「ねぇねぇねぇねぇ、レヴェリア」
「いつもより『ねぇ』の数が多いな」
執務机に顎を乗せて、上目遣いに声を掛けてきたフレイヤに対してレヴェリアは事務作業の手を休めることなくそう返す。
新しい戦術が決まったことで、それに関する諸々の事柄は追加の仕事となってレヴェリアに襲いかかってきていた。
フィンと彼が選抜した補佐官達へ供給する為の
特に小型魔剣は現状ではレヴェリアしか製作できない上、通常の魔剣では使わない希少素材が必要であり、また製作に掛かる時間も多い。
仕事量は多いが、レヴェリアのやる気は十分、元気も一杯だ。
つい先日、ティオナとデートをしてその後、朝まで一緒に過ごしたことも手伝って頑張るぞ、と燃えに燃えていた。
だが、構ってほしいとフレイヤが思ってしまったので仕方がない。
「猫って抱っこすると、うにょーんって伸びるじゃない?」
「ああ、そうだな」
「というわけで、抱っこして」
「どうしてそうなるんだ?」
「私がやってほしいからよ」
胸を張ってドヤ顔で告げるフレイヤに対して、レヴェリアは肩を竦めつつ手を止めた。
そして、彼女は要望通りに猫を抱っこするように――両手をフレイヤの腋に差し込んで、そのまま抱え上げた。
抱え上げられたフレイヤは満足げな顔をしているが、それだけで終わらないのが彼女である。
さらなる要求を彼女は突きつける。
「ねぇねぇ、レヴェリア。吸わせて」
「仕方がないな……」
軽く溜息を吐いて、レヴェリアはひとまずフレイヤを下ろす。
そして、彼女に背を向けた。
その瞬間、フレイヤはレヴェリアの背中に飛びついて、そのまま頭に顔を埋めて思いっきり深呼吸。
シャンプーの香りと仄かな汗の臭いを存分に堪能する。
「あぁー……これこれ、これよ。効くわぁ……」
「私が変なフェロモンを出しているかのような発言はやめろ」
「変なフェロモンかどうかは分からないけど、ずっと嗅いでいたい匂いであるのは間違いないわね」
そう答えながら、スーハースーハーと遠慮なくフレイヤは吸う。
自分だけそう思っているのではなく、レヴェリア吸いを行った者は誰もがその感想を抱くことはステイタス更新の際に確認済みだ。
扉が叩かれたのはそんな時だった。
しかし、フレイヤがレヴェリアから離れるわけもない。
溜息一つ、レヴェリアが誰何すればアイズだという。
許可を出せば、彼女は片手にお盆を持って入ってきた。
お盆にはクッキーが盛り付けた皿が載せられているが、これは市販品ではなく彼女が作ったものである。
以前よりアスフィやヘイズ、ヘルンといった面々に教わってレヴェリアの胃袋を掴むべく、料理やお菓子作りに励んできたアイズは中々の腕前だ。
そんな彼女の視界に飛び込んできたのは、レヴェリア吸いを敢行しているフレイヤの姿だ。
天下無敵のたわけ女神に対して、アイズは告げた。
「……フレイヤ、ズルい。私も吸いたい」
「あなたが持っているクッキーを1つくれるならいいわ」
「ん、分かった」
吸われる側であるレヴェリアの意見は聞かれることはなく交渉は成立した。
だが、レヴェリアはそこに不満を唱えることはない。
彼女的にはご褒美でしかないからだ。
むしろ、驚いたのはフレイヤがクッキー1つで妥協したことにある。
そんなレヴェリアの心を見通したかのように、フレイヤは告げる。
「アイズがレヴェリアの為に作ってきたんだもの。さすがの私も空気を読むわ」
そう言いながら彼女はレヴェリアの背から離れて、皿に盛られたクッキーを1つ摘んで頬張った。
満面の笑みを浮かべて咀嚼する彼女の姿から、味は聞くまでもない。
そんなフレイヤを尻目に、アイズがレヴェリアの前までやってきた。
「レヴェリア、クッキーを焼いてきたから、あとで食べて」
「ああ、ありがとう」
「あと吸わせて」
「分かった。いつもの体勢で?」
レヴェリアからの問いかけにアイズが頷いてみせればレヴェリアもまた頷いて、椅子に座った。
それからアイズはレヴェリアの膝の上に腰掛けて、己の胸に彼女の顔を埋めさせ、自身はレヴェリアの頭に顔を埋める。
そして、ただ吸うだけではなく、レヴェリアの頭をアイズは撫で始めた――これがいつもの体勢である。
「ん……今日もいい匂い」
「お前もいい匂いだが、クッキーの匂いとか色々と混ざっているな」
「むぅ……私の匂いを堪能してほしいけど、仕方がない」
色々とツッコミを入れるべきところであるが、あいにくとここには2人以外にはフレイヤしかいない。
