「フィルヴィス、本当にいいのか? くれぐれも無理はするなよ」
レヴェリアは心配そうな顔で、フィルヴィスに尋ねた。
「大丈夫です」
レヴェリアにそう返しながら、フィルヴィスは目の前に置かれた納豆定食を見据えた。
昨日、2人はオラリオを散策しながら買い物をした後、宿で褥を共にしている。
レヴェリアに愛を囁かれながらたっぷり甘やかされたフィルヴィスは、蕩けた表情であられもない姿を曝け出した。
だが、今の彼女は数時間前までそんな姿をしていたとは思えない、凛々しい表情で納豆を完食すべく、闘志を高めていた。
事の発端は単純だ。
レヴェリアの弟子達の中で唯一克服――というよりか、食べ慣れているのが春姫だった。
まさかオラリオで米や納豆が食べられるなんて、と感動して、満面の笑みを浮かべてパクパク食べていた彼女の姿はアスフィ達に大きな衝撃を与えた。
食文化の違いであるのだが、密かに納豆克服を目指して各々が努力を始めていた。
納豆抜きでも栄養バランスに問題はなく、無理して食べるものでもないのだが、乙女達にとってはそういう問題ではなかった。
レヴェリア様と一緒のものを美味しく食べたい――
そんな健気な思いによるものだが、進捗はよろしくない。
匂いと見た目、それに加えて糸を引く程の粘り気、独特な味は戦乙女達にとって、かつてないほどの難敵だ。
フィルヴィスも例に漏れず大苦戦をしていたが、昨日のデート中に彼女は閃いた。
レヴェリア様の前で食べれば、どうにかなるんじゃないか?
レヴェリア様に応援してもらえればいける気がする――!
故にフィルヴィスは勝負に出た。
レヴェリアは翻意を促したが、フィルヴィスの決意の固さを見て、早朝からやっている極東料理屋に赴いたというわけである。
ほかほかの白米、湯気を立てている味噌汁には若布と豆腐、油揚げが入っている。
漬物、半熟卵、タレがそれぞれ小鉢に入っており、中央に鎮座している小鉢には青ネギが載った納豆が入っていた。
レヴェリアも同じものを頼んでいるのは言うまでもない。
彼女からすれば理想的な朝食の一つであった。
「レヴェリア様、手本を示していただきたく……例の食べ方を……!」
心配そうな顔をしているレヴェリアに対して、フィルヴィスは告げた。
彼女の要望にレヴェリアは頷き、自分の好みの食べ方をやってみせる。
といっても簡単なものであり、納豆に半熟卵とタレを入れて程よく混ぜた後、ご飯の上に載せるだけだ。
いわゆる納豆ご飯である。
王女にあるまじき食べ方かもしれないが、美味しいので仕方がない。
フィルヴィスもレヴェリアの食べ方は見聞きしていたが、改めて見るとインパクトが凄かった。
「フィルヴィス、本当に無理して食べるんじゃないぞ。私と同じにしなくていい。何なら、私が食べるから……」
レヴェリアからすれば2食分など、ぺろりと食べられる範疇だ。
その心遣いにフィルヴィスは感謝しつつも、毅然とした態度で告げる。
「ありがとうございます。しかし、私はこの試練を超えねばなりません……!」
ごくり、と生唾を飲み込んだフィルヴィスは箸を持つ。
レヴェリアがそれなりの頻度で打ち上げなどで極東料理屋を利用する為、フィルヴィスだけでなくアスフィ達全員が箸には慣れていた。
そして、彼女はレヴェリアと同じプロセスを経て、納豆ご飯を作り上げる。
「ご飯が熱いから、火傷しないように気をつけるんだぞ」
注意喚起しつつ、レヴェリアは納豆ご飯を口へ掻き込む。
彼女の姿を横目で見ながら、フィルヴィスもまた意を決して納豆ご飯を口へ運ぶ。
掻き込むには勇気が足りなかったので、まずは一口分だ。
匂いと味、塩気や粘り気などが混ざり合って口の中が混沌状態と化したフィルヴィスは、目を大きく開けて固まった。
食べてはいけないものを食べてしまった――そんな表情だった。
