■汗だくキモデブハァハァ聖女()   作:短文ちゃん

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§ prologue.

 

 

 

 ……何だ? ここはどこだ?

 

 

 

 キョロキョロと辺りを見回す。

 男は先ほどまでハナクソをほじりながら自室でゲームに興じていた。

 

 

 それがどうだ。

 

 

 軽い眩暈(めまい)がして気が付くと、そこは薄汚い路地裏だった。

 

 視界が低い。

 身体が軽い。

 そこに(まと)わりついているはずの重苦しい贅肉の鎧の存在が感じられない。

 そして首を動かすごとに顔に掛かるサラサラとした金色の綺麗な髪。

 視界にチラチラと入り、(いささ)か鬱陶しいと感じる前髪。

 

 ここで(ようや)く下を向いて確認することに思い至る。

 

 ああ、そうか――

 

 目視確認を終え、男は理解した。

 自身の身体が子供に戻っているということに。

 

 しかも……何故か服を着ていない。つまり全裸の状態だ。

 

 そこで突き付けられるもうひとつの事実。

 

 ……あるはずのモノが無い。

 

 普段も腹の脂肪が邪魔をするためソレが見えている訳ではない。

 だが、今の身体は贅肉の無い()せ型の体型をしているのだ。

 (ゆえ)(いや)(おう)でもソノことに気付かされる。

 

 

 おかしい。

 あり得ない。

 

 

 これは夢?

 それとも臨死体験か何かか?

 

 

 いつもの自分なら狂喜乱舞していても良いはずだ。

 それがなぜ――

 

 

 夢だ、いやこの感覚は現実だ、いややっぱり夢だ。

 男の頭の中でグルグルと思考が二転三転する。

 

 

 しかし思い悩む暇もなく全方位から襲い掛かる、無数の卑猥(ひわい)な目線。

 

 

 

「お嬢ちゃん、どうしたのかな?

 こんなところでそんな恰好でさぁ」

 

「お、オジさんとイイことしない?」

 

 

 

「ひ、ひぃ……」 

 

 欲望に(まみ)れた視線に後ずさり、何かに足をとられて尻もちをつく。

 同時に広がってゆく湯気の立つ水溜()まり。

 男……いや、少女は恐怖のあまり失禁していた。

 ……全裸のままで。

 

 しかし少女はそれが(かえ)って周囲を取り囲む(いや)しい大人たちの劣情を催すことをよく知っていた。

 

 

「ぐへへ……」

 

「じゅるる……」

 

 

 周囲から集まる好奇の視線。

 

 もうどうにもできない。

 

 

 力の限り叫ぶしかなかった。

 

 

「や、やだぁ! やめてぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 その瞬間。 

 

 眩い光が一条の束となって天に立ち昇る。

 声を上げた少女はその中心にいた。

 

 光は次第に拡がり、辺りを包み込んでゆく――

 

 

 

 ………

 …

 

 ……ナンダ。ココハドコダ。

 

 

 

 ――ハッ!?

 

 

 男はキョロキョロと辺りを見回す。

 

 軽い眩暈(めまい)がして気が付くと、そこは薄汚いアパートの自室だった。

 

 

 いつもと変わらない朝。

 窓の外ではいつものように子供たちが集団登校の列を作って楽しげに歩いていた。

 

 

 しかし男の様子はいつもとは違っていた。

 

 ……やはり夢か。

 ホッとしながらも脳裏に浮かぶあのときの光景、そして恐怖。

 

 

 自分は何て気持ち悪い……不潔で不気味な存在なんだ……

 唾棄(だき)すべき汚らしいロリコンのオタクだ。

 

 毎朝笑みを浮かべながら窓の外を行く子供たちを眺めるのが男の日課だった。

 

 しかし目の前の画面に映る己の姿の薄気味の悪さに今になって気付く。

 

 コイツは何て……何て不気味な薄笑いを浮かべてやがるんだ……!

 

 

 何がイエスロリータ、ノータッチだ。

 

 

 今まで自分が世間に許容されると勝手に思い込んでいた行為の数々。

 男はそれらの形容し難い気持ち悪さに恐れ(おのの)いていた。

 こんな社会のゴミに生きている資格などあるのか……

 

 

 男の中で渦巻き始める不安と恐怖。

 それは自分という存在の絶望的な価値の無さに気付いてしまったが故の恐怖であった。

 こんなことばかりしている自分がこの先、社会の中で生きてゆくことができるのか……?

 

 

 窓の外からは黄色い旗を振る保護者たちの鋭い視線が男に向かって突き刺すように向けられていた。 

 

 

 

/01\

 

 

 世界で最も古い歴史を持つその国。

 長い歴史に裏打ちされた高度な文化。

 そして世界有数の陸運・海運の拠点を有し、政治・経済・文化全てにおいて世界の中心と言うべき存在。

 宗教においても総本山となる大神殿を有し、まさに世界のリーダーであった。

 

 

 その宗教的象徴ともいえる救世の聖女は草創期の伝承としてあまりにも有名な話である。

 

 聖女召喚の儀。

 

 それは世界が危機に瀕したときにこの国のみが行使することを許された儀式である。

 許すとは? 一体誰が許すのか?

 もしもこの世界と価値観を異にする人間が存在するのであれば、そのような疑問が当たり前のように湧いて出たことだろう。

 しかしここは異世界。

 人々はそれを神が決めたルールであるものという恒久不変の(ことわり)として当然のく受け入れていた。

 

 故に王国の長きにわたる歴史の中でもその術式の一切は厳重に管理され、秘匿され続けた。

 

 そうして時は流れ、移り変わる時代と共に聖女も物語の中だけの存在となっていった。

 

 しかし――

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ある暑い夏の日。

 

 その日、王都の一角で巨大な魔力の渦が観測された。

 一条の光の柱が立ち昇り、その高さは天界へと至らんとする程であったという。

 

 

 

「何、それはまことか!」

 

 一報を受けた彼は浮足立っていた。

 何しろ失敗に終わったはずの聖女召喚が実は成功していたかもしれないというのだ。

 

 

