令和のジャックザリッパー   作:佐倉シキ

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盈月の古戦場 結

 

 

 

服部が山野亭を慌てて飛び出した、その瞬間だった。

 

「うわ」

「わ!すまん!」

 

勢いよく扉を開けた服部が出くわしたのは、ちょうど入店しようとしていた人物だった。出会い頭に真正面からぶつかり、反射的に体を引く。相手もまた、弾かれるように一歩下がり、手にしていたスーツケースがコトンと音を立てた。

 

服部が顔を上げたとき、その目に映ったのは見覚えのある、背の高い少女だった。晶である。今は着物姿ではなく、紺のポロシャツに膝丈のスカート。肩には竹刀袋、足元には転がるスーツケース。まるで部活動帰りのような出立ちだが、その端正な顔立ちははっきりと記憶に残っている。服部はぶつかった時の感触を思い出し、(着痩せするタイプだったか)なんて一瞬そんな惚けた感想が脳裏をよぎるが、その後すぐに聞き慣れた声が耳を打った。

 

「ちょお平次何しとん!そんな慌てて!危ないやろ!」

 

振り返ると、そこには和葉の姿があった。隣には蘭もいる。

 

「和葉か、お前何しとんねん」

「あ、蘭ねぇちゃんもどうしたの?」

 

コナン達の問いに、和葉が答える。

 

「そこで晶さんと会ってん。これから食事行く言うとったから、一緒に食べようやって誘ったんよ」

「へぇ、あっそう」

 

服部の気のない返事に、和葉が不満げに眉をひそめる。

 

「聞いといて興味なさすぎやろ、何やねん」

「すまんすまん」

 

服部はぞんざいに謝ると、すぐさま辺りを見回し、桃花の姿を探した。そして言った。

 

「今はちょっと忙しいねん、ほなな」

 

その言葉と同時に、足を駐車場の方向へと向けかけた瞬間──

 

──ドォンッ!!

 

という激しい爆発音が響いた。同時に鼻腔を突く焦げた硝煙の匂い。空気が一気に熱を帯び、何かが弾け飛ぶ音と共に、山野亭の窓ガラスが小さく震える。

 

服部とコナンは目を見開いた。爆発の方向は……駐車場だ。

 

「桃花さん!!」

 

最も早く状況を理解し、行動に移したのは彼らではなく、晶だった。荷物をその場に放り出し、何の迷いもなく駐車場へと駆け出す。和葉達を爆風から庇った服部は少し遅れて彼女を追いかけた。

 

駐車場にたどり着いた時、そこには目を覆いたくなるような光景が広がっていた。車一台が火柱を上げて燃え盛っていたのだ。天へ向けて立ち上る炎。激しく跳ね上がる火の粉。エンジンの金属がひしゃげ、黒煙が空にのぼっていく。

 

その運転席には、ぐったりと身を預けた桃花の姿があった。

 

「アカン!寄るなッ!」

 

晶が無我夢中で助けに向かおうとするのを、服部は全力で押しとどめた。そして自身が火の中へと足を踏み入れ、車の扉を引き開ける。

 

焼ける鉄の熱が肌を刺し、息をするだけで喉が焼けそうになる。それでも服部は、運転席から桃花の体を引きずり出した。彼女の姿は見るも無惨だった。髪も、衣服も、肌も、先ほどまでカウンター席で微笑んでいた彼女とは到底思えない。だが、服部は表情を崩さず、必死に救護を開始した。

やがて、5分ほどして救急車のサイレンが闇を裂き、到着した。隊員たちは迅速に桃花を担架に乗せ、車内へと運んでいく。

 

服部たちもその後を追って病院へ向かった。

 

 

だが──

 

 

 

 

必死の救護も空しく、桃花は亡くなってしまった。

 

 

病院の白く無機質な光の下で、晶は何も言わずに立ち尽くしていた。肩を小刻みに震わせ、唇を噛み締め、拳を固く握り締めている。その指先からは血が滲んでいた。和葉は思わず彼女をそっと抱きしめ、蘭が寄り添う。晶の身体は細かく震えていた。

 

「また……また……」

 

わずかに漏れたその声に、誰も返す言葉を持たなかった。服部は静かに、ただその光景を見つめていた。沈黙が、重く、永く病院の空間に垂れ込める。

 

ほどなくして、杵島達が駆けつけてきた。表情には動揺が見られたが、全てが終わった後だった。彼らは言葉少なに晶を慰めるような言葉をかけ、そのまま帰っていった。

 

ただ、それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 

 

 

 

それから一時間後の夜、道場の静謐な空気の中に、低く染み入るようなコオロギの声が響いていた。月明かりが障子越しに差し込み、木張りの床をゆっくりと染め上げていく。服部は張り詰めた沈黙の中、正座したままじっと前を見据えていた。視線の先には、静かに目を閉じて座る晶の姿がある。

