ロイマンは目の前にある書類の束を睨みつけていた。
そして、深くため息を吐く。
書類の出処はレヴェリアであり、彼女が考えた最悪の未来を予想したものだ。
オラリオがベヒーモスやリヴァイアサンや黒竜に襲われて壊滅するだとか、あるいはダンジョンからそれらに類するモンスターが溢れ出てくるとか、そういうものではない。
むしろ、人類から見れば喜ばしいことだ。
だが、彼女が考えた通りになるのだとしたら、オラリオにとっては最悪の未来であるのは間違いない。
「ダンジョンの最下層攻略による、
単なる妄想の類い、と彼女は言って1週間前にロイマンへ渡してきた。
ダンジョンの最下層にはモンスターを生み出すエネルギー源となるモノが存在し、これはダンジョンの環境を維持する為にも使われている、とレヴェリアは仮定している。
そして、このエネルギー源が破壊されるとモンスターは生み出されなくなり、ダンジョン内の環境が維持できなくなるどころか、最悪ダンジョン自体が崩壊する可能性を指摘していた。
神々はダンジョンについて知っている節があるものの、それに答えることはしない。
下界で解決すべきものと考えているのか、はたまた種を明かしては面白くないと考えているのか、あるいはその両方か。
だからこそ、レヴェリアはフレイヤにもこの妄想については教えていないとのことだ。
ロイマン以外に渡す予定は今のところない、と彼女は言っていたが、それも当然だとロイマンは思う。
こんなものが表に出たら、ダンジョンの取り扱いでオラリオが2つに割れる。
そこらの輩が作成したものなら一笑に付されて終わる代物だが、
この予想が実際には間違っていたとしても、彼女が予想したならば正しいと信じる者は出てくるだろう。
そもそも正解を確認するには最下層まで行かなくてはならない。
ゼウスとヘラですら未だにそこには至っていない。
レヴェリアが二大派閥の遠征に度々帯同している為、攻略ペースは上がっているのだがダンジョン自体、何階層あるかも不明だ。
ともかく、ダンジョンが機能を停止して最悪の事態――ダンジョンの崩壊が起こったならばオラリオ自体が甚大な被害を被る。
たとえ、崩壊はしなくてもモンスターが生み出されなくなるのならば、魔石製品の貿易で利益を上げているオラリオにとっては致命的な打撃になりうる。
しかし、それだけではない。
ダンジョンがあるからこそ、オラリオの冒険者達は効率的に強くなることができる。
もしも、三大冒険者依頼を達成する前にダンジョンの攻略が終わってしまったならば、冒険者がランクアップできる機会が極めて大きく減少する。
それは人類の戦力増加に歯止めがかかることを意味しており、三大冒険者依頼の達成が実質的に不可能になることすらありえるだろう。
とはいえ、三大冒険者依頼を達成した後にダンジョンを攻略して、モンスターが生み出されなくなったとしてもオラリオは今の繁栄を維持できない。
そして、食うに困った冒険者達は都市外へ出ていく。
オラリオの冒険者が世界中に散らばること、それによって起こり得るのは冒険者を確保した国家による戦争だ。
今ですら人類同士の争いがあるのだから、モンスターの脅威が去ればその争いがより加速するのは想像に容易い。
何てものを持ってきてくれたんだ、と彼は怒りを覚える一方で同時に、その可能性を示唆してくれたことに感謝もしていた。
今ならば対策を考えることができる。
レヴェリアの予想が正しいとも限らないが、ロイマンは万が一に備えるべきだと判断した。
ある日、レヴェリアはフレイヤと共にデメテル・ファミリアのホームを訪れていた。
「レヴェリア、デメテルに迷惑を掛けないの」
めっ、と叱ってみせるフレイヤに、レヴェリアは肩を竦めてみせる。
そんな彼女達をデメテルはくすくすと笑う。
レヴェリアが以前より要望していた米の品種改良に関することで、一定の成果があったという知らせを受けて訪ねてきていた。
