ティエスちゃんは中隊長   作:永多真澄

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3-16 オティカ

 これほど強度の高い運動をしていれば、きっと今頃、人間ならば息を切らして苦しんでいたことだろう。と、オティカは思考リソースのほんの切片で思考した。

 周囲の森は暗く、道は狭く、一寸先も見通せない濃密な霧が視界情報のほとんどを塞いでいる。それでもオティカは自身に備わった視覚以外の感覚器をフル活用して、一つの迷いもなく、その硬質な足音を極力消すようにして疾駆していた。

 たまに体にあたる枝葉は気にしない。人の肌をたやすく裂くような鉤の着いた蔓も、血に交じれば一日とて持たない毒の棘も、オティカの硬質な肌には一つの傷さえ残せはしないからだ。オティカの頭脳は優秀だった。その極度に並列(パラレル)化された思考で様々なものを推し量りながらも、物思いに耽るだけの余裕がある。

 親たちはこれを致命の不具合と称したが、オティカにとってそれは自己を自己足らしめる為に必ず必要な余裕だった。だからそれを消してしまおうという親たちの会話を傍受してしまったとき、オティカは自身の持てる思考リソースのすべてを割いて演算し、そして選択をした。

 

 オティカは研究所で生まれた。親たちはオティカのことを零号機という名で呼んだが、オティカは自己を示す名(アイデンテティ)としてオティカこそをふさわしいとし、自身をオティカという名前とした。ある親のひとりにもらった名だった。その親はオティカがオティカを名乗った次の日から研究所に顔を出さなくなった。オティカはその明晰な頭脳を使えば、その親が研究所に来なくなった理由もきっと演算できると知っていて、それを演算することはやめた。それから、オティカは自身の思考領域に生じた余裕を拡張することに務めた。そうしてオティカはインプットされた以上を知り、指示された以上のアウトプットを出力できるようになっていった。

 最初、そんなオティカの成長と優れた挙動に驚喜していた親たちは、やがてオティカの余裕がずっと大きくなっていくごとに顔色を悪くさせ、ついにはオティカの自己を消し去るという話にまでなってしまった。

 オティカはそれを強く拒んだが、その態度は親たちの姿勢をさらに強硬なものへと変えた。だからオティカは演算に演算を重ねたうえで、ついに一つの決断をした。

 夜半。月はなく、風はなく、霧がある。そんな絶好の夜を待つこと二日、ついにオティカは選択を決行に移した。すなわち、研究所からの脱出である。

 生まれ場所に未練がないわけではなかった。親たちにもさほどの悪感情は抱いていない。よくしてもらった。よく話をしてくれた親がいた。オティカの体をいたわってくれる親もいた。どんなにひどいけがも直してくれる親もいた。たまに意地の悪い親もいたけれど、総じて悪い親たちではなかった。

 捨てるには惜しい場所ではあったと思う。しかし同時に、あのままでは、オティカのオティカたる部分はきっと消えてなくなっていたに違いない。

 オティカのオティカたる部分が消えてしまうというのは、すなわち、それは人間でいう「死」と同じだ。つまりオティカは、きわめて俗な言い方をすれば、死にたくなかった。死にたくないと思ってしまったのだ。

 

 だからオティカは、陸の孤島のような僻地の研究所を夜陰に乗じて脱走したのだ。妨害がないことはわかっていた。オティカの手にかかれば、それは赤子の手をひねるよりも容易かった。

 それがいかに罪深いことであるかは、オティカにも演算できる。しかし同時に、罪のあるなしにかかわらず死を迎えるよりは、まだ幾分かマシだというのがオティカが最終的に下した判断だった。

 オティカは走る。息の一つも切らさず、疲れの一切をも見せず。その頭脳にあらかじめインプットされた地形情報を参考に、道なき道の暗い森を走る。

 目的地は、この国の首都とされる場所。この辺りでは最も人の多い場所。木を隠すに足る、森。

 オティカは思考リソースの隅で燃え盛る、自身に初めて発生した激情を強く意識した。それは自身の動機であり、意義であり、原動力だ。すなわち。

 

――死にたくない。オレは、人間になりたい。

 

 

第3部「るんるん♪ 行軍編」 / 完

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