ゴジラ-0.5   作:沼の人

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1945年3月

 1945年3月

 

「ハッ、これが特設かよ……」

 ただの木造漁船に13ミリ単装機銃一丁を載せただけという侘しい姿に、秋津淸治(あきつ せいじ)は思わず苦笑した。

 いくら戦局が厳しいとはいえ、こんなちゃっちい漁船まで徴用するとは……海軍はよほどお困りなんだろうなと秋津は思った。

「こんなんで敵機落とせたら、さぞかしめでてぇ勲章をもらえるんだろうよ」

「もし死んだら、俺らも靖国に祀られるんかなぁ」

 同僚となる男が言った。会ったのは今日が初めてだ。

「知るかよそんなこと。東京に近づく敵機を、何が何でも食い止めるしかねぇんだ」

「こんな船、グラマンが来たら一瞬で蜂の巣だと思うけどなぁ」

「……とにかくやるしかねぇだろ。お国のためにご奉公ってやつをな」

 自分にはまるで似合わないセリフだなと自嘲しながら、秋津は誰よりも先に特設監視艇に乗り込んだ。彼は構造物の壁を叩きながら言った。

「今日からよろしくな、新生丸よぉ」

 

「今月だけで12人に中毒症状が出ました。閣下、少しでもいいですから彼らを休ませるわけにはいきませんか。このままでは現場が持ちま……」

 続きを述べようとする野田健治(のだ けんじ)を、工廠長が手で制した。

「わかってる、わかってるよ野田技術大尉。だがな、先月完成した爆弾の数は目標の半分にも届いていない。このままでは戦場への供給が追いつかない。青年たちには気の毒だが、耐えてもらうしかあるまい」

「しかし……」

 野田はなおも抗弁しようとしたが、穏健な工廠長に対し副官が強く睨みつけて来たため、口をつぐむ他になかった。

「……失礼いたします」

 野田は無念さを噛みしめながら工廠長室を辞した。廊下の窓外には、特殊兵器製造工場が建っている。そこには自分のような大人ばかりでなく、まだ少年少女といった年頃の学徒兵や挺身隊の女子たちも働いている……働かされている、というべきであろう。

 しかも扱うのは毒ガス兵器。これまで何人の子供たちが中毒症状に陥り、命を落としかけたか……。

「早くこんな戦争、終わってしまえばいいんだ」

 誰もいない廊下で、野田は(ひと)()ちた。

 

「なぁ聞いたか? 金子の兄貴、特攻兵になったんだってさ」

「ああ聞いた、立派なもんだよなぁ。俺もあともうちょいで入隊出来るんだけどなぁ」

「でも特攻って、要は片道切符なわけだろ? それでもいいのかよ水島は」

「……て、敵機を撃ち落とせばいいだろ。ダダダってな。で、戦ってるうちに燃料切れそうになったんで戻ってきましたーって言えばさ」

「それただの戦闘だろ。まぁ、生きて帰れるなら俺もそれでいいけどさ……やだよ俺、死にに行くために訓練とかすんの。耐えきれねぇよ」

 友人の言葉に水島四郎(みずしま しろう)は返す言葉を見つけられず、学業終わりの二人は無言のまま家路についた。

 

「ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい」

 日の丸の旗を振りながら、大石典子(おおいし のりこ)は母親と一緒に出征兵士の見送りをしていた。

 これでもう何人目だろう。行ってくるのはいいが、無事に帰ってきた人を典子は見たことがない。

 出征する男性の目は、赤く充血していた。それが感涙によるものなのか、これから過酷な戦地へ送られることへの悲哀によるものなのか、典子にはわからなかった。わかっていたのは、この人ももしかしたら骨になって帰ってくるかもしれない、ということだった。

 縁もゆかりもない人ではあったが、無事に帰ってきてくださいと、典子は心の中で願った。

 

 それから数日後のことだった。

 22時30分、東京に警戒警報が発令された。3分間にわたってけたましいサイレンが響き渡り、B―29二機が東京をかすめて房総半島へ向かいつつありというラジオ放送が流れた。

 一発の銃弾、一発の爆弾を落とすこともなく、天空の要塞は帝都を去って行った。

 東京市民は、ホッとした。東京はこれまでも空襲の標的とされてきた経験があり、サイレンの音にも耳が慣れていたとはいえ、敵が去って行ったことは〝ああ、よかった〟と率直に思える幸運だった。

