ブラック企業勤務、アラサー女探索者の迷宮探索 作:Yunoko
迷宮症候群の発生後より、探索者達に備わっている事が判明した能力。
持って生まれた素質とされ、その探索者の人間性、人柄、人格などが影響を及ぼすのではないかと研究者は仮説を立てている。
魔力を用いずとも発動させる事が出来るため、有用で便利な一方、精神状態に強く左右されるため、精神的に脆い探索者にとっては最大限の活用が難しいようだ。
なお、現時点では如月姫華が《体術技能》を、《白の騎士団》に所属する霜月雪乃が《危機察知》の技能を持っているのと、《黒井商会》の宝月由希が《鑑定技能》を持っていることくらいしか判明していない。
死に設定となりつつあったので、忘れないためにもここで触れたい。
※令和6年10月13日
主人公が技能持ってるの書いてたのに忘れてましたので、追加。
《天空旅館》の探索予定となる12月1日までの数日間、それは慌ただしくせわしなく、めぐるましく過ぎ去っていった。
「主任、今度行ってくるダンジョンの探索予定を計画書で送信しました。ご確認お願いできますか」
「如月さん、支給品の発注ですがこちらの内容でよかったですかね」
「来月のノルマですが、こんな感じで稼いでいこうと思ってます。この順番で挑むつもりなんですが、どう思われますか」
「うん、確認していくよ」
姫華がダンジョン探索へ臨む前にと、第七課のメンバー達も決裁を仰いだり、相談に訪れる。
それでなくとも、姫華自身の職務として書類仕事や決済関係、来年に向けての計画作成など、やるべき事は山積みであった。
これらを一通り片付けておかなくては、姫華としても落ち着いて探索に集中できない。
とはいえ、探索者としてはともかく、社会人としての姫華の能力は甘めに見積もっても中の下レベルがせいぜいだ。効率的に動けるわけでもなく、迅速で適切な対応が出来るわけでもない。
ゆえに多忙ではあったが、不思議と気分はどこか軽やかであった。
浮ついていたと表現してもいいかもしれない。
カレンダーやパソコン、スマートフォンの日付が1日、また1日と経過していくのを確認する都度、淡泊気味な姫華の精神状態にも、高揚とするものがあったらしい。
「銭湯はあるけど、中には罠もあるかもしれないし、入る前に絶対に確認してね。開発部の作った《疑似実験皮膚くん》を入れて、安全確保が第一だよ」
「え、温泉にも罠とかあるんスか」
「《天空旅館》で見た事はないけど、今まで無かったからといって油断は禁物。ダンジョンの中で泉だとか川の水を飲んで体調を崩したり、最悪死んじゃう事例もある。今まで大丈夫だったからこれからも大丈夫なんて保証はないから」
「なるほど……了解ス」
迷宮探索第七課の会議スペースにおいて、《天空旅館》のダンジョン探索における注意事項について話す時、姫華は誰から見ても表情が晴れやかであった。
吊り目がちの瞳もこの時は幾分か和らいでいる。
今回、探索に参加する第七課の面々はもちろん、開発部の御巫や葉月の二人にも、姫華の柔らかな雰囲気を察する事が出来た。
姫華との付き合いが長い遊佐は、知ってか知らずか、にこにこと事の成り行きを見守っている。
「出てくる魔物はほとんどが人型だし、咄嗟に攻撃しにくいかもしれない。でも、絶対に油断は禁物。結構動きが早いし、攻撃に容赦がないから」
「僕とか赤城でも防ぎきれますか?」
「接近戦に慣れてる二人なら一方的にやられたりはしないと思う。でも、初めて戦う時はびっくりするかも。にこにこっと挨拶してきて、油断したところで一気に迫って攻撃しに来るから」
「へぇ……魔法とか遠距離攻撃はしてきますか?」
「包丁投げたりはしてくるね。魔法を使うのは見た事ないけど……」
ダンジョン探索における姫華の知識や経験は豊富であり、彼女の説明が多少拙いものであったとしても、有益であるのは確かだった。
