令和のジャックザリッパー   作:佐倉シキ

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蘭誘拐事件 上

 

 

 

 

それは、夜の冷たい風が街を包む頃のことだった。

蘭は部活動を終えた後、久しぶりに友人たちと遊びに出ていた。ゲームセンターで遊び、2時間ほどカラオケで声を張り上げ、思い切り笑い、最後にはファミリーレストランでのんびりと夕食を楽しんだ。誰もが学校生活の疲れを忘れ、笑顔を浮かべていた。

 

時計の針が21時に近づいた頃、解散の時間となった。夜の街にはすっかり人気がなくなり、街灯の下にか細い影が映し出されている。蘭は友人の宮村理菜と2人で歩いていた。ふと気づけば、宮村は少し落ち着かない様子で、何かを探すようにキョロキョロと周囲を見回している。

 

「理菜どうしたの?何か忘れ物?」

 

蘭は足を止め、宮村に問いかけた。宮村は少し申し訳なさそうに首をかしげた。

 

「うーん……そうみたい。お守りがどこにもないの」

「お守り?彼氏からもらったって言ってたやつ?」

 

蘭は数日前のことを思い出した。確か宮村は、初めてできた彼氏から贈られたお守りを見せてくれたのだった。赤い布で包まれたそれは、必勝祈願の文字が刺繍されていて、彼女の宝物だった。

 

「そう……」

 

宮村の声はしおれたように低く、肩を落としている。宝物をなくしたかのような悲しげな表情を浮かべる彼女に、蘭は胸がチクリと痛むのを感じた。

 

「それ、大事なお守りじゃない!絶対に探さなきゃ!」

「でも……もう夜だし、どこで落としたのかも分かんないし……」

 

宮村は気弱に呟く。それでも蘭は彼女の手を取った。

 

「それでも探すだけ探してみようよ!もしかしたら見つかるかもしれないし!」

 

蘭の真剣な表情に押されるように、宮村の顔に少し明るさが戻った。

 

「……そうだよね。うん、分かった!探してみる!」

 

そう言うと、宮村は決心したように来た道を戻り始めた。その背中を見て、蘭は当然のように後を追った。街の明かりは薄暗く、人気のない道には冷たい風が吹き抜けていた。落ち葉が地面を擦れる音や、遠くから聞こえる猫の喧嘩の鳴き声が、夜の静寂を際立たせる。蘭はスマートフォンの懐中電灯機能を使い、足元を丁寧に照らしながら進んでいく。

 

「1人で大丈夫だよ」と言う宮村に対し、蘭はきっぱりと言い放った。

 

「夜道は危ないんだから、1人になったらダメ。私が一緒にいるよ!」

「でも……」

「不審者がどこから出てくるか分からないでしょ?その時は私がバシッとやっつけてあげるから!」

 

蘭の冗談めいた言葉に、「それは心強いや」と宮村は思わずクスリと笑った。そんな何気ない会話が、2人の不安を少しだけ和らげた。

街灯がまばらな路地では、影が長く伸び、植え込みや建物の隙間が深い闇となっている。宮村はそんな薄暗い道を足早に進む。蘭もその後を追って手伝った。

気づけば、捜索を始めてから1時間近くが経とうとしていた。寒さと疲労で体は重くなり、足取りも少しずつ鈍ってくる。それでも蘭は諦めず、スマホの光を絶えず動かし続けた。

 

そして、ついに宮村の声が響いた。

 

「あっ!あった!」

 

宮村は道端の植え込みの中に手を突っ込み、小さな赤い布袋を掴み上げた。

 

「これだ……これ!」

 

その瞬間、宮村の目には涙が浮かんでいた。大事そうにお守りを握りしめる彼女を見て、蘭は胸がじんと熱くなるのを感じた。

 

「良かったね!これでまたバスケ頑張れるじゃん!」

「うん……本当にありがとう、蘭!」

 

宮村は感極まった様子で蘭にそう言った。その言葉から伝わる感謝の気持ちに、蘭も自然と笑顔になった。

 

