一息ついたアイズは額を袖で拭った。
「会心の出来栄え」
そう呟いた彼女の隣には頬が緩んでいるレヴェリアがいた。
眠っていてもなお威容を誇っていた黒竜、その顔は今や愉快なことになっている。
とはいえ、さすがのアイズも黒竜の顔を全体にラクガキをしたわけではない。
ピンポイントであるものの、いい感じに目立つように描いていた。
さて、アイズ・ヴァレンシュタイン画伯の絵は控えめに言ってとても独創的である。
リアルタイムで見ていた面々は『自分の方がもっと上手く描ける』、『きっとあれはわざとああいう描き方をしているんだ』、『下手なところが可愛い』などと話していた。
アイズに絵を学ばせた方がいいかな、いやでもこれはこれで可愛いよなぁ、とレヴェリアも微笑ましく思っていた。
「どうかな?」
「いいと思うぞ。良い出来栄えだ」
「でしょ?」
レヴェリアに褒められて、むっふー、とドヤ顔で胸を張ったアイズ。
彼女の頭をレヴェリアは優しく撫でながら、そのまま黒竜とのツーショットへ。
それらも無事に終わったところで、本来の目的である見学となる。
黒竜の顔から出発し、左回りに攻撃目標となる箇所を実際に見ていく。
黒竜からすれば思いっきり虚仮にされている状況だ。
そして、それに黒竜が気づいたのだろうか。
見学を終えて黒竜の顔、その右側に2人がやってきた時だった。
間近にいるレヴェリアとアイズだけでなく、封印外にいる冒険者達や生徒達は誰もが悪寒を感じ、肌がピリピリとするような感覚を覚えた。
遠くオラリオから画面越しに観ている神々は何だか嫌な予感がした。
その直後――眠ったままの黒竜の口が大きく開かれて、そこより飛び出したのは『咆哮』だ。
檻である竜巻すらも超えて、天地を揺るがすかのように轟き渡った。
その咆哮はまさに世界の終焉を告げる喇叭であるかのように不吉で悍ましい。
幸いにも黒竜が目覚めた気配はなく、咆哮は人間に例えれば眠っている時にくしゃみが出た程度かもしれない。
だが、レベル10やレベル9の名だたる冒険者達ですら身体が竦み上がり、下位の冒険者や生徒達は気絶したり、あるいは本能的な恐怖に突き動かされてその場から逃走を開始しようとしたその時――玲瓏な声が響く。
「五月蝿い、黙れ」
常と変わらぬ声色で黒竜に向かって放たれた言葉に、竦み上がっていた者達や身体が勝手に動こうとしていた者達は動きを止めた。
間近で咆哮を聞いて茫然自失としていたアイズもまた我に返り、レヴェリアへ顔を向けた。
彼女は眉を顰めているものの、恐れているようには見受けられなかった。
「今ここでその首を叩き落としてやろうか?」
続けられた言葉に対して、黒竜は何の反応も示さなかった。
透明化の魔道具をはじめとした全ての装備は問題なく機能している為、レヴェリアが発した声はそもそも届いていない。
しかし、それはこのやり取りを観ている者達にとって重要ではなかった。
黒竜、恐るるに足らず――
黒竜の咆哮に誰もが臆したその時、レヴェリアが毅然とした態度と言葉でもって示してみせたこと――それこそが重要であった。
「さて、戻るか」
そして、何事も無かったかのようにレヴェリアはアイズに告げた。
常と変わらぬ彼女の姿に、アイズは微笑みを浮かべてぎゅっとしがみついた。
そんな彼女に、レヴェリアも微笑みながらその頭を優しく撫でた。
「あのくらい、レヴェリアならば当然だ」
レヴェリアの行動に対して、アルフィアは呟いた。
なんてことはないように言っているが、頬が緩むのを隠しきれていない。
本音を言えば、今すぐ会いに行ってそのままどこかへ連れていって2人きりで過ごしたいところだったが、さすがに我慢する。
「しかし、黒竜も下手を打ったな」
ただでさえ身体的なデータを取られているのに、攻撃手段の一つまで披露してくれたのだ。
『未知』を『既知』に変えることは冒険者の十八番だが、よりにもよってオラリオで一番得意な輩の目の前で披露してしまった。
「レヴェリアならば……もう対策を考えていてもおかしくはない」
確信をもって、アルフィアは呟いた。
風印から戻ったレヴェリアは、アイズと別れてフィンの元へ向かう。
先ほどのような事態が再び起こらないとも限らず、またより悪いことになる可能性も否定できない。
そうなった場合、最高指揮官であるフィンがどういう決断を下すかなど手に取るように分かる。
「見学を中止するなどとは言うなよ。まだうちの団員達が終わっていないし、助攻側の派閥にも見学希望者が大勢いるからな」
開口一番、レヴェリアはフィンに向かって告げた。
その言葉は彼が予想した通りのものであり、彼自身も黒竜が咆哮したからといって中止するつもりは毛頭なかった。
「咆哮の一つで逃げ出していては討伐など夢のまた夢だ。ただ、対策は必要だと思う」
「既に幾つか考えている」
レヴェリアから出てきた言葉に、フィンは軽く溜息を吐いた。
そして、彼は苦笑して告げる。
「本当に君がいて良かったよ」
