「とは言っても、大抵のものは燃えちゃったから、あまり大した事は言えないんだけど」
少しばかり照れたように、晶は頬を指先でかきながら笑った。その動作はどこか柔らかく、力の抜けた雰囲気が場の緊張を緩めていた。
ようやくコナンにも、先ほどまで蘭と和葉が見せていた“憧れ”の正体が腑に落ちた。なるほど、これはいわゆる“女子校の王子様”と称されるような存在への憧れだ。凛としていて、優しく、けれどどこかミステリアスな雰囲気を持ち合わせている。そんな空気を自然に纏っているからこそ、蘭たちは惹かれていたのだろう。気持ちを切り替えたコナンは、穏やかな声で口を開いた。
「ねぇ、調査班の人達はみんな仲が良かったの?」
問いかけには詮索の気配を滲ませず、しかし探偵としての鋭い視線を決して隠すことはなかった。
「良かったよ。よく飲み会をしていたし、父さんからも仕事の話は頻繁に聞いたからね」
晶は迷うことなく答えた。回想するように穏やかに目を伏せ、遠くを思うような仕草で続けたその声には、確かな信頼と愛情が滲んでいた。
「例えば、誰かがお金に困ってたとかはある?」
コナンがさらに一歩踏み込むように尋ねる。核心へと繋がる糸口を探すような問いに対し、晶は小さく息を吐いて考え込む。
「強いて言えば皆かな?もっと資金があれば良いのにとは大体の人が言っていたよ」
「じゃあ火事の日の事を詳しく聞いても大丈夫?」
その質問は、まるでそっと傷口に触れるような慎重さを孕んでいた。少し様子を伺うような声音に、晶の眉が僅かに動いた。空気が一瞬、張り詰める。その微かな変化を感じ取った蘭が、慌てて言葉を添える。
「思い出したくないなら別に良いの、すごく嫌な事だろうし」
その優しさに、晶はふと微笑んだ。感謝を込めて小さく頷くと、静かな決意を宿した声で応じる。
「いや、良いよ。もしあの火災が事故でないのなら、僕もその真相は知りたいからね」
彼女の瞳には、過去と向き合う覚悟が宿っていた。真っ直ぐにそう言い切ったその言葉には、父を思う強い気持ちが感じられた。
その後、晶は火災の晩の父や他の調査員たちの様子を一つひとつ語ってくれた。コナンは時折うなずきながら、彼女の言葉の端々を記憶に刻み込む。しかし、話の中には特に不審な点は見られなかった。
しばらくして、ふと晶が思い出したように口を開いた。
「ああ、おかしいと言えばアレがあったな」
その一言に、コナンの目が鋭く光った。
「アレって?」
思わず身を乗り出すように尋ねると、晶は目を細めながら答えた。
「燃えた家に妙なものが残っていたんだよ。壁を削って残されたメッセージ」
言葉の重みに、空気が一変する。それは確実に、重要な手がかりだとコナンは直感した。
「メッセージって言っても、みんなでよく行ってた居酒屋の名前だったし、酔ってやっちゃったのかと思ったんだけど……君らがみたら何かわかるのかな?」
そう言って晶が首を傾げた時、コナンはすかさず声を上げた。
「それ!見せてもらえる!?」
逸る気持ちがそのまま声に出ていた。だが晶は軽く肩をすくめて言う。
「良いけど、もう暗いよ?明日にした方がいいんじゃない?」
言われてみれば、辺りはすっかり夜に染まり、風も一層ひんやりと感じられるようになっていた。街灯の明かりだけでは詳細な確認も難しい。
「それもそうだね」
蘭が言うと、四人は玄関へと向かった。晶が扉の鍵を回す音が静寂の中に響くと、夜の風が再び頬を撫でていった。
「う〜ん、夜風が気持ちええなぁ!」
少し重くなってしまった空気を切り替えるように、両腕を広げて空を仰いで和葉が言うと、晶が朗らかな声で返す。
「なかなか良いところだろう、岐阜も」
