令和のジャックザリッパー   作:佐倉シキ

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嘘で暴く真実 下

 

 

 

その後、二人はしばし小声で作戦会議を行い、証拠を集めてから、静かに会議室へと向かった。目的はひとつ、推理ショーを行うためである。

部屋に戻るなり、ジャックはすでに立っていた久保寺一紀の元へと近づいた。軽い笑みを浮かべながら、何気ない素振りで声をかける。

 

「裾、ゴミついてますよ」

 

そう言って彼の足元に手を伸ばす。まるで些細な親切のように見える仕草。だがその実、さりげなく何かを仕込む行動だった。

 

「それで、もう犯人が分かったって言うのか?」

 

会議室にいた誰かが口を開くと、キッドが不敵な笑みを浮かべて頷いた。

 

「ええ、当然です。今からは答え合わせの時間ですよ」

 

視線を全員の上に滑らせながら、キッドは一歩踏み出し、手元に人差し指を立てて言った。

 

「まず、事件の流れをおさらいしましょう」

 

その場に自然と緊張が走る。彼が歩き始めると、それに連れて全員の視線が集まり、会議室の空気が静まり返っていく。

 

「辰夫さんの遺体が発見される一時間と少し前には、全員の姿が確認されています。そして、それぞれがそれぞれの理由で離席した。トラブルの対応に追われていた辰夫さん以外の全員が戻ってきたのは、会議開始から一時間後のことでした」

 

そこまで告げて、キッドは一瞬だけ視線を宙に浮かせる。実際には、その時点ですでに辰夫は殺害されていた。しかし、自分が殺されたはずの辰夫に化けて登場してしまった以上、説明には一つ嘘を挟まねばならない。

 

「辰夫さんはこの時すでに殺害されていたのでしょう」

 

その言葉に、周囲の数人がざわつく。

 

「うん?ちょっと待て、それなら途中で戻ってきた辰夫さんは誰だったんだ?だってキッドは早川さんに……」

「辰夫さんが来た時にはオレいましたよ、普通に」

「うん?なんかこんがらがってきたぞ」

「そうですね。想定外の介入者である怪盗キッド。彼の存在によって、少しややこしい事になってしまっているのです」

 

キッドは語りながら半目でジャックを見た。会議通りの内容で推理を通した場合、殺人鬼ジャックはこの場に存在しなかった事になるのだ。

 

(ちゃっかり自分の存在だけなかった事にしやがって……)

 

そんな不満をぐっと胸の中に飲み込む。

 

「辰夫さんのトラブルを知ったキッドは、清掃員の早川さんに化け続けるよりも、社長である辰夫さんに化けた方が“アズラエルの刃”に近づくのに都合が良いと判断したのでしょうね」

 

そう言うキッドに、ジャックが明るく相槌を打つ。

 

「確かにそうですね!社長なら宝石に近づいても誰も疑いませんし!」

「キッドが辰夫さんに変装した頃、目を覚ました早川さんは慌てて仕事に戻った。そして入れ替わるように今度は辰夫さんに変装したキッドが戻ってきたんだ」

「なるほど……こりゃややこしいな」

 

その言葉に、周囲もなるほどといった表情を見せ始めた。疑いの視線が緩み始め、じわじわと納得の空気が広がっていく。

 

「そしてキッドは、眠らせた一紀さんから展示室の鍵を盗み、アズラエルの刃の確認に向かった」

「だが、そこには辰夫さんの遺体があった。これは予定通りには行かないぞと判断し、妙な事に巻き込まれる前にさっさと逃げちまったってわけか」

「オレが着いたのはその後でしたね」

 

緊張と疑念、そして少しの安堵が入り混じる空気の中、場を遮るように、一紀が前のめりになって声を上げた。焦燥と苛立ちを隠しきれない口調だった。

 

「それで、父を殺した犯人は誰なんですか!?キッドですか!?それとも別の誰か……名探偵なら分かってるんじゃないですか!?」

 

