「分からねぇよ!」
荒々しいような、追い詰められたような、そんなコナンの声が室内に鋭く反響する。空気が一瞬で張り詰めた。
「何もわかんねぇからこうやって、何か、何か一つでも手掛かりはないかって……クッソ!」
言葉の最後は、怒りとも焦燥ともつかぬ叫びに変わる。拳をぎゅっと握りしめる。自分でも分かっていた。追い詰められているという自覚は、最初からあった。そして、この怒りは理不尽でしかないことも。だがそれでも、コナンには抑えきれなかったのだ。蘭の姿が見えない。生きているのかどうかさえ分からない。そんな状況で、冷静でいられるわけがなかった。
「くそ……」
これ以上ここにいたら、もっと理不尽な八つ当たりをしてしまうかもしれない。そんな危険を感じ取り、コナンは椅子を離れると、逃げるように出口へ向かった。手がかりはないか、どこかにヒントがないか。確証のないまま、それでも動かずにはいられなかった。
「悪かったなジャック、怒鳴ったりして。俺にはお前の疑問に答えは出せねぇよ。とにかく蘭を探すことが最優先なんだ。その事件は」
ドアノブに手をかけ、扉を開けようとしたその時だった。背後から、不意に低く、だがよく通る声が飛んできた。
「待ってくれ」
その声には耳慣れない響きがあった。どこか若く瑞々しく、それでいて上品さを含んだ、男の声。その声の主が誰なのか、すぐに理解したコナンは、驚愕に瞳を見開いて振り向いた。
「ジャッ……」
言いかけた言葉を飲み込む。そこにいたのは、今までとはまるで違う声を発するジャックだった。彼はゆっくりと立ち上がり、穏やかながらも確かに反省の色を湛えた瞳でコナンを見つめていた。
「悪かったよ。アンタを揶揄ってるわけじゃ無かったんだ。毛利蘭は何も言わずに失踪するような人間じゃない。いなくなったんなら、攫われた可能性が高い。そんな中、都内では似たような年代の女性が誘拐して殺されると言う事件が4回も発生している。関係している可能性が高い。だから、この犯人を探すことは、毛利蘭を見つけることに繋がる……と、思う」
真摯な言葉と共に、彼の手が無意識に帽子の鍔を下ろすように動く。が、変装中の今、彼の頭に帽子はない。気まずそうに眉間に手をやると、その手を下ろして視線を横に逸らした。
「別に、アンタが何も掴めてない事を揶揄ってる訳じゃなかったんだ。まあそう思わせちまったのは俺のしくじりなんだけど……」
言いながら、ジャックは再びテーブルに向き直り、整然と書類を並べ始めた。落ち着いた所作は、今までの態度とはまた違う一面を見せていた。
「いいか名探偵。大体の場合だが、怨恨が動機じゃない連続殺人っていうのには、犯人の起こした行動の全てに理由があるんだ」
静かに語られるその言葉に、コナンは眉をひそめた。
「理由?」
「ああ。殺害方法を変えた理由、1週間殺さなかった理由、強姦に玩具を使う理由、被害者の身なりを整える理由。俺みたいな奴が犯人を特定するには、こうやって、一つ一つ“なぜ?”と言う疑問を潰して犯人像を絞っていくしかないんだよ」
「プロファイリングってやつか」
コナンが口を挟むと、ジャックは頷いた。プロファイリング。それは、犯行現場の状況や手段、被害者の情報などから、心理学や統計に基づいて犯人の人物像を導き出す技術の事だ。
「尤も、素人の真似事だけどな」
彼は自嘲するように肩を竦める。だが、これまでの彼の起こした事件を考えれば、その技術がいかに優れたものなのかは理解できる。
ジャックがなぜ次々と疑問を投げかけてきたのか、その理由は今ではよく分かった。けれど、今度はコナンの中に、別の疑問が生まれていた。
「何でそこまでする?」
ぽつりと呟いたその問いに、ジャックは振り返る。
「何が?」
「お前にはオレに協力するメリットがないだろ。オレは、お前を捕まえてやりたいと思ってるんだぞ?」
