ヘルンは頬が緩むのを抑えきれず、いつもの彼女とは思えない顔になってしまう。
その顔を周囲に見られたくない為、机に突っ伏した。
しかし、今度は喜びのあまり体がぷるぷると震えだし、さらには足がバタバタと動いてしまう。
彼女がこうなっている原因は数日前に起こったレヴェリアとのデートだ。
事の発端はレヴェリアがアンナ・クレーズを救出すべく、輝夜と共に『エルドラド・リゾート』に客として潜入した時に遡る。
その際、ヘルンはシルに変身したフレイヤを燕尾服を着てエスコートしたのだが、それが思いの外レヴェリアに刺激を与えてしまった。
結果、燕尾服を着たヘルンがイブニングドレスを着たレヴェリアをエスコートするというカジノデートに繋がった。
ドレス姿のレヴェリアはあまりにも美しすぎて、誰も彼もが立ち止まって彼女を見つめていた。
そんな彼女と腕を組んで歩いていたヘルンはいつもと変わらない顔をしていたが、緊張と興奮でかつてない程に心臓がドキドキしていた。
勿論、ただカジノを楽しんで終わるわけではない。
一通り楽しんだところで、カジノエリアにある
大抵の場合、ベッドの上ではレヴェリアがリードするのだが、今回は全てヘルンが行い、レヴェリアはされるがままであった。
己の手によりレヴェリアの表情が快楽に染まり、吐息が熱を帯びていく光景はヘルンの脳裏に――否、魂に焼き付いたと言っても過言ではない。
「くひっ……ひひひっ……」
興奮のあまり変な声が出始めたが、ヘルン自身にも止められない。
むしろ、叫んで走り回りたい気分であった。
「……へールーンー? おーい、やっほー」
そんな彼女の前で、ヘイズは手をひらひらさせながら呼びかけた。
しかし、マトモな反応はないどころか、変な笑い声を上げ始めた。
こりゃ駄目だ、とヘイズは肩を竦めて溜息を吐くも、あの体験をしたらこうなるわな、とヘルンの気持ちもよく分かった。
もしも自分が同じ体験をしたならば、三日くらいは自室に引きこもって妄想の世界に浸ると断言できる。
その反面、ヘルンはちゃんと部屋から出てきて仕事を一応している。
こういう状態に頻繁に陥る上、レヴェリアの姿を見るととんでもなく挙動不審になるというポンコツ具合だが。
「まったくもう、仕方がないですねー」
ここは私が正気に戻してやらねば、とヘイズは気合を入れる。
つい先日、レヴェリアから内示があった。
黒竜討伐後、ミアは副団長を退任し、元々やりたかった酒場兼食堂を開くことになる。
本人としては退団したかったらしいが、フレイヤが泣いて喚いて駄々をこねまくった為、ミアが折れて仕方がなく脱退という形に収まったとのこと。
レヴェリアが言っていたので間違いなかった。
ともあれ、これに伴いミアが担っていた役割を分担することになった。
副団長はアスフィ、
いい加減そうに見えて結構真面目、レヴェリアが関わると超真面目になる彼女はやる気満々だ。
しかし、ここで頭をぶん殴るというのも芸がない。
そこらの脳筋団員達とは違うところを示してやろう、とヘイズは決心し、ヘルンの横に回り込んだ。
机に突っ伏している為、彼女の後頭部はがら空きだ。
「はい、むぎゅー」
ヘイズは自分の胸を上からヘルンの後頭部に押し付けた。
レヴェリアとの逢瀬でヘイズが編み出した技、おっぱいプレスだ。
むにゅっとした柔らかさと程よい弾力を後頭部に食らったヘルンは仰天して、頭を上げたことでその胸から解放されることとなった。
ジト目でヘルンはヘイズを見つめる。
「ヘイズ、あなたは何をやっているの?」
「あなたが頭ぽわぽわになっていたので、治してあげたんですよー。レヴェリア様も大絶賛のこの技でー」
「……そう。ちなみにレヴェリア様のご感想は?」
「滅茶苦茶喜んでいましたね。ちなみに、レヴェリア様はお返しをしてくれますよ。いやー、天国って下界にもあるんですねー」
「……ありがとう」
「いえいえー。それはそうと、ちゃっちゃと仕事してください。あなたがダメダメなせいで、侍従の皆さんが困ってますよー」
「私がいない程度で困るような鍛え方はしていないわ」
大きな胸を張って、そんな事を宣ったヘルンに対してヘイズはにこにこ笑顔でその頭に手刀を叩き込んだ。
