「う、うああ!?」
すぅぅん、と腹の底に響くような低音と振動に、ぐらりと態勢を崩した猫耳の男が、その痩躯に似合った上ずった悲鳴を上げる。天井からは積年の埃がパラパラと舞降り、机の上に積まれた資料の山が音を立てて崩れた。
「も、もう敵が来たのか……!? まだ2時間と経っていないのだぞ……!」
彼はつい今まで睨めっこをしていたコンソールにしがみついて何とか転倒を免れると、驚愕の声を漏らしながらずり落ちたメガネを神経質そうに直した。
「ラ、ラボを王城に移転したのは、ま、間違いだった……!」
「野生の後継者」の技術開発研究所の長である賢狼人、フィンクス・パーストは、過日の上層部の決定に対し恨み言を吐いた。森域の奥深くに位置していた彼らのラボは。もっとも守りが強固であるという理由で急遽ここ、レイフィール王城の地下に移されたのだ。引っ越しの手間も馬鹿にならなかったし、移転そうそうこうして敵の襲撃を受けている。フィンクスはその薄っぺらい唇の端をわなわなとゆがめさせた。
「フィンクス所長! ご無事ですか!」
「わ、私の事はいい! き、機材が無事かどうかを確かめろっ!」
無事を確かめる研究員の声に、フィンクスはあからさまないら立ちを乗せて叫んだ。いまフィンクスたちが取り組んでいるエヴィロンスの思考中枢、エーテル伝導脳の調整が完遂されれば、エヴィロンスの戦力は3割強とも4割強ともなるという試算が出ている。あとはそれを転移装置を応用した広域ネットワークで全機に共有・適用させれば、エヴィロンスの軍団は一瞬でさらに手が付けられなくなるほど強くなるのである。
フィンクスには自負があった。すなわち、
「で、伝令が! 統合府から射出された飛翔体が、レイフィール城に対し爆撃を行ったと……!」
「ば、馬鹿な、王はそれを見越して、部隊を配置していたはずだ! い、
「不明ですが……おそらく、突破されたものかと」
「や、やくたたずめっ、この空域への侵入を許すとは……!」
フィンクスは地団太を踏んだ。鳥人の部隊には、彼が手ずから設計図を引いた最新型のリニアカタパルトがウィドー王から下賜されていたはずなのだ。それなのに、飛び込んでくる夏の虫一匹すら撃退できないとは。
「フィンクス所長、我々も避難したほうが……」
「避難!? どこに避難するというのかね、ええ!?」
フィンクスは進言してきた研究員の胸ぐらを掴むと、その顔に向けて唾を飛ばした。
レイフィールの王城は創世記の昔より残る遺跡であり、その外殻を形成する超構造体はいかなる方法による破壊も不可能である。少なくとも、現在の科学力ではそうだ。敵の爆撃がどの程度の規模かは不明だが――ラボを襲った振動からして、普通の城ならば瓦礫の山と化していただろう攻撃を受けても、レイフィール城はその形状を保ったままだ。そうでなければ、あのような苦労をしてまでラボを移転させた意味がない。
「な、泣き言をいう暇があったら、て、手を動かしたまえッ! 我々の働き如何が、ひいては「野生の後継者」の大願成就にダイレクトに寄与するということを! わ、わかっているのか!」
「は、も、申し訳、ございません……!」
「フンッ! お前たち、作業に戻れっ!」
フィンクスは忌々しげにその研究員の胸ぐらから手を離すと、愚物にかかずらって時間を浪費してなるものかとばかりに、再びコンソールにかじりついた。
「所長、しかし、これ以上の調整は……」
別の研究員が、コンソールから顔を上げてフィンクスに懇願した。彼はかつての同僚が残していった完璧な基幹プログラムにこれ以上手を入れて、性能劣化を引き起こすことをおそれていた。何せ彼らは、そのコードのすべてを解読できたわけではないのだ。それに平時でさえ困難を極める作業を、こんな戦闘の音が鳴り響く環境で完遂させられるはずがない。
フィンクスはいったんピクリと動きを止めてから、ゆらりと顔を上げてその研究員を見た。表情の抜け落ちた、幽鬼のごとき顔つきで。
「何が、言いたい」
「――ですから、ジャスティン・ウォノエがいなければ、これ以上の調整はアッ」
パスっという気の抜けた音が、喧騒のラボにやけに響いた。研究員は言葉を最後まで言う間もなく、額に赤黒い点を穿たれて動かなくなった。ラボ中の視線をひとえに集めた研究員がどさりと頽れるのと、手にしたリニアピストルからオゾンの煙を立ち昇らせるフィンクスが撃発したのは、同時だった。
