令和のジャックザリッパー   作:佐倉シキ

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盈月の古戦場 起

 

 

 

蝉の声が降り注ぐように響いていた。

岐阜県関ヶ原の真夏の空は抜けるように青く、雲ひとつない。空気は湿り気を帯びて重く、風はときおり木立の隙間を縫うようにして吹き抜け、観光客たちの袖をわずかに揺らして通り過ぎていった。

 

遠くには緑濃い山々が幾重にも連なり、古戦場の風景に独特の重厚な気配を添えている。だが、陽光に照らされたその情景の中で、ひときわ異質な空気を纏う男がひとり、道を歩いていた。

 

スーツに身を包んだ男の顔には、濃い影が差していた。不満そうな様子を隠そうともせず、歯を強く食いしめながら、長い石畳の参道を一歩一歩踏みしめて進む。白い玉砂利が足元でジャリと控えめな音を立てる。男は周囲の景色に溶け込むように手入れされた小庭をすり抜けて、旅館の奥まった建物へと向かっていく。

 

彼の歩く先にあるのは、木造二階建ての和風旅館だった。黒塀にぐるりと囲まれ、どこか武家屋敷のような厳かな構えを見せている。季節の花が咲く庭、赤く塗られた欄干。軒下の風鈴が小さく鳴り、古き良き日本の趣を色濃く残していた。しかし館内に入れば、一転して静けさが支配していた。畳の香りと共に漂うのは、張り詰めた空気。すれ違う従業員たちは一様に頭を下げつつも、その表情にはどこか遠巻きな気配があり、まるで男の存在そのものが空間に重みを与えているかのようだった。

 

男はスーツの上着を脱がぬまま、無言で廊下を進んでいく。しっかりとした足音をわざと響かせるように歩きながら、眉間には深い皺を寄せていた。

案内されたのは、一般の客室ではなかった。中庭に面した離れ。元は茶室として使われていたらしい、質素ながらも上質な造りの小さな部屋だった。静かに引かれた障子の向こうには、枯山水の庭と簾越しに揺れる竹の葉。だが、その穏やかな景色とは裏腹に、そこに流れる空気は、鋭利な刃物のような緊張を孕んでいた。

 

ゆっくりと、だが荒々しく扉を開けて中へと入る男。その眼差しは、すでに部屋に腰を下ろしていた若い男を真っ直ぐに睨みつけていた。吐き捨てるような口調で放たれる言葉は、怒気を含んで容赦がない。

 

「こんなところに呼び出すとはどう言う要件だ!坂口!」

 

それに対する坂口は動じることなく、鋭い目で男を睨み返す。声は落ち着いていたが、その奥にある感情は明らかだった。

 

「杵島さん、あんたに話があったんだよ」

 

二人の視線が交差する。空気がみるみるうちに重く濃くなっていく。沈黙の時間は短かった。やがて、押し殺すことのできない怒声が茶室の中に響き渡り、続いて茶器が倒れる音、激しい動きに畳が軋む音が続いた。そのやり取りは、あまりにも唐突で、あまりにも短く、だがその分だけ激しく、何ひとつ和解の余地を残さないまま終わりを迎えた。

 

障子が激しく開け放たれた。怒気を込めた足取りで出てきた杵島は、顔をしかめ、すれ違った従業員を睨みつけるように一瞥し、言葉を発することなく、振り返りもせずに建物の出口へと歩き去っていく。

 

そして数分後のことだった。

 

旅館の女将に命じられ、離れの様子を見に向かった若い仲居が扉を開けた瞬間、そこで目にした光景に言葉を失った。畳の上に崩れ落ちた男の姿。胸に突き立てられた鋭利な刃。血を吸った白いシャツがじわりと赤く染まっている。

 

「きゃあああああっ!!」

 

仲居の悲鳴が館内に響き渡った。駆け寄ってきた数名の従業員たちが慌てて茶室へと向かう、その瞬間だった。

 

ドォンッ!!

