がらんとしたリビングを見て、レヴェリアは軽く溜息を吐いた。
治療院は資金稼ぎと名を売ることを目的として始めた。
そして現状で十分な資金と名声――各国の王族や貴族、大商人などから出張依頼が来るほど――になっていたことから目的を達成したと判断し、出張や自己研鑽に集中したいが為に営業日を減らしている。
出張がない日は自己研鑽に充てているのだが、寂寥感を覚えることも多くなった。
「まったく……」
考えていた以上に自分はフレイヤのことを好ましく思っていたことをいつものように自覚して、再び溜息が出てしまう。
彼女と過ごした賑やかな日々がふとした時に脳裏を過ぎることが多い。
もっとも、フレイヤがいなくなったことによる弊害は寂寥感だけではない。
彼女がいることで抑えられてきたレヴェリアに対する様々なやっかみ、それが物理的な脅威となって怒涛の如く押し寄せてきた。
ちょっかいを掛けてくるだろうとは前々から思っていたが――正直、予想以上だった。
レヴェリアは汚れを落とすべくシャワーへと向かう。
ローブや肌にべったりとついた返り血と己の血、その臭いや臓物の感触などにはすっかりと慣れてしまった。
汚れ物を脱衣所の籠に全て突っ込んで、浴室にて温かいシャワーを頭から浴びる。
壁にはめ込まれた鏡には傷一つない自らの肉体が映っているが――つい1時間程前は襲撃を受けて酷いことになっていた。
詠唱に必要な部分を除けば傷を負ってないところはないと言っても過言ではない。
四肢を切り落とされたりふっ飛ばされたり、腹をぶち抜かれたり、内臓をぶち撒けた程度ではもはや何とも思わなかった。
「……私がフレイヤの眷族であろうとなかろうと、どっちでもいいのだろうな」
手に入れてしまえば、あるいは亡き者にしてしまえば後はどうとでもなる――
レヴェリアはそう予想していたし、色々と助けてくれているイズンも同意見だ。
「イズン様には足を向けて寝られない」
イズンはバルドルなどのアルテナに本拠を構える善神達に声を掛けて、レヴェリアの窮地を救う為に動いてくれていた。
しかもフレイヤから頼まれたわけではなく、自発的なものだという。
あなたは
レヴェリアが理由を尋ねた時、イズンはそう答えた。
アオハルに関してはフレイヤとの関係性だろう。
それはともかくとして、アルテナに容易く外部勢力が入ってきているのはあまりにもおかしい状況だ。
「アルテナに本拠を置く派閥が手引しているんだろうが……関与しているのは1つや2つではない」
これまでの事を思い返せばそうとしか考えられない。
主神の命を受けて眷族達が押し寄せてきたり雇われた暗殺者が大挙としてやってくるのはマシな方だ。
酷い場合は街道を歩いていた際に調教師達に率いられたドラゴンを多数含むモンスター軍団や賞金稼ぎの大群が襲ってきたり、闇派閥が出張ってきたこともあった。
これで敵がレベル1であったならばまだ良かったのだが、格上であることがとても多い。
レベル2が複数いるどころかレベル3、果てはレベル4がいたこともあったが、彼女は全てに勝利を収めてきた。
勝因は幾つもあったが、もっとも大きなものは治癒魔法だ。
破格の治癒魔法があるからこそ、彼女は戦い続けることができる。
それによって敵の体力や精神力、アイテム類の消耗を強要して弱ったところを叩くことで勝利を得ていた。
しかし、レヴェリアはある理由により、自らに大きな枷を掛けざるを得なかった。
「殺すことが一番後腐れないんだが……」
そう呟いて溜息を吐く。
これまで多くの襲撃を受けてきたが、彼女はモンスターや巻き添え覚悟で自爆した輩を除けば誰も殺していない。
かつて彼女はラシャプの眷族達を皆殺しにしたが、そのことに罪悪感を抱いたというわけではなく、何かしらの高尚な精神に目覚めたわけでもない。
無名であり、なおかつ人目にもつかなかったあの時とは状況がまるで違う。
「商売に悪影響が出るのは面倒だ」
評判が悪くなるだけならまだマシで、黒幕達が殺したという一点だけを声高に喧伝して悪評を流し、大量殺人鬼扱いしたら最悪だ。
事実無根であろうともセンセーショナルな話題は民衆の興味を惹きやすい。
そして、厄介なのは一度流れた噂を打ち消すのは年単位の時間と大きな労力が掛かることだ。
無論、癒やして帰すことで敵が情報を持ち帰ってしまうという最大の問題点がある。
そのおかげで今や襲撃側は油断も慢心もなく、魔法封じのカースウェポンまで揃えて襲ってくるようになった。
カースウェポンの魔法封じの効果が短時間で解除されるのは不幸中の幸いだ。
自分で蒔いた種であり、こうなることは予想できていた。
しかし、悪評を打ち消す時間と労力を比較した場合、現状の方が良いと判断した。
前者は単純な武力で解決できないが、後者は解決できるからである。
ちなみに、この行動は冒険者達からは批判的に思われている一方で、民衆からは慈悲深いと肯定的に評価されているとイズンから聞いていた。
殺しに来た相手の命を取らずに癒やして帰すというのは普通はできることではなく、そんなことができるのは真に心が優しいからだ――と思われているとのことだ。