お守りを無事に見つけ、ようやく一息ついた2人。寒さが染み込む夜道を歩きながら、これで帰れるねと笑い合った。しかし、しばらくすると宮村が立ち止まり、通りに目を向けた。

 

「あ、タクシー!」

 

彼女は手を挙げて、通りかかったタクシーを止めた。

 

「タクシーで帰るの?」

「蘭がね」

「え、私はいいよ!歩いて帰るから!」

 

蘭は慌てて首を振るが、宮村は頑として譲らない。

 

「そうもいかないでしょ!蘭は可愛いんだから、強くても夜道は危ないよ。何かあったら大変だもん!」

「別に平気だって」

「いやいや、蘭に怪我させたら、私が工藤に怒られるんだからね!」

「新一は関係ないわよ」

「それがね、あるんだよ」

 

宮村は冗談めかした調子でそう言いながら、手際よくタクシーのドアを開けると、蘭の制服のポケットに2000円を押し込んだ。

 

「ほんとにいいってば!自分で帰るから!」

「ダメダメ。ほら、運転手さんが待ってるよ。足挟むぞー!」

 

宮村が軽く脅すように言うと、蘭は思わず足を引き、瞬間的にドアが閉まる音がした。宮村は助手席のドアを開けると運転手に声をかける。

 

「運転手さん、毛利探偵事務所までよろしくお願いします!じゃあね!私は近くの駅から帰るから、心配ご無用!」

 

タクシーの中から蘭は、走り去る宮村の姿を窓越しに見つめた。その手が力強く振られ、駅の方へと向かっていく後ろ姿が、夜の街灯に消えていく。

 

「出発してもよろしいですか?」

 

運転手が静かに声をかける。蘭はハッと我に返り、慌てて返事をした。

 

「あ、はい。お願いします!毛利探偵事務所まで」

 

タクシーはゆっくりと動き出し、蘭はポケットの中の2000円を取り出した。小さく折りたたまれた紙幣をじっと見つめ、思わず苦笑する。

 

(明日、絶対返してやるからね……)

 

心の中でそう呟くと、蘭は2000円を財布にしまった。

 

車窓から見える夜景は、昼間の賑やかさとは全く異なる顔をしている。街灯が静かに並ぶ通りや、ちらほら明かりの点いた窓が過ぎ去っていく。

 

そんな景色をぼんやりと眺めていた時だった。

 

「あれ……?」

 

違和感が蘭の胸を刺す。タクシーが、目的地を通り過ぎたのだ。蘭は慌てて背後に流れる景色を振り返った。間違いない。先ほど通り過ぎた角を曲がれば、自分の家がすぐに見えるはずだった。それなのに、タクシーは迷うことなく直進している。

 

「すみません、通り過ぎちゃったみたいなんですけど……」

 

蘭は声をかけた。だが、運転手は何の反応も示さない。蘭の呼びかけを無視するように、ただハンドルを握り続けている。

 

「……聞こえてますか?」

 

少し声を張り上げたが、返事はない。ざわり、と胸の奥に不穏な感覚が広がる。嫌な予感が全身を駆け巡った。

 

「すみません、止めてもらえますか?」

 

もう一度、声をかける。だが、その瞬間、運転手の目線がルームミラー越しにこちらを捉えた。蘭は思わず息を呑んだ。無表情で、冷たく光る瞳。その瞳が一瞬だけ蘭を映し、そしてすぐに前方へ戻る。

 

「止めてください!」

 

不安は恐怖に変わっていた。声は裏返り、震えている。それでもタクシーは速度を緩めるどころか、むしろアクセルを強く踏み込む音が耳に響いた。

 

「降ろしてください!聞いてるんですか!」

 

言葉は虚しく車内に吸い込まれていく。運転手は蘭の叫びなど全く意に介さない様子だった。冷や汗が頬を伝い、シートベルトを握る手が震える。このままでは何か悪いことが起きる。蘭の本能が、早く逃げ出せと告げていた。

 

蘭は窓のロックを試そうと手を伸ばした。しかし、スイッチを押しても何の反応もない。完全にロックされている。ドアの内側に手をかけて開けようとするが、鍵は解除されず、ただ固く閉ざされているだけだった。

