令和のジャックザリッパー   作:佐倉シキ

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毒入りの林檎パイ 下

 

 

 

カフェ「スノーホワイト」の店内は、先ほどまでの穏やかな空気を失い、異様な静寂に包まれていた。

木製のテーブルやチェア、そして壁に飾られたりんごのモチーフが、どこか物悲しげに映る。店内に漂うアップルパイの芳しい匂いが、かえって異様さを引き立てるかのようだった。

甘い香りが漂う中、田所の身体は冷たく硬直し、床に無造作に横たわっている。倒れた彼女の顔は、苦悶の表情を浮かべたまま凍りついていた。虚ろな瞳は天井を見つめたまま何も映さない。周囲の温かな雰囲気とは対照的に、彼女の存在だけが異質で、現実感を欠いたように感じられる。

 

「た、田所さん!!?」

「どうしたの!?」

「動くな!!」

 

慌てて駆け寄ろうとした永田達を見て世良が大きな声を上げた。そしてそのまま脈を測ると「ダメだ、死んでる」と言う。

 

「青酸系の毒物かな?」

「じゃあさっきのアップルパイか?」

 

コナンはすぐにテーブルの上のアップルパイを確認する。するとやはり他の皆も自分のアップルパイを食べてしまっていた。

 

「ちょっと待ってよ嘘でしょ!?そのアップルパイに毒が入ってたの!?」

 

顔を青褪めさせた園子が自分の前に置いてあった皿を引っ掴むと「私もう食べちゃったんだけど!?」と焦ったように言う。

 

「嘘ー!?やだー!!私死ぬのーッ!?」

「どうしよう、私も食べちゃったよ」

「いや、大丈夫だろう」

 

慌てふためく2人に世良が微笑みながら声をかける。

 

「同じタイミングに食べて田所さんだけが死んじゃったって事は、多分彼女のアップルパイにだけ毒が盛られていたんだ」

「みんなのやつに毒が盛られてたんなら、もうみんな死んじゃってるだろうしね」

「あ、それもそっか」

 

安心した園子は「良かったー」とそのまま椅子に崩れ落ちる。

 

「そうだ、蘭君。警察を呼んでくれ、後一応救急車も」

「うん、分かった」

「それにしてもやってくれたよな。ボク達の目の前で堂々と人を殺すなんて。ジャックザマーダーの仕業か?」

「いや、違うよ」

 

コナンは辺りの様子を探りながら答える。

 

「証拠のカードがない」

「カード?ああ!パーティーの時のやつか!」

「ジャックザマーダーの殺人現場なら必ずそれがある。でもここにはそんなものはない。田所さんのワンピースは見た感じポケットもなさそうだし、その中に忍ばせてるってこともないと思うよ。つまり」

「ジャックとは無関係の殺人ってわけか……」

「うん。それもこの中の誰かが殺したんだ」

「りんごに毒を盛って殺した、白雪姫の女王みたいに悪辣な奴がこの中にいるって事か」

 

お誂え向きにも容疑者は全員女だ。

絶対犯人を突き止める。2人が推理を始めると同時にパトカーのサイレンが近づいてきて、見慣れた面々がドアを開けて降りてきた。目暮警部達だ。目暮警部はコナン達の顔を見ると“また君達か”と言わんばかりに呆れたような顔をした。

 

「それで、このアップルパイに毒が盛られていたのかね?」

「しかし、一体いつ毒を盛ったのか」

 

アップルパイを持ってきたのは永田、それを店員に渡したのは宮村だ。預かっていたのは店員の女性望月綾子である。望月が途中までは切っていたが、途中でクレーム対応の為に中断。痺れを切らした木村が最後のカットを行い、テーブルに並べた。

 

「じゃあ毒を仕込めたのはこの4人か」

「ただ問題はどうやって田所さん1人を殺したのかと言うところだね」

 

アップルパイ全体に毒を仕込めば皆が死ぬ。一体どうやって1人をピンポイントで狙い仕留めたと言うのだろうか。

 

