ブラック企業勤務、アラサー女探索者の迷宮探索 作:Yunoko
第0話 《如月姫華》
何度目のアラームだろうか。
朝の目覚めを促すためであろう、けたたましい警報音が響く。
スマートフォンからそれは発せられ、ほどなく手が伸びてきて制止される。
しばし、部屋に静寂が流れた。
とはいえ、5分刻みでセットされているため、幾度止められても健気に鳴り響く。
懸命な呼びかけが通じたのか、布団に包まっていた女性が目を覚まし、スマートフォンへと手を伸ばす。
「…………もう朝」
スマートフォンのホーム画面には、今日の日付と時間が表示されている。
《2020年11月20日(金)》《06:50》《今日は皆のノルマ確認。必要ならフォロー》といった数字や文字を見ていき、にわかに持ち主は起き上がる。
身体を起こすと、栗色の柔らかな髪も追従するように揺れ動く。
彼女の寝ていた場所は、室内のロフト部分。
そこから、クローゼットや本棚も兼ねた収納階段を下りていく。
彼女は室内のテーブル上に置かれていたリモコンを手にすると、テレビを点ける。
慣れた動きでいつものチャンネルに切り替え、そのあと髪ゴムで腰まで届く髪を軽く縛った。
そのあと、テレビ画面の右上に表示されている現在時刻が『06:52』なのを確認し、次なる行動に移る。
室内のカーテンを開け、窓も開く。レース部分はそのままにしておく。
自室の隣にあるリビングへ移動すると、リビング内のカーテンも開けていき、窓もやはり軽く開けていった。
そうしておいてから冷蔵庫の方へ向かい、中から一本の缶コーヒーを取り出す。
味はブラック、もちろん砂糖だのは入っていない。
プルタブを引き、コーヒーを一口喉へと流し込む。
「…………まっずぅ」
うぇぇといった表情を浮かべながら、自室へと彼女は戻っていく。
室内のテレビへと目を向けると、《ジャンケンタイム》が始まろうとしていた。
『グーかチョキかパー、好きな手を選んでボタン入力! 今週のプレゼントは豪華宿泊チケットが10名様に!』とテロップが表示されており、リモコンで自分の出す手を選んで入力するというものだ。
「チョキ」
口にした通りの手が表示されるのであろうボタンを押し、自分の選んだ手が画面に表示されるのを確認する。
それから、テレビ画面に映る女性が手を出し、掌を開いたところで彼女は勝利を確信した。
「よし、今日は良い日」
ほんの少し嬉しくなる彼女であった。
まだ目元は眠たげに細めているのだが、頬が微かに緩む。
テレビ画面の右側にはジャンケンの勝敗に応じ、ポイントが映し出される。
そこには『25点』と表示され、これが100点になると先ほどのプレゼントに応募する資格が得られるのだ。
点数の内訳は、勝利で20点、引き分けで10点、敗北で5点である。
余談だが、彼女は100点まで到達した事など一度もない。
このジャンケン企画は日曜日を除けば毎日行われているが、毎週ポイントも応募できるプレゼントも切り替わるからだ。
目が覚めた時、気が向いた時にしかジャンケンに参加しないのだから、当然の事だった。
「で……今日の運勢は」
ジャンケンタイムが終わると、次に今日の占いコーナーが開始される。
御子ちゃんというお姉さんが担当するコーナーであり、彼女はタイミングが合えば、必ずこのコーナーを見ている。
『第1位はいて座の貴方! 今日は一日、開放的に! 自然体な貴方に回りも笑顔! 笑顔は幸せも寄せてくるでしょう! ラッキーアイテムはトライアングル・トラストの燻製シート! 持ち歩けば注目間違いないですよぉ~!』
『そりゃンなもん持って歩いてたら、注目されるでしょうよ』
マニアックなラッキーアイテムを御子ちゃんが指定し、それに対し、相方を務める男がツッコミを入れるのが、お約束の流れだ。
『さぁ、ラッキー気味な第2位から第5位に続きます! 第3位はみずがめ座の貴方!』
「おっ。3位」
自分の該当する星座が読まれ、嬉しさから声が弾む。
『今日はなんだかハプニング!? でも、これは悪い事じゃないかも!? 流れに身を任せるのもノットバッド! さぁ、そんな貴方のラッキーアイテムはエンジンピストン式ペン立て! これで峠を攻めれば貴方もウォリアー!』
『どっから突っ込んでいいのか分かんねぇ』
文房具専門店でも売っているのか怪しそうなラッキーアイテムに、思わず彼女は苦笑する。