 

地鳴りのような轟音と共に、離れの茶室が爆ぜた。炎が瞬く間に建物を包み、障子が破れ、焼けた木材が空中を舞う。瓦が吹き飛び、爆風に押された熱風と煙が庭先まで吹き荒れる。宿に満ちていた静寂は一瞬にして引き裂かれ、悲鳴と怒号があちこちから飛び交った。

慌てて逃げ出した従業員たちは、ただただ目の前で燃え盛る建物を呆然と見つめるしかなかった。赤く染まった空気の中、かつての風情は炎に喰われ、黒煙と共に消えゆこうとしている。

 

古き和の空間に、破壊が混ざり込んでいく。だがその混沌の中に、あの杵島康一郎の姿は、もはや見当たらなかった。

 

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 

そして、そこから数日後。夏の日差しが燦々と降り注ぐ中、そんな岐阜県のとある建物に、毛利小五郎達の姿があった。彼らが眺めていたのは、テレビ番組の収録風景だった。背景には歴史ある調度品や資料が並び、カメラのレンズがそれらを捉えている。

 

「それにしても驚いたわね」

 

蘭が隣に立つ和葉に半ば呆れたような、しかし楽しげな口調で語りかける。和葉は屈託のない笑顔を見せながら、軽く頷いて応えた。

 

「ほんまやなぁ」

 

明るい会話の輪の中には、元太、歩美、光彦、灰原の姿もあった。番組で取り上げられているのは関ヶ原の埋蔵金。歴史ロマンと謎に包まれた財宝の話題に、子供たちは目を輝かせていた。

 

「まさかお父さんがテレビに出るなんて」

 

蘭が素直な驚きの声を漏らすと、和葉もまた頷きながら、続けた。

 

「埋蔵金かぁ、ワクワクするなぁ」

「おじさん本当に見つけられるかなぁ?」

 

そう言ったのは歩美だった。彼女の疑問に、元太が勢いよく声をあげる。

 

「なぁなぁ!埋蔵金ってどれくらいなんだ!?」

「噂によると、一万両ほどあるらしいですよ!」

「それって鰻重何杯くらいだ!?」

「元太くん、何でもかんでも鰻重で考えないでくださいよ」

 

コナンは、そんなやり取りを横目に、はぁ……と小さく息をつきながら、計算するともなく頭の中で数字を巡らせる。一万両、現在の価値で言えばざっと10億から15億円ほど。高級店の鰻重が一杯5000円だと仮定すれば、15億円割る5000円で、300万杯。毎日1杯ずつ食べ続けたとしても、8200年以上かかる。

 

(埋蔵金、ねぇ……んなモン、あるわけねぇだろ……)

 

コナンは心の中でそう突っ込みながらも、肩の力を抜いて視線をテレビの収録に戻した。だが、どれほど荒唐無稽であろうとも、人はロマンに常に心を惹かれる不思議がある。それはいつの時代も、そして誰であっても、変わることはないのだ。

 

「まあ毛利のおっちゃんが見つけられんくても、オレが見つけたるけどな」

 

快活な声が、和やかに談笑する一同の背後から響いた。新たに加わったその声に、皆が振り返る。そこに立っていたのは、陽に焼けた肌に快活な笑みを浮かべる一人の高校生。西の高校生探偵、服部平次である。黒いTシャツの上に羽織った薄手のジャケットの裾を翻しながら、彼は片手に広げた観光パンフレットをひらひらと揺らして見せた。いかにも“自分こそが本命”と言わんばかりの自信に満ちた眼差しだった。

 

「呼ばれてもないのによぉ言うわ」

 

和葉が呆れたようにぼやくが、それに構うことなく、平次は自慢げに胸を張って言い返す。

 

「オレを呼ばない方がアホやねん、工藤は呼ばれたんやろ?」

 

問いかけるように視線を向けると、蘭が少し困ったように頷いた。

 

「うん、新一にメールが来てたんだけど、忙しいからって断っちゃったんだって」

「それで、その代わりがあのおっちゃんか」

 

平次は腕を組みながら、納得のいかぬ表情を浮かべてぼそりと呟いた。その視線の先では、舞台の中心で小五郎が得意げに喋っていた。工藤新一が来られないというなら、代わりは自分こそが適任のはず。平次の心にはそんな自負があった。だがその思いは叶わなかった。工藤は呼ばれたのに自分は呼ばれなかったという事実に少しばかり傷ついてもいた。

