「つ、疲れた……」
「お疲れ様にござる。一息入れましょう」
「おー、さんきゅ」
ひと気の少なくなった配給所で、エルヴィン少年はたいそうくたびれていた。自分で願い出たことだから完遂させねばならないという一念で何とか人波を捌き切ったが、途中に起こったトラブルは枚挙に暇がなく、件数は両の指では足りない。そしてそのほとんどが
エルヴィン少年はエルフニンジャの差しだした
とはいえ律儀な性分であるから、受け取ってしまった手前ひと息で飲み干す。大いに顔をしかめた。メントールがキツめでひどくスースーする。
「もらっといてなんだけど、あんまり美味しくないねコレ」
「でしょ? 拙者もそう思います」
ニンジャはあっけらかんと言った。エルヴィン少年はジト目でニンジャをねめつけたが、この短い付き合いだけでこの人物が頓珍漢な言動を好むことはわかっていたので、諦めて嘆息する。
「なんでそんなの他人に渡すかな」
「反応見るのが楽しくて……」
「ろくでもないなあ」
空になった瓶をニンジャに押し付けて、エルヴィン少年はさて、と腕まくりをして箒とちり取りを手に取った。避難民への配給はひと段落ついたが、配給所の仕事はまだまだある。配ったものと在庫を目録と突き合わせて確認したり、次の配給の準備などだ。
とはいえそちらはそれなりのスキルを持ち合わせていないと厳しいため、エルヴィン少年に割り当てられたのは、配給所周囲の清掃である。大量の人間が外からやって来ただけに、配給所はすっかり砂っぽい。避難所の衛生管理は大変責任ある仕事である。エルヴィン少年は次の食糧配給の時間までに、配給所の床をピカピカに掃き清める意気込みだ。
「せいが出るね、エルヴィン君。頑張っているようで何よりだ」
さて掃き始めようか、というタイミングで、エルヴィン少年は背後に思わぬ声を聴いた。慌てて振り返ると、そこに立っていたのは深緑の髪をなびかせた妙齢の女性だった。エルフに特徴的な笹穂耳を、気持ちだらしなく垂れ下げているように見える。ニンジャが流れるような動作で傅いた。
「ウィエルサード様!?」
「しーっ。今はちょっとお忍びで抜けてきたからね。あまり賑やかにはしたくないんだ」
そういって悪戯っぽく笑むのは、まさしくエルフの最古老にして支配者、ウィエル・スプリット
そのような大物が突然現れたというのに、配給所の職員たちはさしたるリアクションも見せずに黙々と働いている。驚くエルヴィン少年と傅くニンジャ以外、誰もウィエルサードの来訪には気が付いていないようですらあった。今にもすぐ横を通り過ぎていったというのに!
……実際、そういう魔法を使っているのだろう、とエルヴィン少年は納得する。流石はエルダーと言ったところか。その魔法操作の手練手管は、あのティエスをしてかなうかどうか。ウィエルサードに魔法のイロハを学び始めただけに、エルヴィン少年はごくりと唾をのんだ。
そこで、傅いたままだったエルフニンジャがやおら頭を上げ、口を開いた。
「ンも~、困りますよウィエルサード様。護衛も連れずに出歩くとか、またアサイエル殿の胃に穴をあける気ですか?」
「そうは言うけどねニンジャ、エルフは万年人手不足だもの。忙しいアサイエルの手を煩わせるのも気が咎める。それに私はほら、そこいらの護衛よりもずっと強いからね」
「うーん、それはそう」
むん、とばかりに力こぶを作るウィエルサードに、ニンジャは納得したように唸った。それでいいのか、とエルヴィン少年は思ったが、他所の事情に口を挟むことはすまい。藪蛇感がビンビンだったからだ。これがいわゆる誘い受けという奴だろうか。
「……さて、どうだいエルヴィン君。配給所の仕事は」
仕切り直すように、ウィエルサードは慈しみの強い声音で問うた。エルヴィン少年はこのモードに入ったときのウィエルサードが若干苦手だ。悪感情があるというよりも、距離を測りかねて困惑してしまうというほうが正しい。一国の国主に相当する人物から孫か何かにでも向けるような態度をとられて、困惑するなというほうが無理なのだ。
あるいは――察しのよすぎるガキことエルヴィン少年はあるひとつの恐ろしい仮定にたどり着きそうになったが、大きく頭を振ってそれを振るい落とした。
ウィエルサードが突然の気候に小首をかしげているのを見て、エルヴィン少年は誤魔化すように言った。