その言葉に、三人も自然と笑みを浮かべた。晶は鞄の中からメモ帳を取り出すと、手早く住所を書きつけ、一枚を破ってコナンに手渡した。
「燃えたのはこの場所だよ。明日の何時頃がいいかな?」
そう尋ねた晶に、蘭がちらりと和葉を見て言った。
「服部君に聞いた方がいいかな?」
「ええよ面倒くさいし、勝手にいなくなったのあっちやし知らん知らん!」
和葉は、やれやれと言わんばかりに手を振ってそう言った。その言い草に苦笑しつつ、晶が代わりに提案した。
「それじゃあ、そうだな……早くて申し訳ないけど朝の8時とかはどう?僕、明日は9時から部活があるんだ」
「大丈夫です!じゃあ明日の8時でお願いします」
約束が交わされ、場の雰囲気は自然と和やかなものとなる。
「それにしてもすまんなぁ、晶さん。なんや急に押しかけてしもうて、そっちかて身内亡くなって大変やったやろうに」
和葉が申し訳なさそうに言うと、晶はふわりとした笑みを浮かべた。
「いやいや、気にしなくていいよ。僕も君みたいに可愛い子と話せて楽しかったしね」
「可愛いて!照れるわ!」
和葉が顔を赤らめながら照れ隠しに声を上げたとき、晶が手を差し出し、「じゃあまた、よろしくね」と軽く握手しようとしたその瞬間だった。
「おうコラァ、何を軽々しく握手しようとしてんねん!」
怒気混じりの声が夜の静寂を破った。振り返れば、険しい顔をした服部平次が、いつの間にか彼らの元へと戻ってきていたのだ。服部は素早く和葉の手を引き、彼女の傍から晶を引き離した。少々荒々しく、それでいてどこか焦ったような、そんなぎこちなさが残る動きだった。和葉が驚いた表情で服部を見上げる中、服部は晶の方に向き直ると、まるで縄張りを侵された獣のように鋭い目つきで睨みつけた。
その一部始終を見ていたコナンは、ふと先ほど自分が晶を男と誤認していたときの記憶を思い出し、内心で苦笑する。そして今度は、あれと同じ過ちを服部がしていると確信し、その様子を面白そうにニヤニヤと眺めていた。
「なんや偉く気安いやんけ、誰やお前」
服部が吐き捨てるように言い放つと、晶はまったく動じる様子もなく、淡々とした声で返す。
「僕は稲村晶。君こそ誰かな」
言葉は柔らかだが、その口調には曖昧さがない。すっと伸びた背筋と落ち着いた目の動きが、言葉の端々に確固たる自信を宿していた。服部はほんの一瞬言葉に詰まったが、すぐに胸を張って名乗った。
「オレは服部平次や。お前も剣道やっとるんなら、名前くらいは聞いた事あるやろ」
勝ち気な笑みを浮かべて自信たっぷりに言うも、返ってきたのはあまりにあっさりとした否定だった。
「ないかな」
「なんやと!」
即答された服部はまるで殴られたような衝撃を受け、目を見開く。表情が悔しさに染まっていた。そんな彼をみて、晶は微笑を浮かべながら、言葉をつなぐ。
「それじゃあね、和葉ちゃん、蘭ちゃん達も。また明日。時間があれば一緒におしゃれなカフェとか行かないかい?」
冗談とも本気ともつかぬ軽やかな提案に、服部が一瞬で食ってかかった。
「何を気安くいっとんねん!和葉はお前なんかとカフェに行かんわ」
語気を強める彼に、晶は穏やかな笑みを崩さず問い返す。
「どうして君が決めるんだい?」
咄嗟に反論の言葉が思いつかず、服部は口をパクパクと開閉させながら、「はあ!?それは……アレや!ええやろ別に」と苦し紛れに応じた。その様子を見て、晶が確信を持ってからかっているのは誰の目にも明らかだった。
コナンは口元に手を当てながら笑いを堪え、蘭はどこか呆れ混じりの微笑を浮かべて服部を見守る。和葉はそんな服部の挙動に眉をひそめつつも、どこか嬉しそうでもあった。
「へぇ、君ってひょっとして、和葉ちゃんの彼氏さん?」
と晶が悪戯っぽく尋ねると、すぐさま二人の声が重なって返ってくる。
