先生の一挙一動が気になる生徒たち   作:生カス

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お酒を飲んだ先生から本音を聞きたい鬼方カヨコ

 このままだと、眠れそうにない。

 そう思い至ったのは、シャーレの仮眠室に入って、二時間も経っていない頃だった。

 

「はぁ……まいるなぁ、もう」

 

 誰に聞かせるでもなくそう呟いて、私はのそのそとベッドから這い出る。

 部屋の電気をつけ、時計を見ると、日の出まではまだ遠い。

 なんとももったいないことをしたものだ、と思った。

 今日は早めに仕事が終わって、日を跨ぐ前に床に就けたという、私にとっては貴重という言葉では表せないほどの日だったというのに。

 

 ぼんやりとした頭で思い起こすと、どうにも夢見が悪かったようだ。

 昔のことを夢で見て、それから逃げるように目が覚めた、というありきたりな起き方。

 トラウマで目が覚めるのはいつものことだからそれはいいのだが、問題は起きた時間だ。

 

 このままだと明日の仕事に差し支えるのは明らかだ。

 とはいえ、目が冴えきって、過去の出来事が脳を不快に動き回ってしまっている今、再びベッドにもぐりこんで眠る気には、とてもなれなかった。

 さて、どうするか……。

 

 と、考えて数秒。

 やはり、こんな時にできることなど、これくらいしかないだろう。

 

「……一杯飲むか」

 

 そう、私みたいなやつが、こんな時にできることなどひとつだけ。

 いわゆる、『寝酒』というやつだ。

 端的に言うと、アルコールを飲んで脳をぼんやりさせて、無理やり寝ちまおうという。

 実際は眠りが浅くなって、よくは無いらしいけれど……まあ、背に腹だ。

 このまま起きてるよりかは、なんぼかましだろう。

 

 そうと決まれば善(?)は急げ。

 確か、シャーレの冷蔵庫の中に、黒服のやつから貰ったバーボンが、まだ残ってるはずだ。

 彼からの贈り物で喜ぶというのは甚だ癪に障るが、酒に罪はない。

 ありがたくいただくとしよう。

 

 ……そうだ、こんな時間に生徒が来ることなども滅多にないし、面倒だから冷蔵庫がある執務室で飲んじゃおう。

 そんなことを思いながら、私は執務室へと足を運んだ。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「……何してるんだろ、私」

 

 自分の行動を顧みて、私こと鬼方カヨコは、そう呆れざるを得なかった。

 というのも、私は今、どういうわけかD.U.地区のシャーレの近くにまで来ているわけで。

 

 なんでこんな夜更けに、と聞かれると、正直返答に困ってしまう。

 別に何かあったわけじゃない。

 仕事のついでに立ち寄ったわけでも、まして先生に呼ばれたわけでもない。

 

 ただ本当に、なんとなく。

 なんとなく寝付けない夜だったもので、なんとなく真夜中の散歩に出かけて、その時になんとなく『先生はまだ仕事してるのかな』なんてことを考えてしまって、それで無意識に、足がシャーレへと向かったのだ。

 

 ……いや、無意識っていうのにはさすがに無理があるか。

 だって、便利屋の事務所からここまで、ずいぶんな距離がある。

 しかも、わざわざD.U.に行く電車――それも終電――に乗ってまで来たのだから。

 『散歩で歩いていたら、偶然ここまで来ました』というには、あまりにも苦しい。

 

 でも苦しくても、私は何とか言い訳が欲しかった。

 だってこのままでは、ただただ私が先生に会いたくなって、こんな時間に終電まで使ってシャーレに押しかけました……ということになってしまうではないか。

 

 いや、別に、会いたくないというわけでは……ないけれど……。

 でもこれじゃあまるで、本当に面倒臭い彼女みたいで――

 

「はぁ……」

 

 ため息を一つ吐いて、自分の中のバカな考えを振り払おうとした。

 そうすると案外自分を客観的に見れるもので、先ほどまでの浮ついた感覚が、冷えていくのがわかった。

 

 冷静に考えると、こんな深夜にシャーレに押し掛けたりしたら、先生だって迷惑に思うかも。

 もういっそ、このまま帰ってしまった方がいいかもしれない。

 終電はなくなったけれど、別に数時間、ネカフェなりレイトショーなりで時間を潰せば済む話だ。

 

 そう考えて、踵を返そうとした、その直前。

 ふと、あるものが目に入ってしまった。

 

