「ふいー……」
整備区画の外でタバコをふかしてるティエスちゃんだ。すっかり夜も深くなった星空の喫煙所には、俺一人だ。みんな明日の準備に忙しくて、煙草休憩どころではないらしい。せっかくハナッパシラ君がオークの皆さまから大量のエルフたばこを土産に持たされてきてくれたのにな。まあ結構癖のある味わいだし、愛煙者はあんまりいないんだけどな。つまり俺得ってワケ。
風のない夜だ。都市の周りの森のざわめきも、ここまでは聞こえてこない。燻る紫煙が細く夜空に立ち上っていくのをぼーっと眺める。物思いに耽るのには丁度いい静けさやね。
もう一服、と煙草をくわえたところで、誰かが近づいてくる気配がした。
「あ、こんなとこにいたのね。私にも一本頂戴」
「ニア?」
珍しい来客だった。大酒呑みなのは周知のとおりだけど、ヤニをやってるって話はとんと聞かなかったからだ。というか、いつもベッドで俺が吸ってたら煙たそうにしてたからな。
「ン。意外だな、いつから吸ってたんだ?」
「いいでしょ、いつからでも……ありがと」
ニアは咥えた煙草を、ん、と突き出してくる。火まで寄こせってか。横着者め。
俺は自分の煙草を咥え、その先端に灯った火をニアの煙草に宛がった。ジジジ、と巻紙が燃える音がして、やがて2条の煙が立ち上がる。ニアが少しだけ目をそらした。
俺が顔を離すと、ニアはすこしの逡巡の後、その煙を大きく吸い込んだ。
「っ、ごほッ、ごほ……!?」
そして、盛大に咽た。あーあ―。一気にそんな肺に入れるからだよ全く。まずは口の中で煙を味わうんだ。
「お前、さてはタバコ初心者だな?」
「う、るっさいわね……これが初めてよ」
煙に咽たニアは目尻に僅かばかりの涙をためて、そう消え入るような声で言った。
「あんた、普段からこんなの吸ってたのね」
「ま、好き嫌いはある味わいだわな。メンソールはきついしタールは重いし。ぶっちゃけ初心者向きじゃねー」
そもそもが
ニアは顔をしかめつつも、手に持つ煙草をもみ消すでもなくまた口に銜え、そして再び咳き込んだ。おいおい。
「無理すんなって。体質的に合わない奴とかいるしな」
「むむむ……」
ニアは唸って、しかしまた煙を口に含み、咳き込んだ。負けず嫌いなやつだぜホント。まぁ、好きにすりゃ良いとは思うがね。何事も経験だ。
俺は視線をニアから外して、黒い夜空を見上げる。偽物にしてはあまりに奇麗な星空が瞬いていた。明日の昼には、あの空に飛び出すことになる。まったく、空を飛ぶのは前世をひっくるめても初めてだよ。俺、飛行機とか乗ったことなかったもんな。
「……何見てんの?」
「ん? 夜空」
見れば、だいぶ慣れてきたのか苦みばしった顔で煙を吹かすニア。そんな無理して吸わんでも。
「夜空なんて見てて楽しいの?」
「なんだ、空より私を見てほしい~~ってラブコールか?」
「違うわよ、バカ」
「そうかい。……月が奇麗だなぁ」
中天を過ぎた満月が仄かに夜を照らしている。それが仮初の空に投影されたイミテーションだとしても、その荘厳さは一切棄損されるものではなかった。
そういえば、賢狼人の連中はやっぱり満月を見たら興奮するんだろうか。こんど姫に聞いてみよう。フライト中の数時間は暇だろうしな。鬼畜じみたシミュレーション地獄の成果で、今なら寝てても飛べるくらいにはなった。まったく俺の才能が怖いね。我ながら多才すぎるな。
「明日、戦争なのよね」
「だな」
ニアがぼそりと呟く。なんて物騒な日常会話だ。俺は半笑いになった。
「どうした、怖気づいたか?」
「そりゃ、怖いわよ」
以外にも素直な回答が帰ってきて、俺は片眉を上げる。ニアの顔色を窺えば、その苦い顔はどうやら、煙草だけのせいではないらしい。
「不安か。
「……うん」
ニアの率いる第四小隊は、他の小隊と比べて家格の高い連中が集められたお貴族部隊だ。王国近衛の三騎士が一人、テッテンドット卿の息女であるニアをはじめ、エライゾ領筆頭武家イキリマクッテンネン家の嫡男ハナッパシラ、財務卿リシトール家の放蕩娘アロットなどが在籍している。
そういう経緯だから、ガチの鉄火場――例えば、森域での暴動鎮圧のための派兵――からは遠ざけられていた。人を殺した経験がないのだ。
「ま、魔物やモンスターとやりあうのとさほど変わんねぇよ。あまり重く考えるな」
「気軽に言ってくれるわねぇ」
ニアが盛大に溜息をはいた。肺の中に残っていた煙も一緒に吐き出されて、まるでゴジラだな、などと思う。
俺はフィルターまで吸い切った煙草を灰皿に押し付けて、新しい煙草を取り出して咥えた。
「……ん」
ニアが唇を尖らせて、咥えた煙草を差し出してくる。ったく、別にこれで火をつける必要はないんだぞ。
俺が少しだけ呆れた気配を醸したのを鋭敏に感じ取って、ニアはむっと眉根を寄せた。
「
「さよけ」
俺はニアの望み通り、口移しで火を受け取る。巻紙が焼ける音がして、火が完全に燃え移るまでの間、ニアはじっと俺の目を見た。こんどはそらしはしなかった。
俺は煙を肺いっぱいに吸い込むと、そのままニアの顔に吹きかけた。
「わっ、ちょっ!? なにすんのよ!!」
「へっへっへ」
ニアがプンスコと怒る。俺はへらヘラとした笑みを浮かべながら、もう一服大きく吸い込んで、そして吐いた。月明りに微かに照らされた紫煙が、夜に消えていく。
「で、気は紛れたかよ?」
「はァ~~……ええ、おかげさまでね」
ニアは半眼で俺を睨むと、まだ長い煙草を灰皿でもみ消した。ああ、もったいない。
二本目を勧めるが、ニアはそれを固辞した。そうしてしばらく、二人して星空を見上げる。数条の流れ星が落ちて消えた。あ、とニアの小さな声。流れ星は
流れ星を見送って、ニアは口を開いた。
「……帰ってきなさいよ、絶対」
「おうさ。オメーも死ぬなよ」
「当たり前でしょ」
……星の奇麗な夜だった。