 

「その話は本当なのかい?」

 

服部の話を聞いた晶はゆるやかに瞼を上げた。その動き一つにも、内に籠めた覚悟と苦悩の気配が滲んでいる。まっすぐに彼の目を見つめ返すと、ためらいのない声で問い返した。

 

「今回の殺人は全て、杵島さんの犯行だって」

 

言葉の重みが、道場の空気を一層重たくする。服部は短く頷き、息を吐いた。

 

「薄々感付いとったやろ、山野亭で一緒に話すこともあったっちゅうんなら」

 

彼の言葉に、晶はほんの僅かに視線を伏せる。その仕草が、答えをすでに示していた。彼女はその事実に気づいていたのだ。

稲村たちが埋蔵金探しを放棄したと知って、杵島は怒り狂っていた。狂気と紙一重の執念に駆られて、彼は仲間すらも殺す覚悟を決めた。

 

「せやったら、おかしな事になる前に殺してしまおうと考えたんやろ。お宝勝手に持ち出されたら嫌やしな。資料がないのは燃えたからやなく、杵島達が持ち去ったから。彼らが解いた暗号を元に、自分たちだけで先に掘り起こそうと考えたんや。だが実際、そううまくはいかんかった。一枚だけ全くわかれへん暗号が残されとったんや。そやからこれを解かせようと思い、今回の埋蔵金探索のイベントと毛利小五郎の招集を行なった訳や」

 

実際、今も毛利小五郎と少年探偵団たちはテレビ局のスタッフと共に埋蔵金の探索を続けていた。小五郎の頓珍漢な推理が飛び出しているという報せも届いているが、それはいつもの事なので問題ない。

 

服部は暗号の答えと、杵島の冷酷な計画。その背景にあった欲望、そして失敗による焦燥と暴走を、淡々と語り終える。だが晶の反応は、思ったよりも静かだった。道場の静寂が再び流れ込み、淡い光が彼女の頬に影を作る。

 

「それで、その事を僕に教えてどうするんだい?警察に伝えるべきじゃないのかな?」

「アンタには知る権利があるやろ。それに、杵島が殺したい相手には恐らくアンタも含まれとる」

 

その言葉に晶の眉がわずかに動いた。表情の奥に、怒りとも憎しみともつかぬものが過ったが、やがて彼女は静かに目を伏せる。

 

「そうか……なら、いつまでもここにいるわけにはいかないね。警察の方にも迷惑をかけてしまう」

 

そう言って、彼女は座を崩すと手早く荷物をまとめにかかった。竹刀袋と小さなリュックを手に取り、そのまますっと立ち上がる。その一連の動作に無駄はなく、整っていた。しかし、部屋を出ようとしたその背を、服部の声が引き止める。

 

「ああそうや、一つ気になっててん」

 

彼女は足を止め、振り返る。

 

「これは多分オレより杵島に近しいアンタの方がわかると思うんやけど」

「何かな?」

 

淡々と返される声に、服部は少しだけ身を前に乗り出す。

 

「暗号が分かったと伝えたら杵島はどうするやろか?殺しを止めて暗号の場所に向かうと思うか?それとも、独り占めするために自分の派閥の人間も殺してしまうやろか?」

 

道場にしばしの沈黙が落ちる。障子越しの風が、かすかに部屋を揺らした。晶は思案するように目を細め、そして静かに口を開く。

 

「彼の部下だってたくさん殺されてるんだ。いくらお金が手に入るからって、そんな状況で無闇に歩き回らないと思うよ。流石に今は逃げて、落ち着いてから探しに行くんじゃない?それと、さすがに部下は殺さないと思うけど……下手な事をして、致命的な証拠を残されたら困る。今度こそ、隠蔽しきれないかも」

「そうか、ほんなら別の手を考えんとな」

 

そう呟いた服部に、晶は小さく息をつき、そして最後にこう告げた。

 

「君も気ををつけて。今の関ヶ原は物騒だから、夜は出歩かないでホテルに戻った方がいいと思うよ」

 

服部は苦笑いを浮かべながら応じる。

 

「おお、そうするわ。オレも死にたないしな」

 

その言葉に晶はわずかに頬を緩め、小さく頭を下げると、道場の静かな廊下を踏みしめて去っていった。その背をじっと見送る服部の表情には、どこか影が差していた。

 

そして、沈黙の中で手にしたスマートフォンを開き、コナンに向けて一通のメールを打ち始める。

 

その瞬間から、次の幕が上がろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 

 

 

場所は関ヶ原。幾千の命が散った古戦場、開戦の地。かつて武将たちが軍旗を翻し、刀と槍が鳴り響いたその大地は、今では静けさに包まれていた。四方を連ねる山々の稜線が月明かりに浮かび上がり、夜の帳がすべてを包み込む中、地表にはひときわ目を引く白い旗が数本、凛として風に揺れていた。それはこの場所が、かの関ヶ原の戦いが繰り広げられた歴史の地であることを示すものである。