「店員さんは普通に8等分に切ったんだよな?」

「いえ、途中で他のお客様に呼ばれてしまったので6切れ分しか切れてなかったんです」

「そいつがモタモタしてるから私が残りを切って持っていったのよ、でも別に変な事はしてないわよ。アンタだってカウンターから私のこと見えてたでしょう?」

「ええ、まあ……普通に切っていたと思いますけど」

「まあとにかくこれから残ったアップルパイや紅茶などを捜査しますので、みなさん暫くはこのカフェで待機してください。後ほど身体検査も行います」

 

鑑識の人達が捜査をするのをコナンは見つめる。少しして、アップルパイから毒物が検出されたと報告が入った。それも田所のアップルパイのみからだ。

 

「じゃあ誰でもいいから1人を殺そうとした無差別犯罪とかではなく田所さん1人を狙った犯罪なんだ」

「ふーん、それならソイツがさっき言ってた通りジャックザマーダーの犯罪なんじゃないの?」

「ジャックザマーダー?なんであの殺人鬼の名前が出てくるんだ?」

「さっき自分で言ってたのよ、私は人を殺したって殺人鬼にメッセージを送ったって。だから殺されたんでしょ?遠回しの自殺じゃん」

「いや、これはアル……ジャックの殺人現場ではないぞ」

「なんで分かんの?」

「我々警察は奴の殺人現場を何回も見ていますからな。そうかそうでないかは見ればわかる」

 

目暮は木村にそう説明しつつ、それよりも田所が人を殺したと言うのはどう言うことかと尋ねる。木村がバカにしたような顔で「悲劇のヒロインぶってただけよ」と笑うのを永田が咎めつつ、彼女が説明してくれた。

 

「半年ほど前の事でした」

 

と、語り出す。

それは、夕方の出来事だった。田所が静かな道を歩いていたとき、どこからともなくボールが転がってきた。何気なく拾い上げると、すぐ近くにいた子供が「返して」と頼んできた。子供の無邪気な顔に微笑み、田所は軽く蹴ってボールを返したのだが、その瞬間、思いがけない突風が吹き、ボールはあっという間に道路へと飛び出してしまった。

その後のことは、ずっと彼女の脳裏に鮮明に焼きついていたらしい。子供はボールを追いかけ、無謀にも道路へ飛び出してしまったのだ。次の瞬間、スポーツカーが猛スピードで現れ、容赦なく子供を跳ね飛ばした。耳をつんざくようなタイヤの音と共に、子供の小さな身体が宙を舞い、無残に地面に叩きつけられた。地面に転がったその姿は、元の形を失ったかのようにぐちゃぐちゃになり、命が一瞬で奪われたことが明らかだった。

その後、現場に駆けつけた母親は、血相を変えて田所を責め立てた。だが当然、田所は何も悪くない。いくら警察に自分のせいだと説明しても罪に問われる事はなく、裁判も発生しない。だが、法律が彼女を許したとしても、彼女自身の心はそれを受け入れることができなかった。子供の無邪気な笑顔、母親の悲痛な叫び声、それらがずっと彼女の中に生々しく残り続け、彼女を苛み続けていたらしい。

 

「なるほど、ね。となるとその母親が復讐にと言う可能性もなくはないが……」

「今確認してもらったんですが、その母親はすぐに引っ越してしまっているようですし、そもそもここにいる誰とも年齢が合わないです」

「それもそっか。となるとその件も殺人鬼の件もマジで関係ない無関係な動機か?」

 

コナンと世良が考えを深める後ろですんすんと誰かが啜り泣く声が聞こえた。振り向くと蘭が泣いていた。その背中を園子が摩っている。「どうしたの、蘭姉ちゃん」と、コナンは思わず心配そうに声をかけた。

 

「だって、酷いじゃない。ずっとずっと、悩んで悩んで…傷ついて生きてきた繊細な人だったのよ。悪くないのに、不運だっただけなのに、自分を責め続けて……ようやくこれから前を向いて歩き出そうと考えてたのにこんな事になるなんて……ッ」

「蘭……」

「どうして…ッ、どうして、こんな悲しい事が起きちゃうのかなぁ……」

 

 

どこまでも不運だった田所を思い泣く蘭を見て、コナンはこの事件を絶対に解決すると決意を改めてした。問題はどうやって田所にだけ毒入りのアップルパイを取らせたかと言う事だ。

 

