「ねぇねぇねぇ、レヴェリア」
ある日のこと。
執務室でレヴェリアが書類仕事をしていた時、フレイヤが満面の笑みを浮かべて部屋に入ってくるやいなや、ずずいと迫ってきた。
今日は来るのが遅いな、昨夜激しくやりすぎたかなとレヴェリアが心配していた矢先のことだ。
フレイヤの様子に彼女は全てを察した。
大食い大会から早数ヶ月、ここ最近はフレイヤの悪戯や我儘などもなく穏やかな日々であった。
だが、それは嵐の前の静けさであったことが今まさに証明されようとしていたのだ。
「何だ?」
「良いことを思いついちゃったの。
「ほうほう、なるほど」
そう答えながらレヴェリアは目の前にいるフレイヤを常備している荒縄を取り出して、目にも留まらぬ速さでぐるぐる巻きにして床に転がした。
「捕まえたぞ。これで満足したか?」
「ちがうのー!」
手足をバタバタさせることが物理的にできないフレイヤは、否定しながらエビのようにぴょんぴょん跳ねた。
レヴェリアは溜息を吐いて肩を竦める。
「オルザの都市遺跡でも貸し切って、派閥でそれをやりたいのか? それとも他派閥も巻き込んでド派手にやりたいのか?」
「そうじゃなくて! 私が逃げるから、あなたが捕まえて!」
「お前は自由奔放なところが魅力の一つだから、捕まえるなんて……」
「本心を出しながらも、体よく断ろうとするなんて酷い酷い」
そんなやり取りをしたところで、何だかんだでフレイヤに甘いレヴェリアは告げる。
「仕方がない、付き合ってやる。今からやるのか?」
「うん。今から私がホームを出るから、2時間くらいしたら探し始めて」
「団員を総動員してもいいか?」
「あなただけで来て。そんなに難しくはしないつもりだから」
「そういう前置きがある場合、本当に簡単だった試しがないと思うんだが?」
ジト目で告げるレヴェリアに対して、フレイヤはウィンクしてヒントを出す。
「野菜がヒント! 待っているから!」
風のようにフレイヤは部屋から駆け足で出ていった。
彼女を見送ったレヴェリアはヒントから即座に答えを導き出す。
「野菜……デメテル・ファミリアか」
フレイヤの数少ない神友の1柱、それがデメテルだ。
レヴェリアが時計を見れば、時刻は9時過ぎ。
今から2時間後となると昼食には少し早い時間帯となるが、問題はないだろう。
「奴を見つけたら、デメテル・ファミリア直営のレストランで昼食としよう」
デメテル・ファミリアには出荷基準を満たさない規格外野菜を使った、美味しい野菜料理を売りにしたレストランが昔からある。
安い上に量が多くてしかも美味いと評判で、食事時になると大変繁盛している。
レヴェリアは故郷で菜食生活を強いられていたこともあり、野菜料理専門のそのレストランを利用したことはそこまで多くないものの、評判通りの価格・量・味であることは知っていた。
「……可能な限り書類を片付けるとしよう」
レヴェリアは気合を入れて、書類仕事に取り掛かった。
レヴェリアの部屋から出たフレイヤは、そのままの勢いでホームを飛び出すなどということはせず一旦神室に戻っていた。
以前よりフレイヤが立てていた大いなる計画は入念な準備と根回しを終え、遂に本日始動する。
デメテル・ファミリアのレストラン、そこで彼女はレストランで働く街娘としてレヴェリアと出会うことになる。
神室で待機させていたヘルンに対して、フレイヤは告げる。
「最後の確認として
その意を受け、ヘルンは真顔のまま言葉を紡ぐ。
「ねぇねぇねぇ、レヴェリア。簀巻きにするなんて酷い酷い。泣くわよ」
その言葉選びが己そっくりであることに、フレイヤは満足げに頷いてみせる。
これからの数時間が本計画における最大の肝であり、また難所だ。
シルとフレイヤが別人であることをレヴェリアに示し、同一人物であるという可能性を抱かせることすらさせない。
レヴェリアに教えた方が面白い、などと考えそうな一部神々については既に買収済みだ。
なおデメテルはノリノリで協力しており、この計画の仕込みとして数ヶ月程前からシルをレストランのウェイトレスとして雇っていた。
フレイヤもまたシルとして、レヴェリアが不在時にはレストランで働いて従業員や常連客達と交流を深めていた。
「それじゃ行きましょう」
「はい、フレイヤ様」
ウキウキワクワクしているフレイヤとは正反対に、ヘルンは緊張していた。
フレイヤになりきる為、これまで毎日欠かさず本神協力の下、勉強と実技をしてきたが何分相手はレヴェリアだ。
即バレするかもしれないという不安があった。
「大丈夫よ、レヴェリアなら多少変でも、
そう告げてフレイヤはウィンクをしてみせるのだった。
きっかり2時間後、レヴェリアは書類仕事を切り上げてホームを出てデメテル・ファミリアのホームへ向かう。
応対してくれたデメテル・ファミリアの団員より、レストランの方でフレイヤを見かけたという有力情報を得た。
そちらへ向かうと、レストランの出入口前にて薄鈍色の髪と瞳が特徴的な見慣れない少女が出てきた。
ベージュ色のエプロンドレス姿の彼女はレストランのウェイトレスだろう。
その少女はおずおずといった感じで問いかける。
「あ、あの! レヴェリアさん……ですよね?」
「ああ、そうだが……」
「私、シル・フローヴァっていいます! ずっと前から、あなたのファンで……!」