その報告を聞いた後、レヴェリアが提案をしたのだ。
品種を今よりももっと増やして欲しい、と。
「無論、これまで以上に支援させてもらう」
レヴェリアは懐から証文を差し出した。
そこに記載された額は5億ヴァリス。
彼女は美味しい料理を食べる為ならば金に糸目をつけないタイプであり、定期的にデメテル・ファミリアに個人的な支援をしていた。
そこへフレイヤが口を挟む。
「デメテル、この子ったらあちこちの生産系・商業系ファミリアにこうやって気前良くお金をバラ撒いているのよ。貯金しなさいって言っているんだけど」
「金は使ってこそだ。貯金もしっかりやっている。そもそも、私が本気を出せば1ヶ月で100億は稼げるぞ」
レヴェリアはそう答えて胸を張ってみせる。
フレイヤにもデメテルにもレヴェリアが嘘を言っていないことが分かり、また彼女の実力を考慮すれば本当にそのくらいは稼げてしまう。
デメテルはくすりと笑って告げる。
「レヴェリア、フレイヤを大切にしてね」
「勿論だ」
すかさず、そこへジト目でフレイヤが言う。
「レヴェリア、デメテルに手を出したら承知しないわよ」
「……フレイヤ、私がデメテル様と会う度に毎回言っているよな」
ジト目で見つめるレヴェリアに対して、フレイヤは当然とばかりに頷いてみせる。
「うーん……私としては神友の
そう言いながらもレヴェリアへ流し目を送るデメテルに、フレイヤはムスッとした顔になった。
「デメテル、あげないから。神友でも……いえ、神友だからこそ駄目」
私のもの、と言わんばかりにレヴェリアにしがみつくフレイヤ。
そんな彼女の頭をレヴェリアが撫でてやれば、満足気な笑みを浮かべる。
彼女達のやり取りを見たデメテルは柔和な笑みを浮かべた。
「フレイヤをよろしくね」
神友じゃなくて保護者ではないか、とレヴェリアはいつものように思ったが口には出さなかった。
デメテル・ファミリアのホームを出て、時間もちょうどいいからお昼でも食べようとレヴェリアが誘い、フレイヤは快諾。
レヴェリアのおすすめのレストランで料理に舌鼓を打ち、お腹が程よく膨れたところでショッピングに繰り出そうとした矢先にとある男神が声を掛けてきた。
「やぁ、はじめまして。私はディオニュソス。君が噂の【
金髪の優男がにこやかな笑顔で尋ねた。
すかさずフレイヤが問いかける。
「私のレヴェリアに何か用?」
「ああフレイヤ様、違うんだ。そういう大げさな話じゃない……ただ、有名人を見かけたからついつい声を掛けてしまったんだ」
そう言ってウィンクをしてみせるディオニュソスに、フレイヤは軽く溜息を吐いた。
彼女もディオニュソスのことは詳しく知らない。
そもそも興味が無かったからだ。
ディオニュソスは気障な笑みを浮かべて一方的に二言三言話すと、そそくさと立ち去っていった。
「変なのに絡まれたわね……って、レヴェリア?」
フレイヤはそう言って、レヴェリアの顔を見ると――何やら難しい顔をしていた。
ディオニュソスがいる間はいつもの澄まし顔で対応していた筈だ。
「どうかしたの?」
「ディオニュソスはオリュンポスで位が高いとされる十二神の一柱か?」
レヴェリアからの問いかけにフレイヤは頷いてみせる。
すると、それを見るや否や彼女は告げる。
「オリュンポスの神々に話を聞きたい」
真剣な表情の彼女であったが、フレイヤは状況についていけない。
「いったいどうしたの? ディオニュソスに何か思うところがあったの?」
「私だからこそ知り得る話だ。悪い意味で見た目と中身は別物かもしれない」
「あなたの知り得ることが、常に正しいというわけじゃないと思うけど……」
フレイヤの当然の指摘、しかしレヴェリアは譲らなかった。
「もしも間違っていたならば、私が頭を下げれば済むことだ。それに神々も知っているだろう」