 

「何これ……!開かない……!」

 

胸の鼓動が速くなる。耳の奥で響く脈打つ音が、どんどん大きくなっていく。

 

「止めて!今すぐここで止めてってば!」

 

必死の叫びにも、運転手は返事をしない。代わりに、ミラー越しに蘭を再び一瞥すると、薄く笑ったように見えた。だがその笑みには、冷たく底知れない狂気が滲んでいる。

 

「なんなの……!?」

 

蘭は窓を叩きながら必死で外に助けを求めようとしたが、人気のない通りを走るタクシーの周囲には誰一人としていない。

 

ふいに、車が減速を始めた。

 

蘭は驚いて前方に目を向ける。信号が赤に変わり、車は交差点の手前で停車しようとしているようだった。交番がある。ここで信号無視をするわけにはいかない。だから止めたのだ。

このわずかなチャンスにかけるしかない。そう判断した蘭は、急いでシートベルトを外し、ドアを開けようとする。

 

だが、その瞬間。

 

「ッあ゛!?」

 

激しい衝撃が蘭の体を貫いた。目の前が真っ白になり、耳鳴りが響く。体が硬直し、筋肉が思うように動かない。

 

(なに……これ……!)

 

痛みの原因を探ろうと視線を下げると、そこには見慣れない器具が蘭の体に突き刺さっていた。細いワイヤーが繋がり、その先には運転手の手に握られた銃のようなものが見える。

 

──テーザー銃。

 

蘭はその名前をニュースで聞いたことがあった。海外の警察が危険人物を制圧するために使う、強力なスタンガンの一種だ。目の前で、運転手がそれを無表情で操作している。

 

「なんで……こんな……」

 

声にならない声が喉の奥で途切れる。痺れるような痛みが全身を支配し、蘭はシートに力なく崩れ落ちた。視界がどんどん暗くなっていく。

 

 

意識が遠のく中、蘭の頭に浮かんだのは、一人の幼馴染の顔だった。

 

(新一……)

 

もうしばらく会っていない、大切な人。彼の自信に溢れた顔が一瞬脳裏に浮かぶ。それがどういう意味なのか、理解する前に蘭の意識は闇に沈んだ。そして、タクシーの中には静寂が戻り、車は闇の中へと走り去っていった。

 

 

 

 

 

  *   *   *

 

 

 

 

 

毛利探偵事務所には、重く沈んだ沈黙が降りていた。昼の日差しは柔らかく窓辺から差し込み、落ち着いた色の床や壁に温かな光を落としている。けれども、その明るさは空間の雰囲気を照らしきるにはあまりにも頼りなく、事務所の中には冷たい空気が満ちていた。

 

「うん、うん。分かった」

 

電話口から離れた声が響き、そしてすぐに無機質な電子音と共に通話が切れた。受話器代わりに使っていたスマートフォンの画面を見つめたまま、ソファに腰かけたコナンは、ゆっくりと顔を伏せるようにうなだれた。

 

(蘭……)

 

胸の内で、誰に向けるわけでもない名前が苦しげにこだまする。右手には握り締めたままのスマートフォン。その画面には何度も繰り返された発信履歴が並んでいる。だが、そのすべてが虚しくも通じなかった。かけるたびに帰ってきたのは、『電源が入っていないか……」という機械音声の返事だったのだ。

 

蘭が、昨夜から忽然と姿を消していた。

 

昨日の夕方、「友人たちと遊びに行く」との報告は受けていた。特に不審な点もなかった。ただ、それきり、帰ってこなかったのだ。深夜になっても連絡は途絶えたまま。彼女から届いた最後のメッセージは「帰りが遅くなりそうだから、先に寝ていてくれ」という、ありふれた内容だった。

 

コナンは、その時の自分の判断を何度も思い返していた。特に疑うこともせず、きっと普通に帰ってくるだろうと判断してしまった。だからこそ、今になって襲いかかる後悔の念は重く鋭く、自らを責め続ける。時間を戻せるものなら、あの時の自分を張り倒してでも迎えに行きたかった。