「わ、私があの半魚人よりも劣るというのかッ!!」
ラボが静まり返る。否定の声も、肯定の声もひとつとして上がらなかった。
フィンクスは肩で息をしながら、銃口をぐるりと巡らせる。研究員たちは一人残らず、自分のコンソールに向き直っていた。フィンクスと目を合わせようともしない。いざ目が合ってしまえば、その胸中をうっかりまろび出してしまいかねないと思ったからだ。そうなってしまえば、そこで既にモノになり果てたかつての同僚と、同じ道をたどるのは想像に難くない。
それがさらに、フィンクスの神経を苛立たせる。
エヴィロンスという機構のアーキタイプを作ったのは確かにあの半魚人だが、それを軍団の規模まで押し広げ、量産のラインに乗せ、戦場で使いものになるところまで仕上げたのは技研である。もっと言えば、このフィンクス・パーストである。あの半魚人は組織の大義も、研究員としてのプライドもかなぐり捨てて逃げた負け犬だ。
「か、片付けたまえ。……作業の邪魔だ」
フィンクスは平静を取り繕って銃を懐に戻すと、ずり落ちたメガネを神経質にカチャカチャと直した。
フィンクスは視界の隅で引き摺られていく研究員だったものから一切の興味を失うと、作業を続けた。あれだけ喧騒に包まれていたラボには、今やコンソールのキーを打つ打鍵音のみが響いている。
しかしその静けさも、フィンクスが力いっぱいコンソールに拳を叩きつけるまでしか続かなかった。光画盤には膨大な量のコードと、数えるのも馬鹿らしくなるほどのエラーが吐き出されていた。都合何度目かもわからないほどの、失敗の証だ。
フィンクスは
「ひ、
///
「……始まったか」
臓腑を芯から揺すぶる振動に押し出されるように、しゃがれた声が漏れた。
無明の房の床に茣蓙を敷き、その上に結跏趺坐して背筋を伸ばす男は、老いさらばえながらも抜身の刃のような鋭い印象を受ける。
その時、固く閉ざされていた房の閂が抜かれる音を、男の狼の形をした耳が拾った。
「……クク。飯の時間にしては、少し早いな」
「お迎えに上がりました、将軍」
無明の室内に光が差す。一筋の光明に目を眩ませながらも、男はそれを感じさせない口ぶりで、冗談めかすように言った。逆光で相対する人物の人相こそわからなかったが、男の耳朶を叩くのは、随分久し振りに聞く声だったというのも、ある。
「昔の話だ。今の俺はこの通り、虜囚の身にすぎん」
「過日の恥を雪がれるなら、今日をおいてほかにはありません」
「…………フン、言うようになった」
男は組んでいた足をほどくと、ひどく残忍な笑みを浮かべる。そしてその痩躯からは想像もできないほど機敏な動作で一瞬で立ち上がると、両手に嵌められていた鉄の枷を膂力でもってねじ切ってみせた。
「衰えてはおられぬようで」
「衰えたさ。目も当てられんほどにな」
そういって、男は盲だ自分の左目をこつこつと指で弾いた。その段になってようやく、相対する人物が穏やかな微笑を浮かべていることがわかる。ずいぶん年をとった、というのが、男の率直な感想だった。
「なっ、貴様! そこで何をしている!!」
と、二人の語らいに、無粋な声が闖入する。見ればそこには、白衣を着た研究員と護衛のエヴィロンスの姿があった。その反応からして、男の牢を開けたのが非合法な手段によるものだったことは、一目瞭然であった。
「なるほど、クク、肩慣らしには丁度いい。得物は?」
「こちらに」
そういって男に手渡されたのは、朱色の鞘に収まった軽い反りのある刀剣の類であった。刃渡りは4尺ばかり。分類としては、大太刀だろうか。男はその鞘を容赦なく払った。銀鉄の輝きが、地下牢の薄弱な照明を照り返してギラリとぬめる。
「よくもまあ、とっておいたものだ」
男はその刃を見て、小さく感慨を漏らした。
「抵抗する気か!? ゲ、ゲルベロッサ! 奴を――被検体49号を拘束しろ!!」
『承知』『ククク、どうやら痛い目にあいたいらしい』
しかしそんな感慨も、研究員の発した金切り声で雲散霧消する。男はしらけた顔で、スタン用の電磁警棒を抜き放つ2体のエヴィロンス——ゲルベロッサ・クローンを見やる。
「それでゲルベロッサとは笑わせる。クク、そんな得物で、俺に勝つつもりらしいな」
男は大太刀を肩に担いで、突き出した片腕の掌を上にして、指先を二度、クイクイと曲げた。万国に共通する、挑発のジェスチャー。
「少し遊ぶが、いいな」
「ご随意に」