえず三周しよっか』
『ゑ』
『とにかく基礎的な問題をひたすら解いていこう。定義抑えて基本公式を使いこなすことが出来ればいいから。難問奇問はとりあえず無視して、基礎固めを確実にして、とにかく数をこなそう』
『ゑ』
文武両道。トレセン学園は中高一貫ではあるが、そのレベルも相応に高い。走ることだけでなく、その頭脳も優秀であることが求められる。だが私は多分受験したときの方が頭がいいんじゃないかな、と思うくらいには、今の勉強についていけなかった。
『楽しみだねぇ』
……やっぱり走ってた方がよかったかもしれない。そう思うほどにはハードな参考書の数々が待っていた。勉強だって意外に体力を使う。こういう時、競技ウマ娘の底なしのフィジカルに感謝してしまう。
そんなことを考えていると、京都に到着するというアナウンスが聞こえた。急いで降りる支度をする。
駅からはURA関係者やトレセン学園生徒のための専用のバスが運航される。当日の混雑を避け、ホテルの手配も含めほぼすべて任せても構わないレベルというのは、選手だけでなく生徒にもそれをするあたり改めて手厚いサポートだと感じる。
比較的楽に到着できたとは言え、東京からの移動も結構疲れるものだ。うとうとしていると、京都レース場に到着した。
バスから降りて関係者専用の受付を通過する。エレベーターを昇り、たどり着いた特別席に入る。高級感あふれる場所だった。G1ともなれば、そこにいる人もURAの関係者、あるいは本当の貴賓ばかりで場違いな感じがする。制服姿のウマ娘と、同じくスーツのトレーナー。ドレスコード的に問題ないというが、やっぱり雰囲気的に浮いて見える。一応出走ウマ娘の家族も来ることが出来るらしいが、多分みんな下の一般席にいるんだろう。
「トレーナーは、ここに来たことがあるの?」
「研修の時に一回だけあるかな」
「あるんだ……」
「まぁ、でもさらりと見る程度さ。こうして観客として来るのは初めてだよ」
スタンドに出れば、高い視点からレース場全体を見渡せる作りだった。噂に聞くと特別個室もあると聞く。
時間までまだある。昼食はバイキング形式で、デザートまでついていたり、驚きつつもレースを楽しんでいた。
時間はあっという間に過ぎ去る。気づけば開始まであと少しだった。
スタンドから見える観客席は多くの人で埋まっていた。それもそうだ。
菊花賞。クラシックの終着点。最強を決める舞台。その舞台に立つことの許されるのは、一握りの優駿のみ。
スターリースカイはその舞台に立つことが許された、文字通り優駿の一人だ。
たった三分。されど地獄のような長さの三分。二度の坂越えと長距離。その過酷さ故に、最も強いウマ娘が勝つといわれるレース。
「いよいよ、だね」
ぼんやり外を見ながら、私は言葉を口の上に転がす。
「だれもが、負けたいなんて思って走ってない。誰もがこの瞬間にすべてを賭けている」
「そうだね。みんなしっかり仕上げてきている」
「きっと、スカイも」
才能がある、あるいは素質があるかは概ねわかるが、それを伸ばして生かしていくのもまた並大抵のことではない。ウマ娘の体はデリケートなのだ。無理をすれば壊れる。だがその限界を引き出さなければ、その場に立つことも出来ない。
ガラスの脚とも形容されるウマ娘の脚。どんなに優秀なトレーナーがついていても、中央で故障をせずに引退まで走れるものは5割を切る。
「でも、なんでだろうな。なんであの時、スカイは走ったんだろう」
ずっと疑問だった。菊花賞が迫るタイミングでの決闘に。
才能があっても、体がその負荷に耐えられず、悔しさを持ちながら引退、あるいは無茶なトレーニングで自ら才能を潰すなんて話は腐るほどある。
それほどまでにシビアで、繊細な調整が必要な脚。その調整に何か月も前から準備するほどだ。
「ずっと引っかかってるんだ。なんであの時決闘を挑んだんだろうって。どうして野良レースとかじゃなくて、決闘を選んだのかなって」