 

「くそっ……!」

 

思わずソファのひじ掛けを拳で叩いた。その音が室内に鈍く響く。蘭が突然、理由も分からぬまま姿を消すなどこれまでに一度たりともなかった。何か異常が起きている。それだけは、疑いようもない事実として心に重くのしかかっていた。

 

小五郎は、昨日の昼から遠方に住む古い知人を訪ねており、帰宅の予定は今日の夜だった。だがコナンが先ほど彼に事情を伝えたところ、小五郎はすぐに戻ると言ってくれた。それでも帰りは午後になるだろう。状況は刻一刻と悪化しているように思えた。

 

小五郎の帰りを待つよりも先に、コナンは自分で動く決意を固めていた。真っ先に連絡を取ったのは目暮警部だった。彼なら、すぐにでも動いてくれると信じていた。

 

しかし、現実はそう甘くないもので、望ましい結果は得られなかった。

 

『申し訳ない、コナン君。今は都内で発生している殺人事件の対応で忙しくてな、連続殺人の可能性があるんだ。すぐに向かう事は出来なそうだから、別の者を向かわせるよ』

 

電話越しの声は少し疲れており、そして申し訳なさそうでもあった。もちろん、目暮も事情を理解していることは分かっていた。それでも、まだいなくなってからそう時間が経っていない女子高校生の失踪に手を貸せるほどの余裕はなかったのだ。

今の事件がそれほど緊急を要することなのだと悟るには十分だった。殺人事件が起きている中での謎の誘拐事件。まさかそんな偶然が重なるとは思いたくない。けれども、それが関連しているのではないかという思いが、どうしても頭を離れない。それが、余計に心のざわめきを大きくしていく。

 

胸の奥がじわじわと熱を持ち始めていた。何かに火がつく直前のような、静かで、だが確かな焦燥。理性という名の蓋で抑え込んでいた感情が、今にも溢れ出しそうになっていた。

 

(蘭……どこに行ったんだよ……)

 

心の中で何度目か分からぬ問いを繰り返しながら、コナンはゆっくりと立ち上がった。そして、傍らに立てかけてあったスケボーを手に取ると、ほとんど反射的にドアへと向かった。

 

「……っ!」

 

ドアノブに手をかけ、そのまま勢いよく開け放つ。外の空気が一気に流れ込んできた。夏のそよ風が心地よく頬を撫でるが、そんなものを感じている余裕はなかった。彼の中で一つの決意が、形になった瞬間だった。

 

待ってなどいられない。何もしないままでいることが、なによりも耐えられなかった。

 

(待ってろ、蘭。……絶対、見つけてやるから)

 

唇をきつく結び、歯を食いしばる。頭の中で自分に言い聞かせながら、コナンは通学路を全速力で駆けていった。スケボーのモーターが低く唸り、彼の小さな体を風のように押し進めていく。

 

蘭が向かったというゲームセンターやカラオケ店、そしてレストラン。彼女が辿ったであろう道筋を一つひとつ、目を皿のようにして辿る。しかし、何も手がかりは見つからなかった。阿笠博士や灰原にも連絡を取り、蘭のスマホから何かしらの位置情報を割り出せないかと頼んではみたものの、結果は芳しくない。園子にも当然連絡入れたが、昨日最後に蘭といた女子生徒は風邪を引いたらしく、寝込んでいるのかまだ連絡がついていないらしい。家を直接訪ねてくれるらしいが、時間はかかるだろう。

 

証拠がなければ、推理も成り立たない。

コナンにとって、それは探偵としての致命的な無力を意味していた。

 

「クソッ!!」

 

悔しさと無念を吐き出すように、声を張り上げた。その叫びが、街の喧騒の中に吸い込まれて消えていく。

 

居ても立ってもいられず、そのままコナンは警視庁へと向かった。自分のこの行動が衝動的で、短絡的であることはわかっていた。それでも、動かずにはいられなかった。何か、何か情報が欲しかった。

 

