太古の昔から怪獣の存在は一部の間で認知されていたが、ただ静観するのみであった。
しかし、状況が一変したのは怪獣が地球に対し、侵略行為を働いてからだった。有史以後、人類は歴史の陰で怪獣との間で戦いと共存を繰り返していた。
その大きな転換となったのが、西暦2033年のことであった。その年は、関東を震源地とした大地震が頻発していた。人々の間でノスタルダムスの大予言や都市伝説などといったものが本当のことだったのではないかとまことしやかに囁かれる中、それらは再び姿を見せた。
建築物と並ぶか、それを優に超える全長を持ち、現代兵器をも歯牙にも掛けない圧倒的な身体と暴虐的なまでの暴力を有する究極の生命体、怪獣。
彼らは東京のいくつかの埋め立て地を海に沈め、無数に聳え立つ都会の建築物を諸共平野と化した。あわや東京壊滅かと思われたが、怪獣の進行は新宿付近で停止。
そのまま進むことなく、どこへともなく帰ってしまった。この一件で怪獣の実在は世界中の一般市民にも広く知られるところとなった。
その後も怪獣は東京を中心に日本列島近海や関東圏に頻出、諸外国においても怪獣による損害が出ており、被害は拡大する一方であった。
恐怖した多くの都民は地方へと移住や疎開を行った。そのため、東京都の人口は激減し、ざっと1300万はくだらなかった人口が1000万を下回る事態となった。人々は己の理解を超えた高次存在を知り、怯えて暮らしていくこととなった。
そんな殺伐とした世界へと変貌を遂げてから32年、西暦2065年のことである。
春風の心地よい晴天の日だった。
清掃員として働いて早二年、琳蔵は今年でちょうど二十歳となる。立派な社会人の一員になったと言って差し支えないだろう。
黒髪短髪で中肉中背の至って普通の青年である。
一仕事終えた彼は清掃のためのマスターキーを使い、屋上へと来ていた。
琳蔵は柵へと腰掛け、菓子パンを頬張り、春風に揺られる自身の前髪を見つめながら、コーヒー牛乳のストローを弄る。
「リンさん」
一人の男子生徒が琳蔵へと声をかける。
「もう食べてたんですか?」
琳蔵は最後の一片を飲み込んで答える。
「お腹空いてたから……」
彼は琳蔵の職場である学校の生徒であり、今年入学したピカピカの高校一年生である。名を
「友達はいいのか?」
琳蔵は昼休みにいつも屋上へ来る聡太に友人がいないのか心配であった。
「大丈夫ですよ。友達とは放課後に遊んでいるので」
「そっか」と琳蔵は少し安堵した表情を見せる。
琳蔵は聡太と昼食をとるこの時間をひそかに楽しみにしている。社会人となると気の置けない関係を構築するのは難しい。ましてや面倒くさがりである琳蔵が新しい人間関係を率先して作ろうなどと思うはずもなかった。
数少ない友人のほとんどは疎開やら移住やらで、みな東京から離れてしまっていた。琳蔵にとって年が近く、そして趣味も合う聡太は貴重な存在だった。
そんなことを思われているなどとは露知らず、聡太は弁当を食べながら鞄からタブレットを取り出す。
「見てくださいよ」と聡太は琳蔵に画面を見せる。
「すごいな。この前のやつか?」
ええ、そうですと言いながら写真をスクロールしていく。
聡聡太が見せているのは数日前に目黒で暴れていた一匹の怪獣の写真であった。
全長40メートルほどのバカでかいネズミの姿をした怪獣。ネズミ嫌いな人が見てしまえば卒倒してしまうほどの気味の悪さと、どことなく可愛げのある顔を持ち合わせている。写真にはかわいらしい鼻やそこから延びるひげ、とげとげしい毛並みまで繊細に映っている。
きれいに撮れているなあと琳蔵は感心する。
トゲチュ。
このネズミ怪獣の呼称で、近頃、街を荒らしまわっていると噂の怪獣である。前足で建物を固定し、鋭い前歯で建物をかじり、食してしまう。満腹中枢がバカになっているのか際限なく食べ続けるという人間にとってはた迷惑な奴であった。