「は。確認のため神官を現場に向かわせております」

「あまり目立ったことはするでないぞ」

「心得ております。

 向かった者たちにはあくまで魔術的な調査と言う名目であると告げよと申し付けております。

 皆警備兵の装束を身に着けさせておりますゆえ目立つこともござりますまい」

「神官もか」

「神官には魔導師団のローブを羽織らせております」

「……師団に話は通してあるのか」

「は。その、師団長殿はかねてより此度の儀式に並々ならぬご興味……を、お持ちでしたゆえ」

「何? 事の仔細を説明した訳なのではないのであろう?」

「大規模な召喚実験の現場対応であるとだけ」

「それだけのことで師団の紋章を神殿に貸し与えるか」

「何でも、使者の到着を待たずして段取りを整えていたとか」

「条件は? 相応の見返りを求められたのであろう」

「特には御座いません。

 ただ師団のローブを身に着けて現場を歩き回ってもらえばそれでよいとだけ。

 大方(おおかた)遠視の術式でも仕込んで来るのではないかと。

 如何致しますか?」

「フン、成る程な。その程度のことは構わぬ。

 したいようにさせておけばよかろう。

 ……研究にしか興味のない愚物め」

「それで駒として使わせて頂けるのであれば大変に都合の良いことでは御座いますが――」

「ああいった手合は好物を目にしたら得てして思慮に欠ける行動を取るものよ。

 それより衆人環視の中で行う茶番なのだ。

 決して綻びを出さぬよう心せよ」

「は。心得まして御座います」

 

 傍から見れば恰幅の良い騎士が従者にテキパキと指示を飛ばしているように見えたことであろう。

 

 だがここは王宮ではない。

 そしてこの人物も騎士などではなかった。

 事の一部始終は権限の及ばないはずの場所でのあり得ない会話なのだ。

 

 

「殿下……これを茶番と言い切られますか。

 綻びを出さぬよう自重しなければならぬのは貴方様の方で御座いますでしょうに」

 

 

 彼が去った後、その人物はひとりそっと呟いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「話は聞いているな? 急ぎ仕度をせよ!」

 

 大音声(だいおんじょう)が木霊し、大神殿の静謐(せいひつ)な空気を()き乱す。

 

「何をしている。聖女様をお迎えに上がるのだ」

「で、殿下……!」

 

 突然の王子の来訪。

 しかも従者をゾロゾロと引き連れ、目に見えてものものしい雰囲気である。

 その鬼気迫る様相に大神殿の神官達は大いに(あわ)てふためいた。

 無理もない。

 彼らは何も知らぬのだ。

 

 

 

 (くだん)の魔術的事象が確認されたのは外郭に拡がる貧民街の一角。

 派遣された調査団がそこで目にしたのは……汚らしい身なりをした下賤の民がたむろするうらぶれた路地であった。

 それは何もない……何の変哲もない街角。

 

 調査のためにその場所を訪れた彼らは皆一様にいわれのない焦りを覚えた。

 このまま手ぶらで帰ればどの様な仕打ちを受けるか……

 

 それだけではない。

 来春には召喚の間は取り潰され、罪人を収監する地下牢とすることが決まっている。

 時代は常に移り変わる。

 如何な王国であろうと無駄な穀潰しを未来永劫養って行くような余裕などないのだ。

 当然、彼らは皆クビだ。

 魔導の才を持つ連中や手に職がある連中はまだいいだろう。

 

 しかし研究にしか興味のない彼らは神殿から見れば真に邪魔な穀潰(ごくつぶ)しだ。

 日頃から清貧を是とし(わず)かばかりの寄進を糧としている身でありながら神への祈りを忘れ、自己の世界に没頭する彼ら。

 そんな自己中心的なえせ神官を擁護する者などあろう筈もない。

 

 故に彼らは時間稼ぎとばかりに偶然拾い上げた一本の毛髪を持ち帰った。

 召喚が成功した証として分析することを申し出るためである。

 

 

 

 これがどこでどう伝わったのか、第一王子が喜び勇んで自ら乗り込んで来る事態となったのだ。

 

 召喚の術理に反して魔法陣も何もない、ましてや王家と何のゆかりもない貧民街の只中に聖女が出現することなど果たして有り得るのだろうか。

 

 そんな場所に城勤めの近衛騎士などが徒党を組んで立ち入ろうものならどのような面倒事になるか分かったものではないのだ。

 貴族たちにとってスラムなど存在しないも同然なのだから。

 

 しかし今回の報は神殿から派遣された調査官からもたらされたものなのだ。

 立場的に神殿が止めに入れるものではない。

 しかもこの一件のせいで、召喚の間を騎士団に譲る代わりに交付される莫大な助成金が一時的にとはいえ凍結されたのだ。

 

 有り体に言って、正気の沙汰とは思えなかった。

 

 神殿においてその利権を(むさぼ)る者達もまた——王室は何かを画策している、その(しら)せを(もたら)した者の身元を洗え——などと(にわか)に浮足立った。

 

 

 

「お待ちください!」

「馬鹿者めが。行くのはお前たちではないわ」

「は? あ、いえ……これはご無礼を……」

「フン」

 

 そこに気遣いなど微塵(みじん)も無い。

 (うやうや)しく(かしず)く神官たちを前にした王子の態度はどこまでも冷淡であった。

 

 すれ違う一瞬、その神官たちと彼らの視線が交差する。

 

 急ぎ足で地下へ向かう王子に付き従う一団には件の“穀潰(ごくつぶ)し”の神官も随行していた。

 

 誰かが舌打ちをする音がした。

 それは頭を垂れる神官の誰かかもしれない。

 或いは通り過ぎる一団のいずれの者か――

 

 

 

 しかし彼らも焦っていたのだ。

 

 ありもしない世界の危機。

 それをでっち上げて聖女召喚の儀を執り行おうというのだ。

 もとより暗中模索で始めた“研究”だ。

 召喚の間の維持管理を司る神官たちはその“お役目”に辟易(へきえき)としていた。

 そもそも、彼らは神学を修めた生粋の神官ではない。

 王立魔導学院で優秀な成績を収めた“研究者”なのである。

 王国のごく一部の者の間でのみ伝承されてきた聖女召喚の術式。

 それを未来に継承して行くことが彼ら神官たちに課せられた使命だ。

 しかし皮肉にも王国が長い時を経て築き上げたその栄華が、彼らの使命を退屈な事務屋のルーチンワークへと(おとし)めることとなった。

 

 (よすが)を失う運命にあった彼らがその存在理由の消失に抗おうと藻掻(もが)くのはある意味当然のことだったのだ。

 

 

 