警視庁が視界に入り始めた時、スケボーを脇に抱え、足で地面を蹴り出すように走り始めた。前方の建物に目を向けながら、焦る心が鼓動となって耳元で響く。その時だった。

 

ふとした拍子に、彼は後ろを振り返った。

 

それは、まったくの偶然だった。そこに止まっていたのは、一台の車。艶やかな黒と深紅が溶け合う、洗練されたデザインのフェアレディ。普段であれば通り過ぎてしまうような光景だった。しかし、その車に対して、なぜだか心がざわついた。何かが引っかかる。

 

コナンは警視庁の正面玄関まで辿り着いた。だが、胸の中に芽生えた違和感が、彼を後ろへと振り返らせた。

 

そして、見た。

 

「ッ!?」

 

そこにいるはずのない人物が、車の中に座っていた。

 

おかしい。あり得ない。だが、それでもコナンの直感は叫んでいた。“彼”なら何かを知っている。そう確信するほどの、直感としか言いようのない確かな感覚。

 

何も言わず、コナンは走り出した。警視庁を背にして、あの車へと駆け戻る。そして、躊躇することなく助手席のドアに手をかけ、勢いよく開け放つと、身を滑り込ませるように乗り込んだ。

 

質問をするのも、言葉遊びで探り合うのも、すべてが時間の無駄だ。今は一秒でも惜しい。そう考えたコナンは、迷うことなく単刀直入に言葉を投げかけた。

 

「ようジャック、こんな時間に、こんなところで何をしてるんだ?」

 

運転席に座っていた男は、意表を突かれたように一瞬だけ目を見開いた。意外だった、というよりは予想外だったという表情だ。だがすぐに諦めたように肩を落とし、短くため息を吐いた。

 

「……貴方に会う予定は無かった」

 

どこか芝居がかった、そして冷え冷えとしたその声は、紛れもなく毛利小五郎の声だった。だが、そこにいるのは毛利小五郎ではない。顔も声も小五郎と全く同じ。だが、目の奥に宿る冷たい光が、彼が別人であることを物語っていた。

 

彼の正体が連続殺人鬼のジャックザマーダーであると確信できた理由は一つ。変装した対象が毛利小五郎だったからだ。小五郎は昨日の昼に急に出かけることになったのだから、今ここにいるはずがない。

キッドやベルモットも変装は同じく得意としているが、小五郎に化けて出歩く理由が思いつかなかった。ビッグジュエルの情報は無いし、ベルモットがそんなことをする理由はない。ジャックならば、殺人事件について調べるために小五郎の姿を使う事もあり得るだろうと考えたのだ。

 

「それで、何をしてたんだよ」

 

コナンは静かに、だが鋭く問い詰めた。声には威圧が込められていた。手首にはお馴染みの時計型麻酔銃が装備されている。ほんの少しだけ角度を変えて、その銃口をジャックに向けた。

 

ジャックはその動作を横目で確認すると、特に驚いた様子もなく、淡々と手を伸ばして車のエンジンをかけた。静かに始動するエンジンの音が、微かに車内に振動を伝える。

 

「殺人事件を調べてましてね。知っていますか?若い女性が連続して失踪していて、1週間ほど経ってから死体で見つかる事件です。私はこれを連続誘拐殺人事件だと思っている」

 

その口調はあまりにも落ち着いていた。コナンに問われたから答えただけである、と言った様子だ。しかし、予想していた反応とは違っていたのは、コナンの表情だった。好奇心を示すでもなく、いつものように冷静に分析するわけでもない。ただ顔色を明らかに悪くし、焦りを滲ませて思考の渦に沈んでいく。

 

ジャックはそれを見て、ほんの少しだけ視線を落とし、思考を巡らせた。そして、静かに尋ねる。

 

「……何か手掛かりは得ましたか?」

「いや、全然。正直何の手掛かりもねぇ。分かってるのは昨日の夜にいなくなったって事だけだ」

 

答えながら、コナンは視線を伏せた。かすかに唇を噛んでいる。無力感と焦燥、そして自責の念がその声に滲んでいた。

 

「そうですか」

 

