ブラック企業勤務、アラサー女探索者の迷宮探索 作:Honoka_Asa
ダンジョンには再生能力が備わっている。
その差には程度があれど、一説には潜る探索者が多いほど再生力が高いとされているらしい。
真偽のほどは分からぬ。
その影響か、一定階層に存在する階層ボスも時間が経過すると復活するのだ。
ただ、ダンジョン最深層にいるとされる深層ボスは一度倒すと復活しないとされている。
否、厳密には……。
静寂に包まれた《ステラモールダンジョン》の第五階層。
一帯は壊しに壊されつくした遊具やら床やらフェンスやらで散乱しているが、それらも少しずつ修復されつつある。
小一時間もした頃には元通りとなっているだろう。
現に、最初に姫華達が突き破ってきた天井などは既に元通り、曇り一つ残さぬ青天となっているのだから。
「ふぅ、終わった……」
その第五階層の中心で、姫華が息をついた。
まだまだ魔力に十分余裕はあるが、体力面での疲労は無視できない。
言葉にして表現しづらいが、急に重力を意識したかのように身体が重みを増したような感覚。
猛烈な眠気とまでいかないが、布団なりベッドがあればすぐに休めるであろう程度に疲労感が漂う。
魔法メインで戦っているので、近接戦闘メインの探索者に比べれば、疲労度合いなど比べるべくもない。
が、一撃を食らえば死に繋がりかねない状況下であれば、一挙一動にも普段以上の疲労や疲弊があるのも確かだ。
老化という単語が頭に浮かぶが、流石にまだそこまで衰えを明確に感じるほどの年齢ではないはずだと思いなおす。
戦闘時における不安や恐怖や緊張といった類の要素が、疲労を加速させたのだと自分に言い聞かせる姫華であった。
『お疲れぇ、ヒメちゃん』
「ん……ありがとねククリ」
『また用があったら呼んでねぇ~。今から夜に備えて私は寝るので! それじゃあね、アデュ~』
「アデュー……」
小さくやりとりをし、間もなくして傍に誰かがいたような気配が遠ざかっていった。
神というのは浮世離れした印象が強いのだが、菊理媛尊こと、ククリヒメの場合はなんというか俗世的な印象が強い。
まったく仕事をしないわけでもないが、用がなければ遊んでいるか寝ているかといった生活スタイルは、正直羨ましいと思う姫華である。
さて、戦闘も終わり、一息ついたその数秒後であった。
「姫先輩~! 姫先輩~!」
「……モモ」
離れたところからの声に、姫華は振り返る。
聞きなれた声だ。間違えようもないが、やはり振り向いた先には無邪気そうな笑みを浮かべた桃香がいる。
明るい空間の中、彼女の揺れる茜色のポニーテールがよく目立つ。
「やっぱり姫先輩はすごいすごい! なんですかアレ!? 何やったんですかぁ!? 魔法ですかぁっ!?」
興奮も隠さず、桃香はぴょんぴょんと跳ねながら姫華に寄ってくる。
この戦闘中、遠目で見ているしかできなかった彼女としては、憧れの先輩がやってのけた事を称賛したくて仕方がないのだが、如何せん言葉にできていない。
桃香の語彙力や表現力は元々大した事がないのもあるが、やはり昂る気持ちが思考回路を機能させていないのだろう。
今まで、姫華が戦う姿は何度も見てきたが、あのような大技を使うのを見るのは初めてだった。
何をどうしたら、あれほどの威力をもった魔法をやってのけるのだろう。
聞きたい、知りたい。彼女の声で、彼女の言葉で聞かせてほしい。
「んー、まぁ……モモ、とりあえず落ち着こ」
「あ、はい」
桃香は姫華の言葉には、いつでもどこでも忠実である。
しかし、どこまでも平静かつ冷静な姫華に憧れつつも、この時は、どこか一抹の寂しさを感じた。
彼女は、如月姫華はよほどがない限り、穏やかで優しくて分け隔てがない。
桃香に対しても、仕事の面ではごく時々に厳しい面もみせるが、基本的に親身で気さくで頼れる先輩であった。
だが、それは姫華が率いる《迷宮探索第七課》のメンバーはもちろん、《黒井商会》に属する社員達に対して大概そうなのだ。