「殿下。準備が整いまして御座います」

「来たか」

「は。お待たせいたしまして大変申し訳御座いません」

「フン。心もにもないおべっかはよい。行くぞ」

「では、こちらに」

 

 彼が従者を引き連れ向かった先は大神殿の隠し通路を抜けた先、本来なら王族のみが知らされる筈の閉ざされた空間。

 それは戦乱の時代に建設された城下へと続く脱出口であった。

 

 そこに用意されていたのは駅馬車と見紛(みまご)うばかりの質素な馬車だった。

 

「フン、なるほどな。だがスラムに立ち入るにはこれでも過ぎた代物ではないか?」

 

 だがそれだけではない。

 護衛の冒険者に扮した騎士がぼろ布を差し出す。

 

「殿下、こちらへ。お召し物にございます」

「汚ならしいな」

「かの場所にて余人の目を引かぬためのものに御座りますれば。

 何卒ご辛抱を」

「単なる感想だ、構わぬ。

 貴様らも中々(さま)になっておるではないか」

「ははは、ご冗談を」

 

 

 

「殿下」

「今度は何だ。些事も程々にせよ」

 

 そう言って振り向けば場に相応しくない人物がそこに立っていた。

 

「お待ちください殿下。よもや(おん)自らお出ましになられるおつもりで御座いますか」

「何を申すか。当然であろう

 それより何故お前がここにおるのだ」

「何を仰られます。

 神殿の者にこの場所をお教えになられたのは殿下のご意思では御座りませぬか」

「フム、そうであったな」

 

 一般の神官であれば不敬罪に処せられたであろう。

 だが、これは大神殿の神官長からの諫言(かんげん)である。

 

 幼いみぎりよりあるときはよき相談役として、またあるときは母親代わりとして常に彼の(そば)にあった彼女をもってしても、彼を止めることは叶わなかった。

 

 何ということ……殿下は何故(なにゆえ)こうまでご乱心召されたのか。

 あの日わたくしが――

 そう思うとより直接的な言葉で伝えずにはいられなくなる。

 

「殿下、聖女召喚などお諦めくださいませ。どうか」

「聞かぬぞ。たとえそなたの願いであってもな」

 

 彼女……いや、その場に居合わせた誰もがまだ知らなかった。

 彼がこれ程までに聖女召喚に執着する、その理由を。

 

「参るぞ」

「お気を付けて」

「うむ、では出せ」

 

 留守を預かる者を残し、王子を乗せた馬車は僅かばかりの護衛を伴いその場を後にした。

 

 

 

「……そこのあなた」

「は、はい」

「陛下は何処(いずこ)におわしますか」

「平時に御座りますれば今の時分は執務室においでかと」

「そうですか。

 あなたも日々のお務めに精進するように」

「は? は、はい。“お勤め”……に御座いますか」

「そうです。

 ゆめゆめ忘れることのなきように」

「神の思し召しのままに」

「神の思し召しのままに」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 しかしその日の午後、現場に到着した彼らが目にしたのはあまりにも受け入れ難い光景だった。

 

 

「誰だ……こ奴は」

 

 待ち構えていたのは背中まで伸びた白い髪を持つ、薄汚い老人。

 頭頂部は禿げ上がり、長く伸びた髭もボサボサ。

 まさに怪人というべき風貌であった。

 

 老人はその顔に深く刻みこまれた(しわ)を更に歪ませ、嗜虐的(しぎゃくてき)な笑顔を貼り付けながら告げた。

 

「ギヒヒ、此処は貴方様のような高貴なお方がいらっしゃる様な場所では御座りませぬぞォ……」

 

 彼の背筋にぞわりとした悪寒が走る。

 

「おい、このジジイは何だ!」

「い、いえその……調査の折には何の痕跡も無く、ただ一本の御髪(おぐし)のみが……」

「この者は何だと申しておる!」

 

「ギヒヒ……後悔するぞ、お主。……必ずな」

 

 

「あ、あの……私共は決して殿下を欺こうなどとした訳ではなくですね……」

「どけ」

「殿下ッ!?」

 

「死ね」

 

 王子はその不快な老人を一刀の下に切り捨てようとした……が、それは叶わなかった。

 

「あ!? ……ああ、そうか」

 

 今は王子も目の前の老人と同じ、見すぼらしい浮浪者なのだ。

 当然、剣はおろか護身用のナイフすら持ち合わせてはいなかった。

 

 己の身の置かれた状況、そしてその行いの危うさに今更ながらに気付かされる。

 

 その現実が彼を打ちのめした。

 

「な、なあ。ご老人……俺はどうすれば――!?」

 

 たった今切り捨てようとした老人に教えを請おうとするが……そこには誰もいなかった。

 

「で、殿下、一体誰と……?」

「大声を出すな」

「しかし――むぐぐ……」

「場所を弁えろ……愚か者めが……」

 

 事前に申し合わせていたにもかかわらず臣下の礼を取ろうとする従者を抑えつける。

 

「失敗……そうか、失敗か……」

 

 そう(つぶや)く王子の目にはいつしか狂気が宿っていた。

 

 

「おい」

「ひぃっ……」

 

「お前は駄目だ」

「お前も駄目だ」

 

「で、殿下……」

 

「糞ォッ! 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だァッ!」

 

 

 

『……どうやらうまく行ったようですね。安心しましたよ』

 

 

 その日。

 

 貧民街の片隅から一条の光の柱が天高く立ち昇った。

 居合わせたのは見るも哀れな乞食ただ一人であったという。

 

「あはは……あはははは……ヒヒ……うひひッ……

 あーっはっはっはっはっ!」

 

 

 ある暑い夏の日の出来事であった。

 

 

 

 

/02\

 

 

 ………

 …

 

 

 そこは深い深い闇の中。

 次第に浮上して行く感覚、それが始まりだった。

 

 しかし明瞭になって行く意識とは裏腹に、その視界は黒で塗り潰されたままだった。

 それだけではない。

 妙な浮遊感――

 上も下も無く、何もない空間をただ漂っているだけであるかのような――

 

 ――! ――!!

 

 本能が警告する。

 起きなければ!

 

 ――動け……? 動け! 動け! 動けぇ!