 

「関ヶ原の埋蔵金なんて、そんな面白そうなモン、オレだってやりたいに決まっとるやろ」

 

彼は小さく息を吐き、未練がましくそう呟いた。宝探しという少年の心をくすぐる魅力。歴史に根ざした伝説に、自らの推理力で挑むという名誉。それを逃す手はないと思っている。

 

「テレビ局の人たちの邪魔だけはしちゃあかんで」

 

和葉の声が控えめに飛ぶと、平次はわずかに表情を緩めて返した。

 

「分かっとるわ」

 

それだけを言って視線をテレビ収録の方向へ戻す。小五郎が少々空回りしているのはいつものことで、今回も例に漏れず、見栄えのする言葉を並べながら軽妙に語っていた。だが幸い、共演している芸人たちがうまくバランスを取って笑いに変えており、収録は無事に進行していた。

 

そして収録終了後は、現地の調査にあたっている学者たちとの会食が予定されていた。しかし、それまでにはまだ時間がある。そんな折、誰からともなく“古戦場記念館に行こう”という提案が出た。今回の伝説にまつわる展示が行われているとのことで、訪問にはうってつけの機会だった。

 

会場の周囲は、あたかも祭りのような賑わいを見せていた。埋蔵金の話題がメディアを通じて広がり、一般参加型の捜索イベントが行われていることで、地元も観光客も熱気を帯びていた。テレビで特集するのか有名人の姿もちらほらと見られ、どこか浮き立つような高揚感が街を包んでいた。

 

毛利小五郎を筆頭に、蘭やコナン、服部、和葉、少年探偵団の3人に灰原と阿笠博士の十人がバスを乗り継ぎ、記念館へと向かう。その建物は、現代的な装いの中にも家紋の装飾が散りばめられ、歴史の香りをさりげなく演出していた。

 

歩美、元太、光彦は、記念館の大きな看板を見るなり目を輝かせて駆け出そうとする。しかし、まだチケットを手にしていないことに気づくと、慌てて引き返し、後ろにいた阿笠博士のもとに駆け寄り、チケットを買ってくれと頼む。

 

「チケットが欲しいか?それならばクイズじゃ!」

 

にこにこ顔の博士が誇らしげに言い放つと、子供たちは一斉に「えぇ〜、またですかぁ?」「またなのぉ」「またかよぉ」とそれぞれ呆れたように声を上げた。目に見えてやる気をなくす3人に対し、博士は態とらしく咳払いをすると楽しげな様子で続けた。

 

「ギター、ベース、ドラムの3人で構成された関ヶ原のバンドグループ。そこに所属している武将は一体誰じゃ?1、小早川秀秋。2、石田三成。3、徳川家康。4、毛利輝元」

 

唐突に放たれた、歴史と音楽を無理やり融合させたような謎かけに、子供たちは頭を抱える。

 

「ええ……分からないよ」

「家康くらいしか聞いたことねぇぞ」

「やっぱり徳川家康じゃないですか?幕府を築いたすごい人ですし!多才だったのかもしれませんよ!」

 

と、各自が口々に答えを述べる中で、やや離れたところで冷ややかな目をしていた灰原哀が、ふっと肩をすくめながら答える。

 

「答えは2、石田三成。でしょ?」

 

冷静に、そしてあっさりと。その言葉に、コナンが横から補足を加える。

 

「ギター、ベース、ドラムの3人で構成されるバンドはスリーピースバンドって呼ばれるんだよ。んで、そう言うのは基本ロックバンド」

「ロックのスリーピース。石が三つで石田三成」

「“石が三つなり”で、石田三成ってか?」

 

コナン達の解説に博士はぐうの音も出ず、目を丸くしながら答える。

 

「せ、正解じゃ」

「んだよ、またダジャレクイズじゃねぇかよ」

「もっと面白いクイズ出してくださいよ!」

 