防衛隊や自衛隊が食事中のトゲチュに対して攻撃をするもその頑丈な体毛によって弾かれてしまう有様である。しかし、防衛隊と自衛隊による必死の連続的な通常火力兵器による面制圧を行い、それを嫌ったトゲチュを退けることに成功したという話である。
このようにして琳蔵と聡太は得た怪獣の情報や資料を交換していた。二人は特撮やアニメといったサブカルチャーなるものが好きな人種だった。
しかしながら、怪獣が危害を及ぼすことが現実となってしまった今では怪獣を扱った作品の制作や観賞が憚られる風潮ができていた。そんなご時世で大手を振って趣味の話をするわけにもいかず、二人はこのようにコソコソしている次第だ。それでも二人は現状に満足していた。
突如、広い青空にサイレンが鳴り響く。それから少し遅れてスマホも不気味な音色の警報を鳴らす。
怪獣の襲来を知らせる警報である。
二人は素早く端末を操作して音を消すと怪獣災害対策アプリ“えすもん”を開く。
どこかのゲームのような名称を連想させる“えすもん”とはEscape from Monsterの略称であり、怪獣の現在位置や進行方向、予想進路などの情報を即座に表示、AIによる的確な避難指示をしてくれるアプリケーションである。
また、地震や津波、特殊災害にも対応している。開発、運営は防衛隊が担っているため信頼できる代物である。実際にこのアプリのおかげで助かった人々も多く、日本国民で“えすもん”を携帯端末に入れていない者はいないといっても過言ではないだろう。
「トゲチュです。世田谷区……近いですね」
聡太はすかさず鞄から一眼レフのカメラを手に取る。聡太はカメラにも通ずるヲタクだったのだ。いかにも高そうなこのカメラは望遠レンズを合わせて、お値段数十万はくだらない逸品である。聡太は実務、趣味ともにこのカメラを愛用していた。もちろん、琳蔵の給料では買うことはできないし、扱う技術も琳蔵にはない。
世田谷区方面を見やれば、すでに黒煙が立ち上っていた。上空には複数の戦闘機が展開していた。二人のいる学校は善福寺川沿いにあり、世田谷区からかなり近い位置にあった。距離にして数キロメートル、視認できる距離にあるということだ。
屋上から校庭を見下ろせば、多くの生徒が校舎からゾロゾロと出てきていた。
度重なる怪獣災害によりある種の災害慣れをしてしまった生徒らは、近くまで怪獣が迫っていても落ち着き払っている。怪獣災害が常態化してしいる東京ならではの感覚のマヒである。それは、琳蔵にも言えることであった。生まれてから成人するまで聞き飽きるほど聞いた警報はもはや目覚まし時計のような感覚である。もはや、警報は警報の意味をなしていない。
「これ結構やばいよな」
そんなことを口にするが実際問題琳蔵には実感というものが全く湧いていなかった。確かにネズミ怪獣トゲチュは琳蔵の目には映っていた。
しかし、現実味がないのだ。40メートル級のネズミが建物を食い荒らし、高速移動をするさまなど。まるで自身が模型の世界に入ってしまったのかと錯覚してしまうほどだった。
呆然と口を開けて間抜け面を晒す琳蔵の隣で、聡太は冷静に写真を撮っている。
聡太はある程度写真を撮り終えたら、琳蔵を連れて校庭にはいかず、学校から出ていく算段を立てていた。その理由はトゲチュが建物を好物とする怪獣であり、聡太のいる学校は多くの大きな建物が連なってできていたため、次の標的にされる確率が高いからだ。若干15歳にしてこの胆力と判断力。凄まじい。
聡太はできるやつだった。恐らく、全裸でワニの池に放り込まれてもきっと無傷で返ってくるだろう。
「リンさん逃げよう!」聡太が琳蔵に声をかけようとしたその時。
上空にてまばゆい閃光が炸裂した。
あたり一面が白光に包まれ目を開けることすらままならない。たとえ目を開けることができたとしてもその光量によって失明してしまいそうなほどである。
一拍。
光が消え、空に青が戻る。
次の瞬間、空から巨人が降ってきた。