その点は室内にいるいずれもの面々も疑っていない。
「他にも蟹とか魚の魔物もいるけど……とりあえず一番気をつけてほしいのは、
「狐面ですか」
「うん。まぁ、実際に見たらすぐに分かる。アイツらは魔法も使うし、言葉巧みに搦手も使ってくるから、要注意。もしも出てきたら、私が相手するから離れてね」
姫華の言葉に、赤城や青瀬などが表情を険しくする。
《黒井商会》の数ある探索者の中でも、トップクラスといっていい彼女が直々に戦うと宣言するほど、厄介な相手なのかと。
「そーいえば姫先輩」
「ん?」
「客室が確保出来たら布団とかは大丈夫そうですけど、ご飯はどーしましょ? 缶詰とかレトルトの買ったらいいですかぁ?」
「そうだね。日持ちするのもあるといいし、私も多めに用意するつもりだから、皆は好きな物と飲み物を買ってくれれば大丈夫。それに……」
姫華がテーブルの上に先日入手したアーティファクト、《異次元タペストリー》を広げる。
窓も扉もない小さな小部屋の描かれたそれへ、ボールペンやバインダーなどを出し入れするところを見せ、その効果を室内の人々に説明していく。
「この中に入る分なら、食事に飲み物、武器に道具でも入れてもらって大丈夫。どれだけ入れても重さも変わらないから」
「マジすか? すっげ、めっちゃレアなやつじゃないスか? アーティファクトすよね? いいな、便利っすねぇ」
「うん便利。運が良かった」
感嘆の声を上げる赤城に対し、姫華は強く頷く。
表情がほとんど変わらないため分かりづらいが、優れたアーティファクトを手に入れた事や、それを驚かれたり、褒められると嬉しい彼女であった。
「当日まで体調管理は気をつけてね。時間がある時は資料の方も目を通しておいて。一度出たら24時間は入れないから、忘れ物はしないように」
「はい」「へい」「はーい!」
おおよその説明や注意喚起、取り決めなどを行い、その日の内にはホームセンターやドラッグストア*1で買い出しなどを済ませていき、着々と準備は進んでいく。
そして、12月1日火曜日。
《天空旅館ダンジョン》探索の日はやってきた。
この探索が如月姫華にとって、一つの転換点となる事を彼女はまだ知りえない。
「おっはよーございます姫先輩!」
「うん。おはようモモ」
時刻は午前8時前。
外吹く風は冷たさを感じさせるが、この日は雲もほとんどなく、青い空には太陽が燦々と輝きを見せていた。
場所は《黒井商会》の第七課オフィス。
桃香が扉を開き、室内に姫華の姿を確認すると弾んだ声でやってきたところである。
ちょっとした旅行気分というべきか、気持ちが昂って早めに出勤してきた桃香なのだが、それは姫華も同様であった。
振り返った姫華の表情にも笑みがみられ、声にも快活さが感じられたからだ。
「今日、良い天気ですよねぇ~。まぁ、ダンジョン入ったら天気もへったくれもないですけど」
「うん。あ、荷物で嵩張るのあったら預かるからね」
「そうでした! じゃあ、少しお願いしまして……」
姫華の広げた《異次元タペストリー》にいくつかの荷物を詰め込んでいると、「おはよーっす」「おはようございます」という声が響く。
第七課の赤城と青瀬がやってきたのだ。
その後に技術開発部の御巫と葉月も訪れ、最後に休憩スペースで休んでいた遊佐(時間通りに起きれないので、姫華の家に泊まり、朝起こして連れてきたのだが、再び眠ってしまった)を起こして、全員が揃った。
「タペストリーにまだ荷物入るけど、他に嵩張るのは大丈夫? あったら入れてね」
「積み忘れの荷物がないか確認と、装備に道具の準備は問題ないか、最終チェックして」
「天川温泉までだから20分もあればつくけど、トイレとか必要なら今の内に済ませて」
出発前の最終確認を終えると、三台の車にそれぞれ乗り込んでいく。