 

葉擦れの音がかすかに響く中、空には盈月が浮かんでいた。黄金色を帯びたその丸い月は、雲の切れ間から顔を覗かせ、古の戦場に幻想的な光を注いでいた。その神秘的な光景を引き裂くように、突如として怒声が響いた。

 

「おい!ここだ!掘り起こせ!」

 

鋭く響いたのは、杵島康一郎の声。緊迫した声色には焦りと興奮が混ざっていた。彼の手元には数時間前に届いた連絡、あの暗号が解けたという知らせがあった。杵島は明日のテレビ撮影を待つことなく、その夜のうちに掘り出してしまおうと決意したのだった。月夜を背に、彼は松本と菊池の両名を連れてここへとやって来た。

 

目的はただひとつ、財宝。

それも億単位の金を期待してのことだ。前回の調査では、見事な陶器の数々が見つかっていた。ならば、今回もそれに匹敵するものが眠っていると考えるのが自然だった。

 

杵島は顎をしゃくって地面を指し示すと、松本と菊池がすぐにスコップを手に取り、乾いた土を掘り起こし始めた。

 

「あれだけ殺したんだ。億超えてなきゃ許さねぇぞ」

 

杵島は静かにそう呟き、掘削の様子を見下ろす。表情には期待と焦燥が交錯しており、時折汗をぬぐう動作にさえ苛立ちがにじんでいた。

 

その時、不意に夜の空気が変わった。

 

音もなく、闇の中に一つの影が現れた。月明かりに照らされる前に、その気配だけが杵島の背筋を凍らせた。彼は驚きに目を見開き、無意識のうちに一歩後退する。

 

「だ、誰だ!?」

 

眼前に現れた人影は、無言のままこちらに歩を進めてくる。初めはその姿が闇に溶け込んでいたが、月が雲間から姿を覗かせると、淡い光がその姿を浮かび上がらせた。

 

藍色の袴を纏い、その下には黒いブーツを履いた身軽な姿。腰には一本の刀。その存在が、ただならぬ気配を周囲に漂わせていた。

 

「お前、晶か!?」

 

ようやく正体に気付いた杵島の声が震える。雲がさらに流れ、月明かりが晶の顔をはっきりと照らし出す。短く整えられた髪の下にある顔は凛とし、しかしその眼差しは酷く冷たい。まるで情を捨て去ったような無表情で、杵島をじっと見つめていた。

 

「お、お前も埋蔵金を嗅ぎ付けてきたのか!?」

 

言葉を投げかける杵島に、晶は一言も返さない。ただ無言で刀の鞘に手を添え、そのまま構えもせずに立ち尽くしている。その静けさが、かえって不気味だった。

 

「おいおい待てよ、独り占めする気か?そんな物騒なものはしまって、話し合おうじゃないか、なんだ、分け前が欲しいのか?」

 

焦りに駆られた杵島が言葉を並べるほどに、晶の眼差しは冷たさを増していく。刀に添えた指にわずかに力が入り、そして

 

「一緒にするなよ外道が」

 

吐き捨てるような一言。その瞬間、空気が切り裂かれた。晶が動いた。まさに斬りかかろうとしたその刹那、

 

「っ!」

 

突如、強い風圧が発生した。何かが物凄い勢いで飛来し、晶の動きが止まる。

 

「サッカーボール!?」

 

猛烈な勢いで飛んできたそれを刀で切り裂いた晶が、素早く視線を向ける。そこには、この数日で何度も顔を合わせた二人の姿があった。コナンと服部である。

 

「君たちが何故ここに!?」

 

驚きを隠せない晶に、服部はゆっくりと踏み出しながら答えた。その手には、ホテルから借りてきた刀が握られている。

 

「これ以上、アンタの剣を血で汚さない為に来たんや」

 

その目には、決意の色が宿っていた。そして服部は、事件の真相を語り始める。

 

杵島は、埋蔵金探索を放棄すると決めた稲村らに激怒し、ついには自ら手を下して彼ら四人を焼き殺した。その後、部屋に残されたダイイングメッセージを隠し、別の偽りの言葉を残して捜査の撹乱を図った。偶然にも火災を免れた坂口には交渉を持ちかけたが、当然ながら断られ、怒りのままに刺殺。さらに証拠を隠すため、ホテルを爆破して闇に葬った。

 

その一連の流れを知った晶は、復讐に身を投じた。杵島に従っていた者たちを一人、また一人と、確実に葬っていった。コナンたちが来た際に起きた斬首事件もまた、晶の手によるもの。

そしてその後、杵島は泳がせていた桃花が何の情報も漏らさないと見て、最終的に爆殺を選んだのだ。

 