キッドは落ち着いた手つきで、立ち上がりかけた一紀の肩に手を置く。

 

「まあ落ち着いてくださいよ。順に説明しますから」

 

軽やかな口調のまま、一紀をそのまま椅子に座らせた。手のひらには微かな圧がこもっている。

 

「では、望みに応えて犯人の残した決定的な証拠について話しましょうか」

「なんだ、決定的な証拠があるのならさっさと示せばよかったじゃないか」

「勿体ぶりたくなるような物があったんですよ」

 

と、キッドは微笑みながら両手を大きく広げ、まるで舞台に立つエンターテイナーのように一歩前へ出た。

 

「大事なものは、舞台が整ってから出すものです」

 

そのまま、懐に腕を差し入れる。

 

「これを見れば皆さん、一発で犯人が誰であるか理解するでしょう。それだけのものが残されていた。オレもそれを見つけた時は、背筋が凍る思いでした」

 

ざわめきの中、中森の声が鋭く突き刺さる。

 

「そりゃなんだ?その証拠とやら、さっさと言ったらどうなんだ?」

 

キッドは首を傾げるように笑った。

 

「いや、証拠というよりも……これは演出と呼ぶべきでしょうか。舞台に残された小道具。たった一つで、観客の目をある方向に誘導するためのね」

「……演出?」

 

その言葉に、誰かが小さく繰り返す。キッドは頷いた。

 

「ええ、おかしなものが死体の側に置かれていれたんですよ。一目で事件の全てを理解できる、そういうものがね」

 

その瞬間、一紀の喉がかすかに鳴った。わずかだが、間違いなく反応していた。

 

「その演出が示すのは、凶悪な人物の存在。そこにあるだけで、誰もがそいつを疑うような……そう、過去に多くの罪を重ねた名のある怪物を思い出すような代物です」

 

キッドがそう語り終えた時、室内は不気味なほどの静寂に包まれた。

 

「皆さんも当然ご存知ですよね。何人も殺し続け、しかし今なお鉄の鎖を嵌められない、残虐な殺人鬼の存在を」

 

その言葉に、会議室にいた者たちは次々と顔を上げ、ぞくりとした顔つきで、各々が思い浮かぶ人物の名を脳裏に浮かべ始めた。

 

「まさか……」

 

声にならない呟きが、重く張りつめた空気の中に落ちる。その呟きに対し、キッドはゆっくりと頷いた。

 

「ええ、そのまさかです。あの極悪非道な殺人鬼の証拠が残されていたんですよ」

 

その一言が火種となって、場の空気が大きく揺れる。

 

「と言うことは、噂は本当だったんですね……辰夫さんがアズラエルの刃の前の持ち主を、自殺に見せかけて殺したんじゃないかって……」

 

ジャックがつぶやいた瞬間、一紀が激しく前のめりになり、焦燥を抑えきれぬままに声を上げた。

 

「だからあの殺人鬼が父さんを殺したんですか!?残っていたんだ、殺人鬼ジャックが残す赤い証拠のカードが……やっぱり、父さんは……」

 

自らの口から漏れ出た言葉に、一紀はすぐには気づかなかった。追い詰められた者の高揚と安堵が、不用意な言葉を引き出してしまったのだ。その時、キッドが懐からひとつの赤いカードを取り出して掲げた。真紅に染まったそのカードが皆の視界を捉えた瞬間、部屋全体にざわめきが広がった。驚愕と疑念が波のように押し寄せる。

 

「ふふ、ははは、アハハハハハ!」

 

と、その中心で、キッドが愉快そうに高らかに笑い出した。笑い声は、まるで舞台上の道化のようにあたりに響いた。

 

「な、何がおかしいんだ……?」

 

中森警部が眉を顰めて問う。キッドはその声に応えるように、ニヤリと笑みを深めた。

 

「中森警部ならご存知ですよね。殺人鬼ジャックのこのカードは警察内部の極秘情報。世間では予告状が残されてるなんて噂されてますけど、それが“赤いカード”なんて言うことは警察関係者しか知らないはずなんですよ。もしくは、あの遺体の側にこれを残した犯人しかね!」