あの時、私に決闘に挑んだ理由は何だろうか。その結果に何を見て、ここに立つのだろうか。
並走トレーニングにしてはお互いの能力差が開きすぎているし、模擬レースというにはその目的があまりにもふわりとして不明瞭だ。追い切りにしては期間が開きすぎる。その目的が見えないのだ。
「……まぁ、確かに。スカイのトレーナーは老舗チームのチーフトレーナーだし、急なレース、ましてや決闘を認めるとは考えにくい」
「ちゃんと計測してないけどかなり速い展開だった。私の自己ベストも更新してたし」
「スカイにとってはほぼ中二週ぐらいの感覚でレースに出てるようなものだからね。意味があったのかは疑問が残る」
いくら考えたところで、結局言葉だけでは本質は掴めない。それはあの決闘レースで証明済みだ。特に、走りに関しては。
「でも君たちは、あそこで何かを得た。君だけじゃない。スターリースカイも」
本気でそれを考えるつもりはなかった。どちらかというと暇つぶしの会話のつもりだった。でも、そこになにか重要な答えがあるような気がした。
「でも、君たちは走ることで示すんでしょ。なら言葉で伝えられなかった答えを示したいのじゃないかな」
「……答え、か」
「第三者の視点になって、わかることはいっぱいあるよ。傍観者でしかない私たちにしか、感じれない何かがあるんだ……さぁ、始まるよ」
ファンファーレが鳴り響く。さぁ、クラシックも終わりだ。
あなたも、そして想いを託した私も。
『クラシックロードの終着点。菊花賞を制し最強の称号を手にするのは誰だ?』
純粋なスペックが物をいう、文句のつけようのないほどに残酷な、そして一番の実力が要求される舞台。
枠に次々収まるウマ娘、その中にスターリースカイを見つける。
あれほど響いていた大歓声が、ゲートインが完了すると一気に静まり、静寂に包まれる。
ゲートが開き、スタートした。
中央を走っていれば嫌でもそのウマ娘のレベルを察することが出来る。走りのフォームでそのウマ娘のレベルや、大体の適性、得意距離など。トレーナー程ではなくとも、強いことや得意距離や適正かぐらいはかぎ分けられるようにならないとこの場所ではやっていけない。
だが、その中でもスカイの走りは、美しかった。
フォーム、重心、位置取り。無数の選択肢の中から正解を導いていることがわかる。やはり、彼女は天才だったのだというのを肌で感じとる。
時間は無慈悲に過ぎ去って、その間に何もかもが変わってしまった。あの頃の私たちはもういない。たとえそこから地続きの現実だとしても。
そうだ。私たちは何もかもがもう変わってしまった。
何も変わらなかったものは何だろう。そんなものを探す方が難しい。
私たちは変わっていく。移ろい、そして進んでいく。
「変わっちゃったのか」
大歓声の内に一週目の坂に差し掛かるバ群。
「そうだね。スカイ、その通りだ。君の言うとおりだよ」
スカイはとっても輝いていた、そしてとても美しかった。私もそうなれる未来があったのだろうか。
「なんで、私はあそこで走ってないんだろうな」
バラバラの心が崩れる前に、私が私である内に何とか諦めてしてしまいたいから。そうして燃え尽きて灰になった魂はもう二度と火を灯さない。あぁ、そうだ。こうして焦げ付いた鍋の底みたいな想いは消えない。だけど、もうそれでもいいと思える。
でも確かにわかった。諦めてしまったんだ。燃えるための燃料も何もないんだ。
そうしてレースは進んでいく。時は等しく流れていく。無情にも、誰一人避けては通れぬ運命として。
「まずいな……」
そうトレーナーが呟く。冷徹にターフを見つめる目は正確に状況を捉えているのだろう。そのうえでまずいと言った。
本気で勝ちを取りに行く。もっとも強いというその称号、そして最も栄誉ある最後の冠。その蹄跡で何を示せたかという結果のみが、ここでは正しさなのだから。