 そうして手足を動かそうと必死に藻掻(もが)く……いや、藻掻(もが)こうとする。

 だが己の体である筈の存在は鉛の塊であるかの如く微動だにしない。

 まるで……肉体と意識が分離してしまったかのようだ。

 それでも藻掻(もが)く――何かに(すが)りつくかのように。

 

 

 ………

 …

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ――何かが(うごめ)いている。

 

 どれ程の時間が過ぎただろうか。

 

 不意に何かに気付く。

 いや、認識するという表現の方がより適切か――

 それは一体いつから存在していたのだろうか。

 己自身の認知すらままならぬのに、一体何故――

 何という理不尽――

 

 しかし事実は受け入れねばならない。

 故に仮に存在Aと名付け、意識を集中する。

 

 それは如何なる存在であるのか――

 鋭利な刃物を向けられる感覚……そう言い表すべきか。

 その情報を如何なる器官で受容しているのか、自身でも説明できない。

 

 だが存在Aが次第に近付きつつあるのが分かった。

 

 鋭角を突き付ける……という表現が適切か分からない。

 とにかく存在Aが鋭角の意識を向けてきたのが知覚できた。

 

 ――! ――!

 

 何だ。何を言っている。

 必死で意識を向ける。

 

 

 ………

 …

 

 

 ――何だ?

 その存在から流れ込む“嫌なイメージ”……

 

 それはやがて具体的な像を結び、明確な映像となり……ボクの目の前を流れて行く。

 

 

 ………

 …

 

 

「では、貧民街を焼き払うおつもりなので御座いますか」

「ゴミ溜めを聖女様のご降臨に相応しい場所に造り替えるのだ。

 問題はあるまい」

「ならばそこに住まう万の民を何処(いずこ)へと移住させねばなりませぬ」

「ゴミと大差あるまい。街と共に焼き払えばよい」

「何を仰られます……貧民街はこの王都の外縁を取り巻くような形で位置しているのです。

 そのような場所をただ焼き討ちにするならばどのようなことが――」

「聖地に聖堂を建立するだけのことだ。問題など無かろう」

「しかし――」

「黙れ」

「あ……で、で……ん……」

 

 目の前に鮮血が飛び散る。

 そして直後に鳴り響いたカラン、という乾いた金属音に劣らぬ冷たい声。

 

「剣は処分しておけ。この生ゴミと一緒にな」

 

 一体どうしてなのかは判らない。

 倒れ伏す神官が事切れるその刹那に絞り出した、蚊の鳴くようなか細い最期の言葉。

 

 それが妙に鮮明に聞こえたような気がした。

 

 

 ――ああ、どうかこの子に神のご慈悲を。

 

 

 ………

 …

 

 

 存在Aが放つその鋭角の意思――

 何故かは分からない。

 

 そのままにしてはおけない……そう強く願う自我が芽生える。

 そして同時に再浮上する意識。

 

 ボクはそれに手を伸ばし、引き()り落とそうと藻掻(もが)く。

 

 

 ――!

 

 鋭角の意思が訴えるナニカに強い不快感を覚えたボクは、ソレを一気に突き放す。

 

 ――! ――!

 

 何かを叫びながら沈んで行くその存在。

 

 それを見送りながら、ボクもまた再び微睡(まどろ)みの海へと沈んで行く。

 

 そこは真っ暗な深い深い闇の世界。

 ああ、もう何も藻掻(もが)き苦しむ必要などないんだ――

 

 それはボクが意識を手放す前に残した最後の思考だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ――! ――!

 

 何者かが自分を排除しようとしている。

 その事実に気付くがどうする事もできない。

 意識ばかりが先走るも身体は鉛の塊のように固まったままなのだ。

 

 そして無抵抗のままに突き飛ばされる衝撃。

 

 ――!?

 

 初めて味わうその屈辱、得も言われぬヌメリとした感触に精神が高揚する。

 

 ………

 …

 

「……!」

 

 どれ程の時が流れただろうか。

 不意に蘇った五感によって強制的に意識が覚醒させられる。

 

 全身に襲いかかるむせ返るような暑さ。

 辺りに漂う嗅ぎ慣れぬ()えた臭い。

 

 鮮明かつ刺激的なその感覚に(しば)目眩(めまい)を覚える。

 

 そして視界に映る見慣れぬ空間。

 そこはまるで牢獄のような部屋だった。

 汚らしい埃が辺りを覆い、一言で言い表すならば“ゴミ屋敷”という言葉以外に思い浮かばない。

 

 何故自分はこのような所に……?

 彼は横たえていた体をゆっくりと起こし、周囲を見渡す。

 

「……」

 

 それは異様な光景だった。

 何か宗教的儀式を執り行うための祭壇だろうか。

 雑然とした室内の中で唯一、手入れの行き届いているといった感のある場所があった。

 

 そこには様々な意匠の立像が祀られており、中でも華美で扇情的な姿をした美しい少女像の数々が一際目を引いた。

 

 何たることだ……此処(ここ)はよもや……

 

『……ッ!』

 

 その中の一体を目にした瞬間、見えざる稲妻が彼の心を貫き、そして何かが弾けた。

 

『聖女様……聖女様かッ!』

 

 そして声を発したその時も、彼はまだ気付いていなかった。

 その肉体が己のものでないことに。

 そしてその場所が異世界であることに。

 

 彼は叫ぶ。

 

『誰か……誰か在るかッ!』

 

 この場所……この場所こそが……ならば……!

 力の限り叫ぶ。

 

『聖堂……聖堂を建立するのだッ!』

 

 そして彼は誰も姿を現さないことに苛立ちを覚え、裸足のまま部屋を飛び出す。

 

『ええい! 誰か()らぬのかあッ!』

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そこは古びたアパートの一角だった。

 

 突然の騒ぎに、他人の不幸をこよなく愛する住民たちは皆何事かと色めき立った。

 しかし玄関の隙間から覗く彼らが目撃したのは、美少女フィギュアを手に奇声を発しながら驀進(ばくしん)するキモデブ。

 黄ばんだランニングシャツに縞パンという伝統的おやじファッションに身を包み、公衆の面前を奇声を発しながら肩を怒らせ堂々たる面持ちで練り歩く。

 彼らはそれを確認するなり滑らかな動作でスッと首を引っ込めた。

 

 ――あの人かあ。

 ――そのうち何かやらかすと思ってたわ。

 ――ついにやったか。

 

 住人達が口々に(ささや)くその言葉はしかし、日本語など解さぬ彼の耳には届いていなかった。

 

 自己中心的な性格が災いしたのか、彼は周囲の異変を一切認知できぬまま駆け出していたのだ。

 

 明るい陽射しも眩しい初夏の朝の風景。

 目前に迫った夏休みへの期待に楽しげに談笑しながら歩く児童たちの列。

 そこへ奇声を発しながら飛び込んで来た黒い影。

 

 その瞬間の恐怖は子供たちに一生消えないトラウマを植え付けた。

 

『この無礼者め!