服部は、あえて晶に嘘の情報を伝えていた。適当な居場所を暗号の答えだと、嘘をついて教えたのだ。そして事件の真相も伝えた。それを受けた時の晶の反応。それが決定的な証拠となった。人を殺してまで埋蔵金に執着していた杵島が、今になって逃げるなどという選択を取るはずがない。どれだけ危険であろうと金に手を伸ばすような人間だったのだ。護衛にゴロツキを雇ってでも、奴は来る。

 

「そもそも“今度こそ隠蔽しきれない”って言葉も不自然や。部屋に残されたダイイングメッセージが偽物なんて、オレとコナンが最近気づいた事で、警察にも言ってへん。それをなんでアンタが知っとるかっちゅうと」

「アンタも気づいていたからさ。火災の真実に」

「警察にバレて復讐の邪魔をされたら困るから、アンタはその事を黙っとったんや」

 

服部の推理が終わった時、晶は僅かに眉を顰めた。月明かりの下、その顔には苦悩とも怒りとも取れる微かな陰りが差していた。何も言わず、ただ、静かにその言葉を受け止めるように。

 

そう、それは全て、紛れもない事実だった。

 

だが、事実だからなんだと言うのか。今さら何を指摘されようとも、もはや彼女の決意は揺るがなかった。ここまで来たら、何があろうと最後まで貫き通す。それが彼女の望む唯一の正義。目標はただひとつ、首謀者である杵島康一郎の殺害。それ以外に意味はない。

 

常に警戒心の強かった男。人の目の届くところでしか動かず、護衛の目を離すことなど一切なかった。その彼を、晶は一つの策でここまで引きずり出した。そう、埋蔵金だ。奴の欲望を逆手に取り、答えが分かったという情報を意図的に漏らすことで、独り占めを狙う彼が人気のない夜に、嘘の報告に示しされていたこの場所に来るとを読んでいた。誰もいない深夜の古戦場、かつての開戦地。その静寂と闇の中で、彼女は狙いを定めたのだ。

 

ここで確実に殺す。それだけを、信じていた。

しかしその計算は、突如として崩れた。

 

闇の中、予想外の気配が複数、地を踏み鳴らしながら接近してくる。瞬く間に、古戦場の空気は不穏なものへと変わった。月光が照らす草むらから現れた男達の影、ゴロツキ達だった。ゾロゾロと現れた彼らを見て、杵島はふてぶてしく笑った。口の端に嘲笑を浮かべ、自信に満ちた声で言う。

 

「ふっ、ははは!形勢逆転だ。彼らは私が雇った」

 

視線を鋭く巡らせた彼らの目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。

 

「こ、コナン君……」

 

か細く震える声が耳に届いた。見れば、少年探偵団の四人、元太、歩美、光彦。そしてその後ろに縛られた灰原の姿。彼らが、ゴロツキたちに捕えられていた。唇がわずかに震え、晶の眉が僅かに動いた。だがすぐに表情を固める。

 

彼らはコナンの行動を見て、何かを察し、自分たちも力になろうと勝手に古戦場へと足を踏み入れてしまったのだ。その背中を見て慌てて追いかけた灰原が現場に到着した時には、すでに遅かった。荒く呼吸をする彼女達が捕らえられている様を見て、コナンの胸に怒りと焦燥がこみ上げる。

 

「子供達が死ぬところは見たくないだろう!」

 

杵島の声が、夜気を裂いて響いた。

 

「ここまで来たらもう2、3人殺したところで何も変わらない!こいつらを殺しちまえ!金は弾む!」

「くそ……!」

 

刃物や鉄パイプ、手製のナイフを手にした男達が、獣のような目で彼らににじり寄ってくる。服部の顔にも焦りが浮かぶが、下手に動けば子供たちが巻き添えになる。状況は、最悪。

 

(何か、何か形勢を逆転させる手は……!)

 

脳を酷使し、必死に考えるコナン。だが、その瞬間だった。何かが、ゴロツキ達の間に投げ込まれた。

 

「ッ!」

 

それが何かを認識する前に、目の前が白く灼けた。

 

──閃光。

 

爆ぜるような閃光が視界を貫き、咄嗟に皆が目を瞑る。耳がキーンと痛み、視界が焼きついた直後。

 

「ぜぇりゃぁぁぁ!!」

 

雄叫びのような声が戦場を割った。その瞬間、目を閉じたままのゴロツキ達の腹に、腕に、肩に、次々と衝撃が走る。

 

「ぐあっ!」

「ぶっ……!?」

 

倒れる、倒れる。鋭い打撃音と共に、数人の男が宙を舞った。

 

「ら、蘭ねぇちゃん!?」

 

コナンの目が見えるようになった頃、そこに立っていたのは、怒りに燃えた目をした毛利蘭。構えた拳は迷いなく、寸分の隙もなく叩き込まれる。続けてその背後では和葉がゴロツキの一人を地面にねじ伏せた。彼女たちは、子供たちがいないと気づき、すぐさま追いかけてきたのだ。

 

(いや、それだけじゃねぇ!今の閃光は奴の!)