何も、桃香が特別なわけではない。数多い後輩達の中の一人にすぎないのだから。
姫華は商会に属する探索者達の中でも際立つ実力の持ち主であり、代謝の激しい探索者界隈で10年以上続けてきたベテランだ。
並び立つとされる探索者など、ここら一帯の迷宮企業の探索者をより集めても数えるほどしかいないはずだ。
桃香がそこに比肩されようなど、おこがましいのは自覚している。
しかし、せめて頼りにされるような、先ほどの戦いでも一緒に肩を並べられるくらいの信頼を得たいと思うのであった。
「どうしたの、モモ」
「えっ? あ、いえっ! なんでもですっ!!」
「そっか……じゃあ騎士団の人達と話してもいいかな?」
「えっ?」
短い間を置いて、桃香はハッとした表情を浮かべる。
そして振り向いて、霜月達《白の騎士団》が後ろの方で所在なさげに立っているのが見えた。
つい先ほど、というのも憚られるほど直前に関わった人々の存在を失念していた事に、桃香は恥ずかしいやら申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「あ、大丈夫ですかね」
「えぇ。すみません、お待たせして」
「いやいや、全然ですよ。僕た……いえ、私どもの方が助けていただきまして……」
白の騎士団の第七調査部隊を率いていた白石透が、一同を代表して前に出る。
短く切り揃えた髪に、どこか困ったような顔。おそらくは眉が下がり気味だからそう見えるのだろう。
「まずは、あらためてご挨拶を。私は白石と申します。霜月さんから多少お聞きになったかとは思いますが、星屑市役所の迷宮調査部隊に所属しておりまして……」
「えぇ。聞いております。今回は災難でしたね」
「はは……とはいえ、運が良かった。ご高名な如月さんがダンジョン内で活動されていて、そちらの白百合さんにも助けていただけたのですから。おかげで、我々に一人の死者も出なかった。感謝してもしきれません」
白石が頭を下げると、他の五人のメンバー達も頭を下げる。
姫華も小さく返し、桃香も二度ほど頭を下げていた。
「私の名前はもうお聞きになってましたか」
「先ほど、白百合さんからも、霜月さんからも聞きました。いやはや、あの《セブンテイルズの英雄》で知られる如月さんに……っ」
白石の声が途中で止まる。
セブンテイルズの英雄という単語に、桃香も思わず姫華を見上げた。
やはり、というべきか。
姫華の表情や纏う雰囲気には拒絶の色が濃くなっている。
険しい目つきを隠すのに使っているダスティピンクの伊達眼鏡をもってしても、隠しきれない嫌悪の色が瞳に現れ。
眉間には隠しきれない皺が寄り、顔全体が怒りとも悲しみとも分からぬ表情を浮かべていた。
「し、失礼しました。命の恩人である如月さんに失礼を働いてしまって申し訳ありません」
姫華の表情がなぜ変化したのか、白石には分からない。
しかし、何か気に障る事を、気分を害する事をしたのだというくらいは分かった。
彼女の中の地雷原となるのが、セブンテイルズの英雄という言葉であるのは察したが、なぜそれでそこまで反応するのかが分からない。
別段、蔑称の類でも、不名誉な称号でもないはずなのだが……。
「いえ……謝らないでください。何も悪い事は仰ってないですから。ただ、その、私は英雄とかそういう風に呼ばれるのがにが……照れくさいのです」
嘘だ。
おそらくは、この場にいた誰もがそう思っただろう。
照れくさいという顔や雰囲気じゃないだろう、と思ったはずだ。
とはいえ、そんな事を指摘したり、さらに藪蛇をつつくような者はこの場にいなかった。
だから、その話は終わりだといわんばかりに姫華は小さく息をつく。
そうして、一度目を瞑って、再び開けた時にはいつも通りの姫華の落ち着き払った顔に戻っていた。
「さて、《三尾の翼竜》も倒しましたが……騎士団の皆さんはこれからお帰りでしょうか」
それから。
白の騎士団の面々がひとしきり感謝の言葉を述べたところで、姫華から切り出した。