「田所さん、あの時わざわざ奥にあったアップルパイを手に取ったよな」

「うん、おかしいとは思ったんだよ」

「大きさも形も、どれも同じに見えたけど……田所さんにだけは違うように見せかける何かがあったのか?」

 

2人は頭を悩ませる。

何かヒントはないかと店内をうろうろしていたコナンは、かちゃんという小さな音が聞こえて振り向いた。カウンターの手前にボールペンが落ちているのだ。レジの締め作業をしていた店員の望月が落としてしまったのだろう。だが彼女は気づいていない様子だったので、コナンはそれを拾い、カウンターにいる望月に渡した。

 

「ん……?」

 

ふと、カウンターに並ぶ商品に目を留める。コナン達が食べたのと同じアップルパイのホールが残っていた。そして値札の隣にあるアレルギー表示を見てコナンは閃いた。そしてそれを見てやってきた世良もまた、ある事に気がついた。

 

「今、ボクも君と同じことを思いついたよ」

「問題はどっちがやったのかって事だけど」

「多分あの人だ」

「ああ」

 

コナンは永田に確認を取り、己の推理が間違ってない事を確信する。後は証拠が必要だ。

 

「ではまた後日、4人には事情聴取を受けていただくので」

「ええ……」

「分かりました」

「長かったわー」

 

と、3人がくたびれた様子で言うのを見てコナンは目を光らせた。容疑者の女は腕時計を見た後、何かに気がついたように驚いた顔をした。そして彼女はそれを隠すようにすぐさまその手をポケットに突っ込む、そうして次に手を出した時には指にあったはずのものがなくなっていた。

 

「あれが証拠になりそうだね」

 

世良は勝利を確信した顔で不敵に笑うと、解散になりそうな3人を呼び止めた。3人は怪訝な顔をして入り口の前で足を止める。コナンは彼女が容疑者達を呼び止めている間に望月にあることを依頼しておいた。

 

「帰ったらダメだよ。折角の決定的な証拠を犯人が示してくれたのに、それが台無しになっちゃうからな」

「決定的な証拠って……まさか君、犯人が分かったのかね!?」

「そうだよ。だから今から犯人がどうやって田所さんに毒林檎を食べさせたのか、教えてあげるよ」

「どうやったんだね?」

「簡単だよ!」

 

目暮の疑問にコナンが答える。

 

「田所さんなら絶対これを取るって犯人には分かってたんだ」

「だからそれを聞いてるんだよコナン君」

「望月さん!頼んであった奴準備できた?」

「うん」

 

返事と共にテーブルの上にアップルパイが8切れ設置される。とっくに温かさを失ったパイ生地は、サクサクとした質感を感じさせてはいるが、冷めたことでその輝きが少しだけ鈍くなっている。パイの上には細く刻まれたアーモンドが少量散りばめられ、ほのかな香ばしさが漂う。

 

「普通に美味そうなアップルパイにしか見えんが」

「よく見てくれ、違いがあるだろう?」

「う〜ん……」

 

アップルパイをじっと見つめていた目暮はある事に気がつき「ああ!」と声を上げた。そうして一切れのアップルパイを掴み取る。

 

「これだけアーモンドが乗ってないぞ!」

「そう言う事だ。ボク達がパッと見ただけじゃ気がつかないけれど、普段からアーモンドに気をつけている人間なら真っ先にそれに気がつくだろうさ」

「アーモンドに気をつけている?」

「アレルギーさ」

 

世良がそういうと、永田がそれに思い至り田所には確かにアーモンドのアレルギーがあったと説明する。田所はアーモンドを食べると口の中がピリピリするからと普段から避けていたのだ。そうやって普段から気にかけている食べ物だからこそ、テーブルに置かれていくパイの上にあるアーモンドの存在に気がついた。また、アーモンドが乗っていないパイがある事にも気がついた。乗っていないものがあるのならば、当然それを取る。だからあの時田所は自分から1番離れた奥にあるアップルパイを取ったのだ。

 

そしてこの時点で犯人候補は2人に絞られる。

 