「どこかに、爆弾を落としてきた帰りだったのかな……」

 不安顔の典子に、父が返した。

「さぁな……とにかくもう寝よう、もう来ないさ」

 典子たちは知らない。

 二機のB―29は正確な航路を把握するための誘導機に過ぎず、すでにマリアナの飛行場から三百を超える大編隊が出撃中であったことを。

 

 日付が変わった。

 3月10日、陸軍記念日。

 午前0時から、空襲は始まった。深川にまず第一弾が投下され、人々は聴き慣れたサイレンではなく、死を招く機体の轟音と投下された爆弾の爆発音で目を覚ました。

 空襲警報が発令されたのは、この被弾から後のことだった。

 無数の焼夷弾が止めどなく投下され続け、東京はみるみるうちに火の海になった。

 典子の家にも、焼夷弾が直撃した。

 その時の衝撃で屋根の一部が崩れ、両親が木材に挟まれてしまった。救い出そうにも女一人では力が足りず、誰かを呼びに行こうとしても、火の手は容赦なく襲いかかってくる。それに誰もが逃げることに躍起になっている。誰の力も借りれらない。典子は一人で両親を助けるしかなかった。

「……もういい典子、行きなさい」

「あなただけでも、生き延びて」

 父と母はそう言ったが、典子は諦めなかった。木片を挟み込んで〝てこの原理〟を用いようとしたが、精一杯の力を込めた木片は呆気なく折れてしまった。その間にも火の手は家を包み込んでいく。

「逃げろ、典子っ!」

 父の叫びに、典子は涙を流して抗った。嫌、嫌よ……と。

「逃げて……」

 それが母の最期の言葉だった。

 やがて、父も言葉を発しなくなった。

 典子は、本能的に家を飛び出して逃げ惑う群衆の一人になった。

 彼女は、独りになった。

 

「くそったれが! こんな夜更けに夜討ちかよ……」

 新生丸の甲板上から、秋津は我が物顔で東京を焼き尽くすB―29の大群を見つめながら言った。

 高度1万メートルさえ飛ぶことのできる大型爆撃機に、新生丸が出来ることは、ない。

「俺の家も、たぶん焼けたな……」

 乗組員の男が、絶望的な声でそう言った。彼の目は虚ろだった。

「くそったれが、くそ……」

 秋津は拳をぐっと握り締め、爪が肉に食い込んだ。

 

 そのころ典子は、路地の片隅にうずくまっていた。

 どこまで逃げて来たのか、ここがどこなのかもわからない。

 鳴り止まない空襲、人々の悲鳴、爆発に破裂音……もういい、もうやだ、何も聞きたくない。防災頭巾をかぶった耳を、両側から手で押さえた。もうこのまま死んでもいい、あのまま家に残っていればよかった。両親と一緒に死んでいれば……。

 ガシャン。

 すぐ近くの家から、瓦を突き破る音がした。ああ、焼夷弾が落ちたのだろう。ここも直に燃えてしまうんだ。いいやもう、ここでもう死んでしまおう……。

 そう思っていた時、赤子の鳴き声が微かに聞こえて典子はハッとした。

 それは、焼夷弾が落ちた家から聞こえた。

 家の人は、まだ逃げていないのだろうか。

 典子は、立ち上がって家に向かった。家は半分燃えていた。赤子の鳴き声はまだ聞こえる。まだ、中にいる?

「だ、大丈夫ですかっ⁉」

 典子が声をかけると、「お願い!」という女性の声が返ってきた。典子は家に入った。

 そこには、典子の家と同じように落ちてきた屋根の部材で身動きの取れなくなった女性の姿があった。

「この子を、この子をお願い……」

 女性の腕には、まだ幼い赤ん坊がいた。女性は逃げる支度をしていた時に、ちょうど頭上を焼夷弾の落下が襲ってきたのだろう。赤ん坊は布に包まれ、傷ひとつなかった。

「た、助けます!」

「無理よ、もう遅い……足が、たぶん折れてる……お願い、この子だけでも助けて、お願いっ」

 女性は涙ながらに懇願し、赤ん坊を典子に差し出した。

 典子は一瞬戸惑いながらも、実家でのこともあり、もうこの女性を助け出すことは不可能だと判断した。

 そして、女性の希望を叶えた。赤子を、受け取った。

「ありがとう」

 女性は苦しみながらも微笑み、まわりはどんどん焼けていく。

「早く、行って……さようなら、明子(あきこ)。元気でね」

 女性は泣きながら赤子に別れの言葉を告げた。

 典子も泣きながら、赤子を抱きしめて家の外に出た。

 その直後、家の中が崩れる音がした。一瞬の断末魔が聞こえて、人の声はその家から消えた。

 典子は、再び逃げ惑う群衆の中へ紛れた。

 もう〝死ぬ〟という選択肢は、彼女の中から消えていた。

 今はひたすら、託された赤子と一緒に安全な場所へ逃げることしか考えられなかった。

 