元々、彼ら彼女らが翼竜の調査で来ていた以上、その目標が消滅したのだから、もうここには用はないはずだった。
「そう、なりますね。ただ……」
「最深部が気になりますか?」
「はは、お見通しですか」
些か気まずそうにしながらも、白石は素直に認めた。
「階層ボスの翼竜が、第四階層まで出てくるなんて事は今までありませんでした。今回、実際に上の階層に出てきた事や、明確に探索者を奇襲していた事なども踏まえると……」
「ダンジョン内に何かしら異常が発生している可能性があると……そういう事でしょうか」
「私……いや、僕はそう思いました。それを放っておいていいものか、僕には判断しかねますが……しかし、その判断材料の一つが最深層部の状態ではないかと」
「…………」
この時、姫華の双眸に浮かんだ感情は複雑であった。
白石の推察は、おそらく正しい。姫華も、調べるなら最深層部を見た方が早いと思ったからだ。
その点では、その判断に感心する気持ちがあった。
だが、同時に忌々しい、邪魔だと思う感情がこの時混在している。
それは、
「あのう、如月さん」
「……なんでしょう」
姫華の態度が完全に余所行きのそれに変わっているのを、桃香は気付いた。
だが、その理由が分からない。
先ほどの英雄という呼称の時とは、違う理由だろうとは拙い思考力で推察する。
だが、ダンジョン探索における経験年数や実績の少なさ、なによりも桃香自身の人生経験の短さが、彼女の判断材料の乏しさに直結していた。
分からない事だらけだ。
だから、成り行きを見守っているしかできない。
「命を助けてもらい、翼竜も倒してもらっておきながら、図々しい申し出である事は重々承知しているのですが……」
「……」
「一応、念のために最深層部も調査をしたいと思うのです。そこで、本当に厚かましい事であるとは分かっているのですが、如月さん達にご同行願えないかと……」
「……」
姫華は即答しなかった。
天を仰ぐように息をつき、次いでスマートフォンを開く。
《2020年11月20日(金) 15:50》とホーム画面には映っている。
そこから桃香を見やる。
視線を向けられた桃香としては、目を軽く見開き、瞬かせる。
この一連の動作の中に、彼女は、姫華は何を思ったのか周囲の人々には分からない。
「モモ、もう少し時間と体力に余裕ってある?」
「へっ? あ、はい。大丈夫ですよ?」
「そう……」
姫華に問われ、咄嗟に答えてしまったが、それが正しい答えであったのか、桃香は暫し逡巡する。
だが、姫華は決意したように頷き、白石へと顔を向けた。
「白石さん」
「はいっ」
「おそらく、白石さんの考えは正しいと思います。最深層部の……ダンジョンコアがもしかしたら復活してる可能性はあります」
「!!」
この時、白石はもちろん、白の騎士団の面々も驚きにどよめく。
桃香も思わず「えっ」と声を発し、慌てたように姫華に視線を送り、会話に加わるくらいだ。
「ダンジョンコアって、あのっ?」
「うん。ダンジョンの核。まあ、本当に復活してるかは……実のところ、半々くらいに見てるけど」
姫華も実のところ、確信までは至っていない。
「もし、復活してるとしたら、最深層のダンジョンボスも復活している可能性があると思いますか?」
「それは……私にも分かりません。私もこういうケースは実は初めてで……」
「そうですか……いえ、確かにそうですよね。我々もそこそこダンジョン探索や調査はしてますが、コアが復活という話は聞いた事もありません」
ダンジョンが構成された時、その一番奥の最下層(あるいは最上層)で佇んでいるのがダンジョンコアだ。
文字通り、ダンジョンを構成するための核。
これを放っておくと、無尽蔵に魔素を放出しつづけ、魔物もどんどん作られ、強化されていく。
さらに放っておくと、ダンジョン自体を成長させていき、階層が増えたり、罠が増えたり強化されたり、魔物がさらにさらにと強化されていくのだ。