涙目でヘルンが見つめれば、ヘイズは知らん顔で口笛を吹く。
そのやり取りがきっかけで少しの間ぐだぐだしていたものの、やがて2人揃って部屋から出て廊下を歩いていた時、中庭でとんでもない光景を見つけてしまった。
広い中庭にある木の下に、シートを敷いてその上にメルーナは座っていた。
彼女は片手に本を持ちながら、もう一方の手で自身の膝を枕にしている人物の髪を撫でる。
黄金を束ねたかのような美しく長い髪はサラサラであり、いつまでも触っていられる。
さり気なく視線を下に落とせば、そこにはレヴェリアの横顔があった。
彼女は現在、お昼寝中だ。
今この瞬間、レヴェリア様を独占しているのは私だ――
それを実感して、ついつい頬が緩んでだらしのない顔になりかけるが、メルーナは堪えてみせた。
基本は甘やかす側のレヴェリアであるが、こうして甘えてくることもわりとある。
意外にも甘えん坊であることからギャップによる破壊力は凄まじく、庇護欲を大いにかきたてられ、さらに悪戯をしたいなどの色んな欲求が湧いてくると弟子達の間で評判になっていた。
勿論、それはメルーナも例外ではない。
今この瞬間にも色々とやりたい欲求を抑え、エルフとして最高の冷静さを保ち、表情を引き締めて読書に集中しようとしたのだが――
「ん……」
身動ぎして、レヴェリアの顔が少し上向いた。
間近でじっくり観察する機会はこういう時にしかないが、その美しさに毎回息を呑んでしまう。
同時にレヴェリアが無防備な姿をさらけ出していることに、メルーナは切なげな吐息が漏れた。
膝枕をするのは今回が初めてというわけではなく、この感覚もいつも味わっているが慣れることはなかった。
読書に集中なんてできるわけがないだろう!
レヴェリアを起こさぬよう心の中で叫んでから、メルーナはいつものように読書を諦めた。
本を閉じて傍に置いた後、彼女はレヴェリアの頬を片手で優しく撫でて、もう一方の手は長耳を弄る。
王族に対して、このようなことをするなど不敬極まりないことだ。
しかし、それを許されている。
その事実がメルーナの気分をより高揚させていく。
あぁ、口付けしたい――!
その欲求が猛烈に湧き上がってくるが、我慢する。
最終的に欲求に負けてしまう為、儚い抵抗であるのだがそれでも堪えた。
レヴェリアの顔ばかり見ているとあっという間に負けてしまう為、あえてメルーナは視線を外す。
まず空を仰ぎ見た後、周囲に視線を巡らせていき――不審者を2名見つけた。
その2名は2階の廊下にある窓ガラスに顔と胴体を張り付けており、メルーナを凄まじい顔で見つめていた。
その光景を見た瞬間、メルーナは自身の心に怒りの炎が灯ったのを確信した。
何故ならば、その不審者達の爆乳が窓ガラスに押し潰されて形を変えていたからだ。
メルーナ・スレアは貧乳である。
故に、窓ガラスに胸を押し付けてもその胸が押し潰されて変形することはない。
窓ガラスに胸を押し付けるというのは、
特にヘイズは度し難い。
『最近、巨乳を超えて遂に爆乳になりましたー。レヴェリア様にたっぷり揉んでもらったおかげですねー』などとにこにこ笑顔で言ってきた。
2人纏めてここでブチ殺すしかない、とメルーナは決意した。
今の彼女はお目々ぐるぐるでいい感じに混乱状態であったが、残念ながらそれを指摘できる存在は彼女の膝の上でスヤスヤ眠っていた。
しかしながら、メルーナははたと気がつく。
少しでも動けばレヴェリアを起こしてしまうことに。
ならば魔法を、と考えたが即座に却下する。
魔法を放てば――否、そもそも発動前段階で何事だ、とレヴェリアが飛び起きるだろう。
ぐぬぬぬ、と悔しげな表情で馬鹿共を見つめて――閃いた。
この手段ならば馬鹿共に目にものを見せることができるのは間違いない。
自分の欲求に従うことになるが、仕方がないことだとメルーナは開き直った。
起こさないようにするならば何もしないほうがいいのでは、と指摘する存在は残念ながらいなかった。
メルーナが視線をレヴェリアに戻す。
そして、彼女はレヴェリアの頬を片手で数回撫でた後、そのまま顔を近づけていき――唇に口付けて、すぐに離れた。