ジャックはそれ以上何も言わず、短く応じると車を滑らかに発進させた。

 

「おい、どこに行くつもりだ?」

 

助手席で警戒を解かぬまま、コナンが問いかける。だがジャックは前を見据えたまま、答える。

 

「私が集めた資料を見せてあげます。何かの役には立つでしょう」

 

その言葉には余計な感情も、駆け引きの余地もなかった。ただ、事実として語られる一文。それを最後にジャックは黙り込み、車内には再び沈黙が流れ始めた。選べる手段は限られていた。相手がどんな存在であれ、鬼でも悪魔でも、殺人鬼でも今は関係ない。ただ、蘭を見つける。それがすべてだった。

 

コナンはシートベルトを締め直しながら、心の中で覚悟を決めた。そして、移動中の車内で、蘭が失踪するまでの状況、自分が調べたすべてを余さずジャックに伝えた。情報を惜しんでいる場合ではなかった。何より、今は一つでも多くの可能性を探すことが先決だった。

 

やがて、車がスピードを緩める。20分ほど走り続けた先に現れたのは、一見するとこぢんまりとした、だがどこか趣のある建物だった。人通りの少ない路地に面したその場所は、看板もなく、どこか秘密めいた空気をまとっている。

 

ジャックがドアを開けて中へ入っていくと、そこはまるでバーのような落ち着いた空間だった。恐らくは、レンタルスペースである。

薄暗い照明が天井から柔らかく差し、青みがかったライトが部屋の奥の水槽を照らしていて、その水槽の中では幾匹もの熱帯魚が優雅に泳いでいる。壁際には数々の酒瓶が並び、ブルーの光に照らされたガラスの棚が、幻想的な雰囲気を演出していた。

 

コナンはゆっくりと足を踏み入れ、視線を巡らせる。整然としたテーブルの上には、すでに何枚もの書類が並べられていた。

 

「着替えてきます」

 

そう言い残すと、ジャックは何の躊躇もなく奥の扉へと姿を消していった。その背中を見送りながら、コナンは静かに息を吐いた。そして、テーブルに置かれた資料へと手を伸ばす。置かれていた資料はすべて、殺人事件の詳細を綴ったものであった。コナンはその一枚一枚に目を走らせる。どうやって手に入れたのかは分からないが、遺体の写真すら含まれていた。だが、記載されている情報の濃さと正確さから、裏付けの取れた資料であることは間違いない。

 

犠牲者は、いずれも若い女性ばかりだった。通報のタイミングが遅れたものもあり、断定はできないが、共通しているのは“行方不明から約1週間後に遺体として発見されている”という点だった。最初に見つかった遺体は刺殺、次の犠牲者は撲殺。そして、残る二人は絞殺。どれも無惨な最期だった。

 

共通点は、他にもあった。おそらく、性的な暴行が加えられていたと見られる。しかし、体液の付着などはなく、直接的な痕跡はない。そこから導かれる可能性は一つ。犯人は強姦に玩具を用いた、という推測だった。

 

「クソッ、クソクソ!ふざけんなよッ!!」

 

資料に記されたあまりに酷い事実に、コナンの理性が音を立てて揺らいだ。もし、万が一でもこの一連の誘拐殺人事件と、蘭の失踪が関係していたら。そう思った瞬間、怒りが全身を駆け巡る。胸の奥が熱を帯び、歯を食いしばると、資料を握る手に無意識の力がこもった。紙がグシャリと歪む音が、沈黙の中に響いた。

 

「それらの女性は全て都内に居住。最後の被害者が見つかったのは、8日前ですね。いや……もしかしたらですが、今貴方と親しい警部が調べている新たな犠牲者こそ、一番新しい被害者かも」

 

華やかで透明感のある声が、沈んだ空気を破るように響いた。ふと顔を上げると、テーブルの上に新たな写真が四枚、静かに追加される。映っているのは、遺体発見現場と見られる場所の写真だった。

 

「誘拐なら目撃情報が上がっても良いものですが、それもなし。全員が全員、誰もいないような深夜に行方をくらましたというわけでも無いのに」

「知人の犯行か?」

「毛利蘭を含めた、年齢もバラバラなこの5人に共通の知り合いがいる確率は?」

「考えられないくらいに低いか……」

 