今度寄る事があったら、そんなの売っているのか見てみようと思いながら、持っていたコーヒーの残りを喉に流す。
「3位かぁ、今日は良い日。そう思おう」
良い結果であれば素直に信じるし、悪い結果であるなら、そうならないための警句だと思う事にしていた。
その考えに従うなら、今日は良い日であるし、思わぬ事態が巡ってきたとしても、それは悪くない結果につながるはずだろう。
ラッキーアイテムは残念ながら準備できそうにないし、峠を攻める予定も今後の人生でなさそうではあるが。
「!」
その時、スマートフォンが鳴った。
聞きなれたアラーム音。朝の目覚めを促す警報じみた音。
アラームの通知を切り忘れていたのを思い出し、彼女は操作していく。
仕事をする日は、6時30分から7時30分に至るまで、5分刻みで鳴るようにとセットしているゆえだ。
起きた時にアラームの通知を消さなくてはいけないが、彼女はしばしば忘れる。
「ふぅ……準備するか」
一息つき、言うや彼女は動く。
自室を出て、リビングのシンクへ向かい、先ほど飲んだコーヒーの缶を軽く洗い流す。
洗ったそれをタブを下に向けて置いておく。
その足でリビングの片隅に置かれていたフローリングワイパーを手に、自室、リビング、廊下、空き部屋、洗面所などを歩き回り、床を掃除していく。
「……ゴミ捨ては明後日、と」
冷蔵庫に貼られているゴミ収集カレンダーを確認しつつ、使い捨てのシートをゴミ箱に放り捨てる。
それから、洗面所へと向かう。
洗面台の前に立って歯を磨き、うがいをする。
フロスなども忘れてはいけない。
鏡の前で口を開き、目立った汚れなどがないか確認。
次に洗顔。
最初に手を洗い、クレンジングを行う。
そこから洗顔料を顔に広げ、ぬるま湯で優しく、それでいて洗い残しがないように丁寧に流す。
すぐそばのラックからタオルを取り、水分をふき取ると、化粧水、美容液と順番に塗っては広げ、肌に浸透させる。
手を止める暇もなく、さらに乳液とクリームをうっすらと塗っていき、保湿状態を維持する。
彼女は自分の肌を守る事に余念がない。
それからメイク。
といっても、彼女の場合はそれほど手の込んだ事はしないナチュラルメイクだ。
ほぼほぼ素肌といって過言ではない。
最後に髪型。
寝癖直しを乱れた髪に吹きかけ、ブラシで梳き流し、鏡のあちこちの角度で見直しながら確認する。
「こんなもん、かな」
満足したのか、彼女は耳元の髪を軽く三つ編みにしていく。
サイドに三つ編みを作っておけば、後ろに回して繋いだりと、意外と応用が利くし、アレンジがしやすいのだ。
次いで前髪の位置などを整え、最後にもう一度後ろの方を梳いていく。
リビングへ戻り、時計を見やると時刻は7時26分。
このあと着替えをする事も考えると、30分弱が支度に取られている事になる。
これを毎日、毎月、毎年と繰り返しているのだから、積み重ねた時間を別に活かせないものかと彼女は自嘲した。
かといって、今まで続けてきたルーティンを崩すのもそうだが、スキンケアをしない事での後々の弊害を思えば、止める事も出来ない。
彼女は微妙な年齢にあった。
今年で28歳。来年は29歳。その翌年は30歳、一つの区切りといえる。
いつまでも若くはいられない。
よしんば年齢を誤魔化そうが、肌質や髪質は年齢と共に老いていくのだから。
なんのケアもフォローもせずにいれば、維持どころか、あっという間に劣化の一途を辿るのみであろう。
肌も髪も、あちこちも。
「…………」
リビングの南側にはサンルームがあり、そこへ向かうとハンガーにかけられたままの衣服が並ぶ。
自室にクローゼットがあるはずなのだが、彼女は大雑把な面もあり、洗濯をしたあとの衣服を干したままにする事がしばしばあった。
否、しばしばどころか毎日であった。
特に日常的に着脱する事が多い普段着などはその傾向にあった。
なんなら下着なども干したままだ。それでいて整然と並んでいるから、どこかチグハグな印象さえも受けるかもしれない。
彼女はサンルームの窓を開け、流れる風を浴びる。
そこから気温などを総合的に判断したのか、余人には分かりかねるが、彼女は判断したようだ。
窓を閉め、服やズボンなどを手に取り、洗面所へ向かうや否や、パジャマを脱ぎ捨てる。
洗濯機横のランドリーボックスに放り込むと、今日着ていく衣服に替えていった。
「……髪が乱れた」
洗面台の前に立ち、前髪を今一度整える。ついでにあちこちも。