なお、こういった格上との戦いの日々はステイタスに現れない部分で劇的な成長をレヴェリアにもたらしている。
その最たるものが治癒魔法の詠唱速度と並行詠唱の練度、そして『技と駆け引き』だ。
この3つは己の生死に直結している為、特にその成長が際立っている。
ほぼ毎回絶望的な戦闘を強いられている彼女であったが、その心は全く折れていないどころか、むしろますます滾っていた。
無論、その原動力は性欲だ。
「大ハーレムを築いて、淫欲の宴を開くぞ。我慢すればするほどヤッた時にすごく気持ち良いんだ……!」
両手で頬をぱしんと叩いた彼女は気合を入れた。
そして、今のやり方でもって襲撃者達と戦い続けることを改めて決意する。
ここから離れて別の場所に行くという選択肢もなくはない。
しかし、どこにいようとも敵は追ってくるだろうし、また新天地で名が売れればそこでもやっかみを受けることは想像に容易い。
そのようなリスクを払うよりも、多少なりとも土地勘があって味方もいるここにいたほうが良いと判断していた。
フレイヤは目の前で己の愛を求め、そして愛を捧げることを大袈裟に宣言する新たな眷族に微笑みを浮かべていた。
そして、女神として感謝の言葉を掛けてやれば感激し、何度も頭を下げてから部屋から退室した。
「……寂しいわ」
女神の仮面を外した彼女は呟き、溜息が零れ出た。
この旅はレヴェリアへの答えを出すというのが目的であるが、彼女みたいに接してくれる者を探してみようと考えていた。
そういった者達を眷族にすれば心から笑いながら過ごせるだろうと思った為に。
しかし、その考えは儚く消え去ることになった。
「当時はまだ一人目だからって思ったけど……皆、同じだった」
ある日、彼女は一際輝く魂を持った者を見つけて眷族にした。
その者は大いに感激し、彼女の為ならば何でもすると誓いを立てた。
レヴェリアとはちょっと毛色が違うわね、とフレイヤは思いつつも、愛に関する問いかけをした。
それは、かつてレヴェリアに尋ねたものと同じものだ。
眷族から返ってきた答えは聞き飽きたものだった。
「眷族達は皆、愛おしく思うけど……これはレヴェリアに向けるものとは違う」
レヴェリアと過ごした日々をフレイヤは思い出して夢に見て、そして枕を涙で濡らした。
あの時ほどに楽しくて満ち足りた日々は無かったのだ。
フレイヤは気に入った者達を眷族として迎え入れていた為、今やファミリアは大所帯となっている。
誰のものにもなっていない綺麗な魂を集めずにはいられない。
昔からあった収集癖であるが、それとて彼女を蝕む退屈の毒を僅かに紛らわせる程度でしかなかった。
「久しく、レヴェリアから贈られたものもつけてないわね……」
フレイヤの爪は手足ともに何もつけられていなかった。
レヴェリアが外套を譲り、プレゼントを贈った相手は我儘な小娘であって女神ではないからだ。
女神として求められているからこそ、娘がつけていたものをつけるのは違うと彼女は思っていた。
レヴェリアのことを考えると、必然的にフレイヤは彼女の近況に悩んでしまう。
「彼女には悪いことをしちゃったわ……」
情報によるとレヴェリアは格上の敵に何度も襲撃されているが、全て返り討ちにしているという。
それは喜ばしいことだがレベル1だからこそ、過酷さが最大化されているのは言うまでもない。
しかし、フレイヤとしてもここまで彼女が襲撃を受ける――それも格上に――のは予想外だ。
やっかみがあっても、少しちょっかいを掛けてきてレヴェリアが撃退して終わりと彼女は予想していたが、それは甘かった。
そして何より、レヴェリアが敵を殺さずに癒やして帰すなんてことは予想などできるわけがない。
「悪評を流されることを警戒しているのでしょうけど……」
不殺を貫くレヴェリアの行動は批判的評価がありつつも、慈悲深いと良い意味で評判になっているとフレイヤも聞き及んでいた。
なお、レヴェリアに対する襲撃の件では早い段階でイズンから手紙が届いていた。
彼女によるとバルドル達と共に対応に動いているとのこと。
彼女達が動いている以上、状況は現状よりも悪化しないとフレイヤは判断したものの、心配なものは心配である。
しかしながら、同時に思ってしまう。
このような苦難を乗り越えたレヴェリアは、きっとその魂をより輝かせる筈だと。
彼女がより素敵になるのは素直に嬉しいが、このまま何もしないというのも心が痛む。
あちらを立てればこちらが立たないというのがフレイヤの心情だ。
「私はどうすればいいのよ……」
ムスッとした顔のフレイヤは指で髪先を弄り、ピンと閃いた。
そして、どうして今まで思いつかなかったのかと自分自身に怒りが湧いてしまう。
「困った時のイズンだわ!」
手料理を作って胃袋を掴めなど有用なアドバイスをたくさんくれた彼女ならば、こういう状況でも何とかしてくれる筈だとフレイヤは考えた。
早速手紙を書くべく、部屋の外で待機している眷族に道具を持ってきてもらうよう頼んだ。