 下賤な民がぶつかってきたうえに謝りもせぬとは何事か!

 ええいこやつら、手打ちにしてくれようか!』

 

 数人の子供に衝突してよろめいた彼は激昂(げきこう)して空いている方の手をなまはげの如くに振り上げた。

 

「ひえぇ」

「ママーたすけてぇー! ヘンタイだよぉー」

「うわぁーん」

 

 集団登校を引率していた保護者は危険を感じて即座に割って入った。

 

「何ですか、あなたは」

『何だ、貴様は。この者らの代表か』

「!? アナタ、ナニヲシテイマスカ?

 ニホンゴ、ワカリマスカ?

 ドゥーユースピークジャパニーズ?」

『何だ、貴様ら()(くに)の者か。

 ふむ、成る程。道理で人ならざる扁平(へんぺい)な顔付きをしておる訳だ。

 下賤な獣に相応(ふさわ)しい訳の分からぬ奇天烈(きてれつ)な鳴き声よ』

 

 コミュニケーションが取れないことに(ごう)を煮やした引率者は構わず日本語で言い放つ。

 

「ちょっとあなた。何を言っているか分かりませんが、とにかく道を空けて静かにして下さい」

 

『うるさい』

 バキッ!

 

 彼が躊躇(ちゅうちょ)なく裏拳で殴りつけるとそれまで傍観を決め込んでいた人々も見かねて介入し、場は一気に混乱のるつぼとなった。

 

「ちょっとあなた、何してるんですか!」

『何をするか、無礼者めが』

「警察を呼びますよ!」

 

「このおじちゃん、いっつもじろじろ見てる気持ち悪い人だよー」

『邪魔だ、糞餓鬼』

 ドンッ! ドタッ!

「あっ……うっ……うぁーん!」

『やかましい。ピーピー(わめ)くでないわ、この不浄な賤民めが』

 ドカッ、バキッ!

「あっ、うっ……」

『フン、良い声で鳴くではないか。そら、もっと鳴け、どうした、ほら』

 ガツッ! ドカッ!

「……」

 

 子供の一人が彼に突き飛ばされ、膝を擦りむいた拍子に泣き出した。

 それを見た彼は何を思ったのか、子供を足蹴にしながら日本人には聞き取れない言葉で口汚く罵倒(ばとう)し始めた。

 

「おい、何してるんだ! やめろ!」

『な、何をするか無礼者……あっ! 聖女様、聖女様ァ!』

 

 群衆の中からその場の状況を見かねた者がさらに数人飛び出し、彼を取り囲んで押さえ付けた。

 そのはずみで彼の手から美少女フィギュアがこぼれ落ちる。

 

 それを目にした彼は物凄い力で押さえ付けていた者たちを振りほどき、慌てふためいた様子で路上に自立させた。

 

 振り解かれた者たちも即座に体制を立て直して再び彼を押さえにかかる――しかし、次の瞬間に起きたことが理解できず、呆気にとられた表情のままその場に立ち尽くしてしまう。

 

『聖女様、お怪我は御座いませんか。

 この者たちがとんだご無礼を働きました……』

 

 美少女フィギュアに対して真顔で突然(ひざまづ)き、聞いたこともない言語で語り掛ける彼にもはや誰も付いて行くことはできなかった。

 

 しかし――

 

「ふざけるな!」

『な、何だ貴様は』

 

 先程彼を押さえにかかっていた者の一人が耐えかねて怒鳴り始めた。

 

「あんた、どうせ親の(スネ)(かじ)ってばかりで(ろく)に働いてもいないんだろう?

 大方、そういうフィギュアやらマンガやらゲームやらをしこたま部屋に溜め込んで、人付き合いもせずに日がな一日部屋に引き篭もってるんだろう?」

 

『貴様、何を言っている?』

 

「あんた、十年後の自分なんて考えた事も無いんだろう?

 親が死んだらどうするんだ? え?

 乞食でもすんのか? あぁ? 乞食舐めてんじゃねえぞ?

 テメェみてーなクズ野郎のことを社会のゴミだっつーんだよ、糞が!」

 

 一見上品そうな老紳士はいつしか丁寧語など忘れ、あらん限りの言葉でキモデブを(ののし)っていた。

 

 止めに入る者は無く、誰もが皆ただ固唾を飲んで見守る。

 

 キモデブは罵倒されたことにも気付かずに振り向き、老紳士を一瞥(いちべつ)するとニヤついた顔で何かを喋り始めた。

 

『ふむ。そなたがこの者らの代表者か。ならば丁度良い。

 この不埒な獣共を即刻処分し、供物とするのだ。

 そしてこの場を新たな聖地とするのだ。

 世界に一つの豪奢な祭壇に聖女像を建て、神界に至る(いしずえ)とするのだ、これ以上の栄誉はあるまい』

 

 しかし当然、老紳士からすれば外国語で何かを(わめ)いているようにしか見えない。

 客観的に見て、このキモデブは自堕落なクズ以外の何者でもないのだ。

 彼は紳士らしからぬ態度でそれに応じた。

 

「うるせぇよ、何言ってんのか分かんねーんだよ、この気色悪ィロリコン野郎が!」

『あッ!? 貴様何を!?』

 

 バキャッ!

 老紳士は怒りのままに美少女フィギュアをグシャリと踏み潰した。

 

『聖女様ゴフッ!』

 

 彼は地を這いつくばり必死にフィギュアを取り戻そうとするが、老紳士に足蹴にされ惨めに転がった。

 その拍子に縞パンの隙間からソレがはみ出し、だらしなくぶら下がる。

 

「フン! 惨めだな。

 テメエみてえなクズにはお似合いの格好だ」

『貴様……よくも聖女様を……おのれ、おのれえ……』

「何だよ」

 

 老紳士は踏み付けた足をグリグリと執拗に押し付け、ねじくり回す。

 美少女フィギュアの残骸は瞬く間に粉微塵(こなみじん)と化した。

 

『き、貴様ァ――』

 

 だが怒りに震える彼を尻目に、別な場所からまた大声が上がる。

 

「おい、さっきの子がやばそうだ! 救急車だ!

