ブラック企業勤務、アラサー女探索者の迷宮探索 作:Yunoko
《天空旅館ダンジョン》
中級難易度であり、全部で三十階層のそれは、天川温泉町にある。
より細かくいうならば、町内から外れた高台にそれはあった。
元は《空と海》という名の旅館であり、高地ゆえに空と海を一望できる景色の良さがウリであったらしい。
バブル崩壊に至るまでは、潤沢な資金をもって増改築を繰り返し、絢爛豪華な館内に豪勢な食事、豊富な温泉群が並び、それなりの知名度もあった。
だが、バブル崩壊後は一転、一挙に経営難に陥る。
団体旅行客は減り、設備投資のツケが巡り、悪循環の末に廃業を決意。
最終的な判断へ至る前にダンジョンシンドローム発生によって、無事ダンジョン化。
しかし皮肉な事に、ダンジョン化してからの方が集客力(主な客層は探索者だが)は向上の一途を辿る。
というのも、ダンジョン化してからも温泉などをはじめ、旅館としての名残を随所に残しており。
上層へと進むにつれて本当に空へと進むような感覚を覚えるほど、通路や客室、露天風呂などから見える景色は絶景なのだ。
他にも様々な理由があるのだが、ここでは割愛する。
「《天空旅館》の資料を取り寄せたんだけど……」
場所は、《迷宮探索第七課》オフィスの会議スペース。
室内の中央には姫華が立ち、ホワイトボードが隣に置かれ、彼女の前のテーブルには幾つもの資料が並ぶ。
その姫華の目前には左右にそれぞれ縦並びで第七課の面々が並ぶ。
左の最前列には副主任である細井が座り、姫華の話を聞きつつ、器用に書記もこなしている。
右の最前列には桃香が座っているが、これは男性を苦手とする彼女への配慮が大いに含まれている。
男性社員の間に挟まれようものなら、彼女は精神的なストレスで段々と失調していき、最悪の場合は過呼吸になってしまう可能性もあるのだ。
姫華の傍に置いておけば、とりあえずその心配はなくなるのであった。
と、話を戻すと。
姫華は来月の探索ノルマについて話をしているところであった。
特に第七課で担当する事になった《天空旅館》については、必ず触れねばならぬ議題だった。
「探索者達で旅館内のフロアマップとか、探索者向けの攻略ガイドを作ってくれてるみたい。これなんだけど……」
言って、姫華はボードに用紙を貼っていく。
観光パンフレットのような見出しに写真、説明がそこには載っていた。
ダンジョンだと知らなければ、ざっと一目見ただけなら、それは本当にただの旅館案内にしか見えないだろう。
ただし、説明文の内容はキチンと探索者向けに校正編集されたものだ。
内容は以下のようなものである。
第一層時点で、探索者達はフロントで受付を済ませねばならない。
間違えても、勝手にダンジョン探索を始めてはいけない。
ましてや、フロントで活動する魔物に対し、敵対行動をしてはならない。
「主任。敵対行動しちゃいけないってのは、向こうは話が通じるタイプなんで?」
第七課では中堅探索者にあたる赤城から質問が飛ぶ。
同じことを思ったのであろう幾人かが頷き、同調していた。
「通じるよ。なんていうか、本当に普通の旅館とかホテルのような感じで想像してもらったらいいと思う。こっちで代表の誰かの名前を伝えて、宿泊者名簿を出されるから名前を書いたら、それで通してくれるよ」
「へぇ~。ちなみに、無視して探索を始めるとどうなるんです?」
「うーん……私も噂でしか知らないけど、強制的に高階層に飛ばされて、魔法が使用できない部屋で魔物に袋叩きにされるとかって聞いたね」
「うへぇ」
赤城をはじめ、第七課の面々が眉をひそめたり、顔を顰める。
魔法も行使出来ない部屋で、突然に魔物に囲まれる事の恐ろしさは、体験した事がなくとも想像は出来た。
「じゃ、話続けるね」
「うっす。ありがとうございます」
姫華は説明を再開する。
ダンジョンへ入った際は、出てしまうと24時間再入館を禁じられてしまうため、事前の準備は絶対に欠かしてはならない。
一応、ダンジョン内の第一層には他の探索者達が飲食品や生活用品などを勝手に行商していたりするが、店で買うより割高である。
とはいえ、万が一に備えて現金をいくらか用意しておくといいかもしれない。
さて、受付を済ませたら。
ダンジョン内は全部で三館から構成されており、探索者達は自由に選び、探索を行う事が可能である。
まず、一番多くの探索者達が挑むのは正面を進んだ先の北館。
通称、《天空廊》と呼ばれるそこは全三十階層。