「「はぁ!?誰が誰の!?ぜ、全然そんなんと違うわ!!」」
ぴたりと揃った否定は、明らかに動揺を孕んでいた。それを見た晶が、「息ピッタリだね。ラブラブだ」とからかうように笑みを深める。照れながら否定する2人の呼吸の合い方に、むしろ周囲が言葉を失うほどだった。
「人のものを取ろうとするほど無粋じゃないよ、僕は。可愛いね」
晶のさらなる一言に、服部がすかさず反応する。
「はぁ!?人のものて、和葉は誰のもんでもないし、そもそもコイツのどこが可愛いねん」
完全に言葉に詰まって怒鳴り返したその直後、和葉が怒ったように声を上げる。
「なんやと!?平次!最後のは余計やろ!!」
「可愛いのは君もだよ、服部君。初々しくてこっちが照れちゃいそうだ」
あくまで柔らかく、さらりと付け加えられたその言葉に、服部は一瞬時が止まったような表情を見せた。
「ッ!?はぁ!?」
大きく見開かれた目、口を開けたまま言葉が出てこない。明らかに思考が停止している。
「気持ち悪い事いいなや!」
ようやく声を絞り出すも、その言葉には明確な戸惑いが滲んでいた。
「揶揄ってごめんね。僕は稲村晶、稲村浩二の娘だよ」
一転、凛とした口調で晶が名乗ると、服部は固まったまま呆然とする。
「は……娘……?」
ぽつりと呟いたその言葉は、脳内でようやく意味を整理し始めた証だった。そして次の瞬間、服部の視線が無遠慮に晶の胸元へと移動していた。それに気づいた和葉は、即座にその頭を小気味よく叩く。
「実は君のことは知っていたんだ。ごめんね、揶揄ったりして。服部平次くん。君は鬼丸沖田に次いで、剣が好きな人の間では有名だよ。もちろん知ってる」
晶が続けると、服部は明らかに態度を変えた。先ほどまでの攻撃性は鳴りを潜め、どこか照れくさそうな笑みを浮かべて答えた。
「そ、そうか……そらありがとうな」
その言葉を最後に、晶はひらりと踵を返す。そして服部の横を通りすがる時、少しだけ俯き気味に囁いた。
「大切なら大切だって早く伝えないと、無粋な奴に取られちゃうかもよ?」
不意に耳元に吹き込まれたその言葉に、服部は大袈裟なくらいに肩を跳ねさせた。
「はぁ!?大切ちゃうわ!」
照れて叫ぶように言い返したものの、晶はウインクを一つしてさっさと去っていってしまった。そしてその背中を見送る服部の頬が、ほんのりと赤く染まっていたのを、和葉は見逃さなかった。
「何ニヤニヤしとんの?さっきまでアホみたいな絡み方しとったくせに!」
声を荒げる和葉に、服部は慌てて顔を背けながら反論した。
「はあ!?ニヤニヤなんてしてへんわ!どこぞの女と比べてスマートな人やなって思っとっただけやし!」
「どこぞの女ってそれ誰のこと!?アタシのことちゃうやろな!」
「なんや自覚あるんか、そら何よりやわ」
「平次!!!」
怒りの声を上げる和葉が、勢いよく服部を追いかける。服部は慌てて逃げ出し、2人の影は夜の街に騒がしく駆けていく。
蘭とコナンは、その喧噪を背にしてゆっくりと歩き出す。そしてやがて静かにホテルへと到着した。ロビーに差し込む灯りの中、コナンはふと服部を見上げながら言った。
「ダッセェ勘違いして慌ててやんの」
「やかましいわ。どうせお前も似たような勘違いしたんやろ」
服部がムッとしながら言い返すと、コナンはにやりと笑って肩をすくめた。
「してねぇけど?世良みたいなもんかって1発で見抜いたし」
「ほー、そうなん。ほな本当のこと言わんとお前の正体が工藤新一やってみんなにチクるわ」
「全然全く気づいてなかった」
「世の中正直が1番やな」
そんな風に、軽口を交わしながら、2人は予約していた部屋へと並んで戻っていった。夜の静寂に包まれたホテルの廊下に、笑い混じりの足音が心地よく響いていた。
* * *