 

蘭と和葉の登場に驚きつつも、コナンはすぐに気づいた。慌てて周囲を見渡すも、騒然とした戦場に紛れて姿は見えない。だが、間違いない。あれはあの男のやり口だ。

 

「くそ、逃げるぞ!」

 

杵島が声を上げ、混乱の隙にその場を離れようとする。松本と菊池を手で示し、逃走の意思を見せる。だが、そこに

 

「逃すわけがないだろう!お前はここで死ね!!」

 

空を裂くような一喝と共に、晶が地を蹴る。風を裂くように刀が走り、杵島の首を狙って振り下ろされた。

 

「うわっ……!」

 

杵島は恐怖で腰を抜かし、地面に尻餅をつく。目を見開き、頭を抱え込む。だが、刀は彼の肉を裂くことはなかった。

 

「やらせへんって言うたやろッ!」

 

鋭い金属音が響いた。晶の刀が、別の刃に阻まれたのだ。

 

「邪魔をするな服部平次!」

 

晶の怒声が響く。しかし、服部は構わず剣を押し返す。そのまま、二人の剣が何度も何度も、火花を散らしながら交錯する。

 

「こんな事して、親父が本気で喜ぶとでも思っとるんか!?」

「思ってない!これは僕の為の殺しだ!」

「殺してもなんもならへんやろ!ただアンタの剣が汚れるだけや!」

「僕はそれで満足だ!皆を殺したこの男が、今ものうのうと生きているというだけで我慢ならないんだ!」

 

怒り、悲しみ、虚しさ。晶の心情が剣筋に乗り、服部へと襲いかかる。だが服部は歯を食いしばり、渾身の力でその怒りを受け止め続ける。

 

「アンタの剣は大切な人を守る為のもんなんやろ!」

「とうに皆死んでしまったよッ!」

 

晶の足が鋭く動いた。その足払いが服部の足元を襲い、重心が崩れる。

 

「っ……!」

 

服部の身体が揺れた。瞬間、かつて屋根から転げ落ちた記憶が脳裏をよぎる。殺人鬼の蹴りで無様に倒れ、痛みに呻いたあの時、

 

(二度も同じ手で、負けてたまるかいッ!)

 

服部は無理矢理踏ん張り、膝を使って衝撃を殺し、右手に持った刀を強引に振り上げた。刀身が風を裂き、晶に迫る。晶は咄嗟にそれを受け止めた。そしてすぐに身体を跳ねさせるように後方へ飛ぶ。靴が土を蹴り、草が薙ぎ倒される。空気の緊張が極限まで高まる。服部は深呼吸をして相手を見た。

 

(悪いけど、いつまでもアンタにかまってられへんねん)

 

守らなければならない者がいる。和葉や、子供達。それに逃すわけにはいかない犯人もいる。だから早くこの戦いを終わらせるべきだ。

 

終わらせたいのはお互い同じ。よって、互いに構え直した。呼吸は荒く、額から汗が滴り落ちる。これが、最後の一撃。

 

一歩。二歩。そして、三歩。

 

一瞬の交差。

 

空間が静止したように見えた、その刹那。二人の剣が鋭く交錯した。

 

 

 

 

 

斬られたのは、服部だった。

 

彼の頬から一筋の血が流れ落ちる。だが、そこには苦悶も、敗北の屈辱もなかった。服部は振り返り、ただまっすぐに晶を見つめていた。対する彼女は、驚いたように目を見開いた。手にした刀の根元に、蜘蛛の巣のようなヒビが走っている。

 

「悪いな、女は斬らん主義やねん」

 

そう言った服部の声は、深く、そして静かだった。

 

「……カッコいいね、フリーだったら惚れてたかも」

 

晶が口元を緩めた、その直後。乾いた音を立てて、刀が粉々に砕け散った。

 

「生憎やけど、オレの隣はもうずっと前から埋まっとる」

 

そう言い残し、服部は踵を返す。肩を揺らしながら、混乱の続く戦場の中へと戻っていった。

 

その背を、晶はただ見送る。月明かりが再び、彼女の顔を照らす。刀を失ったその手に、今は何も残っていなかった。

 

彼女はふっと空を見上げ、ひとつ、深く息を吐いた。夜風がその息を攫い、草木を揺らす。

 

晶の復讐は、すべて終わった。

 

 

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 

 

晶の戦いが終わり、彼女の刃が砕けて地に落ちても、戦場の混乱はなおも収束にはほど遠かった。月が照らす古戦場の空気はまだ剣呑だ。だが、そんな張り詰めた空気の中でも、蘭と和葉、そして戦場に戻ってきた服部平次が、それぞれ見事な動きで次々とゴロツキ達を薙ぎ倒していった。

 

その一方で、コナンは少年探偵団の子供たちのもとへ駆け寄っていた。縄で乱雑に縛られていた四人を順に解放し、喉の奥からこみ上げてくる怒りを押し殺す。無謀な行動を取ったことへの説教は後だ。今はまず、命を守ることが先決だった。

 

「ここを離れるんだ。すぐに」

 

彼の一言に、子供たちは黙って頷いた。その表情には恐怖と反省と、そして微かに安堵の色が混じっていた。コナンは視線を灰原に送る。彼女なら、うまく彼らを導いてくれるだろう。彼はそう信じていた。

 

だが、胸の奥を掴まれるような感情がすぐにまた彼を突き動かす。

 

(蘭ッ……!!)