「……あれ?」

 

 いつの間にか近づいていた、見慣れたシャーレのビル。

 先生の仕事場に当たる部分に、電気がついているのを。

 

「先生、まだ起きてるんだ……」

 

 ということは、まだ仕事中だろうか? なんて考えが頭をもたげる。

 すると、つい数秒前まで帰ろうとしていたくせに、私の足は自然と、シャーレの方向へと歩き始めていた。

 

 迷惑かも、なんてボヤいてたのは一体何だったんだ? なんて冷静な私の言い分は、もはや意味も成さない。

 何日かぶりに、先生に会える。

 それを考えてしまったら最後、私はシャーレの入口へと向かう自分の足を、止めることはできなかった。

 

 ……私も、ずいぶんとあの人に中てられちゃったな。

 

 数年前の私が、今の私を見たら、何を言うんだろうか。

 なんて自嘲気味に思いながら、私はシャーレへと入っていった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「先生、いる?」

 

 シャーレの執務室のドア、そのインターホンを押して、私は先生に呼びかける。

 

「ん……? どうぞ~」

 

 先生の声だ。やっぱり起きてた。

 ……でも、なんだろう? 先生の声なのは間違いないんだけど、何か違う。

 猫がゴロゴロと喉を鳴らしている時のような、低い声。

 なんというか、いつもよりも輪をかけて気が抜けているような、へにょっとした感じ。

 

 疑問に思いながらも、私は言われるがまま執務室のドアを開け、中に入る。

 すると、その違和感の正体は、すぐに目の前に現れた。

 

「あれ、カヨコ?」

 

 そこにいたのは、いつもの様子と異なり、どこかだらけたようにソファに座っている先生と、彼が片手に携えている、綺麗な琥珀色の液体が入ったグラス。

 一緒に入っている大きいかち割り氷が液体に半分浸かって、それこそ宝石のように乱反射している。

 私はこんな飲み物を、ドラマや映画で見たことがあった。

 

「こんばんは……お酒飲んでるの?」

「ん……まあ、ね」

 

 私が聞くと、先生はどこかバツが悪そうにそう答えた。

 そう、お酒。大人と言えばと聞かれれば、大体は真っ先に浮かぶ、大人だけに許される飲み物。

 当然、私にとって――というより、未成年(子ども)にとっては、全くと言っていいほど接点のない飲み物と呼べるだろう。

 

 当然ながら、先生は紛れもない大人なのだし、この人がお酒を飲んでいたとして、何ら不思議なことはない。

 ただ、シャーレで飲んでいるとは思っていなかったから、そこに少し面食らってしまった。

 

「あー……ごめんね。こんな状態で」

 

 そんな私の反応を見て、思うところがあったんだろう。

 先生は申し訳なさそうに謝ってきた。

 

「あ、ううん、気にしないで……むしろ謝るなら私の方だよ。こんな時間に急に押しかけてきちゃって、ごめん」

「それは全然大丈夫だよ。カヨコに会えるのは私も嬉しいしね、いつだって歓迎するよ」

 

 ……もう。この人はまた、平気でこういうことを言う。

 ちょっと油断してると、すぐこうやって、息を吐くように私の心に入り込んでくる。

 狙ってやってるわけじゃないのが、余計にタチが悪い。

 顔、赤くなってないよね?

 

「そんなことより、こんな時間にシャーレで晩酌?」

 

 半ば照れくさい自分の感情を誤魔化すために、私は気になっていることを、率直に先生に聞いた。

 

「今日はなかなか眠れなくてね、睡眠薬代わりさ。カヨコは、どうしてまた?」

「私も似た感じ。寝付けなくて散歩してたら、いつの間にかここまで来ちゃってさ」

 

 半分本当だけど、半分は嘘だ。

 寝付けなかったのはその通りだけど、あわよくば先生に会えるかもと思って、電車まで使ってここまで来てしまった。

 でもそんなこと、口が裂けたって言えるわけない。恥ずかしすぎる。

 

「……へえ、ずいぶん歩いたねえ」

 

 すると先生は、目を細めて微笑んだ。

 いつもの先生の笑顔とは、ちょっと違う気がする。

 まるで、こっちの隠し事なんて全部お見通しとでも言うような、余裕のある笑みだった。

 どこか、蠱惑的だった。

 

「先生、もしかして酔ってる?」

 

 そんな先生に心が乱されて、私は逃げるようにそう聞いた。

 

「ん~、そうかも。なんだかんだこれ(ウイスキー)も、もう三杯目だし」

「……それって、飲みすぎなんじゃないの?」

 

 本当かどうかは知らないが、確かウイスキーというお酒は、他のお酒に比べて、とりわけアルコール度数が高いという話を聞いたことがある。

 それを三杯飲んだともなると、相当酔いが回るのではないだろうか?