そこで彼女は言葉を切り、少しの間を置いて告げる。
「こういう時、気のせいだろうって思って放置したことが後々厄介なことになる、と」
「あなたがここまで言うのも珍しいわね。まず誰から聞きに行くの?」
「ヘラだ」
その名を真っ先にレヴェリアが挙げた時点で、フレイヤには何となく予想がついてしまった。
ゼウスの浮気が原因で生まれたのがディオニュソスなんじゃないかと。
ヘラはゼウスの浮気相手だけでなく、その子供にも容赦しないことは神ならば誰でも知っていた。
「ディオニュソス? ああ、知っているとも」
ヘラはそう答えながら、隣にいるゼウスをぎろりと睨みつけた。
もうその反応でフレイヤは己の予想が正しかったことが分かってしまった。
彼女達は当初ヘラ・ファミリアのホームに向かったのだが、ゼウス・ファミリアに行っていると教えられる。
またゼウスに折檻でもしているだろう、と思いながら、ゼウス・ファミリアのホームに赴けば案の定だ。
ゼウスだけでなく偶々そこにいたヘルメスも巻き添えを食らったのか、顔が大変なことになっていたので2柱共にレヴェリアが癒やしている。
「レヴェリアちゃん、ディオニュソスがどうかしたんかのぅ? もしや、奴に誑かされたとか……」
「おいおいゼウス。そんなことをすればフレイヤ様が黙っちゃいないぜ」
ヘルメスの言葉に当然とばかりに頷いてみせるフレイヤ。
そのやり取りを見ながら、レヴェリアは率直に尋ねる。
「天界時代、ディオニュソスはどういう振る舞いをしていたか? ロキのようなこと……神々同士を戦わせたりするようなことはしていなかったか?」
レヴェリアの問いかけに、彼女がディオニュソスを警戒する意味をフレイヤは察した。
一方、ゼウス達はどうしてレヴェリアがそのことを問いかけてきたのかに疑問を持つ。
いきなりやってきたかと思えば、ディオニュソスについて教えて欲しいと言ってきたのだからそれも当然だ。
レヴェリアとディオニュソスの接点なぞ、これまでになかった為に。
とはいえ、彼の振る舞いについては思い当たる節が幾つもあった。
「確かに、そういう事はあった。癇癪を起こして、夫やウラノスにも殺し合いを吹っかけていた」
「じゃが、あくまで天界での話じゃ。下界に降りてきて、奴はそういうのが収まったように思える」
「それはオレも思うぜ。証拠でもあるなら話は別だが……」
もっともな言葉に、レヴェリアは頷いてみせながらも重ねて尋ねる。
「証拠があるならばいいんだな? 邪神みたいなことを企んでいるとか、そういう証拠が」
「ディオニュソス・ファミリアに攻め込むっていうのは無しじゃぞ? 秩序維持にあやつのファミリアは貢献しておるからな」
「そんなことはしないさ」
ゼウスに釘を刺されたが、意味深な笑みを浮かべながらレヴェリアは否定した。
3柱の視線がフレイヤに集中する。
お前の
その視線を受けながら、フレイヤが口を開く。
「ねぇ、レヴェリア。ディオニュソスが何かを企んでいるとして、それってゼウスやヘラの子達やあなたでも対処できないものかしら?」
「オラリオを吹き飛ばすだけでいいなら冒険者と戦う必要はない。そういう方法は幾つかあるぞ」
尋ねたフレイヤは勿論、ゼウス達も目を丸くしてしまった。
レヴェリアには嘘がなかった。
驚いている神々に対して、彼女は更に言葉を重ねる。
「何も出なければそれで良い。私が頭を下げるだけさ。もっとも、私がやったという証拠を掴めれば、という話だが」
いたずらっぽい笑みを浮かべるレヴェリアに見惚れてしまう3柱の神。
その1柱であるゼウスは顔面にパンチを食らった。
下手人はヘラである。
「前が見えねぇぞい……」
ゼウスの声を無視してヘラは告げる。
「その件はお前に任せよう。杞憂であったならば問題ないが、もしもそういうことを企んでいたのならば早急に処理する必要があるからな」
ヘラの言葉を聞き、レヴェリアは満足気に頷いた。