吐き出すようにそう答えてから、コナンは顔を上げた。そこに立っていたのは、見覚えのない女性だった。銀色の髪が淡く光を反射し、ゆったりとしたオーバーサイズのパーカーに、落ち着いた色味のワイドパンツを合わせている。視線が合った瞬間、気がついた。その瞳の色には見覚えがあった。牡丹色。メガネをかけた男の顔と同じ、深く澄んだ色だった。

 

「誰の顔だよ」

「さて誰でしょう?」

「……今そんな事考えてる場合じゃねーんだよ」

 

そう。今はそんな事を言っている場合じゃない。そう言って、コナンは再び視線を資料へと戻した。

 

「写真だけじゃ何も分からないぞ」

「ですが証拠は何もありませんよ。当然ですが現場はすでに片付いている」

 

その言葉は、分かりきっていた事実だった。だが、改めて突きつけられると胸が重くなる。手元にあるのは、遺体の状態、発見された場所、失踪した日時。それら断片的な情報のみ。だが、それだけでは事件の全貌は見えてこない。今回のような事件には、派手なトリックなど存在しない。暴かれるべき仕掛けもなく、ただただ現実だけが冷たく突きつけられる。

 

「飲み物、飲みます?お酒しかありませんけど」

 

コナンの思考が焦燥に縛られ始めたその時、再びジャックの声が届いた。彼はコナンの隣の椅子を静かに引くと、そこに腰を下ろした。動作は無駄がなく、妙に様になっている。手際よくカクテルを作ると、それをグラスに注いだ。氷がカランと音を立てる。

 

「いらねぇよ」

「そうですか」

 

ジャックは淡く笑みを浮かべると、カクテルを脇によけた。そしてすぐに話を続ける。

 

「犯人はなぜ殺害方法を変えたのでしょう?」

「は?」

「最初は刺殺、続いて撲殺、残り2回は絞殺です。なぜ?」

「知るかよ、そんな事。人殺しの考える事なんてわからない。その時手元にあった道具で殺したんじゃないのか?」

 

コナンは苛立ちを隠さず、怪訝な表情でそう返す。だが、ジャックの追及は止まらなかった。

 

「写真を見比べてください。最初の被害者、浜中凛花さんの攫われる前と、遺体の写真」

 

言われるままに、コナンは資料を開き、二枚の写真を並べて見比べる。無論、生者と死者では表情も雰囲気もまるで違う。それでも何か違和感があった。目に付く変化は、髪だった。

 

「脱色をそのまま放置していたであろう茶髪が、綺麗に染められていますね。それに、メイクも施されている。これは他の犠牲者も同様で、髪を整え、美しくメイクされています。なぜ?」

「攫われた日に美容室にでも行ったんじゃねぇのか? それにメイクだって、そのまま放置してたとか」

「1週間も保ちませんよ。明らかにメイクを施している。殺人前か、後かまでは知りませんけど。一体何故そんなことをしたのでしょう?」

 

その問いに、コナンは眉を寄せて沈黙する。理由が思いつかない、というより、そこに意味を見出す余裕がない。蘭の行方とつながるのかさえ分からない。だが、ジャックは止まらなかった。

 

どうやって目撃されずに誘拐したのか。なぜ、誰にも警戒されなかったのか。なぜ1週間も経ってから殺すのか。強姦が目的ならば、なぜ自分の身体を使わず、玩具を使うのか。なぜ髪型を整えるのか。なぜネイルを施すのか。なぜメイクをするのか。

 

なぜ、なぜ、なぜ、と。

 

そんなもの、こっちが知りたいに決まっている。知りたいからこそ、何か手掛かりを持っているのではないかと、コナンはジャックに声をかけたのだ。だが返ってくるのは疑問ばかり。まるで、己が何も分からない事を揶揄われているような気分になる。それがもどかしくて、苛立ちの矛先を押さえきれず、コナンはついに声を荒げてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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