口調は真剣そのものだった。コナンとジャックは仲間でも友人でもない。敵対しているのだ。だからこそ、このように自らの情報を開示してまでコナンを呼び止め、蘭の捜索に手を貸してくれる理由が分からなかったのだ。声なんて、個人を特定するのに大いに役立ってしまうのに。なぜ、そこまでのリスクを背負ってまで……。コナンがそう尋ねると、ジャックはしばらく黙り込んでいたが、やがてゆっくりと言葉を継いだ。
「死んじまったら、もう2度と会えない。それは酷く辛いからな。アンタらにはそうなって欲しくない」
静かで、それでいて深く沈むような声音だった。
それだけで、察せるものがあった。
「お前……」
彼がよく使っているメガネと銀髪の男性の顔。今この場にいる、その男性に似ている若い女性の顔。すべてが繋がっていく。雰囲気が似ているその顔を、意味もなく使うとは考えにくい。それならば恐らく、この二人は実在した人物であり、兄妹。そして今のジャックの言葉から察するに、きっとその兄妹は、もうこの世には存在していないのだ。
予想外にも、殺人鬼の新たな一面を知ったコナンは、思わず黙り込んだ。自分が八つ当たり気味に怒りや焦りをぶつけたばかりの相手が、こうも率直に、真摯に言葉を返してくるとは思わなかった。苛立ちと苛責の感情は、今や落ち着きを取り戻すべきだという理性に押し流されていく。怒りに任せて飛び出したところで、何が変わるというのか。最善の策はただ一つ、ジャックと共に犯人を見つけ出し、蘭を助け出すこと。そして何より、彼の示した誠意に応えることだろう。
コナンは少し俯き、短く息を整えると、静かにジャックへ頭を下げた。
「悪いジャック。頼む、蘭を助けるのに手を貸してくれ」
その言葉に、ジャックはふっと微笑を浮かべる。
「当然さ、名探偵。その為にアンタを連れてきた」
彼の声には、迷いも揶揄もない。ただ、純粋な意志が込められていた。再び席へ戻ったコナンに、ジャックは整えた資料を手渡すと、手元の一枚を指差した。遺体の写真がまとめられている資料だ。
「殺害方法を変えたのは何故か、だったか?」
「ああ。対人関係の怨恨に関係しない連続殺人犯ってのは、割とこだわりを持ってる奴も多い。コイツにだってルールはある。攫ってから七日で殺す。身嗜みを整えさせる、ってな。武器や殺し方を変えるんなら、変えるに値する理由があったはずだ」
「お前も途中まで首ばっか狙ってたもんな」
「そうだな、俺のこだわりだった。ただ固執してる訳じゃないから変えた。俺が変えた理由はアンタに邪魔されたからだけど、コイツはどうしてだろう」
問いかけを受け、コナンは眉根を寄せて考え込む。最初の犠牲者の記録が脳裏に浮かんだ。刃物で四ヶ所も刺されており、失血死していた。だがどれも急所を外していたのだ。
「恐らくだが殺すのに手こずった。急所が分からなかったんだ。だから次は撲殺にしてみたんだ。鈍器を使って頭部を殴れば、大抵は致命傷になるからな」
「じゃあ何でその次は絞殺にした?」
「刺殺も撲殺も血が出る。処理が面倒だったんだろう。わざわざ着替えさせて捨てるわけだしな。その点、絞殺なら血は出ない。ナイフを刺したら後処理が大変になるってことにも気が付かない、短慮で感情的なバカだったやつが、徐々に殺人鬼としてレベルアップしてるんだよ。数をこなす毎にコイツは厄介になる」
その言葉が、コナンの背筋に冷たいものを走らせた。犯人は経験を積むごとに、より上手くなっていっている。コナンは今まで出会ってきた数々の人々、事件、そしてその中で交わされた言葉の数々を思い返した。探偵としての経験が、思考の中で次々と繋がっていく。
「昔、親父から聞いたことがある。人を殺した後、その相手の身なりを整えるのは、後悔しているからだって」
「だが遺体はポイ捨てだ。薄汚いところに、綺麗に整えた遺体を放置。多少後悔はしているかもしれないが内心、女のことを見下してる。だからこんな事ができる」
「女性のことを見下してるような奴が、騒ぎを起こさずに誘拐できた理由は何だ?」
「考えられるパターンはいくつかある。本当に誰もいない場所で攫ったか……」