そして、スカイは—————最後尾、大きく離された場所を走っていた。
『展開は縦長に伸びます。向こう正面、後ろのウマ娘は追いつくことが出来るのでしょうか』
「スカイ……」
「どんどん差が開いていく。あれじゃ前残りで逃げられてしまう」
先頭はぐいぐいスピードを上げていく。後続も追いすがるが、それには差が開きすぎる。
「スカイ、そんな」
『先頭がどんどん伸びていくぞ! さぁ後ろからは誰も来ない!』
私は思わず目を背けてしまった。
貴方は見てて、といった。だけど無様に負ける様を見に来たわけじゃない。きっとスカイは何かを伝えたかった。何かを見せたかった。でもきっとこんな姿じゃなかったはずだ。
だけどその姿は私に重なる。どんなに飛ばしても、何度も挑んでも。私の前に誰かが必ずいた。
あっという間の三分だ。でもそこで私たちの運命は決まってしまう。誰もが全力だ、
そんな世界で私みたいなのがいくら声を上げたところで、そこにあるのは沈黙と変わらない静寂じゃないのか。
なぁ、スカイ。どうなんだ。君は何を言いたいんだ? 何を叫んで、笑うんだ。
『みてて』
そんな声が聞こえた気がした。でもすぐには視線を上げられなかった。どうしても、その現実を見つめる勇気がなかった。
『最後方だ、最後方から! スターリースカイが上がってきた!』
「え……」
ありえない。興奮した実況の声が私の耳に入ってくる。
思わず顔を上げてみる。そこにはありえない光景が広がっていた。スカイが、スカイ以外が止まって見えるほどのスピードで追い上げていく。その超人的な、現実ではありえないような景色。
でも私は、
そこには黄金があった。それはあの時見たのと同じ黄金。だが、一つだけ違う。
「雪?」
そうだ。雪だ。そして秋空はいつしか満点の夜空になっていた。
神秘的、そして彼女以外を押しのけるような、耐えきることのできないほど圧倒的な力。そこに、既に展開されていた領域や類似するそれをすべて吹き飛ばしてしまうほどの猛烈な吹雪、そしてその寒さを吹き飛ばすようなエネルギーを内包した光が差し込んでくる。
『なんでしょうか、信じられない! とてつもない追い込みだ! 最後尾、20バ身を一瞬で追い込んできた!』
『スターリースカイだ! スターリースカイだ! 何ということだ、満天の星空の下、淀の坂を駆け下る!』
「スカイ……君は」
誰もが熱狂していた。ターフに立つ誰もが様々な感情と想いと記憶を抱え、力の限り叫び、美しい走りを魅せていた。
『まるで流れ星のようだ! スターリースカイが伸びる、先頭を捉えたぞ!』
世界の常識も、この世の理もこの領域の前には無意味だ。それは言葉では語りえぬ世界だから。
「いけ」
だけど、そこにあったのは沈黙じゃない。
『流れ星は光を伴っていま! 先頭を差した! だがまだ止まらない、止まらない!』
「スカイ! いって! どこまでも!」
スピードは衰えない。止まらない。なお加速していく。彼女の周りにプラズマの尾が幻視された。大気を裂き、大地に降り立った星はその輝きで全てを照らした。
大観衆の声の中、黄金の中を、光の中をただ走る。スカイは笑っていた。最後の最後、ゴールの前を流星は駆け抜ける。
流れ星のような儚さを携えながら、しかし一瞬を超えて光り輝いていた。その核は燃え尽きるのを拒むように燃え続ける。
そこにいる皆が大気圏に突入する流星のように燃えていた。魂を、脚を、想いを。全員が己の全てをかけてこの瞬間に光り輝いていた。
あぁ、それがこんなにも美しい。
『スターリースカイ最後尾から差し切っていまゴール! ゴールしました!』
大歓声が会場を揺るがす。この場には熱があった。その熱が皆の想いを呼応させ、勝者へ降り注ぐ。最後尾からすべてを抜き去り勝利した勝者に、熱く滾るような素晴らしいレースを走ったウマ娘を皆が讃えていた。
「……あぁ、そうか、私は、こんなことも気づいてなかったんだ」