元太と光彦が口を揃えて抗議する中、博士は肩を落としながらも、チケットを購入して子供たちに渡した。

そんなやりとりの中、館の前方から突然、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。順番に館内へと足を踏み入れる背中を見送っていたコナンと服部は遠くから迫るその音に、ただならぬ気配を感じて同時に足を止めた。

 

「なんや、事件かいな」

「かもな。パトカーがたくさん……」

 

暫し足を止め、緊迫した空気に耳を澄ませていた一行の前を、一台の救急車が静かに発進していった。赤色灯の残光を引きずるようにして、車体は記念館前の坂道をゆっくりと下っていく。その光景に、誰ともなく察した。

 

「誰も乗せずに帰って行くって事は、亡くなってたのか」

 

低く呟いたのはコナンだった。彼の視線は、遠ざかる救急車の後部扉に注がれている。感情の色を抑えた声音だったが、その奥には鋭い推察が込められていた。

 

「救急隊員は遺体に触ることが許されてへんからな。管轄外やし」

 

服部が続けた言葉は事実を淡々と告げていたが、どこか重い響きを伴っていた。人の命が既に失われているという現実、それが言外に染み出している。

 

コナンは無言でその様子を見つめていたが、ほどなく何かを察知したように目を細めた。彼の視線の先、記念館の入口へと吸い込まれるようにして数人の警察官が駆け込んでいく。制服の左肩に見覚えのある徽章、岐阜県警の文字が刻まれていた。間違いない。これは事故などではない。事件だ。

 

(やっぱり……)

 

確信めいた思いが頭の中で形を持ち始めたその時、記念館の大きな扉が開かれ、数人の見学者たちが外へと押し出されるようにして出てきた。誰もが何かを恐れるような表情をしていた。ざわめきの波が広がる中で、コナンの目はひときわ強く一点を射抜いた。

 

「ッ!?」

 

その中に、異質な気配を放つひとりの男がいた。

 

(なんでアイツがここにッ、まさかッ!?)

 

黒い服の裾が風に揺れる。顔の半分を隠すように覆う黒いマスク。だが、その黒衣とは対照的な銀の髪と赤いアンダーリムの眼鏡が、彼の素性を隠しきれていなかった。そして、決して忘れられない牡丹の花弁を思わせる、深い紅の瞳。彼がお気に入りだと言っていた謎の男の顔。

 

(殺人鬼アルシエル!)

 

またの名を、令和のジャックザリッパーこと、ジャックザマーダー。コナンは即座に走り出した。本能が警鐘を鳴らしている。見逃すわけにはいかない。

 

「おいどないしてん!?」

 

突如走り出したコナンの背中を見て、平次が驚きと焦りを込めて叫ぶ。だが、その声が届いていても返事すらせずコナンは人波を縫って駐車場方面へと駆け抜けていた。荒れた足取りと揺れる視界の先、男の黒い背が遠ざかっていく。

 

そして追いかけたその先で、コナンの足はぴたりと止まった。駐車場の一角には風が吹き抜け、停められた車たちが静寂を守っているだけだった。黒衣の男の姿は、すでにどこにもなかった。

 

「なんや、急に走り出して?」

 

少し遅れて追いついた平次が、息を整えながら問いかけた。だが、その声に答えたコナンの顔には、どこか焦燥と警戒を滲ませた険しい色があった。

 

「いたんだよ。こういう平和な祭りの場にはそぐわない、血に塗れた野郎がな」

 

短く言い放ったその声音は低く、鋼のように硬い。

 

「はぁ?誰のことや」

 

困惑を隠せない様子の平次に、コナンは真剣な眼差しで答えた。

 

「殺人犯だけを殺す殺人鬼、ジャックザマーダー。またの名を、アルシエル」

「ほんまか!?」

「……ああ、見間違えるはずもねぇ」

 

即答するその声に、一片の迷いもない。コナンの瞳はすでに探偵のそれとして研ぎ澄まされていた。

 

「……なんや、この宝探し、ただでは終わらんかもしれんな」

 

平次は口の端をわずかに吊り上げ、手で帽子の鍔をぐるりとまわした。瞳に宿る光は挑戦的で、彼らしい反骨と熱意に満ちていた。

 

