ライスシャワー陣営にとって、菊花賞は悪夢でしかなかった。
夏合宿で至ることができなかった領域、神戸新聞杯での惜敗、それらを乗り越えた上で、菊花賞で領域へと至り覚醒したあの瞬間。勝ったと思った、最後の一冠はライスシャワーが手にしたとそう疑わなかった。それでも──
「ちくしょう……ちくしょう……ッ!」
ライスシャワーのトレーナーであるお兄さまは後悔した。敗因はきっと、領域にばかり意識が向きすぎていたことにあるのだと。マルゼンスキーやミスターシービーが領域は万能ではないと言っていたのに、自分達は領域に至ることばかりを考えていたから。だからこそ、サクラバクシンオーに地力の差を見せつけられることになったと猛省した。
後悔してばかりもいられない。次の戦いはもう始まっているのだから。
「ライス。菊花賞でバクシンオーに負けた原因は……分かってるよね?」
「うん。ライスは領域に頼ろうとしてた。マルゼンさんやシービーさんが領域は万能じゃないって忠告してたのに」
菊花賞の敗因を分析。自分達のどこがダメだったかを再認識して、修正していく。思いは1つ、次の戦いでは負けないために。
「菊花賞でライスが負けたのは、ハッキリ言って能力の差だ。領域に至る以前の問題だったんだ。それは、俺の指導不足でもある」
「そ、そんなことないよ!ライスが……」
「いや、俺も心のどこかで思ってたんだ。ライスが領域に至ればバクシンオーに勝てるって。ほとんど差がないんだから、ライスなら大丈夫だって。無意識の驕りがあった」
顔を俯かせるお兄さま。しかし、次の瞬間には決意の籠った表情でライスシャワーを見据える。
「でも、
「……うん」
「やるべきことが明確に定まった。なにをすべきか、俺達には分かっている」
確認するように言葉を並べるお兄さま。ライスシャワーも決意の籠った表情をする。
「次こそはバクシンオーに勝つ。そのためにも、ひたすらに基礎トレだ!」
「……うんっ!」
「まずはスピード!バクシンオーに劣っている部分はたくさんあるんだ、頑張って鍛えていこう!」
下は向かない。ただひたすら前だけを見て進み続けることを決めたライスシャワー達。目指すは打倒、サクラバクシンオー。
それはミホノブルボン陣営も同じである。菊花賞で敗北し、悔しい思いをした。次こそはと意気込む。
ただ、そのためにも距離を絞る必要があると考えていた。サクラバクシンオーに劣っていることは確かだが、今からまんべんなく鍛えても彼女に勝つことはできない。
「だからこそ、1つの距離に特化しよう。サクラバクシンオーに勝つために!」
「はい、マスター……個人的にですが、長距離はあまりオススメできないと思います」
ミホノブルボンはまず、長距離を除外した。理由はやはり、菊花賞のことが頭にあるからだろう。
「度重なるトレーニングにより、長距離も走れるようにはなりました。しかし、今から長距離に特化するのは分が悪いように思います」
「……そうだな。長距離は候補から外した方が良いだろう。今の段階だと、短距離も外した方が良いな。元はスプリンターとはいえ、度重なるトレーニングで適性距離を伸ばしてきた」
「さらには、バクシンオーさんが最も得意とする領分です。
長距離はミホノブルボン自身があまり得意ではないと判断しているのか除外。短距離はサクラバクシンオーが一番得意とする距離なのでこちらも除外。ただ、いずれは挑もうと考えていた。残ったのはマイルと中距離。ミホノブルボン達が選んだのは。
「総合的に考えて、中距離が適していると判断します。いかがでしょうか、マスター」
「……同意見だブルボン。まずは中距離に絞ろう」
マスター達は中距離で勝つことに絞った。そして、次は自分達に不足しているものを話し合う。
「『全て』、ではありますが。その中でもとりわけスピードが劣っているでしょう」