恩恵として、得られる素材や財宝もより希少性の高い物となりやすいが、それ以上に脅威度が増していくのが特徴といえる。
一度、この《ステラモール》におけるダンジョンコアは破壊されている。
だからこそ、最深層は七階で終わっており、深層ボスも撃破されてからは復活したという話も噂も聞いた事もなかった。
ここに限らず、コアを破壊されたダンジョンはどこもそうしたものなのである。
「なので、そのですね」
この時、姫華にしては珍しく言いにくそうな様子だった。
「もし、本当に深層部のボスが復活しているようなら、速やかに撤退します。流石に勝つのは厳しいですので」
「た、確かに……」
関わりの少ない白石などは素直に頷いているが、この時の姫華の言葉や表情に違和感を抱けたのが、気付けたのは桃香の日頃の観察の賜物であったかもしれない。
付き合いはせいぜい2年であれど、伊達に日頃から憧憬の視線で見ちゃいないのだ。暇さえあれば目で追っているのが桃香である。
……ストーカー気質だなどと言ってはいけない。
純粋な思慕や尊敬の念ゆえに、必然自然と視界内に姫華を捉えてしまうというだけの事なのだ。
と、その桃香から見て。
姫華が何かを隠しているのは確かだ。
でも、何を? それは分からない。
なんだか隠したそうであるし、憧れの先輩のフォローをと思うのだが、下手に口を挟めば邪魔になるかもしれないと思うと、桃香は言葉を紡げずにいる。
邪魔になるくらいなら、黙ってた方がマシだと思い、結局は成り行きを見守るしかない。
「ですので、もしもボスがいる気配を感じた時は、一旦逃げるというのでよければ、同行しましょう」
「……」
白石は騎士団の面々を見渡す。
同僚達にとっても、断る理由が見当たらないのだから、いずれもが頷くのみである。
件の翼竜の調査どころか、討伐も済んだのだから、「もう帰ろうよ」とならないあたり、この調査部隊は真面目というか、責任感の強い者揃いであった。
(……もうすぐ終業時間の午後5時になるのに)
姫華の知る白の騎士団というのは、大半があくまでも業務時間内での、決められた仕事をこなす事に重点を置く者揃いであり。
その理屈に沿えば、時間内にダンジョン入口へ向けて突っ走っていくのが騎士団であったが、どうやらこの面々は異なるようだ。
どこでも例外というのはいるらしい。
とはいえ、責任感が強くとも、死ぬのは怖い。
そりゃそうである。
先ほどの姫華の戦闘を見ていた彼ら、彼女らにしてみれば、翼竜相手にあの一方的な戦いをしてのけた姫華をしても撤退という選択肢が出てくるボスと戦おうなんて、正気の沙汰でなく御免被るところだ。
だから、姫華が同行してくれるというのなら、願ったり叶ったりなのであった。
「分かりました。是非ともご同行お願い致します。如月さんの指示に従うという事で……皆もいいかい?」
「委細承知」
「もちろんです!」
「どこまでもお供します!」
歓迎する面持ちの騎士団達に、姫華もほんの少しだけ固くなっていた表情を綻ばせるのだった。
翼竜との戦いを間近で見た事や、噂で知るベテラン探索者の姫華と実際に会ったからなのか、騎士団の面々は既に姫華に対して尊敬や敬慕の視線や表情を見せている。
特に女性陣の関心は目に見えて明らかだ。
今、姫華が「私についてきて」と言おうものなら、そのまま付いていきそうな雰囲気さえ感じる。
しかし、それも無理からぬ事。
実際、白石とて姫華の後ろを付いていく方が、安心安全だろうと思ってしまうのだから。
「では、早速……といいたいところですが」
「何か、ご準備でも?」
「いえ。すみません、翼竜から素材だけ剥ぎ取っておいていいですか? 帰る時に持っていくので」
「あ……そうですね、どうぞどうぞ」
三尾の翼竜は階層ボスなだけあり、その素材も高く売れるのだ。
如月姫華は、探索者なのだ。
稼げる物を放り捨てていくなんて、しやしない。
姫華が数分ほど翼竜の死骸を確認し、めぼしい物だけ集めたあと。
総勢八名は第六階層に向けて足を進める。
◆現時点での如月姫華◆