服装などにも乱れがないかチェックをし、大丈夫だと判断して、小さく頷く。
リビングへ戻ると窓を閉める。自室も同じく。
そして、自室に置かれたバッグを手に取る。
その時、彼女の視線がチェストの上に置かれた写真の人物達へと注がれる。
「虎子先輩、凛花先輩……瑞樹ちゃん……皆……」
名前を呟くと同時、自然と沈痛な面持ちとなってしまう。
彼女が呟いた人物達は、いずれもが会う事も話す事も出来なくなった存在。
思い出に変わってしまった人達。
「もう、私も探索してて10年になっちゃった。セブンテイルズの英雄……なんて呼ばれてるよ。皆を差し置いて」
写真の横には、勲章が立て掛けてある。
七つの星を模したのであろうエンブレムが輝くそれは、彼女を表彰する証だ。
「……何が英雄だ」
それを彼女は顔を歪ませ、忌々しそうに見やる。
睨みつけている、といっても過言ではなかった。
「こんなものッ!」
瞬間、右手は勲章へと伸ばされ、強く握りしめられる。
もう少しばかり彼女が力を込めれば、金属製のそれも歪んでいたかもしれない。
彼女はほんの短い間、それを握っていたが、やがて諦めたように元の位置へと戻す。
彼女には、それを投げ捨てる事も、目に付かぬ場所へ隠す事も、壊してしまう事も出来なかった。
これを授けられるべきは、ここにいる自分ではなく、写真の中で笑みを浮かべている人々のものだ。
自分にはその資格はない。
ただ、
彼女はそう思い、そこに疑いを持たなかった。
だが、同時に。
これを捨ててしまったら、自分を命がけで守ってくれた彼女達の生きた証を無為にしてしまう。
そう思うがゆえに、捨てる事も、傷つける事も、目を背ける事も躊躇してしまった。
彼女は囚われてしまっていた。
「……ねぇ、そろそろ辞めてもいいかな。去年はね、私のいる第七課、誰も死ななかったんだ。今年もね、まだ誰も死んでないんだ。凄いでしょう? もう、私がいなくても、きっと大丈夫なんだ……」
誰に向けてか、彼女自身でさえも分からぬままに紡がれるのは諦観じみた声。
視線は写真に写る人々へ向けられているが、その実、視界は何も収めてはいなかった。
「でも、私は何がしたいんだろう……今更、何を……」
彼女の名前は、如月姫華。
如月姫華は迷宮と呼ばれる、不可思議なる建造物へと潜る存在、探索者だ。
彼女自身が口にしたように、もうこの仕事を始めて10年になる。
今年で28歳となり、アラサーだ。
つまりはアラサー探索者だ。
彼女は今日も淀みながら、惑いながら、一日を過ごすだろう。
この先に何が待ち受けているのかなど、考えはするが、定まらぬままに。
◆現時点での如月姫華◆
※補足※
姫華が登場する話では、上記のステータスを後書きで載せていきます。
特に変動がない場合は表記しないです。
精神汚染度は、本人の病み具合。
100%になったら良くない事が起こる。
本編開始時点で7割を超えている。
個人知名度は、姫華の顔や名前を一致して覚えている人数に応じて増減。
なにかしら目立つ事をしてたら増えやすい。
ちなみに、《セブンテイルズの英雄》という異名は、一部地域では有名だが、あくまでもマイナー通称。
如月姫華という名前を知っていても、彼女の顔まで知っている者は意外と少ない。
その逆も然りで、彼女を見かけて顔は覚えていても名前を知らない場合は数値に反映されない。
※毎話じゃないですが、各話の前書きに付ける場合と、後書きに補足を付けてます。
ダンジョン攻略中は、前書きの項目に付けてると思います。
日常パートだったら、後書きの項目にって感じです。
【Tips】 如月の自宅
主人公が住んでいるのは賃貸アパートの二階。
2LDKでロフト付き。サンルームも付いてる。
築年が長いのと、場所も辺鄙な事もあり、賃料は安い。
まあ、細かい設定はのちのちに。
【Tips】 セブンテイルズの英雄
主人公の持つ異名。
きっと凄い何かをしたはずだが、本人は嫌悪してる。
その理由が判明するまで、もう少しかかる。
【Tips】 アラサー
アラウンドサーティーの略称。
20代後半から30代前半くらいを指す場合と、30歳前後(28~32頃)を指す場合が主。
この作品では前者を取り入れている。
初出は女性向け雑誌といわれている。基本は女性に付けられがちだが、男性を指して付けるケースも。
タイトルにある通り、アラサー期間中でお話は終わる予定。