 誰か救急車を呼んでくれ!」

 

 すると老紳士は表情を一変させ、周囲に指示を出し始める。

 

「大変だ! 早く手当を!

 誰か近所の方から救急セットを借りて来るんだ!」

「あ、私やります。看護師です」

「お願いします」

「頭を固定するんだ。動かすなよ!」

 

 ………

 …

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ――!

 ――!!

 

『何だ、何を騒いでいる?』

 

 周囲が再び騒然とする中で彼はひとり取り残され、ぽつねんとしていた。

 怒りのやり場を唐突に失い、毒気を抜かれた彼は急な出来事に呆然とするしかなかった。

 

 そのとき彼は一体何を思ったのか。

 唐突に両手を掲げてパンパンと叩き、叫んだ。

 

『召使いだ。召使いは()らぬか』

 

 喧騒に包まれていたその場は一瞬、静まり返った。

 

 しかし――

 

 バキッ。

 

『あひっ』

 

 ドサッ。

 

「このキチガイめ」

 

 老紳士の一撃が(あご)にクリーンヒットし、そのまま彼は昏倒(こんとう)した。

 

 彼はそのまま現行犯逮捕され、警察に連行された。

 その後、彼がどのような運命を辿ったのか……それを知る者はいない。

 だが、この事件は後の世に多大な影響を残すこととなった。

 

 暴行を受けた児童は居合わせた人々の懸命の救護の甲斐もあって奇跡的に一命を取り留め、自力で歩ける程にまで回復した。

 友達に車椅子を押してもらいながらも楽しそうに登校するその姿を見て、人々は一様に目を細めたという。

 

 そしてそれを耳にしたアパートの住人の一部。

 彼らは何故かとても残念そうな顔をしていたという。

 

 有り体に言って、彼らもまたクズなのであった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 あの日から七年。

 かの国で国王の退位と第二王子の王位継承が公表された。

 

 ――ワァーッ!

 晴天の空の(もと)、城下に集った人々の歓声が響き渡る。

 ――国王陛下、万歳!

 記念すべきその戴冠式の日、新王の即位に伴い監獄の囚人たちには特例となる恩赦が与えられたという。

 

 しかし――

 

「うひひひ……ひひっ」

 

 ――彼もまた……壊れていた。

 

 後に■■■■国と呼ばれることになるかの国の最後の50年。

 これがその歴史の幕開けであった。

 

 

 

/03\

 

 

 心地よい微睡(まどろ)みの中で、ボクは夢を見ていた。

 

 ………

 …

 

 ――さい……

 ――なさい。

 

 ――ね。

 

 遠くから呼び掛ける優しげな声。

 何だろう……思い出せそうで思い出せないかすかな記憶。

 それはきっと遠い昔の大切な想い出なんだろう。

 ボクは心地よさを感じつつも、どこか他人事のようにそれを俯瞰(ふかん)していた。

 そのどこかとても懐かしいと思えるような何かが――

 

「早くしろよほら、このクソガキ。

 そんなに死にてぇのか? あ?」

 

 ――そう思ったのも束の間、首筋に当たる冷たい感触が否応なく覚醒を強要する。

 

 現実への回帰を余儀なくされたボクは恐る恐る目を開いた。

 

「!?」

「ほら、来いってば」

「あ……っ!?」

「さっさと歩けっつーの」

 

 強引に引っ張られて思わず声を上げたその瞬間、自分から出た子供の声に違和感を覚え、思わず自分の手足を確認――

 

「ボサっとしてんじゃねえって言ってんだろオラ」

 ゴスッ!

「あう」

 

 ――している暇も無く、強面(こわもて)の男にいきなりぶん殴られた。

 

 どうやらのんびりと感傷に浸ったりびっくりしてキョロキョロしたりするような余裕は無い、ということらしい。

 

「ちょっと、大事な商品をキズ物にすんじゃないよ」

「ったく……こんな可愛げのねぇガキを買うなんてよ。

 俺には理解できねえなあ、お貴族様の趣味ってヤツがよ」

「アンタは怖え顔して後ろに立ってりゃいいんだ、余計な考えなんて起こすんじゃないよ」

「へいへい。

 しかしダンナもこんなガキどっから連れて来たのやら」

「言ってるハナからそれかい!

 とにかくアンタは黙ってな。いいね?」

「分かったよ。分かったから叩くなっつーの」

「ほら、お前も分かっただろ。だから素直にさっさと歩きな」

 

 そう言われたところでようやく状況を理解した。

 どうやらボクは今子供で、奴隷か何かとして売られに行く途中らしい。

 

 どこかで捕まったのか親に売り飛ばされたのかは分からない。

 何しろさっきまで部屋でゴロゴロしてちょっと居眠りしたと思ったらこれだ。

 

 逃げようにも両の手は後ろ手にされ(かせ)をはめられているし、さっきのおっかないおじさんもいる。

 

 という訳で逆らったらどうなるか分からないし大人しくドナドナされることにした。

 

 

 行き先、■■じゃないといいなあ……

 ボクは呑気にそんなことを考えながら粗末な馬車に乗せられ、ガタゴトと揺られていた。

 うぅ、お尻が痛い……

 

 そんなこんなで数日後。

 

 行き着いた先は意外にもいかにも神殿といった感じの荘厳な場所だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 カツン、コツン……

 

 石造りの建物の内部に乾いた靴音が響き渡る。

 暗がりから現れたのは濃紺のローブを着た一人の男だった。

 そして(わず)かに差し込む光が照らすその場所には先客がいた。

 白地に金の刺繍(ししゅう)が施されたローブを身に(まと)う壮年の女性。

 その出で立ちは彼女が要職に就く高位の神官であることを示していた。

 男はじっと(たたず)んでいたその神官に小声で話し掛ける。

 

「只今到着致しました。例の……」

「そうですか」

「すぐにお会いになられますか」

「ええ、勿論」

 

 彼女が促すと、男が応じる。

 そうして神聖な場所におよそ相応しくない出で立ちの男女と、そして――

 

「こんにちは。言葉は分かりますね?」

「……こんちには」

「……?」

「……チッ」

「……簡単な検査をします。付いて来て下さい」

「んぅ、わたっか」

「そちらの方々、ご苦労様でした。

 報酬は後程お渡し致します。

 追加報酬は検分次第となりますので(しば)しお待ち下さい。

 まずは旅の疲れを癒やされると宜しいでしょう」

「はい、この度はご贔屓(ひいき)にして頂きありがとうございます」

 