「カットする前にアップルパイを持っていた永田さんと宮村さんには無理だな。ホールのアップルパイには均等にアーモンドが振り分けられていた」

「それに誰がどうやってカットするかわからないのに毒を振りかけるのはリスクが高すぎる」

「下手したらどこに毒があるのかわからなくて自分が死んじゃう事になるかもしれないからな」

「つまりカットした人間、望月さんか木村さんのどちらかって事になるんだ」

 

2人はギョッとした顔をする。当然だが即座に否定をする。木村は「私じゃないわよ!じゃあコイツじゃん!アンタが田所に毒を盛ったんだ!」と望月に食ってかかり、望月は初対面の人間を殺す動機がないと否定する。そもそもたかが店員である望月が田所のアレルギーを認知していると言う事自体無理がある。この時点で皆犯人の存在に勘付いていた。

 

「もう皆分かってると思うけど、あえて言うよ。田所さんに毒林檎を食べさせて永遠の眠りにつかせた最低な女はアンタだよ、木村さん!」

 

世良がまっすぐ指を差せば木村は大きく顔を顰める。

 

「望月さんがクレーム対応に追われているのをいい事にアンタはカットの役目を変わった。元々どっかで難癖つけて変わるつもりだったんだろうさ。それか配る時にでもアーモンドを減らすつもりだったのかも。アレルギーの事を説明すれば何も不自然ではないからな。

それでアーモンドのないパイにだけ毒を振りかけ、盛って行ったんだ」

「そんな不自然な事したらバレるでしょ?隣にはその店員がいたのよ!おい!私何も不自然なことはしてなかったでしょ?」

「ええ、特には……」

「ちょっと粉かけるくらい体で隠せばいいだろう。それにパイにはパウダーシュガーがかかってる。何かあっても手についた粉を払ってるのかなって思って終わりさ」

「あんたもあんたでうッざいわね!証拠がないじゃない証拠が!それなのに人を犯人扱いしやがって!そう言うのなんて言うか知ってる!?侮辱罪よ侮辱罪!」

「あれれ〜?」

 

息を荒げて怒る木村をコナンの声が遮る。

 

「木村さん、あの綺麗な指輪はどこに行ったの?」

 

木村は咄嗟に指を隠した。

 

「指輪?」

「してたじゃないか、何個も。左手には似たようなものが残ってるけど右手のはどこにやったんだよ?」

「べ、別に……カットする時に邪魔だから外しただけよ」

「じゃあなんで戻さないんだ?もう問題ないだろう?」

「失くしたのよ、カットの時近くに置いといてそのまま……」

「嘘に嘘を重ねると、どんどんボロが出てくるな。残念だけどボクはアンタがさっき指輪を外したところを見てたんだよ」

 

木村は息を呑み、後退る。

 

「隠した理由は簡単だ。その派手なブロンズの指輪の隙間にでも残っていた青酸カリの存在に気がついたか、毒を盛った後に手を洗った事で酸化還元反応が起きて一部がピカピカになっちゃってたかのどっちかだろう?」

「まだポケットの中にあるんじゃない?その指輪」

 

コナンの言葉を聞き、高木がポケットの中身を出してくださいと言う。すると木村はわなわなと震え出した。そして、

 

「ええそうよ、私が殺したのよ!」

 

と、自白する。

 

「なんでそんな事を……」

「ひょっとして半年前の事故の事か?亡くなった子の知り合いだったとか?」

「でもあれは田所さんは悪くないじゃない」

「そうよ、半年前のあの事故のせいで、本当に最悪の気分なのよッ!ずっとずっと、ずっとね!」

 

木村は乱暴に髪を乱すと、まだ苛立った様子で喚く。

 

「あのクソガキが飛び出してきたせいで私のスポーツカーが台無しになったんだから!!」

 

は──

 

皆がポカンとした。思っていたのとは全く違う方向性のセリフが彼女の口から飛び出してきたのだ。

 

「あのバカどものせいで私はいきなり人殺しよ!いつ捕まるのかって気が気がじゃなかったわ!でもあのバカが自責を感じているうちは良かったの、轢き殺した車のことなんて考えてなかったから。一生あのままウジウジとしてくれてれば良かったのに、アイツ立ち直ろうとしてんだもん!」