 

鋭く放たれたその言葉が、空気を一変させた。全員の視線が、次の瞬間に一斉に一紀へと向く。一紀の顔から血の気が引き、見る見るうちに青ざめていく。その場に立っていられぬほどの焦燥と恐怖に襲われ、彼は必死に弁明の言葉を絞り出した。

 

「つ、妻が…警察関係者でね。たまたまニュースで殺人鬼の話を見ている時に耳にしたんだよ」

 

言葉の端々からは焦りが滲み、場を誤魔化そうとする様子がありありと伺える。だがその瞬間、早川に扮したジャックがにこやかに口を開いた。

 

「なるほど、それで死体のそばに落ちていたカードを見て、犯人はジャックだって誤認しちゃったんですね!象徴的だし印象に残ったんだ……一紀さんが犯人な訳ありませんよ!」

 

軽やかな口調でそう言い放たれると、孤立しかけていた一紀の表情が僅かに和らぐ。味方が現れたことに安堵したのか、ほっとした様子で言葉を続けた。

 

「そう、そうなんだ。そばに落ちていた赤いカードがどうも印象に残ってしまってね。妻と殺人鬼の話をしたばかりだったから、殺人鬼が父を殺したのかと思って動揺してしまったんだ……」

 

しかし、その発言の直後、キッドが片眉を上げ、いたずらっ子のような表情で口を開いた。

 

「それこそおかしな話です」

「な、何がだい?」

 

一紀の声には怯えが混ざり始めていた。キッドはその様子を楽しむように笑みを深めた。

 

「だってこのカード、オレが辰夫さんを発見してすぐに隠したんだぜ?アンタらが来た時にこれはオレのポケットの中、アンタ一体、いつこれを見たって言うんだ?」

 

再び静寂が落ちる。その場の空気が凍りつき、一紀は声も出せぬまま、顔を強張らせてその場に固まった。

 

「事件の真相はこうです!」

 

勢いよく声を上げ、キッドは舞台に立つ俳優のごとく両手を広げた。瞳は輝きを増し、その表情は自信に満ちている。

 

「事の始まりは会議室で全員がバラバラになった40分前、貴方が警備室の監視カメラを弄ろうとして、システムがキッドによってループになっている事に気がついたことから始まります!」

 

その声には勢いがあった。動きは芝居がかったものの、内容はしっかりと事実をなぞる。ループの仕掛けを目の当たりにした一紀は、そこに乗じようと考えたのだ。彼はトラブル対応で離席していた父を再び呼び戻し、その手に大量の筋弛緩剤を混ぜたコーヒーを持たせて飲ませた。そして、アズラエルの刃が無くなったと偽って展示室へと誘導する。

 

あらかじめ一紀が隠したのだと知らず、空になったショーケースを目にして動揺する辰夫。その隙をついて、筋弛緩剤が効いてくるタイミングを見計らい、彼をロッカー前へと誘導する。ふらつきながらも応じた辰夫の襟には、その際にこぼれたコーヒーがしっかりと染み込み、皺となって残っていた。そこで朦朧とした父を刺殺し、その遺体をロッカーに詰める。筋弛緩剤の効果で出血量が少なくなっていたため、床にはほとんど血痕も残らなかった。

 

そして彼は、殺人鬼ジャックの仕業に見せかけるべく、赤いカードを遺体の上にそっと置いたのだ。倒れると同時にカードも現れるように。ただひとつの誤算は、睡眠薬入りの水を口にしてしまっていたこと。それにより、一紀は帰り際に寄った警備室でそのまま眠り込んでしまった。

 

アズラエルの刃を持ち出せる唯一の人物、それは鍵を握る博物館館長、久保寺一紀。すなわち、犯人は彼に他ならないのだ。

 

「わ、私が犯人だって言う証拠なんてないじゃないですか!眠っている間に誰かが鍵を盗んで展示室に向かったのかもしれないし」

 