 そう言うと女商人は慣れた所作で一礼する。

 先程まで無駄口を叩いていた男も場の空気に呑まれ、(うやうや)しく頭を下げた。

 

「そこのあなた、こちらの方々を客室に」

「は。ではこちらへどうぞ」

 

()の者はここで待機です。

 全てが終わるまで何人(なにびと)も通さぬように。

 では、お願いしますね」

「承知致しました」

 

 

「……駄目ですね。

 生贄(いけにえ)の問題、でしょうか」

 

 男は(かたわ)らで兵たちが見ていることも忘れ、ブツブツとひとり(つぶや)く。

 その様子はほぞを噛むようにも見えた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 何これぇ……

 

 無駄に立派な建物に連れて来られたと思ったら今度は怪しい部屋に連行されたんですけど……

 

 ボクは今、さっきまで一緒にいた奴隷商人たちとは別れて、ここで待っていた中年の女の人に連れられて建物の奥に向かっている。

 目の前を歩いてるこの人、ひと目見た感じだとお金持ちの僧侶って印象だ。

 このおばさんがボクのご主人様なのかな?

 何だか初対面って気がしないんだよね。

 どこかで会ったっけかなあ。

 

 それはさておき……何ここ?

 これから何をされるの?

 

 ていうか……これってもしかして異世界転生ってやつ?

 奴隷スタートからのチーレム展開とか?

 簡単な検査って言ってたけどやっぱり水晶玉みたいなのでスキルとか魔力とか測ったりするのかな?

 ピシピシ……パリーン!

 な、何だ、この魔力量は! とかなっちゃうやつ?

 

 うん、とりあえずどうなるか楽しみだなあ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「着きました」

「うあー」

 

 その神官は部屋の前に到着すると、連れてきた奴隷に端的かつシンプルに告げた。

 

 道中言葉を交わすことは無かったが、どうやらこの奴隷には言葉がある程度通じるようだ。

 神官の優しげな物腰に安心したのか、その様子はどこか楽しげにも見える。

 だがその事実が神官の罪悪感をより一層掻き立てた。

 

 今までやってきたことも全て同じ罪深い行為である筈……

 頭では分かっていても気持ちの整理をするのは簡単なことではないのだ。

 今出来るのはこの子に一時(いっとき)の安らぎを与えること位しかない。

 神官は身を(かが)めてその子供をそっと抱きしめ、そして微笑みかける。

 

「さ……入りましょう」

「んう」

 

 ギィ……パタン。

 ガチャ。

 

 しかし神官はその子供を部屋に送り出すと、そっと扉を閉め……外から鍵を掛けた。

 

 

 ………

 …

 

 

「ぁ……ぅー……」

 

 部屋の中から(わず)かに漏れ聞こえる小さな悲鳴。

 

「ぁ……」

 

 その後も(わず)かばかりの物音がしたが、やがてそれも聞こえなくなった。

 

 神官は目を伏せて(しばら)くの間、その場で(うずくま)るようにしていた。

 しかしやがて立ち上がり、扉を一瞥(いちべつ)すると静かにその場を去った。

 

 

 ………

 …

 

 

 カツン、コツン……

 

 響く乾いた靴音。

 神官は先程の場所に戻っていた。

 連れて行った子供は伴っておらず、暗がりから再び姿を現したのは彼女ひとりであった。

 

「終わりましたか。結果はどうでしたか」

「はい。いつもと変わらず」

「そうですか」

「ふむ……今回は少し急ぎ過ぎましたか。

 まあ問題はないでしょう。

 次を用意しますのでまた準備をお願いします」

「はい、滞りなく」

「ではこれにて」

 

 男は一礼すると護衛を引き連れてその場を去っていった。

 

 迎えに訪れていたお付きの神官は状況が飲み込めていないのか、怪訝(けげん)そうに尋ねる。

 

「あの、良いのですか。あの男は――」

「分かっています。分かっているのです。でも他に方法がないのです」

「ですが――」

「余計な詮索は不要です。分かりましたね?

 ……では、わたくしもこれで」

 

 そう言い残すなり、彼女も足早に立ち去ってしまった。

 

「あ、神の思し召しのままに。

 ……行ってしまわれましたか。

 折角お迎えに上がったというのに……やれやれですね」

 

 まるでこの場から一刻も早く逃げ出したい、そう言わんばかりの後ろ姿だった。

 

 

 王都の大神殿を預かる身でありながらなぜこのような場所でこのようなことをしているのか……

 それは決して聞いてはいけないこと。

 知ればどうなるか――

 ただ、黙認すればよい。

 神官たちの間ではいつしか、それが暗黙的なルールとなっていた。

 

 しかし……

 

「さてと……」

 

 ひと息ついたお付きの神官が向かった先は来客用の部屋であった。

 

 

 ………

 …

 

 ギギィ……

 パタン。

 

 夜の(とばり)が下りて数刻の時が過ぎた頃、施錠された筈の部屋の中から出て行く小さな影がひとつ。

 漆黒の闇の中、それを目撃した者は誰ひとりとしていなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ィ……いじょ……せじじょ……ぉ……ぁ……ァ……」

 

 夜更け過ぎの貧民街。

 その一角でヨタヨタと歩く小さな影がひとつ。

 

「いたぞ、こっちだ!」

 

 そしてそれを追う複数の人影。

 

「やっと見つけましたぜ、“殿下”?」

「おい、ここでその呼び名は控えろ」

「あ、悪ぃ」

「マジで頼むぜ」

「あ、あーぁーぁー?」

「はーいボクちゃーん? いないいないばあだよー」

「オイ、不敬だろ」

「よし、打ち首一回な」

「勘弁してくれよ……わっと!」

「ボグー、でず! でぃじょ! でぃじょぉー!」

「ホラ、(よだれ)を拭いて下せぇ。全く、(きたね)ぇなァ」

「あっぁー」

「はいはい、分かりましたよ」

「ぼっぼぉ、ち……は?」

「ええ、そうですね」

「アンタ、この子が何言ってんのか分かってんのかい?」

「ははは、分かる訳ないじゃないですか。

 この出来損ないに意味のある事を喋るような知能なんて無いでしょう」

「……フン、そうかい」

「ば、すん、あーだー、だぁー」

「さて、ブタ箱に帰りますぜ」

「言い方ぁ」

「間違っちゃいねぇだろ」

「だーだ?」

「ハイハイ、行きますよ……おっととと、重いなァ」

「全く、あの人も何を考えてるんだか」

「手の掛かる子ほどかわいいってか」

「まあ、それは(ちげ)えねえ。俺には分かるぜ」

「悪いことは言わねえ。

 妻子持ちならこんな仕事さっさと辞めちまうのが吉だぜ」

「おい、もうすぐ夜明けだ。さっさとずらかるぞ」

 