しかし、その刺激によるものか、レヴェリアの瞼がゆっくり開いた。
メルーナは起こしてしまったことを謝罪しようと口を開きかけたが、その言葉が出てくることはなかった。
何故ならば、レヴェリアは瞼を再度閉じて唇を突き出してきたからだ。
俗に言うキス待ち顔となった彼女に、メルーナが応えないわけにはいかない。
再び唇に口付けをすれば、レヴェリアは口を開けて舌を出してきた。
その求めに応じて、濃厚な口付けを交わしつつ最後に唾液を流し込む。
一滴も零さず飲んだレヴェリアに、メルーナが興奮のあまり身を震わせた時だった。
遂にヘルンとヘイズが動き出す。
彼女達は両手を顔の前で交差させて防護すると、勢いよく窓ガラスに体当たりしてぶち破った。
ガラスの割れる音が響き渡り、その破片がきらきらと陽光を受けて輝く中、2人は中庭に音もなく着地した。
その眼光と形相は階層主が逃げ出してもおかしくはない程のものだった。
だが、メルーナが動じることはない。
レヴェリアから顔を離して、不敵に笑ってみせた。
「メルーナ、詳しく説明しなさい。私は今、冷静さを欠こうとしているわ」
「なーに見せつけてくれているんですかねー? 羨まし……おっと、けしからーん! 実にけしからんですよー!」
羨ましがる2人に対して、メルーナは告げる。
「レヴェリア様が望まれたことだが?」
「「ぐぬぬぬ……!」」
レヴェリアが望んだならばヘルンもヘイズも何も言えない。
膠着状態に陥ったところで、すっかり目が覚めていたレヴェリアがおずおずと口を開く。
「あー……私は寝ていた方がいいか?」
「いえ、どうぞ御心のままに……」
メルーナの言葉を聞いて、レヴェリアは彼女に感謝を伝えて起き上がった。
とはいえ、さすがにこのまま仕事に戻るわけにもいかなかったので、ヘルンとヘイズを鎮めることにする。
「ヘルン」
名を呼べば、彼女は音もなく近寄ってきた。
レヴェリアは彼女を抱きしめ、その顔を自身の胸に埋めさせる。
すかさずヘルンも抱きついてきて、大きく深呼吸を始めた。
ヘイズが頬を思いっきり膨らませたが、レヴェリアは彼女に対してにこりと微笑んでみせる。
すると機嫌が一転し、何かを期待するかのような表情となった。
「ヘルン」
やがてレヴェリアが再び彼女の名を呼べば、ヘルンは名残惜しそうな顔で上目遣い気味に見つめてきた。
そんな彼女の額に口付けすれば、渋々といった感じで離れていった。
ヘイズに対しても同じように抱きしめ、最後にメルーナもレヴェリアは抱きしめるのだった。
お昼寝に加えて3人とのハグにより、十分にリフレッシュができたレヴェリアは執務室に戻り、仕事を再開した。
しかしながら、それは長く続かなかった。
何故ならば、フレイヤがやってきたからだ。
デメテルのところによく行っている彼女だが、レヴェリアが書類仕事だの何だのでホームにいる時は早めに帰ってくることが多い。
ノックもなく執務室の扉をバーンと開け放って入り、フレイヤはソファに座って自分の膝をポンポンと叩き始めた。
メルーナに膝枕をしてもらった件を聞きつけて、私も膝枕をしたい、という分かりやすいアピールだ。
「……フレイヤ」
「やだ」
レヴェリアが名を呼んだだけで、何が言いたいかを即座に察したフレイヤは拒否した。
仕方がないな、とレヴェリアは椅子から立ち上がり、フレイヤのところへ。
ソファに横になり、彼女の膝の上に頭を載せた。
「どう?」
「良い」
「ふふん」
その感想に満足しながら、フレイヤは早速レヴェリアの頬や長耳を弄り始めた。
しばらくの間、弄っていたフレイヤであったが、何気なく告げる。
「もうすぐ『学区』が来るから……いよいよね」
「ああ、そうだ。もっとも、合宿を行うからもう少し先だがな」
黒竜討伐戦にはレオンも参加する。
その為、彼を交えた合宿を行い、全体の戦力を僅かでも底上げすることが決定していた。
黒竜討伐戦の準備は万端だ。
様々なアイテム類は勿論のこと、作戦の要の一つであるフィンによる空中指揮も問題ない。
十分な数の
フィン及び彼が補佐として選抜した面々は
「勝てそう?」
「勝つさ。イレギュラーは確実に起きるだろうが、それでも私達が勝つ」