「礼には及ばないさ。色々と利益も得ているからな」
そう答えてレヴェリアはウィンクしてみせたところで、リヴェリアが厳しい顔で大股で歩いてやってきた。
「レヴェリア、お前も
「大丈夫だ。あのトカゲに急に大声を出されたから吃驚したが、それだけだ」
開口一番、問いかけてきた彼女に対してレヴェリアはそう返す。
それから少しの間、彼女の顔をじっと見つめたリヴェリアは胸を撫で下ろした。
彼女の心配と不安を和らげるよう、レヴェリアは優しく微笑みながら軽く頭を下げる。
「心配させてすまなかったな」
「まったくだ。本当にお前というヤツは……」
レヴェリアの言葉にリヴェリアはそう返しつつ、やはり私がコイツのストッパー役にならないと駄目だな、と確信するのだった。
「……ティオネ、何だか変」
ティオナは姉のティオネを人気のないところまで連れ出し、そう切り出した。
少し恥ずかしそうな表情の彼女に対して、怪訝な顔をティオネは向ける。
「ヘイズに治してもらったら?」
「そういうのじゃなくて……こう、ココがすっごくキュンキュンするっていうか、ムズムズするっていうか……」
ティオネの至極もっともな助言に対して、ティオナは答えながら片手でその部位――下腹部を擦った。
ヒリュテ姉妹はフレイヤ・ファミリアに改宗してそれなりの年月が経つ。
ティオナはレヴェリアと姉や他の面々が深い関係になっているのは当然ながら知っている。
もっとも、彼女自身はそもそもそういう感情がよく分からなかった。
だが、今回のコレは多分そういうものなのだろうな、という予感があった。
「さっき、レヴェリアが黒竜を挑発した時から……疼きが止まらなくて……」
そのように言葉を続けたティオナに、ティオネはピンときた。
同時に納得もした。
黒竜の咆哮にも臆することなく、毅然とした態度でもって言い返したレヴェリアにティオネも雌としての本能を大いに刺激されたからだ。
イシュタル・ファミリアの連中とかヤバいことになっているんじゃないかしら、とアイシャとつい先程、ティオナに呼ばれるまで話していたところだ。
それはさておき、彼女ははっきりと告げる。
「ティオナ、それが惚れるってことよ。アンタ、今何をしたい?」
「レヴェリアと一緒にいたい……ううん、くっついていたい。ぎゅーっと抱きしめたい……かも」
照れくさそうに答えたティオナに対して、ウンウンとティオネは頷いてみせる。
レヴェリアのことだから上手くやってくれるだろうが、それはそれとして彼女の弱点を教えておかねばならない、と彼女は判断する。
それは先達から得た情報とティオネ自身の体験によって得たベッド上での戦訓だ。
「ティオナ、今からアイツの弱点を教えるわ」
「え、弱点なんてあるの?」
ティオナは思わず問い返した。
彼女からすればレヴェリアは『死角はありません、無敵です』とでも言わんばかりの人物だ。
最強であり最優の眷族という異名は伊達ではなく、彼女にできないことがティオナには思い浮かばなかった。
ただある時、レヴェリアにできないことは自身の性欲を抑えることくらいだ、と神々が言っているのを聞いて納得したくらいである。
「あるわ。ベッドの上では弱点だらけよ。片足の指先だけでも驚くほど簡単に倒せるわ」
断言するティオネに、ティオナは感嘆の声を漏らす。
そんな彼女に対して、ティオネは早速教え始めた。
一方その頃、神々は大騒ぎだった。
「これはさすレヴェ過ぎるわ!」
「くぅうう! いいのぅ! いいのぅ! 儂、こういう展開が大好きなんじゃ!」
「レヴェリアは私が育てた。ベッドの中でたっぷり甘やかしてきた成果が出たな」
「はぁ? イシュタル、アンタは何寝言を言ってんのよ! 私の教育に決まっているじゃない!」
「彼女もガネーシャだぁああああああ!」
ぎゃーぎゃー騒がしい連中に対して、ヘラとヘファイストスは揃って溜息を吐いた。
確かに燃える展開であるが、もうちょっと静かにしてほしかった。
そこで2人はフレイヤが妙に静かであることに気がつく。
彼女のことだから、それはもうぶん殴りたくなるくらいのドヤ顔で鬱陶しいくらいに語ってきてもおかしくはないにも関わらず。
2人揃って視線をフレイヤに向ければ、彼女は顔を俯かせており、髪に隠れて表情が窺えない。
だが、そこに纏う雰囲気から今、彼女がどういう感情であるかを直感でもって察した。
その為、2人は互いに顔を見合わせて見なかったことにしようと頷きあった時だった。
「あぁ……もう……素敵だわ……」
熱が篭もったフレイヤの声が漏れ聞こえてきた。
魂が視えるからこそ、彼女にはレヴェリアがどういう状態かだいたい分かる。
黒竜の咆哮を受けた時、その魂は一瞬弱々しくなったものの、すぐさま反抗するかのように強く輝いた。
これまで色んなレヴェリアを見てきた彼女だが、今回の輝きはまた格別のものだった。
帰ってきたらどんなことをしてあげようか、と妄想を始めるフレイヤであった。