声を荒らげて、一紀が叫ぶ。彼の言葉には焦りが混ざっており、その声の震えは隠しようもなかった。そんな一紀の動揺を見透かすように、キッドは落ち着いた声で言葉を継ぐ。

 

「眠った時間は、どれだけの水を飲んだかでおおよそ予想できますよ。コップにどれくらいの水が残っているかで推理できます」

 

そう言いながら、キッドは展示室に並べられていた紙コップに視線を巡らせ、ひとつひとつの水位を確認する。そんなものは大した証拠にはならないが、演技がかっているほどに大袈裟な仕草で、まるで決定的な証拠であるかのように、声を響かせた。

 

「一杯丸々飲んでしまった早川さん、増田さん、綾野さんはすぐに眠ってしまったでしょうね。半分ほど飲んだ中嶋さんや警察の皆さん、中森警部も直に眠る。対して一紀さんはほとんど飲んでいない。キッドの仕込んだ睡眠剤はかなり効きが良いとはいえ、この程度では効いてくるまで時間がかかったはず」

 

キッドの語りに場が静まり返る。そして、中森がぽつりと呟く。

 

「つまり自由に動けた時間は一紀さんが一番長かったのか」

 

その言葉が確信へと近づいた瞬間、一紀が思わず声を荒らげた。

 

「そんなもの証拠にならない!」

 

一紀はそう叫ぶも、キッドは一転して軽やかに言う。

 

「では続いての証拠です」

 

彼が腕を大きく振ると、その手の中にはいつの間にか紙コップが現れていた。内側には茶色い染みがこびりついており、誰の目にもそれが普通の水ではないことは明らかだった。

 

「な、それはッ」

 

一紀の顔が引き攣り、目が見開かれる。キッドはそれを見て薄く笑みを浮かべると、肩をすくめて言う。

 

「見つけるのに苦労しましたよ」

 

実際には、それはまったくの虚偽。ジャックが事前に掴んでいた情報により、辰夫が社内でコーヒーを片手に歩き回る癖があったことを知っていたのだ。遺体に注射痕がなかった以上、薬を盛ったとすればそれは内服によるもの。つまり、犯行に用いられたのは辰夫の襟に残っていた液体、コーヒーだったと推察できた。

 

ジャックが茶色い染みを嗅いでみれば、そこにははっきりとコーヒーの香りが残っていた。会議室を出る前にはそんな染みは存在していなかった。となると、その染みが残されたのは会議室を出た後だ。しかも警備室のカメラ映像では辰夫が本社にいた間、コーヒーを飲んだ様子は一切ない。すなわち、一紀に呼び戻されて博物館に戻った際に、彼がコーヒーを持たせたということになる。

 

「このコーヒーと辰夫さんの襟のシミ。そしてアンタのその、ズボンの裾のシミ、調べればおんなじ薬品が検出されるかもしれないぜ?」

「馬鹿なッ!?」

 

一紀が慌ててズボンを確認すと、確かにそこには茶色い染みが付いていた。先ほど、ジャックがこっそり付けたものである。調べても何も検出されないが、一紀はその事実を知る由もない。額には大粒の汗が滲み、顔面は蒼白となった。

対するキッドは、嘘ばかりついているという状況の緊張から胸の内には不安が渦巻いているにもかかわらず、それを一切顔に出さず、まるで余裕綽々の演者のように、はっきりと言い切った。

 

「アンタはキッドの仕込みを利用して、殺人鬼に犯行を押し付けるようにしつつ、親父を自分の手で殺したんだよ!」

 

静寂の中、その言葉は一際重く響いた。一紀の表情が歪む。

 

「ち、違う!私は!!」

 

声は掠れ、抗弁は苦しげだった。キッドは一歩踏み出し、低く囁くように言った。

 

「違うってんならオレの推理を否定してくれよ。できるもんなら」

 

その挑発めいた言葉に、一紀の肩が小刻みに震える。何か反論しようとしても、言葉が浮かばない。追い詰められ、道を探すも、脱出路はすでにどこにもなかった。

 