「遮って悪いがそれはない。蘭は攫われる少し前まで友達と一緒だったはずだ。声を出せば気付くはず」
「なら毛利蘭からついて行ったんだ。正確には乗り込んだ、かな?」
「知人の犯行って言いたいのか?その説はさっき否定しただろ……いや、まさかタクシーか?」
その瞬間、コナンの言葉が終わるよりも早く、ジャックが動いた。彼は手元のパソコンを素早く操作し、映像ファイルを立て続けに四つ再生する。そこに映っていたのは、四人の犠牲者が最後に姿を見せた場面。それとその周辺の地図だ。彼女達のうち二人はタクシープールのすぐそばで確認され、残る二人の映像にも、数台のタクシーの姿が映り込んでいた。
「断言はできないが……」
そう言いつつも、ジャックもコナンも、胸の奥で確信に似た感触を抱いていた。
「じゃあ次だ。犯人は強姦している。強姦が目的なら攫ったその日にさっさと犯して、その日のうちに殺せばいい。だがそうしない。何故だ」
「……強姦が目的じゃ、ないとか?」
「いいや、強姦は目的だ。司法解剖の結果によると全員もれなく傷がつけられている。目的ではないのなら、毎回犯す必要はない」
「捕まえてる一週間のうちに、興奮して気が昂っちまったからとか」
「それはない。恐らく犯人は不能だ」
「何でわかんだよ……」
「自分のものが使えるのなら玩具を使う必要はない」
ジャックのあまりに淡々とした言い切りに、コナンは返す言葉もなく、押し黙った。だがすぐに、思いついた可能性を口に出す。
「例えば犯人が、女性だとしたら?」
「いい質問だ。その可能性も頭に入れておこう。だが今、俺はこう考えている。強姦は殺人の原因ではなく、一因であると」
「つまり……?」
殺人事件に対してこう言う方向から考えたことのなかったコナンは、あまりピンときていない様子で首を傾げる。
「一週間という時間に意味があるとするならば、この期間に何かをすることが犯人の目的なんだ。大抵、サディストな殺人鬼なら拷問したりで痛めつけた痕跡があるが、この女性たちにはそれがない」
「だとすると、何かをしたくて誘拐して、その最終目的がレイプ?」
「かもしれないな」
段々と事件に対する解像度が上がってきた。コナンは先ほどまでの怒りや焦燥を一旦胸の奥にしまい、静かに資料へと目を落とした。眉根を寄せ、脳内で情報の断片を繋ぎ合わせていくその姿は、いつもの少年探偵そのものだった。
「良い顔になってきたな」
と、隣でジャックがふと口にする。皮肉ではなく、本心からの賞賛だった。
「犯人は恐らくタクシーの運転手。そして、死体の状況を見るに、メイクやヘアスタイルに関する技術を持っている。素人にしては上手すぎるから……」
「だが恐らく自分に自信はない。最初の被害者は攫って縛った上で滅多刺しにしたんだ。動けない相手に対して過剰な暴行。それに、冷静さが感じられない。一度刺してパニックを起こしている。これが初犯だったのだろうが、犯行を重ねる毎に自信をつけた」
「攫って1週間殺さないのは、その1週間に行う何かが犯人にとって重要だからだ」
「何らかの妄想の実現だろう。犯人の頭の中では他人であるはずの女性が、自分の知人に置き換わっているのかもしれない」
「そう言えば、こういう殺人犯は大抵、幼少期にトラウマを負ってるんだとも親父が言ってたな。イジメか、事故か、近しい人物の死か……」
「それがトラウマで不能になった?」
「不能が原因で虐められたか?それなら女性ばかり襲い、性行為にこだわる理由にも説明がつく」
「自信を取り戻したいのかもな」
会話が一区切りつくと、ジャックは椅子から立ち上がり、無言でスマホを取り出した。そして手馴れた様子で誰かに電話をかけ始める。
「俺だけど、調べて欲しいことがあるんだ」
低く落ち着いた声で、これまでの会話を簡潔にまとめ、電話の相手へ伝えていく。
「この5件の誘拐の直前、必ず近くに居合わせた個人タクシーがいるはずだ。もしかしたら前職は美容師か、スタイリスト。それに類するものかもしれない。退職理由は人間関係だと思う。