 知恵遅れと思しきその子供を大事そうに抱えた男は、仲間を伴い何処へと去っていった。

 

 とある曲がり角。

 男は立ち止まり、振り向くと虚空に向かって小声でひとり言のように(ささや)く。

 

「……ったく。お戯れも大概にしてくだせえよ」

 

 そこにあるのは普段と何ひとつ変わらぬ光景。

 朝の眩しい日差しが王都を照らし、早起きのセミの声が響き始めていた。

 

 この国の王家に起きている決して小さくはない異変。

 気付いていたのはその只中にいるごく一握りの者のみであった。

 

「……ごめんなさい。許して……許して下さい。どうか……」

 

 王都の神殿を預かる身である彼女ですら、黙って物陰から彼らを見送ることしか出来なかった。

 

 扉を閉めたあの瞬間に暗がりの中から確かに感じた、驚きと恐怖に満ちたあの視線。

 彼女が口にする懺悔(ざんげ)の言葉は一体誰に対するものか。

 神か、あるいは――

 

 しかしその声は誰にも聞き届けられることなく虚空に消えていった。

 

 

『ボク()貴女を(ゆる)します。だから……泣かないで――』

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 それはいつか、どこかであった出来事。

 いつ? どこで? それは誰にも分からない。

 当の本人ですら。

 

 

 

「ワンワン、ワオーン!」

「うわっ」

 

 タタッ、タタタタタ……

 

 突然聞こえた鳴き声の方を見ると()せっぽちな犬が一匹、建物の陰に駆けて行くのが見えた。

 

 び、びっくりしたあ……

 野良犬かな?

 ……

 ところで……ここ、どこ?

 

 気が付くとボクは見知らぬ場所にひとり立っていた。

 生ゴミのような悪臭が漂う街並みはひどく(きたな)らしい。

 そこかしこの暗がりに潜む、ボロを(まと)った人々の下卑(げび)た視線が否応なくボクを射抜く。

 

 その瞬間、嫌な思い出が(せき)を切って頭の中に雪崩(なだれ)込んで来る。

 

「あ、あ、あああああああああ」

 

 訳も分からないまま負の感情が次々と湧き上がって来る。

 ああ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だぁ……!

 

 と、そのとき――

 

「これ、落ち着かんか」

 

 ポカリ、といった軽い感じでボクの頭を小突く人がひとり。

 

 見ればばっちいカンジのおじいさんだ。

 この辺に住んでる人かな?

 でも不思議と嫌な感じはしない。

 何だろう……どこかで会ったような気がするんだよね。

 

「おじいさん、だれ?」

「誰と言われてものう」

「あやしいなあ」

「それよりもお主、どこから来たんじゃ?」

「どこからって言われてもなあ……

 気が付いたらここにいたんだよ」

「その前はどこかにいたんじゃろ?」

「どこかって……それは当たり前のことじゃない?」

「じゃあどこなんじゃ?」

「えっと……思い出せないよ……」

「ふむ……やはりそうか」

「やはりって、おじいさん何か知ってるの?」

「何、そんなに詳しい訳じゃないんじゃがな。

 そう……ワシのこれまでの人生の全てはお前さんを探す旅じゃった。

 そして今日、やっと見付けることができたんじゃ」

「何それ!? 怖いんだけど!」

「そうじゃろうそうじゃろう。じゃがな、不思議には思わんか?」

「何が?」

「お前さんの今の格好じゃよ」

「あ」

 

 そう言われて初めて気が付いた。

 ボクはキレイな子供服を着ている。

 これ、いつどこで着せられたんだろう?

 

「そいつは日本で売っとる子供服じゃろうて」

「にほん……日本!?」

「そうじゃ、日本じゃ」

「あ、あれ? ボクは……ボクはどうして……こんな……?」

「思い出してきたかの?」

 

 あれ?

 これって確か……でもこのおじいさんはそんなトシじゃないだろうし……でもやっぱり……?

 

「かっかっかっ。どうじゃ、このワシの顔に見覚えはあるかのう?」

「えー、ないよ」

「つれないのう。ホレ、この顔じゃよ。この顔」

「もう、しつこいなあ。それじゃあ思い出せるものも思い出せないよ」

 

 困ったなあ。

 そんなにグイグイ来られたら思い出せそうなのも思い出せないよ。

 ボクを探すのに人生をかけてましたなんて言われるとなあ。

 やっぱりこのおじいさんに頼るしかないんだよね。

 

「それは残念じゃ。やはり荒療治(あらりょうじ)が必要なのかのう」

荒療治(あらりょうじ)? ……あれ? おじいさん?」

 

 おじいさんがいない!?

 どこに行っちゃったの?

 

「おじいさん、どこに行っちゃったの? ねえ、おじいさん!」

「……くへへ……」

「あっ、おじいさん?」

「そうだよ、おじいちゃんだよォ?」

「だ、だれ!? おじいさんじゃない!」

「お嬢ちゃん、どこかのお貴族様かな?」

「オイ、コイツを売りゃあ一生遊んで暮らせるぜ!」 

 

 気味の悪いおじさんたちがじりじりと近付いてくる。

 怖い! いやだ!

 

「や、やだあ……」

 

 すると辺りが暖かい光に包まれてゆく。

 

「ぎゃああああ!」

「な、何だ、何だ……う……あ……ぎゃああああ!

 と、溶ける、俺の体がァ……!」

 

「この光……よもやかの者の導きか……しかし何故(なにゆえ)……」

 

 暖かい光の中、ボクの意識はまた(・・)心地よい微睡(まどろ)みの中へと導かれてゆく。

 

「よい旅を……今度こそ(・・・・)、な。

 ………

 …

 ギシシ……」

 

 

 

/continue.

 

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