 

その名を脳内で叫ぶと同時に、彼の視線は戦場の片隅で奮戦する彼女の姿を捉えていた。彼女は一切の迷いも見せず、恐怖にも屈せず、仲間を守るために敵の中心へと飛び込んでいた。だが背後に、影が忍び寄っていた。

 

彼女のすぐ後ろ。月光を背に立ち上がる男がいた。右手に握られた刃が静かに振り上げられている。振り下ろされれば一瞬で蘭の命が断たれる。コナンの心臓が、張り裂けそうな音を立てた。間に合わない、走っても、麻酔針も届かない。

 

ならば、と彼は無意識に身体を動かしていた。足元に転がる刀の鞘に素早く目を走らせ、キック力増強シューズのダイヤルを最大まで回す。靴の内部から発せられる微細な振動が、足の筋肉を異常なまでに引き締める。狙いは一点、その男の頭部。

 

「らぁぁぁんッ!!」

 

コナンの叫びに反応するように蘭の動きが止まった。目を見開き、ほんの一瞬、新一の顔が頭に浮かんだ。

その背後で鈍く重い音が響き渡った。空気を切り裂いて飛んだ刀の鞘が、巨漢の男の側頭部にめり込むように命中し、彼の身体が傾いで地に崩れ落ちる。鈍い衝撃音と同時に、粉塵が舞った。

 

彼女が背後を振り返ると、そこには倒れ伏す男の姿だけがあった。コナンの姿も、新一の姿も、そこにはない。

 

だが、確かに今、あの声が。

 

「ねぇ、今新一の声がしなかった?」

 

蘭は戦いの中にあっても、その疑問を口にせずにはいられなかった。耳に残るその声は、彼女にとって誰よりも信じたいものであり、何よりも懐かしく、温かく、そして鋭く胸を貫くものだった。

 

「工藤君の?聞こえへんかったけど」

 

和葉が怪訝な顔で答える。彼女には当然その声は届いていなかった。

 

「工藤がこないなところにおるわけないやろ、気のせいや。気のせい」

 

服部はそれだけ言って再び刀を振った。やがて、開戦から三十分も経たぬうちに、古戦場は再び静けさを取り戻した。風に揺れる草木の音だけが耳に残り、朧げな月が戦場の上空にただ静かに浮かんでいた。遠くに徐々に赤と青の点滅が近づいてくる。パトカーだ。微かに聞こえていたサイレンがようやく間近に感じられる。

 

警察の到着と共に、晶は静かに連行された。剣を砕かれ、力を出し切った彼女は抵抗もせず、ただ淡々と警察の手に身を委ねる。その背を見送る蘭と和葉の瞳には、複雑な感情がにじんでいた。戦いの果てに敗北した少女の姿が、どこか儚く映ったのだ。

 

その間にも、コナンは眼鏡を操作してあたりを見回していた。しかし、最も捉えたかった人物の姿が、どうしても見つからなかった。

 

「杵島さんと菊池さんがいねぇ」

 

声には苛立ちと焦燥がにじんでいた。服部も、救急隊に手当てを受けながら視線を巡らせる。

 

「どさくさに紛れて逃げよったな、松本さんはいたらしいけど」

 

松本はすでに発見されている。だが、真に追うべき二人は、煙のように姿を消していた。服部は、逃げたところでそう長くはないと考えていた。だがコナンには、その楽観は許されなかった。どこに逃げたか分からない以上、もはや手立てはほとんど残されていない。それでも何もしないという選択肢だけは、彼には許されなかった。

 

(奴が、近くにいる)

 

彼の脳裏に浮かんだのは、ジャックザマーダーの姿だった。あの閃光は間違いなく彼の仕業。

 

月夜の下、コナンは警察に自分の推理と危機感を伝えると、すぐさま踵を返して駆け出した。乾いた土を蹴る音が、戦場に響く。

 

風の中に血の匂いがまだ残るその夜、すべてはまだ終わっていなかった。

 

 

 

だが結局、コナンは誰の姿も見つける事が叶わなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 

 

 

「くそ!くそ!くそ!」

 