やがて、膝が崩れ落ちるように床に着き、力なく俯いたまま、ぽつりと口を開く。

 

「そうだよ、私だ。私が父を…殺したんだ……」

 

その告白が場を静かに満たしていく。誰もが息を呑む中、キッドとジャックは、互いに言葉なく目を交わした。この瞬間、二人は沈黙の中で確かに理解した。賭けに勝ったのだと。

 

両膝をつき力なくうなだれた一紀に、中森が静かに問いかけた。彼の声には、怒りや憎しみよりも、深い困惑と人としての疑問が滲んでいた。

 

「アンタ、なんでそんな事を……自分の父親だろう?」

 

その言葉に、一紀は一度ゆっくりと目を閉じ、吐息を漏らす。諦めがついたのか、もはや隠す意味もないと悟ったように、低く、絞り出すような声で語り始めた。

 

「アズラエルの刃……あれを手に入れるために親父が何をしたのか、知ってるか?」

 

その語り口から滲むのは怒りと悔しさ、そして深い苦悩だった。告げられた内容は凄惨なものであった。

 

辰夫は、伝説と呪いに彩られたそのナイフがどうしても欲しかった。それだけの理由で、前の持ち主をそのナイフを使って自殺に見せかけて殺害したのだ。そしてその息子も刺し殺し、孫である生後間もない赤児はうつ伏せに寝かせて、窒息事故に見せかけて命を奪った。

 

「遺書も残っていたんだ。実際、あの人はガンだったから、遺書を書いていた。そして親父は、その遺書を自殺に見えるように改竄したんだ」

 

言葉を吐くたびに、一紀の声音には怒りが混ざっていく。辰夫は巧妙だった。結果、警察は一家心中と判断し、捜査は打ち切られた。欲していたアズラエルの刃は、形ばかりの譲渡契約書とともに辰夫の手元に渡った。偽装された契約書を警察は疑わなかったのだ。所有者に返還という形で、まんまと凶器になったナイフを辰夫は手に入れた。

 

「父さん……さっきは呪いは存在しないとか否定しなかったけど、私が聞いた時にこう答えたんだ。“アイツらが死んだおかげでこのナイフにも箔がつく”って……それがどうしても、許せなくて。だから、殺してやったんだ。父が求めたそのアズラエルの刃で、命を奪ってやったんだよ!」

 

その言葉には、単なる倫理の問題を越えた、個人的な憤怒が込められていた。キッドが目を細めて問いかける。

 

「知り合いだったんですか、前任の持ち主は」

「ええ、彼は……正確には彼の息子ですけど、殺されたアイツは、私の高校時代からの親友だったんですよ。知ってたはずなのに……知ってたくせに!!」

 

怒りと悲しみが限界を超えたその瞬間、一紀は堰を切ったように涙を流した。その頬を伝う涙は止まることを知らず、無言で俯いたまま嗚咽を堪えている。

 

そんな彼の前に、中森が無言で歩み寄る。そして、手錠を取り出してかけると、ため息混じりに言葉を落とした。

 

「ったく、キッドを追いかけてきたら厄介な事に巻き込まれたわい……県警は事故渋滞に巻き込まれて到着が遅いし……」

 

その呟きを背に、キッドとジャックは静かに会議室を後にする。足音と気配を消して廊下を抜け、建物の出入り口へと急いだ。扉を抜けて少しして、キッドは深く息を吐き、肩を大きく揺らして叫ぶように言った。

 

「あっぶね〜、やばかった!超心臓バクバクしてる!ちょっとこれ脈測ってみろよ、ヤバいから」

 

アドレナリンがまだ体内を駆け巡っているのだろう。興奮気味な様子で手首を差し出すキッドに対し、ジャックは冷淡なまでに切り捨てる。

 

「興味ありません」

 

ピシャリと返されたキッドは、むくれたように「ノリ悪いな」と不満げに顔をしかめる。だがジャックは一瞥もせず、無表情のまま前を見据えていた。

 