最上層には深層*1ボスが控えており、戦うにはこの《天空廊》へ挑むしか方法はない。
もっとも、過去にボスである《七尾の妖狐姫》が撃破されているため、最上層まで上り詰めても戦う事は叶わないのだが。
次に、西の廊下を渡った先にある西館。
《紅楼閣》と呼ばれるそこは、全十階層。
ダンジョン化する以前は、元々ピンクコンパニオンなどを招く、歓楽宿の要素が強かった旧館である。
その余韻が残っているのか、女性を模した魔物のみが生息し、誘惑魔法などを駆使してくるため、精神攻撃への対策は必須といってもいい。
男性探索者の中には、「死んでもいいから俺は行くぞ!」と言って、本当に帰ってこなかった者も多い。
女性探索者だったら大丈夫なのかといえば、女性であっても誘惑魔法が効かないわけではないのだが、いくらか抵抗しやすかったりもする。
人によっては、このダンジョンで一番難しいルートだと話す者もいるし、対抗策さえあれば一番簡単だと話す者もいる。
そして、最後に東の通路を進んだ先には東館。
《蒼海閣》と呼ばれるそこは、全二十階層。
ダンジョン化する前は、ここが《空と海》として経営していた頃のメインとなる宿であった。
ダンジョン化してから誕生した《天空廊》や、色宿じみたコンセプトの《紅楼閣》に比べると、些か中途半端な印象が拭えないものの、昔を懐かしんで探索する者も少なくない。
なんなら、姫華もその一人である。
以上の、この全三館が《天空旅館》の攻略範囲となる。
いずれも十、二十、三十階層と長丁場が予想されるが、五階層攻略ごとに記録がなされ、次回からは大型エレベーターを利用してショートカットも可能になる。
探索者向けに至れり尽くせりのダンジョンなのだ。
「如月さん、質問いいですか?」
「はい。どうぞ」
細井からの問いかけに対し、姫華は頷いた。
「確かそこの客室って、どこも鍵掛かってましたよね?」
「そうですね。客室の鍵を持っている魔物がいますので、それを倒し、奪う形になります」
「となると、早めに鍵を手に入れておき、客室で荷物などまとめておきたいところですね」
「えぇ……部屋さえ確保すれば、手に入れた素材とかも集めれるので楽ですね」
姫華が答えたように、《天空旅館》では各階層ごとに客室がある。
それぞれの部屋には小さな露天風呂が設置され、休むための布団や寛ぐための机や椅子、果てにはテレビまで設置されていたりする。
広縁*2には小さな冷蔵庫もあり、一応ビール類やドリンクなどもあったりする。
怖いので誰も飲みはしないが。
「攻略するのは、やはり《天空廊》になりますか?」
「そう、ですね。ここが一番集めやすいとは思います。《古色古香》の依頼にあった和風アンティーク類は特に。それに、売りやすい素材関係も結構揃いますので」
「なるほど」
その後。
七課の面々からの質問に答えていき、ホワイトボードに要点を記入していくにつれて、姫華の中ではダンジョン攻略の図面が少しずつまとまってきていた。
等と言うと語弊があるかもしれない。
どちらかといえば、旅行のしおりじみた、日程や予定を計画するような想像を膨らませるものであった。
フロントで受付をして、探索を開始して、戦って素材を回収して、客室で寛いだり、宴会場で食事をしたり、温泉に入って、布団で休んで……。
「…………」
とても分かりづらいのだが、実のところ、姫華はわくわくしていた。
「じゃあ、12月に行くダンジョンの下に名前と、大まかでいいから探索する期間を書いておいてね。皆、くれぐれも無理しないように」
「はい」「うっす」
「はーい!」「うぃー」
ホワイトボードを指しつつ、第七課の面々を見やりながら姫華が話す。
声の主に対し、室内の人々は視線を向けつつ頷く。
「さて、じゃあこのあたりで終わりにしよっか。お疲れ様です」
「お疲れ様です」「お疲れ~っす」
「お疲れ様です!」「お疲れっしたぁ」
会議が終わり、第七課のメンバー達はそれぞれ、スマートフォンで時間を確認したり、手元の資料を再確認したり、雑談をしたりと思い思いに動き出す。
姫華自身もスマートフォンを確認し、時刻が間もなく12時になるのを見て、満足げに頷いた。
予定通りに会議を終える事が出来て、彼女は嬉しかったのである。
「ひ~め先輩っ」
「ん、どしたのモモ」
「姫先輩は、もう行くダンジョン決めてあるんですかぁ?」
「そうだね。最初は《天空旅館》に行くつもり」