一台には姫華と桃香と遊佐、二台目に赤城と青瀬、残る三台目へ御巫と葉月が乗り込むと、各々エンジンをかけていく。
先頭を姫華の車が走り、天川温泉へと三台の車が向かう。
「桃ちゃん、昨日は眠れたぁ~?」
「えっと、実はあんまり……私、こういう旅行みたいなのした事なくて」
「ドキドキして眠れなかったって事ぉ? あはは、可愛いじゃんよぉ」
「いやぁ、そんな事……」
走行中、助手席に座る桃香と後部座席から身を乗り出す遊佐*2が話しており、時々姫華もそれに相槌を打ったり、返事していく内にあっという間に天川温泉町へと到着した。
相変わらずの寂れた町内。さして広くもない道には歩く者もみられない。
古びたバス停のベンチに二人ほど座っている高齢者が見えた程度だ。
「…………」
運転席から見える景色は、姫華の幼い頃から見知ったそれとほとんど変わらない。
元々賑やかとは程遠い町であったが、今はただただ古び、寂れていくばかり。
昔の方がもう少し人の姿も見えたし、景色も明るかったように思うのは、思い出補正なのだろうか。
「この狭い道を通らないと行けないのが難点だ。年々狭くなってる気がする」
「迎えのバスがないと、お客さんとか来れなかったもんねぇ~。ダンジョンにならなくても、潰れるのは時間の問題だったよここは」
「確か、10年くらい前の《第五次迷宮症候群》でダンジョンになったんでしたっけ?」
「そうそう。モモ、ちゃんと勉強してるね」
「えへっ、資料は読み込んできましたよぉ~」
山中にそびえ立つ《天空旅館》へ繋がるアスファルトの道路は、経年劣化もあってか亀裂が目立つ。ついでにいえば隙間から続々と生え続ける雑草もよく見える。
道路を挟むようにして生い茂る木々も伸びっぱなしで、年々と周囲が見えづらくなる一方だ。
それでも車が進むのに支障がない程度に枝も切られ、道路上には進路を妨げないように清掃もされている。
これは迷宮関連企業から時々、地域密着を謳っての環境整備という名目で探索者達が駆り出されているからである。姫華自身も二度、三度と枝を切ったり、道路の上の草むしりや散らかった枝や葉を片付けたりした記憶も残っている。
「さて、駐車場には着いたけど……相変わらずか」
「結構車並んでますねぇ~」
「ここは人気ダンジョンだからねぇ。県外からも探索者がやってきたりするくらいなんだぜぇ~」
「へぇ~、すっごい……」
桃香が感歎の声を上げ、最低限の整備がなされた駐車場を見やる。
ざっと見えた車両の数だけでも数十台。これらがすべて探索者達の乗ってきたものであるなら、最低でも数十人が既に《天空旅館》の中へ入っているのだろう。
先日の《ステラモール》探索の時とは雲泥の差だ。
とはいえ……。
「でも、すっごいぼろぼろですねぇ。お化けでも出そうな雰囲気」
「うん。外から見ると廃墟にしか見えないし、森に囲まれてるから余計にそう思う」
「んだんだ。でも、
「???」
率直な感想を桃香が述べたように、《天空旅館》と呼ばれたダンジョンの外観はまさに廃墟そのものだ。周囲が木々に覆い囲まれているゆえに、余計にその印象が際立つといってもよい。
窓は上から下まで割れていないところを探す方が難しく、内側から飛び出たカーテンが風にたなびいている。
外壁も剥がれ落ち、玄関からして廃棄されたソファーやテーブルなどが置かれ、入口には板が打ち付けられ、ゴミ捨て場のような様相と化している。
心霊スポットじみた光景に、なんとなく身震いする桃香。
ここに一人でいるのは絶対に嫌だが、幸いここには姫華がおり、彼女はまったく気にした風に見えない。
普段はおちゃらけた上司というイメージの強い遊佐も、「うへー懐かしぃっ」と暢気な声を上げ、まったく恐れる様子もない姿を見ると、この時は頼もしく思えた。
そうこうとしている内にすぐ後ろを走っていた二台の車も到着して駐車していき、合計七人が揃ったところで姫華がカードリーダーの方へと進む。
