飛来する鱗を
普通に考えれば、態勢を立て直す為に霧の中から出るべきだろう。
だが、その選択は間違いの予感がしてならない。
霧の展開直前あたりから始まった親指の疼きは、今もなお続いているが――じわじわと強まっている。
幾度も助けられたから、と疼きを盲信するのは良くないが、一つの指標としていた。
「どうするんだ!? フィン!」
「近接戦闘は得意ではないのだがなっ……!」
隣ではガレス、背後ではリヴェリアがそれぞれ飛来した鱗を斧や杖で弾き飛ばしている。
ロキ・ファミリアで戦闘に参加しているのは三首領のみである為、【英傑】の指揮下におかれていた。
「明確な根拠があるわけじゃないから、勘だけど……霧の外に出るのはマズイ気がする」
「リヴァイアサンがまだ何かを仕掛けてくるのか?」
ガレスの問いかけに、フィンは頷いた。
「霧を展開してから、鱗による攻撃しか仕掛けてこない。おかしくないか?」
「それで十分だとリヴァイアサンが考えたのでは?」
「あんなに怒っていたのに?」
リヴェリアの問いかけに、フィンはそう問い返した。
あの大咆哮は誰がどう見ても激怒しているようにしか思えない。
海の覇王がこの程度で済ますだろうか、とフィンは言葉を続けた。
「じゃあ、どうする? このまま【英傑】の指示が来るまで待つか?」
「いや、それもマズイ。時間を掛けるのは良くないことが起こりそうな気がする」
ガレスの問いにそう答えたフィンは、不敵な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「だから、状況を打開する一手を打つ」
フィン・ディムナには2つの魔法がある。
一つは【ヘル・フィネガス】。
その効果は理性を失う代わりに、ランクアップと見紛う程の能力向上だ。
合宿などで度々使っていることもあって広く知られているが、もう一つの魔法はオラリオに来てから、一度も使ったことがない。
単純に使う機会がなかったからであったが――そうであるからこそ、【英傑】も【女帝】もレヴェリアすらも知らない魔法だ。
長い付き合いのリヴェリアとガレスは、フィンが何をしようとしているかを察した。
【ヘル・フィネガス】を使った上で、もう一つの魔法――【ティル・ナ・ノーグ】を使うつもりだ、と。
レベル及び潜在値を含む全アビリティ数値を魔法威力に加算して放つ、一度使えば24時間のインターバルを挟まないといけない絶大な一撃。
それならばリヴァイアサンに有効打どころか、致命的なダメージを与えても何らおかしくはない。
現状、魔法は発動自体はするものの、それを放ったところで霧散してしまうことがリヴェリアが試して判明していた。
故に、己の内側で作用するもの――例えば身体強化魔法などならば問題ない、というのがリヴェリアの見解だ。
【ティル・ナ・ノーグ】も魔法威力に換算するとはいえ、イメージとしては全身全霊を込めた槍投げだ。
霧の効果は受けないだろうとフィンは予想しつつも、確実で安全な方法を取ることを心に決めていた。
だが、唯一の懸念は【ヘル・フィネガス】を使って理性が消えたフィンに、【ティル・ナ・ノーグ】を発動できるかというところだ。
これまで幾度も【ヘル・フィネガス】を使って理性を保つべく実験を繰り返してきたが、その全ては失敗に終わっている。
その失敗経験から、彼はある仮説を立てていた。
【ヘル・フィネガス】使用時、己の内から込み上げてくる膨大な好戦欲。
アレを上回る程の強い感情をぶつければ相殺されて、判断力を失わないのではないかと。
だが、そんな強い感情を出すこと自体が並大抵ではない。
故に、フィンは許可を取りつつ己を追い込む為、2人に尋ねた。
「【英傑】と【女帝】に会いに行く……来てくれるかい?」
2人の答えは決まっていた。
討伐隊にとって状況は悪い。
サポーターは一部であったが、戦闘に参加する討伐隊主力――レベル9からレベル7の面々は完全に霧の中に取り込まれた。
魔法は封じられ、視界が大きく悪化した中、高速で数十Cから1M程の大きさの鱗が弾丸のように絶え間なく飛んでくる。
霧の中で弾幕射撃を食らっているようなものであるが、討伐隊は猛者揃いだ。
彼等彼女等は飛び来る鱗を得物で叩き落としながら攻撃を続行しているが、魔法が使えないのが大きく響き、攻撃効率が大きく低下していた。
また頼みの綱であるレヴェリアの治癒魔法がないことも重くのしかかっている。
【英傑】と【女帝】はその場を副団長に任せ、意見交換の為に合流していた。
態勢を立て直す為、霧の中から出るべきか?
その答えを出すのが2人が合流した理由だ。
風で流されないとはいえ所詮は霧である為、出入りは可能である。
霧の外から足の早いサポーターのクラネルが危険を冒して訪ねてきたことが、その証拠だ。
彼によると霧の外には特に変化はなく、またリヴァイアサンも首から頭を除いて、完全に霧に包まれているとのこと。
そして、正面に向けて夥しい量の鱗を放っているという。
常識的に考えるならば霧の中から出るべきだろうが、2人は不穏な気配を感じていた。
視界不良での鱗による弾幕射撃は大きな脅威であり、魔法を封じられた状態ではエリクサーによる回復しか望めないというのも痛いところだ。
しかし、それだけだ。
魔法が封じられて魔導士達が遊兵と化したが、前衛や中衛がリヴァイアサンに対して攻撃を続けている。
効率は大きく低下しているものの、やってやれないことはない。
だが、時間を掛けすぎても良くないという予感があった。
現状を打開できる手、それもすぐにでも実行できるものが必要だ。
レヴェリアならばできそうだが、報告から推測してリヴァイアサンの攻撃を捌くので手一杯だと2人は判断していた。
その最中、ロキ・ファミリアの三首領が2人の前に現れた。
「僕には状況を打開する手がある。任せてくれないか?」
「構わん」
「やってみなさい」
フィンからの提案に【英傑】も【女帝】も快諾した。
あまりにもあっさりと許可が取れたことに、フィン達は目を丸くしてしまう。
そんな3人に対して、【英傑】と【女帝】が告げる。
「任せたぞ、【
「しっかりとやってきなさい」
その言葉を聞いた時、フィンは感無量となった。
知らず知らずに涙が出て、頬を伝っていく。
この2人からこう言われては、やるしかない――!
