「――クリア。進もう」
「……幼いころより親しんだ我が家だというのに、今は魔境のように見える。不思議なものですね」
「今は敵地だ。姫、オレから離れないように」
「はい。油断せずに参りましょう」
レイフィール城の荘厳な廻廊を、遮蔽から遮蔽に渡り歩くようにして進む二つの人影があった。リリィ・ル・リン・レイフィール姫とオティカだ。
強化鎧骨格のような巨体ですら悠々と歩けるほどの巨大な廻廊からすれば、その姿は吹けば飛ぶような塵にすら見えて心許ない。
リリィ姫は携行した
「オティカ、抜け道を使いましょう。王族のみが知る隠し通路があります」
「しかし、ウィドーも王だ。知られているのでは?」
姫の提案に、オティカが疑義を挟む。姫はいったん首肯した後、ですが、と続けた。
「この廻廊をこのまま行くよりは、いくらか安全でしょう。抜け道というだけあって、ずいぶん狭いですから。大きな部隊を配置することは物理的に不可能です」
「狭すぎるとこちらの動きも制限されるが……」
「人のすれ違うのに十分な余裕はあります」
ふむ、とオティカは3秒思考して、頷く。
「それで行こう。姫、案内を頼む」
「ええ。お任せくださいな」
「まて、前に出ろとは言ってない」
フンスと小銃を構え、意気揚々と先行しようとした姫を、オティカがやんわり、しかし有無を言わさず引き止めた。振り返った姫はむぅ、と頬を膨らませた。
「オティカ。わたくしはこれでも、統合軍の定める軍事教練過程はクリアしているんですよ」
「だとしてもだ。姫の御身に万一があれば、オレはティエスにもライカにも……何よりオレ自身にも、申し訳が立たない」
オティカはきっと真摯な目で姫を見据えた。姫はその視線を受けてしばし、オティカの無機質な顔面を見つめる。ややあって、折れた。理はオティカにある。
「――我儘を言いました。オティカ、あなたの言う通りですね。初めての戦地で、少し舞い上がっていたようです」
「構わない。恐怖で動けなくなるよりは、ずっといい」
オティカの言葉に姫は小さく笑んで、しずしずとオティカの後ろについた。
「無用な問答で時間を使いました。謝罪を。――急ぎましょう」
「ああ。道案内と――後方警戒は、任せる」
「ふふ、お任せあれ」
///
(あの部屋の壁に、抜け道の入り口があります)
(さすがに、固められているな……)
姫の案内でたどり着いたのは、廻廊に接続された数多ある部屋の一つだった。四つ辻の角にひそみ、余人に聞き取れないほど抑えた声量で言葉を交わす二人の視線の先には、警護に当たる複数体のエヴィロンスの姿があった。
(そういえばここに来るまで、エヴィロンスは見ましたが人間の姿がありませんね)
(いかな同盟相手とはいえ、他氏族の兵を城に入れたくはないらしい)
それもそうか、と姫は思った。「野生の後継者」という看板の下に集まってはいるが、そもそも森域の氏族間では諍いが絶えない。土壇場でオークの一派が抜けた事例に照らしても、案外、組織としての結束はゆるいのかもしれなかった。
(それを埋めるためのエヴィロンスですか)
(そういうことなのだろう。無力化する。姫はここで待機を)
(承知いたしましたわ)
姫が頷くのを見て、オティカは音もなく四つ辻から廻廊へと躍り出た。
『ム、そこなエヴィロンス、こんなところでなにをしている』
『どこの隊のものだ。刻印を……』
敵集団のうち、歩哨役のエヴィロンスから投げかけられた誰何に、オティカは言葉で返すよりも先に熱光線でもって返した。歩哨の1体が眉間を撃ち抜かれ、エーテル伝導脳を破損し即死する。
『な、なにが――貴様、何を』
残った歩哨の口をついたのは疑問符未満の問いかけだった。その段になっても、もう一体の歩哨は硬直している。急に相方を破壊されたのだ。エーテル伝導脳は高速回転して様々なシミュレーションを行っていたが、しかし、その解を出すまでの猶予は与えられていなかった。
「なまじ中途半端な人格を載せるからこうなる」
オティカは冷酷無比な一撃をもう一体の頭部に決めた。血のように冷却液が壁面に飛びちって、意図しない紋様を描き出す。
『ぜろ、ご、うき』
頭部の上半分を吹き飛ばされた歩哨が、事切れる直前に絞り出すような呟きを残して頽れた。直後、城内にけたたましい警報が響く。
「執念……か」
聴覚センサをいたずらに刺激する警報音と、眼下に頽れる歩哨の残骸を眺めて、オティカは短い感慨を漏らした。しかし、そうしている間も惜しいとばかりに、小銃を構え直す。部屋の前には、まだ5体のエヴィロンスが屯していた。
手早く始末しよう。オティカは小銃の引き金を弾いた。
///
姫は四つ辻の陰から、オティカの獅子奮迅の活躍ぶりを鑑賞していた。警報が鳴り響く中、オティカが銃を構えるたび、相手方のエヴィロンスが一体倒れる。相手方はろくな反撃もできないまま、オティカがその場を制圧するまで、ものの30秒とかからなかった。
「……オティカがラボを抜け出してくれなかったら、わたくしたちはなすすべもなく負けていたかもしれませんね」
リリィ姫はその目覚ましい活躍を目に焼き付けながら、小さく呟く。オティカの戦闘技能が全量産型に共有されていたら、今頃戦場は地獄だったことだろう。この戦況はずいぶん属人的だ。
「――良いようですね」
敵を制圧し、進路を確保したオティカのハンドサインをみとめて、姫は四つ辻から部屋まで駆け抜けようとした。その時だった。
『動くな』
「――ッ!?」
頭の後ろから聞こえる、電子音めいた鋭い警告。そして首元に回された冷たく硬質な金属の質感。
何が起きた。
姫は状況をまだ理解できていなかった。ただ、がっちりとホールドされた体は身じろぎひとつできないほどで、姫は一切の行動力を奪われた状態にあった。
「姫――!!」
オティカの声でようやく、姫は自らの失態を悟る。背後から、自分が何者かに拘束されたことを知る。警報に気を取られた、というのは言い訳にもなるまい。後方の警戒を任されていたというのに!
頭上の狼の耳がびくりと痙攣し、いやな汗が噴き出した。あまりのことに声が出ない。
そんな姫をあざ笑うように、拘束している張本人の残忍な声が廻廊に木霊した。
『自壊しろ、0号機。クク、そうでなくば、姫の生命は保証しかねる』
それは姫にとっては、かつての師の劣化コピー品。――ゲルベロッサ・クローンが、鋭い刃を姫の喉元に突き付けていた。