1945年8月
「敵機襲来! 来たぞぉ!」
見張り役の声で秋津は飛び起き、すぐに甲板へ出た。
彼の視界に、前方から迫る三機の青い戦闘機が入った。生まれつき抜群の視力は、平時なら魚の群れを探すのに適していたが、今は機体に描かれた白い星マークを捉えていた。
「よっしゃぁ! 必ず撃ち落とすぞ! エンジン吹かせエンジン!」
気合の入った語気で叫び、秋津は操船台に立った。機銃はその後方に設置されており、船を反転させる必要があった。
秋津はスロットルを回して舵を切り、機銃にはすでに人が配置された。
「一機でもいい、ぶちかませ!」
「おうよ!」
銃座の男は海軍上がりで、戦艦長門に乗っていたことを散々自慢していた奴だ。
男は機銃のハンドルを引き、弾丸が装填された。
やる気は充分、あとは狙い撃つのみ。
「くたばれアメ公!」
船が反転したのと同時に、銃座の男は引鉄を引いた。13ミリ機銃は連続して火を吹き、弾丸は空へ撃ち込まれた。
それに呼応するように、敵機からも銃弾が発射された。海面に水柱が一直線に並び、やがて新生丸に命中した。
船尾甲板にいた男が、やられた。
「ちくしょう! ちくしょうが!」
銃座の男も左腕をやられていたが、なおも闘志をみなぎらせて機銃を撃ちまくった。
「まずい、エンジンにも被弾っ……」
船内から顔を出した男も、敵機の機銃弾が首に直撃して果てた。船内からは黒煙が上がり始めていた。
「おい、もうダメだ! 一旦離れるぞ!」
秋津がそう言っても、銃座の男は聞く耳を持たなかった。
「死ねぇ! 死ねぇ‼」
何かに憑りつかれたように、男は機銃を撃ち続けた。
やがて一発が翼に被弾したが、それは相手にとってかすり傷程度のものだった。
男は、蜂の巣のごとく機銃掃射の的にされ、秋津も左脇腹に被弾した。彼は呻きながらその場に倒れ込み、すでに屍となっていた銃座の男と目が合った。
敵機は、船員は全員死亡したものとみなして離れて行った。
秋津は手拭いで出血する傷口を抑えながら、まわりに声をかけ続けた。
だが、返事をする者は誰もいなかった。
相模湾の上で、特設監視艇新生丸で息をしているのは、秋津淸治ただ一人だった。
野田は決裁の必要な書類に署名捺印をしていた。
窓の外にある工場では、相変わらず毒ガス兵器の製造が行われている。
少年少女たちが、勤労奉仕に励んでいる。
先日、或る学徒兵に涙目で訴えられたことがあった。
「僕たちはいつまで、ここで働くんでしょうか……」
野田は答えることが出来ず、ただ黙って頭を垂れるだけだった。
いつまで……この無謀な戦争が終わるまでとしか言えない。
工廠長らが密かに話しているのを聞いてしまったが、四月には戦艦大和が沈んだらしい。
もはや海軍には、まともな艦艇が残っていない。
いや、戦艦が充分に残っていたとしても、それを動かす油がない。だから浮き砲台として活用するほかはない。もしくは他の艦から油を持ってきて、特攻同然で出撃するしかない。大和もそのような運命だったのだろう。
大和の存在は一般国民には秘匿とされているが、野田は一度だけ呉に派遣された折に見たことがあった。世界最大にして最強の戦艦の威容さを体現したその姿に、海軍に所属する者として心から頼もしく思ったものだった。
それがもう、無い。
海軍にはもう、戦闘機と爆弾を造るほかに存在意義がない。艦隊決戦など夢に終わった。この国の制空権は、すでにアメリカの手に落ちている。
いい加減、降伏する時期ではないだろうか……そう思った直後、けたましいサイレンが敷地内に響き渡った。
「敵襲! 敵襲!」
野田は椅子から立ち上がり、軍帽をかぶって外に出た。
「現場の者は全員地下壕に退避! 急いで!」
すぐに工場へ駆けつけようとした時、頭上を三機の戦闘機が飛び去って行くのが見えた。間違いなく敵機だった。