中級難度のダンジョンへ探索する権限を持つのは、E級以上のランクを持った探索者である。
ゆえに、F級の桃香や、非戦闘員であり最低ランクのG級である御巫や葉月には、
だが、抜け道というのは存在する。
「私の同行者にモモを設定……赤城君に青瀬君にも同行者を、と……」
姫華がカードリーダーにそれぞれの社員証を通していき、スキャンさせると同時にパネルを操作していく。
抜け道とは、探索条件を満たしている探索者一人につき、条件未満の探索者を一名同行させる権限を与えるというものだ。
下位探索者の鍛錬や経験を積ませる名目であったり、非戦闘員の社員を研究や採集目的でダンジョンへ入らせるための企業側の措置であったりする。
ただ、ダンジョン側がそれで手心を加える理由もないので、条件を満たしていない探索者が増えれば増えるほど、リスクも高まるが。
「これでよし……9時22分、探索開始と」
「え? そっちですか?」
姫華がそう言い、廃墟じみた建物ではなく、
他の面々も同じような感想を抱いているのか、概ね似たような反応、表情を見せる。
探索経験のある遊佐はニコニコと笑みを浮かべるのみだった。
「ダンジョンへの道はこっちなんだ。皆、最初は間違えちゃうから仕方ないけど」
言うや姫華が尚もずんずんと木々の間の獣道へと進んでいくため、残った面々も半信半疑といった顔であとを付いていく。
だが、疑問はすぐに解消されることになる。
「え、へっ? わぁ……」
「やっば、何これぇ? すっご、綺麗……」
桃香や葉月が驚きの声を洩らすが、それは他の面々も同様である。
いきなり周囲一帯が別世界へと変貌したのだ。
日中で明るかった空が、月の浮かぶ夜空になっており、周囲は薄暗い。
だが、視界の先に映る光景はダンジョン内と思えぬものであった。
川には竹灯籠が流れ、小さくも煌々と優しい輝きを発し、川の上に架かった赤い橋梁には和風照明が辺りを照らし、道中に規則的に並ぶ紅葉であろう木々も下からライトアップされている。
光陰の絶妙なバランスといってもいいのだろう。
薄暗く流れているはずの川には照明の施された紅葉や橋梁などが反射し、陳腐な表現を用いるなら、より一層幻想的な美しさを引き立てている。
その先を進めば《天空旅館》であろう巨大な建物が構えている。
照明の届かぬ場所が完全な闇と化している中、行灯の並ぶそこは明確なまでに存在感を主張していた。
「うひょぉ、やっばぁ! ねぇ桃香! 写真撮ろ! あ、如月さん! ダンジョン入る前に撮影してもオケですか!?」
「うん、いいよ」
「ありがとですぅ! 撮ろうぜ撮ろうぜ!」
「わ、分かったから」
読んできた資料の写真通りの光景が広がっており、消沈していた葉月のテンションがあからさまに高まっていく。
桃香も最初に驚愕し、次に感動、次いで興奮へと至っているのだが、葉月の方がはしゃぎすぎているため、幾分か冷静になっているのだった。
若手二人が写真撮影をしているのを見て、赤城も二、三枚と写真を撮ったり、青瀬も周囲を見渡したりと、今回初めて訪れた面々にとっては珍しい光景であったようだ。
その様子に姫華は満足そうな表情を浮かべる。
「いやはや……ダンジョンというのは不思議なものだね」
「そうですね。ここだけを見たら、現実の旅館にしか見えないです」
「うぅむ、人間の想像や精神状態などに強く左右されるなんて話も聞くけれど、旅館というイメージがダンジョンに反映されるのだろうか」
「そう言われてみると……」
技術開発部の主任である御巫も、驚きもあれば、多少の感動もあるのだが、それ以上にダンジョンの構造に対しての疑問や好奇心が勝るようであった。
ダンジョンが誕生してから20年。未だ、解明できていない事の方が多く、分からない事だらけの建築物へと探索者達は日夜訪れ、探索しているのだ。
