『そろそろ来ますね。総員、砲撃戦用意。敵が国境を越えた瞬間から一切の容赦は不要です』
通信機から聞こえる声はノイズまみれだったが、ラッカ・アクリジオンのその神経質そうな声音は平時と何一つ変わらないように聞こえる。ジャックは震えそうになる腕を何とか堪えて、操縦桿を握る力を強めた。
「落ち着け俺……いつもの魔物退治みたいなもんだ」
フゥーっと肺腑の底から絞り出した長い息は、外界から完全に遮蔽された狭いコクピットの中に紛れて消えた。
自身を奮わせるための独り言。マイクも拾わないほどの、ノイズにまみれて消えるほどのそれ。
しかしそんなささやかな呟きを、耳ざとく聞きとがめたものがいた。
『ちょっと"
「うわ!?」
その人物はきぃんと耳が鳴るほどの声量で通信機から飛び出してきて、ジャックを大いに飛び上がらせた。不意打ちもいいところだ。その動揺は操縦桿を通して機体の制御に伝達され、彼の愛機もまた、無様に肩を跳ねさせた。
ここはフェンヴェール王国と森域統合府の国境線から2キロメートルばかり王国側に入った位置で、居並ぶのは総勢300を下らない強化鎧骨格の群れ。そしてそれらはすべて、砲口を森域の側へ向け、ぴたりと静止している。
そんな中で不意に大きく動いたジャック機は、ばかに悪目立ちをした。周囲から冷たい視線が刺さるような気がして、ジャックはそれらから生じる感情をないまぜに、自分を驚かせた元凶へとぶつけた。
「うるっせぇよ"
「きぃーっ! まだ勘当されていませんわっ!!!」
通信機に唾を飛ばしてがなり立てると、返ってきたのは甲高い憤慨の声だ。
声の主はアロット・リシトール。エライゾ領の財務をつかさどるリシトール子爵家の令嬢にして、放蕩が過ぎて軍に叩き込まれた不良娘。ティエスの中隊では第4小隊に所属している
『だいたいなんですの!! こっちはわざわざ注意して差し上げてるっていうのにその態度!! お里が知れますわねぇ!!』
「要らねぇ世話だっつってんだこのボケ!! てめぇはてめぇのことに集中しやがれ!! それともその鳥頭じゃ、そんな難しいことはできねぇか!?」
『なんですってぇ!!』
そんなアロットはことあるごとにジャックに突っかかる習性があって、ジャックもジャックで必ず売り言葉に買い言葉であるから、二人が顔を合わせればもうその場で喧々囂々である。まったく犬も食わない。それが例え戦場であっても変わらないということが分かったが、果たしてこれは収穫と言えるだろうか。
さて、ではなぜこの場に、本来まじりあうことのない水と油が混在しているのか。答えはそう難しいことではない。ティエスに引き抜かれた中隊メンバーが不在の間、臨時ということで第2小隊の麾下に部隊を再編成した結果、ジャックとアロットは同じ分隊の所属になったというだけの話だ。おかげで現在、第2小隊の連中からものすごい目を向けられている気がする。彼らはラッカに心酔しているからだ。
そして今。統合府防衛線で
少なくとも、こうしてキャッキャとじゃれあう場ではない。
『そこまで』
ラッカの短い、それでいて断固とした仲裁に、二人はあわてて襟を正した。
アロット機などはマニュピレータで口許を隠している。やけに人間的な動きだ。おおかた咄嗟のことで、余計な情報までが機体に伝わってしまったのだろう。身体拡張操縦の悪いところが出た。下手をしたら繊細なマニュピレータを破損したり、最悪の場合発砲してしまっていた可能性すらある。ティエスへの申し送り内容が増えたな、とラッカは思った。
『二人とも、無線通信の内容が部隊全体へ共有されていることは知っているのでしょう?』
「ハッ! お騒がせいたしましたッ!」
『うう……申し訳ございませんでしたわ……』
ラッカの声は静かだが、それに見合わぬ重みがあった。ただ叱られるよりもたちが悪い。ジャックはすぐさま謝罪し、アロットはやや不承不承と言った様子ではありつつも、謝罪の言葉を述べた。なんで不承不承なんだよぶん殴るぞ、とジャックは内心でこぶしを握り締める。覚えず、機体のマニュピレータがぎしりと鳴った。
『――初戦で緊張しているのでしょうから、幾分かは大目に見ますが……気を引き締めるように』
「……っ!」
ざわり、と森の境界面がさざめく。風ではない。今この平原は凪いでいる。では?
(ハンスだって戦ってるんだ、俺だって……!)
ジャックはあの森の中で今も戦っているであろう、もはや兄弟のような親友を思った。きっとあいつは、この戦いが終わった後、ひとかわもふたかわも剥けて帰ってくるだろう。それは想像に容易い。であれば自分が全くの進歩なしでは形無しだ。ジャックはそう、自身を奮い立たせた。操縦桿に力が籠る。
やがて緑の闇をかき分けて、目の覚めるようなブルーの強化鎧骨格が白日の下に歩み出る。一機や二機ではない。少なくとも百は下るまい。足元にはそれに輪をかけてうごめく歩兵の姿が見える。
『――報告にあったとおりですね。となると、あれが例の自律稼働する小型の強化鎧骨格ですか』
緑の闇から湧きだし続ける軍勢を見ても、ラッカの声はこの平原の風のように凪いでいる。それは早鐘を打つジャックの心臓を、いくらか鎮めてくれた。
『ま。数は多いですが構いません。ズニノール閣下からの下知は既に出ています。飽和攻撃で連中の鼻っ柱をへし折ってあげなさい』
今の言葉をティエスが聞いたら大爆笑していたろうが、運よくティエスは森域の最奥だ。シリアスは保たれた。
混成第2小隊の各機が、大砲の射角を調整する。外付けのアウトリガーが大地に打ち込まれる音が連なり、そして、ラッカの指示を待つ。
ジャックもまた、光画盤に投影された弾道予測を睨みながら、その時を待つ。既に必要な緒元はすべて入力済みだ。あとはこのトリガーを弾くだけでいい。つまる息を細く吐いて抜き、止める。
『撃ち方、はじめ』
ラッカの怜悧な声が静かに火蓋を落として、ジャックが引き金を弾き絞る。居並ぶアーゼェンレギナの背部に懸架されたマルチランチャーが一斉に紫電を迸らせ、次いで耳をつんざくような轟音とともに、森域の境界線が沸騰した。