曇り空の京都レース場。少しばかり雨が降っており、どことなく不安を抱かせる天気である。それでも京都レース場は多くのファンが詰め寄っていた。
今日は春のG1レース、春の天皇賞が開催される日。今回は特に豪華なメンバーが集まっていることもあり、会場の熱気は暗雲を払うかのように盛り上がりを見せていた。
「メジロマックイーンの三連覇もそうだけど、トウカイテイオーにサクラバクシンオー!無敗の三冠ウマ娘同士がまたぶつかるなんてよ!」
「爆逃げコンビ今回はメジロパーマーだけだけど、それでも応援するぞ!頑張れパーマー!」
「ナイスネイチャ~!今日こそは1着だ~!」
合羽を着て応援をするファン。ターフには春の天皇賞に出走するウマ娘が続々と入場してきていた。
《春の盾、選ばれた優駿達が京都レース場に集います。天皇賞・春、芝3200mの戦いがやってきました!空はあいにくの小雨、ちょっと止みかけてきたか?芝の状態は前日からの雨の影響により重バ場と発表されています。これはタフなレースになるでしょう》
《今回は豪華なメンバーが集まりましたねぇ。目が離せない勝負になりそうですよ》
《そうですね。前人未踏、春の天皇賞三連覇がかかるメジロマックイーン。中距離では最強、この長距離でも最強を示そう、無敗の三冠ウマ娘トウカイテイオー!年度代表ウマ娘、SMILE区分の全距離G1制覇は伊達ではない、こちらも無敗の三冠ウマ娘サクラバクシンオー!この3人に人気は集中していますね!》
長距離において絶対的な強さを誇っている王者メジロマックイーン。大阪杯でメジロマックイーンを下してこの春の天皇賞へと乗り込んできたトウカイテイオー。年度代表ウマ娘に選出され、全距離でG1制覇を成し遂げたサクラバクシンオー。この3人に加えて、ダイタクヘリオスと共に逃げコンビを形成している大逃げウマ娘メジロパーマー、今度こそはG1で悲願の1着をと気合が入るナイスネイチャ、着実に成長しているマチカネタンホイザ、さらには新世代ステイヤーとして評価を高めつつあるライスシャワーに【鉄の女】イクノディクタス。豪華な顔ぶれとなっていた。
ウォーミングアップをしているメジロマックイーン。走る準備を済ませながらも、彼女は
(恐ろしいほどの圧……まさか、私が気圧されている?)
視線の先にはライスシャワー。地下バ道を通る時も見かけ、声をかけようとしたが──あまりのプレッシャーに声をかけるのを止めた。思わずメジロマックイーンが圧されるほどのプレッシャー。だが、現・長距離の王者として己の心を奮い立たせた。
(関係ありませんわ。確かに彼女の圧は恐ろしいほどに膨れ上がっている……ですが、私は長距離の雄、メジロマックイーン)
「ただ、己の使命を果たすのみ」
それでも警戒だけはしておこう。そう心に誓うメジロマックイーン。それに、ライスシャワーの警戒もそうだが。
(バクシンオーさん。彼女もまた、領域に至っているウマ娘)
ジャパンカップでの走りが記憶に新しい。あのジャパンカップで、彼女は確かに領域に至っていたと確信している。
(元々はスプリンター。それが、G1最長距離の春の天皇賞に出走してきている……)
「下の世代は、恐ろしいことこの上ないですわね」
本来適性の壁を超えて出走してくるウマ娘というのは少ない。勝てる場所で勝てるレースをするのが普通だ。だが、サクラバクシンオーはそんな常識を破壊する。全ての距離に出走し、全ての距離で勝つ自信を深めているのだ。そんな相手が、どれほど恐ろしいか。
あまりの無法っぷりに溜息を吐きたくなるメジロマックイーン。しかし、気を引き締める。勝利のために、長距離という舞台で自分が負けることは許されない。それだけの覚悟をもって臨んでいた。
ライスシャワーの異様な雰囲気を感じ取っていたのはメジロマックイーンだけではない。トウカイテイオーも彼女の圧に気圧されていた。
(……ヤッバいね、アレは。気合が入ってるなんてもんじゃない)
「ここで終わってもいい、ってヤツかな?なんかの漫画で読んだことあるけど」