言いつつ、姫華は《天空旅館》と書かれた文字の下に、自分の名前や《12月1日から約1週間探索予定》と書きこんでいく。
それを桃香は食い入るように見つめる。
「そこって中級難度……なんですよねぇ」
「そう、だね」
「私ってFランク*3だし、そこに行けませんよね?」
躊躇いがちに尋ねる桃香。
その言葉の中に潜む本音に、姫華と一緒にダンジョンへ行きたいのであろう事は、室内にいた全員が察する。
当の姫華はそれを分かっているのか、分かっていないのか、顎の方へ手を当てて答える。
「ソロだと無理だね」
「ですよねぇ~……ん、ソロ?」
「そう。でも中級以上の攻略経験者と一緒だったら、ランクが足りてなくても同行は出来るよ」
沈みかけていた桃香の表情に、一気に喜色が滲んでいく。
「じゃ、じゃあ……?」
「モモ、一緒に行く? ただ、《ステラモール》より強いのばっかりだから、一緒に行くなら色々と厳しめに言うと思うけど」
「ぜひぜひ! 姫先輩のお叱りはご褒美みたいなもんですよ!」
「えぇ……」
満面の笑みを浮かべ、すでに同行する気満々の桃香。
姫華からすれば、桃香一人が同行したところで問題なく庇いつつ、探索も戦闘する自信はあった。
この際、ノルマをこなしつつ、桃香に経験を積ませるのも一つかという考えが浮かぶ。
とはいえ、そうした考えと同時に不測の事態が起きた時、対応出来るのかという考えが脳裏をよぎる。
ダンジョンを探索していく上で、絶対安全という言葉など存在しないに等しい。姫華であっても。
「…………」
誰かを連れて探索するなら、進んだとしても低層あたりだ。
中層や上層となれば、流石に罠の数も種類も増えてくるし、魔物の数も質も《ステラモール》の比にならない。
たとえ姫華にとって雑魚だとしても、数の暴力で押し切られれば、フォローしきれない状況が生じる可能性とて、十分に考えられる。
「…………」
「あのぅ、姫先輩?」
「ん」
姫華の中でいくつか、これは困るかもしれない状況についてシミュレーションしていた時。
おずおずといった様子で桃香が話しかけ、姫華は現実へと引き戻された。
急に黙り込んでしまったので、桃香としても先ほどの笑顔が再び沈み込んでしまったのである。
「ごめん、ちょっと考えてた。モモにも中級を探索してもらうのも、経験かもしれないね。それにあの場所はダンジョンルールがたくさんあるから勉強にもなる」
「じゃ、じゃあ……!?」
「うん。一緒に行こうか」
「わ、は……や、やたーっ!!」
両手を上げて喜ぶ桃香。
ぴょんぴょんとその場で跳ね出し、心情を隠す事も、取り繕う気配さえ見せなかった。
姫華はそれを穏やかな表情で見つめ、室内にまだ残っていた第七課メンバーの幾人かが何か言いたげにしていたものの、口に出す事はなかった。
「ねぇねぇ、《天空旅館》に姫先輩と行く事になったんだけど!? やばくない!?」
「わーったて! 桃香、うるせっ! 何度目よ!?」
桃香の喜びようは収まるところを知らず、会議が終わったあとの休憩時間でも同期の緑野葉月に繰り返し、上機嫌で話し続けていた。
声は弾み続け、頬は緩みっぱなし、手は昂る感情と連動したかの如く、せわしなく動き続ける。
対する葉月の方はうんざりとしたような態度で応じているが、それでも桃香が喜ぶ理由自体は理解できるのか、邪険にまでは扱わない。
とりあえず、彼女としては休憩時間の間に昼食を味わって、一息つきたい心境であった。
この日、というより、これから《技術開発部》は忙しくなる一方なのだ。
「流石の私も、来月は忙しいんだし! なーんか、ワープシステムだとか、超硬度のバリアだとか、えらーい連中が色々言ってきてんだから! 飯食わせてよね! 午後からもいっそがしーんだから!」
「へー」
「うわ無関心! 私だって、桃香の惚気だか自慢だか分かんねー話聞いてやったんじゃん! ちょっとはこっちにも興味向けろぃ!」
「だって、そんな小難しい単語並べられても……わかんない」
「ま、私もさっぱりだけどな! ひとっっっつも理解してまへーん」
「おい開発部」
やれやれと両手を広げて鼻で笑う葉月であった。
そんな彼女をじとりと見つつ、桃香はふと思った事を聞く事にした。
「でもさ、迷宮企業でそんなもん作るんだ? よくわかんないけど、そんな凄いのって国とかレベルが作るんじゃないの?」
「ねー。神楽さんとか色々言ってたけど、ワープとか理屈も分からんし、理論も分からんし、意味も分かんね」