それに多分だけど、もう事情聴取は受けてるはずだ。自信をつけてきているわけだし、警察がどの程度自分に迫っているか知りたがってるはず。じゃあ、任せた」
通話を終えると、無言でスマートフォンをポケットにしまう。その仕草を見ながら、コナンがぼそりと呟いた。
「やっぱり協力者がいるのか」
「1人でできることには限界があるだろう。キッドにだって協力者はいるんだ。俺にだっている。俺は天才じゃないしな」
どこか自嘲めいた笑みを浮かべ、ジャックは肩をすくめる。だがその瞬間、スマホから軽い通知音が響いた。彼は即座に画面を確認し、ふっと笑う。
「俺は天才じゃないけど、俺のパトロンは天才だ」
画面に映されたのは、一人の男の名前とその略歴だった。大木将成。美容の専門学校を卒業後、スタイリストとして活動するもモデルとのトラブルにより退職。半年ほど前から個人タクシーの運転手をしているという。
「ここまで当たると気分が良い」
「コイツか!?コイツがッ!」
コナンの目が怒りに揺れる。睨みつけるようにスマホの画面を見ると、すぐさま立ち上がり、その場を後にする。ジャックも無言で後に続き、車のキーを鳴らしてドアを開ける。コナンが助手席に乗り込むと、スマホに表示された住所を元に目的地へと車を走らせた。
やがて辿り着いたのは、都内にしては古びた、薄汚れた一軒家だった。塀はひび割れ、庭には雑草が生い茂り、外壁にはカビが浮いている。
「都内に一軒家を買う財力がある割に、掃除が行き届いていない。雑草やカビに塗れてる。他に目を向ける余裕がなく、自分の世界に閉じこもりっきりで妄想を拗らせたのか?家は親の財産か」
「んな事より今は蘭だ!」
「分かっているよ」
言葉を交わすと、ジャックは家の前に立ち、無造作に呼び鈴を押した。だが応答はない。しばらく耳を澄ませた後、コナンが焦ったように口を開く。
「くそ!目暮警部達に連絡して捜査してもらうか……ッ」
「それは俺がとても困る」
ジャックは冷静にそう言い、コナンの肩を軽く押しのけると、鍵穴の前に膝をついた。そしてあっという間にピッキングで鍵を開けてしまった。あまりの手際にコナンは呆れすら感じたが、それよりも今は蘭の安否が優先だ。
家の中へと踏み込んだコナンは、駆けるように部屋という部屋を探索した。だが、どの部屋にも人の気配はない。埃が舞い、冷えた空気が虚しく満ちているだけだった。
「クソッ!外れかよ!」
「いいや、当たりだ」
ジャックが断言する。その声に振り返ると、彼はリビングの一角に置かれた古びたデスクに腰を下ろし、パソコンを起動していた。その中には今まで誘拐した女性の写真や映像が残されていた。
そして、その傍らには、コナンが走り回っている間に見つけ出したであろう、乱雑に積まれた卒業アルバムが転がっていた。
「何だこれ……」
思わず、コナンは眉をひそめて呟いた。開かれているページは異様だったのだ。個人写真のページの一部で、数人の生徒たちの顔写真が黒く塗り潰されていたのだ。その無惨な塗りつぶし方は、理性を欠いた怒りの表れとしか言いようがなかった。さらに最後のページ、寄せ書きのために用意されたメッセージ欄は、破り取られて欠けている。
「写真に怒りをぶつけている」
ジャックは冷ややかに言い放った。そのまま、部屋の全体を見渡しながら言葉を続けた。
「この部屋を見るだけで犯人の人間性がわかる。物が溢れて狭くて雑然としていて、部屋の隅にはカビやホコリが積もっている。カーテンはずっと閉めっぱなしで、昼間だっていうのに薄暗い。
棚を覗けば、まるで隠すように薬が置かれていた。調べてみれば、それは全てEDの薬だ。取り出しにくいだろうにこんなにしっかり隠すとは、相当気にしているな。
もう28にもなるってのに、小学生の頃から使っていたキャラクター柄の学習机を、今でも使い続けている。しかもその机は傷だらけだ。そして机の上には、小学生時代に取った皆勤賞の賞状が誇らしげに飾られたままになっている。他に誇れるものがないんだろうな、未練を感じるよ。きっとこの頃の自信を取り戻したいんだ。