「会いたかったで、ジャックザマーダー。アイツの事は1発、ぶん殴ってやらなきゃ気がすまないんや」

 

そう言い放った彼の笑みは、怒りとも闘志ともつかぬものだった。ふたりの高校生探偵は、そのまま記念館の敷地を後にし、事件現場へと足を向けた。背中からは、日常の輪郭がすでに消えつつあった。

 

だが、現場で得られた情報は決して多くはなかった。重苦しい空気が漂う警察の規制線の中で、捜査員の間を縫うようにして情報を集めた結果、浮かび上がってきたのは一つの事実だけだった。

 

被害者は、埋蔵金伝説の調査を担当していた学者グループの一人。その遺体は、鋭利な刃物によって首を深く切り裂かれていた。いや、深くどころではない。それどころか、首が切り落とされてしまっていたのだ。当然、即死である。

 

だが、それ以上の有力な情報は手に入らず、二人は悔しさを胸に記念館へと戻った。すでに他の8人は館内の見学を終えていたようで、入り口付近で出迎える彼らの視線には、呆れにも似た色があった。

“またこいつらは……”そんな言葉を飲み込むような空気の中で、だがコナンと平次の胸中にあったのは、ただ一つ。“恐らく事件は、すでに始まっている”。その思いだけだった。顔に刻まれた静かな緊張と、瞳に宿る確信。彼らの意識はすでに、宝探しという仮面の下に潜む“本当の謎”に向けられていた。

 

 

 

 

*  *  *

 

 

 

その日の夜、柔らかな灯りに包まれた岐阜の山間に、静かに佇む一軒のホテルがあった。いや、ホテルと呼ぶにはあまりにも格式がありすぎた。建物全体はまるでかつての城郭の一部、名君の住まった本丸御殿のような厳かさと雅を湛え、入口には高貴な香りすら漂うような格調の高さがあった。

 

コナン達10人は、今回の埋蔵金探しの主催者である杵島グループの社長、杵島康一郎からの正式な招待を受けてその場所へと案内されていた。豪奢な門を潜り抜けた瞬間、誰もが無言になった。あかい柱に、緻密な蒔絵のような装飾が施された障子戸。壁に飾られている日本刀。まるで時代劇のセットのようでありながら、すべてが本物であることを物語る質感と重厚感。風が通り抜けるたび、庭の竹林がさらさらと音を立て、石畳を踏む足音が不思議と小さくなるように感じられた。

 

思わず一同は足を止め、ただただ口を開けてその光景に見入った。言葉を失うとは、まさにこの瞬間を指すのだろう。誰もがその豪華さに圧倒され、間抜けにさえ見えるほどぽかんと口を開いていた。

 

「……す、すげぇな……」

 

誰からともなく漏れた呟きが、静寂を破った。

 

そんな彼らを見ても、ホテルのスタッフたちは慣れきった様子で微笑み、何事もないかのように滑らかな動作で一同を食堂へと案内していった。

 

通されたのは、これまた目を見張るような広間だった。高い天井には金箔が施された欄間、左右には見事な屏風絵が並び、目の前のテーブルには鮮やかな懐石料理がずらりと並べられている。料理人の繊細な手仕事と心意気が感じられる器の数々に、思わず喉が鳴りそうになる。

 

その中心に立ち、にこやかに出迎えたのが杵島康一郎だった。黒々とした立派な口ひげを蓄え、丸眼鏡の奥には商人らしい明朗な光を湛えた瞳が輝いている。その姿は、どこか時代を遡ってきた豪商のようでもあった。

 

「良くぞいらしてくださいました!」

 

堂々とした声が広間に響く。話し始めた彼は、まるで旧知の客を迎えたかのような温かさと自信を持っていた。

 

「私が今回の埋蔵金探しを企画した杵島康一郎。そしてこちらは広報担当の松本篤志」

 

隣に控えていたのは、丁寧に整えられた髪と落ち着いたスーツを身に纏った男だった。静かな微笑を浮かべて一歩前に出ると、簡潔に挨拶を述べる。

 