「あぁ。なんにせよ、スピードが足りないんじゃどうしようもない。徹底的にスピードを鍛えるぞ」
これもすぐに決まった。サクラバクシンオーに対抗するためにも、まずは彼女のスピードに並ばなければ話にならない。圧倒的なスピードに対抗できるだけの速さを得る必要があった。
「今日から早速トレーニングだ。行くぞブルボン!」
「了解です、マスター。目標変わらず……ミホノブルボン発進します」
こちらも敗戦を引きずっていない様子である。
そしてマチカネタンホイザ陣営。
「菊花賞3着!あのメンバーで3着だよマチタン!凄い凄い!」
「でもでも~、やっぱ悔しいよトレーナー!もっともっと頑張らないと!」
菊花賞で3着。あのメンバーで健闘したとマチカネタンホイザを褒めるトレーナーだが、マチカネタンホイザ自身はこの結果に満足してはいられなかった。もっと上へ、次こそは勝つと意気込む。トレーナーも少し呆けた後、その意思を汲んだ。
「……そうだよね。3着で満足してちゃダメだもんね!次こそは勝つぞ~!」
「「頑張るぞ~、おー!」」
そして彼女達は次の手を考える。
「タマモクロスさん達、いつでも頼っていいって言ってたからまた頼もう!」
「え、え~?でも厚かましくないかなトレーナー?」
「大丈夫だよマチタン!……多分!」
「多分なんだ!?」
少々不安はあったものの、タマモクロスやオグリキャップ、スーパークリークらはマチカネタンホイザのお願いを快く了承。
「おう、ええで!いつでも頼っとき!」
「あぁ。後輩が育つのは嬉しい。いつかきっと、私達へと挑んできてくれ」
「は~い。今回もよろしくお願いしますね~」
菊花賞後の各陣営はそれぞれ進んでいく。彼女達の目に迷いはなかった。
◇
菊花賞以降、ライスシャワーとミホノブルボンの陣営はよく合同トレーニングをするようになっていた。お互いに倒したい相手が一緒、さらにライスシャワーとミホノブルボン同士の仲も良いということで断る理由もなく。練習の質を高める目的もあった。
そして、有マ記念の少し前からもう1人加わった。それが──ニシノフラワーである。彼女もまた、打倒サクラバクシンオーのために気合を入れていた。
「やぁぁぁぁぁ!」
ニシノフラワーがサクラバクシンオーと初めて戦ったのはスプリンターズステークス。元々長い距離が向かないニシノフラワーだが、天性のスピードをもっており、その速さをもって阪神ジュベナイルと桜花賞を制した。このスプリンターズステークスにも相当な自信を持って臨んだのだが……2着のヤマニンゼファーから3バ身、1着のサクラバクシンオーから5バ身離されての敗北。己の弱さを痛感することとなった。
加えて、スプリンターズステークスが終わってからのニシノフラワーは相当落ち込んでいた。サクラバクシンオーが持っている圧倒的なポテンシャルを肌で感じ取り、自分の実力に疑問を抱くことになる。
「バクシンオーさんは私と同じクラシック級なのに、もうあんなに強いなんて……」
無力さを味わうニシノフラワー。スプリンターとしての圧倒的な才覚、それでいて他の距離でも結果を残すサクラバクシンオーを見て、自分がいかに弱いかを痛感する。そんな彼女を、トレーナーは必死に励ました。
「確かに今はかなりの差があるかもしれない。けど、その差を縮めることはできる!君にはそれだけの才能がある!」
「君の才能はバクシンオーにだって負けてない!壁にぶち当たったなら、乗り越えればいい、壊せばいい!」
「バクシンオーに勝つためのプランを持ってきた!だから一緒に頑張ろう、フラワー!」
ニシノフラワーに歩み寄り続け、サクラバクシンオーとの差に落ち込んでいた彼女をまた動かした。今のニシノフラワーはマイルと短距離戦に集中するトレーニングプランを組んでいる。
(この先サクラバクシンオーと戦うのは避けて通れない道だ。だからこそ、まずやるべきことは彼女のスペックに追いつくこと!)