次の日の朝、山の端にまだ朝靄が残る静かな時間帯に、コナンと服部は早々に朝食を済ませ、晶に会うためホテルを出た。旅館の帳場にはまだ眠たげな仲居の姿がちらほらと見えるだけで、街はしんと静まり返っていた。澄んだ空気の中、靴音だけが石畳を叩いて小さく響く。
彼らに同行するのは、晶と、そして一応念のためとついてきた杵島とその部下たち。移動の車中、互いに多くを語らぬまま、目的地へと向かった。
やがて辿り着いた先は、山間の住宅地の外れにある、かつて家が建っていたはずの場所だった。しかしそこに建っていたはずの木造家屋は、今や黒焦げの廃墟と化しており、柱は炭と化し、屋根は跡形もない。瓦礫の隙間からは、火災でねじ曲がった釘や、崩れた梁の残骸が無惨に顔を覗かせていた。朝日が斜めに差し込む中、火の手から逃げきれなかった焦げた壁面が、痛ましくも静かに残されている。
「燃え方が派手やな。どこから出火したんや?」
火災現場を前に立ち尽くしながら、服部が低い声でつぶやいた。靴底が炭化した木片を踏みしめるたび、パキパキと小さな音がした。
「鍋をしていて、そのガスバーナーから火が出たんじゃないかって言われてるよ。みんな酔っ払ってたから逃げ遅れたんじゃないかって、警察の人は言っていたかな」
晶が語るその声はどこか落ち着いていたが、目には確かな痛みの色が宿っていた。彼女はゆっくりと焼け跡の中央あたりに足を運び、指先で黒ずんだ場所を示す。
「ここが、出火したであろう場所だよ」
コナンと服部は、その周辺を丹念に調べ始めた。だが、火の勢いは凄まじかったらしい。壁材や床材は完全に焼け落ちており、手がかりとなるようなものは、ほとんど残っていない。溶けた金属片や、黒く煤けたガラスの破片が、かろうじてかつての生活の名残を伝えるのみだった。
「それで、晶さん。そのメッセージっていうのはどれ?」
コナンが顔を上げて尋ねると、晶は静かに頷き、コナンのすぐ右側を指差した。
「ああ、君のすぐ右、棚の横だよ」
言われた場所に視線を移すと、焦げた棚の脇に、煤にまみれながらもかろうじて判読できる文字が、炭化した木材に刻まれていた。コナンはしゃがみ込み、目を凝らす。
「これは……」
傍らにいた杵島が顔を寄せ、文字を見てすぐに答えた。
「稲村たちがよく通っていた居酒屋の名前だね」
山野亭、なんでもないただの単語だ。しかしまるでダイイングメッセージかのように、火に焼かれる寸前に残されたその一言に、場の空気が静かに張り詰めていく。
「死にかけてる時に態々居酒屋の名前なんて掘るか?しかも焼死なんて1番苦しい死に方やぞ」
服部が難しそうな顔をしてそう言う。彼の眉間には深く皺が寄り、思考が激しく巡っているのがわかった。
「そんな状況で意味のないメッセージを残すわけがない……から、これが重要な意味を秘めているんだろう」
コナンも真剣な眼差しで、煤の中の文字を見つめていた。だが、いくら考えても、居酒屋の店名以上の意味が浮かばない。
「この店の誰かが犯人なんか?」
服部がさらに仮説を重ねる。コナンもそれに呼応するように言葉を紡いだ。
「埋蔵金の事を偶然知った誰かが盗みに入った結果、最終的にみんなを倒して放火したってことか?」
「酔っ払いやろ?曖昧な情報だけで衝動的に盗みに入ったのかもしれん」
推理は続くが、どれもどこか腑に落ちない。しっくりとこない感覚が、2人の脳裏を支配していた。仮説の糸口がどこかで絡まっている。決定的な何かがまだ欠けているのだ。
杵島もまた、名前も知らぬ常連客の中に犯人が紛れていたのではないかと語ったが、それもまたどうもしっくりこない。