「で、どうするの?」
「まずはデメテル様に聞き取りだ。ディオニュソスは葡萄酒の神でもあるんだ。葡萄酒を作っているなら、彼女のところと葡萄の取引があってもおかしくはない」
ずんずんと進んでいくレヴェリアの横にくっついてくフレイヤ。
頼りがいがあって素敵と思っているが、同時に懸念もあった。
「あの3柱、あなたのことを怪しいって思っているわよ」
「だろうな」
「どうしてそこまでしたの? 疑われたら面倒なのに」
問いかけたフレイヤに対して、レヴェリアは足を止めて彼女の顔を見て微笑んだ。
「悪だくみを潰して、お前に格好良いところを見せたいから……では駄目か?」
フレイヤは首を左右に振って彼女に抱きついた。
十分過ぎてお釣りがくる理由だ。
抱きついてきたフレイヤを抱きしめながら、レヴェリアは耳元で囁く。
「私の世界ではディオニュソスの信仰は狂気と結びついていた。時代背景的な事情があるらしいが……」
レヴェリアはそこで言葉を切り、フレイヤの耳を甘噛する。
こうすれば周りからはいつものようにイチャついているようにしか見えない。
彼女は更に言葉を続ける。
「ディオニュソスの信仰には集団陶酔の儀式……オルギアと呼ばれるものがあった。また、自分を信仰しない者を狂わせたり、動物に変えたりしたという」
「神々ならばよくあることだと思うけど……」
「よくあることだろうな。だが、狂気を司っているわけでもないのに、狂気がクローズアップされている神も珍しいと思う。まあ、元を辿ればゼウスの浮気とそれによるヘラの嫉妬が原因だが」
「やっぱり、あの夫婦が原因じゃない」
フレイヤは呆れつつも、レヴェリアの唇に口づけして離れた。
偶々通りかかった神や冒険者や市民が凝視していたが、今更気にするものでもなかった。
デメテル・ファミリアを再び訪れたフレイヤとレヴェリアを、デメテルは快く迎えてくれた。
そして、彼女よりディオニュソスには葡萄を納品していること、その葡萄で葡萄酒を作っているという話を聞くことができた。
その話を聞いた時、レヴェリアはピンときた。
神話にて、ディオニュソスがヘラと和解するきっかけとなった事件――彼女がヘファイストスに囚われた時のこと。
ディオニュソスが葡萄酒をヘファイストスに呑ませ、酔わせたところでオリュンポスに連行したという。
しかし、さすがにこのことをヘファイストス本神に確認するのは憚られた。
とはいえ、葡萄酒が鍵であるとレヴェリアは直感した。
そこで彼女は仮説を立てた。
ディオニュソスの葡萄酒は神ですら酩酊状態にさせる代物ではないか?
そして、酔っ払うことで己を偽ることもありえるのではないか?
レヴェリアがそのことをデメテルに伝えれば、できるかもしれない、という答えを貰う。
故に、レヴェリアは手段を決めた。
真正面から堂々と行って証拠品を抑えてやろう、善神ならば断れない筈だ、と。
「無理を言ってすまない。デメテル様に聞いて、あなたの作る葡萄酒に興味が出てしまってな」
「ははは、構わないさ」
ディオニュソスはレヴェリアとフレイヤの唐突な訪問だけでなく、レヴェリアの無茶振り――ディオニュソスが作っている葡萄酒を譲って欲しい――にも快く応じてくれた。
その振る舞いは、どこからどう見ても善神にしか見えない。
「どれくらい欲しいかな?」
「1ケース、貰っても?」
「構わないよ」
ディオニュソスの気前の良さに、レヴェリアとフレイヤは拍子抜けしてしまう。
「ああ、もしも気に入ったらまた来てくれ。私も君の支援を受けたいからね。そこも含めて話し合いたいんだ」
にっこりと笑ってディオニュソスはそう告げた。
ディオニュソス「はじめまして、ディオニュソスっていうんだ。よろしくね」
レヴェリア「ディオニュソス……? 妙だな……オリュンポスの神々に確認だ」
ディオニュソス「そうはならんやろ(真顔)」