「え、ええと……はい。大変な仕事だと思います。有意義な体験で……自分が役に立てたかどうかは、怪しいところですが」
「ふふ、そうかしこまらずともいいんだよ。それに、そう自分を卑下しなくてもいい」
ウィエルサードはエルヴィン少年の肩にやさしく手を置いて、それから彼の髪に指を伸ばした。エルヴィン少年は一瞬びくりと硬直したが、ウィエルサードにひとかけらの悪意もないことはすぐにわかったので、為されるがままにした。
ウィエルサードはエルヴィン少年の黄緑まだらの髪を易しく弄びながら、続けた。
「確かにきみはその髪のせいで小さなトラブルを招いたかもしれない。しかし。君はそれを乗りこなして、大きなトラブルに発展させることなく、こうして無事に一仕事終えることができたんだ。それは誇っていいことさ」
そうまっすぐ目を見て言われて、エルヴィン少年は気恥ずかしさから頬を掻いた。やや目を逸らす。
「……ありがとうございます、ウィエルサード様。でも、やっぱり自分はそんなに大したことはできてないです。トラブルの解決だって、ニンジャさんがいなかったらどうなってたか」
「私はね、エルヴィン君。きみには、人を動かす、使う、という術を学んでほしいんだ。今回きみはニンジャをうまく使ったうえで、場をおさめて見せた。上々だとも」
「は、はぁ……いつから見てたんですか?」
「きみがモクレンの男に絡まれていたときからかな」
ウィエルサードはふふんと胸を張った。気付かなかっただろう、とでも言いたげなドヤ顔だ。だいぶ最初のほうからじゃねーか、とエルヴィンは思った。この人実は暇なのかな、とも。
「そんなに暇ならアサイエル殿の手伝いでもしたらどうですか」
ニンジャがズバリと言った。ウィエルサードはどこ吹く風とばかりに聞き流した。
ちょうどその時、シェルターに大音量のサイレンが鳴り響く。エルヴィン少年は身を固くした。大まかな段取りはエルヴィン少年にも伝えられているから、これが作戦開始の合図であることにもすぐに気付く。
ウィエルサードが耳をぺたりとさせながら言った。
「始まったようだね。……怖いかい、エルヴィン君」
「……」
エルヴィン少年はすこしだけ逡巡してから、首を縦に振る。
「怖いです。戦争って初めてだし……でも、俺だってスプリガンズの一員なんだ。こんな時だからこそ、やれることはやるつもりです」
そうきっぱりと言って、箒の柄を握る手にギュッと力を込めた。今自分に出来ることは、割り当てられた仕事をきちんとこなすことだ。身を縮こまらせて、シェルターの奥で震えていることではない。そう言った覚悟のこもった目で、ウィエルサードに応える。ウィエルサードは大いに破顔した。
「その言葉が聞きたかった」
しきりにうんうんと頷くウィエルサードに、ニンジャがシラーっとした目を向けている中、状況が呑めないのはエルヴィン少年だけだ。
「さて、なら急いだほうが良いね。……ちょっと、そこの君」
「えっ、ウィエルサード様!?!?」
そんな少年を尻目に、ウィエルサードは近くを通り過ぎようとしていたエルフの職員を捕まえて話しかける。突然目の前に雲上人が現れた(ように認識した)職員は飛びあがるほど驚いて、手に持っていたファイルのいくつかを取り落としてしまった。ニンジャが素早く動いて、ファイルが地に着く前にすべて回収し職員の腕の中に戻す。なんたる無駄なワザマエ。職員はぽかんと固まってしまっている。むべなるかな。
「エルヴィン君を借りていくからね。すまないが……おーい、聞いているかい?」
「……ハッ! しょ、承知いたしましたッ! なんなりと!!」
ウィエルサードが職員の目の前でひらひらと手を振ると、我に返った職員は腰を90度に折る最敬礼で了承の意を示した。ホントに用件伝わってるのかなあ。エルヴィン少年は訝しんだ。
「じゃ、頼んだよ。――では、行こうかエルヴィン君。ニンジャも」
ウィエルサードとしてはそれで問題ないという判断らしい。ローブを翻し、くるりと踵を返して、ちょいちょいとエルヴィン少年を手招きした。着いて来い、ということなのだろう。ニンジャは肩をすくめつつも、ウィエルサードの脇に侍った。
「あの、行くってどこに」
エルヴィン少年の問いかけに、ウィエルサードはゆっくりと振り向いて言った。ひどく悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「なに、社会科見学とでも言ったところさ」