しばしの沈黙の後、ジャックが問いを投げる。

 

「興味があるのはただ一つだけ。なぜ早川ジュンではなく、私だと気がついたのです。他の誰かが変装している可能性もあったはず」

「ああ、それか」

 

キッドはふっと笑い、両手を頭の後ろで組みながら歩を進める。どこか芝居がかった口調で言葉を続けた。

 

「まずオレが知ってる変装上手は、オレの両親と、探偵ボウズの母親。後、黒いおっかねぇ姉ちゃん。それにお前の五人だけ」

「黒いおっかねぇ姉ちゃん?」

「そ、名前は知らねぇけどな。んで、前四人はここに来て早川ジュンに変装する理由がねぇ。他の誰かが変装してる可能性もあったが、そんなことする奴はそうそういない。じゃあ誰かって考えた時に一つ思い出したことがあったんだ」

 

思い出したのは、アズラエルの刃にまつわる伝説だった。所有者はみな、刃によって命を落としてきた。先ほど話した通り、前所有者は自殺という形をとっていたが、不自然な点も多かった。

 

「調べてみたけど、本当に自殺なのかって疑問に思う点が多くてな。オレが疑問に思うってことは、他のやつも疑問に思うってことだ。それこそ、殺人者を殺す殺人鬼なら、特に気になっちまうだろ?」

「そうですね」

「自殺の凶器はアズラエルの刃。それならもしかしたら、その刃物に何かしらの証拠が残っているかもしれない。そう判断して見に来るのはおかしくない。ゆったりと調べるはずだったのに、オレが余計な予告状を出したから焦ったんだろう。せめて盗み出されるその前に、ナイフから写真とサンプルだけでも取っておきたいってな」

 

キッドは振り返り、どこか意地悪そうな、それでいてどこか誇らしげな笑みを浮かべて問いかけた。

 

「合ってるか?」

 

その笑みに、ジャックは何も言わず、ただ前を見据えていた。そしてやがて、

 

「合ってますよ」

 

そう、ジャックが静かに肯定するとキッドは誇らしげに笑った。

 

「お、今度は自力で推理成功〜♪」

 

軽やかに冗談を交わしながら歩を進める二人の前に、ようやく出口が見えてきた。夜風が頬を撫でるその場所で、キッドがふと立ち止まり、隣を歩くジャックに声をかけた。

 

「……ま、今日は助かったぜ。おかげで濡れ衣を被らずにすんだ。もうこんな事は2度とないだろうけど、とりあえず……じゃあな、殺人鬼」

 

それに対し、ジャックも淡々と応じた。

 

「そうですね。さようなら、怪盗1412号」

 

ジャックはそう言って、小走りに去っていく背中を見送った。だが少しして目を見開く。見覚えのある小柄な人影を見つけたからだ。人影はキッドのそばに立つと、不満を全面に出して話しかけた。

 

「オメーはまた、オレに化けて何やってんだよ怪盗キッド!」

 

その小柄な影……コナンが、呆れたような声でキッドに詰め寄っていた。キッドは大袈裟に顔を顰め、逆ギレ気味に叫ぶ。

 

「オメェがいないから大変だったんだぞこっちは!」

 

キッドは助けを求めるような視線でこちらを振り返るが、ジャックはそれを完全に無視し、踵を返して去っていった。

 

(あんの野郎ッ、気付いたくせに無視しやがった!!)

 

ちょっとくらい助け舟を出してくれてもいいじゃないかと、内心そうやって毒づきながら、キッドは何とかこの混乱を乗り切るべく、頭をフル回転させてその場を取り繕った。

 

そして、ようやく自宅にたどり着いた頃には、夜はすっかり更けていた。玄関を抜け、部屋の中へと身体を投げ込むように足を運び、ベッドに向かって一直線。

 

「2度とあってたまるか!こんな事ッ!」

 

そう恨み言を吐きながら、キッドは勢いよくベッドにダイブしたのだった。

 

 

 

 

 

 

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