万雷の拍手が捧げられる。それは勝者だけじゃない。その舞台に上がることが許されたすべてのウマ娘に向けられた祝福だ。
悔しさに膝をつく者も、長距離の苦しさに息が整わずに地面に倒れる者も。悔しさや、あと一歩の届かぬ絶望も。すべてがこの場にあった。そこには全力で戦ったものにしかわからない達成感と、満たされる感情があった。
結果だけがすべて。そうだ。確かにそうかもしれない。
「それだけじゃなかったんだ。これは君たちみんなへの祝福だ」
願いを無遠慮に背負わせて、勝手に夢を見て。
でもそうした背負う立場になるには相応の覚悟と責任と、そして犠牲が必要だ。努力も何もかも足りなかったなんて言い訳は通用しない。過程が結果を保証するわけじゃない。逆だ。結果が過程を肯定するのだから。
そうだとしても。その道を駆け抜けた者を、誰が無様だと笑うだろうか。誰が彼女たちを敗者だと貶めるだろうか。
敗者に意味がないとは、それは傍観者である我々にいう資格も権利もない。傍観者でしかない私たちに許されるのは、ただ全力で生きて、一生懸命戦った彼女たちへ敬意と労いを送ることだけだ。
彼女たちは全力で駆け抜けた。その背中に幾重にも想いを背負って。
名も知らぬ人々の想い、そして数々の助けがあって彼女たちは輝いている。無意味だと切り捨てた過程も、あの時託した想いも切り捨てた涙も。全てを背負ってそこにいた。
『自分の走りは、共に走り競った私は強かったと。そして蹄跡が誰かの道しるべになるということ。それをもって肯定すること』
「本当に……君は」
負けても、勝てなくてずっと抗っていてもいい。その気持ち、その感情も想いも全部背負ってあげる。
そう言って彼女は菊の舞台に上がっていった。命を懸けて、坂を駆け下って。己の全てを捧げて。
「報われたよ、君のおかげで」
貴方の走りは無駄じゃない。こうして私の糧になっているって。彼女はその走りで証明して見せたのだ。
涙が溢れていく。もう何もないと思っていたのに、私の内側に溢れ出るこの感情は何だろうか。
スカイは見せたかったんだ。多くの歓声が、勝者だけじゃなく、その場に立ったすべてのウマ娘を祝福するということ。
勝ち負けだけじゃない、本気で生き、本気で勝負を挑んだものだけが得られる栄誉と喜びを。
それはずっと前から私が受け取っていたものだ。
ずっと失ったものばかりを見つめていた。でもその手にはしっかりと残っていた。私は掴んでいた。
会場を揺るがす歓声。それは勝者にのみ与えられるものじゃない。
走ったもの、そして支えていたすべてに、この歓声と温もりが与えられる。
「“よくやった”、頑張ったって。その一言でこんなにも報われる。その走りで、こんなにも救われる」
ターフに膝を着いて、立てぬほどに消耗しても、それでも彼女は笑っていた。
その示されたコトバは私にしっかりと届いた。
さぁ、やることは一つだ。たった一人、ターフで戦った愛すべきウマ娘に。その声は届かぬとも私は力の限り叫ぶ。
「スターリースカイッ! よく頑張ったああ!」
涙は止まらない。魂が、感情が震え、また新たな力が湧いてくるのを感じながら叫ぶ。
スカイは立ち上がって、周りに肩を支えられ、震える足を動かしている。だがこの声が届いたのか、彼女はふと周囲を見渡して上を見上げた。そして一瞬目が合った。
『……ありがと』
にこりと笑ってふと、こんなことを言ったような気がした。
今ならわかる。きっとこの歓声を、この思いを私に伝えたかったのだろう。その姿を見せたかったのだろう。
「君の気持ち、伝わったよ。十分すぎるほどに」
彼女は自分の信念を貫いた。自分自身をひたすらに磨き、この場所に立った。誰もがそうだったように。
私の想いは無駄じゃなかったって。それを証明して見せた君の姿に、私は救われたんだ。
世界はコーラスを奏でている。その輪に私は小さく入ることが出来た。君が手を引いて、君が高く声を上げてくれたから。