ネタ扱いにバグ扱い、畏れられたり敬われたりなどとレヴェリアも色々な扱いをされてきたが、面と向かってファンと言われたことは何気に初めてであった。
柔らかな笑みを浮かべ、レヴェリアが感謝するとシルもまたはにかんだ笑みを浮かべた。
「あ、もしかしてフレイヤ様を御探しですか?」
「そうだ。知らないか?」
「それでしたら……あそこに」
シルが指をさしたのは店内の片隅に置かれた樽の一つだ。
その中の一つは蓋が少し浮かんでおり、その隙間からは銀髪が見え隠れしていた。
頭隠して尻隠さずならぬ、尻隠して頭隠さずであった。
レヴェリアは軽く溜息を吐いて、そちらへ向かう。
シルもワクワクした表情で彼女の後に続く。
フレイヤが隠れている樽の前まで来たレヴェリアは、おもむろにその上に座った。
彼女が座ったことによる重みで強制的に蓋が閉じられてしまい、フレイヤの頭が樽の中にムギュッと押し込まれた。
その痛みにより、猫を踏んづけたような声が樽の中から聞こえたがレヴェリアは意に介さない。
「フレイヤは何処にありや? 全世界が知らんと欲す」
そして、彼女のわざとらしい言い回しにシルは吹き出した。
「ここ! ここにいるからー!」
樽の中から響く声。
それは紛れもなくフレイヤのものであり、その言葉選びも本神そのものだ。
「あーあー! 聞こえなーい!」
「ひどいひどい! 助けてー! 出してー! 暗いよー! 狭いよー!」
繰り広げられるレヴェリアとフレイヤのやり取りに、ついついシルはニヤニヤしてしまう。
彼女の様子をレヴェリアは咎めるどころか気にも留めない。
第三者がそういう反応をすることは、よくあることだからだ。
ともあれ、このままでは埒が明かないのでレヴェリアが樽の上から退いてやれば、ガタガタと樽を揺らして倒し、中から這い出てくるフレイヤ。
彼女は涙目で頬を膨らませてレヴェリアを睨む。
その様子を見て、レヴェリアは肩を竦めてみせる。
しかし、その後ろ――レヴェリアからは物理的に見えない位置に陣取ったシルは満面の笑みでフレイヤに対して、グッと親指を立てた。
これは間違いなく私、完璧だわヘルン――などと思いながらも、シルとして提案する。
「せっかくですし、お食事でもどうですか?」
「ああ、頼む。おい、たわけ。行くぞ」
シルに答えながら、レヴェリアはフレイヤの手を取って彼女を立たせた。
むっすー、と頬を膨らませたままの彼女に対して、その頬をつつきながらレヴェリアは言う。
「お前が始めたことだろう」
「だってー」
「だっても何もない。少し早いが昼食にするぞ」
レヴェリアの言葉に、ブー垂れながらもフレイヤは頷く。
そしてシルはニコニコ笑顔で、2人を奥まった席に案内した。
レヴェリアとフレイヤの注文をシルが厨房へ伝えに行った後、彼女は再び戻ってきた。
「レヴェリアさんのこと、聞かせてもらってもいいですか? お客さんがまだ少ないので、今のうちに……」
「私は別に構わないが……」
そう答えながらレヴェリアがフレイヤを見ると、彼女もまた頷いてみせる。
するとシルは嬉しそうに笑みを浮かべて、いきなりぶっ込んできた。
「ズバリ、レヴェリアさんはフレイヤ様のどこが好きですか?」
「性格」
即答したレヴェリアにシルは目を輝かせ、フレイヤはドヤ顔で胸を張った。
「何よりも、このたわけは放置しておくと変に拗らせてアホなことを仕出かしそうで困る。だから、私が見ていないと駄目なんだ」
「ちょっとそれどういう意味よ?」
「そのままの意味だが……違うのか?」
「……違わないかもしれないけど、そうじゃないかもしれない」
ほほう、とレヴェリアはニヤリと笑みを浮かべる。
「ならば実験として私が
「
フレイヤよりも早く、笑顔でズバッと斬り捨てにくるシル。
その言葉にフレイヤもウンウンと首を縦に振ってみせる。
妙に息の合っている2人に、レヴェリアは何気なく告げる。
「何故だろうな、シルがフレイヤのように思えてきたぞ……」
「私、たわけてます?」
可愛らしく小首を傾げてみせるシルに、レヴェリアは腕を組んで考え――
「たわけていないな……今のところは」
「今のところはって何ですか?」
「まだ会ったばかりだからな。本性を隠しているのかもしれん……そこのフレイヤとかいう奴も、5分くらいは女神らしい女神をしていた気がする」
シルの問いに対して、レヴェリアが答えるとフレイヤが不満げな顔で告げる。
「もうちょっと長かったわ……多分」
「すまない、10分だったかもしれんな」
「ひどいひどい。レヴェリアがいじめる……」
そう言いながらフレイヤは反撃に出る。
彼女は手を伸ばし、レヴェリアの頬をつつき始めた。
いつものことだ、とやられている側は涼しい顔である。
一方のシルは表情を変えていないものの、内心では驚きと興奮で叫び散らかしていた。
フレイヤは今回の計画にあたってヘルンには、イチャコラ全般にお墨付きを与えていたので何も問題がない。
その時、厨房からシルを呼ぶ声が。
「あ、料理ができたみたいなので取りに行ってきますね」
そう答え、シルが席を立つ。
彼女は料理を持ってすぐに戻ってきたものの、店内に続々と客が入ってきたことからお礼を述べて仕事に戻っていった。
シルの働く姿を見ながら、フレイヤが告げる。
「ねぇ、レヴェリア。しばらく通ってあげたら?」
「そうするとしよう」
フレイヤからの提案に、そう答えたレヴェリアだった。