「よろしくお願いします」

 

それに呼応するように、コナン達も丁寧に頭を下げた。

 

「おお、こちらこそ、よろしくおねがします」

 

小五郎はそう言いながら、軽く頭を下げた。そして、いよいよ本題に入る。杵島は、かすかに声の調子を改めて語り出した。

 

話は半年前へと遡る。学者である稲村浩二を中心とした研究グループが、ある日、とある“暗号”のような文書を発見したという。内容は、西軍に属していたある武将が、敗戦を確信した際、己や、仲間、家族の持つ財を一か所に隠し、それを後に取り戻すために記したものであるらしい。

 

その武将は、恐らく家の再興を夢見ていたのだろう。だが運命は非情で、彼は関ヶ原の戦で命を落とした。そのため、財宝のありかは誰にも知られぬまま、時代の流れの中に埋もれてしまった。

 

「そんでその稲村さんが発見した暗号っちゅうのがこれか」

 

服部が手にした一枚の写真を見つめながら呟いた。写し出されているのは、時代がかった筆致の和文を稲村が現代語に訳したものだという。しかし、ざっと目を通しただけでは、どの場所を指しているのか全く見当がつかない。

 

隣で覗き込んでいたコナンもまた、難しげに眉をひそめて首を傾げる。まるで答えなんてない、ただの詩のようだったのだ。

 

「他に資料はないんですか?」

 

問いかけた小五郎に対し、杵島がわずかに目を伏せて応じる。

 

「リーダーである稲村が全てを保管していたのですが……」

「ですが?」

 

問い返すコナの声に、杵島が重く口を開く。その声には、明らかに悼む色が滲んでいた。

 

「亡くなったんです」

 

その一言に、場の空気が少しだけ静まり返る。

 

「他の研究員達と共に自宅で会議をしていた時、火災にあってしまって、4人とも巻き込まれて焼死してしまい、資料も失われてしまったんです」

「それは、なんというか……お察ししますな」

 

小五郎が言葉を選びながら、しんみりとした声で応じる。悲劇の重みが、部屋の豪華さを一瞬で色あせさせる。

 

「ですが、我々としましても仲間の遺志を継ぎたい。焼け焦げた部屋で唯一見つかった資料がそれなんです」

 

だからこそ、暗号は一般に公開されたのだ。彼らの志を継ぎ、埋蔵金を世に出す。その一心で。杵島の瞳には、そんな思いが静かに宿っていた。

 

グループの構成は、全部で13名。リーダーの稲村浩二を筆頭に、大西英樹、原雄次、酒井浩智の4名が火災で命を落とした。そして残るのは杵島康一郎とその助手である松本篤志。さらに、杵島の会社に所属する4人の社員、菊池武司、佐々木孝一、石川洋、中野典子。研究者である奧隆弘、坂口翔也。そして、焼死した大西英樹の娘である大西桃花だ。桃花と書いてピンクと読むらしいが、本人が嫌がり、関係者は皆“ももか”と呼んでいるらしい。

そして、驚くべきことに火事に巻き込まれなかった9人のうち、4人までもが、また命を落としていたというのだ。

 

「ちょお待て、4人も亡くなっとるんか!?」

 

服部の驚きが爆ぜる。眉を吊り上げ、まるで信じられないとでも言うように。

 

「ええ。事件に巻き込まれて……」

「ねぇ、そのうちの1人って、ひょっとして今日亡くなった人じゃない?首を切られたって」

 

コナンの言葉に、松本が小さく目を見開く。だがその反応は、驚きではなく納得を帯びたものだった。

 

「よく知ってるね。ひょっとして、事件現場に居合わせた?」

 

やはり、あの事件の被害者だったのだ。コナンと平次は互いに無言で目を合わせ、深く息をついた。あの場所で見た、ジャックの黒い影。杵島はそれら4人の死を“埋蔵金を巡る殺害”と解釈しているようだったが、2人の胸には、それだけでは割り切れない何かが確かに燻っていた。そう、これはきっと、もっと深い闇を孕んでいる。

 

 

 

 

 

 

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