「さて、トマス小隊長は無事だといいが」
「――今は、事前の取り決め通りに」
「わかっているとも。姫は大丈夫かな?」
「問題ない。ドレスは脱いでしまいたいがな」
「なるほど、もう偽装の必要もないか」
3人に減ってしまった護衛に囲まれ、ハラグロイゼ卿とライカは闘技場の非常階段を駆け下っていた。貴賓室のあったフロアと打って変わって無機質な強化木材で構成された無骨な階段室は、幸いなことに敵の妨害もなく、森域民の流入もない。貴賓室につながる非常階段だけあって、一般のフロアとは接続されていないのが幸いだった。
先ほどの爆発音はハラグロイゼ卿たちの耳にもしっかりと届いている。何が起きたのかは想像するほかないが、とにかく碌なことでないのだけは確かだ。それなりに時間が経ったのにトマスが追い付いていないのがその証左だろう。考えたくはないが死んだか、はたまた通路が破壊されて追えないか。
ひとまず、ハラグロイゼはトマスを死んだものとして扱うことにした。
ライカが役目を終えたドレスの裾を剣で裂くのを横目に階段を駆け下りながら、ハラグロイゼは残った護衛の三人をちらりとだけ見て思案する。
(ガーディ、マルモ、ドルーシ——
3人の護衛は、ハラグロイゼが王都から連れてきた警察機構の生え抜きだ。護衛としての能力には文句の一つもないほど優秀だし、実績もある。しかし、こう言う類の
こういう時、実戦で揉まれてきたトマスがいないのは痛かった。
「一階です。ホールにでます」
「ハラグロイゼ卿、我々の背からは出ないようにお願いします」
「わかった。よろしく頼む」
試案に耽っているうちに、階段は終着点になっていた。前衛を務めるガーディとマルモに言われたとおりに、ハラグロイゼはその背の後ろに隠れる。ハラグロイゼは単なる外交特使であり、あらごとに有利なスキルは何一つ持っていない。ただ普段から守られ慣れているから、目下からのものであれ指示には素直に従うし、的確に動くことができる。
問題はライカで、彼はどちらかといえば守る側としての訓練を受けてきていた。いざ護られる側に回ると、その動きのいちいちに戸惑いが見え隠れする。
ハラグロイゼが一行の後ろを護るドルーシに軽く目配せをすると、彼はそれに気づいて小さく頷いた。ライカのフォローは彼に任せるほかないだろう。
「いきます。3、2、1――」
「ゼロ!!」
ドン、とマルモが階段室の防火扉を蹴り飛ばすと、途端に喧騒がボリュームを最大にして飛び込んでくる。
階段室から出た一行が見たのは、まさに混乱の坩堝ともいうべき状況だった。制御を失った大勢というのはかくも恐ろしいもので、それはさながら人の津波だ。一心不乱に出口を目指す民衆が押し合いへし合いをして、流れが止まろうがお構いなしに進むものだから大規模な将棋倒しが発生している。辺りは怒号と悲鳴、泣き声が悪夢のアンサンブルを奏で、凄惨な様相を呈していた。
「参ったな、これでは出口に直接向かうのは難しそうだね」
ハラグロイゼが騒音を嫌うように耳を塞いで、あまりにシラッとした顔で言うもので、ライカは思わず目を見張った。それに気づいたハラグロイゼはライカを見て、平坦な目のまま言った。
「割り切りたまえ、ライカ王子。今最も重要なのは、森域の民衆がどうなるかではない。私たちが五体満足な状態でこの場を脱出することだ」
「それは……!」
ライカは反感に満ちた目でハラグロイゼを見たが、しかし反論の言葉を見つけられなかった。荒ぶる感情よりも先に、理性がハラグロイゼの言の正しさを理解してしまっていたからだ。
ここで自分が死ねば、姫はウィドー王を討つ大義を失う。姫が大義を失えば、王国の助成は得られなくなる。内戦が長引く。
ここでハラグロイゼが死ねば、森域と王国の戦争になる。どちらも、いたずらに森域の民を虐げることになる。だからここで恐慌する民草を見捨てるのは、正しい。
「……理解は、出来る。だが納得はできない。それでも、今はあなたに従う」
ライカはハラグロイゼの目をまっすぐに見たまま、絞り出すように言った。ハラグロイゼはその答えに満足したように微笑むと、そのまま視線をガーディに移した。
「脱出プランはあるかな?」
「……賓客用の玄関は、敵に抑えられているでしょう。一般用の出入り口から脱出できない以上、目指すべきは——管理用通用口」
「敵もそれを読んでいるのではないかな?」
「でしょうね」
3人のSPのリーダーであるガーディは、ハラグロイゼの懸念を肯定して肩をすくめた。
「ですが、物理的に狭い管理用通用口ならば、敵も大きな部隊を配置しづらいでしょう。――我々が押し通れるとすれば」
「そこしかない、か。トマス小隊長の合流は待つかい?」
「難しいでしょう。時間をかけるだけこちらの不利になります」
ハラグロイゼも納得したように肩をすくめた。
「ガーディ、たしか君には妻子がいたね」
「ええ。
「約束しよう」
二人のやり取りに、マルモとドルーシが苦笑いを浮かべた。意味を掴みかねているのはライカばかりである。
「では」
「うむ、そのプランで——」
「――通用口は、死地と考えられよ」
ハラグロイゼがガーディの案を承認しようとした直前、第三者の声が割り込んだ。稲妻のように緊張が走る。ガーディとマルモが瞬時にハラグロイゼの守りを固めた。ドルーシも後方で、いつでもライカを庇えるように動く。
「王国のハラグロイゼ卿とお見受けする。それがしは森域統合軍青の武士団——棟梁、カテル・ウルフマンである」
ガーディが短杖を突き付けた先、声の主は戦国めいた甲冑に身を包んだ、犬頭の青年で——
「こちらに敵対の意思はない。そう警戒めされるな……というのも、無理な話か」
腰に佩くべき太刀を地に放り、諸手を挙げた姿で一行の前に姿を現した。