晶が部活へと向かい、杵島とその部下たちもそれぞれ仕事に戻った後も、コナンと服部は焼け跡に残って調査を続けていた。誰もいない静かな現場に、風が煤を舞い上げる。やがて、残っていた調査班の一人も撤収していき、辺りは完全な静寂に包まれた。
「いろいろ調べたけど気になる場所は一個だけやな」
誰もいなくなったのを確認した服部が目線を落としながらつぶやく。コナンもそれに頷き、足元の壁を指差した。
「ああ。ここの壁、ここだけ人為的に折られている」
炭化した壁の一部が、不自然に内側から叩き折られたようになっていた。他の部分と比べても明らかに形状が異なる。
「燃えた後、誰かが折ったんやろな」
服部が屈み、焦げた木材に触れながら言う。
「考えられるのはここに致命的なメッセージが残されていたってことだな」
コナンもその仮説を口にし、さらに続ける。
「ああ、それを見た犯人が慌ててそれを持っていって、そっちの棚にメッセージを残したんやろ。そもそも山野亭って不自然やん。なんで自分燃えとんのに全部漢字で書けとんねん、余裕か」
「カタカナで書いた方がよほど速いしな。余裕がある人物が書き残したから、ついつい普段から目にする漢字の方で書いちまったんだ」
「埋蔵金の話を偶然聞いた誰かが盗みに入り、火を放ったんだって思わせるように」
「となると、燃やしたのは杵島さんらのウチの誰かってことになるな」
「仲間割れをしたのか?杵島さん達が埋蔵金を独占するために、邪魔になりそうだった4人を燃やしたとか」
服部の声が焼け跡の静寂に吸い込まれていく。その横でコナンが短く息をつく。
「埋蔵金を独り占めするために、残った研究員達を次々と殺しとるんかもしれん。そうなると、生き残った杵島さん、松本さん、桃花さん、後残りの部下2人……佐々木さんと菊池さん。このうちの誰かが連続殺人の犯人かもしれんな」
「稲村さんら4人を焼き殺して、坂口さんを刺し殺して、石川さん中野さん奥さんの3人を斬殺……一体誰が犯人なんだ?」
「前5人は杵島さんが怪しい思っとったけど、アリバイある言うしな」
「でもそれは松本さん達身内の証言だ。あんま信用できねぇな」
「せやけど、石川さんら3人が死んだ時間はきっちりしたアリバイあるらしいで?」
「そうなんだよなぁ。一体どうやったんだ?」
「杵島さんか、松本さんか、佐々木さんか、菊池さんか、桃花さんか……」
仮説は次第に確信へと近づいていく感覚があった。だがまだ足りない、後少しで真実が見えてくる気がする。そしてもしその中に、本当に犯人がいるのだとしたら、いなくなってしまった今こそチャンスなのではないかと考える。特に、時間差でいなくなった最後の1人……
そう考えた刹那、焼け跡の向こうから突如として、甲高い悲鳴が響いた。
「ぎゃあ!!」
声の主は、先ほど去っていったはずの杵島の部下、佐々木だった。
コナンと服部は反射的に顔を見合わせ、すぐさま悲鳴が聞こえた方向へと駆け出した。瓦礫と灰が舞う焼け跡の敷地を走り抜け、急ぎ足で曲がり角を回り込んだその先、少し開けた空間に出た瞬間、彼らの目に飛び込んできたのは、言葉を失わせるほどの光景だった。
地面に倒れ伏していたのは、数時間前まで彼らと共に行動していた佐々木の姿だった。しかしその身体は、もはや生きている人としての輪郭を保ってはいない。首が綺麗に、否、あまりに残酷なまでに鮮やかに胴体から切り離されていたのだ。血の海が地面を染め、辺りの空気までもがどこか冷たく沈黙していた。
「こら、酷いなぁ」
服部が、思わず口に出したその声には、怒りとも悲哀ともつかぬ重い響きが宿っていた。
「誰がこんな事を……」
コナンもまた、目を細めながら辺りを見渡す。証拠になりそうなものは何もない。足跡も、凶器の残滓も何もない。ただ風に揺れる木々の音と、強烈な血の血の匂いだけが立ち込めている。