夜の闇を裂くように、荒く吐き捨てられる声が二度三度と繰り返された。星の瞬く空の下、朧な月光に照らされながら、二つの影が乱れた足取りで古戦場の林道を駆け抜けていた。杵島と菊池。戦場から這うようにして逃れ出た男たちである。

 

木の枝が顔を打ち、雑草が足に絡みつく。石を踏み、滑りかけ、何度も体勢を崩しながら、それでも走る。執着がその背を押していた。

 

「……あのクソガキ!あいつが、あの野郎がオレの部下を殺してやがったのか!」

 

怒りと焦燥のあまり、杵島の顔が歪む。咬み締めた歯の隙間から血が滲み、拳は震えていた。計画は破綻し、部下は無残に倒れ、ついには警察の魔の手が迫っている。自分の築いてきた全てが、子供達の介入で崩れ去ったという事実に、怒りは天をも焦がすほどに膨れ上がっていた。

 

「だけど、だけど大丈夫、大丈夫だ。証拠はない。オレらが稲村達を殺したって証拠はない。バレてない。知ってる連中も大体死んだし、バレっこない……」

 

自分自身に言い聞かせるように杵島は呟いた。声は震え、どこか虚ろだった。自らの胸を掴むようにして深呼吸を一つ、二つ。まるで理性を繋ぎ止めるために呼吸という行為にすがっているようだった。

 

「まだやり直せる、まだやり直せるはず……」

 

その声は、もはや執念の呟きでしかなかった。埋蔵金さえあれば、全てを覆すことができる。例え一万両がただの夢物語であったとしても、資料から推定されるその価値は億にも届くと、杵島は信じて疑っていなかった。あの文書はそれだけの確かさを持っていた。

まずは警察の捜査から逃れ、どこかで息を潜める。そして再び機会を伺い、発掘を再開する。それこそが、自分の生き残る道だと信じていた。

 

「菊池、とりあえず明日の話だが……」

 

だが、その言葉の途中で、隣を走る男から返ってきたのはあまりにも予想外の声だった。

 

「何を言ってるんです?貴方に明日はない」

 

その一言が、夜風の中で異様に鮮明に響いた。

 

「……え?」

 

杵島の足が止まる。まるで世界が一瞬、凍りついたようだった。何を言われたのか理解できず、ただ呆然と菊池を見つめた。だが次の瞬間には怒りの感情が胸の奥で爆ぜた。侮辱されたと感じた杵島は、衝動的に菊池の胸ぐらを掴み上げた。怒声が喉から噴き出す。

 

「どう言う意味だテメェ!!」

 

だが、次の瞬間には菊池の手が杵島の手首を掴み、ゆっくりと、だが確実に力を込めてきた。

 

「……っ!」

 

みるみるうちに指が軋み、骨が圧迫され、杵島の額には汗が滲んだ。激痛に思わず手を離したが、菊池は手を離さなかった。握ったまま、むしろ更に力を強めていた。ぞわり、と杵島の背中を冷たいものが走った。この男は誰だ。そう思った瞬間に、菊池が静かに語り出す。

 

「あの暗号に答えは存在しないんですよ。あれは関ヶ原に残された資料の訳ではなく、稲村さんが発掘した後に考えたもの。嘘の暗号でテレビの取材を乗り切ろうと考えていたんじゃないですか?結局、暗号の正しい答えは分からなかったと」

「稲村が、発掘……?」

「ええ。暗号が解けた時点で6人で発掘に行ったらしいですよ」

「……聞いてないぞ」

「貴方の本性のことを薄々察していたから言わなかったんですよ。その上、人が次々に殺されてしまい、生き残った人達も余計に言えなくなってしまった。逆上されるのが恐ろしくて」

 

掘り起こした穴は、空だった。そこには金も、銀も、何も存在しなかった。ただ、乾いた土が虚しく広がるだけだった。テレビの取材の打診まで入っていた彼らにとって、結果の報告は極めて難しいものであり、特に前のめりだった杵島に事実を伝える事は、誰にとっても躊躇するものだった。

 

怒りっぽく、猜疑心の強い杵島に伝えれば、何をしでかすかわからない。だからこそ、伝えられなかった。そして、伝える前に殺されたのだ。

 

「存在しない埋蔵金に踊らされ、11人もの人が死ぬ。これを悲劇と言わずなんと呼ぶのでしょう」

「……ちょっと待て、11人だと?」

 

その数に杵島は眉をひそめた。思い浮かべる。稲村、他の3人、坂口、桃花。そして自分の部下たち4人。それで10人だ。1人多い。

 

「……ああ、そうだ。菊池さんですが、今日の夕方に晶さんに首を切られて死にましたよ」

 

その瞬間、空気が変わった。風の音が消えた気がした。蝉の声も、木々のざわめきも、すべてが遠ざかった。目の前の男はやはり、菊池ではない。

 