こんな神奈川の田舎にある工廠まで狙うつもりなのか……野田は戦慄としながらも、工場の中にいる子供たちのことが気がかりで、すぐに足を向けた。
避難を無事に完了させ、外の様子を見に行った時だった。
エンジンの轟音と共に、連続した弾丸の発射音が聞こえた。
弾丸は工廠建物の屋根や壁を突き破り、そして見張り櫓に立っていた兵士を襲った。
撃たれた兵士は、地面に落下した。
野田が駆けつけると、その顔にはとても見覚えがあった。
あの、主計少尉だった。
後から知ったことだが、見張り役の兵士と主計少尉は顔馴染みで、煙草の差し入れに来ていた最中だったという。
何と運の悪いことか……主計少尉は頭部と胸部に弾痕があり、野田が顔を確認した時には、すでに事切れていた。
野田は呆然としながら、目を見開いたままの主計少尉の顔を見た。
この日の朝、広島に原子爆弾が投下されたことを知ったのは、主計少尉の簡素な祭壇が完成した夕方のことだった。
「てめぇ、このところ盗みまくってるコソ泥だろ。どんな
浮浪児のような恰好をした女を、闇市を取り仕切る男が捕まえていた。
男は、舌なめずりしながら女を見た。
「警察に突き出す前に、ちょっと遊ばせろよ」
男の手が女の腹、そして胸へと差し掛かった時、男は股間に激痛を感じた。
全力で蹴られた痛みに悶えながら、男はその場に倒れ込んだ。その間に女は逃げた。
女――典子は、一升の米を持ち去るのを忘れずにその場を去った。
明子の元へ、彼女は走った。
水島四郎は一人で家路についていた。
いつもの友はいない。死んだ。五月の空襲で。
「……」
頭上を、日本の戦闘機が飛び去って行った。
俺も、俺も乗りたい。なぁ、乗せてくれよ……そう目で訴えながら、水島は見えなくなるまで戦闘機を見つめた。
アメリカ海軍潜水艦レッドフィッシュのソナーマンは、奇妙な音を拾っていた。
どうもそれは、生物の声のようだった。
最初は鯨かとも思ったが、クジラは〝グルルルル〟などと唸りはしない。
何だ、これは?
「おい、ジャップが飛んでるぞ」
潜望鏡を覗いていた先任士官が言った。
この海域に、友軍の空母や艦船はない。もっと奥の海域だ。だが飛び去って行くゼロの進行方向は、艦隊のいる海域とは真逆だった。
「まさか、逃げてるのか?」
つぶさに観察してみたが、煙が上がってる様子も損傷してる様子もない。
「ハッ、臆病なカミカゼだな」
先任士官が笑うと、他のクルーたちも一様に笑った。
だがソナーマンだけは、硬い表情を崩さなかった。
音はもう聞こえない。
あれは、何だったのだろうか。
*
戦争が、終わった。
秋津は横須賀の海軍病院で終戦を迎えた。ベッドに横たわりながら、ラジオ放送を聞いた。
新生丸で生き残ったのは彼だけで、たまたま帰港途中の海防艦に発見されたから助かった。
玉音放送を聞いても、彼は何も感じなかった。そもそも何を言っているのかよくわからなかった。ただ〝日本は敗けた〟という内容なことは、なんとなく分かった。
目をつぶると、日米開戦前に大陸へ出征した頃を思い出した。最初こそ善戦していたものの、やがて戦況が不利になり、流れ弾が彼の腹を
今回も腹をやられたが、これまた幸いなことに命に別状はなかった。
「……何で俺だけ、生き残っちまうんだ……」
戦友も、家族もみんな死んだ。家族は疎開先の空襲で死んでいる。
彼は、独りだった。
一同が整列してラジオから流れる陛下の放送を聞いた後、工廠長はすみやかに命じた。
「機密書類をすべて燃やすように」
野田もその命令に服従し、机や戸棚からありとあらゆる書類を引っ張り出し、火がくべられたドラム缶の中へ抛った。
彼に感情はなかった。機械のように手足を動かし、〝敗戦〟という無力さを嫌というほど感じながら、ひたすら紙を灰に変える作業に従事した。
結局、この戦争は何だったのだろうか。
早期講和でもしていたら流れは違ったのだろうが、若者の命をひたすら肉弾に変えて散らせて、それで得たものは何だ?
