「――そういえば、オティカは」
「ン?」
隠し通路に入ってしばし。狭い通路に反響する足音と装備の鳴る音以外ない沈黙に耐えかねたのか、はたまた後ろを守っているゲルベロッサ・マーナガルムズの剣呑な雰囲気に圧されてか、姫は前方を行くオティカに話しかけた。オティカは足を止めず、振り向くこともなく、しかし話をする意思はあることを声音に載せた。
「あの時、オティカは確かに、自らのエーテル伝導脳を焼き切って自壊したように見えました」
「ああ」
オティカは「それか」とでも言いたげな相槌を返す。そういえば説明をする時間もなかったな、とも。
「そんなに難しい話じゃない。ダミーのコードを流して、それらしく倒れただけだ。……演技とはいえ、姫には心配をかけた。すまなかった」
振り向かずも軽く頭を下げるオティカに、なるほど、と姫は合点した。確かに種を明かせばいかにも馬鹿らしいくらいに簡単な話だ。言葉を飾らずに言えば死んだふりをしただけなのだから。
「それはいいのです。オティカの言葉が方便だったとも思いません。それに、こうして二人とも生きているのですから。――それにしても、それでよくゲルベロッサ、あ」
「俺のことを気になさる必要はない。識別に必要なら使うとよろしかろう。クク、あの出来損ないに俺の名が付くのは業腹ではあるがな」
慌てて口を噤んだ姫に対し、背後のゲルベロッサは皮肉気な声で答えた。気分を害したふうには、表面上は見えない。姫にしてみれば、今こうしてゲルベロッサ本人が味方をしてくれている状況についても疑問があった。ともすれば、背後を守るふりをしてそのまま切りかかってこないとも限らないとすら思っている。姫はどうにもすわりが悪いまま、続けた。
「では、その……ゲルベロッサ・クローンに対して、欺瞞が通用しましたね。確信があったのですか?」
「アレはそもそも、最初から姫諸共殺害する腹積もりだった。オレの自壊が事実であれ、欺瞞であれ、どうあったところで一時的にオレが無力化するならば、それでよいと考えるだろうと踏んだ」
オティカはつらつらと答えた。ゲルベロッサ・クローンがオティカの残骸をあらためるはずがないという想定は、いかにも賭けだ、と姫は思う。
オティカは続ける。
「オレと違って、人格形成を転写に頼った弊害だ。アレの残忍さと慢心は、オリジナルから転写された人格から不可分のものだった。ベースにする人選を誤ったな」
「オティカ」
姫は短く窘めるように言った。ゲルベロッサの心証を徒に悪くするのは、この状況ではもっともまずい。ちらりと後ろの様子を窺うと、ゲルベロッサは特段気を害したような素振りはなかった。ゲルベロッサは皮肉気な笑みに歪めていた口を開いた。
「安心されよ、姫様。そのくらいで気分を害するほど小物ではないつもりでね」
ゲルベロッサはくつくつと笑って、それから姫に向けていた視線を正面に向けた。
「そこまでわかっていて、俺が出来損ないの背後から近づいたとき、よく信じたものだ」
「敵ならば、アレに気取られないよう足音を殺す必要もないだろう。それにオレのデータベースにあるゲルベロッサの顔は、クローンのフェイス・パターンしかない」
水を向けられて、オティカはさも当たり前のことだといわんばかりに答えた。面頬を被ることを前提で設計されたゲルベロッサ・クローンの表情パターンをベースに、加齢したゲルベロッサの人相を割り出すことは難しい。ゲルベロッサがゲルベロッサであると特定できなければ、特別の注意を払うことは不可能だ。オティカの目には、ただの協力者として映る。
「なるほど。クク、機械のわりに、実に甘い」
「リスクとリターンを量って、妥当と判断した。現実、姫はこうして無事だ。――素性がわかればむしろ、なぜお前が姫に協力するのか。そちらのほうが、よほど信じられん」