どうやったらこんなことが可能なのか。人間の首を一撃で落とすなど、現実離れしている。それは特殊な技術か、あるいは尋常ならざる武器が使われたのか。コナンはその可能性を次々に脳裏で組み立てながらも、明確な答えには辿り着けずにいた。服部もまた、遠くを睨むように見つめ、思考の海に沈んでいる。
そんな緊迫した空気を切り裂くように、不意に背後から声がかけられた。
「進捗はどうかね、名探偵諸君」
低いその声に、コナンの顔が一瞬にして険しくなる。聞き覚えのある声。皮膚の内側を冷たいものが這うような、独特の嫌悪と警戒心が湧き上がる。
「ジャック!テメェ」
コナンは鋭く振り返り、敵意をむき出しにして叫んだ。黒いコートではない。今日はいつもの異様な装いとは異なり、ややカジュアルな服装に身を包んでいる。しかし、顔の輪郭、立ち姿。間違いない。そこに立っていたのは、ジャックザマーダーと呼ばれる殺人鬼、アルシエルだった。
「おやおや、これで亡くなった調査班は9人目か、罪深いことだな」
ジャックは死体を一瞥し、どこか演劇の台詞を語るように言葉を紡いだ。
「白々しい、お前が殺ったんと違うんか?」
服部が鋭く詰め寄る。しかし、ジャックは口元に薄笑いを浮かべたまま、軽く首を振る。
「生憎だがボクじゃあない。今回はもっとふさわしい人物がいた」
「はぁ?おいそれ、どういう意味や」
服部の問いにジャックは一切答えず、コナンと服部の間を悠然と通り過ぎてゆく。淡々と死体に歩み寄り、地面に伏す佐々木の首を切り落とされた遺体に一瞥をくれた。その視線に、同情や怒りの色は微塵も感じられない。冷たい目だった。
そして確認を終えると、ジャックはそのまま立ち去ろうと背を向けた。コナンは咄嗟に声を上げて引き止める。
「おい待て!お前、なんか分かってるのか!?」
その声にジャックはぴたりと歩みを止めたが、振り返ることなく、淡々とした声だけを残す。
「今日の20時に山野亭に行くと良い」
それだけ言うと、再び歩を進めた。背後から攻撃を受けることも恐れぬ余裕をまといながら、手をひらりと振って続けた。
「ここは関ヶ原だ。気をつけたまえよ」
そう言い残し、黒い影は街の中へと溶けていった。
「なんやねんアイツ、何しに来てん」
服部が唸るように不満を洩らす。その目には怒りと混乱が混在していた。
(恐らく、アイツなりのヒントか……)
コナンは眉間に皺を寄せ、内心で思考を巡らせていた。“関ヶ原”。その一言が、何かの暗示であることは間違いない。だがそれは、ただの地名なのか?あるいは過去の戦い、歴史的な何かを指しているのか……。
関ヶ原、関ヶ原……。関ヶ原の戦いといえば、徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍が覇を競った、日本史上でもかなり有名な戦い。その戦いは、後に「天下分け目の戦い」とも呼ばれる。
「そうか!そう言うことか!」
コナンの目が一瞬で光を帯びた。何かが繋がったその閃きに、服部もすぐに思考を巡らせ、遅れること数秒で同じ結論へと辿り着いた。
「この9人の死亡は、たった1人が起こした訳じゃない」
「ああ。最初の4人の焼殺、ホテルでの坂口さんの殺害、その後の3人、そして今殺された佐々木さん……1人が全部やっとるって思っとったからピンと来なかったんや、つまり」
「「犯人は2人いる」」
ふたりの口から同時にこぼれた言葉が、冷たい空気の中に静かに響いた。
「戦ってるのか、この2人の犯人は」
「かもしれん。どっちかがどっちかの敵を皆殺しにするまで、殺人は止まらんかもしれんな」
「残りは杵島さん、松本さん、桃花さん、菊池さん。この中の誰かが、また誰かを殺すかもしれねぇ」
「……そうやな」