広島と長崎が新型爆弾によって消滅し、どれだけの命が一瞬にして消えたのだろう。
野田の脳裏に、見張り櫓から地面に落下した主計少尉の顔が浮かんだ。
戦争さえなければ、彼はきっと優れた学者にでもなっていただろうに……。
「あのう……」
声をかけたのは、学徒兵だった。
「自分たちは、何をしたらよろしいでしょうか」
「……君たちは、所属する学校に帰りなさい。ここに残っていたらいけない、後は私たちがやるから。今まで、本当にありがとう」
野田は、徴用され続けていた少年少女たちに深々と頭を下げた。
彼らがこれから辿る道は、決して優しくはないだろう。
だがもう、戦争は終わった。もう命を散らす必要はなくなった。
強く、たくましく、これから訪れる〝戦後〟という時代を生きていってほしい。
彼は、そう願った。
戦争が終わったらしい。
闇市を訪れている人々の話に耳を傾けて、典子はその事実を知った。
そっか、終わったんだ。やっと……。
くすねた米と野菜を持ち去って、彼女は足早に闇市を抜け出した。
瓦礫と化した廃墟の軒下で、明子と一緒にささやかな
戦争が終わったとはいえ、じゃあこれからどうすればいいのだろう。
彼女にはもう家族はない。頼れる人もいない。
いるのは、幼い明子だけ。
……この子を、守らないと。
典子はその一念で、今後を生き抜いていこうと決めた。
粗末な木片で作った位牌に手を合わせながら、
ラジオ放送は、すでに聞いていた。それからずっと、澄子は泣いていた。
結局、敗けた。戦争に、敗けた。夫は戦地で死に、三人の子供たちは空襲で焼け死んだ。
何もかも失って、結局敗けた。何なのよ、本当に……。
隣に住む敷島家も、全滅だ。家は跡形もなくなっている。瓦礫しかない。
澄子は敷島家の冥福も祈りながら、合掌を続けた。
*
年が明けた。
秋津の姿は、東京の漁港にあった。
そして傍らには、特設掃海艇に生まれ変わった新生丸があった。
「お互い、生き延びちまったなぁ……」
苦笑して乗り込もうとした直前「あのう」と声をかけられた。
白髪まじりで眼鏡をかけた男が桟橋に立っていた。
「あなたが、この船の艇長さんですか?」
「おおそうだ、秋津だ。おまえは?」
「野田と申します。復員省から派遣されてきました」
応募採用ではなく、直接派遣されてきたという点に秋津は敏感に反応した。
「元軍人か?」
「ああ、まぁ一応は……技術士官をしてました。元々は学者ですけど」
「そっか。まぁ乗れや、エンジンは任せたぞ学者」
そしてこの日から、野田は秋津から〝学者〟と呼ばれるようになった。ずっと。
たまたま見つけた求人のビラに、水島は興味を持っていた。
「職務・日本領海に設置された機雷の除去作業
年齢・16歳以上(男子のみ)
支度金・三千円
詳細問い合わせは第二復員省迄」
今は、金がいる。家族を養うためだ。
支度金だけで三千円というだけでも魅力的だったが、機雷の除去作業という特殊な職務内容に彼は魅かれていた。
戦争には結局行けなかったが、戦争の後始末に関わる仕事だ。
何ひとつ役に立てなかった歯痒さを、この仕事ならきっと晴らしてくれるのではないか。
危険な仕事であることは百も承知ではあったが、彼は迷うことなく応募することに決めた。
太平洋の大海原を、或る生物が遊泳していた。
その生物の存在を知る者は、まだ少なかった。
捕食動物を思わせる頭、岩肌のような表皮、長い尾、そして背中に生えた独特の突起物。
その生物は、ひたすら大海を我が物顔で泳いでいた。
進行方向には、ニンゲンが「ビキニ環礁」と名付けた場所がある。
アメリカがそこで夏に核実験を行おうとしていることを、その生物は知らない。……
《執筆後書き》
本作はこれで完結です。
元々、ノベライズ版の『ゴジラ-1.0』の前日譚的なものを書きたいなぁと思っただけのものなので、内容はいたって簡潔です。
お暇つぶしにでもなれましたら幸いです。