「終わったんだ」
実感できるのはそういう諦念。だけどそこには光があった。
「だけど、始まるんだ」
それは、世界に一歩踏み出す為の、若干分量の勇気だ。取るに足らない小さなものかもしれないけど。
今なら感じられる。悔いも、嫉妬も、そしてその高い場所にある栄光も。
挑みさえしなければ得られない。けど私たちに与えられる時間は限られている。そうしているうちにこの手からすり抜けて、いろんなものを取りこぼすだろう。
上ばかりを見つめていた。無くしたモノばかりを見ていた。受け取り損ねたモノばかり見ていた。
でも、明るいだけが世界じゃない。そうやって燃え尽きた魂が消えた先の暗い空間に目を凝らせば、世界をより鮮明に見ることが出来るようになっていく。
暗闇を見つめるのは大変だ。だが、そこで私は受け取って、既に持っていたものがあったのだ。
「きっとこれから何度も誰かに想いを託すし、夢を見る」
それでもいいと思える。夢を見て、夢を掴んで、それでも届かなくて。それでも一生懸命に生きていく。そしていつか誰かの生きる力になっていく。
歩みは止めない。それは無駄にはならない。
灰はまた新たな薪を燃やす手助けをする。再び胸に、小さく灯がともった。
「ありがとう。貴方と共に走れたこと。導いてくれたこと」
さぁ、前を向こう。歩こう。できること、やらないといけないことはたくさんあるんだから。
***
「スカイ」
レース場の出口、ウィニングライブを終えた後を待たせてもらった。最高の舞台、最高のライブを終えた後、誰もがその光に当てられていた。そんな余韻の中を彼女は歩いてきた。
「おめでとう、最強ウマ娘」
「ありがとう」
そう言って抱きしめる。ほんのりと熱を感じる。まだダメージが蓄積しているのだろうか。
それだけ全力であの素晴らしい光景を見せてくれた。
「私、あの時何で決闘をしたのかずっと疑問だったんだ。そして今日、なんで私を誘ってくれたのか。でも、今ならなんとなくわかるよ」
賑やかで寂しいこの世界で、何もないと目を背けることは簡単だ。
だが、その小さな光がともっていること、輝いているということは、静寂や暗闇の中では何よりも尊い光だ。
「ふふ、あぁ、そうだ。きっとわかってくれると思ってた。君ならきっと受け取ってくれるってね」
スカイはいたずらっぽく笑う。それに私もつられて笑い始める。トレーナーたちは何かぽかんとしているが、黙って私たちを待っていてくれた。
「想いを託すことで世界は広がる。私たちの想いが組み合わさってこの領域は完成する。私たちは託した想いを積み重ねて前に進むんだ」
そう言って、スカイが私の目を見ていった。それをただの綺麗ごとだとは思わなかった。それは心を通わせた者たちの響きあう旋律の呼応だ。その呼応が新たな音色を作っていく。
「無価値なんかじゃない。君の想いを背負った私はここまでやれたんだ。それは君のおかげなんだよ」
ただ、想いを託せるということ。夢を見ていられるということ。現実に生きてもなおそれを抱けることは、きっと苦しいことじゃない。
「君のおかげなんだ、スノウグローブ。キミの思いが私を前まで進めた。その小さな声があったから一歩踏み出せたんだ」
スカイの中に落ちた私の一滴が、あなたの旅路を少しでも良いものにできたのなら、それだけで私たちは満たされる。
「一人では生きていけない、私も、あなたも。だからこうして
「そうだね。本当に……スカイ」
「うん」
「私はもう、隣で走ることは出来ないけど。でも
もうその場所にはいられない。だけど、コトバは、その夢は共にある。
私たちはそう言って笑った。ただ、笑った。歓喜の声は世界を照らす。
夜の風は冷たい。夜は深まり闇が世界を覆う。だが闇の中でこそ、光はその存在を雄弁に示すのだ。
そこには光があった。とても小さいけど、確かな光だった。
***********
日差しが優しく窓から差し込んできていた。