その確信が、これまでの不可解な点に一本の筋を通したようだった。
その後、コナンと服部は警察への連絡と事情の説明を手早く済ませると、1時間後にホテルへと戻った。そしてジャックが残した言葉、「20時に山野亭へ」その意味を探るべく、ふたりはその時刻まで、黙々と事件の全体像を整理しながら時間を潰していった。
* * *
時間通りに山野亭の前へと辿り着いたコナンと服部は、夕暮れに沈む岐阜の街並みの中、静かに佇むその店を見上げた。瓦屋根と格子の戸が印象的な古民家風の建物だ。暖簾がゆったりと風に揺れている。
「ここが……山野亭か」
服部がつぶやくと、コナンも無言で頷き、二人は連れ立って暖簾をくぐる。中に入ると、木の香りと、炭火のかすかな煙の匂いが鼻をくすぐった。古びた柱や調度品は、どれも手入れが行き届いており、店主の丁寧な仕事ぶりが窺える。
「いらっしゃい!」
威勢のいい声と共に、厨房から顔を覗かせたのは店の大将だった。笑顔と共に迎え入れるその姿に、二人は軽く頭を下げる。視線を客席へと移すと、すぐに目が合った。
「あれ、服部君とコナン君?ここで夕食を取るの?」
柔らかな声に振り向いた先にいたのは、大西桃花。黒髪を一つにまとめ、清楚な雰囲気を纏った彼女は、カウンター席の端に腰を下ろし、大将と穏やかに話しながら軽く箸を進めていた。年齢に見合わぬ落ち着きと、どこか陰を帯びた表情が印象的であった。
「お、桃花さんやん」
服部とコナンは目を合わせると、静かに彼女の隣の席に腰を下ろした。カウンターに並ぶ皿の上には、素朴な煮物や焼き物があり、どれも温かみのある手作りの料理だった。
「こんなところで会うなんて奇遇だね」
コナンが自然な口調で話しかけると、桃花は微笑んで頷いた。
「あら、そうだね」
「いつもこの店でご飯食べてるの?」
「ええ。私、金曜のこの時間はいつもここでご飯を食べてるんだ」
「そうなん?1人で?」
服部の問いかけに、彼女の顔が一瞬曇った。
「今はね。前まではお父さんと稲村さん、原さん、酒井さん、坂口さんと一緒に飲んでたんだけど、みんな死んじゃったから。たまに晶ちゃんも来てたんだけど、ここしばらくは会ってないなぁ」
彼女は箸を置くと、ふと目を伏せて静かに息を吐いた。仄かな灯りの中、その顔には哀しみが色濃く浮かんでいた。コナンはしばし無言のまま彼女の様子を見つめた後、穏やかな声で話しかけた。
「へぇ、僕みんなのお話聞きたいな」
「そやな、捜査の参考になるかもしれへんし」
服部も頷きながらそう付け加える。すると桃花はふと思いついたように顔を上げた。
「それなら大将も混ぜてお話しする?彼は稲村さんの義理のお兄さんだし、私がいない時の話も知ってるかも」
ちょうどその時、大将が水の入ったグラスを二つ手にこちらへとやってきた。その顔には穏やかだが、どこかで覚悟を決めたような色が浮かんでいる。
「犯人を見つけてくれるって言うんなら、なんでも教えてあげるよ」
彼の声に、服部は「頼むわ」と力強く頷いた。服部は焼き鳥の盛り合わせを、コナンはポテトフライを頼み、話を進めた。
そして少しして、話は自然と本題へと入っていく。彼らが調べていたこと、調査班の様子、そして他の常連客たちについて。会話の中で、大将も桃花も何度も記憶を辿るように言葉を選びながら、彼らの姿を語っていった。
調査内容は至って真面目なものだった。関ヶ原周辺の文献調査、古地図の解析、現地踏査。学者として王道のアプローチで、特におかしな点は見当たらなかった。他の常連客も、彼らの話を遠巻きに聞いてはいたが、強い関心を示す者はおらず、恨みを抱いていたような人物も見受けられなかった。