この部屋の持ち主は幼稚で、短絡的で、怒りっぽく、妄想を拗らせてる。そして事件がうまく行っている今、全能感に浸り、己が強者であると自認し始めている」
そう言いながら、ジャックは机の引き出しを開き、あるものを取り出した。それは、学習ノート。表紙にはボールペンで荒々しく“復讐ノート”と書かれていた。
「何だそれ?」と、コナンが怪訝そうに尋ねる。
「自分をいじめてきた相手に対する復讐を綴った妄想ノートだ。こうしてきた相手をこう嬲る、こう言ってきた相手をこう痛ぶる。そんなふうな事が、かなり詳細に書かれてる。まぁ……やり返してボコボコにして見返してやりたい、という叶わない欲求をここに書き綴る事で発散してたんだろうな」
ジャックはノートをコナンへと渡し、それから再びパソコンの前に向き直った。コナンが感心したように、「よくパスワードが分かったな」と問いかけると、彼は短く答えた。
「幼稚な人間だ。375644で開いたぞ。誰にも見られるなんて考えていなかったんだろう」
画面に映し出されていたのは、犯人が利用していたSNSのページ。そこには社会への不満、女性に対する愚痴、暴言が延々と書き連ねられていた。
「なかなかフラストレーションを溜めてるな。だが問題はこっちのメモだ」
「どれだ?」とコナンが覗き込む。彼の目に映ったのは、拙く稚拙な文体で綴られた、恋愛小説らしき文章だった。読めば読むほど、コナンの表情は強ばっていく。そこに描かれていたのは、自分が素晴らしい女性に認められ、付き合い、そしていじめっ子たちを見返すという内容だった。
「ああ、なるほどな。1週間はこの為だったか」
ジャックは静かに呟いた。
「恋愛というものは段階を踏むものだと強く認識している。出会い、恋し、付き合い、手を繋ぎ、デートをする。そしてキスをして、セックスをする」
「それを一つずつこなす為の7日間だったのか。強姦殺人のための誘拐じゃなくて、恋愛の妄想を実現するための誘拐。だから……その、セッ…性行為が終着点になってるって事かよ……」
「セックスとは究極の愛の形だと考えている。だけども己は勃たないし女性は泣き喚くしで、これではとても愛とは呼べない」
「だから、殺すっていうのか……」
「衣服を整えるのは後悔しているからとも考えられるが、メイクまで行くと話は変わってくるな。自分が綺麗に整えてやった。自分のおかげである、自分の方が上。支配者は己だと示したいのか?」
あまりに理不尽で、想像を絶するほど自己中心的な論理。コナンは胸の奥からこみ上げるような吐き気を堪えながら、眉間を強く指で揉んだ。今は気を悪くしている暇はない。
「今、毛利蘭は多分“恋をする”の段階だ。まだ大した怪我は負ってないはず」
「問題は何処に攫ったのか、だ」
「これだけ幼少期の栄光に拘っている男だ。間違いなく関係する場所に攫っているはず」
ふたりは言葉を交わすとすぐさま動いた。部屋中をもう一度、徹底的に捜索し始める。日記、SNS、手帳、メモ。あらゆる記録を洗い出し、犯人が潜伏しているであろう場所の手がかりを探す。
そしてついに、コナンがそれを発見した。暗号のように見える言葉で書かれていたが、コナンにとっては、まるで赤子の手をひねるように簡単なものだった。
2人は再び車に乗り込み、躊躇うことなく発進させた。タイヤが地を蹴り、目的地へと続く道をひた走る。
「Lord Jesus, you suffered for us. Shine your light upon those who now suffer.Keep them safe, and let hope never leave their hearts.」
静かに響いたジャックの祈りの言葉が、車内に張り詰めた緊張を少し和らげる。その声を耳にしながら、コナンは蘭を強く思い浮かべていた。
(待ってろよ、蘭!必ずオレが助けてやるから!)