ゲルベロッサの言葉には多分に小ばかにしたようなニュアンスが含まれていたが、オティカは意に介さないとばかりに言って、逆に問いを返す。姫もまた、その答えには興味があった。
「さほど不思議か? 姫様は現王の息女であらせられる」
「姫は前王の子——ライカを旗頭とする賢狼王統派だ。つまり現王ウィドーとは敵対関係にある。お前は前王を裏切り、現王についたと聞いているが?」
ゲルベロッサは軽薄にはぐらかした。しかし、オティカはそれを良しとしない。ゲルベロッサは少しだけ苛ついた声を発した。
「では、心変わりをしたのだ。しょせん俺は、軽々と主を変える不埒者にすぎん」
「……っ」
ゲルベロッサが心を閉ざす音がした。姫は自分の言葉を引用されて、その迂闊さを悔いる。
「将軍は恥を雪ぎたいのですよ」
「ベオ」
そんな不穏な空気の中で、ベオ・ヴォルフ侍従長の声はいっそ場違いなほどに能天気だった。咎めるようなゲルベロッサの声をのらりくらりといなして、ベオは続ける。
「姫の御味方をされるのに、いつまでも不信の目を向けられるのも気持ちよくないでしょう」
「構わんと言っているんだ」
「そうおっしゃらずに。――姫は前王の為人について、どれほどお知りになられていますか?」
抗議するゲルベロッサを制しながら、ベオは姫に尋ねた。姫はその質問の意図を理解しきれず、困惑する。
「……優しい御方でした。民の暮らしぶりを常に気にかけておられたと記憶しています」
「なるほど。確かにそれもドラス王の一面ですね」
ベオの言葉に、姫は歯にものが詰まったような違和感を覚える。
優しい御方だった、というのは偽らざる所感だ。
王という立場に驕らず、民の暮らし向きをつぶさに見て、足りぬところに足し、過ぎるところからは引く。そういう、堅実な政を敷く王であったと記憶している。――もっともそういう堅実さは現王ウィドーも当然のように持ち合わせていたから、王が替わったからと言って民が悪政に喘ぐといったこともない。だから統治という面においては、前王と現王とを比較してどうか、という評価は難しい。
それでも人としては。公務の暇を見ては、姫ともよく遊んでくれた。その時は王ではなく、血のつながった伯父と姪として。父ウィドーとの関係も、それほどまでに険悪ではなかったはずだ。
――しかし事実として簒奪は起こり、前王は弑され、現王が立った。
姫は覚えず身震いをする。ベオはそれを見止めながらも、言葉を続けるのをやめなかった。
「『野生の後継者』は、そもそもドラス王が発足させた組織なのです」
「馬鹿な!?」
隠し通路に、姫の悲鳴じみた声が反響する。普段の貴人然とした仕草をかなぐり捨てて、姫はベオに詰め寄った。襟首につかみかからんとする勢いで。
しかしベオは、能天気な声のトーンを変えないまま、いっそ冷徹に続ける。
「ドラス王は賢狼の未来を憂えておられた。かつてこの広大な森域全土を統治した古レイフィール王国の末裔で在りながら、他氏族の跳梁により先細ったこの国の未来を」
「それは……!」
「創世記の語る伝説だ、と仰りたいのはわかります。しかしこの城の地下で
姫は覚えず喉を鳴らした。ただならぬ雰囲気が、ベオから醸し出されている気がしてならない。先ほどから朗らかな表情を一切変えないのが、いっそ不気味ですらあった。
「アレ、とはいったい、何なのですか」
それでも、姫はベオに尋ねる。そうするのが、自分に課せられた役割の一つなのだ、という気がしていた。尋ねなければきっと、ベオはそれを明かしはしないだろう。それではきっといけないのだ、と姫は思った。それはきっと、業である。それを背負う責が、自分にはあるのだ。
震えがちな姫の視線を真っ向から受けて、ベオは微かに首肯してから、その名を明かした。
「今はただ転移門と呼ばれていますが――正確を期するなら、その名はレイフィール・ワールド・ゲート。かつてミルナーヴァを滅亡の淵へと追いやった、災厄の門の片割れです」