特に殺された5人は非常に仲が良く、人も出来ていて友人も多かったらしい。稲村なんかは良く親バカとも取れる自慢をして話題になっていた。晶が幼い頃、「パパを守れる1番強いお侍さんになるの!」なんて夢を語ったらしい事をいつまでも語っていたのだと、桃花は懐かしそうに教えてくれた。
そんな中、思い出に浸るような顔をしていた大将が、ふと何かを思いついた様子で表情を変える。
「……ああ、いや。一つだけ思い当たるかも」
ふいに、大将がぽつりと呟いた。その一言に、服部は顔を上げ、すぐに食いついた。
「それはなんや?」
大将は厨房の奥へと視線を送りながら、静かに語り始めた。
「彼らは、埋蔵金探しをやめたいって言ってたんだよ」
その言葉に、コナンと服部は互いに視線を交わす。確かに、それは予想外の情報だった。
「暗号が解けたって言う割に、なんの意味もなかったなんて言うからどう言うことかと思ってね。前は幾つか骨董品を発見して、合計で億を超える額がついたんだよ?」
「うわ、そらすごいな」
服部の率直な感想に、大将は微かに笑った。
「でしょ?なのに今回の埋蔵金はやめるなんて言い出すから、掘り出そうと積極的だった杵島さんなんかはすごい怒って、揉めてたらしい」
「だから私達は杵島さん達にも理由を伝えようと思ってたんだけど、なんて伝えるべきか悩んでたんだ。彼、ああ見えて気性が荒いから。どう伝えても揉めそうでね、上手い説明を探していたの。そうこうしていたら、その日のうちに火事に巻き込まれてね……」
桃花が静かにそう付け加えた。口元は微笑を保っていたが、その声には、深く沈んだ悲しみがにじんでいた。
「そうだったんだね……」
コナンはその言葉を受け、内心でひとつの結論に達した。
(犯人のうちの1人は……恐らく杵島さんだ)
埋蔵金を手にすることを諦めた稲村達に怒りを抱き、暗号の答えも教えられないから、彼らを焼き殺した。ホテルで刺された坂口も、稲村派に属していた人物。すなわち、稲村、大西、原、酒井、坂口。この五人を殺害したのは、杵島とその派閥の人間。お互いにアリバイを工作し合ったため、今は疑いの目を逃れている。
だが、問題はその先だった。今度は、そんな杵島派に属する四人が次々と殺害されている。
(早く見つけ出さないと……)
コナンの心に焦燥が広がる。残された杵島派の三人、彼らもまた、確実に狙われているのだ。
「ご馳走様」
コナン達が考えている中、桃花は静かな口調でそう言い残し、ゆったりと腰を上げた。食器を丁寧に揃えると、手早くハンドバッグを手に取り、すっとレジの方へと向かっていく。黒髪がふわりと肩で揺れる落ち着いたその背中は、どこか寂しげで、それでいて迷いのない足取りだった。
「あ!ちょ、ちょお待って!」
服部が声を上げ、コナンも慌てて席から身を乗り出す。ふたりとも、まだ食事にはほとんど手をつけていなかった。焼き鳥の串を手に取ると、焦るように口へと運び始める。だが、そんな様子を振り返った桃花は、微笑を浮かべて言った。
「落ち着いて食べなよ、気になることがあるなら明日また聞くからさ。2人とも、帰りがあんまり帰りが遅くなりすぎないようにね」
桃花がそう言うと、服部は慌てて焼き鳥をかき込んだまま叫ぶ。
「ああ、アカンアカン、あんたも狙われとるんやから気ぃつけな!」
その必死の忠告にも、彼女は涼しげな顔を崩さなかった。
「車で来たから平気だよ」
にこりと微笑むと、すっと手を振り、夜風を受けながら表へと出ていく。暖簾が揺れ、彼女の姿が闇に消えていく中、服部は串を慌てて平らげ、声を張り上げた。
「おっちゃん!会計!」
だが、大将は手を振りながら首を横に振る。
「いらないよ。桃花ちゃんが奢ってったから」
「はあ!?……おい、マジか!」
服部はそれを聞くと、慌ててそのまま店を飛び出していった。