 

「まあ、そうなんだけどね。ちょっとまだ、眠れそうになくて」

「そうなんだ。でもそんなに寝付けないなんて、珍しんじゃない? なにか、悩みでもあるの?」

 

 何の気なしに聞いたつもりのその言葉に、先生の表情が僅かに曇ったことを、私は見逃さなかった。

 

「……いや、何にもないよ」

 

 そう答える先生の顔は、とても寂しそうで、悲しそうだった。

 取り繕うに上げた口角が、むしろそれを際立たせている。

 

「……何にもないって人の顔じゃないよ」

 

 だからだろう、私はどこか、半ばムキになってそんなことを聞いた。

 

「ははは、本当に何もないんだ。ちょっと夢見が悪かったんで」

「夢?」

「そうそう、ちょっとここに来る前の、昔のことが――」

 

 そこまで言ったところで、先生は途端に口を噤んだ。

 それはまるで『しまった』とでも言うようで、先生が少し焦っている様子が見て取れた。

 

「昔のこと?」

 

 先生が言った言葉を、私はオウム返しに聞き返した。

 先生の、過去。

 ここ(キヴォトス)に来る前の、先生の話。

 

 考えてみれば、私はキヴォトスに来る前の先生の話を聞いたことがない。

 どんな場所に居て、どんなことをしていて、どんな人だったのか。

 何も知らない。

 そう、そう考えてみれば、私は先生のことを、『先生』という部分以外、何も知らないんだ。

 

 ただひとつ、今の話から分かったことがあるとすれば。

 夢に出てきたら目が覚めてしまうくらいの、嫌なことがあった、ということだ。

 先生にそんな悲しい顔をさせる、何かがあった、ということだ。

 

「……何か、あったの?」

 

 私がそう聞くと、先生は居心地が悪そうにグラスを傾けて、一言。

 

「……別に。君に話すほど、大した話でもないよ」

「でも――」

「大丈夫だって、本当に。カヨコに関係するようなもんでもないしさ」

 

 まるで窘めるように、先生は困った笑顔でそう言った。

 きっと、先生にとっては、私を気遣ったゆえの言葉なのだろう。

 心配かけないように『気にしないで』と言っているだけなのだろう。

 わかるよ。アナタはそういう人だもの。

 

 でもね先生。

 その物言いは、凄く嫌だ。

 嫌だよ。

 だってそれは、『お前には関係ない』って言われているようなもので。

 自分が先生にとって、蚊帳の外の人間だと言われているような、そんな気がするんだよ。

 

「まあ、ずっと立ってるのもなんだし、座りなよ。便利屋の近況とか聞かせてくれたら、嬉しいな」

 

 すると、先生は今までの話を断ち切るように、私にそう言ってきた。

 それは暗に『この話は終わりだ』と、そう言っているように思えた。

 

 私はなんだか、それに凄く腹が立ってしまった。

 だからだろう、今の私に、普段のような冷静さはなかった。

 

「……じゃあ、お邪魔するね」

 

 そう言って私は、先生のお望み通り、座った。

 

「……あの、カヨコ?」

「なに?」

「こういうのって普通、対面に座るもんじゃないかな?」

 

 そう、先生の言う通り、先生の対面にあるソファに座ったわけじゃない。

 先生と同じソファの、先生の隣。

 そこに、先生にもたれかかるように座ったのだ。

 

「ふぅん、そうなんだ?」

 

 敢えてしらばっくれるように、私はそう言った。

 少し子供っぽかったかもしれない。

 

 でも、先生の焦ったような、困ったような顔を見ると、いけないとはわかっていても、してやったりという気持ちになる。

 そうそう、あんな言い方する先生が悪いんだから。

 ざまーみろ、だよ。

 なんてことを思いながら、私は空になった先生のグラスに、ボトルのウイスキーを乱雑に注いだ。

 