凛々しい顔で断言するレヴェリアであったが、膝枕をしている状態である為にイマイチ締まらない。
そんな彼女にフレイヤはくすりと笑い、その額に口付けをしたのだった。
「……っ!」
目の前で身体を横にして眠る巨獣に、レヴィスは息を呑む。
ここは何階層か分からないが、冒険者達による合同遠征隊が足を踏み入れていないだけは間違いない。
もしも到達していたならば、目の前の巨獣を躍起になって討伐しようとするだろう。
それこそ黒竜よりも優先的に。
穢れた精霊は60階層の正規ルートから外れた広大なルームを根城として、冒険者達にバレないよう戦力を拡張してきた。
レヴィスは精霊の意を汲んで、より下の階層に進出し、魔石を食べて己を強化しつつ、尖兵とすべく『宝玉の胎児』をモンスターに寄生させてきた。
それを繰り返し続けて、到達したのは人類未到達の超広大なルーム。
そこで彼女を待ち受けていたのは――かつてダンジョンが大穴と呼ばれていた遥か古代、地上へ進出した巨獣であった。
「……コレがベヒーモスか」
レヴィスは実物を見たことはないが、直感的に陸の王者であると確信した。
眠っている姿であってもその威容に怖気を感じるが、彼女は冷徹に判断を下す。
「足りないな」
彼女もベヒーモスが倒されたことは知っている。
適当なフードを被り18階層のリヴィラへ不定期に赴き、情報収集をしている為だ。
レヴェリアがレベル11に至ったことや黒竜討伐間近であるということも知っていた。
四派閥をはじめとした主戦力がいないならば、この巨獣を地上へ誘導できれば、それだけでオラリオを蹂躙できる。
しかし、主戦力がいる場合は倒されてしまうだろう。
彼等彼女等は既に一度討伐したことがある上、当時よりも戦力が充実しているからだ。
「おそらく下には……」
このベヒーモスは地上に進出した個体が倒されたことにより出現した――たとえ、そんな前提があったとしても、同じく倒されているリヴァイアサンならば存在している可能性が高い。
そして、そんな前提などなく単純な時間経過で――それこそ、気の遠くなるような年月により――出現した2体目のベヒーモスであるならば、黒竜もいる筈だ。
如何に冒険者達の戦力がかつてない程に強大であったとしても、ベヒーモスとリヴァイアサンの2体を同時に、もしくは黒竜も加えた3体同時ともなれば敵うわけがない。
だが、ベヒーモスしか存在しない可能性もある。
ベヒーモス、リヴァイアサン、黒竜が同時期にダンジョンで生まれたわけではないだろう、とレヴィスは予想する。
1体だけでも生み出すには階層主とは比較にならないエネルギーを消費する筈であり、2体目を生み出すには数十年どころか数百年の間が空いていてもおかしくはない。
ベヒーモスのインターバルは偶々終わっていたが、リヴァイアサンのインターバルは残り数十年、黒竜は残り数百年といった具合であるかもしれなかった。
ともあれ、たとえベヒーモスしか存在しなかったとしても、こちらの持てる戦力を全て注ぎ込めば勝算はある。
『アリア』を確実に手に入れる為、穢れた精霊は焦りつつも慢心も油断もせずに戦力の増強に努めてきた。
その努力が実を結ぶことになるだろう。
どちらにしろ、攻撃開始の時期は決まっている。
黒竜討伐の為に主力がオラリオを不在にしているという、最高のタイミングでもって横合い――否、真下から殴りつけるのだ。
最大の問題はどうやってベヒーモス――いるならばリヴァイアサンや黒竜も――を誘導するかだが、そこは穢れた精霊に任せるしかない。
「『宝玉の胎児』を寄生させて制御する……それができれば話は簡単だが、おそらくできないだろう」
目の前のベヒーモスは100匹くらい寄生させたとしても、それすら取り込んで己の糧に変えてしまいそうな嫌な予感がしていた。
そうなったベヒーモスは強力だろうが、やるならば地上に進出してからか、あるいはもっと上の階に昇ってからだ。
それはさておき、レヴィスには分かっていることが一つあった。
「また仕事が増えるな……」
リヴァイアサン、黒竜を見つけてこい、と言われるのは目に見えていた為、彼女は溜息を吐くのだった。