無論、ライスシャワーはこの先も走り続けるだろう。だが、いま彼女が放っているプレッシャーはそう思わせるほどの圧を放っている。まさしく、鬼が宿っていると錯覚するほどに。
それでも、トウカイテイオーは揺るがない。彼女の視線の先には──メジロマックイーンが佇んでいた。
(今回こそは勝つ。前回は負けちゃったからね)
「……それでも警戒は強めておこう。放っておいたら間違いなくヤバいことになりそうだし」
トウカイテイオーもライスシャワーへの警戒を強めた。
そしてサクラバクシンオーはというと。
「良い気合ですねライスさん!今日も良いレースにしましょうッ!」
そんな圧は関係ないとばかりにライスシャワーに話しかけていた。ライスシャワーはというと、言葉少なにだが反応をする。
「……バクシンオーさん」
「はい!サクラバクシンオーです!」
「今日はライスが勝つよ、絶対に」
それだけだ、とばかりにライスシャワーは戻っていく。サクラバクシンオーは嬉しそうな、満足げな笑みを浮かべた。
「勿論、この学級委員長も負けませんともッ!お互いに良いレースにしましょうね~!」
発走前、出走者達はライスシャワーへの警戒をさらに強めた。おそらく今回のダークホースになるだろう……そう胸に抱いて。
ウォーミングアップを終えたウマ娘達。ゲートインの時間がやってくる。
《ゲートへと収まっていくウマ娘達……?っと、メジロマックイーンが少しゲートインを拒んでいるか?》
《珍しいですね。いつもは粛々と入る彼女ですが、なにか気になることがあるのでしょうか?》
《係員に誘導されて今、入りますメジロマックイーン。トウカイテイオーも少しばかり気後れしているか?今入りました。サクラバクシンオーはいつも通り、ライスシャワーもゲートに収まります。3200mの長丁場に加え、重バ場でさらにスタミナが問われるタフなレースとなるでしょう!王者が強さを見せるか?それとも他が台頭してくるか!》
最後のウマ娘がゲートに収まる。雨粒が落ちる音は、気づけばなくなっていた。曇天の中──ゲートが開く音が響き渡る。
《天皇賞・春が今……っ!スタートしましたッ!ゲートが開いて一斉に飛び出したウマ娘達!最強ステイヤーを決める戦いが幕を開けます!やはり飛び出したのはメジロパーマー!5枠からのスタートだが問題なし、ハナを奪いにかかります!》
《大逃げウマ娘の彼女らしいスタート。どのようなペースで駆け抜けるか見ものですね!》
《第3コーナーめがけて走っていくウマ娘達。激しい先行争い、ハナに立つのは大逃げウマ娘メジロパーマー!メジロマックイーンにトウカイテイオーは前の位置、サクラバクシンオーも前につけているぞ!》
重バ場の天皇賞・春がスタートした。
◇
立ち上がりに問題はなく進んでいく。現在は1周目の第3コーナーを越えて第4コーナーへと。先頭はメジロパーマーだ。
《メジロパーマーに続きます、早々に2番手につけましたメジロマックイーン!メジロパーマーの3バ身後ろ、メジロマックイーン!内の方にはライスシャワーが3番手続きます。ライスシャワーの外トウカイテイオー。サクラバクシンオーはちょっと珍しいか?5番手です》
《いつもならメジロマックイーンの位置にいますからね。ただ、前目の位置ではあります》
《サクラバクシンオーが5番手、後ろにはナイスネイチャが控える。位置取り争いは少し落ち着いてきたか?それぞれのベストポジションでレースを運びます!まもなく正面スタンド前へと入る16人のウマ娘達。ここからどのような展開を迎えるのか?》
サクラバクシンオーの位置は4番手トウカイテイオーの1バ身後ろ。先行勢の中で控える位置を走っていた。
「ふぅン、委員長君はテイオー君をマークしているのかな?それとも何か別の意図があったり?」
「どうだろうね。あんまりそういう気はしないけど」
いつものようにデータを取る高村とアグネスタキオン。
「バクシンオーには警戒すべきウマ娘については教えてある。けど、それで彼女がどう動くかは彼女に委ねてるからね」
「……ま、委員長君はその方が良いだろう。アレコレ考えさせるよりも、本能の赴くままに走らせた方が強いタイプだ」