信頼に応えたい――!
フィンの予想した形とは違ったものの、良い意味で自らを追い込むことができていた。
涙を拭って、凛々しい表情で彼は力強く頷いた。
「ええい、鬱陶しい!」
レヴェリアは悪態をついた。
正面を受け持っている彼女を、リヴァイアサンもまた優先すべき排除対象と判断した為か、まるで横殴りの雨のような、凄まじい密度の鱗による射撃を絶え間なく受け続けていた。
一発一発は大したことはないが、途切れることなくバカみたいな量でやってくるからこそ厄介だ。
横に大きく移動すれば狙いが外れて、その隙に距離を詰めることができるだろうが――ネックとなっているのは他部隊の動向が分からないことだ。
下手に動けば、リヴァイアサンの注意が他にいってしまう可能性は否定できない。
こんな馬鹿げた物量の射撃が、全方位に向けられているとは彼女には到底思えなかった。
なお、ベヒーモスの時と同じように、レヴェリアの後方――それも過剰な程に距離を開け、リヴァイアサンの正面から外れたところには、ゼウスとヘラの団員で構成されたサポーター達がいた。
しかし、霧によってその姿はまったく見えず、どう動いているかもまったく分からない。
治癒魔法が使えず、手持ちのエリクサーだけが頼りだが豊富にあるわけではない。
態勢を立て直す為、霧から出ようかとも考えたが、どうにも嫌な予感がした。
かといって、このままずっとこうしているというのも良くないことが起こりそうな気がしてならない。
「どうしたものかな……」
魔法を封じられた以上、レヴェリアができる最大の攻撃はスキルを使用したものだ。
ぶっ飛んだ効果を持つスキルの数々とバカみたいな熟練度により、繰り出される斬撃は距離をも殺す一撃となる。
しかし、リヴァイアサンがそれをさせてくれない。
瞬きする間も与えるものか――そんな意思が感じられそうな程に徹底して、レヴェリアに時間を与えなかった。
被弾覚悟で、埒を明けにいくか?
レヴェリアがそう考え始めた時だった。
「今から僕、フィン・ディムナが状況を打開する! 【英傑】と【女帝】には許可を貰った! 協力してくれ!」
フィンの声が響き渡り、僅かな間を置いて何をやるのかが明かされ、どうしてほしいかを伝えられる。
レヴェリアは引き続きリヴァイアサンの注意を引くように頼まれた。
「勇者の一太刀、いやこの場合は一槍か? それを見せてもらおう」
【英傑】と【女帝】がこの状況で許可を出したならば、相応の切り札をフィンが持っているという証拠に他ならない。
その時を楽しみにしながら、レヴェリアは己の役に徹する。
大変鬱陶しいが、これもまた鍛錬だと思えばどうにか頑張れそうだった。
フィンの声を聞き、アルフィアは舌打ちをした。
この厄介な霧のせいで、彼女も含めた魔導士は戦力とならない。
かといって、不用意に霧の外に出ればリヴァイアサンが何かしらの動きを見せて、状況がより悪化するかもしれなかった。
「こんなことならば、レヴェリアに剣を習っておけば良かったか……」
忸怩たる思いだが、頭を切り替える。
「いいだろう、フィン・ディムナ。今回は譲ってやる」
彼女はそう呟いて、その時を待つ。
彼の一撃が状況を打開したならば、リヴァイアサンには大きな隙ができる。
その瞬間に霧の外へ飛び出して、魔法を叩き込んでやると彼女は闘志を高めた。
飛来する鱗を弾きながらフィンの声を聞いたオッタルは、表情こそいつもと同じ仏頂面であった。
しかし、その内心は己に対する殺意と憎悪で満ち溢れていた。
同格であった者に、一歩先を行かれたように感じられたからだ。
無論、指示に従うことに異論はない。
【英傑】と【女帝】が認めたならば、そうするに足るものだろう。
「何たる脆弱……! 何たる惰弱……!」
オッタルは小さく呟いた後、息を整えて――その時を待つ。
リヴァイアサンは力を溜めていた。
霧を放出し、鱗による弾幕射撃という最小限の攻撃でもって時間を稼いでいるのは、最大最強の一撃を放つ為だ。
それが過去に放たれたのは片手で数えられる程度であり、その全てが神々が降臨する前の遥か昔のこと。
そして、そのいずれもが人類に向けて放たれたものではなく、自身が住処と定めた海域に存在していた、邪魔な島を沈める為に使われたものだ。
その一撃とは高さ100Mを超える大津波。
それを全方向に放つべく、リヴァイアサンは集中していた。
しかし、霧の中から敵が逃げ出したならば、力を溜めるのをやめて即座に津波――100M程ではないが、それでも数十Mの高さ――を放つと決めていた。
人智を超えた一撃が、間もなく放たれようとしていた。