「ほら先生、寝付けないんでしょう? もっと酔って早く寝なきゃね?」

「カヨコ、カヨコさん? ウイスキーってそんなドバドバ入れるもんじゃないですよ?」

 

 先生の制止も儚く、グラスにはみるみるウイスキーが満ちていく。

 とは言え、本当に先生をアルコール中毒にする気などは当然ないわけで。

 ウイスキーがグラスの半分を満たしたくらいで、私はボトルを置いた。

 

「……カヨコ、ひょっとして怒ってる?」

「どうだろうね、でもいいんじゃない? 先生には関係するようなもんでもないでしょ」

「あぁそういう……なんだ、その、参ったなあ……」

 

 さっき言われた言葉をほとんどそのまま、先生に返す。

 すると先生は察したみたいで、困ったような顔をしながら、グラスを傾けた。

 

「つっけんどんな言い方になったのは悪かったよ。でもカヨコだって、ジジイのカビが生えたような自分語り聞かされても、迷惑でしょ?」

「そんなことない。先生が思ってる以上に、私は先生のこと知りたいと思ってるよ」

 

 まあ、私に限った話じゃないだろうけど。

 という言葉は、言わないでおこう。

 そう思いながら、私は続ける。

 

「別に、話したくないなら無理には聞かないよ。けどさ、出来れば頼って欲しいんだ。話して楽になるってことも、あるだろうし」

 

 先生はなんというか、生徒のためと言って、自分のことをおざなりにしすぎるきらいがある。

 命に執着していない、という表現がより正しいかもしれない。

 そりゃ、基本的な仕事とかだと、私たち(生徒)を頼ってくれることはままある。

 けれど、本当の本当に重要な局面、それこそ自分の生死が関わってくるようなときになると、この人は平気で自分の命を投げ打つのだ。

 

 プレナパテスのときなんて、まさにそれだ。

 あの時も先生は、一人の生徒を助けるために、何の躊躇もなく自分の命を捨てようとした。

 奇跡的に生きて帰れたからよかったものの、あの時の私は、それがわかるまで本当に生きた心地がしなかった。

 

 もうあんな思いは、絶対にしたくない。

 だから先生には、もっと私たちのことを頼って欲しかった。

 愚痴でも何でもいいから、何でも話して欲しい。

 大人とか子どもとか、そういうのはいいから、もっと近づいて、甘えて欲しい。

 

 放っておいたら、それこそこの人は、どこかにふっと消えてしまいそうだから。

 なんでもいい。先生を繋ぎとめてくれる(くさび)になってくれるのなら。

 

「……ありがとう。でも、ごめん」

 

 けれど、そんな思いも空しく、先生から出てきたのは、拒絶の言葉だった。

 その言葉が指す意味は、きっとひとつ。

 心が抉れるような、そんな痛みを感じた。

 

「……そっか。そう、だね、ごめん……私みたいな子どもじゃ、ダメだよね」

「違うよ、カヨコ。そういう意味じゃ――」

「いいよ、気遣わなくて」

 

 わかっていたことのはずだった。

 この人が生徒の前で、本気の弱音なんか吐くわけがない。

 だからこそ、みんなに頼られる『先生』で、『大人』なのだから。

 

 わかっていた。わかっていたはずなのに。

 こんなに、受け入れがたいとは思わなかった。

 私では、この人の心の奥には、触れられない。

 その事実が、私に重くのしかかる。

 自分が『子ども』であることが、こんなに忌まわしく思う日が来るとは思わなかった。

 

「ごめんね、変なこと聞いて。忘れてね」

 

 そう言って、私は先生から離れるために、ソファから立ち上がろうとした。

 これ以上は、泣きそうになるのを、耐えられそうになかったから。

 

 

「カヨコ」

 

 

 すると突然、強い力で肩を引き寄せられた。

 私の視界に、くっつきそうなくらい近づいた、先生の顔が現れる。

 

「……え?」

 

 今、何が起きて……え、先生?

 

「違うんだ、話したくないのは、君が思っているような理由じゃない」

「……じゃあ、なに? 取繕わないで、本当のこと言ってよ」

 

 そんなことを宣う先生に、私はついに堰を切ったように言ってしまった。

 顔は、どうなっているだろう? 泣いてしまってないだろうか?