あらためて考えてみなくとも、魔物は生息しているわ、罠はひしめくわ、不可思議な現象が起きるやもしれないダンジョンへと送り込まれる探索者の立場とはなんだろうか。
ふと、姫華はらしくもない事を考えたのだが、すぐに中断した。
安い賃金でより大きな利益を得るための使い捨てくらいにしか、企業側は思っていないだろうと結論付けたからだ。
「さて、そろそろ進んでも大丈夫?」
「はーい」「おけまる水産で~す*3」
姫華の声に応じ、一同は旅館の玄関へと進む。
今は珍しい回転扉を通り、フロントへと踏み入れた瞬間の事であった。
「わ……」「うっは……」
「おぉ」「これは……」
それは誰の声であったのだろうか。
《天空旅館》へと足を踏み入れ、その全貌の一端を垣間見た瞬間の事。
使い古された表現ではあるが、豪華絢爛だの絢爛華麗という言葉を幾人かが脳裏に浮かべた。
煌びやかな黄金色で占められた空間は、眩く絢爛で、それでいて幻想的でさえあった。
規則的に吊り下がるシャンデリアからも美しい金の粒子が零れ落ち、その輝きをより引き立てていた。
見上げた先に天井は見えない。
あまりにも高すぎて、頂を視界に捉えられないのだ。
二階以上の吹き抜け部分には、複雑に入り組んだ階段や躍場、通路なども随所に見える。
それでいて機能的に配置されているようで、無秩序さは感じられない。
エントランスの中央には巨大な円形のエレベーターがあり、今現在も幾人かの探索者が上へと昇っていくのが見える。
広々としたエントランス内には厚く柔らかなカーペットが敷かれ、フロント部分は透光大理石なのか、それともダンジョン産の素材なのかイエローオニキスに淡く輝く。
フロントのカウンターでは狐面を被った女性が数人、探索者のチェックイン対応で動いているのが見える。
「じゃ、俺行ってくるんで」
「うん、お願い」
赤城が意気揚々といった足取りでフロントに進んでいく。
その後ろを姫華達が緩やかに付いていき、やや後方で様子を見守る。
「いらっしゃいませ。本日は《天空旅館》へようこそお越しくださいました」
彼女達は魔物であるはずなのだが、その挙動や仕草には上品さが垣間見え、口調も穏やかで敵意などは一切感じさせなかった。
狐面がなければ、現実世界のホテルや旅館などで働いていても違和感を覚えないだろう。
魔物である事を分かっているため、たとえこちらに危害を加える事がないと知らされていても、緊張し、警戒してしまうのは探索者のサガであろうか。
赤城は気さくそうな笑みを浮かべているし、挙動も普段とあまり変わらないように見えるのだが、その実、いつでも臨戦できるように神経を張りつめているのが姫華や遊佐をはじめ、フロント付近で屯っていた
受付をしている狐面はそれを察知しているのか、表情は窺い知れないし、目立った殺気などもみせないので分からない。
「チェックインでお願いしゃす」
「かしこまりました。こちらに代表の方のお名前と、ご利用される人数の方、大体でよろしいので滞在予定の日数をご記帳くださいませ」
「うっす。赤城、七人、大体一週間と……」
赤城が代表して名前を記入していく。
あらかじめ、段取りで決めていた事であった。
姫華の名前を書けば、過去の踏破歴が記録されているのだから、どの階層にも大型エレベーターで行けるのだが、それでは意味がない。
受付をしていた狐面の女性達は
ふと姫華が視線を向けると、彼女らは何事もなかったかのように業務に戻っている。
「すっごい……」
「ねぇ、やっばいよねぇ……マジで老舗旅館じゃん、高級ホテルじゃん。ホントにここってダンジョンなん??」
桃香と葉月も、一帯を眺め、興奮を隠せずにいた。
放っておけば散策でも始めそうな勢いであったし、スマートフォンで写真も撮りたそうにしているが、それでも姫華達の傍を離れるまでは至らない。