急に暖かくなったその週は、春の長雨が止んで一気に春に近づいていた。
放課後には少し早く、昼休みには少し遅い時間。
「今まで、ありがとうございました」
「こちらこそ、君と共に走れて、楽しかったよ」
そう言って、最後になるトレーナー室にいた。
「そっか、もうそんな時期か。年を取ると月日が経つのが速いよ」
「トレーナーはまだまだ若いじゃないですか」
「いや、もうそんな歳さ。若さなんてあっという間だよ」
その一週間は寒さは和らいで、とても暖かい。勘違いした桜が一斉に咲き誇る。穏やかな日常も今日で最後だ。
「……長かったような、短かったような、そんな気がします」
「そうね。でもこれからさ」
区切りと終わり。そして新たな始まり。
その先はいまだ誰も知らない道のりになる。
「写真はみんなと撮らないの?」
「もう撮ってきましたよ。もう最後はしっちゃかめっちゃかでしたし……いまごろターフは大荒れでしょうね」
最後のレースだと息巻いて、結局どこまでも走るウマ娘達。受験の反動か、今頃ターフで大騒ぎしながら走り回ってるはずだ。
一瞬だった。だけど賑やかで、とても楽しい時間だった。
春になれば、学園はまた新たな優駿を迎え入れる。そして時代は回っていく。
「本当に、ありがとう。これからも元気でね」
「はい」
別れはあっけない感じだ。でも悲しさはなかった。また新たな道を進むのに悲しいなんて感情はない。
トレーナーは私を抱きしめる。まるで壊れ物を扱うかのように。優しく丁寧に。でもいつしかの抱擁よりは心地よかった。
***
静寂に包まれ、静かで緩く日差しが差し込む廊下を歩いていく。人の気配がない校舎はどこか冷たい雰囲気をしている。
校舎を出れば、珍しく静かなターフがあった。どうやらここにいた同期たちは皆満足いくまで走れたようだ。
しかし、一人だけ姿が見える。
「スノウ」
「やぁ、スカイ」
そこに立っていた幼馴染に私は軽く返事を返す。
「さよなら、だね」
「うん。さよなら、だ」
もう私たちの間に言葉はそんなに必要じゃない。お互いにもうわかっているから。そう言っても、お互いに何にも言わないから不思議と笑ってしまう。
「ハハ、どうしよう。なんか言った方がいいかな? なんにも思いつかないや」
「私もだよ。でも、別にいいんじゃないかな。私たちに止まる暇なんかない、やるべきこと、やりたいことはいっぱいあるから」
「確かにそうだ。もう必要ないか」
それだけの短い言葉を交わして。私たちは優しく笑う。
ここはそういう場所だ。入れ替わり、この場を去り、そしていずれ新しい風が吹いていく。
だから、また。夢を見せてくれ。その景色を見せてくれ。
「じゃあ、ばいばい」
「うん、じゃあね、スカイ」
『ウマ娘』。彼女たちは、走るために生まれてきた。
ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る――それが、彼女たちの運命。
そして、その魂は新たな道を進みだす。ありえなかった未来、なかったはずの出来事。諦念という行き止まりと、可能性という新たな選択肢。
幾万もある星たちの、その一つ一つは語るに値することもない物語だとしても。
日常に溶けていく想いや記憶も、時の流れを前に風化し、そして覚えている者もいなくなって消えていく。そんな時間の流れを前に、想いを継いでいくことは無意味だろうか。誰も見ぬ道を全力で生きることは無価値なのだろうか。
はっきりと、無意味とも価値があるとも言い切れない。それは語ることの出来ない問題だろう。
しかし、ただ一つ言えることはある。
声を上げぬ沈黙と静寂、なんの光も届かぬ暗闇より、光が灯り、小さな声でもそれに呼応し輪唱するような世界は何よりも尊い。
一生懸命生きた者たちの蹄跡は確かに刻まれている。その先にまた新たに蹄跡は刻まれていくだろう。
声を聞いて。隣にきっといるから。