 そんなことを思いながら、先生の言葉を待っていると、彼は言いづらそうに口を開いた。

 

「違うんだ。いや、カヨコだからってのはある意味そうなんだけど、伝わってるニュアンスが違うというか、ええと……」

「なに?」

「だから、ええと――」

 

 少し待つと、彼はどこか照れくさそうに目を逸らして、続けた。

 

 

「君に言ってしまうと、歯止めが効かなくなりそうで、先生じゃ、大人じゃいられなくなりそうで、だから……」

 

 

「え……?」

 

 先生の言葉に、私は思わず、そんな声が出てしまう。

 どういうこと?

 私に言うと、歯止めが効かなくなるって。

 『先生』でいられなくなるって。

 

 え、それって、つまり……。

 

「……フンッ!」

 

 すると、何を思ったのか、先生は突然、グラスに入っていた残りのウイスキーを一気に飲み干した。

 

「せ、先生!?」

 

 突然の奇行に、私はそんな素っ頓狂な声を出してしまう。

 グラスにはまだ結構な量が残っていたはずだ。

 そんな量を一気に飲み干してしまったとなると――

 

「ゴホッゲホッ……! うぇ……」

 

 ……思った通り、先生はむせたかと思ったら一気にグロッキーになって、うなだれてしまった。

 姿勢を保つ力もなくなったのか、私の方に倒れ掛かってきたら、両手を使って支えた。

 

「……なにやってるのさ、もう」

 

 どこか締まらないその光景に、安心したようなため息が出てしまう。

 あれが俗に言うイッキというやつだろうか。

 いや、ドラマとかでしか見たことないけど、ウイスキーでやるもんじゃないんじゃないの?

 

 それにしても、なんで急にイッキなんてしたんだろう?

 先生が、私に意味深なこと言ったとおもったら、いきなり……。

 ……あ。

 

「ひょっとして、照れちゃったの?」

 

 そう聞くも、先生からの返事はない。

 気づけば、彼は私の胸の中で、静かに寝息を立てていた。

 酔ったら眠れるっていうのは、本当らしい。

 

「……ふぅん、そっか」

 

 先生は言っていた。

 私に言うと、『大人』じゃいられなくなるって。

 私にだけは、『先生』じゃいられなくなるって。

 

 それって、ねえ、つまり。

 そういうこと、だよね?

 

「ふふ……」

 

 先生を道連れにしてソファに横になってみる。

 そうすると、彼の体温がより顕著に伝わってきた。

 髪をなでると、少し固い髪の感触が、手の平に伝わってくる。

 

 そうしていると、まるで大きな子どもをあやしているみたいで、少し可笑しくなってしまう。

 さっきまでの悲しい気持ちはどこへやら。

 今の私は、何か温かいものに満たされていた。

 

「歯止めが効かなくなるんだよね、先生?」

 

 彼の耳元で、小さく囁く。

 聞こえないのはわかっているけれど、それでも言葉を続ける。

 

「いつか、二人で効かなくしようね」

 

 そう呟いて、私も襲ってきた眠気に抗うことなく、静かに目を閉じるのだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 最初に目を覚まして感じたのは、真っ暗な視界と、柔らかい感触だった。

 抱き枕なんてあったかしらと思いながらも、その感触が心地よくて、もっと深く顔をうずめる。

 

「……うぅ……アダダダ」

 

 しかしそれも束の間、次に襲ってきたのは、酷い頭痛だった。

 脳全体をグラグラと揺らされているような、言葉にしにくい鈍痛。

 この痛みには、思いっきり心当たりがある。

 

「うぐぅ、飲みすぎた……」

 

 そう、思いっきり飲みすぎた。

 だって、後半あたりの記憶がほとんど飛んでいるのだ。

 これを深酒と言わずして何というか。

 

 私はバカか?

 寝酒でウイスキー何杯も飲んでどうするってんだ全く。

 今日も仕事せにゃならんというのに。

 まっこと阿呆とは私のことではないか。

 

「え~と、昨日……そうだ、カヨコ」

 

 その流れで、ふと思い出した。

 昨日、晩酌している途中で、カヨコがシャーレを訪れたんだっけか。

 あの時点でだいぶ酔ってたから記憶はあやふやだが、彼女がここを訪れたのは間違いない。

 

 当然ながら、カヨコはもう帰っただろう。

 悪いことをしてしまった。せっかくシャーレに来てくれたのに、酔っ払いの相手をさせるなんて、先生としてあるまじきことだ。

 あとでモモトークで謝らなければ。

 

 ひとまず起きよう。

 とりあえず、洗面台に行って、顔を洗わなきゃ――

 

「……ん?」

 

 と、起き上がろうとしたところで、違和感に気づく。

 何かが身体に巻き付いていて、妙に身動きがとりづらい。

 

 やわらかく温かい何かが、私を包み込むようにしているのが、感じ取れた。

 はて、うちにこんな寝具あっただろうか?