直後、喉に奇妙な感触が走った。じわりとした粘性、ひやりとした温度、そして微かに感じる鉄の匂い。手で首を押さえる。指にぬめるような液体が絡みつき、月明かりに照らされたその手のひらに、黒々とした血が広がった。

 

「……?」

 

呼吸が、抜ける。喉の奥から何かが零れ落ちていくような感覚。目の前がぐらりと揺れ、膝から力が抜けた。尻餅をつきながら、ようやく自分の身に起こったことを理解する。

 

首を、切られたのだ。

 

血が、止まらない。息が、できない。痛みが、遅れて襲いかかってくる。皮膚が裂け、肉が開き、筋肉が震え、骨の中にまで響く灼けつくような痛みが、全身を支配する。

 

「お前だけ逃げる?許される訳がないだろう、そんな事が」

 

その声には、まるで亡霊のような怨嗟が込められていた。月明かりの下、その顔には確かに、怒りも悲しみもない。あるのはただ、冷ややかで濁りなき憎悪の眼差しだった。

 

「晶さんが復讐すると言うのなら私の出る幕ではないと思っていましたが、彼女が成し遂げられなかったのなら話は別です」

 

男の声は低く、冷たい夜の空気に混じって耳に刺さる。彼は杵島の荒い呼吸を一瞥した後、ゆっくりと跪き、その胸元をそっと押す。傷つき、弱りきった杵島の身体は抵抗一つできず、ただ無様に倒れてうめき声を漏らすだけだった。そんな彼の胸ポケットに、男は赤いカードを収める。

 

「主よ、あの人の代わりに、私は手を下しました。正義でも、慈悲でもありません。私がそうしたかったから、そうしただけです。それでもどうか、あの人が少しでも楽になりますように」

 

感情を排したその声の奥底に、ほんの僅かな慈しみがあった。誰のための祈りなのか。彼が語るその一言一言に、過去に抱えた悔恨と哀しみが滲み出ていた。やがて、苦悶に歪む杵島の目が男の方を向いた。まるで、何かを訴えるように口を動かす。だが舌が乾き、音が出ない。声にならない言葉が空を泳ぐ。

 

「お前は何者なんだって、聞きたいのか?」

 

それを察したように、男はわずかに微笑んだ。目を細めて、ゆっくりと、まるで舞台の幕を下ろすような手つきで、偽物の顔に指をかける。そして、顔の皮を剥がすように、それを取り去った。

 

月光が、彼の素顔を照らした。

 

長めの黒い前髪が風にたなびき、切長の青藤色の瞳が、血の気を失っていく杵島の顔を冷然と見下ろしていた。

 

名無しの殺人鬼(ジャックザマーダー)……ただの人殺しさ……」

 

そう呟くと、ジャックは一瞬、口角をわずかに上げて笑った。そしてその直後、杵島の瞳からすべての光が消えた。彼の胸はもう上下せず、無機質な塊となって夜の地面に転がっていた。

 

沈黙の中、ジャックはその死を確認すると、ゆっくりと立ち上がった。夜風が再び吹き抜け、風に揺れる草木のざわめきが耳をかすめる。彼は赤いカードが収まった杵島の胸元に一度だけ視線を落とし、やがて視線を前へと向け、静かに息を吐いた。

 

ジャックの脳裏に、あの瞬間がよぎる。

古戦場記念館の近くにて、彼は晶が殺人を犯す場面を目撃していた。杵島が犯人だと言う確たる証拠を掴めたら殺そうとは思っていたが、彼女がその復讐に身を投じたので自分は手を引くつもりだった。彼女の怒りと悲しみは、痛いほど理解できた。大切な人を奪われた哀しみがいかに魂を削るかを、ジャックもまた知っていたから。

ただ、そのタイミングでコナン達が現れた。ジャックは晶の身を案じてもいた。仮に杵島が犯人だとして、そのような男が黙って殺されるとも思えない。彼女を巻き添えにする可能性は十二分にあった。だから、コナンたちに犯人達を特定するための手がかりとなりそうな情報を意図的に与えていた。彼らならば己より早く謎を解き、事件を解決させ、これ以上の犠牲者を出さずに事件を終結させてくれるかもしれないと思ったからだ。

 

だが結果として、多くの死者を出した上、晶は復讐を成し遂げることができなかった。だから、代わりに自分が成した。このまま杵島に逃げられたら腹が立つ。そう思ったから殺した。それだけの事だ。当たり前だが、全員が報われるなどという奇跡はない。死者は戻らず、遺された者の心には傷だけが刻まれる。結末は、悲劇と呼ぶに相応しいものだった。

 

ジャックは大きく息を吐く。そして、月光の差す道を、誰にも気づかれぬように、音もなく歩き出す。彼の背後には、血に染まった男の亡骸と、風に揺れる草木だけが残されていた。

 

ジャックは振り返ることなく、夜の帳にその身を溶かしながら、盈月が輝く古戦場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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