星は、きっと静寂を切り裂く。
星は、暗闇を静かに照らすだろう。
さぁ、星よ。高らかに―――
これにて完結です。ありがとうございました。
あとがきに代えて
ウマ娘の世界はとても煌びやかで、夢と理想がありつつも厳しい世界を描いている、というのが私の印象でした。それが魅力でもありますし、実際に競馬という世界をモチーフにする以上、その現実が虚構の世界に混入してしまうのは仕方のないことなのかもしれません。そこをエンターテイメントとして成立させる以上、有名馬はともかく、モブウマ娘はどうしても背景以上の描写をすることは難しいのかな、なんて思ったりもします。
モブウマ娘の視点から見たトゥインクルシリーズ。名前の刻まれない多くのウマ娘から見た世界はきっと想像もつかぬほど厳しい現実でしょう。ウマ娘では描かれなかった、あるいは描くことのできなかった視点、ネームドといわれる煌びやかなウマ娘の後ろ側で、それでも、と足掻く姿を書いてみたくて出来上がった小説です。
誤字脱字も多くありました。見つけ次第修正していますが、それ以外にも少々読みにくい箇所やわかりにくい部分もあったかと思います。
加えて、テーマがテーマだけに、あまり見てくれる人はいないかと思ってました。上記の通り主人公はモブウマ娘です。多くの方が書かれるような煌びやかな世界を描写はできませんでしたが、小さく灯る光ぐらいは、最後に灯せたかなと思います。
最後までお付き合いいただいた読者の皆様すべてに感謝を。
ここからは少しばかりの解説(と自分語り)を。
先ほどの繰り返しにはなりますが、ウマ娘は『プリティー』という割には、相当に冷酷で厳しい世界です。代表していえば、アプリ版メインストーリーのライスシャワーに向けられたブーイングや、アストンマーチャンの間接的な死の表現。またアニメでのサイレンススズカの描写など、直接表現はありませんが、間接的に示され、そこからリンクされる歴史は残酷です。当然ウマ娘それ自体はフィクションですが、その名前からリンクする現実の競走馬が作品にリアリティや奥行きを与えていると同時に、栄光の裏側もきちんと描写しているんだと思います。
当然、その裏のモブウマ娘達も同じであるというのなら、ハルウララのような例を除けば、モブウマ娘の物語は必然的に過酷で辛いものになるのは想像がつきます。そもそも負け続け、世界の大きな物語の主人公になれないから"モブ"ウマ娘なのですから。読者の方なら引退した競走馬の辿る道もご存じかと思います。
ただ、そういった競争という構造自体は日常でも見られる光景でもあるのではないでしょうか。やや抽象的にいえば、限られた席を大人数で取り合う構図、といえば、思い当たる具体例はいくらでも出てくるのではないでしょうか。不思議なことに、ウマ娘はそういった構図を持ち、物語の世界のはずなのに、その物語の現実が我々の現実を逆に照らし出しているようにも感じます。より踏み込んでいえば、ウマ娘の「異化」された日常は、「自動化」された日常全体を直視するきっかけにもなりえるのかもしれません。(私の考えすぎかもしれませんが)
そういった感覚と捉え方の上に、この物語の中ではモブウマ娘が"現実"を受け入れ、「私」と融合し再出発しようとする物語になっています。物語の構造でいえば、一種の教養小説的な物語(のつもり)です。そういった意味ではこれは私自身に向けた物語でもあるし、現実に生きるすべてに向けた物語でもあります。
ここまで長々と書きましたが、これ以上は本当に蛇足になるのでここでいったんペンを置きたいと思います。読者の皆様の中でこの物語がどう捉えられるのかわかりませんが、どうかそれが良いものであってほしいなと思います。
これが読者の中で何らかのポジティブな"きっかけ"になれば、ネットの片隅に文字を書いた者としてこれ以上の喜びはありません。
2024/3/24 にられば