 この抱き枕にしたってそうだ。シャーレの仮眠室に抱き枕なんてなかったはずだけど。

 しかし、こんなに心地いい抱き枕があるんだなあ。

 温かいし柔らかいしいい匂いだしで、もっとこうしていた――

 

「んぅ……」

 

 と、不意に聞こえた。そんな声。

 無論、私が発した声ではない。

 私の頭の上の方から聞こえた、私以外の誰かの声だった。

 それは、とても聞き覚えのある声で。

 

 ……まさか。

 そう思いながらも、私は少し枕から離れ、頭上のほうを見てみる。

 

「……あ、先生。おはよう」

 

 するとそこには、朝日に照らされた、胡乱げなカヨコの顔があった。

 とすると、待て。

 私がさっきまで顔をうずめていたものって、ひょっとして……。

 

 そう思って、私は恐る恐る自分が顔をうずめていたところに目を向ける。

 すると、やはりと言うかそこは、カヨコの胸に当たる位置であった。

 

「か、カヨコ……!? 帰ったんじゃ……?」

「帰ったんじゃって……先生、ひょっとして昨日のこと、覚えてないの?」

 

 昨日?

 え、ちょっと待って、昨日って、あのへべれけになった昨日のことだよね?

 

「……ッあーっと」

 

 猛烈に嫌な予感がした。

 深酒して、酔っぱらった昨晩。

 途中で来た女の子と一緒に飲んで、それで今、こうして同衾で朝を迎えている。

 この状況で考えられることは……。

 

「あの、カヨコ……私昨日、君に何かしちゃったりとかって……」

「……ふぅん、覚えてないんだ?」

 

 すると、カヨコは拗ねたような口調で、そんなことを言ってきた。

 冷や汗が出てくるのを感じる。

 

「えっと、覚えてなきゃいけないことを、しちゃったんでしょうか……?」

「うーん、そうだね。あんなことがあったのに、忘れちゃってるなんてショックだな」

 

 ……ああ、終わった。

 先生として、ついにやってはいけない一線を越えてしまったのだ。

 酔った勢いで生徒に手を出すなんて、しかもそれを覚えてもいないなんて。

 今年度クズオブザイヤー受章ものじゃないか。

 もうダメだぁ、おしまいだぁ……!

 

「……そんなに思い詰めなくても、大丈夫だよ先生。誰かに話したりとかしないから」

「か、カヨコ。気持ちはありがたいけど、バレなきゃいいっていう問題じゃあ――」

「当人同士がいいならいいじゃん。それに……」

 

 すると、カヨコはおもむろに私に顔を近づけ、目線を併せたうえで、続けた。

 

「『大人』なんだから、責任取ってくれるでしょ?」

 

 どこか、蠱惑的なその笑みで、彼女は私にそう聞いた。

 それに、否と返すことなど、当然できるはずもなく。

 

「も、もちろん。何が何でも、責任取るよ」

「……言質取ったからね」

「んぐ……!?」

 

 そう言ったかと思うと、カヨコは再び私を抱きしめて、胸元に引き寄せた。

 彼女のどこか柔らかいいい匂いが、ただでさえ二日酔いで鈍っている判断力を、さらに役立たずにする。

 

「もう少しだけ、こうしていようよ、先生」

 

 そう言って、彼女は再び目を閉じる。

 その言葉に、そしてこの心地よさに抗う力は、今の私にはなかった。

 

 ……とりあえず、覚悟だけは決めておこう。

 そう思いながら、私はカヨコに誘われるまま、再びまどろみに身を投じたのだった。

 

 

 

 結局特に何かあったわけではないとカヨコにネタばらしされたのは、それからしばらく経った後のことだった。

 

「まあ別に、ホントに何かあっても、私はいいけどね」

 

 そう言ったときのカヨコの微笑みが忘れられなくなるのは、また別の話だ。




カヨコみたいな女の子が癖です。
自分の人生を諦めた故に美学や信条のために笑って命を投げ捨てられる系気怠いおっさんも同じくらい癖です。
なので今日は癖と癖の話です。
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