「フラワー!タイムが落ちてるよ!」
「っ、はい!もっともっと、先へ!」
トレーナーからの檄にニシノフラワーはさらに気合を入れる。勝利に向かってがむしゃらに頑張っていた。ライスシャワーとミホノブルボンも、ニシノフラワーと同様に闘志を燃やす。
(全員、気合が凄まじい……!)
(気合十分。次こそは勝たせてもらうぞ……サクラバクシンオー、高村トレーナー!)
(良い時計を連発している。着実に成長しているんだ!)
ライスシャワーは長距離、ミホノブルボンは中距離、ニシノフラワーはマイル以下。それぞれ距離は違うが、お互いに切磋琢磨する。自分達の努力が実を結ぶと信じて。
ライスシャワーには懸念していることがあった。
(バクシンオーさんは天皇賞・春に出走してくる。ライスも出走するから、そこでリベンジの機会がある)
サクラバクシンオーが目標に定めていたのは春の天皇賞。このレースには三連覇の偉業をかけて挑む現役最強ステイヤー、メジロマックイーンにジャパンカップでサクラバクシンオーを下したトウカイテイオーも出てくる。さらには同期のマチカネタンホイザも出走予定だと聞いていた。激戦は必至だろう。
レースの注目は、メジロマックイーンとトウカイテイオー、そしてサクラバクシンオーの三つ巴決戦に集まっている。他のウマ娘など眼中になかった。そんな状況で自分が勝ったらどうなるかを考えるが……ライスシャワーの答えは決まっていた。
(ライスはもう迷わないって決めたんだ。ライスを応援してくれる人達のために、ライスは勝つ!絶対に勝つんだ!)
ライスシャワーに迷いはない。天皇賞に出走するメンバー全員を下して自分が勝つ。そう信じて疑わない。自分を応援してくれるファンのために、なによりトレーナーであるお兄さまのために。ライスシャワーは鬼気迫る表情でトレーニングに打ち込んでいた。
「絶対に勝つ……!」
その気合は、ミホノブルボン達にも伝播する。相乗効果でメンバーのやる気がさらに上がった。その雰囲気は夏合宿に勝るとも劣らない。
サクラバクシンオーというウマ娘に勝つ。それがライスシャワー達を突き動かす。
「バクシンオーさんに勝つ……バクシンオーさんに勝つ……!」
「次こそは負けません。勝利を我々の手にっ!」
「もう悔しい思いはしたくありません!次こそは勝ちます!」
それは、サクラバクシンオーと開いていた差を埋めていくほどに厳しいトレーニング。トレーナー達も担当ウマ娘がどんどん強くなっていく姿に、歓喜で震えていた。
サクラバクシンオー以外のメンバーも着実に成長している。シニア以降、果たしてどのような結果になるのか。
そして、彼女達の成長っぷりは高村トレーナーも把握している。
(ライスシャワー達の成長が著しい……ステータスも、かなり伸びている)
「打倒サクラバクシンオー、か」
サクラバクシンオーのステータスを記したノートを見る高村。ノートに書いてあるサクラバクシンオーのステータスは──スピードはUに到達しかけており、他のステータスも順調に伸びているのが確認できた。
(ただ、高松宮記念に出走させるべきか、否か)
サクラバクシンオーの意思を確認するべく、高村は彼女を呼び出す。
「バクシンオー、ちょっといいかな?」
「はいッ!なんでしょうかトレーナーさん!」
高村の声を聞いてすぐさま飛び出してきたサクラバクシンオー。特にツッコむことなく高村は淡々と対応する。
「高松宮記念、出たい?」
「……ん~」
即断即決を常とするサクラバクシンオーだが、今回ばかりは様子が違った。やがて結論が出た彼女は、笑顔で答える。
「出ません!今はまだ、他の距離に集中しようと思います!」
「……そっか。分かったよ」
「はい!よろしくお願いしますね!」
バクシンバクシーン!と去っていくサクラバクシンオー。少し悲しい気持ちになりながらも、高村は決断する。
「高松宮記念……観に行くか」
出走はしない。だけど観戦にはいく。それがきっと、サクラバクシンオーのためになるからと。
残りの仕事を片付けながら、高村は今後の予定を立てていった。
後は少し話が前後しています。次は有マ記念。