ツッコミ役とは程遠い彼女はレヴェリアとアイズの抱き合っている姿を見て、脳内に数々の寝取られ妄想が迸っていた。
「脳が、震えるっ……!」
両手で顔を覆って、様々な感情を込めて呟いたフレイヤを、アイズはじーっと見つめていた。
「……レヴェリア、フレイヤはどうしたの?」
「あー、うん、発作みたいなものだ。そっとしておいてあげなさい」
レヴェリアの言葉に、アイズは素直に頷いてみせる。
そして、彼女はレヴェリアの匂いと体温を存分に堪能するのだった。
「はーい、【ゼオ・グルヴェイグ】~」
気の抜けた声とともに、展開される黄金の癒し。
原野全てを一瞬にして覆い尽くし、地に伏せていた団員達は次々と立ち上がっていく。
その中には半小人族であるヴァンも含まれていた。
彼は口の中に溜まった血を唾とともに吐き出す。
「くそっ……」
悪態をつきながら、己の弱さを憎悪する。
惰弱極まりない。
この程度ではまるで届かない。
だからこそ、足掻きに足掻く。
思いを胸に、得物を握りしめて手近な団員に斬り掛かった。
フレイヤからの寵愛を一身に受けている
だが、レヴェリアを倒すことでフレイヤの心を自分に向けようなどと大それた事を考えているわけでもない。
偶にやってくるロキからは、嫉妬とも微妙に違うのがメンドイなぁなどと言われたりもする。
嫉妬とは自分が持ち得ないものを欲しがり、羨ましいと思うあまりに憎らしくなる感情である。
レヴェリアを羨ましく思うあまりに憎たらしい、というわけでもない為、ロキが言うように当てはまらなかった。
むしろ、レヴェリアが『頂天』から転落することは団員達にとって断じて容認できないことである。
フレイヤ様の
ヴァンもまたその例に漏れていない。
レベル5に至っている彼の実力は、そこらの派閥ならば団長として十分やっていけるだけのものがあった。
しかしフレイヤ・ファミリアともなれば、戦力の分厚さが半端ではなく、レベル5どころかレベル6であっても中堅クラスでしかない。
もっとも、彼は自分など中堅にも達していないのではないか、と感じている。
新米の頃はそのような認識ではなく、もっと尖っていた。
だが『頂天』を、そしてその座を奪わんとする連中の化け物染みた強さを肌で感じて、そうならざるを得なかった。
けれども、諦観したことはこれまで一度もない。
足りないならば届くまで足掻き続ければいい、たとえ目標が遥か彼方であろうとも――
それはフレイヤ・ファミリアの団員ならば、誰もが心に抱いているものだ。
もっとも、強さではない別のところから甚大なダメージを受けたことはあった。
ヴァンがまだ新米であった頃、ステイタス更新の際、彼はフレイヤに対してレヴェリアの色ボケをどう思っているか、尋ねたことがあった。
そして、数時間にも及ぶ地獄を味わう羽目になった。
まず出会いから始まり、そこからの旅路やら何やらのオラリオ外での出来事、そしてオラリオに進出してから今に至るまでを語られた。
本神的にはかなり省略していたが、聞く側にとってはまったくそうは思えない惚気話であった。
原野での戦いがフレイヤ・ファミリアにおける物理的な洗礼ならば、こちらは精神的な意味での洗礼だ。
しかも新米団員ならば、ほぼ確実に気になって聞いてしまう為、回避不可能である。
ヴァンはその時、色んな感情が昂りすぎて脳が震えたような感覚を味わったが、それは彼だけではなく聞いた者は例外なくそうなっていた。
「お疲れ様でーす。ヘイズさん、シュークリーム食べます? 話題になってたお店で買ってきたんですけど……」
「食べます~! レフィーヤは良くできた子ですねー!」
「えへへ」
レフィーヤの提案に、ヘイズは即答しつつ片手を伸ばして彼女の頭をイイコイイコと撫でる。
すると、はにかんだ笑みをレフィーヤは浮かべた。
神々が見たならば、尊いと涙を流すだろう光景が原野の端っこの方で繰り広げられていた。
こういった差し入れはよくあることであり、ヘイズだけでなく他の治療師や薬師達――
原野で戦っている団員達の世話も重労働である為に、レヴェリアが手を回していた。
「ついでに食べさせてくださいー、姉弟子命令でーす」
「もう……仕方がないですね」
しかし、ヴァンも含めた原野で戦っている者達には関係がない。
神々曰く「百合ラブコメ」とやらを展開しているヘイズとレフィーヤが視界に入ってイラッとするが、そんなことよりも戦いの方が重要である。
イライラすらも闘志に変えて、今日も原野で戦うのであった。