「何にも分かってないじゃん葉月。ホントに開発部か?」
「うっせ。私はノリで作ってんの! 結果出来てるから、よしっ!」
その作られた開発品を使用する探索者からすれば、些かも「よし」とはならぬ言葉であっただろう。
葉月の発言を耳にしていたら、何気なく使ってきた開発品にすら不安を抱くかもしれない。
実際、桃香は呆れた視線を向ける。
「心配すんなって! 私は馬鹿だけどさ、開発部のみーんなは賢いから! なんとかなんのよ」
「私も人の事言えないけどさ、葉月も頑張りなよ」
「だって勉強してもさっぱりだもん」
「分かるけど……」
どちらかともなく、溜息をつく二人。
あまり頭を働かせるのが得意ではない点で、二人は共通している。
程度の差はあれど、どちらも思考を巡らせたり働かせる必要がある仕事だ。
それを二人とも理解しているからこそ、余計に大きな息をついてしまうのだった。
「年明けか、年末あたりさー」
「ん?」
「仕事落ち着いたら、どっか遊びに行こうよ桃香」
「そうだね。どこ行く? あんま遠いとこはやだけど」
「温泉とか? 雪景色とか映えそうだし、温泉入ってゆっくりしてさ、マッサージ受けて、美味い飯食いてぇ」
「温泉…………私が姫先輩と行く《天空旅館》にも温泉いっぱいあるらしいけど? マッサージと食事はあるか分かんないけど」
「そこ、ダンジョンじゃん……興味ないって言ったら嘘になっけど、魔物とか怖いし、第一さ、私弱いんだから、足手まといどころじゃないって。瞬殺されるわ」
そう言い、葉月は顔をしかめる。
ダンジョン探索に最初は興味を示し、探索者を志していた過去を思い出したのだろう。
しかし、その意気込みは最初の探索で挫けてしまった。
初めてのダンジョン内で恐怖し、探索者としての道に挫折し、「探索、無理っす」と退職届を出したところを引き留められ、今の開発部に転属となった経緯があるのだ。
今のワークスタイルは、少なくとも理不尽な罠だとか、魔物の攻撃によって死ぬ恐れはない。安全そのものだ。
働く元気があれば、身を粉にするまで働かせたい《黒井商会》である以上、決して楽ともいえぬ環境だが、それでも葉月はある程度順応している。
それでも。
時々、燃えかすのような、微かな未練を覗かせる時があった。
友人であり、同期で探索者を続ける桃香からダンジョンの話を聞く時、「自分が探索者を続けていたら」と思う事もあるのだ。
無邪気に話す彼女に、憧憬や羨望の感情を向ける事もあった。かといって、再び探索課に戻りたいとは、やはり思えないのだが。
「まぁ、葉月弱いから無理か」
「うっせ! 桃香だって、如月さんがいなかったら行けないレベルじゃん! まだまだ初心者レベルじゃんか!」
「ぐぬぬ。そりゃ、私は葉月よりちょっと強い程度の雑魚だけども……」
「あ、コイツ。認めてるよーな感じを出しつつ、私も雑魚扱いしたな! 雑魚の仲間扱いしたな!」
その後も程度の低い争いを続ける二人だったが、そうこうとしている内に時間が過ぎていき、それに気付いたら無言で食事を喉に通す作業に没頭した。
この時、どちらも葉月がダンジョンへ探索するなど、冗談としても成立しない、妄想に属する類の話のつもりであった。
だからこそ。
「やぁやぁ、実は折り入ってお願いがあるんだけれどもね。《天空旅館》に我々も同行させてもらえないかい?」
翌日、11月27日。
《技術開発部》の主任たる御巫神楽と、その隣で死んだような顔で立つ葉月を視界に捉えた時、桃香は驚きを隠せなかった。
◆現時点での如月姫華◆
※変動の内訳
《精神汚染度》
・天空旅館への探索について思いを馳せる(--)
・会議を予定していた通りに終える事が出来た(-補正)
・桃香の安全確保について考える(+)
・第七課メンバーが安全に探索できるか考える(±)
◆Tips◆
【ピンクコンパニオン】
コンパニオンとは、展示場・競技場・宴会場などで接待にあたる役の女性の事。
ピンクの付くこれは、ぶっちゃけたらエロ目的で呼ぶ女性達。
程度に差はあるものの、肌露出の多めの衣装に、大胆なスキンシップ、過激なサービスを求める事が可能なあたりは共通している。
あとは客のノリや雰囲気、交渉力に、依頼する場所にもよるが、二次会からが本番。
呼んだあとの宴会場や客室は色々と散らかるから、掃除をするのが辛い。
【探索者ランク】
本編内でも数回くらいしか出てない設定。
主人公の姫華はBランク。私も若干忘れていた。