 夜が明けた。

 東京は、一夜にして焼け野原が広がっていた。

 そこかしこに焼死体が転がり、まさに地獄の様相を呈していた。

 その中を、典子は亡霊のように彷徨っていた。

 ここは本当に東京なのだろうか。生まれ育った土地なのだろうか。地獄の三丁目の間違いではないのか。

 典子は、半壊した家屋の壁を背にして座り込んだ。心は虚無でも、体は疲労を蓄積していた。

 両手に抱く赤子は、泣き疲れたのか眠りこくっていた。

 いや、もしかしたら死んでる?

 慌てて息を確認すると、ちゃんと呼吸をしていたことに典子は安堵した。

 ちょうど近くに、破裂して地表に露出した水道管があった。そこから流れ落ちる水を飲み、赤子にもその辺に落ちていた割れた陶器を皿にして飲ませた。

 これから、これからどうしよう……もう両親はいない。頼れる親戚もない。友達は生きてるだろうか。お隣さんはどうしただろうか。みんな、みんな死んでしまったのだろうか。

「……アキコ」

 典子は、赤子の名前の漢字を知らなかった。

 おくるみをめくってみると、名前の刺繍があった。あの焼け死んだ母親が塗ったものだろう。

 明子。明るい子と書いて、明子。

「明子」

 典子は呼びかけた。明子は、見知らぬはずの典子に母の面影を見出したのか、小さく笑った。

 その笑顔にどれだけ典子がほだされたか……それは彼女にしかわからない感情だった。

 

「東京は、ずいぶんとやられたようですね……」

 主計(しゅけい)少尉は、暗い顔をしながらそう言った。

「うん……おそらくアメリカは、我々の戦意喪失を狙ってるんだろう。首都を壊滅させれば、いずれ観念して降伏するだろうと」

「野田さんは、どう思いますか。アメリカは新型爆弾を開発していると思いますか」

 その問いに、野田はしばし沈黙した。

 新型爆弾――原子爆弾の製造に、かつて野田は関わっていた。ほんの一時期だけだが。

「それはわからない。だが、アメリカの物量は日本の比じゃない。可能ではあるだろうな」

「あの……ちょっと聞いたんですが、工廠長って新型爆弾の開発に関わってたそうですね」

 実際のところ、そうだった。今でこそ技術少将として毒ガス兵器工場の最高責任者となっているが、東京勤務の大佐時代は熱心に日本海軍の原爆開発に関与していた人物だった。

 そして野田とも当時から面識があった。彼がこの工廠に引き抜かれたのも、一重にその人脈があってのことだった。

「どうなんでしょう、海軍は……というか、日本軍全体としてですが、新型爆弾を造れるんでしょうか」

「……技術力は、あるとは思う。問題は材料だよ。当然ながら原爆……新型爆弾を造るにはかなりの量のウランがいる。それに、たとえ造れたとしてもだ、それをどうやってアメリカ本土に落とすかも問題だ。日本はアメリカのように、長距離移動できる大型爆撃機がない。人手も物資も何もかも不足している以上、B―29を鹵獲でもしない限り、無理だろうな」

「気球に乗せて飛ばすわけにもいきませんしね」

 ひとまわり歳の離れた主計少尉が苦笑すると、野田もそれにつられた。大学を出てすぐに入営した主計少尉は、野田にとって数少ない話し相手の一人だった。

 

「学校、燃えたな」

「ああ……」

「まぁ、ほとんど勤労奉仕ばっかで授業なんかろくになかったから、別に関係ないよな」

「ああ……」

「……何だよ水島、どうしたんだよ。誰か死んだのか?」

「……戦争に行きてぇよ。やられっぱなしじゃねぇか、このままじゃよぉ」

「……」

 友は答えてくれなかった。

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