「まさか、それで殺したのか?轢き殺したのが自分だって気付かれて、それを証言されたら困るから」

「当たり前でしょ!つかシンプルにムカつくのよ!ジャックザマーダーにキモい手紙とか出しやがって、バレて私が殺されたらどうすんだっつの……」

「アンタ……とんでもない自己中だな……ここまでの奴は流石に初めてだぞ……」

「そのお話につきましても、署で詳しくお聞かせ頂きますので」

 

そう言って目暮が彼女に手錠をかけようとした時だった。木村は「捕まってたまるかッ!!」と叫ぶとポケットの中にある数個の指輪を目暮へと思い切り投げつけた。不運にも眼球に当たってしまった目暮が思わず膝をついた隙に木村は身を翻して店外へと逃げて行った。

 

「逃がすかよッ」

 

駆け出す世良に続いてコナンも走り出したその時、視界にカウンターが写り込む。そしてその奥のスタッフルーム、従業員用の出入り口が空いている。望月が、どこにもいない。

 

(やべぇ──ッ)

 

コナンが外に出た時には木村が路上に停めてあったバイクに飛び乗り、走り去っていた。エンジンの音が鋭く響き、瞬く間に住宅街の奥へと消えていった。世良はそれを見逃すまいと、自らのバイクに急ぎ跨がる。

 

「コナン君ッ!」

 

ヘルメットを受け取り急ぎ装着したコナンが背中に乗ったのを確認すると、エンジンをかけスロットルを全開にして追いかける。が、木村はもう遥か遠くだ。

必死に加速し、曲がり角をいくつも曲がりながら追跡を続けた。しかし、木村が遮断機が降りている踏切を無理矢理通過したことで、完全に撒かれてしまった。電車が眼前を通り過ぎていくのを為す術もなく待つ事しかできない。

 

「クソッ……あの女ッ!」

 

遮断機が上がった後も辺りを回ってみたが、見当たらない。まさかまさかの犯人を取り逃がすと言う失態に2人は悔しさで歯を強く噛み締めた。その時だった。

 

ガチャン。

 

遠くでバイクが倒れるような音がした。2人は目を合わせ、即座にそちらへと向かう。細い道に入り、バイクを止めて走れば1分と経たないうちにそこに辿り着いた。

 

「Grant them eternal rest, O Lord,and may everlasting light shine upon them.Amen.」

 

寂れた住宅街の裏道に冷たい風が吹き抜ける中、首を切られた木村の死体が無造作に横たわっていた。やっぱり先を越されたかとコナンは舌を打つ。

血はアスファルトの上に広がり、降り始めた雨で滲み始める。そのすぐそばに、カフェ店員の制服を着たおかっぱの女性が佇んでいた。望月だ。垂れ目の瞳は無表情に、足元の無惨な光景を見つめている。

 

「お前、まさかジャックザマーダーか」

 

世良が目を見開き、警戒の色を露わにする。

 

「初めまして……ではありませんでしたね。いつぞやのパーティーでお目にかかったはず。こんにちは世良真純、それと名探偵」

 

ジャックは恭しく頭を下げる。と、彼が顔を上げた瞬間に世良は不意打ちで目潰しを仕掛けた。だがそれは指を絡めて受け止められ、逆に腕を捻られてコナンの元へと放られる。

 

「クソッ、お前超強いな?」

「人並み以上には」

「ムカつく奴だ」

 

投げ飛ばされた世良の前にコナンが立ち、ジャックを睨みつけながら話しかける。

 

「解決した事件の犯人は殺さないんじゃなかったのか?」

「逃げられてしまえばそれは未解決と同義でしょう」

「逃げられてねぇよ、追いつけた」

「順番を間違えてはいけません。私が殺したから貴方達はこの女に追いつけたのです」

 

コナンは舌打ちを一つする。そして気になっていた事を質問した。

 

「なぁお前、あの暗号を読んだから田所さんの所にやってきていたのか?お前が人に花を送るとは驚いたよ」

「ああ、アレですか。私じゃないですよ。私が花を送るなんて、そんな事をする訳が無いじゃないですか。その話は今日初めて知りましたよ」

「やっぱりか、となるとそれも木村さんが仕込んだ罠か」

「ええ。最近私の名を騙るものが増えてきて、困ったものです。世間の報道が加熱して、私を信奉する愚物やヒーローのように扱う頓馬な輩まで現れる始末。本当に、困ったものです」