いくら煌びやかな場所でもここは中級難度のダンジョンであり、「狐面の魔物は注意」だと告げていた姫華の言葉もあって、迂闊な事はすまいと心掛けているのだろう。
甘い蜜に誘われる蝶さながらに、ふらふらと夢遊しかねない葉月を桃香が掴まえているのは見なかった事にしたい。
「おや、如月さんではないですか」
「あ、月海さん」
それは決して大きな声量でもないのに、よく通る澄んだ声。
姫華が振り返った先には、ラウンジがあり、ソファーで座っていた女性が立ち上がったところだ。
月海詩音、というのが女性の名前である。
彼女は迷宮関連企業の一つ、《灰田商社》に属する探索者だ。
長さのバラバラな癖のあるブルージュの髪、アクアマリンを連想させる透き通った瞳、やたらと主張の強い胸元が特徴である。
容姿はさておき、探索者としてはC級に位置し、まだ探索歴が5年程度で年齢も23歳と考えると、将来有望な存在であろう。
「お疲れ様です。如月さんもここを探索ですか」
「えぇ。そういう月海さんも?」
「そんなところです。どこも、年末のノルマで大忙しのようで……」
「確かに……」
どちらともなく苦笑しあった。
確かに、ラウンジ内には大勢の人々で混雑し、喧騒の場と化している。
ほぼ全員が探索者であろう。ほぼ、という言葉を用いたのは、御巫や葉月のように本職ではない人物が混じっている可能性もあるためだ。
実際、探索する気のなさそうな者が、ざっと見ただけでも幾人か捉える事ができた。
「買い取りするよ~安く買い取るよぉ~」
「ポーション……あるよぉ~? 高く……売るよぉ~?」
「らっしゃいらっしゃい! 食事も飲み物もあるよっ! もちろん高く売るよぉ!」
「ちくしょう、相変わらずロクなのいねぇや」
ラウンジ内では探索者であろう者達が、勝手に行商じみた事をしていた。
素材や資源、財宝などを買い取る自称古物商。
回復用のポーションや治療用の道具、漢方薬などを販売する者。*4
どこかのコンビニやスーパーから弁当や日持ちする食材を持ち込んできた者など、実に様々だ。
彼ら彼女らに共通しているのは、どれも割高商売であるという事だろう。
足元を見る事を公言しているのだ。買う側もあらかじめ、それを了承している。
一度ダンジョンを出ると再入場するのに時間を要する点などを考えるなら、多少高かろうが仕方がないと割り切るのも、必要な資質かもしれない。
値段に文句を言うくらいなら、事前の情報収集や準備を怠った自分を責めろというのが探索者達の理屈なのだ。
旅館内の先住民であり、原生生物たる魔物の狐面達は、この好き勝手な商売を特に咎める気配も見せない。
チェックインさえ済ませるならば、探索者の自由に任せるといったところであろうか。
「それで、如月さん達はどのエリアを攻略なさるので?」
「《天空廊》ですね。といっても、今回は稼ぐのと初めて探索する子もいるので、あんまり先には進みませんが」
「なるほど……」
そのあとの言葉は口の中で呟き、言語化されずにいたが、二人して数秒の沈黙を経て、不意に詩音は口を開く。
「では、勝負ですね!」
「えっと、勝負ですか」
「そうです、勝負です」
「なるほど、勝負……」
聞く者が思わずお互いに相手の言ってる事を理解しているのだろうか、等と不安になりそうな会話を二人は続ける。
「勝負というのは、私と月海さんで戦うという事ですか? 今ここで?」
「いえ、
「なるほど、ではどういう内容でしょう」
「ふふ、実は勢いで言っただけなものですので、よく考えていませんでした」
「な、なるほど……」
「そうですね……では、どちらがより多く稼げるか勝負といきましょう」
「稼ぎ勝負ですか……といっても、こちらは今回慣れてない面子で来てますので、私個人での稼ぎで構いませんか?」