頷く高村。有力候補の警戒すべき点などは教えているが、このウマ娘をマークしろ、だったり前半は抑えめに、といった指示は基本的に出さない。それは、サクラバクシンオーの強みを消してしまうかもしれないという高村の考えから来ていた。理由はアグネスタキオンが述べた通りである。
「今回は……ライスシャワーをマークすることに決めたみたいだね。珍しい」
「委員長君は前をバクシンする質だからねぇ。これがどう作用するのか……良い方向に転べばいいんだが」
ライスシャワーの後ろにつけているサクラバクシンオー。これがどういう結果に繋がるかは、高村達にも分からない。
スタンド前を走るウマ娘達。第1コーナーめがけて駆け抜ける。
虎視眈々とレースを進めるライスシャワー。前につけているメジロマックイーンは少し焦り気味だった。
(私を徹底マーク、ですか。バクシンオーさんではなく私ということは、私の方が上だと感じているのでしょう)
レースにおける最有力ウマ娘を徹底的にマークする戦法を得意とするライスシャワー。標的となったのはメジロマックイーンだった。それでも揺るがぬ精神をもって対処しようとするマックイーンだが、ライスシャワーの圧が許さない。わずかにペースを乱されていた。
ライスシャワーの隣を走るトウカイテイオーも同じである。むしろ、メジロマックイーンよりも近くにいる分彼女の方が圧を感じているだろう。
(不気味だ……静かに、だけど荒々しく。意識から外すことができない)
前にはメジロマックイーン、隣にはライスシャワー、後ろにはサクラバクシンオーと有力なウマ娘に包囲される形となっているトウカイテイオー。着実に彼女の精神を蝕んでいく。ただ、トウカイテイオーには矜持がある。皇帝を超えるウマ娘になるという目標のためにも、この春天は勝っておきたいレースの1つだ。
特に、トウカイテイオーは前回の春天でメジロマックイーンの前に敗れている。最も悔しいレースとして挙げており、打倒メジロマックイーンに向けて闘志を燃やしていた。
(バクシンオーは……ボク達と同じ位置でレースをすると思ったけど意外だね。ライスをマークしてるのかな?)
後ろをチラリと見ると、サクラバクシンオーの姿が確認できる。基本的に逃げるウマ娘を見る形、メジロマックイーンの位置にいることが多い彼女が、今回はマーク戦法を使ってきた。
トウカイテイオーは自分を落ち着かせる。
(今回は勝たせてもらうよマックイーン。それにライスも、バクシンオーも)
「ボクがまとめて相手をする……絶対は、ボクだ」
何とか気持ちを奮い立たせ、落ち着かせるように呟くトウカイテイオー。まもなく第1コーナーに入ろうとしていた。
ライスシャワーの胸の内にあるのは春天を絶対に勝つという強い意志。誰が相手であっても関係ない、自分こそが一番強いのだというプライドをもって臨んでいた。
(テイオーさんは隣、バクシンオーさんは後ろだけど……問題はない。
目の前にいるメジロマックイーン。彼女を睨みつけるライスシャワー。
(春の天皇賞を二連覇した現役最強のステイヤー。ライスと同じ、ステイヤータイプのウマ娘)
時に退屈なレースとも言われるほどの強さを誇る彼女に勝つ。今の自分ならばそれができると確信しているライスシャワー。
春の天皇賞に至るまで、悔しい思いを積み重ねてきた。同世代の最強ウマ娘、サクラバクシンオーに対する憧憬。彼女に負け続けてきたレース、絶対の自信が揺らいでしまった菊花賞。トレーナーであるお兄さまと一緒に舐めた苦汁を、ライスシャワーは片時も忘れることはなかった。
だからこそトレーニングを重ねた。誰よりもキツいトレーニングを課してきたとライスシャワーは自負している。誰を相手にしても負けないように、誰が相手でも勝てるように……なにより、サクラバクシンオーに勝つために。
(ずっとずっと負けちゃって、悔しい思いをしてきた。もう負けないために、トレーニングだっていっぱい積んできた)
「だからっ!」
この天皇賞を勝って全てを払拭する。そして、自分のファンに祝福を届けるのだ。
「ついてくついてく……っ」
3番手でレースを進めるライスシャワー。ポジション争いは落ち着き、それに伴ってペースも落ちてきていた。