 

ジャックは心底困ったと言う様子でため息をつき、腕を組む。

 

「困った?そんなんお前がさっさと警察に捕まれば済む話だろう。本当はこの状況を楽しんでるんじゃないのか?犯罪者め」

「そう思われても仕方ないですね。……次は、模倣犯の事をもう少し惨たらしく殺害したら、愚かな行動を控えてもらえるのでしょうか?」

「お前に次はない、ここでボクが捕まえてやるからな」

「力不足です。貴方には無理だ」

「やってみなきゃ分からないだろう?前は気がつかなくて悔しかったんだ!必ず捕まえてやる!」

 

路地裏に緊張感が漂う中、世良が鋭い構えを取った。彼女の目は鋭く、相手を見据えたまま一気に間合いを詰める。だが、ジャックは冷静そのものだった。垂れ目の女の姿のまま、世良の攻撃を軽やかにいなすように身を翻し、一撃一撃を躱していく。

 

(一撃も決まらないッ、何で──いや、簡単な話だ。截拳道は速さが特徴、その速さでコイツはボクを完全に上回ってるんだ。だから当てられない)

 

世良は激しく打ち込みを続けるが、すべて空を切るか、手のひらで受け流される。逆に、彼女の腕や足を狙って返される反撃に次第に動きが乱れ始めた。その瞬間、ジャックは鋭い手刀で世良の防御を崩し、あっという間に彼女の身体を捉えた。次の瞬間、世良は空中に放り投げられ、無力に地面へと叩きつけられた。

 

「イッテェッ!」

 

息を切らし、痛みを感じながら地面に伏す世良を背にジャックは軽やかな動きでフェンスの上に飛び乗った。まるで身軽な獣のような身のこなしでフェンスに立ち上がり、2人を見下ろす。

 

「悲しいですね、この世界は」

「……何が?」

「善人ほど、酷い目に遭う。主はなぜこのような試練をお与えになるのか。田所梨花、良き人間でした。少し調べただけですが真っ当に生きる善人です。なぜあのような善人が死に、悪人がのさばっているのか、理解に苦しむ」

「お前だって悪人だろう」

「そうですよ。だから理解に苦しむ。我々悪人には何ら天罰は降らず、善人が割を食う、なんて悲しい世の中でしょう。私はそれが辛い、許せない」

「ふん、どの口が言ってんだよって感じだな!」

 

世良が身を起こし、口元についた砂を拭う。

 

「しかし貴方にも分かるでしょう?」

「分かんないね、人殺しの気持ちなんか!分かってたまるか!」

「人を殺したいと言う気持ちではありませんよ。世の為を思う善人が傷つく、この世の中に対する憤りです」

「はぁ?」

「世良真純、ご家族はお元気ですか?」

 

世良はその言葉を耳にした瞬間、まるで時間が止まったかのように動きを止めた。心臓が一瞬で跳ね上がり、「なんでそれを…」という疑念が脳裏を駆け巡る。口を開こうとするが、声が出ない。胸の奥がざわつき、次第に焦りと不安が押し寄せてきた。

動揺する世良の目が相手を捉え、冷静さを失っていく。

 

「お前ッ!何か知ってるのか!?」

「いいえ、何も。貴女以上の事は存じ上げませんよ」

 

世良がジャックを捕まえようと飛び掛かるも、ジャックは更に上へと飛び跳ねて行った。電柱の取手に手をかけると、低い屋根の上へと飛び移る。

 

「Weeping may endure for a night, but joy cometh in the morning.

いつかこの悲しみが晴れる日が来ると良いのですが。それではさようなら、御二方」

 

ジャックはそういうと身を翻して去って行った。コナンはその背を睨みつけていたが、投げ飛ばされた世良が心配なのでそちらに駆け寄る。

どうやら彼女は問題なさそうで、逃げられた事を非常に悔しがっていた。

 

「クッソー、次は絶対ボコボコにして全部吐かせてやるからなー!」

 

フェンスによじ登り、そうやって殺人鬼が去って行った方に叫ぶのだった。

 

 

 

 

 

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