「フィルヴィス、味噌汁を飲むんだ。熱いから気をつけるんだぞ」
レヴェリアからのアドバイスをフィルヴィスは即座に実行する。
すると、口の中が味噌の味で程よくサッパリとした。
そして、彼女はレヴェリアに対して告げる。
「……投げ出したりはしません。絶対に」
闘志を燃やしながら、フィルヴィスは二口目にチャンレンジしていく。
そんな彼女の姿に、レヴェリアは店の迷惑にならないよう気をつけながら、小声で声援を送る。
そして、時間を掛けながらもフィルヴィスは――成し遂げた。
「えぇっ!? 納豆ご飯を完食したんですか!?」
これでもかと目を大きく見開いたレフィーヤは驚愕のあまり思わず叫んだ。
談話室に彼女の声が響き渡るも、エルフ4人組以外の面々は不在である為、騒ぎになることはなかった。
唯一、バスケットの中で寛いでいたカールが突然の大声に仰天したくらいだ。
驚いたレフィーヤに対して、フィルヴィスは常と変わらぬクールな表情だが、喜びを隠しきれていない。
「道理で帰りが遅かったわけですね」
「ご褒美に何をもらったんだ?」
ジト目でフィルヴィスを見つめるアウラとメルーナ。
いつもならば朝には帰ってくるのに、今日は昼過ぎであった。
するとフィルヴィスは顔を俯かせ、頬を少し赤く染めながら小声で答える。
「……その、耳の手入れとマッサージをして頂いた」
驚愕と羨望が入り混じった表情を見せるレフィーヤ。
彼女だけでなく、アウラとメルーナも同じ表情をしていた。
彼女達もレヴェリアにやってもらったことがある為、どういうことをやるのかは知っていた。
レヴェリアが膝枕をしてくれる上、耳元で色々と囁かれたりするおまけ付きだ。
しかも、耳の手入れとマッサージは毎回寝入ってしまう程の気持ち良さである。
昨日のデートから含めればフルコースであった。
「私も絶対に納豆ご飯を完食してみせます……!」
「負けてなるものか……!」
「私にだってできる筈……!」
アウラ達はモチベーションを大いに高めて、納豆ご飯の完食を誓った。
一部始終を聞いていたカールは納豆なる食べ物がどういうものか気になった。
しかし、何となく嫌な予感がした為、自分はやめておこうと思いつつ、バスケットの中で丸まった。
その時だった。
談話室の扉が開き、フィルヴィス達が視線を向けると――そこには大きな籠を背負ったアスフィ、ヘイズ、ヘルン、アイズの姿があった。
「その籠は何ですか?」
「カールに食べてもらう為の魔石です」
代表してレフィーヤが尋ねると、アスフィが答えた。
元来の性格や攻撃手段がないことから、通常個体のカーバンクルが強化種となる確率は皆無に等しい。
だが、カールは別だ。
少し前から魔石を食べさせてみようという話があり、彼女本人も乗り気であった。
バスケットから軽やかに出たカールは行儀良くソファの上にちょこんと座る。
そんな彼女の前にアスフィ達がそれぞれ籠から魔石を出していき、あっという間に魔石の山が幾つも形成された。
どの魔石も大きく、純度が高いものばかりだ。
「さぁ、カール。食べてください」
アスフィの言葉を受け、カールは手近にあった魔石を齧って食べ始めた。
だが、何だか微妙な表情をしているように見える。
「もしかして、ミアさんの料理に慣れちゃったパターンですかねー?」
ヘイズの問いかけに、カールは食べるのを止めて一声鳴いて肯定してみせた。
ミアの料理はカールにも提供されており、またアスフィ達があれこれ美味しいものを買ってきて与えていたのが原因であった。
まだ1ヶ月にも満たない短い期間であるが、美味しいものを知ってしまったからには以前の食事に戻れるわけがなかった。
「カール、しっかり食べなさい」
「そうだよ、カール。いっぱい食べなきゃ駄目。あとでブラッシングしてあげるから」
ヘルンとアイズに言われ、渋々カールは魔石を食べ始めるのだった。