そうして、走ること数十分後、彼らは目的地に辿り着いた。郊外の森の中、人の気配がほとんどない静寂に包まれた場所。そこには古びた小さな山小屋がぽつりと佇んでいた。日記によると犯人である大木が子供の頃に“秘密基地”と称して使っていた場所である。
車から降りると、ジャックは迷いなく懐から拳銃を取り出し、山小屋の扉の前に立った。コナンもすぐに麻酔銃を手にし、緊張感を漂わせたまま構える。中の様子を伺いたいが、すべての窓のカーテンが閉じられており、外からは何も見えない。しかし、微かに聞こえるくぐもった話し声が、そこに人がいることを確信させた。
判断は一瞬だった。ジャックは無言のまま扉を蹴り上げ、乾いた音と共に内部へと突入した。
「動かないで!警察です!」
高く透き通るような女の子の声が、怒気を孕んで響く。直後、コナンもすかさず後に続いて飛び込み、麻酔銃を構える。
「ッ!蘭ねぇちゃん!!」
コナンの瞳が大きく見開かれた。そこには、ずっと探し続けていた彼女の姿があった。まだ会っていない時間は1日にも満たないはずなのに、その顔を見た瞬間、何日も何週間も会っていなかったかのような感情が胸に広がる。蘭は口と手足がガムテープで塞がれていたが、幸いなことに、目立った外傷はなかった。「コナン君!?」と叫ぼうとしたのか、しかしテープのせいでその声は掠れた音になった。
だが、安堵の瞬間はすぐに緊張へと変わる。犯人の大木が、蘭の腕を乱暴に引き寄せた。その手には、鋭い刃物が握られていた。
「来るな!寄るな!この女を殺すぞ!」
怒鳴り声が室内に響く。しかしその声の裏には、焦りと恐怖が確かに滲んでいた。
「殺して何になるんです?彼女を殺す彼氏なんて、そんな愚かで情けない男はそう存在しませんよ」
ジャックの返した言葉に、大木は眉を吊り上げた。悔しさと怒りがその表情に露骨に現れる。
「その銃をこっちに寄越せ!」
「……良いでしょう。人質を傷つけないで下さいね」
そう返したジャックは、自然な所作で拳銃の安全装置を作動させた後、大木に向かって差し出した。大木はそれに気付くこともなく、銃を拾い上げ、自信ありげな面持ちで銃口をこちらに向けた。反対の手で持ったナイフは蘭の首に当てたまま、ジャック達を睨む。拳銃を手にした大木がナイフを手放すことを期待していたジャックは少しがっかりしつつも、次の作戦に移行することにする。
「良いか、一歩でもこっちに近づいた瞬間この女を殺すからな!」
その姿は、力を手にしたと錯覚した男の虚勢に満ちていた。
「何故その人なのです。普通、拳銃という刃物より強い武器を手に入れたら、こちらを殺したいものじゃないんですか?」
可愛らしくも不気味に目を細め、ジャックはあざけるように笑った。
「強い武器を手に入れても自信は持てませんか?」
「……何だと?」
「女性を4人殺しても自信はつきませんでしたか?弱いままですか?情けない人ですね。男なのに、ナヨナヨとして、自信がない。拳銃を持っても何も変わらない。何をしても、本質は何も変わらない」
その言葉に、大木の顔が赤く染まり、怒りに歪む。
「俺は強いんだよ、お前よりな。テメェら警察だって俺のことを全然見つけられなかった!そんな間抜けのポリ公が俺の何を知ってるっていうんだ!」
「知ってますよ、結構詳しく」
ジャックは冷酷に目を細める。その眼差しには、一切の同情もなかった。
「子供時代は強気な態度でカーストトップでしたけど、高校時代のイジメをきっかけに転げ落ちてしまったんですよね。過去の栄光を取り戻したくて、色々やったけどダメだった。当然です。だって貴方には何もない」
「何だと?」
「お金もない、地位もない、美貌も知能も何もない。それでも過去の栄光だけは頭から離れない。あの頃の輝きを取り戻したくて、原因に執着した」
「……」
「10代なら、ちょっとしたワルはモテますもんね。彼女でもできました?」
大木は、その問いに答えなかった。声を発することもできず、ただ唇を噛みしめるばかりだった。
「出会い、恋し、付き合い、手を繋ぎ、デートをする。そしてキスをして、その次に移ろうとした。けど出来なかった」
「……テメェ」
低く押し殺した声で、怒りを噛み殺しながら大木が唸った。唇を震わせ、目は剥き、手にした拳銃のグリップが白くなるほど力を込めて握られていた。
「当然ですよ、金も地位も美貌も知能も無いのに、タマも無かったんですから。玉無しですね。度胸もなければ、竿も立たない。お察ししますよ」