「結構ですとも。私も新人教育の一環で来ているので、無理せず、焦らず、でも勝つつもりで臨みますから」
唐突な勝負宣言に姫華は実のところ面食らっていた。
表情にほとんど出ないので、それは詩音に察知される事もなかったが。
あまりにも突然の宣戦布告には理由があった。
端的にいえば、詩音は姫華をライバル視している。
数が多くない女性探索者であり、迷宮関連企業に属する探索課でエースであり、《セブンテイルズの英雄》などという通称まで持つ姫華に対し、分かりやすく対抗心を抱いているのだ。
口には出さないが、美人系でクールな性格に
もっとも、これは《灰田商社》自体が《黒井商会》に対しての対抗心を燃やしているのも一因かもしれない。
同じ迷宮関連企業でありながら、会社の規模も、抱えている探索者の質や数も、さらには迷宮資源による売り上げも一段上回る《黒井商会》を敵視しているのだった。
《灰田商社》に属する詩音もまた、「打倒! 黒井商会!」というスローガンに強く影響を受けており、分かりやすく超えるべき目標に姫華を選んだ……というのが、ここに至る顛末なのだ。
もし、姫華の方がそれを聞けば苦い笑みを零した事だろう。
外見や性格云々はともかく、年齢も5歳若く、まだまだ発展途上である詩音の方が伸び代もあるのは間違いがないのだから、焦らずとも自分を追い抜くはずだと諭したかもしれない。
そもそも知的キャラなどという表現は、自分に相応しくないという反論もしただろう。
それを聞いて詩音が納得するよりは、年長で上位者の余裕と受け取る可能性も高かったが。
ともかくも、要約してしまえば「無理のない範囲で勝負しようぜ!」という事になり、やりとりを聞いていた幾人かの探索者が「お、勝負だ勝負」「へぇ、黒井の如月と灰田の月海じゃんか」「どっちが勝つか賭けるか。俺は如月の方で」「うーし、賭けろ賭けろ」「私は姫ちゃんが勝つ方に全額いくぜぇ。なんだったら、《黒井商会》の社長の魂も賭けてもいい」などと騒ぎ始める。
流石に中級難度のダンジョンへやってくる者達ともなれば、姫華の事を知らぬ者はほとんどおらず、詩音にしたところでそれなりに知名度もあるゆえに、二人が勝負となれば少なからず盛り上がりを見せるのであった。
「チェックイン終わったんだけどよぉ、なんか勝負でもすんの?」
「どうも、そうみたいです……」
事情をよく分かっていない赤城の声に、一部始終を見ていてもよく分からずにいる桃香が応じるのであった。
※ダンジョン探索中は姫華のステータスは登場しません。
冒頭でTipsの紹介をするくらいです。
探索中にどのような変動をしているのか、一応私の方では毎回メモしておりますので、探索終了時におおまかに説明するかもしれません。
◆Tips◆
【疑似実験皮膚くん】
探索者向けに開発された道具の一つ。
水場などに浸す事で、人体に影響が出ないか確認する事を可能としている。
ダンジョンではそうした罠も多いので、ほぼ必須道具。
【月海詩音】
迷宮関連企業の一つ、灰田商社に属する探索者。
探索者ランクはC級であり、23歳ながら将来有望とされている。
実力や知名度も上で、キャラが被っている(?)姫華に対抗心を持つ。
クールそうな外見や雰囲気を漂わせているが、かなりお馬鹿。
お話の中で言っているように、実は姫華との戦いにおける相性は最悪だったりする。
詩音の髪型が説明できない。
自分でイメージ図を描いておきながら、分からん。
かなり序盤で書いた記憶がありますが、女性探索者は少なめで、小さな企業だと数人さえいなかったりします。
【灰田商社】
黒井商会の近くに拠点を構える迷宮関連企業の一つ。
規模的には一段劣り、抱える探索者達も実力的にも知名度的にも一段劣っているためか、強いコンプレックスを抱いている。
特にエースである月海詩音などは、明確にライバルを姫華に絞っており、対抗意識を燃やしている。