(case31:食うモノ食われるモノ)
全身に泡立つ鳥肌。流れる冷たい汗。
伊之助は最初、初めて経験するそれが意味することが理解出来なかった。
「大丈夫か、善壱?」
「いたたた…。炭治郎、いったい何が……ってなんか可愛い子がいる!?」
へし折られた肋骨の痛みにうめきながらも、禰豆子の姿に気付いて、がばりと立ち上がる善逸。名前間違えられてるぞ。
「妹の禰豆子だ。鬼なんだ」
「説明軽くないっ!? 鬼である事が当たり前みたいに言うなよ!」
「むぅー?」
小首を傾げる禰豆子。善逸はたじろぐ。
箱の中身。でも可愛い。鬼。でもめちゃくちゃ可愛い。あの怪音の主。だからなんだ可愛い結婚して欲しい。
葛藤する善逸。その間、僅か0.2秒。
「可愛いは全てに優先するよね!!」
おまえそれで葛藤したつもりか。
「もう鬼は全部倒したんだよな? ごめんな。結局、炭治郎ばかり戦わせて」
日輪刀を納刀して言う。
実は善逸こそが一番強い奴と戦っていた、と指摘してくれる者は誰もいなかった。
「そろそろ山を降りないか? 正一君達を送ってあげたいし、それに俺腹が減ったよ」
「そうだな、わかった!」スラっ
「炭治郎? なんで刀を抜いたの?」
善逸は未だかつてないほど嫌な予感に襲われた。
だってさっきからずっと、炭治郎の視線が伊之助をロックし続けているのだ。
絶対に碌でもない事を言いだす。俺は炭治郎に詳しいんだ。ちょっと泣きたい気持ちで、善逸は腰を落とし身構えた。
「今夜は猪鍋だ」
「逃げろッ! 猪のおまえ! 早く逃げろーッ!」
善逸は腰の入った良いタックルで炭治郎にしがみつく。びくともしなかった。
「お、おお? なんだ? やんのかッ! いいぜぇ! 強いだろ、おまえ! おまえをやりゃあ、俺はもっと強くなれるって事だな!!」
「馬鹿言ってんなよ! 足見て! ガクガク震えてるじゃん! 野生の本能から目を逸らすなよぉ!」
「武者震いだ! 腹が減るぜ!」
「それを言うなら、腕が鳴るだろ!」
「そうだな、俺も腹が減ったよ」
「おまえは腕を鳴らせとけよ!」
善逸を引きずりながらスタスタ進む炭治郎。
「待て! よく見ろ炭治郎! あれ、どう見ても猪じゃないだろ!?」
「善逸こそよく見るんだ。どう見ても猪じゃないか」
「頭だけな! 首から下をごらんよッ、あのムッキムキの人体を! あんな猪がいてたまるかよッ!」
ド正論。さすがの炭治郎も自分の勘違いに気付いたか、足を止めて善逸を見る。
「いいか善逸、鬼なんてモノがいるんだ。ああいう猪がいてもいいじゃないか」
「そうかもっ! しれないけどさァ!!」
気付いてなかった。
そこを突かれるとダークファンタジー的に弱い。善逸は苦悶もあらわに叫んだ。
「確かに否定出来ないけど! この世の不思議を掘り下げるの、今じゃなくてよくない!? 禰豆子ちゃん! 手伝ってくれー!」
「むぅー!」
禰豆子は大きくジャンプ。頭上を遥かに飛び越え、伊之助の背後に立つ。
退路は断った。逃さぬ。
「禰豆子ちゃんーッ!?」
善逸の味方はいなかった。
「来ねえなら、こっちから行くぜ! 猪突…っ!?」
2刀を構えて突進して来た伊之助は、しかし炭治郎の眼前で急停止した。
そして全身から汗を流し、ガタガタ震えだす。
覚えておこう。それが捕食者のプレッシャーだ。
「お、俺、食われる…?」
「気付くの遅いんだよっ! もぉーっ!!」
「弱肉強食」などと言いつつ刀を振り上げんとする炭治郎を、羽交い締めにしながら善逸は必死に訴える。
「よし、わかった! 確かにそいつは猪だ! でも炭治郎、それは食べちゃ駄目な猪なんだ!」
「え……っ?」
説得の方向性を変えた。上手い。炭治郎を止める事に成功した。
炭治郎は、どうしてそんな酷いこと言うの? みたいな顔をしている。もうやだ、このヒノカミモンスター。
「炭治郎、そいつは猪だけど、鬼殺隊の隊士でもあるんだ。隊士を食べちゃうのは鬼殺隊じゃ御法度だ!」
それ以前に、人として御法度である。
「大丈夫だよ、善逸」
炭治郎は菩薩の様に柔和な顔をして答えた。
「この猪は鬼殺隊じゃないぞ。だって隊服を着てないじゃないか」
「はい! 本当にそうですねッ!!」
こいつ、馬鹿のくせに否定しにくいとこばっかり突いてくる! 善逸は断腸の思いで同意した。
「それにさっき正壱くんが言ってたんだ。善逸が猪と戦ってるって」
「ごめんなさい!! 言葉を間違えました!!」
正一は土下座して嘆いた。善逸はいたたまれなくなって叫ぶ。
「正一くんは悪くないぞ! 炭治郎の頭が悪いんだ!」
「(・ω・)???」
「なんだその顔!? バカにしてんのっ!?」
善逸は天を仰いだ。もう駄目だ、万策尽きた。炭治郎に猪が猪じゃないと理解させる方法を思いつかない。
グッバイ、鬼殺隊の猪男。こんにちは、猪鍋。俺は食べないぞ。
「あれ? 猪がいなくなった」
が、炭治郎の言葉に視線を戻し、善逸は見た。
外して地面に置かれた猪の被り物。
伊之助は膝をつき、両の手の平を上に向けて炭治郎に差し出し、涙目でぷるぷる震えていた。
害意の無い事を示す精一杯の所作。腹を見せて寝転がるに等しい行為。
というか。
被り物と中身が分離したら、猪を見失うとか。
辺りをキョロキョロ見回す炭治郎に絶句する善逸。
「炭治郎…おまえの目と頭はどうなってるんだ……」
禰豆子が猪ヘッドを拾って、ブンブン上下に振るが、当然なにも出てはこなかった。
今後長い付き合いになる、炭治郎、善逸、伊之助の3人だが、その関係性はここで概ね定まったのだった。
「なあ、炭治郎。おまえが意外といろいろ考えてるのはわかったよ。でもさ、馬鹿の考え休むに似たりって言うだろ? 俺が止めたら素直に止まってくれよ…」
「善逸、それを言うなら、下手の考え休むに似たりだろ?」
「え」
「え」
「え」
「え」
「え」
「むぅー」
ちなみに、どっちも合ってる。馬鹿は下手から生まれたそうな。
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善逸「おまえ、俺がルート選択間違えたら食されてたってわかってる?」
伊之助「食ベテモ美味シクナイヨ」
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