嘲笑うような声音に、大木の顔がみるみるうちに赤黒く染まっていく。その様子を目の当たりにしたコナンが、思わずたじろいだ。これまで数々の修羅場を潜ってきた彼ですら、今の言葉には一瞬、言葉を失った。
「お、おいジャック……」
思わず声を漏らすが、ジャックは構わず続けた。むしろ、その反応すらも計算していたかのように。大木の意識が完全にジャックに向いたところを狙ってコナンが麻酔を打ち込むか、怒りのあまり刃物が蘭の首から逸れたところを他の銃で撃つか。ともかく、状況を好転させるために幼稚で気が短い男を煽り続ける。蘭より先に己を殺したいと思わせるように。
「挿入できなかったんでしょう。ムードは整ってるのに、お前だけは整ってなかった。彼女に呆れられたんじゃ無いですか?バカにされた?それとも笑われた?そして、噂は広まった。ガキ大将から一転、いじめられっ子へと転落したんですよね、可哀想に」
「黙れ」
わなわなと肩を震わせながら、大木が声を漏らす。だがジャックの攻撃は止まらない。
「頑張って薬とか飲んでもどうにもならなかったんですよね。どうしようもない事で虐められるなんて、本当に哀れな人だ。同情で涙が出そうです」
「黙れ!」
叫ぶような声が木造の小屋の中に響き渡る。ナイフを握る手にも、力がこもる。
「使えないものならいらないですよね?いらない竿ならちょんぎってやりましょうか。バカで愚かな臆病者には不要でしょう。去勢すれば、頭の中から煩悩が消え去って少しは賢くなれるかもしれないですよ?」
その言葉に反応するように、大木の手元が震え、ナイフが蘭から逸れた。怒りに塗れた顔が、煮えたぎる憤怒で赤く染まり、冷静さがあっという間に失われていく。ジャックの目は鋭く、そんな大木を見据えていた。そしてその口からは、まるで呪詛のように、あの復讐ノートに書かれていた怒りの元となった言葉が流れ出す。
「お前は本当に何もできないやつだな。勉強もできない、容姿も悪い。運動だって大した事がない。親の金を食い潰すだけの穀潰しめ!そのくせ肉体まで不良品だなんて、お前は一体何のために生まれてきたんだ!?
私を殺してみろって言ってるんだ玉無しめ!一つくらい何か成し遂げてみる度胸もないのかお前には!
なぁ、おい。あれじゃあ大木じゃなくて小枝じゃねぇかって笑われたんだろう?何とか言ったらどうなんだ!?ブツは小さいのに態度だけはでかい、親指大将軍さんよぉ!」
吐き捨てるような声と共に放たれた言葉の一つ一つが、鋭利なナイフとなって大木の心を裂き続ける。そしてついに、大木は煮えたぎるような怒りに任せて蘭を突き飛ばし、ナイフを手放して両手でしっかりと銃を握り、ジャックへと銃口を向けた。そして引鉄を引こうとした。だが当然、できなかった。
その瞬間、ジャックは別の拳銃を取り出すと、大木の肩に向けて構える。しかし──
引鉄を引いたその弾は、大木に届かなかった。
「何故庇う!?」
声の調子が変わる。まるで仮面が外れたかのように、ジャックの素の地声が漏れた。そこには、驚きと混乱が滲んでいた。蘭が、大木を庇ったのだ。
「どんな理由があっても、殺しては……ダメッ!」
疲労の色が濃い、けれども強い意志の宿った声が、静かに小屋に響いた。その言葉にジャックの顔が歪み、そして深いため息が漏れた。
コナンの推理に手を貸した以上、殺すつもりは初めからなかった。だがそれを彼女たちが知る術はない。
コナンが動く。静かに構えていた麻酔銃から、針が放たれた。狙いは外れず、大木の首に命中した。
「被害者であるアンタにそう言われちまえば、俺は何もできないよ」
静かに、そして少しだけ落ち着いた声でそう呟くと、ジャックは大木が落とした拳銃を拾い上げた。そして、蘭の無事を確認して安堵するコナンの姿に目を細め、口元に淡い微笑を浮かべる。
「大切な人は大事にしなよ。いつだって、後悔は先に立たない」
その言葉に、コナンもまた真剣な眼差しで頷く。
「ああ……分かってるよ。身に染みた」
そう言葉を返すコナンに背を向けて、ジャックは静かに山小屋の扉へと向かった。足取りは迷いなく、風のように軽やかである。
「ジャック、今回は助かった。ありが……」
コナンはそう言葉を続けようと顔を上げたが、既にそこにジャックの姿はなく、立ち去った後だった。やがて、小屋の外に警察車両と救急車のサイレンが近づいてくる音が響き始める。
その後、毛利小五郎が米花へと戻ってきた時には、すべてが既に終わっていた。病院で再会した娘の無事を、その腕にしっかりと抱きしめながら、彼は心からの安堵を噛み締めていたのだった。